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ノート:ラザル・フレベリャノヴィチ (セルビアの侯)

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改名提案

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Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名に従い、記事名に称号を追加する改名提案です。この人物について、関連記事では「セルビア公」と呼ぶ例が散見されます。しかし英語版の翻訳による全面改稿を準備する中で知ったのですが、彼が名乗ったのは「セルビア公」でも「セルビア人の公」でもなく、単なる「クネズ」(公、侯)だったようです。彼は実際にはネマニッチ朝セルビアの版図を再統合しきれなかった最大有力諸侯に過ぎず、彼自身もネマニッチ朝の継承者を名乗りながら皇帝(ツァール)や王(クラリ)、セルビア公などの称号は名乗っていません。「セルビア公」と訳し得るКнез Србијеを名乗ったのは、息子のステファン・ラザレヴィチからです。彼は1389年にкнезを名乗り、1402年からは деспот(専制公)を名乗っています。ちなみに唐沢晃一『中世後期のセルビアとボスニアにおける君主と社会―王冠と政治集会』刀水書房、2013年、166頁。ISBN 978-4887084100 では「ラザル侯」という呼称を用い、1402年にステファン・ラザレヴィチが「セルビア公国」を建国した、と書かれています。ステファン以降の国家を「セルビア公国」とするか「セルビア専制公国」とするかは別の機会に議論するとして、ラザルを「セルビア公」とするのはいささか抵抗があります。しかし「セルビア○○」という称号が無いと(「ラザル・フレベリャノヴィチ (公)」のような)、記事名に称号を付する意味が薄れてしまう気がします。
そこで本記事の扱いについて2つの案が考えられます。
  • 「ラザル・フレベリャノヴィチ (セルビアのアウトクラトール)」。この称号については、ラザルは「セルビア(人)の」という範囲指定を付しています。しかし英語版(McYataが近日中に翻訳し日本語版に移入予定)でも詳しく論じられているのですが、ここでのアウトクラトールは含意が多く、またビザンツ皇帝のように簡単に「皇帝」と訳すわけにはいかない称号になっています。
  • 「ラザル・フレベリャノヴィチ」(据え置き)。記事名にアウトクラトールという一般に聞き馴染みのない称号を載せるのはよろしくないということなら、そもそも「○○の○○」という称号を名乗るに達しなかった一貴族というような扱いにして、称号を付さないのも手です。
称号がぶれると記事の内容も混乱をきたすので、個人的には事情が面倒なことも含意する「アウトクラトール」案を推したいところです。反対がなければ、こちらに改名する予定です。--McYata会話2022年1月12日 (水) 04:39 (UTC)[返信]
すみません、考え直したのですが「アウトクラトール」はWikipedia:記事名の付け方/君主の記事名#名前で排除するとした「名目的な称号」に当たりますね。しかし「セルビア公」(あるいは「セルビア侯」)というような国際的に認められた領域と結びつく称号を名乗ったわけではありません。また「クネズ」の訳し方は、上掲の唐沢(2013)の表記をとり「侯」とするのがよろしいかと思います(邦語文献でこの時期のセルビア、特に君主制を取り上げた研究はほとんどこれ一つに限られるのではないでしょうか)。全面改稿により、「クネズ」が単に「クニャージ=公」の図式で訳すわけにはいかない語であることも説明が為されると思います。以上より、改名先案をラザル・フレベリャノヴィチ (セルビアの侯)に変更します。告知期間は現時点から改めて最低1週間おくことにします。--McYata会話2022年1月18日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
報告 改名しました。--McYata会話2022年1月25日 (火) 15:48 (UTC)[返信]