ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ21
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ウィキソースの聖書引用箇所へのリンクについて
[編集]- ウィキペディアの姉妹プロジェクトであるウィキソースには、s:聖書の翻訳が充実しているのですが、著作権の絡みからか新共同訳聖書は掲載されていないため、本稿の聖書引用箇所にはとりあえずs:口語新約聖書へとインターウィキしました。これはカトリックの項目としては適切でしょうか。また、個人的には口語訳のゆる~い文章よりも、s:文語訳新約聖書のほうが好きなのですが、それはそれで一般の読者の理解をまた遠くへと追いやってしまうのではないかとのジレンマを感じております。お手直しやご意見など、お願いいたします。※そもそも引用箇所にインターウィキは不要という考えもあるかもしれません。除去されても構いません。--Isamit(会話) 2013年4月2日 (火) 09:01 (UTC)
- コメントお手数をお掛け致します。ただ、現在のカトリック教会では、「文語訳新約聖書」はもう使われておりません。メインラインのプロテスタント教会とカトリック教会は、新共同訳聖書を用いております。s:口語新約聖書はプロテスタント訳で、プロテスタント教会は、2016年の刊行をめどに「アメリカ標準版」の翻訳も進めているようです。
- カトリックと主要なプロテスタント(長老派、ルター派など) ・・・新共同訳(欧米でもカトリックは同じですが、プロテスタントは欽定訳聖書の改訂版などまちまち)
- 保守的なカトリックの一部・・・フェデリコ・バルバロ訳(ラテン語からの重訳)
- プロテスタントの福音派・・・新改訳聖書
- 新教皇はいうまでもなくカトリックなので、常識的には引用は新共同訳聖書からが無難かと存じます。一旦典拠のところに置かれ、そこから「聖書本文検索」」にリンクするのなら、ほんのわずかの部分なので、問題はないのではないでしょうか。しかし、ご指摘のように著作権が問題なら、現状のままでもよいかと存じます。Tizizano(会話) 2013年4月2日 (火) 09:08 (UTC)
- 本記事での引用は著作権上問題ないと思いますが、s:聖書に新共同訳や新改訳を丸ごと置くのは無理でしょうね。s:口語新約聖書へのインターウィキはなかなか妙案だと思います。あと、Wikipediaトップの強化記事に載っていますね^^--ジャコウネズミ(会話) 2013年4月2日 (火) 11:11 (UTC)
- インターウィキにリンクを貼るとしても、「 」内の字面は、やはり新共同訳がいいと思います。この記事は計30名もの人数で2週間の突貫工事で作成したものですから、何とかGAに持って行ければ良いですね。その際に問題になるのは、内容と言うより形式、つまり書式の問題ではないかと思います。とりあえず、問題を一つあげますと、新教皇の第一声の「ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです。まず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」が2回に渡って引用されています。「語録」の方には不要ではないでしょうか?Tizizano(会話) 2013年4月2日 (火) 10:03 (UTC)
- 本記事での引用は著作権上問題ないと思いますが、s:聖書に新共同訳や新改訳を丸ごと置くのは無理でしょうね。s:口語新約聖書へのインターウィキはなかなか妙案だと思います。あと、Wikipediaトップの強化記事に載っていますね^^--ジャコウネズミ(会話) 2013年4月2日 (火) 11:11 (UTC)
- コメントお手数をお掛け致します。ただ、現在のカトリック教会では、「文語訳新約聖書」はもう使われておりません。メインラインのプロテスタント教会とカトリック教会は、新共同訳聖書を用いております。s:口語新約聖書はプロテスタント訳で、プロテスタント教会は、2016年の刊行をめどに「アメリカ標準版」の翻訳も進めているようです。
- 諸々アドバイスありがとうございます。「 」内の文章は現状のとおり、新共同訳聖書からの引用で問題ないと思います。あくまでもインターウィキをどこへ張るか(もしくは張らないか)のご相談でして、本文を口語訳聖書に合わせるとは考えておりませんでした(そしてそれは私もマズいと思います)。ただ、日本のウィキペディアの読者は、聖書をお持ちでない方のほうが圧倒的だと思いますので、聖書にはどう書かれているかという概略を数クリックで手軽に知っていただくという目的と、せっかくウィキソースに著作権の切れた旧翻訳という資産があるので、これを活用するのも手かな、と……。--Isamit(会話) 2013年4月2日 (火) 14:03 (UTC)
- それは、ご指摘の通りだと思います。リンク先が口語訳であれば、新共同訳の字面と二重に見ることになり、その異同も考える契機になるかもしれないという二重の利得があると思います。Tizizano(会話) 2013年4月2日 (火) 20:08 (UTC)
- 教皇の発言の重複は、現在の版では確認できませんでしたので、私からのコメントは控えます。--Isamit(会話) 2013年4月2日 (火) 14:03 (UTC)
- ジャコウネズミさんが修正して下さったようです。Tizizano(会話) 2013年4月2日 (火) 20:08 (UTC)
- 上記「第一声」の「つづき」(直後ではないと思いますが、サン・ピエトロ広場に集まった聴衆への最初のスピーチの中の言葉です)に置き換えました。理想論的でもあり「名言」ではないかもわかりませんが、q:es:Franciscoにもq:en:Pope Francisにも収録されていることと(スピーチの原語であるq:it:Papa Francescoには見当たりませんでした)、些事ながら語録の分量を詰め過ぎるとレイアウトに何かと破綻をきたすために置き換えたものです。今後とも、より深く、より教皇フランシスコの思想や人柄を読者に提示できる語録の追加と選定を希望いたします。--ジャコウネズミ(会話) 2013年4月2日 (火) 17:52 (UTC)
- 数行にもわたり、最後まで読んで、さらに考えて「〜ということなのか」とやっとわかるようなものは、閲覧者を引き込むという当初の目的から考えると逆効果なので、考え物だと思います。Tizizano(会話) 2013年4月2日 (火) 20:08 (UTC)
- 上記「第一声」の「つづき」(直後ではないと思いますが、サン・ピエトロ広場に集まった聴衆への最初のスピーチの中の言葉です)に置き換えました。理想論的でもあり「名言」ではないかもわかりませんが、q:es:Franciscoにもq:en:Pope Francisにも収録されていることと(スピーチの原語であるq:it:Papa Francescoには見当たりませんでした)、些事ながら語録の分量を詰め過ぎるとレイアウトに何かと破綻をきたすために置き換えたものです。今後とも、より深く、より教皇フランシスコの思想や人柄を読者に提示できる語録の追加と選定を希望いたします。--ジャコウネズミ(会話) 2013年4月2日 (火) 17:52 (UTC)