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ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史/過去ログ8

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倫理学者金子晴勇の主張について

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硯箱氏は「歴史学的な政教分離議論」というわりに、倫理学者金子晴勇を出典に霊性節を書かれていますし、それを私がWikipedia:言葉を濁さないに応じて提唱者を書き出したところ、差し戻しをしています[1]。これは「意見や主張を記事中に書くときにその意見の論者を明確にせずに一般的なことであるかのように表現にすること」に該当します。金子晴勇については存じ上げませんが、著書一覧をみると、人間学・思想史を専攻とされているようですが、倫理学者金子晴勇の主張・見解は、歴史学的に一般的な定説なのでしょうか?そして、Wikipedia:言葉を濁さないに抵触する編集を改善する他人の編集を一方的に削除するのは、記事の私物化といわざるをえません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:26 (UTC)

すみません。この分野で金子晴勇さんをご存知ないというのは普通に信じられません。これは冗談でしょうか?キリスト教思想史において数々の業績を残しておられ、霊性史についても日本で初めて体系的な『キリスト教霊性思想史』という著作を著し、学界でも最も信頼されている研究者の一人です。この方をご存知ないということであれば、それはつまりキリスト教史について知らないと言っていると同義だと思えますが、本当におっしゃっているのですか?たとえば121.107.209.16さんは宗教改革について、金子晴勇を参照せずに記事を書くことが出来るのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 09:50 (UTC)
回答するのも馬鹿げていますが、金子氏以外にも他に研究者はおられます。宗教改革については他の文献で書けます。「この方をご存知ないということであれば、それはつまりキリスト教史について知らないと言っていると同義だ」とはもうどうしようもありませんね。金子氏はイエス・キリストと同義なんですか?「金子晴勇を知らなければ書く資格がない」などという発言はもうどうしようもないほどの記事の私有化であり「内容査読権」の主張であり、「金子晴勇を知らなければ宗教改革について書く資格がない」などと硯箱氏の脳内基準でしかありません(私有化の振る舞いの例での「きみはその記事を編集する為に必要となる深い知識が欠如している」などの異議を唱えたりする」に該当)。「倫理学者の金子晴勇の主張・見解は、歴史学的に一般的な定説なのでしょうか」という質問に答えていませんが、「学界でも最も信頼されている研究者の一人」とは、どの歴史学界ですか?「歴史学的」とこれまで硯箱氏は連呼してきましたが、その学界とは何の学界ですか?あなたが誰を権威と思っているのかどうでもよいことですが、金子晴勇氏の業績の評価について文献を提示してください。それから、Wikipedia:言葉を濁さないに応じて提唱者を書き出すことにちゃんとした理由がないので、提唱者を書き出します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:11 (UTC)
え?いや、金子晴勇を本当に知らないのですか?この方は本当に定説を作っている方ですよ?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:14 (UTC)
コメント 金子氏は倫理学者ですが、専攻しているのはキリスト教思想史で、著作に宗教思想についてのものがあります。宗教の歴史を考えたうえで、宗教的な考えや、宗教哲学は切ることのできないことと思います。つまり、宗教的な見地から倫理学をとらえている倫理学者であるとみられます。ひとまず、キリスト教という宗教分野には強い人物であるというのは、著作から考えても「そうだ」とはならないでしょうか。それとも、キリスト教に関する論文を発表していなければ認めないということであれば、そういってください。
通説と見解だと意味するところが違うので、「一般的か」(通説か)といわれると、それを示すには別の著作が必要になると考えられます。ですが、121.107.209.16さんの編集では、通説かどうかについての議論を行わずにセクションタイトルを「金子晴勇の教説」としたのは拙速です。ここで求めるべきは、「ほかに同様の主張をしている者はないか」の話し合いであり、その結果を反映しなければいけないということです。そもそも、著者が専門家ではないという意見であれば、それは金子晴勇の教説とするのではなくて、「記述の除去を前提とした議論」が必要であったということです。今日降って湧いた主張や論説ではないのですから、検証をする、情報源を提示するを丁寧にやるべきです。
ところで、硯箱さんはこの金子氏の「歴史学的な政教分離議論」を補える、別の人物による情報源は提示できませんか?例えば、金子氏が主張する前から誰かが唱えていた、主張後に金子氏に賛同している、類似の主張をしているなどでも構いません。--アルトクール会話2017年6月11日 (日) 10:16 (UTC)

まず日本において「霊性思想」という研究の第一人者で、霊性思想についての多くの著作があり、日本人の学者で唯一霊性史の体系的な研究書を出している、まさに第一人者です。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:19 (UTC)

霊性史については日本人では体系的な著作は金子晴勇が出しているのみで、ほかに邦文で読める物として思いつくとすればアリスター・マクグラスとシャルドレイクのものくらいしか思い浮かびませんが、最新研究で決定版は金子のものです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:21 (UTC)
個別分野ではいろいろ論文はあるでしょうが、全体を見通した決定版というのはちょっと他にない、それくらいのレベルです。これで記事を書かないでどれで書くの?という話です。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:28 (UTC)

また削除していますが[2]、「定説である」という情報源の提供がなされておらず、証明がなされていません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:26 (UTC)

編集合戦を誘発するようなことはおやめください。議論を優先してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:28 (UTC)
コメント 硯箱さん。例えば、金子氏の著作を肯定的に引用している論文や著作(別の人物)はありませんか?定説というには、他の人も言っている、使われているという根拠が必要です。金子氏がいうことは絶対だというわけではないのですから。--アルトクール会話2017年6月11日 (日) 10:37 (UTC)

普通にルター研究の第一人者ですし、探せばいくらでもあるんじゃないですかね?いやあ金子晴勇を知らないのというのはさすがにノーマークでしたね……。世界大百科事典にもルター研究の代表者として「近くは金子晴勇《ルターの人間学》が学士院賞を受け,年々,ルター研究の著作,論文は増えている。」というふうに著作が引用されるくらいの人ですから……。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:40 (UTC)

たとえばこれは別の著作についての書評ですが、これを読んでもこの方が第一人者だということはわかると思います。ちなみに書評を書いている方も第一人者です。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:44 (UTC)

とりあえず、金子晴勇については今日のルター研究の基礎を為した人でもあり、さすがに一倫理学者というのは適切では無いと思われますが、いかがですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 10:56 (UTC)

経歴のことですか?「倫理学者」というのが「不適切」とは思いませんが、それならば「ルター研究で知られる金子」としたらよいのではないでしょうか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:59 (UTC)
いえ、金子晴勇については提示した書評を見ても、キリスト教思想史の専門家であることはわかるはずですし、少なくとも霊性史分野において異論は存在しないですよね。あるのなら文献を挙げてください。それがなければスタイルマニュアルに順って、金子晴勇が提唱したというような記述は取り除いてください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 11:02 (UTC)
なぜ削除しなくてはならないのでしょうか。定説であり、第一人者であっても、誰の見解かを書いた方が読者にとって親切です。「定説であり、第一人者であれば、見解の帰属先を書いてはならない」というルールになってしまえば、ベッケンフェルデや山田欣吾やダントレーヴなども削除すべきとなってしまうではないですか。記事には
  • 1.「ヨーロッパの文化は全体として、キリスト教とギリシャ文化との総合によって生まれてきており、それらを総合してきた主体はゲルマン民族であった[97]。
  • 2.「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」
  • 3.「この宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」
とありますが、1も他の出典でも補えますし、個人的には異論もありませんが、出典が他に提示もされていないので、削除するには及びません。2は誰が「重要である」と考えているのか、主語がありません。3も一般的な見解であるとも定説であるわけでもありません。ここで引用した以外の記載でも、金子晴勇のキリスト教思想史やヨーロッパ文化への理解は独特であり、独特であるからこそ研究者として評価されているのではないでしょうか。見解の帰属を除去すべきであるとする理由がありません。一文一文に他の哲学者や学者の見解を紹介していってもいいのですが、そうなるともう統一性もなくなります。硯箱氏の加筆で一番気になるのは、主語がないまま説明しているのでかなり読みにくいことです。そのため、以前、ベッケンフェルデや山田欣吾やダントレーヴの名前を加筆してくださいとお願いしたのであり、今回も同じ理由です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 11:51 (UTC)

ウィキペディアでは意見に重みを付けることが認められています。まず金子晴勇については定説であることに検証可能な反論がないのですから定説と認めるべきです。ウィキペディアでは曖昧な表現は出典を補足することで認められています。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 11:55 (UTC)

以前も申しましたが、「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」という記述は、出典を明記しているのですから、「金子晴勇によれば、ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」という意味と同義であり、少なくとも曖昧な表現ですが、帰属化は明確にされているのです。そして曖昧な表現は帰属化されれば基本的に認められるというのがウィキペディアのルールであったはずです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 12:01 (UTC)

なぜ議論中に名前空間の編集を並行して行うのですか?いつも結論が出ないうちに編集をしようとしますが、議論をしている内容はしっかり議論で合意を経てから編集しようという気はないのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 12:16 (UTC)
パウロの件ですか?それは別の話ではないですか。加筆する前にあなたに許可をとらなければいけないなんてウィキペディアのルールではありません。あなたの個人的なブログではないのですよ。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:27 (UTC)
「宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」という金子の見解が、キリスト教思想史学会を超えて普遍的な定説となっていると主張するならば、そのように書いてある他の文献を持ってきてください。「金子が書いたことは全部定説」などという幼稚な根拠で、削除しないでください。また、主語を不明確にしたままでいいなどとウィキペディアのルールにはありません。また、出典の明記と見解の帰属化は違います。帰属化とは、「誰それによれば…」と本文で明記することです(Wikipedia:言葉を濁さない)。「ウィキペディアでは曖昧な表現は出典を補足することで認められています」とは、どこに書いてありますか?--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:27 (UTC)

言葉を濁さないにあるように、「特に、曖昧な表現だが出典が備わっているものに対しては、曖昧な表現を支持する出典を添える改善例のように出典との整合性を優先してそのような表現にしてある場合もあります。このような文章に修正を求める場合は、出典の内容を確認して妥当性を検討した上で改善を求めるか、自分がその主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える場合のみ改善を求めるようにしてください。」ということが認められております。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 12:35 (UTC)

それから、2の「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」はWikipedia:大言壮語をしないによって、「重要である」は削除すべきです。それか、帰属させるべきです。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:43 (UTC)

それは「曖昧な表現を支持する出典を添える」のスタイルに完全に準拠しており、適切な帰属化がされており、大言壮語には当たりません。もし大言壮語に当たるというのであれば、この主題についてそうではないと主張する検証可能な文献を示して両論併記することを考えてください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 12:46 (UTC)


それから、Wikipedia:中立的な観点によって、意見ではなく事実を書くべきです。「宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」というのが有名な哲学者の見解であっても、意見(見解)は意見であって、「事実」とは言いきれません。ヨーロッパに限らず、歴史上の事実(史実)と、思想家や学者の発言や意見とは区別して書かれるべきです。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:48 (UTC)

「曖昧な表現を支持する出典を添える」にしたがえば意見であっても帰属化することで事実として示すことが出来ます。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 12:50 (UTC)

勘違いしていますね。出典の明記は大前提ですが、Wikipedia:大言壮語をしないでは「重要である」という表現ではなく、事実ならば「ヨーロッパ文化は、ギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っている」と書くべきでしょう。しかし、この命題はやはり一般的にすぎますですし、他の見解を排除した「事実」の表現になってしまいます。繰り返しますが、私は個人的にこの意見に反対しているわけではありません。しかし、意見と事実は区分けすべきです。(偏った記述は帰属化・明確化する)。他の見解も書いてもいいですが、そうすると、この金子説のセクションは肥大化し、混乱しませんか?それでもよいといわれるならば、加筆します。というか、すでに金子以外の見解も続くセクションで提示されているのですが、誰がどの見解を持っているのか、どの解釈が誰のものかをきちんと書き分けるべきです。—121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 13:02 (UTC)

金子晴勇を知らなかった121.107.209.16さんが「その主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える」のであれば、まずは検証可能な文献を示して両論併記することから始めませんか?「曖昧な表現を支持する出典を添える」によれば出典のある主流な見解については主語を省いて記すことが推奨されております。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 13:05 (UTC)

しかし、ここは一般の読者を対象とする百科事典wikipediaです。wikipediaは原則として誰でも編集ができます。硯箱さんのように「金子晴勇を知らないものは書くべきではない」といってしまうと、「ベッケンフェルデを知らないものは書くべきではない」「山田欣吾を知らないものは書くべきではない」といっていくことになりますが、そのような資格をwikipediaは原則としていませんし、Wikipedia:五本の柱には明確に「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」と明記してあります。--121.107.209.16 2017年6月13日 (火) 13:06 (UTC)

議論を錯綜させるような発言のように思われますが、「誰でも書ける」ということと「何でも書ける」ということは別問題でございます。そのため、検証可能性という方針文書が存在し、今回のような専門的な内容については「その主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える」ような規定が出てくるのです。今回の議論は明らかに「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」ということとは関係がありません。私が出典もなしにその記述をごり押ししているならともかく、出典のある情報を適切に記述しているのに、それを適切でないというのならば、まず適切でないという検証可能な文献を示すべきです。それは方針文書に完全に基づくプロセスであり、それを無視しないでください。そして専門知識という面では、その主題における主要な学説は何か、主要な研究者は誰かという情報は明らかに必要不可欠なものです。それが欠けているということはその主題について知っているとは言えないということは常識的に納得することが出来るはずです。山田欣吾氏については西洋中世史の第一人者であり、多くの研究者がそれを定説として基本的に認めており、分けても初期中世の政治概念や政治構造に多大な貢献を残したこちらもカロリング研究の第一人者の故五十嵐修氏をして、ある論文で「必読」と断じておられるほど学界に定着しております。ベッケンフェルデの影響力は国際的なものであり、いわずもがなでしょう。--硯箱会話2017年6月13日 (火) 22:56 (UTC)

伝わりませんね。私は金子晴勇の学説を記載することを問題視しているのではありません。ただ、一節まるごと金子学説の紹介であるならば、冒頭で、「金子晴勇によれば、」くらい付けないと読みにくいといっているのです。--121.107.209.16 2017年6月14日 (水) 14:23 (UTC)
コメント この件はそうですね。確かにその分野の第一人者であっても、それを肯定する学者が複数いないと「通説」とはいいきれません。論文でもハーバード方式で書いたとしても、それを明確化させるときに「何々氏のこの説によれば」とわざわざ書き入れることがあります。つまるところ、「A氏は学説甲と述べている(1)が、B氏は学説乙と述べている(2)。」と書くのと同じです。セクション名に書き入れるのはまずくとも、セクション内の本文に「金子晴勇は『著作』でこれに触れており、・・・」と書いても見通しが悪くなるとかはないでしょう。そう書くと何かまずいでしょうか?英語圏などでも金子氏の述べている学説を肯定・類似しているものがあれば、それを出典にしても構わないですよ。ここは日本語版であって、日本版ではないので、英語の出典を排除するわけではありませんので。--アルトクール会話2017年6月14日 (水) 14:34 (UTC)
  • この一連の加筆[3]は全削除でいいでしょう。すくなくとも関係があるように読める体裁で引用できていません。記事の主題(キリスト教国家論の歴史、ないしは政教分離の歴史)にどうつながるのか提示されておらず、たんに「精霊史」という語からのみ加筆しており、百科事典としての全体の構成を考慮しなかった結果でしょう。一方でこの一連の加筆[[4]は重要で、膨大な文字列にようやく方向性を与えた重要な貢献だと考えます。--大和屋敷会話2017年6月14日 (水) 14:46 (UTC)

話がややこしくなるといけないので具体的な話に戻しますが、まず問題とされている「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」というのは別に金子晴勇が独自に新たに主張した内容ではなくて、どちらかといえば一般常識です。たとえばフランスの中世史の権威ジャック・ル・ゴフが『中世西欧文明』のなかで「異教文化とキリスト教」を今日の「マルクス主義イデオロギー」と「ブルジョワ・イデオロギー」のような根本思想の対立だったというのは明らかに同じ理解を述べていますし、福田歓一が政治学史においてギリシア文明がヨーロッパ精神史にとっての第1の契機であったとすれば、その第2の契機はキリスト教であると言っているのも同様ですし、政治思想史の第一人者である鷲見誠一がヨーロッパ精神の二つの基本的原理として、非キリスト教的な哲学、世俗道徳=モラル・ライックとキリスト教を挙げ、その2つが無縁ではなく有機的に関連するとし、ラクーラバルトのキリスト教の教義はギリシャ哲学によって完成されたという見方を示しています。私はいったい何が言いたいかと言いますと、要はこれらの一流の研究者たちの言葉は「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」と同内容を述べているわけですが、ここでその一文の出典にずらずらと書くかということです。ずらずら書きたい人もいるかも知れませんが、出典の明記にはWikipedia:言葉を濁さないに「出典の内容との整合性を優先」とあるように、依拠した文献との対応性を明らかにするという意味もあります。これを厳密に解釈すれば、ジャック・ル・ゴフらの言は同内容を言っていますが、それぞれの学問の領域での発言で独自の観点を加えており、金子の表現に正確に寄り添う物ではない。このような場合、私は金子晴勇という優れた第一人者が的確に書いているのであれば、それを出典に付すことでよしとしたい。「金子晴勇の『~』という著作によれば」という表現をつけるべきという意見に対しては、出典が付してあるのですから、誰の何という書物に依拠しているかは明白です。逆に例えばここを「金子晴勇によれば、ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[出典]」という文章にしてみたとしましょう。これはWikipedia:言葉を濁さないによれば「この出典の内容自体が主流とは言えない偏った意見に該当すると思ったら、やはり次のように文中にその意見の持ち主を明示してください。」ときの表現に当たります。これだけの洋の東西を問わない第一人者が述べている内容(ぱっと探してこれだけすぐ見つかったのでおそらく探せばもっと出てくるでしょう)を金子晴勇の個人的な学説に帰するとか、主流とは言えない意見と誤解されかねない表現に直す必要性がありますか。私はそう思わないということです。実際に権威ある学者の一人がこのことに反論しているなら、それを適切な形で両論併記すれば良いと私は思います。ウィキペディアでのWikipedia:言葉を濁さないWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点には主流な見解を主流なものとして記すという明確な指示があり、文体も指定されているのですから、それに則るべきです。要は私はずっと論じているのはこういう方針文書に規定された文章表現としてどれが的確かという話です。そしてこの「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」というのは金子晴勇の論の中心論題ではなく、これはどちらかといえば今確認したように一般常識の確認のように思われますから、これを金子晴勇の学説というのはどうかなとも思います。--硯箱会話2017年6月14日 (水) 16:41 (UTC)

記事タイトルの差し戻しについて

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  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[5]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[6]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[7]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[8]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[9]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[10]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話2017年6月11日 (日) 13:08 (UTC)
えーと。まずは大和屋敷さんは「キリスト教国家論の歴史」の出典を提示してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 13:09 (UTC)

「複数の利用者から求められている」なる弁舌について②

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  • この問い合わせにつき[11]硯箱はこのような回答をしているが[12]アルトクール氏[13]は改名提案終了後の発言であり、Susuka氏はそもそも発言されていないではありませんか。なぜこのような不誠実な回答をして議論を攪乱するのですか。お答えください--大和屋敷会話2017年6月11日 (日) 14:02 (UTC)

落ち着いてノートを確認してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 14:02 (UTC)

出典を求めている私の意見を無視したことは不誠実ではないというのですか?冷静になってまずは「キリスト教国家論の歴史」の出典についてお答えいただければと思います。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 14:08 (UTC)

  • なぜウソの弁舌までつかい印象操作をして議論を攪乱したのか。説明しなさい。あなたが編集検討に参加できるかどうかなどそのあとの話しである。--大和屋敷会話2017年6月11日 (日) 14:11 (UTC)

まず実際にSusukaさんとアルトクールさんの出典を求める発言があるのですが、それを嘘というのはなんでなんです?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 14:12 (UTC)

わかりました。私も正直そのほうがいいと思います。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 14:15 (UTC)

コメント依頼提出の報告

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論争が発生していましたが、アルトクールさんと切干大根さんによっていったんクールダウンされましたが、このままであれば再発する可能性もあると考え、コメント依頼を提出させていただきました(差分)。第三者からみると、いったんクールダウンしているこの機に議論を終結させることができるようにも思います。--Yuukin0248会話2017年6月12日 (月) 10:26 (UTC)

  • コメント 教会と国家が分離していく過程を政教分離という言葉を使う学者も一部にはいますが、一般的ではないということは、121.107.209.16さんがすでに文献で調査されてます。近代の政教分離原則の歴史が書いてあるのかと勘違いさせる記事名だ、という誰でも思いつく欠点についてどうするのかについても、硯箱さんはとくに説明されてません。硯箱さんは、大和屋敷さんに押しつけずに、ご自分でお持ちの文献をご確認いただいて、「キリスト教国家論」について文献調査されればいいんじゃないでしょうか。この記事のごく一部しか、「政教分離」には触れられてなく政教一致とか、単に教会と国家の関係性に関する言及が多いので、内容からも「キリスト教国家論の歴史」のほうがあってると思いますが、最初から誰も、絶対に「キリスト教国家論の歴史」しかありえない、などと言ってるわけではありません。「政教分離の歴史という記事名は変える」ということは一度合意してますので、硯箱さんは、一度合意形成されて以降、どのような新たな学術的発見がなされたのか、などを最低限説明されるべきでしょう。一度政教分離の歴史を変える合意がなされて以降、とくに、状況に変化がないなら、学術的根拠のない気分的な主張だったということになるでしょう。硯箱さんが重要視されてる、ベッケンフェルデの「世俗化過程としての国家の成立」にだって、キリスト教の国家について論じられてるはずですが、逆に、政教分離についてここに書いてる、ということを、明らかにされてましたか? とにかく、この議論における最大の問題点は、硯箱さんが、何度も嘘をつかれることだと思ってます。ノート:キリスト教国家論の歴史#3つの合意が存在するのかどうかでも、「ここで合意してますよ」と言えばいいだけなのに、嘘をついたまままた別の嘘を言われる、という状態に陥ってます。一つだけ過去の合意の差分を示されましたけど、それは、「政教分離の歴史」というタイトルをやめる前提で、国家と教会が分離していく過程に限ったことを一つの節にまとめることを合意しただけ、だと思ってます。嘘じゃなくて誤解だと解消されたのは一つだけで、その他の嘘はそのままです。硯箱さんが、「嘘を言われる」ことが多いので、議論の前に、なぜ、嘘ばかり言うのか、ということで論争となり、消耗戦が発生し長期化してます。また、記事名も含む記事の私物化が目的でないなら、消耗戦に持ち込んで今の記述を誰にもいじらせない行動を取られ続ける必要はないんじゃないかと感じてます。私は少しこの記事を触っても全部リバートされて硯箱さんに閉め出されたままです。硯箱さんがつかれる嘘が積み重なったまま議論が進行すると疲労が大きいので、硯箱さんが「嘘じゃない」ということを即座に証明されない場合に、勘違いか嘘、として「保留」として扱ってもらうなどがないと、結局、滅茶苦茶にされっぱなしとなる恐れがあります。いろいろな方針逸脱行為に目をつぶってますけど、嘘だけはちょっと耐えられなくなってきてます。そういうなかで、正常な議論を続けるために、多くの第三者が仲介してくださるなどは、助かります。なお、一人や二人がポツポツ仲介されるだけだと、結局、「知識が無い」とか個人攻撃に走られて従わない行動をとられてますんで、多くの第三者の方にコメントを頂けますと幸いです。--ぽてから会話2017年6月12日 (月) 23:53 (UTC)

コメントこんにちは。Moon.riseと申します。Wikipedia:コメント依頼からで立ち寄らせていただきました。 コメントをどちらに書き込むべきか悩みますが、ひとまずこの位置に書き込ませていただくことにします。

2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)あたりから、改名を目指す動きがあり[14]、 2017年5月27日 (土) 12:27 (UTC)に「キリスト教国家論の歴史」という記事名で改名があるも[15]、 合意がうまくいっていないということで移動差し戻しが行なわれたのですね[16]。 もちろん、経緯がもっと複雑だということは(議論参加の皆様がそう主張されるであろうことは)感じておりますが。

私見ではありますが、(今の所進められている)改名手続きだけをどうするのかというよりも以前に、こちらの主ページが「最終的にどのような状態になるべきか」ということについて合意して、 そこまでのロードマップを考える、ということが必要ではないでしょうか。 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには、「記事のアクセシビリティのために、記事を適切な大きさに保ってください」 「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです」 ということが明確に書かれています。 Wikipedia:ページの分割と統合には、「以下に該当すると考えられる場合は、ページの分割を検討してみて下さい」「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」 ということが明確に書かれています。 現在の主ページは量が膨大過ぎて、百科事典として相応しくない、問題のある状況です。

果たして現在の改名は、例えば①「改名 → 分割 → 各記事内容削減」という流れを目指すうちの一部分なのでしょうか?  あるいは例えば②「改名 → 分割しない → 各記事内容削減」という流れを目指すうちの一部分なのでしょうか?  もし②なのであれば、改名によって「新しくついた記事名」の範囲に当てはまらない記述は、大幅削除ということになるのでしょうか?  そのあたりのことが見えないうちに、改名をするというのは、次の段階(があるとすれば)でより一層合意が難しくなっていくように思います。

私は「改名」よりも「分割」があるのかどうかについて、より力を注いで議論するべきなのではないかという気がいたします。 他の記事での例ですが、日本の歴史という記事があり、そこから別記事として縄文時代戦国時代 (日本)日本近代史などがあります。 そのような構造に、こちらの主ページの「分割」を目指すことができないものでしょうか? 

分割の検討について「編集しようとしているテキストの量が29キロバイト以上になると編集画面で警告が出ていましたが」とあります。 いくつか記事の大きさを見てみましょう。

  • 日本の歴史:56,728バイト
  • 縄文時代:42,934バイト
  • 戦国時代 (日本):79,010バイト
  • 日本近代史:46,659バイト
  • 政教分離の歴史:561,396バイト

明らかにこちらの主ページのテキスト量が多すぎます。 例えばですが、分割後の各記事がすべて「100,000バイト未満」になることを目指す、などの合意が目指されてもよいのではないでしょうか。 機械的に考えても「大きく4記事に分割して、分割後に各記事内容削減」くらいのことが必要であると、見通しが立ちます。 これは「例えば」の話でありますが、もしこれならば「4つの記事名」が最終的に必要になるのであり、 今分割もされていない状況で、1つだけ記事名をつける(改名する)のに(3月11日から6月13日まで)3か月をかけても、大きな回り道であるように思います。--Moon.rise会話2017年6月13日 (火) 00:39 (UTC)

コメント 私もだいたいMoon.riseさんの御意見に同意するものです。改名については、「キリスト教国家の歴史」ならばともかく、「キリスト教国家の歴史」にはなっていないので不適切だと考えます。そもそも「キリスト教国家」ないし「キリスト教国家論」というのは、一般にあまり馴染みがなく、それで何かを調べようという人は少ないのではないかと思います。差し戻してもよいと思いますが、正確を期するなら「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」がよいでしょう。そのうえで、「キリスト教国家」ないし「キリスト教国家論」という記事を本記事をベースに立項するというのであれば、それは結構なことだと思います。本記事のうち、西欧(ローマ教会)からはみ出る分については「政教分離の歴史」をまた別に立項して、そこに東欧やロシア、日本やアジアの事例を含めるということにすれば、それぞれ20万バイト以下となってだいぶスッキリするんじゃないでしょうか。あまりコマ切れにするのも考えもので、20万バイト程度ならば許容範囲と考えます。--Greenland4会話2017年6月13日 (火) 02:25 (UTC)

  • 当記事は「政教分離」を主題においた記事ではないことは他の編集検討者の方が繰り返し提示されているとおりですが(過去の議論では[17]から継続して指摘されています)、簡単に確認できる方法として、記事を「政教分離」でページ内語句検索(ctrl+f)していただけば良いと考えます。タイトル等を除けば実質的には4回しか「政教分離」が使用されていないことがわかります。当記事は「政教分離の歴史」について解説した記事ではないことは明らかなのです。問題は「では何を解説した文字列であるか」が延々と論点になっております。--大和屋敷会話2017年6月14日 (水) 14:08 (UTC)
コメント えっと・・・記事の内容で必ず「記事名で使われている言葉を連発させなければならない」なんてことはありません。最低限1つ(ページ冒頭)は必要ですが、5回でも10回でも50回でも構いやしないわけで・・・。いくら何度か指摘されているからって、とにかく旧記事名を何が何でもすぐに改名ってそれもおかしくありませんか?記事中に語句の使われた回数でいえば、「キリスト教国家論」は冒頭1か所だけですよ。改名したからそんなの当然・・・はこの論理では通用しませんよ。内容が政教分離に即していないならば、改名候補にあたる語句が本文に触れられているとか、あって然るべきじゃないですか。確かに、「政教分離の歴史」は記事名としての妥当性を欠いている状態であるとは議論になって概ね合意があるといえますが、それはイコールで「キリスト教国家論の歴史への改名を支持する」ものではないはずです。--アルトクール会話2017年6月14日 (水) 14:21 (UTC)
コメント そういう問題があればこそ、以下で「まず本記事の守備範囲を決める」ことを提案しています。現在の実に名を合わせるのではなくて、先に実のあり方を検討する手順です。--Susuka会話2017年6月14日 (水) 14:39 (UTC)
大和屋敷はこの情報源をもっており[18]、ちょっと加筆したかったのですがまったく加筆できる余地がなく、このような文字列が「政教分離の歴史」を標ぼうされていることに本当に困っていたんですよ。そもそも日本の政教分離の歴史について書けないのはwikipediaの紙数的に難しいのは仕方がないにしても、世界で初めに憲法に政教分離を導入したアメリカについて一切記述がないのはあきらかに「政教分離の歴史」の解説ではありません。つきつめればキリスト教思想における「国家論」が延々と引用されてるだけであり、「国家論」だけでいうならなにもキリスト教の専売特許ではなく奈良仏教にもあり儒教にもあり、イスラム法にも国家論はあるわけです。ようは加筆しようにもおかしな人が記事を独占しており加筆できない。しかも膨大な文字列がまったくタイトルの実質を解説したものではないわけです。--大和屋敷会話2017年6月14日 (水) 14:58 (UTC)
コメント 大和屋敷さんの論旨は解りますが、今はまず、いわゆる「政教分離」に関する事項の抽出と整理を優先することは出来ないでしょうか。詳しくは後述していますが、現在の本記事の記述をベースに改名をしたら、その後のページのメンテナンスの幅が狭まり、一連の記事群の理想的な構成を形成できない可能性があります。どうか暫くの間は、現在の記事名と記事内容との関係性の論評は差し控えていただきたく思います。--Susuka会話2017年6月14日 (水) 15:09 (UTC)
大和屋敷の編集上の見立てによれば、政教分離に直接関係する記述(とくに叙任権闘争・宗教戦争・ジャンボータンら王権神授説等)を抜出して分離分割してしまうと記事の体裁と一貫性が保てないとおもうのです。この記事は硯箱氏が加筆した一連の記述のように[19]キリスト教思想史における「国家論」の情報が延々と紹介されているものですから、その一部のみを除去してしまうのは不適切だと考えます。単純に「キリスト教思想史における国家論の史的解説」→「キリスト教国家論の歴史」にtitle変更しておき、「政教分離の歴史」については新規に執筆するのが適切でしょう。--大和屋敷会話2017年6月14日 (水) 15:30 (UTC)
コメントこんにちは、Moon.riseと申します。大和屋敷さんへ、(Susukaさんとほぼ同じ話になりますが)現状で「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意する」というご提案を差し上げたいのですが、いかがでしょうか。
大和屋敷さんから、「政教分離の歴史」からの改名について、2点ご理由を挙げていただいたものと思っております。一点目、過去の議論でこちらの主ページが「政教分離」を主題においた記事ではない[20]という考え方について、読ませていただきました。読んで考えさせていただいたのですが、「政教分離を主題においた記事ではない」というご指摘にも読めますが、「政教分離の歴史という記事名に対して、内容が未完成状態だ」というご指摘にも読めるのではないでしょうか。まさに今、このノートのこの節で「フランス革命への言及があってしかるべき(略)その前で終わっています」「フランス革命とドイツ国制の政教分離(1803年)までを射程に捉えて記事を構成する」などのご意見が出ている所です。こちらの主ページへの理解といたしまして、まだ内容が未完成(適切な時代まで到達していない)から、この時点でタイトルをつけると、「政教分離の歴史」が相応しくないように見える、という考え方がありそうです。
二点目、大和屋敷さんが「日本の政教分離の歴史」「アメリカの政教分離の歴史」について書きたくて、こちらの主ページに加筆できないということにつきましては、ひとつアイデアがございます。政教分離の歴史 (日本)などを新規にページ作成されるということではいかがでしょうか? 現状こちらの主ページでは、分割するのではないか、削除するのではないか、などと様々検討されている次第です。政教分離の歴史 (日本)などは最初から分割するようなつもりで、新規作成されてもよいのではないかと思います。もし、慎重の上にも慎重を期すのであれば、どなたかがこちらのノートで「政教分離の歴史 (日本)を新規作成したい」と手を挙げられて、居合わせている執筆者が「同意します」とやる手もあるでしょう。--Moon.rise会話2017年6月15日 (木) 05:20 (UTC)


情報 以前にも紹介したと思いますが、『世界の一体化』の分割議論が参考になるかもしれません。--Susuka会話2017年6月13日 (火) 02:43 (UTC)

コメント 私もだいたいMoon.rise様の御意見に賛成です。この分量、目次見ただけで読む気が消えます・・・4つに分割しても多すぎるくらいです。専門家が見て完璧な専門書を作るプロジェクトじゃないので、百科事典として、一般の人に向けて、もう少しユーザーフレンドリーになってほしいです。タイトルについてはGreenland4様に賛成で、「キリスト教国家論の歴史」で検索する人はあんまりいないと思います。「キリスト教国家論」という言葉は専門家は使うでしょうけど、専門家はウィキペディアで専門知識を得ようと思わないので、誰にも届かない記事になってしまっていて、もったいないです。あと「キリスト教国家論」の歴史だと、そういう学問の歴史に見えます。「政教分離の歴史」からリダイレクトになっていますけど、この記事の内容は政教分離の歴史ではないので、そこもちょっと気になります。百科事典は、全然知識のない人のライトな入り口であってほしいです。--ジャム・パンナ会話2017年6月13日 (火) 12:54 (UTC)

コメント Moon.riseです。Greenland4さん、ジャム・パンナさん、ご賛同ありがとうございます。やはり嬉しく思います。Susukaさん、参考情報ありがとうございます。一時期「461,375バイト」あった記事が、「31,045/67,215/52,016/186,598/106,568/51,289バイト」まで分割されたという事業があったのですね(Greenland4さんが活躍されていますね)。こちらの主ページでも、参考になるのではないかと思います。
改名した場合に名前をどうするかということにつきまして、ひとつ思う意見を申し上げます。敢えて一度、悪い例を挙げてみましょう。
「こちらの主ページが改名されて「何か雑多な歴史的記述」という記事名になったとしましょう(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)。その後の分割・記事内容削減という努力の末に、ついに「100,000バイト未満」の記事になりました。当面の問題は解決です。ようやく再び「何か雑多な歴史的記述」という記事が加筆されるようになって、その時に困りました。「何か雑多な歴史的記述」という記事名に合うように、どんな参考文献で、何を書けばよいのでしょうか?」
思いますに、「現在の主ページの内容からでは○○という名前がつく」という考え方は、果たして適切かどうか、行なう場合には慎重に考えられるべきではないでしょうか。最終的な記事名が、その後に編集・加筆されうるるかどうかということは、とても重要だと思います。この点では、硯箱さんの求められている「名称についての出典の提示」ということには一理あるのではないかと思います。--Moon.rise会話2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)
コメント 本記事に関しては、解決すべき問題がいくつかあると思います。ひとつは可読性の問題で、記事サイズが大きすぎるのも確かに一因であり、その限りでは分割も一つの手段であろうと思います。具体的には、本記事は「1.政教分離における歴史学的視座」と「2.歴史的展開」の二部構成となっており、本記事が「政教分離の歴史」という旧名のとおり、歴史叙述が当初より目指されたものであるならば、主眼となるのは「歴史的展開」の方ではないかと考えます。したがって、「政教分離における歴史学的視座」約9万3,000バイトに関しては、「キリスト教国家論」でも何でも適切な名前をつけて分割・立項してもかまわないのではないかと思います。実を言うと、単純にサイズの問題ではなくて、この「歴史的視座」という小難しい話が冒頭にあることで肝腎な「政教分離の歴史」までたどりつけないのです。
さらに、「2.歴史的展開」のうち、「古代のキリスト教思想」約3万7,000バイトは「初期キリスト教」というような名前を付けて分割してもよいと思います。「初期キリスト教」に関しては、ウィキペディア内検索によれば277件もの記事がヒットしており、「初期キリスト教美術」という記事もあることから、歴史用語として充分に定着しており、むしろ「初期キリスト教」なる記事が立項されることで、典礼や音楽をからめたそれ自体の記事の発展が期待されます。通常、「政教分離の歴史」と聞いて、古代の初期キリスト教までさかのぼろうという人はあまりいないはずで、もし、そういう人がいたとしても「"初期キリスト教"の記事を参照してください」ですむ話です。また、「政教分離の歴史」を「教皇国家の成立」から説明していくのは、わりと王道というか常識的な話ではないかと思います。
仮に私見が受け入れられて、約13万バイトが別記事に移れば、かなり可読性は向上するものと思います。現状約56万バイトなので、それでも43万バイトあるわけですが、そこから先は慎重であるべきと考えます。
その一方で、「政教分離の歴史」というからにはフランス革命への言及があってしかるべきだと思うのですが、その前で終わっています。ルネサンスや王権神授説、社会契約説などについてもふれられていません。そうすると、苦労して読んでも「政教分離のプロセスがわかった」ということにはならない。いわば未完状態だということなのですが、これは実はサイズ問題よりも重大で、ここでは、よくわかっている方からの加筆が求められています。本記事を執筆された方々が丁寧に文献にあたられて詳細に調べあげた結果、本記事における「宗教改革」にかかわる説明は実際の「宗教改革」約4万バイトよりも、よほど詳しいものとなっています。なので、望ましいのは本記事に「宗教改革」のエッセンスを残しながら(要約しながら)、個別記事「宗教改革」の方へ詳細を移動させていくようなスリム化です。合わせて、この記事を少なくともフランス革命のあたりまでは持っていかなくてはならない。3つのことを同時にやっていかなくてはいけません。これは大変難儀な話でしょう。下手にかかわれないのも無理ありません。「慎重であるべき」というのは、そういうことです。--Greenland4会話2017年6月14日 (水) 00:13 (UTC)
みなさまのおっしゃることはもっともです。分割は必要ないでしょうが、他記事との重複箇所について除去あるいは転記すれば、まずはだいぶ見通しが良くなるでしょう。容易に10分の1以下くらいにはスリムになるんじゃないかと思ってます。半年以上前に、ノート:政教分離の歴史/過去ログ1#項目一部転記提案にしたがって分割されたんですが、硯箱さんがノート:政教分離の歴史/過去ログ2#分割を差し戻しましたで分割を差し戻したために、長大な重複記事が維持されたという経緯があります。他記事との重複が多すぎるので、それを転記してオリジナルな記述のみを残せばいいじゃないか、というコメントは幾度となく繰り返されていますが、硯箱さんが納得されません。逆にあらゆる関連事象を網羅することは非常に難しいので、どうしても雑多な寄せ集めの状態というか独自研究から抜け出せません。私は(キリスト教の)「教会と国家」程度の記事名を最も推してまして、「政教分離」「歴史」などをタイトルに含めることには消極的な考えをもっています。キリスト教の国家論とした場合、ほぼ一章を残して、それ以下の「歴史的展開」以降の重複記載はほとんど転記すれば良いという考えがあっての提案であると私は受け取ってました。ほぼ、上記のみなさまのコメントに異議をもたれるのは硯箱さんのみであろうと考えられます。今のところ、出典がない雑多な記述を除去してもすぐに差し戻されてしまい、結局、硯箱さんが加筆する以外の編集は全部差し戻しされる繰り返しです。記事の整理に反対されてるほぼ唯一の方といえる硯箱さんに、お考えを変えるつもりがあるのかどうか、聞いて頂けますと助かります。--ぽてから会話2017年6月14日 (水) 00:43 (UTC)
参考リンク
コメント なるほど。過去ログはほとんど読んでいなかったので助かりました。ただ、私の意見はぽてからさんの意見とはだいぶ違います。私自身は、スリム化最優先ではなく、むしろ、本記事が「竜頭蛇尾」になっていることを最も問題視するものです。その点からすれば分割はむしろ必要で、「1.政教分離における歴史学的視座」は本記事から何としても切り離した方がよいと思います。「レースプーブリカ・クリスティアーナ」で合意できるのであれば、それでもよいと思います。本記事は定義部分でハッキリ「政教分離原則成立の社会的背景」を説明するとしており、平たく言えば「政教分離原則成立史」が本記事のテーマです。そしてまた、「政教分離の歴史」という記事名の記事はあってもよいし、あったら読みたいと思います。テーマと記事名に齟齬はありません。むしろ、前置き、前置きの前置き、さらに前置きというかたちで余計なものが多すぎる印象です。「教会と国家」という記事名は、失礼ながら、よろしくないなと思います。随筆や史論のタイトルならばそれでもよいと思いますが、百科事典の記事名としては適切ではないと考えます。極端な話、「教会と国家」を知りたい人は記事「教会」と記事「国家」を読めばよいということにならないでしょうか。&のつく記事名は、固有名詞である場合をのぞき、基本的に推奨できません。それよりも問題なのは、記事内容が「政教分離原則成立史」になっていないことなわけで(私はそう考えるので)、古代部分(「初期キリスト教」)も除いた43万バイトを10万バイト程度に圧縮して(4分の1~5分の1の分量に要約して)、さらに10万バイト程度加筆して「分離原則の成立」までもっていく、最終的に計20万バイト程度の記事に仕上げるというあたりが一番よいと思います。可読性に関しては、単純にサイズの問題ではなくて、平易な文章に書き直したり、画像やクォーテーションを入れたり、箇条書きにできるものは箇条書きにしたり、込み入った話は注釈に逃がしてやったり、改行を増やして段落を増やしたり、mainタグ・See alsoタグを併用したりすることで、だいぶ改善されます。手前味噌かもしれませんが、「元禄文化」(20万8,185バイト)、「感染症の歴史」(15万4,001バイト)、「条約改正」(17万2,825バイト)あたりは、サイズの割には可読性のわるさを指摘されたことがありません。本記事よりサイズの大きい記事はあっても、リスト記事である場合は可読性ということは問題になりませんし、逆に、サイズがいくら小さくても読みにくい記事というのもあるだろうと思います。「政教分離の歴史 (西欧)」という内容なら、20万バイト程度は必要でしょう。あまり10万バイト未満みたいなことにこだわらない方がよいと思います。単にサイズダウン優先、改名優先ということだとかえって議論はややこしくなるんじゃないかと心配です。--Greenland4会話2017年6月14日 (水) 02:13 (UTC)
「1.政教分離における歴史学的視座」を切り離して「レースプーブリカ・クリスティアーナ」という名前とするなどは、非常にいい案ですね。近代よりも古代のほうが書きやすいでしょうから今のようなバランスになってると思いますが、みなさんのご協力があれば政教分離原則の成立史、という内容の記事に出来るかもしれません。ちなみに、紆余曲折がありすぎてひと言では言えませんが、「単にサイズダウン優先、改名優先」ということでは必ずしもありません。原点は「可読性のわるさ」をどう改善すれば良いかということだと認識してますので、多様な情報をいただけますと助かります。--ぽてから会話2017年6月14日 (水) 03:46 (UTC)

コメント まず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います。守備範囲が確立すれば、関係ない記述を分割、転記、削除することが出来ます。mainタグ・See alsoタグを併用すれば、よりすっきりとした記述にまとめることができ、可読性は向上するでしょう。--Susuka会話2017年6月14日 (水) 03:51 (UTC)


コメント 私は議論提起者として、意見は述べず傍観していたのですがSusukaさんのコメントでいったん区切りがついたのでコメントします。

ここまでの皆様のコメントを要約すると

  • 『「政教分離の歴史」はふさわしくない。内容的には「キリスト教国家論の歴史」がいい』ということで改名が行われる
  • アクセシビリティの観点から、現在の記事のサイズは適切でないため、分割が必要
  • 「キリスト教国家の歴史」について扱う記述は「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」がふさわしい
  • 硯箱さんからのご意見を聞く必要がある
  • 可読性が損なわれている
    • 重複内容は転記・除去
    • 改名よりも、どの記述の残しどの記述を転記・分割するのかを重点で議論するべき

といったところでしょうか。重要な点を書き忘れていたらご指摘ください。

除去・転記・分割(まとめて改稿とする)や改名については、情報収集や合意形成が長くなりそうなのでサブページが必要そうですね。また、このノートページも肥大化しているので過去ログ化検討の必要ありますね。--Yuukin0248会話2017年6月14日 (水) 07:01 (UTC)

  • 情報 過去ログ化の件について。本ページはアーカイブボットで過去ログ作成を行っています(現在は一時停止中)。改名が確定した場合、過去ログページも改名する必要があることをここで報告しておきます(サブページとの並立の表記方法については、詳しい方にお任せいたします)。--Susuka会話2017年6月14日 (水) 08:59 (UTC)

コメント Yuukin0248さんが掲げてくださったなかで最も重視すべきは「硯箱さんのご意見を聞く必要がある」ということではないかと思います。また、それと並んで、Susukaさんが指摘された「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意すべき」という御意見こそ最も肝心なことだと考えます。つまりは、硯箱さんも含めて本記事の守備範囲が合意できれば無用な対立は避けられ、記事向上のために互いに協力しあえるわけです。まずは、硯箱さん御自身が本記事の記事名・守備範囲についてどうお考えなのか、お示しいただければ幸いです。--Greenland4会話2017年6月14日 (水) 10:43 (UTC)

コメントSusuka様の意見は、「改名よりも、どの記述の残しどの記述を転記・分割するのかを重点で議論するべき」というより、「本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」の方がメインじゃないでしょうか。それがはっきりすれば、自然とどこが範囲外かわかるし、文章を基準にそって整理してみれば、削除か転記かも楽に合意できると思います。やってみればわかることも多いと思うので、先のことは置いておいて、とりあえず「本記事の立項目的・守備範囲」を決めるといいと思います。

今の段階ではよけいな意見になりますけど、「1.政教分離における歴史学的視座」を「レースプーブリカ・クリスティアーナ」というタイトルの記事にするのはあまり良くないと思っていて(切り離すのは大賛成)、Respublica Christiana(キリスト教共同体)=政教分離における歴史学的視座じゃないからです。そのまま「政教分離における歴史学的視座」のタイトルか、今のタイトルを使ってキリスト教国家論の歴史でいいんじゃないでしょうか(今の段階では無視してください)

あと蛇足になりますが、ぽてから様は、「上記のみなさまのコメントに異議をもたれるのは硯箱さんのみであろうと考えられます」とおっしゃってますが、今までいろいろあったと思いますが、論争していた相手の反応を予想してコメントするのはあんまりよくなくて、自分が同じ立場だったら、こういわれたらちょっ凹むかなぁと思いました。コメント依頼がとてもよく機能していて、議論を再出発するチャンスですし、気にかけていただけるとありがたいです。--ジャム・パンナ会話2017年6月14日 (水) 11:35 (UTC)

コメントすみません。現状この記事の冒頭で「政教分離原則それ自体に関わる歴史的事象については政教分離原則#歴史を参照のこと。」となっていて、リンク先に飛ぶと、政教分離原則の歴史の節の冒頭に

とあって、この記事に誘導されて、グルグル回ってしまうのですが、どうしたらいいでしょうか?--ジャム・パンナ会話2017年6月14日 (水) 11:50 (UTC)

  • コメント それぞれの記事における範囲が決まってない状態なのでどうしようもできません。親子関係、兄弟関係を記事間ではっきりさせないと、本来は「記事間の誘導」ができないわけですから。どうする?となれば、誘導が循環しているなら、両方からいったん除去してしまったほうが良いでしょう。--アルトクール会話2017年6月14日 (水) 12:33 (UTC)

コメント 現在の議論を基に大まかな手順を記すと、

  • 政教分離に関する古今東西のありとあらゆる事象を列挙する(古代のキリスト教から現代の政教分離原則、「歴史学的視座」など学問的な見地、場合によっては他宗教も、etc)。
  • 列挙したものを総合的に比較検討して、体系的に分類する。
  • 本事典の仕様に合わせて、各記事の割り振りを決定する(その際、本記事と政教分離原則はなるべくそのまま再利用したい(ページ名は変更になったとしても)ので、この面も考慮する)。

このような流れになるでしょうか。--Susuka会話2017年6月14日 (水) 12:53 (UTC)

コメント私が発言するとすぐ反対者のコメントが付く傾向にあるので、なるべく混乱させないよう自粛していたのですが、とりあえず意見を聞きたいとのコメントを頂いたので一応意見をまとめておきます。まず私が普段主張している内容はGreenland4さんの意見にほぼほぼ近くて、「政教分離の歴史」でフランス革命とドイツ国制の政教分離(1803年)までを射程に捉えて記事を構成するという観点です。そのうえでそこまでどういう内容で進むかというと、基本的に

  1. 歴史学的な政教分離 政治体制と社会体制における政教分離が達成された結果として、近代的な国家の格率としての政教分離原則が形成されるという過程
  2. 人間学・宗教社会史・政治思想史的世俗化 政治思想が中世以来の長い過程で脱宗教化し、宗教改革と科学革命をきっかけに社会全般が世俗化から金子晴勇の言う意味での「世俗主義」に再編されていく過程
  3. 政治神学的議論 近代国家の多くで政教分離が達成されているにも拘わらず、その国家の正当性概念の秘奥には古代以来の神学的正当性概念が生き続けているというカール・シュミット、ジョルジョ・アガンベンらの指摘

これら3つの流れを古代・中世・近世に渡ってあとづけるというのが私が考えている内容です。そのうえでこの分野は近年歴史学で活発に論じられている分野でもあり、とくに学説上の大きな転回があったということに留意する必要があると思っています。

  1. 帝国国制の再評価
  2. 日本の歴史学で進められた初期中世国家像の転換:山田欣吾の教会国家論と五十嵐修による帝国・王国・教会概念の分析、西ゴートをはじめとする初期ゲルマン王国の神政政治研究の進展
  3. 近代国際関係の体系はウエストファリア条約に始まるというウエストファリア神話の解体:帝国国制と欧州国家間関係に世俗化の道を開いたウエストファリア条約の宗教和議としての再評価
  4. ジョルジョ・アガンベンによる現代に至るまで統治の正当性の中心に関わるオイコノミア神学的要素の指摘
  5. 古代におけるキリスト教迫害史の根本的な修正:モムゼンの「許されざる宗教」説からの完全脱却と相互授受思想という新たな宗教社会史的概念
  6. スペイン・シチリア・北欧など周辺地域での国家・教会関係の研究深化
  7. 「神の平和」運動の再評価
  8. 「レース・プーブリカ・クリスティアーナ」(代表的論者である柴田平三郎氏はこれを「キリスト教共同体」と訳す)

ちなみにこちらの記事ではにっちもさっちもいきませんし、議論するのも面倒なので(平たく言いますと質や信頼性があまりに違いすぎる文献を持ち出されるのでまともに議論できない、この分野で信頼できる文献とは何かという基本情報を共有できず、いつまでも議論が平行線になる)、むしろ自由に専門的な内容に絞って書くほうが私の好みですので、上記内容で加筆しようかなと思っていた内容はほかで気ままに書いてます。こちらに加筆するつもりはもうありません(私が編集に参加しないと言ったという話がありますが、私が言ったのはこういう意味です)。Greenland4さんは信頼できる執筆者で歴史関係には博識であり、西洋史に限らずマクロヒストリーの記事をいくつも手がけている方ですから私の意図も正確に理解して議論してくださると思います。私としてはGreenland4さんが来てくださればこれからの議論、とくに後顧の憂いはないと思っており、Greenland4さんがまとめやすい形で決着していただければ問題ないです。

記事名については「キリスト教国家論の歴史」とか「キリスト教国家論」という用語は神学であれ歴史学であれ一般的であるとは思われません(もし私の反対論者がいうようにそれが「レース・プーブリカ・クリスティアーナ」の訳語であるというならば、なおさらその中心論者である柴田平三郎氏はこれを国家思想とは見ていません)から、まずは一度「政教分離の歴史」に差し戻すべきと思われます。ここらへんについてはGreenland4さんも的確に指摘してくださっていますから、私としてはあまり言うことはなく、安心できます。記事名は「政教分離の歴史」としつつ、整理を優先するというのが今の私の考えです。「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」というのは個人的には歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象であるというのが定説のように思われますから、「(ヨーロッパ)」は蛇足のような気がしますが、別にこだわるほどのものでもありません。

記事内容の整理と分割については大部分に要出典が貼られてしまっており、現状そのままでは移動しづらいものとなっております。要出典箇所が(私にはそうは思えないのですが)独自研究であると言い続けている人もおり、彼らが要出典タグをほぼ記事全面に貼り付けてしまったために、まずその出典を明らかにしないと転載記事のほうにも議論が拡散したり、文献情報が正しく継承されないという問題を残すことになると思われます。また私が見たところ出典情報の一部が長いこの記事の編集履歴の間に明らかに情報に訛伝が見られ、正確ではなくなっています。なお私自身の加筆箇所「政教分離における歴史学的視座」については私個人としてはいっそ削除で良いと思っています。私はとくにこの内容をこの記事に、あるいはウィキペディアもしくはウィキメディアプロジェクトのどこかにさえ載せる必要を感じていません。見通しの邪魔であれば削除でしょう。--硯箱会話2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC)

コメント硯箱さん、お答えいただきありがとうございました。記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います。「政教分離における歴史学的視座」に関しては、御本人が削除してもよいということであれば、削除してもよいのかなと思います。歴史記事を書くたびに「歴史学の視点・視座」を書かなくてはいけないという理屈もないはずで、これは執筆者は持っていてもよいのですが、読者に読ませる必要がない。そういう意味ではいわば楽屋話のようなものだと思います。ただ、せっかく書いたものでもったいないということであれば、「政教分離原則」の記事の末尾に「補説」というような節を新たにつくって、そこに移動させてもよいでしょう。もし自分に「政教分離の歴史」をレポートせよという課題が出たとしたら、ゴールは、硯箱さんがおっしゃるように19世紀初頭までを射程にして、あるいは1905年のフランスの政教分離法や1920年代のトルコのアタチュルク革命における政教分離(脱イスラーム化、西欧化)をトピック的に扱うなどして仕上げるでしょう。ウェストファリア条約やナント勅令などは既に記載されているのですが、やはり、マキァヴェリであるとか、王権神授説なんかは取り上げて加筆すべきと思います。とくに王権神授説は、教会からの介入を排除する意味合いで「神」が直接「王」につながるわけですから、一見、政教が一致ないし密着しているかにみえて実は分離・拒否であるというややこしさがあります。本記事は、そういう一筋縄でいかないところを史実で説明していこうという記事だろうと思います。スタートをどうするか、どこから書き起こすかということはなかなか難しく、ウィクリフ・フスあたりから書いた方が書きやすいのかなと思います。あえて教皇権最盛期から書き起こすという手もあるでしょうし、宗教改革・宗教戦争からという方法もあるでしょう。紙幅に余裕があれば、それこそ古代からでもよいのでしょうが、なかなかそうもいかないので今後の大幅加筆を想定するならば、この記事の前半部分はどこかに移してもよいのではないかと思います。そこで、提案ですが、現状の「2.2 古代のキリスト教思想(〜500年)」約3万7,000バイトは、以前申し上げた通り、「初期キリスト教」という項目に分割・移動し、「2.3 キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」約28万8,000バイトに関しては、「中世ヨーロッパ」という記事を立てて、そこに移したらどうでしょうか。現状では、「中世ヨーロッパ」の項目は「中世」へのリダイレクトになっていて、その点ではそっくり移動させることができるわけです。そして、あらためて「2.3.13 宗教改革前思想史」のあたりから書き起こせば、すんなり「政教分離の歴史」になるのではないかと思うのです。いかがなものでしょうか。--Greenland4会話2017年6月14日 (水) 15:45 (UTC)

(Greenland4さんへ)インデント戻します。「政教分離における歴史学的視座」に関しては、私も末尾に移すような形も考えました。ただやはり内容的に重いので百科事典記事として見た場合、もう少しスリム化する必要があると思っています。Greenland4さんのおっしゃるとおり、あの部分は楽屋話みたいなもので、はっきり言ってノートでも方向性の定まらない議論が続いていたので、政教分離の議論を全体的に提示するためにあえて踏み込んで書いたところがあります。なので、記事全体の調和性や一貫性、可読性を考慮するならいっそ削除してもよいというのが私の意見です。記事の整理の方向については3つの方向性を考えておりました。以下の例の記事名はあくまで一例ですから、この記事名じゃないとだめだというわけではありません。

  1. 時代ごとに分割 「政教分離の歴史 (中世)」「政教分離の歴史 (近世)」のように。
  2. 分野ごとに分割 「政教分離の歴史」←歴史的事実のみを記載 「政教分離の歴史学」←歴史学・政治思想史含め関係議論を集約 「霊性思想・人間学における世俗化論」←宗教社会学・倫理思想史的な議論を集約
  3. テーマごとに分割 「政教分離の歴史」←国家に関わる話題に絞る 「社会の世俗化」「政治理論における世俗化」

歴史事実に関しては要点は「res publica christiana」という概念が決定的に重要で、その始まりが初期中世の統治権力構造(具体的にはカール大帝のカロリング帝国体制)に由来していることとその終わりがウエストファリア体制であるということ(ウエストファリア条約では「respublica christiana」に替わって「Chritiniae reipublicae」と表現が用いられた)ということは学界で共通理解が存在していると見て問題なく、キリスト教共同体という統一的な観念が薄れた後、キリスト教国家(christenstaat)が登場し、少し遅れて近代(具体的にはフランス革命)に政教分離原則に基づく純世俗的な近代国家が成立するという史実の流れに異論は無いと思われます(歴史学・政治思想史・人間学・宗教社会史いずれも宗教改革と宗教戦争による respublica chrihstiana の解体を近代的な世俗主義成立の契機と見ていることで不一致はないように思います)。問題は関係する議論をどこまで盛り込むかで、横断的に同時代の政治思想や社会思想との関連性が重視されるなら時代区分で分けるのが良いのですが、これは全体の流れがみにくくなるため、総論のような記事を設けないといけなくなるという困難があり、さらに大きなテーマですからどこまで盛り込むかということに意見対立が生じることは必至と思われます。分野ごとに分ける方法はそれぞれの分野で内容が集約され、後腐れないようですが、一方で横の関係が希薄になります。適宜see alsoなどを使うにしても分野を超えて広がりのある議論が細切れにされたり、逆に重複してしまうという問題もあります。テーマごとに分ける分割は分野ごとと異なり、各記事で分野を超えた内容に一定程度広がりを持たせることが可能になると思われます。

一方でGreenland4さんの提案にある、本記事を宗教改革スタートにし、中世の内容を元に「中世ヨーロッパ史」を新たに書くというのも野心的で、十分に魅力的です。中世ヨーロッパ史という記事は百科事典としてはやはり十全なものがほしいと思いますし、生かせるなら間違いなく有意義です。どちらにせよ私にとって不足しているのは百科事典としてどこまで盛り込むかの勘です。この点に関しては熟練の執筆者であるGreenland4さんの勘を全面的に信頼しておりますので、最後はその勘を頼りにさせていただきたく思います。宗教改革前夜からの書きおこしでもグレゴリウス改革スタートでもオットー朝神聖王権スタートでもカロリング朝スタートでも、グレゴリウス1世大教皇スタートでも、コンスタンティヌス大帝スタートでも、そこはGreenland4さんの勘の落としどころを聞きたいですね。実際それぞれ個別記事があるのですから、前史という形で要諦のみの言及でもよいのですから、いくらでも加減できそうな気がします。私は個別の材料と依拠すべき参考文献を提供させていただきたく思います。

ここからは蛇足というか、水を向けられようにひきつけられてしまったのですが、王権神授説についてはおっしゃるとおりでフィッギスが指摘しているように王権神授説は主権理論の一形態ともいうべきもので、神に直接つながる国王に国家内のあらゆる権威を集約する議論ですね。領域に対する教会や外部の君主の影響を排除し、(聖職者も含めた)人民に国王の権力への無抵抗を要求するものですが、同時に必ずしも国王に専制を許しているわけではない。神が神自身の定めた法に拘束されるように国王も自身の立法や自然法に拘束されるという観点が存在していますね。トルコ革命の政教分離については最近イスラムが世俗的宗教であるという観点から新井政美さんが積極的に論じておられるところですが、学界には好意的に迎えられているように思いますから書いてみたいですね。ただフランス革命以降は政教分離原則が成立したあとですから、このノートで交わされた以前の合意が有効であれば、政教分離原則そのものの歴史は「政教分離原則#歴史」にという原則が一応あります。どちらにせよ数々の歴史記事を書いていらっしゃるGreenland4さんの勘を尊重します。--硯箱会話2017年6月14日 (水) 17:58 (UTC)

コメントまず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います」このSusukaさんのご意見に、完全に賛同させていただきます。私の「こちらの主ページが「最終的にどのような状態になるべきか」」ということも同じことを述べている気持ちでおります。--Moon.rise会話2017年6月15日 (木) 04:47 (UTC)

荒らしによる無断差し戻しを戻しました

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ちょっと本気ですか?この記事は保護依頼も出されております。落ち着いてください。まずは「キリスト教国家論の歴史」の出典を示してくださいませ。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 13:13 (UTC)

コメント なんで強行したんでしょうか・・・。これじゃ、人のこと言えないじゃないですか。わざわざ#記事改名の無断差し戻しについてというセクションを作っておいて、これですか。--アルトクール会話2017年6月11日 (日) 13:40 (UTC)
  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[21]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[22]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[23]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[24]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[25]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[26]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。--大和屋敷会話2017年6月11日 (日) 13:49 (UTC)
  • ええっと管理人さんも出てきてるのでしょうか。基本的に大和屋敷の基本的な理解は以上の説明の通りです。--大和屋敷会話2017年6月11日 (日) 13:51 (UTC)

落ち着いてください。まず議論の過程で意見で変わるのは普通です。この議論は3ヶ月以上にわたって続いており、その間私も参考文献などを適宜参照して最善策を考えているのです。その中で議論の流れで意見を変えるのは普通のことです。そのうえでまず、大和屋敷さんは自らの主張の根拠、つまり「キリスト教国家論の歴史」の出典について求めているのですが、お答えいただけますでしょうか?----硯箱会話2017年6月11日 (日) 13:54 (UTC)