ノート:ポーランド国王
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ポーランド王記事の一斉改名提案
[編集]- プシェミスウ2世 → プシェミスウ2世 (ポーランド王)
- ジグムント1世 → ジグムント1世 (ポーランド王)
- ジグムント2世 → ジグムント2世 (ポーランド王)
- ジグムント3世 → ジグムント3世 (ポーランド王)
- ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ → ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ (ポーランド王)
- スタニスワフ・レシチニスキ →
スタニスワフ・レシチニスキ (ポーランド王)スタニスワフ・レシチンスキ (ポーランド王) - スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ → スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ (ポーランド王)
Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名のガイドライン制定に伴う提案です。多くのポーランド王は既に曖昧さ回避のカッコがついていますが、ポーランド王は皆この形で統一して構わないと考えます。共和国後期の、名前がそのまま定着している王はそのままで良いと思いますが、単なる貴族と国王になった人物が一目で区別がつくように、括弧をつけるとより便利かと思います。なぜかステファン・バートリ (ポーランド王)は元から称号がついています。ジグムント3世はスウェーデン系の血統で一時スウェーデン王(シギスムンド)を兼ねていますが、在位年数や実績から考えてポーランド王としての性格が圧倒的に強いと考えられるため、記事名もこれまでと同様ポーランド王として扱うべきです。--McYata(会話) 2021年6月29日 (火) 07:08 (UTC)改名先案変更--McYata(会話) 2021年6月30日 (水) 02:47 (UTC)
- 改名の趣旨(ガイドライン制定による改名)からは少し外れますが、「レシチニスキ」から「レシチンスキ」に変更すべきだと思います。下記に文献調査の結果を記載します。
- スタニスワフ1世
- 367日誕生日大事典(コトバンクより閲覧)
- <世界>という名の鯨に呑みこまれて――チェスワフ・ミウォシュ読解へのアプローチ―― - 著者竹内恵子、2001年。225頁。
- スタニスワフ1世レシチンスキ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンクより閲覧)
- スタニスワフ・レシチンスキ
- ユートピア旅行記における固有名と視点人物 : 文学ジャンルの物語戦略的考察 - 著者北村直子、2014年。48頁。「スタニスワフ・レシチンスキ(レシチニスキ)」表記。
- ヨーロッパ史におけるアルザス=ロレーヌ/エルザス=ロートリンゲン地域問題 : 地域・言語・国民意識 - 石坂昭雄、2013年。142頁。「スタニスワフ=レシチンスキ」表記。
- レシチンスキ
- コナルスキにみる先駆的ポーランド啓蒙思想家像 - 著者中山昭吉、1987年。doi:10.20680/aees.10.0_2. 10頁の書籍名では「スタニスワフ1世」表記もある。
- スタニスラス・レシチンスキ
- 目白大学図書館所蔵のフランス菓子製法に関する稀覯本について(2) - 著者太原孝英、白川理恵、2015年。197頁。
- スタニスワフ1世
- 「レシチンスキ」と「レシチニスキ」表記を比較すると、明らかに前者が主流です。したがって、改名先はスタニスワフ・レシチンスキ (ポーランド王)にすべきでしょう。--ネイ(会話) 2021年6月29日 (火) 08:46 (UTC)
- ネイさん、ありがとうございます。今回の形式上の改名が一通り済んだらLeszczyńskiの問題に着手しようと思っていたのですが、一度に変えてしまった方が良いですね。おっしゃる通り、ńのカタカナ転写を論じるまでもなく「ン」の表記が多数を占めますから、スタニスワフ・レシチンスキ (ポーランド王)への改名に依存ございません。--McYata(会話) 2021年7月10日 (土) 03:40 (UTC)
- コメント 最後の3人については、ミハウ (ポーランド王)・スタニスワフ1世 (ポーランド王)・スタニスワフ2世 (ポーランド王) ではいけない理由が何かあるのでしょうか? もし姓付きがデフォルトだとしたら、それを理由として他の君主の記事と別扱いにすることも考えられます。--エンタシス(会話) 2021年6月30日 (水) 12:15 (UTC)
- しばらく留守にしていてすみません。挙げていただいた3名、それに加えヘンリク・ヴァレジとステファン・バートリは、日本のポーランド史関係の書籍・論文で姓付き表記や第一名に限らない表記、代数を付さない表記が多数派であると考えられるためです。
- 伊藤孝之・井内敏夫・中井和夫編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社、1998年では、それぞれヘンリク・ヴァレジィ、ステファン・バトーリ、ミハウ・コリブト/ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ、スタニスワフ・レシチンスキ、スタニスワフ・アウグスト/スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキと表記。
- 前2者は、他の文献でもこの姓名表記が圧倒的(カタカナ転写や言語による表記ゆれはあるにせよ)。
- ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ
- 小山哲・中井和夫(「第4章 貴族の共和国とコサックの共和国」『ポーランド・ウクライナ・バルト史』)は、初出で「ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ」以降は「ミハウ・コリブト」と表記。
- スタニスワフ・レシチンスキ
- 先のネイさんの調査でもわかる通り、特に歴史学の文献で姓付き表記が多い。
- スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ
- 「スタニスワフ・アウグスト」Google Scholar 15件、CiNii全文検索15件
- 「スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ」Google Scholar 3件、CiNii 3件
- 「スタニスワフ2世」Google Scholar 1件、[1] 0件
- 特にこの時代地域を専門とする白木太一(『18世紀後半のポーランド・リトアニア連邦におけるシュラフタ(貴族)の社会史的研究(継続)-官職社会、地主社会、宮廷と地方の問題を中心に-』大正大學研究紀要 仏教学部・人間学部・文学部・表現学部、2011年、pp. 250-244. など。)が一貫して「スタニスワフ・アウグスト」表記をとっているのは大きい。早坂真理(「第5章 分割と蜂起の時代」『ポーランド・ウクライナ・バルト史』)は「アウグスト3世」とともに初出で「スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ」と書き、以降「スタニスワフ・アウグスト」表記を使用。
- 少なくとも、この5人については名前のみor名前+代数の表記がなされるケースがかなり少なくなっています。いずれもポーランドで代々続く王朝を形成しなかったためにゆえに家門名がポーランド史上で例外的に言及されること、またミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ以降の3人は前にも後にも国王を輩出していない一貴族の出身であることを強調して叙述されることが多いことが理由として考えられます(ヤン3世 (ポーランド王)もこの点は同じですが、ヤギェウォ朝の1世、ヴァーサ朝の2世がいるので、それに続く形で「ヤン3世」もしくは「ヤン3世ソビエスキ」と表記されるのが一般的です。)。そのためこの辺については「認知度が高い」を基準に考えてよいのではないかと思います。その上で、ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキとスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキについては姓だけ省く例も多く、特に後者は省いた表記の方が有力です。いったん「認知度が高い」をとると言った以上「例外の人々は姓名表記で統一する」なんてしたらダブルスタンダードになってしまうので、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキはさらなる例外(姓抜き)として取り扱うべきかもしれません。--McYata(会話) 2021年7月10日 (土) 03:40 (UTC)
- しばらく留守にしていてすみません。挙げていただいた3名、それに加えヘンリク・ヴァレジとステファン・バートリは、日本のポーランド史関係の書籍・論文で姓付き表記や第一名に限らない表記、代数を付さない表記が多数派であると考えられるためです。
報告 プシェミスウ2世、ジグムント1世、2世、3世の4件は、特に改名趣旨に対する反対や疑問が出ていないため改名を実施しました。他の3件は状況が異なり、上記の通り議論を継続する必要がありますのでよろしくお願いします。--McYata(会話) 2021年7月12日 (月) 10:42 (UTC)