ノート:ヘルマン・グロックナー
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翻訳をどこまで改変して良いのか?
[編集]{{複数の問題 |出典の明記=2017年3月12日 (日) 02:01 (UTC) |Wikify=2017年3月12日 (日) 02:01 (UTC) }} のタグを貼って頂きましたが、この記事は(from de:Hermann Glockner 11:51, 14. September. 2016 CTES)です。原典に忠実にとは言いがたいかも知れませんが翻訳記事です。翻訳をどこまでいじくっても良いのでしょうか?出典に関してもマークアップに関してもどこまで触っても良いのでしょうか?原典とかけ離れた(例えば日本人が記載し、日本語で日本でしか発売されていない書籍等)出典を明記しても良いものなのでしょうか?ご指導頂ければ幸いです。--Earthbound1960(会話) 2017年3月12日 (日) 09:45 (UTC)
- 御指摘に基づき加筆修正しました。問題が無いようでしたら4/13(JST)にタグを削除させて頂きます。問題が有るようであれば具体的にノートに記載ください。--Earthbound1960(会話) 2017年3月13日 (月) 02:53 (UTC)
- 返信 (Earthbound1960さん宛) 翻訳や加筆修正、ご苦労様です。翻訳元記事の出典を取り込んでいただきありがとうございました。内部リンクをマークアップしていただきましたので、{{Wikify}}は除去いたしました。翻訳元自体が出典不足なこともあるため、{{出典の明記}}は残させていただきました(翻訳後の記事についてもWikipedia:五本の柱に則していることが求められます)。また、翻訳記事は、履歴継承の観点からWikipedia:翻訳のガイドラインなどに則している必要はあります(元記事から翻訳にて加筆する際は、都度要約欄への記入が必要です)し、翻訳の正確さは大切ですが、翻訳元記事に縛られる決まりはなく、むしろ、加筆や推敲は歓迎されているはずです。Earthbound1960さんがお持ちの文献(日本語の文献も)を大いに利用なさって、本記事がますます発展されることをお祈りしております。--てれびくん(会話) 2017年3月13日 (月) 07:04 (UTC)
- ご返信ありがとうございます。てれびくんさんは各所でお見かけして感じることなのですが、タグを貼って頂くのは良いことだと思いますが、タグを貼った具体的な理由をノートにでも記載して頂くと、執筆する側としてはありがたいです。単に『この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。』って表示だけ見ると、「結構原典に忠実に今回は加筆したのにどの部分が不足してるの?」って感じになります。記事を書いたり翻訳したりするとどうしても自分の書いたものに集中してしまい周りが見えなくなります。第三者として見れば一目瞭然のことも書き手としては見落としている場合が多々あると思います。ノートに「XXXについては加筆が必要」とか「YYYには出典が無い」等の指摘をして頂けると助かります。--Earthbound1960(会話) 2017年3月13日 (月) 09:33 (UTC)