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ノート:ユビキタス

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定義の変更

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2007年1月28日に定義が書き換えられていますが、下記の理由で再度書き換えを行う予定です。

  • ユビキタスとは、いつでもいたるところで情報通信技術が利用できることを意味する和製英語。英語の“ubiquitous”はラテン語の“ubique”(どこにでも)を語源としており、「(神が)遍在する(どこにでも存在する)」という宗教的な意味合いをもつ形容詞である。
ユビキタスの語源は、現在使われているユビキタスの定義ではないので、『語源』の項にまわします。
  • これを拡張して
拡張したわけではないので削除します。
  • コンピュータをはじめとする情報関連機器が身の回りのいたるところにあり、インターネットなどの情報ネットワークに容易にアクセスして情報サービスを受けることができる状態を指したものである。
現在のユビキタスの一面に過ぎないので書き換えます。
  • 書き換えのルールの再確認
ノートに未記載で全面書き換えがされましたが、全面書き換えのような場合は、ノートで議論するのがウィキペディアのルールです。

編集方針

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  • 『使用される場面など』で「なお日本語上の語呂合わせとして、ユビと指を掛けて、…」とありますが、出展が不明である上、現在ではほとんど使われておらず、歴史的意味もありません。したがって削除します。現在では、『u-Japan』で見るように『ubiquitous』は、『u』で表すことが多くなっています。--電脳しゅん 2006年10月1日 (日) 01:13 (UTC)[返信]

質問

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削除の結果、全ての記事がリセットされてしまったようですが、著作権に触れない内容であれば、改めて記事を書き始めても良いのですか?月臣くにひと

大丈夫です。ぜひ書き込みをお願いします。0null0 08:50 2004年2月13日 (UTC)
出来上がり、楽しみにしてます。
多くのギャラリーも楽しみにしてると思います。 赤鉛筆 09:10 2004年2月13日 (UTC)
げ!?2chにギャラリーがいるんですか!?やば。
実のところ、坂村健先生よりも、舘すすむ先生の方が、NHK人間講座でも見たことあるし、いくらか詳しかったりして・・・。
追伸)それにしても、ボロクソ言われてんだろうな、オレ(ぉ)。
もはや、アイドル化してます 赤鉛筆 09:48 2004年2月13日 (UTC)

本記事の名称などについて

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ユビキタスと名のつくものが増えているため、ユビキタス (曖昧さ回避)という記事を作り、本記事の名称をユビキタス (概要)か何かに変更したいと考えております。いかがでしょうか?--Pochacco562000 2007年1月4日 (木) 11:24 (UTC)[返信]


曖昧さ回避への疑問

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たしかにユビキタスと名のつくものが増えています。しかし、それらはまったく別物とも言えないでしょう。(曖昧さ回避)というカテゴリでよいものか、迷うところです。『内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまう』のとは違うのではないでしょうか。 『ユビキタスなんとか』と使われるとき、それらは『ユビキタスを実現する手段』や、『ユビキタスに対する関わり』の違いに過ぎません。 『スピード』といったとき、『トランプゲームの一種の「スピード」なのか、音楽グループの「SPEED」なのか、アメリカ映画の「スピード」なのかはっきりしない』ということとは別物と思います。 たとえば『ロボット』は、人型ロボットから、姿かたちのない検索エンジンにまでその名前が使われていますが、Wikipediaでは(曖昧さ回避)のカテゴリに分類されていません。 したがって、ユビキタスを(曖昧さ回避)のカテゴリに分類するのは間違えであると思います。 いずれにしても、記事内容の大幅な変更は必要と考えています。--電脳しゅん 2007年1月12日 (金) 16:32 (UTC)[返信]


改名の削除

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『曖昧さ回復』のための改名について、改名は必要なしとする主張への反論がないため、議論は終結したと判断し、『改名』を削除します。--電脳しゅん 2007年2月10日 (土) 05:24 (UTC)[返信]

ブログへの外部リンクの削除

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ブログへの外部リンクが張られているが、Wikipediaの規準に反するので削除する。--電脳しゅん 2007年3月28日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

「ユビキタス社会」は「誤用」?

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「ユビキタス社会」という言葉づかいは誤用であるという指摘があります。

(「誤用」と断定すべきかどうかはともかく)少なくとも現在の日本における使われ方は「和製英語」的、つまり日本独特と明記すべきではありませんか。

interlang先は神学用語のように見受けられますし、大文字で始まる「Ubiquitarianism」は「キリスト偏在論」のような意味の神学用語です。

というように、少なくとも英語では神以外では「ユビキタス・○○(○○が偏在する)」の○○が不可欠なのではないでしょうか。これでいくと「ユビキタス社会」は「社会が偏在する」という理屈になってしまいます。--miya 2007年4月25日 (水) 02:48 (UTC)文意を通りやすくするためちょっと順序入れ替え+補足、見出し変更2007年4月26日 (木) 16:20 (UTC)[返信]

まず、カタカナで現在日本で使われている「ユビキタス」という言葉の意味は、「日本独自のことば」というか「日本で生まれた概念」で英語の"ubiquitous"は関係がありながらも、現在記述されている物とは違う言葉であると言うことを(序文あたりで)明記することに賛成します。また、interlang先(私は英語版を読みましたが)と現在の日本語版の記述は、かなり違うということも確認しました。(このinterlangははずした方がいいのではないかな)
一方で「ユビキタス社会」というのが誤用であるという指摘には賛成するかどうかは、ちょっと迷うところがあります。いろいろ調べてみると、日本では総務省あたりが「ユビキタスネットワーク社会」の略として単に「ユビキタス」「ユビキタスネット社会」「ユビキタス社会」といういろいろな略語(というか、ここまでくると表記揺れ?)を使っているようです。[2]そして、総務省としてはこれはワイザーの[ubiquitous computing]とは別に、その上位概念として日本が作った「新概念」であるという主張をしています(平成16年情報通信白書 P86)html版。ここまで表(おもて:つまり学会や白書のタイトル)に出てきているということは、ある程度(国際的にも)研究者間での了解は取れているのかなという想像はできます(想像ですが・・・)ので、誤用とはすでに言えなくなっているのかなと思います。これをふまえますと、現在の記事で『「ユビキタス社会」を「ユビキタスネットワーク社会」と表現することもある』、ではなく『「ユビキタスネットワーク社会」のことを「ユビキタス社会」と略す場合もある』という風にするべきではないかなと思います。
踏み込めば、記事名を「ユビキタスネットワーク社会」へ移動とするというのもかんがえるのですが、ここから派生した様々な「ユビキタス」もあるので、記事名はこのままが適当かなとも思い、現在の所迷っています。--Kwansai 2007年4月25日 (水) 05:32 (UTC)[返信]

「ユビキタス社会」は「誤用」ではありません。

「ユビキタス社会」は「誤用」とする説は、一部のブログで述べられた意見に過ぎず、ユビキタス業界(これは造語)では、まったく相手にされていません。また、「Ubiquitarianism」が神学用語であっても、現在使われているUbiquitousには、そのような意味は込められていません。
Ubiquitous Societyという用語も世界で広く使われており、ユビキタス社会が日本独自の用語でもありません。ユビキタス社会基盤(坂村教授 & 文部科学省)という言い方もされてきています。このような派生語が生まれることこそ、その上位概念にユビキタス社会、さらにユビキタスがあることは明白です。--電脳しゅん 2007年4月26日 (木) 14:45 (UTC)[返信]

「誤用」では無いとの事、いちおう了解しました。「誤用」というより「外来語」が入ってくるときに、持っていた意味が特化される/狭められることはよくあることで、"ubiquitous" の場合もそうだったと考えると納得できます。"ubiquitous" は、もとは「○○が遍在する」だけの意味だったのが、日本語化するときに「○○が」がつかなければ「(ネットワークが)遍在する」のニュアンスになるように特化したのかなと。--miya 2007年4月26日 (木) 16:20 (UTC)[返信]

「ユビキタスと"ubiquitous"」の項を"ubiquitous"の項目へ移動しました。"ubiquitous"の意味に関してはそちらへ。これで、「誤用」? に関しては終了とします。--電脳しゅん 2007年5月10日 (木) 14:28 (UTC)[返信]

記事分割の提案

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一人で、迷っていても詮無いことなので、少し提案をして、ご意見をいただきたいと思います。 下の通り、プロジェクトに関する部分をそれぞれ該当の記事に分割することを提案します。

  1. とりあえず、現在のinterlangははずす。
  2. 現在の記述の内、歴史・概要・用語の起源は[ユビキタス]に残す
  3. ユビキタスネットワーク社会という記事を立ち上げて、当記事の「ユビキタスのプロジェクト」のなかから該当するプロジェクトを分割
  4. ユビキタスコンピューティングおよびユビキタスネットワークにも同様に該当するプロジェクトをふりわける
  5. 現在「ユビキタスコンピューティング」へリダイレクトになっているユビキタス社会を新しくできた、ユビキタスネットワーク社会へのリダイレクトとする。(ユビキタスネット社会も?)
  6. ユビキタスの序文にはこれらの概念3つをまとめていること、日本からできた概念で、英語の"ubiquitous"とは違いうことを明記する。

--Kwansai 2007年4月25日 (水) 06:42 (UTC)[返信]

プロジェクトのふりわけ案

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ユビキタスコンピューティング

TRON (コンピュータ)

ユビキタスネットワーク 

ユビキタスネットワーク技術の研究開発

ユビキタスネットワーク社会 

YRPユビキタス・ネットワーク研究所、e-Japan、u-Japan、やおよろずプロジェクト、uPlatea、自律移動支援プロジェクト、

--Kwansai 2007年4月25日 (水) 06:42 (UTC)[返信]

対案

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  1. 現在のinterlangを外すことには賛成
  2. 「現在の記述の内、歴史・概要・用語の起源は[ユビキタス]に残す」ことは賛成
  3. 「ユビキタスネットワーク社会」という記事を立ち上げることには反対。「ユビキタス社会」という記事を立ち上げるべき。「ユビキタスネットワーク社会」は、「ユビキタス社会」と「ユビキタスネットワーク」から生まれた。「ユビキタス社会」を頭にすべき。「ユビキタスネットワーク社会」が頭では、「ユビキタス社会基盤」の入る場所がなくなる。
  4. ユビキタスの序文にはこれらの概念3つをまとめていること、→ 概念のひとつを「ユビキタス社会」とすることで賛成
  5. 「日本からできた概念で、英語の"ubiquitous"とは違うことを明記する」ことには反対。事実誤認である。--電脳しゅん 2007年4月26日 (木) 15:16 (UTC)[返信]

上にも書きましたが、"ubiquitous"がカタカナ語化して「ユビキタス」になる過程で、持っていた意味が特化され/狭められ、もとは「○○が遍在する」だけの意味だったのが、日本語化するときに「○○が」がつかなければ「(ネットワークが)遍在する」のニュアンスになるように特化したのかなと。

(現在の定義)ユビキタスとは・・・インタフェース、環境、技術のことである。

とありますが、これはあきらかに英語の"ubiquitous"とは異なります。"ubiquitous"はラテン語由来の"ubique(「至るところ」の意)"の形容詞形でしかなく「インターフェース、環境、技術」の意味はありません。というか・・・日本では「(インターフェースが)遍在する」「(ネット環境が)遍在する」「(技術が)遍在する」という意味で使われている、と理解してよろしいのでしょうか?もしそうなら

英語では「○○が遍在する」を意味する形容詞であったが、日本においてはしばしば、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことを指して使われるようになった。

と解説してはどうかと思います。--miya 2007年4月26日 (木) 16:20 (UTC)[返信]

電脳しゅん様、コメントおよび対案の提案ありがとうございます。新しい記事をユビキタス社会とする事には、反対しません。文部科学省のほうではユビキタス社会という語の方が最近ではよく使われるということを、文部科学省のページで確認致しました。私の読んだ範囲では「ユビキタスネットワーク社会」と「ユビキタス社会」はほぼ同一のように感じましたので、タイトルに関しては「ユビキタス社会」であっても良いと思います。
一方で5点目についてですが、総務省情報通信白書(上の文章でリンクを示しました。)では、「ユビキタスコンピューティング」の上位概念としての「ユビキタス」は日本発の概念であるとする主張が見られます。これは、間違いという事でしょうか?よろしければ、もう少し詳しくご説明頂けませんか。
miya様、電脳しゅん様のコメントは、上に提案された文章中ならば、「日本においてはしばしば、」という部分が問題ではないかという提案だとおもいます。元来"ubiquitous"はmiya様のおっしゃった定義だと私も思いますが、最近の傾向としては日本だけでなく、"ubiquitous"だけで「インタフェース、環境、技術」を含んだ意味としても使われるようになったという、ご意見だと思いますが、いかがでしょうか。--Kwansai 2007年4月26日 (木) 17:33 (UTC)[返信]
「ユビキタス」に関して完全に素人なので、日本以外でも"ubiquitous"だけで「インタフェース、環境、技術」を含んだ意味としても使われるようになったかどうか、分かりません(汗) ただ、英語圏で"Ubiquitous Society" という言葉が市民権を持ち始めているなら、英語版にその項目か、最低でもリダイレクトがあるはずだと思ったのです。--miya 2007年4月27日 (金) 00:43 (UTC)[返信]

(インデント戻します)たとえば、IEEE computer society[3](IEEE[4]ということから、おそらく国際的に権威のある学会であると思うのですが)のサイトの検索欄でubiquitous societyを検索しますと、論文のタイトルとしてこの「"ubiquitous"だけで「インタフェース、環境、技術」を含んだ意味としても使われるようになった」例がたくさん見られます。つまり、業界ではすでに国際的に使われているという認識は間違いではないでしょう。ただ、いわゆる"市民権"を得ているかどうかというと、まだ英語でこの概念を説明する書籍などを見つけられないということから、まだ業界のみで使われている言葉という印象をうけました。--Kwansai 2007年4月27日 (金) 02:54 (UTC)[返信]

追記:一方で、日本ではこのユビキタス社会(ユビキタスネットワーク社会)という言葉を説明する一般向けの書籍などもあることから[5]、かなり市民権を得てきた表現であるということもいえるとおもいます。--Kwansai 2007年4月27日 (金) 03:00 (UTC)[返信]

二次資料から導き出した結論めいたものは、憶測に過ぎません。それを定義文書換えの根拠にしないでください。--電脳しゅん 2007年5月10日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

定義文

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定義文に以下のように英語の"ubiquitous"との関係を明示する事を提案します。

ユビキタスとは、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。英語の形容詞である"ubiquitous"は「遍在する」という意味であるが[1]、近年ではこの語を用いてインターフェイス・環境等を念頭に置いた用いられ方が多い。日本では一般にもしばしば見かけられる使い方である。また、国際的にも研究者間では英語の"ubiquitous"をこの用法で用いられる事もある。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。
  1. ^ EXCEED 英和辞典"ubiquitous"[1]

--Kwansai 2007年4月29日 (日) 04:34 (UTC)[返信]

絶対反対です!

「ユビキタス」という言葉は、多くの分野の大勢の人が、それをキーワードに多くの活動をしており、その活動の中から培われたものです。むしろ、それ以外に使われた例はほとんどありません。
英語の意味は、語源に載せればよく、定義に載せる必要はありません。語源の項ではなく、定義文に載せる意味は何ですか?
『念頭に置いた用いられ方が多い。』…それ以外に用いた例はありますか?
『にもしばしば見かけられる使い方である』…それ以外に用いた例はありますか?
『国際的にも研究者間では英語の"ubiquitous"をこの用法で用いられる事もある。』…『研究者間』だけですか?『事もある』程度ですか?
提案は、『ユビキタス』の本質に外れているとしか思えません。--電脳しゅん 2007年4月30日 (月) 08:54 (UTC)[返信]

定義文を変更する理由は何故ですか?

提案の内容は、「歴史」、「概要」、「用語の起源」のいずれかに盛り込めばよいのではないのですか?わざわざ定義文を変更する意図は何ですか--電脳しゅん 2007年4月30日 (月) 10:05 (UTC)[返信]
電脳しゅん様コメントありがとうございます。まず、定義文に載せる意味ですが、「ユビキタス」という語をみて英語の"ubiquitous"を思う人間のためです。というのは、「ユビキタス」という言葉はずいぶん一般的になってきたとはいえ、まだ広辞苑には載っていません。一方で"ubiquitous"=「偏在する」というものは英和辞典にのっています。また、たとえばデイリー新語辞典では「ユビキタス」という言葉にたいして[6]このように英語の「ubiquitous」という言葉の意味を先に紹介しています。このように、語源がつながるユビキタスという語に対して"ubiquitous"を思い浮かべる方は相当数いるであろう事は想像できます。そういった人に、初めの段落でここで説明されている語との定義の違いを説明することは意義があると思います。
その他、言い回しにつきましては電脳しゅん様のほうが状況をよくご存知だと思います。もし用語の日本での位置づけ、国際的な位置づけを加筆することに賛成頂けるのであれば、宜しく修正をお願い致します。私の書きたかった事としては、日本語における「ユビキタス」の一般に対する浸透度は英語の"ubiquitous"をこの用法で使うことにくらべて、かなり深く一般にも浸透しているという事です。
「国際的にも研究者間では」と書きましたのは、「研究者間で使われる」事は、上にあげましたIEEEなどで多数の学会発表や論文のタイトルでその用法が使われていることを見ることで検証可能であると思うのですが、英語の一般書において、まだ"ubiquitous"の概念を説明している書籍を探し当てられていません。非常に新しい言葉なので、検証可能性をまず重視して「研究者間では」という表現に致しました。もし英語の一般書においてこの概念が説明されている例がございましたら、「国際的にもこの用法は浸透しはじめている」というような表現も可能であると思います。--Kwansai 2007年4月30日 (月) 10:44 (UTC)[返信]


定義文に載せるべきでない

Kwansai氏の提案は、歴史あるいは語源に書くべきです。
「ユビキタス」の言葉に対してWikipediaを訪れた人が知りたいことは、現実の活動内容であるはずです。"ubiquitous"の英語の意味との関連が知りたいという人は、ほとんどいないでしょう。語源の項で説明すればよいことです。
定義文に載せることに反対する第1の理由は、"ubiquitous"の英語の意味と関連付けることで、「ユビキタス」の活動の本質に誤解を生じるためです。現在、ユビキタスは、元の意味と離れてきています。それを語源ではなく定義に加えることは、元の意味と密接に結びついていると主張することになるからです。
第2に、この程度のことで定義文の書換えをすると、宗教論にも陥る危険があります。、"ubiquitous" は、『神の遍在』であるとの主張を定義文に加えることにも反対できなくなります。
これらを避けるため、語源、歴史に分け、もともとの意味は宗教的意味もあることを明記しているのです。ただし、現在の「ユビキタス」が宗教的意味を持たないことも明確にしています。
過去にユビキタスの定義文に宗教的意味が書かれていたのを、各方面に納得できる形で、「定義文」「語源」「歴史」に分け、それぞれに書くようにしたのです。"ubiquitous"の英語の意味は、「語源」に書くべきです。「定義文」の書換えは、過去の過ちに戻ることにもなりかねません。--電脳しゅん 2007年5月1日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
まず、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかから、このような新しい言葉の定義文には、Wikipedia:中立的な観点およびWikipedia:検証可能性に注意をはらわなければならないと思います。そうでなければ、いずれまた同様の指摘を受け、わるくすれば編集合戦になる可能性を否定出来ません。
定義文に載せるべきか否かという主張の違いの背景には、電脳しゅん様がおっしゃられた、『現在、ユビキタスは、元の意味と離れてきて』いるかどうかが争点となると思います。私は上に挙げましたとおり、デイリー新語辞典などをみて、まだ英語の"ubiquitous"から離れていないのではないかと判断致しました。(もし英語の意味を取り除くには、すでに英語の元の意味と離れてきていることを示すなんらかの出典が必要だと思います。)そして、これを見ますとすでに宗教的なものからは切り離されている事は明白であると思いますので、宗教論に陥る危険性は小さいと思います。むしろ、明白な出典がないことで宗教論に逆戻りする可能性が高くなると思います。(わたしもそれは望みません、もし宗教論を書きたいならば、電脳しゅん様が下の節で提案されたように、別記事を立ち上げるべきだということに同意致します。)
国際的な位置づけに関しては、定義に入れるとバランスが悪くなる事に配慮して、定義でなくまた別に節を立てる事に同意致します。以上のことをふまえまして以下のような文章はいかがでしょうか。
ユビキタスとは、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。英語の形容詞である"ubiquitous"は「同時に,どこにでもあること。」という意味であるが、上記のような環境を含めた意味が注目をあつめている。[1] ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。
脚注:デイリー新語辞典「ユビキタス」
--Kwansai 2007年5月1日 (火) 17:15 (UTC)[返信]


W3C等の具体的活動をあげるべき

「上記のような環境を含めた意味が注目をあつめている」といった曖昧な表記ではまずいと思います。「ユビキタス」をWikipediaで調べ役立てようとしている人にとって、資料価値がありません。W3Cではすでに「ユビキタス」のWGを設立し、規格化に乗り出している。こういった具体的活動を踏まえるべきです。
以上を踏まえ、次の記述を付加します。
現在、「ユビキタス」の厳密な定義は出されていないが、世界標準機構であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するWGを設立し、国際基準の規格化に乗り出している。2007年4月には、日本での活動が展開されている。--電脳しゅん 2007年5月3日 (木) 00:37 (UTC)[返信]

記事構成案

電脳しゅん様、情報をご提示下さりありがとうございます。W3Cの情報は載せるべきだと思います。以下のような文案でいかがでしょうか。

定義文
ユビキタスとは、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース環境技術のことである。英語の形容詞である"ubiquitous"は「同時に,どこにでもあること。」という意味であるが、上記のような環境等を含めた意味が注目をあつめている。[2] 現在、英語における用法として環境を含めた形での厳密な定義は出されていないが、世界標準機構であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するワークショップを設立し、国際基準の規格化に乗り出している。世界に先駆けて、日本ではすでに活動が展開されている。ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。本項目ではこれらの言葉に共通する上位概念としての「ユビキタス」について記述する。

このあとに現在の概要の後半部分「ユビキタスという言葉は、他の言葉と組み合わせて使うことが多く~」を使用例として置く。(ユビキタスネットワーク社会はユビキタス社会に変更) そのあとに歴史を置く。概要の前半3つは歴史の中のにおき「日本おけるユビキタスの変遷」として、一つの段落にまとめ、さらに「ユビキタスとubiquitous」を加える。例えば

  • 日本におけるユビキタスの変遷
坂村健は、TRONプロジェクトで電脳社会を実現するものとして、『どこでもコンピューター』という考えを提唱した。これが、「ユビキタス・コンピューティング」という言葉が日本に入ってきたときに受け入れる下敷きとなり、現在でもユビキタス社会を表現する言葉のひとつとなっている。国立国語研究所では、ユビキタスを表現する言葉として、「時空自在」と言い換える提案がなされたが、『時空を飛び越えて、どこにでも行くことができるタイムマシンのようだ』との批判が多く、現在も検討中となっている。最近では、「ユビキタス」を表わす言葉として『いつでも、どこでも、だれでも』という言葉が、ユビキタスと共に使われることが多い。
  • ユビキタスと"ubiquitous"
日本では"ubiquitous"の英語の元の意味を離れ、インターフェイス、環境、技術を念頭に置いた使い方(例えば、ユビキタス社会など)が1990年代後半から2000年代初頭にかけてよく見られるようになった。2002年には「情報通信白書」などにもみられるようになり一般にも良く浸透している。[3]
一方、国際的にも"ubiquitous"のこの用法が研究者間でしばしば使われるようになってきた。2006年にはW3Cが"W3C Workshop on the Ubiquitous Web"[4]というワークショップをひらき国際基準の規格化に乗り出している。

このあとに現在の語源をもってくる、プロジェクトについては『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』へふりわけるというかたちでいかがでしょうか。 文面に関しては、適宜修正して頂ければとおもいます。

  1. ^ デイリー 新語辞典「ユビキタス」
  2. ^ デイリー新語辞典「ユビキタス」
  3. ^ 「情報通信白書」
  4. ^ W3C Workshop on the Ubiquitous Web

--Kwansai 2007年5月3日 (木) 03:09 (UTC)(署名忘れました)--Kwansai 2007年5月3日 (木) 03:20 (UTC)(修正)--Kwansai 2007年5月3日 (木) 13:20 (UTC)(書き直し)[返信]


二次資料から導き出したものは、憶測

二次資料から導き出した結論めいたものは、憶測に過ぎません。どのようにでも書くことができます。思い込みに過ぎません。したがって、定義文から抹消します。
定義文は、ユビキタスの渦中で日夜戦っている人へのメッセージでもあります。思い込みで勝手に変えて良いものではありません。
これで『定義文』の変更に関しては終了とします。--電脳しゅん 2007年5月10日 (木) 15:00 (UTC)[返信]
まず、電脳しゅんさま、もう一度Wikipediaの基本的方針であるWikipedia:検証可能性、それに付随する方針Wikipedia:信頼できる情報源をごらんになっていただけますでしょうか。まずここでいう「検証可能性」とは「真実かどうか」ではないということ。そして「信頼出来る情報源」のなかには三次情報源である辞典のEXCEED英和辞典、デイリー新語辞典、白書である「情報通信白書」が含まれる事をご確認頂けると思います。
そしてWikipedia:ウィキペディアは何でないかをごらんいただければ明記されるているように、なんらかの思想や信条のためにかかれてはならないことをご確認頂けますでしょうか。このような基本方針に対してご同意いただけますでしょうか。
そしてこれらの基本方針をもしご同意頂いた上で、電脳しゅんさまが削除されました部分についての説明がいただけますでしょうか。もしなければ復帰したいと思います。

--Kwansai 2007年5月10日 (木) 15:37 (UTC)[返信]

二次資料から導き出したものは、憶測

二次資料から導き出した「Kwansai」氏の結論めいたものが、憶測に過ぎないといっているのです。どのようにでも書くことができます。思い込みに過ぎません。--電脳しゅん 2007年5月10日 (木) 22:14 (UTC)[返信]
電脳しゅん様。もういちど、お伺いしますが、基本方針にご同意頂けますか?
それにお答え頂いた上で、私の「思いこみ」とはどの部分でしょうか。電脳しゅん様が削除された記事内から指摘してください。電脳しゅんさまが思いこみだと思いこまれている可能性がありますので。--Kwansai 2007年5月10日 (木) 22:40 (UTC)[返信]

"ubiquitous"の項を新設したら?

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英語の意味的な関係などは、"ubiquitous"の項を新設し、それらに載せたらいかがですか。 "ubiquitous"から「ユビキタス」へリンクを張ればよいでしょう。「ユビキタス」の項は、定義文をいじることではなく、大切なのは内容を充実することです。それには、各方面で実際活動している人たちの協力を仰ぐ必要があります。定義文をいじることではなく、協力を得ることに力を注ぐべきです。坂村健氏は、ユビキタスで「産学官民の横串連携」を提唱していますが、そのほか生活者の立場で活動している人もいます。研究者、技術者だけの問題ではありません。これらの活動を載せることにエネルギーを注ぐべきです。--電脳しゅん 2007年4月30日 (月) 09:59 (UTC)[返信]

曖昧さ回避のため、"ubiquitous"の項を新設しました。ユビキタスの項で、"ubiquitous"の言葉の意味に派生する記述は、"ubiquitous"の項に移動します。--電脳しゅん 2007年5月10日 (木) 13:56 (UTC)[返信]

プロジェクト消去に対する質問

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(2007年5月3日 (木) 22:28) の編集において、いくつかのプロジェクトが削除されましたが、何か理由がございますでしょうか。--Kwansai 2007年5月4日 (金) 00:00 (UTC)[返信]

合意を経ない記事の一部転記について

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電脳しゅん様が本項目にあった「ユビキタスと"ubiquitous"」を合意を経ずにubiquitousへ転記しました。これはWikipedia:記事の分割と統合に反する手順です。(この記事名である「ubiquitous」もWikipedia:記事名の付け方などのガイドラインに反する物であり、現在ノート:Ubiquitousで改名提案中です。さらに、転記作業に置いて履歴継承が不完全であるために、電脳しゅん様の利用者ページにおいて、転記作業をした版の特定版削除を依頼されるようにおねがいしております。) さて、記事ubiquitousは現在曖昧さ回避のページとして使われております。Wikipedia:曖昧さ回避「曖昧さ回避ページを辞書にしない」という方針より、この転記は不適当であることがわかります。よって、この編集を差し戻し、「ユビキタスと"ubiquitous"」を復帰します。--Kwansai 2007年5月11日 (金) 04:31 (UTC) --Kwansai 2007年5月11日 (金) 04:31 (UTC)[返信]

2007年7月10日 (火) 14:10の要出典に関して

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執筆者ではありませんが、見かけましたので、出典。

  • 石井 裕 "特別寄稿 ユビキタスの混迷の未来" ヒューマンインターフェース学会誌 Vol4 (2002) p.p. 129-130

この学会誌自体をみたわけではないのですがここ[7]でPDFがおいてあるのを見かけました。内容では「神の遍在」とは書いてませんが「遍在」がキーポイントでなく「それが何台のコンピュータであるとか、どのように接続されているかといった事象とは別の概念である」(本文の次の文)ということについては書かれています。その分野の学会誌ということで、信頼には足るとおもいます。--Kwansai 2007年7月10日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

「ユビキタスコンピューティング」と重複?

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本記事の内容(IT関連で使われる言葉としてユビキタス)は、ユビキタスコンピューティングと重複しているように思います。

そこで、本記事の内容を「ユビキタスコンピューティング」に移動・統合し、本記事には本来の「ユビキタス」(ラテン語で「同時にどこにでも存在する」の意味であること、神学(キリスト教)で「イエス・キリストが、時間や空間を超越して遍在(あらゆるところに存在)すること」をさす概念であること)を記載した方がよいようにわたしは思います。意見などあれば教えてください。j8takagi会話2016年5月17日 (火) 01:02 (UTC)[返信]