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ノート:フェミニズム/過去ログ2

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ノートの肥大について

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ノートが肥大し、読みにくく、書き込みにくくなっています。 最近のものではない過去の発言で、チャットに近く内容のないものは削除することはできないのでしょうか?218.217.114.99 2007年1月24日 (水) 16:36 (UTC)

ログ化なら考えるが、削除は断固として反対。理由はノート:フェミニストに書いた。--Wuppertal 2007年1月24日 (水) 16:57 (UTC)
削除反対なら削除しなくてもいいですが、現在のノートが読みにくく書き込みにくいのは事実です。削除が嫌ならログ化していただけませんか。218.217.114.99 2007年1月24日 (水) 17:52 (UTC)

ちょっと困りました

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この節の議論は、ノート:フェミニズム/過去ログ1#ちょっと困りましたの続きです。

ええと、遅くなってしまって申し訳ないのですけれど、「『ラディカル』を『急進的』と翻訳するのもまた、ずいぶんニュアンスが違うのではないでしょうか」についてです。

これはProponentさんが「急進的」と訳してらしたのを、私が耳慣れない訳語だと感じてラディカルと付け加えたものです。私が読んだフェミニズム文献は決して多くはないですし、不適切と言い切る自信が無かったので「急進的」を削除はしませんでした。

もし、「急進的」と訳している文献があまりみられないということであれば、確かにあの人たちの思想を誤解させやすい表現ではありますし、完全に「ラディカル」に置き換えてしまってもよいと思います。そのところ、どうなのでしょうか。Yugui 14:27 2004年1月3日 (UTC)

いきなり項目を書き変えるのはためらわれたのですが、近代に入ってからのフェミニズムの動きにはまず政治制度の充実を求めた第一段階と、参政権等、一通りの政治制度が整ってから、文化をも問題にした第二段階とに大きく分けられると思います。ある意味、そこに転換点があるわけでそれを入れても良いのではないかと。
また、西洋についての項ですが、現在はアジアや、アフリカのフェミニストから西洋型フェミニズムはアジアやアフリカ女性に対する優越感や差別意識を持っている、という指摘も出ていると思います。ある意味で一筋縄では行かない分野ですし、まとめるのも難しそうですね。利用者:Zappa

歴史としての女性解放運動と、思想としてのフェミニズムの分割を提案します

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この節の議論は、ノート:フェミニズム/過去ログ1#歴史としての女性解放運動と、思想としてのフェミニズムの分割を提案しますの続きです。

マザー・テレサの発言について…文脈を読めば、マザー・テレサの言葉は「思想」のフェミニズムの、特に男女の違いや「母性」を認めないモノに対する批判だと思います。マザー・テレサが女性解放運動に批判的だなんて聞いたことがありません。--202.91.157.37 2007年1月4日 (木) 03:09 (UTC)

カトリックは「女は教会では黙っていなさい」の世界ですし、基本的に聖職者は男性に限られていますから、必ずしも「解放に賛成」ではないといいますか・・・、そもそも「女が閉じ込められており、解放されるべき存在である」というフェミニストの基本認識を持ち合わせていないわけです。「女性学的解放史観」は持っていないでしょう。それはともかくとして、マザーテレサを「フェミニズム批判」に利用するのは、賛成出来ません(さりとて出て行って消す気もない)。言葉には前後の文脈や、こめられた意味があるわけで、その一部を切り出して、「マザーテレサはフェミニズムを批判している」という解釈は、いわゆる「独自の調査」にあたると私は考えています。--Album 2007年1月4日 (木) 04:15 (UTC)

女性解放史の項目がフェミニズムの項の外にあるべきなのでしょうね。イズムで達成されたことと、GHQによってなされたことは明確に分けられるべきなのでしょう。Album 2007年1月17日 (水) 06:01 (UTC)

女性解放運動」のページをリダイレクトから新しく作りましたので記事を一部移動させてはどうでしょうか。--シェスカ 2007年1月19日 (金) 07:23 (UTC)

出典示してください

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マザー・テレサの発言とされるものの引用があるのですが、いくつか問題があると思います。yukichiさんの除去がリバートされたようですが、ウィキペディアに掲載しておくには下記2点の問題があるので、記述を残したい方にご対応をお願いできないでしょうか?

  1. 出典の明示を示していただけないでしょうか?
    最初に貼られたリンクは、ブログであって、出典とするには満たないと思いますし、マザー・テレサの発言にも関わらず、他に言及があるページが見つからないので、本当にそんな発言があったのかと疑念を抱かざるをえません。一部撤回。検索の仕方が悪かったです・・・(恥)--すぐり 2007年1月7日 (日) 04:00 (UTC)


また、Sunday世界日報なる学術誌は、私は寡聞にして知らないのですが、仮にどれだけ中立的で世界的権威がある雑誌であったとしても、号名あるいは発行日を示さないことには出典としての要件を満たせないと思います。

  1. どこからの引用でしょうか?それとも、投稿IP氏の独自訳でしょうか?
    出典が示されず、そもそも現状では引用の要件を満たしていません。どこかからの日本語訳のコピペであれば、出典を示していない時点で著作権違反のおそれがあるので、そもそも削除依頼に出さねばならない記述です。

どうかご確認・ご対応よろしくお願いいたします--すぐり 2007年1月7日 (日) 03:36 (UTC)

世界日報」は有名なカルト教団統一教会の新聞ですよ。218.217.158.25 2007年1月22日 (月) 07:31 (UTC)

出典を記述しておいて言うのもなんですが、「sunday世界日報」は「サンデー世界日報」の誤りです。そしてブログの山本彰氏はその記者ですが、この方の2006年の書籍「ここがおかしい男女共同参画」にも記載が無いようです。なんだか私もマザーテレサのメッセージは「本当かな?」と疑念を生じてきたので、「要出典」に戻します。--Album 2007年1月7日 (日) 07:35 (UTC)
この元となっている「ぶっとばせジェンダーフリー」のマザーテレサの出典が「Sunnday世界日報」と誤記されているのが嫌ですね。「マザーテレサの本文も、転載内容自体、正確なのかよ」というのが正直な感想です。現時点ではコメントアウトしても、私は文句を言いませんよ。--Album 2007年1月7日 (日) 07:48 (UTC)

「出典がないために独自調査になっている可能性がある」のは、当面「批判」の部分ではないのですか?そうであれば、ページの最上面にテンプレートを持ってくるのではなく、「批判」の直前にテンプレートを貼り付けるべきです。 英語版の「feminism」はすでにそのような構成になっています。Morijun 2007年1月16日 (火) 07:08 (UTC)

私は一番上の「東ローマ帝国」に事例も含めて「要出典」と考えています。奴隷制度が普通だった東ローマ帝国が「フェミニズムの起源となっていることについて、まず出典を求めます。上から順番に。--Album 2007年1月16日 (火) 07:17 (UTC)

Wikipedia:検証可能性に基づき、出典が無く、フェミニズムと無関係なGHQの功績は除去します。また中立の観点から、出典の疑わしいマザーの記述も除去します。個人ブログ以外、出典確認されず。Album 2007年1月17日 (水) 01:12 (UTC)

論点の拡散防止について

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「人工中絶」や「男女共同参画社会」など、独立したページが存在する項目について、何でもかんでも「フェミニズムの批判」にしてしまっていると思います。独立したページが存在する項目については、そちらのページに誘導お願いします。Taoka 2007年1月16日 (火) 12:23 (UTC)

出典がないことは、本文全体にあてはまることであり、特定の主張をコメントアウトすることは出来ません。見える形での議論をお願いします。でなければ、本文全体をコメントアウトしますか?出典がありませんから。そういうことはやめましょう。--Album 2007年1月16日 (火) 12:31 (UTC)
今頃気が付いたのですが、フェミニズムと関係の無い、またフェミニズムの成果ではない記述が多数混入しています。男女共同参画はTaoka氏から指摘がありましたし、教育の項のGHQに至っては、本当に何の関係もありません。あたかもフェミニズムの功績のように記述されたものこそ別項目へ移動すべきです。Album 2007年1月16日 (火) 14:08 (UTC)

出典以前の話であり、「人工中絶賛成派(pro-abortion)」に対する批判であれば、「人工中絶」のページに、「男女共同参画社会推進者」への批判であれば、「男女共同参画社会」のページに書くべきだということです。 せっかく独立したページがあるのに、なぜ何でもかんでも批判はフェミニズムのページに書くのか理解できません。フェミニストの数だけヴァリエーションがありますから、例えば人工中絶には賛成で、男女共同参画社会には反対という人だって多いでしょう。フェミニズムは批判のゴミためではありません。Taoka 2007年1月16日 (火) 15:50 (UTC)

ゴミと表現するのは貴殿の主観に過ぎません。「女を幸せにしない男女共同参画」によれば、男女共同参画は「政策にうまくすべりこんだフェミニズム」(p26)と評されています。むしろフェミニズムと関係のない女性解放の歴史の部分をこそ、別項目にすべきです。どうしてイズムの項目にGHQの話や東ローマ帝国の話が混入するのか理解出来ない。出典記載率は、はるかに批判部分の方が多い。コメントアウトすべきなのはフェミニズムと無意味、無関係な「功績のほのめかし」です。Album 2007年1月16日 (火) 16:07 (UTC)

ごみためでもデパートでも吹き溜まりでもいいですが、そういうどうでもいいところで感情的になるのはよしましょう。「男女共同参画」=フェミニズム、というご趣旨ですか?その本をお書きになられた著者の私見にすぎないと思いますけど。 「女性解放の歴史」=フェミニズムの歴史 はおかしくないでしょう。一体フェミニズムの定義をどのようにお考えなのですか?フェミニズムは女性解放運動です。フェミニズムには女性の参政権や女性の教育を受ける権利のように、いまどき誰も不思議に思わないものと、価値観がいまだ割れているものがあるだけです。一昔前は、女性が男性と同等に企業社会で活躍するのに反感を感じる人がいるのと同様、「女に学をつけても無駄」と女性に教育を受けさせる機会を与えるのに反発していた人が相当いたのです。Taoka 2007年1月17日 (水) 00:51 (UTC)

貴殿の個人的な思いは承りました。Wikipedia:検証可能性によれば、「真実よりも検証」となっています。フェミニズムと男女共同参画が無関係であるとする文献を挙げて下さい。理不尽でも、ここでは文献がすべて、です。Album 2007年1月17日 (水) 03:11 (UTC)
もうひとつ。フェミニズムとGHQの関係を明記した文献、また、東ローマ帝国のフェミニズムを書いた文献も挙げて下さい。女性が解放され権利が増えればフェミニズム?とんでもありません。芸者置屋の主人が芸者の待遇を良くしたかといってフェミニズムではありません。日本の統治で以前より朝鮮女性の待遇が良くなったとしても、それはフェミニズムではありません。GHQによる権利付与もおなじことです。Album 2007年1月17日 (水) 03:58 (UTC)

フェミニズムと男女共同参画が無関係である必要はありません。同一でなければ、「男女共同参画」に関する意見や批判は「フェミニズム」ではなく「男女共同参画」のページに書くべきだということです。そうでなければ単にページがだぶっているということです。あなたは「フェミニズム」=「男女共同参画」という意見なのですか?そうでなければ、あなたが屁理屈をこねて論点をずらしているとしか思えません。 それから、「東ローマ帝国」について議論を拡散するのはやめて下さい。そもそもそれを書いたのは私ではありませんから、そもそも私に出典を聞くのは筋違いです。どこかのインターネットの掲示板のように、誰かの自己満足の議論の拡散に際限なくつきあっている時間は私にはありません。Taoka 2007年1月17日 (水) 07:30 (UTC)

それでは「政府の取り組み」の記述に男女共同参画の記述があるのはおかしい、ということでよろしいですね?百科事典のフェミニズムの項ですから、男女共同参画のことは、男女共同参画の項に書くということで。Album 2007年1月17日 (水) 08:24 (UTC)

「政府の取り組み」の記述も純粋に男女共同参画のみについて述べた部分は男女共同参画のページに移動すべきです。「男女共同参画」に対する「批判」ももちろん移動すべきです。Taoka 2007年1月17日 (水) 11:11 (UTC)

そもそも「男女共同参画」はフェミニズムと共通する部分もあるものの、「女性のみの」解放や権利の拡大を目指したものではありません。文字通り、男女双方の権利を考慮しこれからの社会の仕組みを作っていくための概念・法律です。 「政府の取り組み」については、「政府の取り組みとしては、フェミニズムに類似する概念として「男女共同参画社会」があるが、これは女性のみの権利の拡張・解放を目指したものではない。詳細については男女共同参画社会を参照」、などとしてその議論・批判についてはそちらへ誘導するのが良いでしょう。Taoka 2007年1月17日 (水) 11:18 (UTC)

2つ誤解があるようですが、山下悦子氏はフェミニズム批判をしています。出典を確認して下さい。山下氏には「女性の時代」という神話 上野千鶴子は女を救えるか」という著作があり、「フェミニズム症候群」という言葉を生み出しています。明確にここはフェミニズム批判です。それから、私は女性学出身の人です。マザーの記載を除去してみせたように、私はただ事実を記載したいだけです。バックラッシュではありませんから、性急に編集を進めないで下さい。とにもかくにも出典。編集方針についてなら、ウィキペディアの方針を示して下さい。自分の思いは脇に置いて。Album 2007年1月17日 (水) 15:07 (UTC)

私の言っていることは、内容の重複を避けるために、個別のトピック(例えば「男女共同参画」)についてはそのページに内容も批判も書くということに尽きます。フェミニズムのページに同じことを書く必要はありません。出典の話は重複の回避とはまったく別の話で、これ以上その点について話す必要があるとは思えません。Taoka 2007年1月17日 (水) 20:42 (UTC)

「Wikipedia:編集方針」からの抜粋 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E7%B7%A8%E9%9B%86%E6%96%B9%E9%87%9D

記事の一部でも除去するときは、以下の理由に該当するものにして下さい。

  • 重複
  • 関係のない内容
  • 無意味な記述
  • 著作権侵害
  • 不正確であるか、情報の精度を確立できない内容
結果的にフェミニズムへの批判を各項目に拡散させて、重複を生んでいるのは貴殿の編集です。情報の精度は本文より批判部分の方が高い。異なる観点を並記すべしというWikipedia:中立的な観点 から、正しい状態に戻しておきます。Album 2007年1月17日 (水) 22:06 (UTC)
【補足】議論の余地のないWikipedia:中立的な観点 から引用します。「あらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」「競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです」。別項目に、対立する観点を移動して書けとは書いてありません。併記せよ、です。
また、公式な方針であるWikipedia:中立的な観点 は、「ウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」このように明記してあります。批判的な観点を他の項目に拡散してしまうという行為は、公式な方針に明確に反しています。--Album 2007年1月18日 (木) 01:34 (UTC)
私は各論に参加する気はありませんが、これだけはいっときます。wikipediaにおいて議論と合意で覆らないのはJimboの強権発動だけです。LR 2007年1月18日 (木) 03:26 (UTC)
LRさん、確認させてください。あなたのおっしゃりたいのはwikipediaの方針やガイドラインであっても議論と合意があれば覆る、覆して構わないという意味でしょうか?--211.14.88.175 2007年1月18日 (木) 03:40 (UTC)
そうですよ。そして当然それは次の段階で方針やガイドラインに修正を加えるのに用いられる有力な前例となるんです。LR 2007年1月18日 (木) 03:57 (UTC)
根拠は?--Album 2007年1月18日 (木) 03:59 (UTC)
「方針とガイドラインには、まだ発展中のものもありますし、もはや定着して議論の余地がないものもあります」という方針とガイドラインそのものの自己言及です。つまり、fixされておらず議論の余地があるんですね。LR 2007年1月18日 (木) 04:08 (UTC)
公式な方針に従わなくて良く、好きに書いてよいならば、これまでエクセルに書き溜めて書かずにおいた私の4千3百行の内容を、前例作りの為に、ウィキペディアに次々に投入してよろしいのですか?この議論はWikipedia:中立的な観点 のノートへ移管していただきたい。--Album 2007年1月18日 (木) 04:15 (UTC)

Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい--ゆきち 2007年1月18日 (木) 05:27 (UTC)

根拠にはなりませんね。草案ですから。「この文書はウィキペディアの公式な方針あるいはガイドラインの草案です。現時点ではまだ拘束力はありません。現在、内容に関してノートページで議論を行なっています。」とあるとおりです。初心者が誤解するから、勘弁して下さい。--Album 2007年1月18日 (木) 05:52 (UTC)

あらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」というのは、批判は本論の存在するところに書くべきと言い換えられます。本論の存在するページをあえて無視し、さまざまな批判だけ違うページに集中させるのは、まさしく「偏り」です。重複の除去は、アーティクルの中立性を担保する一手段でもあります。Taoka 2007年1月18日 (木) 12:28 (UTC)

ウィキペディアは演説場所ではありません。意見は書くな、事実を書け。貴殿の解釈が「公式な方針」のどこにありますか?Wikipedia:中立的な観点 で、その演説をしてみて下さい。お待ちしております。このフェミニズムのノートを意見で消費することはもう止めませんか?Wikipedia:中立的な観点 の話はWikipedia:中立的な観点 で。--Album 2007年1月18日 (木) 12:35 (UTC)
私は十分な知識もないのでそれほど議論に参加する気はありませんが、児童虐待の問題について少し。あれはこじつけでフェミニズムを批判している動きなのですが、あの場合批判者が「フェミニズムの価値観から守る動き」と「虚偽記憶」の問題を合わせて批判しています。しかし、何でもかんでもフェミニズムに結びつける批判がある事は、フェミニズムの価値観に対する反発があるという事を明記するには良い事なのではないでしょうかね。編集合戦にならないことを願います。--The Side 2007年1月18日 (木) 20:14 (UTC)
[1]こちらのハーマンの項に記載の「虚偽記憶症候群財団」によれば、やはりフェミニズムと関係があるとのことです。それとは別に、若王子氏のノーコメント編集を戻していただき、ありがとうございます。若王子氏とtaoka氏は、各人のノートにおける私の呼びかけを無視し続けています。Album 2007年1月18日 (木) 22:19 (UTC)

最初にrevertを実行されたのがAlbum氏ですので、Album氏がノートで各位の合意を取得されてからrevertを実行されるべきだと思います。一方的にrevertを実行するだけではいつまでたっても進展がないのでは?218.217.38.214 2007年1月19日 (金) 06:40 (UTC)

その論法で行きますと、最初に「出典があっても気に入らないからと記述をコメントアウトした多編集」「合意無く記述をどんどん他項目へ移動してしまう編集」があったとして、それをrevertすると、「出典削除のお気に入り多編集版」が残って、revertした側が合意を求めなければならないのですか?出典があっても「要出典」を貼ったり、他項目へ移動するついでに気に入らない箇所を削ったりと、彼女達はやりたい放題でしたよ。すべては履歴に残っています。--Album 2007年1月19日 (金) 08:23 (UTC)

Album氏が何を言ってるのかよくわかりませんが(「やりたい放題」云々の感情論は排除してください)「彼女達」など性別を決め付ける態度は明らかに差別的ですね218.217.38.214 2007年1月19日 (金) 09:17 (UTC)

それからAlbumさん、私の利用者ページにも何か書き込まれているようですが、意見は公の場で述べて下さい。個人のページに一方的に書き込むだけでは、他の人からも個人攻撃と受けとめられても仕方ないと思います。誰もがあなたのように豊富に余暇を有しているわけではないですから、議論がかみ合わない人と個人的な会話をしたくないと思う人がいてもおかしくも不合理でもないです。218.217.38.214 2007年1月19日 (金) 09:23 (UTC)

なるほど、そういう感じ方や接し方もあるのですね。今回は実に色々と学びになりました。ありがとうございました。保護が解けましたら、進め方を改めたいと思います。--Album 2007年1月19日 (金) 09:35 (UTC)
記事のノートが公で会話ページが私ですか。文字通りの公私混同ですよ。しかもあなたはIPユーザーでしょ。wikipedia:利用者ページの熟読が必要ですね。--218.231.233.127 2007年1月19日 (金) 10:27 (UTC)

「しかもあなたはIPユーザー」ってあなたもIPユーザーでしょ(笑)あなたの発言の意味がわかりません。218.217.38.214 2007年1月19日 (金) 11:02 (UTC)

フォローありがたいが、他の人に申し訳ない。個人のノートでやりましょう。お願い。--Album 2007年1月19日 (金) 11:04 (UTC)
フェミニズムと関係の無い個人的なお話でしたら、私のノートへどうぞ。ちなみに私のIPは61.から始まります。どうして2桁なのかは知りませんが。--Album 2007年1月19日 (金) 10:51 (UTC)

話をフェミニズムに戻しましょう。個人的な話は相手に無視されてもやむをえないってことでよろしくおねがいします218.217.38.214 2007年1月19日 (金) 11:21 (UTC)

保護解除に向けて(争点の整理)

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それでは、前向きに争点を整理しましょう。とはいっても、同じ事の繰り返しになってはいけないので、ゆっくり行きませんか?私的には3ヶ月後解除くらいのイメージで。合意形成にはじっくりと時間をかけて。Album 2007年1月19日 (金) 16:32 (UTC)

編集合戦を傍から見ていた傍観者なのですが、私もThe Sideさんが上で言われているように、もともとの批判についてはなんだか「何でもかんでもフェミニズム批判」になっているような印象が受けました。フェミニズムについては不勉強なので、どっちサイドに立つわけでもないのですが、第三者には批判がちょっと強引というか、感情的(?)に見える部分もあり、アンチフェミニズム派(?)にとって逆効果だったような気もします(主観ですが)。 ただ、このトピックそのものについてはともかく、偏りがある印象が放置されていると、Wiki全体の信頼性にかかわってくる話なので、フェミニズムにさほど関心のない第三者が見ても、偏ってる印象がないように関係者には編集をお願いしたいと思いますButtonhole 2007年1月19日 (金) 17:00 (UTC)

逆に私は、批判以外の部分が何でもかんでもフェミニズムの話になっていると考えていました。除去した「GHQによる参政権」、要出典の「東ローマ帝国」の例、それらはフェミニズムでもなく、女性解放「運動」ですらなく、ただの女性史です。むしろ批判の方は私が出典を確認したかぎり、「フェミニズムそのもの」を対象にしたもので、間違いありません。Album 2007年1月19日 (金) 23:33 (UTC)

それは「フェミニズム」の定義に関する問題なのではないでしょうか。現在の本文の冒頭には「フェミニズム(英: Feminism)は、男女同権主義に基づく女性の権利や自由の獲得を主張する思想・運動のこと。」と定義されています。 女性が男性と同等の権利や自由を獲得するための施策と評価できるものについては、フェミニズムであると広義に解釈するのは、少なくともある種の社会通念として存在すると思います。まず、Albumさんの考えるフェミニズムの定義を提示された上で、それに皆が同意できるか、同意できないとしても異なる見解の存在として許容することができるか、などについて必要に応じて議論をしていくべきかと思われます。218.217.114.218 2007年1月20日 (土) 06:04 (UTC)

冒頭の定義どおりですよ。結果として女性の権利が拡張したとしても、たとえば日本統治下の朝鮮で女性が教育を受ける機会が増えたとしても、それはフェミニズムではないわけです。東ローマ帝国しかり、GHQしかり、また現代日本の女性の進学率しかり、です。結果だけを見るのではなく、それは「イズム」による(またはその運動による)結果なのか、ということに出典を問うているのです。私が20年前に女性学を学んでいたときは、東ローマ帝国やGHQの事例までフェミニズムの結果だとはしていなかった記憶があります。その意味で、現在の記載に「要出典」が残ったことは、ある意味、満足です。私のリバートはtaoka氏の性急な多編集を咎めるものでしたから、現在の記載および保護は、私にとって望外の良い状態です。落ち着いて合意点を求められますから。もちろんいつまでもこのままではいけません。(さて、これまでの反省から、ここでの私の登場は一日一回以下といたします。)Album 2007年1月20日 (土) 08:46 (UTC)

今日は。第三者的な立場から意見させていただきます。フェミニズムに関する記事は、中立的な視点から書かれているそうですが、批判がひとつも書かれていないのはなぜでしょう?ジェンダーフリー教育などもそうですが、これだけ良い意味でも、悪い意味でも注目されており、議論を巻き起こしている思想なのに、肯定的な意見のみに終始されているのは非常に不自然さを感じます。ノートに記載されていることを見ると、フェミニズムに対する批判は、焦点となっている各項目、すなわち男女共同参画やジェンダーフリー、妊娠中絶などで書かれているので、重複する部分は削除したのだと書かれています。しかし、それらの問題の根本、総論部分にフェミニズムが位置づけられるのであれば、フェミニズムから派生した問題について、批判が生じていることも、「フェミニズム」という項目で書くべきでしょう。にもかかわらず、かたくなに批判的な意見を削除しているのは、ある種戦略的なものを感じます。すなわち、重複する部分は削除するのだといいつつ、フェミニズムに対する批判はこのページを見ただけではわからないようにする。そうすることで、フェミニズム思想と一連の批判を結びつけないようにする。そういう戦略ではないでしょうか?もし、こういった戦略が許されるのであれば、それはウィキペディアのルールと考えてよろしいのでしょうか?つまり、批判的な意見は全て個別項目にまわしてしまうことは許されるのでしょうか?コレが許されるのであれば、テーマを細分化していき、リンクを繰り返し、末端のページでしか批判が見れないようにすることができます。こんな戦略が許されていいのでしょうか?私は、たとえ重複になっても、フェミニズムという項目で、批判の概略を書かせることは許されてしかるべきだと思います。  ::ムバラク (以上のコメントは 2007年1月20日 (土) 08:54に 219.37.128.14 さんが投稿しました。次回より署名をお願いします)

フェミニズムというのは、その定義どおり、多分に概念的なものです。フェミニズムに関連するトピックというのは多数あり、いわゆるフェミニストといわれる人の中でも、トピックによって見解が分かれます。フェミニズムの概念(男女同権主義に基づく女性の権利や自由の獲得を主張する思想)そのものに対するきちんとした批判があるなら、それはもちろんかまわないのではないでしょうか。今までそのような批判が書かれていなかっただけです。個別のトピックについては、それぞれそれを掘り下げて扱ったページが存在していますから、批判を書きたいなら、重複回避のためにそちらに書けばすむだけの話です。Fibonacci 2007年1月20日 (土) 10:27 (UTC)

私なんかは、中絶・出産に関してフェミニズムが公の場で攻撃されること自体が、的外れで中立性を欠くと思いますけどねえ。そもそも、結婚しているカップルや、結婚を視野に入れているカップルの場合、避妊したのにできちゃった子供なら、授かりものとして産むことを選択するカップルが多いでしょうしねえ。カトリック本拠地のイタリアの出生率は日本並みに低いし。むしろ、中絶が禁止されたとしたら、一番困るのは不倫関係にあるカップルで、既婚男性と独身女性の不倫が多いという観点からは困るのは子供を認知しなければいけない男性でしょう。「子供を有する有さないのは個人(カップル)の自己決定権」というのを、発言者が女性だったために女性という言葉を使ったから、フェミニズムが攻撃されているような。Wikipediaもこれだけ世界的に大きくなって寄付を集めたりしているんだから、テレビや新聞が注意を払っている程度の中立性をメディアとして目指すべきだと思いますが。218.217.154.158 2007年1月20日 (土) 16:47 (UTC)

フェミニストに対する批判が的外れであるならば、批判を紹介した上で、的はずれであると指摘すればいいだけであって、それを削除するのは独善的にすぎます。実際の社会の現象として、そういった批判があることを紹介するのが、中立性というものではないでしょうか?対立する2つの意見を紹介したうえで、どちらが正しいのかは、読む人の判断にゆだねるべきでしょう。ウィキペディアは純粋に学問的なことのみを紹介するサイトではありません。そういった学問に対し、どういった評価がされているのか、それについてもきちんと記載するべきでしょう。たとえ、そういった批判が的外れであっても、その批判がメディアを通じて行われているのであれば、それはひとつの批判として成立します。なぜなら、民主主義社会においては、正しいことが正論なのではなくて、多数派が支持することが「正論」だからです。その「正論」が学問的に間違っているというのならば、批判を書いた上で、間違いを訂正する記載をすればいいだけの話です。はっきり申し上げて、フェミニズムに対する批判は、ネット上の抽象的な「落書き」の域をもはや超えており、「的外れだ!」の一言で切り捨てるほど、力の弱いものではなくなってきています。例えば、関西で高い視聴率を誇っている「たかじんのそこまで言って委員会」では、公然とフェミニスト批判が行われています。 そもそも、フェミニズムは多義的であって、百人百様であるといえます。その点については、同意します。しかし、百人百様だからこそ、何が正解かがはっきりしなくなっています。あなた方が、ばっさりと切捨て、削除している批判は、果たして批判として成り立っていないのでしょうか?概念の多義性を認めながら、批判の多様性は認めない。そこに、あなた達の独善性がみえてしまいます。なぜ、そこまでかたくなに批判的な書き込みを削除するのでしょうか?何も私は、批判的な書き込みだけを書けといっているのではありません。肯定的な意見と否定的な意見を双方書くのが中立性というものではないでしょうか?正しい批判なら削除しないといっていますが、多義的なフェミニズムというテーマに対して、あなたがたが判断できるほど正しくない批判なんてあるのでしょうか?少なくとも、識者が言っていること、影響力の高いメディアが言っていることは、出版されている本で書かれていることは、内容の是非にかかわらず、掲載することが許されてしかるべきです。 それと批判に関しては、各テーマで掘り下げたページがあるので、そこで扱えとおっしゃいますが、批判の概略を書くことは、重複にはならないでしょう。フェミニズムは多義的な概念であるのだから、各テーマの総論的な問題として位置づけられます。そうであるならば、批判に関しても、大まかな内容を書いて、詳しくは各テーマを参照という形にすれば、問題はないと思われます。そうすれば、問題になっている批判はフェミニズムとリンクしているのだという形で体系的な理解が可能になります。そういった体系的な理解の一助になる最低限の範囲であれば、記載してもかまわないと思いませんか?そこをかたくなに否定する理由はないと思いますけど。 仮に、こういった書き方が許されないのだとすると、批判以外の部分も、同様の形式で個別項目に移すことにしますが、それでよろしいのでしょうか?例えば、男女同権、ウーマンリブ、性差別etc・・別立てで移すことができる内容は数多くあります。その結果、フェミニズムという項目は非常に見にくい項目になってしまいますよね。批判項目を重複だとして、削除している方々は、このような方式で、批判以外の部分が削除されても、一切文句はないということですか?是非お答えください。私は無意味な編集合戦はしたくない。ブログで、よく「炎上」ということが起きますが、これは反対意見を全て削除したり、反対意見をかけなくしたときに生じます。フェミニズムという項目が荒らされないためにも、甘んじて批判的な意見の書き込みを受け入れるべきだと、私は考えます。Ronachan 2007年1月21日 (日) 12:08 (UTC)ムバラク

「批判を紹介した上で、的はずれであると指摘すればいいだけ」なんて言ってるけど、フェミニズム批判って公の場では無名の人が売名行為でやってるようなもんだから、著名なフェミニストはまず相手にしていません。そんなのまじめに相手にしたら、時間がいくらあっても足りないし。「的外れ」と指摘したいのはやまやまだけど、そうするとAlbum氏のような粘着アンチフェミニストが「誰が的外れと言ってるのか出典を示せ」と屁理屈をこねるから。もうほとんどヤ○ザの世界。そういう実力行使的な批判はそもそも回避するのがウィキとしての中立性ってことです。218.217.158.25 2007年1月22日 (月) 07:31 (UTC)
「誰が的外れと言ってるのか出典を示せ」と私が言う事は確かですが、それは屁理屈ではなく、Wikipedia:検証可能性というウィキペディアの公式な方針が求めている事です。また、ウィキペディアの中立とは、公式な方針であるWikipedia:中立的な観点 によれば、どっちつかずの記述をすることではなく、複数の異なる観点を好意的に紹介する、という事です。--Album 2007年1月22日 (月) 08:50 (UTC)
よくありがちなのが、「イズム」の功績は広く集めたがる、批判は個別問題として切り離す、というやり方です。統一教会などはそうですね。我々は国連の平和女性連合に寄与している、しかし中には霊感商法に走るものもいるかもしれないが、いろいろな人がいるのだから、その批判は霊感商法をした「人」にしてくれ、と個別問題に切り離す。だいたいにおいて、「イズム」はキレイゴトなんです。批判は、その進め方に向けてなされる。批判を「一人一派なんです」と切り離すというやり方はカルトと手法が同じなのです。そしてかえって批判をあちこちに拡散させて、結局「イズム」を傷つける。そしてバックラッシュが笑うのです。批判はこの項に閉じこめておくべきだったAlbum 2007年1月21日 (日) 13:21 (UTC)
Album氏の論理の飛躍はすごいですね。カルトが紛れ込んでるのはアンチ・フェミニズム派の方。マザーテレサの件で引用元の世界日報も合同結婚式やってる統一教会の新聞ですしね。218.217.158.25 2007年1月22日 (月) 07:31 (UTC)
マザーテレサの件は、ご指摘のとおりカルトがらみのWikipedia:検証可能性を欠く記述でした。ですから、私、albumが除去しました。また、別項目フェミニストのノートで『批判が多すぎる件』の項目を作ったのも、私、albumです。ところで、統一教会がカルトであることは確かですし、また今のフェミニズムの一部が、カルト的であるという指摘があることも事実なのです「主婦を惑わすカルト的勧誘」。しかし、私がここで言いたいのはそういうことではなく、「批判を、個別問題として切り離してしまう」という問題です。切り離すと、どうなるか。・・・かえって批判を広く多く浴びることになるのです。食品問題だってそうじゃないですか。部下が悪い、と言えばかえって批判は強まるのです。そしてもし、『批判鳥』をフェミニズムという籠の中にしっかり入れて『籠の中の鳥』にしておけば、対処のしようがあります。「本文に対して批判が多すぎる」、とかね。出典を示せ、とかね。・・・ところがこれを逃がしてしまった。「他の項目でどうぞ」とやってしまった為に、これからあらゆる女性学項目、ジェンダー関連項目でフェミニズム批判を許す広い広い私も管理不能な『地(じ)』を作ってしまった。218.217さんがバックラッシュならば非常にうまくやったと言えるし、フェミニズム推進派ならば、あまりに政治的に幼稚だと思ってしまうのです。申し訳ないけれど。--Album 2007年1月22日 (月) 08:50 (UTC)
マザーテレサの件の削除は、カルトとアンチフェミが同一視されたら困るからの自己保身じゃないの。album氏は結局何が言いたいのでしょうね?文章ばかりが冗長で論旨不明、普段からこれなら周囲からつまはじきにされてるんじゃない?それとも引きこもりさんかな220.147.9.10 2007年1月22日 (月) 14:44 (UTC)

そもそも「中絶」「少子化」「男女共同参画」といった問題に対する批判が、なぜ「フェミニズム」の問題なのかわかりません。これらはすべて、「女だけの問題」ではなく「男女の問題」であり「人間の問題」です。日本の法律もそういうスタンスです。これらのトピックをすべて「女の問題」としてフェミニズム批判に紛れ込ませてしまうところが、そもそも女性差別的だと思います。吉祥天子 2007年1月21日 (日) 13:57 (UTC)

それは「各項目に対するフェミニズムの動き・フェミニストの言動」が問題だからですよ。実際に「フェミニズム」と名指しされて批判を受けているのならば、出典付きで記載すべきでした。そして批判を『籠の中の鳥』にすべきだった。むしろ批判をここへ誘導して、他の項目での批判はバッサリ削除するだけにして。。。・・・でももう拡散してしまった。利用者が増えれば増えるほど、これからはもう管理不能です。どうして長期的に考えてくれなかったのか。--Album 2007年1月22日 (月) 08:50 (UTC)
だから、一個人の意見をフェミニズム全体の動きと捉えてしまうところに既に無理があるんですよ。例えば、石原東京都知事はアンチフェミニストと一般に認識されてますが、「ババアは生きてる価値なし」という彼の発言と態度をアンチフェミニスト全体の動きととられると困るでしょ。それと同じことです。一個人の発言についての批判は、その人の記事のところでやって下さい。Fibonacci 2007年1月22日 (月) 16:55 (UTC)
それも、出典の問題です。石原氏をアンチフェミニストと定義して批判する文献があれば、大丈夫です。全然、何の問題もありません。逆に文献がなければダメ。非常に話はシンプルです。意見は書くな、事実を書け、ですよ。それがウィキペディアです。Album 2007年1月22日 (月) 17:18 (UTC)
Albumさん、それはあなたの独自の解釈ですね。wikipediaも世間も別にそういうスタンスはとっていませんよ。218.226.121.104 2007年1月23日 (火) 06:23 (UTC)
世間はどうなのか知りませんが、ここ Wukipedia では「検証可能性(Wikipedia:検証可能性参照下さい)」というのがあります。これは最低の決まりごとの一つであり、更には "NPOV" その他のハードルはありますが、少なくとも出典が明示されない記事は「出典なし」で削除されることもあります。見方を変えれば、出典を明らかにしている記事は、あなたの主観で「間違っている」と思われたとしても、それを理由に削除したりすることは、場合によってはある種の「荒らし」となってしまう心配があります。出典は明示されているが記事として不適だとお考えになったなら、そして書き換えたいのなら、ノートで議論するなりして合意を得る必要がありましょう。--Panpulha 2007年1月23日 (火) 06:49 (UTC)
Panpulhaさんに素朴な疑問ですが、「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです」と「検証可能性(Wikipedia:検証可能性には書いてありますよね。ということは、単に出典元が存在するだけではなく、その出典元(著者)が「事実確認と正確さについて定評があり、信用できる」ソースに限るというふうに読めますが。つまり、その点について合意が成立しない場合は、ノートで合意が得られるまで本文には記載できない(コメントアウト)と。単にソースを示すだけでよいのなら、何でもありの実力行使の世界になってしまいます。結局はwikipediaは別に特殊ではなく、社会通念上の中立性と何ら変わらない見解をとっていると思いますが。220.147.34.42 2007年1月23日 (火) 13:29 (UTC)
上記IPユーザー 218.226.121.104 さんは、あなた(220.147.34.42 さん)の仰るような「出典としての質」に言及する以前に、少なくとも出典が必要であるということ自体をご存じないのではないかと考えました。Album さんの2007年1月22日 (月) 17:18 (UTC) の意見に対する「独自の解釈」云々の受け答えを見てのことです。ある記事が出典付で書かれたら、その出典が一見して相当怪しげであっても、黙って、あるいは「出典不適切」など一言で削除するのは戸惑います、わたしは。「出典として不十分なのでもう少し補強できる何かはないか」といった要請をして、しばらく待って何も出てこなければ初めて削除するくらいの慎重さが必要だと考えています。出典が不適切だということを独断で決めるのではなくて議論・合意がほしいところです。逆に出典も何も無く自説をとうとうと述べているような記事の削除には躊躇いはありません。--Panpulha 2007年1月23日 (火) 15:29 (UTC)
人の内心について「どう思っていたのだろう」という話はここでは不必要な論点の拡散になりますからそれは回避して、Panpulhaさんが「削除するのは戸惑います」というのは、結局のところご自身の感情の話なのではないでしょうか。人はひとりひとり価値観も立場も違いますから。220.147.34.42 2007年1月23日 (火) 16:46 (UTC)
何が仰りたいのかよくわかりません。私はあなたから疑問が投げかけられたのでお答えしたのです。218.226.121.104 さんの短い文章をこのように解釈したという説明でした。ここでは文字だけで遣り取りをするのですから、ある程度の推定や斟酌は不可避です。それが間違っていて私がおかしなことを書くこともありましょう。だから「不必要な論点の拡散」ではまるでなく最も肝心なところです。ともあれ、記事を書くには出典が必要だということが(218.226 さんに)判っていただければいいのです。その質も大事だということはそのあとでもよいかと。それと、人の「価値観や立場」は違いますが、ここは Wikipedia だということで、特有の決まりごとがあります。「価値観と合わないので参加しない」という選択肢があるのですから、参加するからにはそのコミュニティーのルールは守らなくてはなりません。--Panpulha 2007年1月24日 (水) 04:12 (UTC)
ほんときりがないですよね。こういう話は。「コミュニティーのルールは守らなくてはならない」というのはwikipediaにおいては、常に書き込む側が出典の信頼性・中立性を含め完全な立証義務を負うということですよね。その解釈に何か間違いがあるのでしょうか。人を匿名で批判するというのは、「便所の落書き」という言葉に代表されるように、昔から道徳的に感心できず、本来人の目に触れる前に消去すべきものという常識があります。wikipediaが「便所の落書き」に成り下がらないためにも、wikipedia側が見解のわかれる書き込みについては、書き込む側に極めて高いハードルを設けているのは、組織として常識的な対応だと思います。Fibonacci 2007年1月24日 (水) 05:46 (UTC)
だからこそ、書き込む側に設けられた「ハードル」をちゃんと超えている、あるいは少なくとも超えようとした形跡が見受けられるものは尊重したいのです。それを黙って削除・リバートする人がいて、理由を尋ねると訳の判らない独自研究の披露が始まり、最後には編集合戦の挙句に保護になるというパターンがあちこちの記事で見受けられます。ここもそうなってしまわないようにしたいものです。--Panpulha 2007年1月24日 (水) 07:23 (UTC)
なんか禅問答になっちゃってるんで、一応落としどころを。「ハードルを超えている」ものについては議論する必要なし、「超えようとした形跡がある」云々はよくわかりませんが、「ルール」は「ルール」としてあるんだから、書き込まれた時点でハードルを超えてないものについてはコメントアウト、長期間コメントアウトのものは削除、そんなところが運用上妥当なんじゃないでしょうかね。他の項目についてはよく知りませんがこの項目については。218.217.114.99 2007年1月24日 (水) 13:51 (UTC)

なんだか「ああいえばこういう」といった感じで、議論が平行線をたどっていますね。そもそも人の価値観を一致させるのは至難の業で(というより不可能かも)、信条の自由がある観点からは価値観を一致させる必要があるのかとも思います。その観点からは、中立性を選択するメディアとしては「何も書かない」を選択すべきかと考えますが。こういう議論をしていてもきりがありません。批判→反論→その反論 とおさまりがつかなくなるものは、元の部分からとってしまうしかないでしょう。どうしても批判を書かれたいかたは個人のブログ等でやっていただくということはできないものなのですかね。Buttonhole 2007年1月22日 (月) 09:57 (UTC)

ムバラク氏へ:批判項目以外に、個別立て可能な項目について、フェミニズムから削除して、個別項目に移していいのかというご質問について、ぜひ意見を聞きたいということなので、お答えします。私はそれで構わないと思います。それでフェミニズムという項目自体が見にくくなるとは思いません。むしろ見やすくなるのではないでしょうか。吉祥天子 2007年1月21日 (日) 14:07 (UTC)

吉祥天子さんへ。わかりました。では、保護が解除されたら、ここの記載を大幅に削除させていただきます。個別項目にまわすことで、肯定的な意見と批判を同じページで見ることができますからね。あとは、横レスなんですが、少なくとも中絶や男女共同参画はフェミニズムの主張だと思いますよ。中絶なんかは日本では表面化しにくいですが、アメリカでは今やフェミニズム団体の最大のテーマになっていますからね。確かに、女の問題ではなく、男女の問題だといわれればそうですが、女の問題に関して、男を切り離して考えることのできる問題は少ないと思います。むしろ、本来男女の問題として論ずるべき問題を女の問題として論ずるからこそ、フェミニズムに対する批判が出てくるんじゃないですか?例えば、雇用問題でアファーマティブアクションを採用するとします。そうすると、そのしわ寄せは結局は男性にくる。男性にも負担を課す問題であるからこそ、女の問題として、女さえよければそれでいいというスタンスで論じるのではなく、男女の問題として男性の負担や不利益にも配慮して論ずるべき問題です。男女の問題を女の問題として論じているからこそ、フェミニズムは批判されるのであって、ここを切り離しては、社会でおきているフェミニズムに対する批判がどういうものかを説明することはできません。そうである以上、両者を切り離すことはナンセンスです。そもそも、表裏一体なんだから、切り離すことは不可能です。 これはあくまでも個人的な提言ですが、今までのフェミニズムの手法は間違っていると思います。人間は感情で生きる生き物です。だからこそ、保守的な男性の感情を逆なでしないような、緩やかな変化を目指すべきなんです。保守化しているといわれている昨今、あまりに急進的な思想は、感情を逆なでし、敵を増やすだけですよ。そう考えると、急進的な思想は、近道のようであって通り道だと思います。Ronachan 2007年1月23日 (火) 04:53 (UTC)ムバラク

ムバラクさん、あなたの意見は一意見であり、個人感情にすぎません。逆に、ある程度は急進的なことをやらないと、実効性がないという人だっています。例えば、閣僚の中に女性を一人か二人ポンと放り込んでも、反対意見を述べたところで多数決で負けてしまうし、いつも敵対する意見を言ってばかりでも自分が冷遇されるだけだから、結局は男性の意見に同化せざるをえなくなってしまう。男性に感情があるのと同様、女性にも感情はありますから、男性が感情的になったところで、女性の感情を動かすことはできません。218.226.121.104 2007年1月23日 (火) 06:23 (UTC)
私は、1か0を目指すのではなく、0・5を目指せと言っているのですよ。瑣末な問題にこだわって、そこで無駄に敵を増やす。それが果たして戦略的に優れているのかと問われたら、私は否と答えます。何でもかんでも攻めるのではなく、譲るべきところは譲り、攻めるべきところは攻める。それができていないから、今のフェミニズムは敵をどんどん増やしているのだと思います。男も女も感情があるというのなら、両者の感情を害さないような、妥協案を提示し、それを目標にしていくのが、近道だと思います。フェミニズムがなぜ、こんなにもネットで叩かれているのかをよく考えた方がいいと思います。私は単にフェミニズムを批判しているのではありません。私には妹も姉もいますから、彼女達のことを親身になって考えると、フェミニズムに共感できる部分は多くあります。しかし、今の手法には疑問を感じざるを得ません。Ronachan 2007年1月27日 (土) 02:22 (UTC)ムバラク

①合意点 (箇条書)(議論禁止)

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※現時点で無し。

②未合意点(箇条書)(議論禁止)

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  1. フェミニズムの効力が認められない女性史を除くか否か
  2. フェミニズムを名指しした批判を除くか否か。

②の未合意点に関する議論

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二点ですね。

  1. フェミニズムの効力が認められない女性史を除くか否か

フェミニズムは女性に男性と同等の権利義務を与えるという思想が含まれるという観点からは、例えば「いつ誰により女性に参政権が与えられた」という歴史的記述は含まれるべきだと思います。

  1. フェミニズムを名指しした批判を除くか否か。

これには少なくとも三つ論点があります。まず(1)その批判が純粋に「フェミニズム」の批判といえるものなのか。(2)それについて単にソースが存在するというだけでなく、そのソースが客観性について定評があり、かつ信頼に値するものであるか。(3)そのソースの存在について容易に検証可能であるか。これらの立証責任はすべて批判を書き込む側にあり、立証不可能であれば、削除されてもやむをえません。現時点でこれらが立証されたといえる批判の書き込みが存在しないため、現時点では「フェミニズムを名指しした批判を除くか否か」について意見の一致を試みる必要がないと考えます。実際にケースが出てこないことには、どのような事案を指しているのかわかりませんから。220.147.34.42 2007年1月23日 (火) 15:29 (UTC)

  1. フェミニズムの効力が認められない女性史を除くか否か
同様に三つ論点があります。まず(1)その歴史が純粋に「フェミニズム」の歴史といえるものなのか。(2)それについて単にソースが存在するというだけでなく、そのソースが客観性について定評があり、かつ信頼に値するものであるか。(3)そのソースの存在について容易に検証可能であるか。
全く同じ基準を適用すべきものと思います。日本による朝鮮統治で朝鮮女性の識字率が上がったとしても、それはフェミニズムによるものではありません。奴隷制度で成り立っていた東ローマ帝国や、GHQの例、また最近の女性の進学率の上昇も同様です。--Album 2007年1月24日 (水) 00:16 (UTC)
Albumさん、単なるコピペじゃなく、あなたの論点を明らかにしないと何を言っているのか他人にはよくわかりませんよ。あなたは要するにフェミニズムを極めて狭義に解釈し、結果として男女の権利の平等につながっている施策であっても、「フェミニスト」といわれる人の強い働きかけがあるか、何か女性がデモ行進のような運動をしなければ「フェミニズム」だと認めたくないようですね。しかし「フェミニズム」の辞書的解釈に基づけば、「フェミニズム」は「思想」と「運動」の両方を含みます。朝鮮と東ローマ帝国の件については、事実自体が判然としないので、信頼できる出典がでてくるまでコメントアウトでかまわないと思いますが、女性の参政権の獲得と進学率の向上については、「女性が(に)男性と同等の権利を獲得する(させる)」という思想そのものであり、その歴史的事実自体を中立的・客観的なソース(例えば教科書や百科事典)で確認することは極めて容易だと思います。Fibonacci 2007年1月24日 (水) 06:15 (UTC)
私の意見とか貴方の意見とかではなくて、要するにWikipedia:検証可能性に即して判断する、ということです。「フェミニズム」と明記して功績の記載がある出典があれば書く。批判も同様。出典が無ければ書けない。拡大解釈はしない。ただそれだけのことです。一応、私はここでは一日一回の登場を原則にしたいので(チャット状態にしたくない)今日はこれまで。--Album 2007年1月24日 (水) 06:53 (UTC)
上野千鶴子が「ザ・フェミニズム」でフェミニズムは「女性解放論」だっていってましたよ。「女性解放運動」で別ページが立ち上がってますから、このページで詳しく書く必要はないかもしれませんが、項目として紹介するのはいいのでは?218.217.114.99 2007年1月24日 (水) 13:34 (UTC)
Album氏へ。純粋にフェミニズムに対する批判だといえるのかどうかについてですが、そもそもフェミニズムとうい思想自体、色々な思想と重複しますよね。男女平等であったり、ジェンダーフリーであったり。重複する以上、フェミニズムだけに対する純粋な批判というのは成り立ちにくいのではないですか?逆にお聞きしますが、他の問題と重複しない、純粋にフェミニズムに関する記述以外は削除してよいということでしょうか?男女平等のくだり、男女平等思想と重複しますので、削除してよいのですか?フェミニズムという概念は多義的であり、かつ色々な分野の問題と重複する問題である以上、関連する問題に対する批判であれば、それはフェミニズムに対する批判として記載を許すべきです。その際、フェミニズム全部に対する批判ではなく、重複する部分に関する批判であることを明記しておけば問題ないのではないでしょうか。

例えば、女性天皇問題についてはどうでしょう。田島陽子氏、遙洋子氏、上野氏、紙谷教授などフェミニズムに傾倒していらっしゃる方や、フェミニズムを研究している学識経験者らが、女性天皇を支持しています。そして、私の見る限り、女性天皇を認めることはフェミニズム思想と整合的です。彼女達は、公のメディアを通じて、女性天皇を支持しています。仮に書籍がなくとも、学識経験者らがTV等で述べたことは、情報ソースになりますよね?ウィキペディアの基本方針にそのように書いてあります。彼女達の主張に対し、日本の右派の論客は批判しています。これは、フェミニズムに対する批判として記載が許される事項であると考えます。 あと、付け加えると、学問的に正しいのかどうかではなく、社会において実際に、フェミニズムに対して行われている批判を書くことは問題ないと思います。ウィキペディアが禁じているのは、実際にそのような批判が無い、もしくはネットなど信頼性の低いメディアでそういった批判が行われている場合に、その書き込みを禁じることですよね。例え、学問的に正しくなくても、信頼性のあるメディアで批判されている内容であれば、その批判は書き込むことは可能であると考えます。真実を書いたり、正しいことを書いたりする必要はなく、信頼性のあるメディアでそういった批判がなされていることが大事なのですから。Ronachan 2007年1月27日 (土) 02:27 (UTC)ムバラク

女性天皇に対する批判は女性天皇の問題であり、フェミニズムに対する批判とするのは整合性に欠きます。小泉前首相をフェミニストと評していいかは微妙ですが、彼は女性天皇を容認しています。石原都知事は明らかにフェミニストではありませんが、彼が女性天皇を容認しても別におかしくはありません。小泉チルドレンのうち唯一独身の佐藤ゆかりは女性天皇に反対しています。よって、フェミニズムを基本的に支持する人の間でも見解がわかれる項目で、女性天皇についての批判は女性天皇の記事で掘り下げればよいのであり、わざわざフェミニズムの項目で詳細に論じる必要がありません。その余のムバラクさんのご意見は独自の見解というべきものにすぎず、そのようにご自身が思っていらっしゃるのであれば、ご自身のブログ等で持論を展開されればよいだけです。Fibonacci 2007年1月27日 (土) 09:29 (UTC)

女性天皇や女系天皇などの皇位継承問題をフェミニズムの議論にするのは、かなり違和感があります。この方面については不勉強ですが、そもそも女性天皇・女系天皇を容認する意見書をまとめた学識経験者などの委員会も、テレビなどを見ているかぎり男性が大半でしたよね。あの方たちはフェミニスト?なのでしょうか・・・? 世論調査でも、女性天皇や女系天皇を容認する意見は多数を占めていましたけど、別に日本国民にフェミニストが多いわけでもありませんし。フェミニズムに対して否定的な思いを持つ方は、日本の象徴である天皇が女性になるということに、かなりの心理的抵抗を感じ、女性天皇が成立してしまうとなし崩し的にフェミニズムが進むのではないかと心配されるお気持ちはわからないでもないですが、女性天皇・女系天皇に対する批判をフェミニズム批判の項目に含めるのは第三者としてはかなり奇異に感じます。Buttonhole 2007年1月27日 (土) 14:23 (UTC)

それは、他の項目についても同じですね。妊娠中絶にしろ、夫婦別氏にしろ、女性天皇にしろ、男女共同参画社会にしろ、世論調査をしていれば、多数の人が賛成する立場にあり、かつ項目によって賛成の度合いも違います。これは、人それぞれ、各々の項目毎に異なる見解をもっているということです。もちろんこれらの項目に賛成を表明する立場の人がフェミニストなわけではなく、フェミニズムそのものを強くサポートしている人とも限りません。だから個別項目につきフェミニズム批判にすり替えてしまうことが的外れなのであり、そのようなやり方は、とにかく「フェミ」(女)が悪いのだとする、単なるミソジニーといわれてもやむをえないでしょう。Fibonacci 2007年1月27日 (土) 16:19 (UTC)

上記の各問題につき、支持している人が必ずしもフェミニズムではないというのは理解できます。しかし、多くのフェミニストが肯定派に立っているのも事実であり、かつフェミニズムという思想とも整合的ではないでしょうか。もし、整合しないというのであれば その理由をご教授願います。 確かに、上記の各問題につき、フェミニズムと全くイコールに扱える問題ではないことは確かですが、重複する問題であることは 間違いありません。例えば、男女共同参画やジェンダーフリー(表現に問題があるのであれば、社会的性差の否定と言い換えても いいです)はその典型といえると思います。完全にイコールでない問題をこの項目から省くのであれば、男女平等に関する記述や、 クウォーター制などの記述も削除してよろしいということですか?男女平等やクウォーター制は何もフェミニストだけが主張している 問題ではありませんよね。あなた方の理屈でいえば、これらの記述も削除していいということになります。 逆に、これらの問題はフェミニズムの問題として扱ってよいというのであれば、これらに対する批判も、フェミニズムに対する批判 の一部ということができるので、記載しても問題はありません。にもかかわらず、批判的な記述だけ排除しようというのは ウィキペディアの方針に反すると考えます。 また、別の視点からも、批判を書くことは許されると考えます。すなわち、文芸春秋など保守的なメディアで、上記の問題につき フェミニズム批判が展開されている以上、その批判の存在は暦とした事実であり、存在自体は真実です。かつ、検証可能です。 その批判が正しいかどうかはさておき、批判があること自体は記載することは許されるはずです。学問的に間違っている 批判は一切触れることができないのであれば、ジェンダーフリーの項目で、「生物学的な性差を否定する批判があるが・・・」という 記述も削除しなければいけません。それが不合理なことはご理解いただけると思います。ウィキペディアが禁じているのは、 ウィキペディアを通じてユーザー個人の意見を押し付けようとする行為であって、影響力の強いメディアでジャーナリストが述べている 批判までも記載することが許されないわけではありません。そもそも、フェミニズムは多義的なものである以上、何が正しいのかは ユーザーが個人で検証するべき問題でしょう。あなた方が正しいと信じる意見だけを書き、他は削除するという姿勢は ウィキペディアの方針と相容れないと考えます。Ronachan 2007年1月29日 (月) 01:34 (UTC)

>何が正しいのかはユーザーが個人で検証するべき問題でしょう。← これはあなたの独自の見解であり、ウィキペディアの見解ではありません。 ウィキペディアの方針は「客観的に」正しいと証明できない意見については削除するというものです。 抽象論をぐちゃぐちゃと述べるのではなく、現在あなたがこの記事について客観的に正しくないと思う記述があるなら、それを具体的に指摘して、具体的にどの部分を削除したいのか述べて下さい。 何度も言いますが、ウィキペディアはあなたが自分の考えを述べる掲示板ではありません。 それはあなた自身のブログでやって下さい。 Fibonacci 2007年1月29日 (月) 15:04 (UTC)

何も自分独自の考えを書いて、後はユーザーに検証させようといっているわけではありませんよ。公に出版されている 書物に記載されている見解を載せることは、許されてしかるべきだといっているんです。批判的な意見を削除しよう とする人たちは、公の出版物を出典として示しても、「それは学術的に間違っているから」と勝手に削除してしまう。 それはウィキペディアの方針に反すると言っているのです。それは、ウィキペディアが禁止する「独自の調査」で 真実を発見し、それを反映させたことになります。ですから、私は、仮にも公の出版物に記載されている見解が 記載された以上、それを削除しないで、それが間違っているという意見の書かれた公の出典を示した上で反論となる 記載をすべきだと言っているのです。あなた方は、フェミニズムという多義的な価値観、概念を含む問題に関して、 勝手に自分の中で、正しい意見と正しくない意見を作り出し、正しくない意見を無断で削除する。それはウィキペディアの 方針に反するものです。例えば、女性天皇問題に関して、文芸春秋では、ジャーナリスト達が、フェミニズム的な 発想だと批判しています。それをフェミニズムに対する批判であると、私は出典をしめして、批判的な意見の例として 引用させていただきたい。これは、ウィキペディアの方針に沿った行為であると考えます。Ronachan 2007年1月30日 (火) 07:03 (UTC)

話の繰り返しになりますが、ウィキペディアの検証可能性は単にソースを示すことだけには留まりません。ソースが信頼できる情報源であることが必要だということです。女性学を専門としていない政治家が女性学に関する発言(たとえば石原慎太郎が女性学について独自の見解を披露)をしても、それは信頼できる情報源ではありません。Fibonacci 2007年1月30日 (火) 12:11 (UTC)

「女性天皇問題」を「フェミニズム的な発想」だと批判することは、それは「女性天皇問題」と「フェミニズム」が別の問題と認めている(女性天皇問題とフェミニズムの問題は別問題として考えるべき)ということですから、「女性天皇問題」に対する批判とできる可能性はあるかもしれませんが、「フェミニズム批判」と考えるのは明らかに的外れで、ウィキペディアの方針に沿ったものではありません。Fibonacci 2007年1月30日 (火) 12:11 (UTC)

ひさしぶりに来ました。フェミニズムが多義的だと言うためには、出典が必要です。そして、本当に一人一派であると証明されれば、フェミニズムはヒト別に分割すべきでしょう。この項目は削除依頼に出して、フェミニストごとに記述しましょう。定義できないならば。「定義」とは排他的なものです。多義的な項目は排除します。Album 2007年2月2日 (金) 16:13 (UTC)

フェミニズムの解釈は人によって異なるというのは、albumさんもお持ちの「ザ・フェミニズム(上野千鶴子ほか)」に書いてありますよ!確認してみてください。218.226.121.77 2007年2月3日 (土) 04:40 (UTC)

フェミニズムの項目を削除するっていうより、冒頭の短い定義だけ残して、男女共同参画男女同権女性解放論・運動、ウーマンリブなどの個別項目に誘導するのなら、別にいいかと思うけど。(ほかに何かありますかね?)今この記事で充実してる部分で他の記事にはない部分は、どこかの記事に入れこむことができるでしょう。(できなければその項目だけ別記事を作ればよい。)若王子 2007年2月3日 (土) 15:43 (UTC)

若王子さんの意見に賛成。あえて付け加えれば、その他「女性史」を追加したい。これならGHQも日本軍も進学率上昇も記載出来ます。たとえば、フェミニズムによるものではなく、自民党の功績によるもの、あるいは厚生労働大臣の功績でも。--Album 2007年2月5日 (月) 09:53 (UTC)
若王子さんの提案内容でいいと思います。Albumさんの「女性史」の追加にも異論ありません。--Buttonhole 2007年2月10日 (土) 04:26 (UTC)
>フェミニズムの項目を削除するっていうより、冒頭の短い定義だけ残して~
それは「フェミニズム批判」を移動するという事でしょうか?フェミニズムの記事自体を移動するという事ですか?後者でしたら大反対ですけど。--Vlp 2007年3月7日 (水) 12:55 (UTC)

元はGQHが達成した女性参政権などのフェミニズムの効力が認められない女性史を移動するかという論題なので大した移動は起こりえないと思います。但しGHQが日本で男女平等政策を推し進めたのもアメリカ本国でのフェミニズムが深く関係してるので関係ないとは言えないと思うんですけど。(と言うか殆どの女性史?でフェミニズムは少なからず関わってるんですけど。)--122.209.112.163 2007年3月9日 (金) 06:27 (UTC)

Template:Unreferenced のリダイレクト化について

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(複数のノートへのマルチポストです。同じメッセージを各所でご覧になるかたにお詫び申し上げます。)今年初めから Wikipedia‐ノート:出典を明記する での合意事項に基づいて、これまで使われていた Template:Unreferenced を廃止し、新たなテンプレート(Template:未検証Template:出典の明記Template:独自研究)のいずれかに置き換える作業を行なってきました。最終的には「Unreferenced」を「未検証」へのリダイレクトとする予定です。現在本記事には「Unreferenced」が貼られておりますが、同時に保護がかかっているために置き換えがかなわない状況にあります。そこで本記事は現状から編集せずとしてはどうかと思っております(リダイレクト化により見かけ上「未検証」に置き換わる形となります)。保護が解除されたとき、あるいは議論でテンプレート変更の必要について提案・合意があった際に管理者伝言板などを通してより適切なテンプレートへの置き換えを行ってはと思います。2週間ほどお待ちしますので、この手順、あるいはテンプレートの選択についてご意見、ご提案がございましたらよろしくお願いします。なお、本作業では 「観点」「保護」テンプレートには変更は加わりません。--スのG 2007年4月15日 (日) 20:10 (UTC)

テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分け

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テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けについて意見のすりあわせを行い、ある程度の統一見解を作りたいと思います。

ご意見をお持ちの方はTemplate‐ノート:Unreferenced/テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けまで。 Penpen 2007年6月23日 (土) 00:11 (UTC)

保護解除に向けて

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保護となって半年以上が経過しています。複数のテンプレートはもちろん、その間に画像もリンク切れとなり、わずかの間にこの「フェミニズム」の項は、見るからに荒廃と老化の一途をたどっています。いろいろと意見の相違があることは、この世界に居る方ならばご承知のことと思います。まずは、現状改善のため、「保護解除の一点」において合意の形成をお願いしたいと思います。・・・いかがでしょうか?--Album 2007年7月28日 (土) 13:12 (UTC)

Wikipedia:保護解除依頼からきましたAnnogooです。以後よろしくお願いします。編集合戦が保護の理由だそうですが、編集に携わった方はログインユーザーの方ばかりでした。つまりこのログインユーザーの方たちがある程度の合意に達しないと、保護解除してもまた編集合戦のおそれがあると思います。具体的に名を挙げるとAlbumさん、Taokaさん、The Sideさんの計3名。それぞれ考えの違いはあると思いますが、お互いを尊重して、編集合戦にならないよう気を使い、大きな編集をする際はこのノートで合意してからするという意思を示されたなら保護解除は妥当かと。--Annogoo 2007年7月30日 (月) 06:24 (UTC)
よろしくお願いいたします。・・・Taokaさんは、例の「NETA」なので、無期限投稿ブロックとなっています。いったいどうすればよろしいのでしょうか?The Sideさんにだけでよろしいでしょうか?--Album 2007年7月30日 (月) 12:11 (UTC)
編集合戦に至った際、おもにTaokaさんとAlbumさんが対立していた感があるので(ノートでの議論など)、片方のTaokaさんが無期限ブロックになったなら編集合戦のおそれは無くなったとみていいでしょう。ただ失礼ながらAlbumさんにも、編集合戦となった責任はあると思いますので(短期間のうちに、本文の編集を何度も行った)、そこはノートでの議論を尊重し、結論がでるまでは大きな編集をしないことを誓っていただかないと、また編集合戦が起きそうで心配です。すみません、新参が偉そうに。--Annogoo 2007年8月1日 (水) 15:24 (UTC)
毎回思うんですが、荒らしによる編集合戦の度に合意形成してたらキリがないと思いますが。ただでさえウィキの利用者は倍増してるというのに。--BlueSkyWhiteMoon 2007年11月3日 (土) 00:40 (UTC)
Taoka(無期限投稿ブロック)というソックパペットとの対峙によって編集回数が増えてしまいました。手を入れる必要のある部分は多いので、変な約束はできかねます。・・・ですから、今回は現状の惨憺たる状態のまま放置することにします。その方が検索してこの項にやってくる未来ある子供たちのためになるかもしれません。ある意味、テンプレートだらけで画像もデッドリンクになった怪しげな現状は、フェミニズムの現状を正確に表しているとも感じているからです。今回は取り下げて、私のウォッチリストからもこの項を外します。--Album 2007年8月10日 (金) 22:14 (UTC)
フェミニズムの記事なのに、過激な反フェミ派の人々ばかり編集するからこういう事態になるんですよねえ。フェミニストの人はネットを全くやらない(知らない?)んでしょうかね。とりあえず荒らした奴はブロックされたようですし1人の馬鹿のために編集できなくなるのも見ていられないので保護解除を出したいと思いますが。--BlueSkyWhiteMoon 2007年11月3日 (土) 00:40 (UTC)
全保護されてから、まもなく1年です。ログインユーザーまでも編集できない現在の全保護という状況がこの先何年も続きますと、本記事は全く発展しなくなってしまいます。1年間という冷却期間も充分であると考えますので、保護解除に賛成いたします。--Race 2007年12月16日 (日) 13:00 (UTC)
私も色々と手直ししたくなりましたので合意形成(何の合意なのかわかりませんが・・・)致します。
しかしこの酷い状態で1年間保護って百科事典として全く機能してないですね。--BlueSkyWhiteMoon 2007年12月23日 (日) 21:12 (UTC)
(報告)お待たせしました。当項目の保護が解除されました。様子見での解除ですので、慎重な編集をお願いします。なお、ソクパなどの荒らし被害がありましたら半保護依頼をお願いします。--しげ坊 2007年12月26日 (水) 12:16 (UTC)

保護ページの編集依頼案 - 『婦人問題』(1910年)リンク追加

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Wikipedia:保護解除依頼 で Album さんが 2007年7月28日 (土) 06:39 (UTC) に「外部リンク『婦人問題』(1910年)を付記したい」旨、発言しておられます。 それに対し、しげ坊さんが保護ページの編集依頼を 2007年7月28日 (土) 10:50 (UTC) に提案なさっています。確かに、保護解除への合意に手こずりそうで、かつ、単純な修正をしたいときは、しげ坊さん仰せの方法が有効だと思います。

具体的方法は、まず最初に、少し様子を見て異論がなさそうな気配を確認します。次に、どなたかが「今から3日 (72H) の間に異議がなければ Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼 で依頼します」と、宣言します。詳しくは Wikipedia:保護の方針#単純な修正 をご覧ください。

残念ながら私自身はこの方面に詳しくなく、この外部リンクを追加すべきかどうか議論する知識がありません。どうぞ皆さま Wikipedia:外部リンクの選び方 等々の方針・ガイドライン類をご参考に、宜しくご判断の程お願いいたします。 --Kanjy 2007年7月31日 (火) 13:13 (UTC)

申し訳ないのですが、依頼を取り下げます。現状で放置しましょう。--Album 2007年8月10日 (金) 22:14 (UTC)

中立タグについて

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ざっと見渡したところフェミニズムについて事実が述べられているのみで中立性に問題があるとは思えないのですが具体的にどのあたりに問題があるのか示していただけないでしょうか。--BlueSkyWhiteMoon 2007年12月27日 (木) 09:04 (UTC)

中立性に関する仰々しいタテマエは脇において放言、いや、堅苦しくない感じに表現すると、こういった「賛同者と否定者が両方そこそこいて揉めそうな記事にはとりあえず付けておけ」みたいな勢いもあるみたいなので、突っ込んだら負けなのかもしれません。GcG / avatar of femtowaros 2008年1月8日 (火) 07:23 (UTC)

「フェミファシズム」なる語について

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「フェミファシズム」なる語をたまに目にしますので、wikipedia上ではどう解説されているのかさらっと調べてみたところ、記事・言及が見つかりませんでした。世の中に流布している語句について収集を行い、解説して百科事典的な価値を上げるべきであると私は考えていますので、何かしらの記事においてこの語を言及したいのですが、どちらが適切でしょうか。blogやら2chでの使用例が多々ひっかかりましたが、信頼できる文献における言及例(一例:家族を蔑む人々―フェミニズムへの理論的批判ISBN:9784569622613 林道義 PHP研究所)も存在しており検証可能性は問題ないと考えられます。GcG / avatar of femtowaros 2008年1月8日 (火) 07:23 (UTC)

林道義は極端な主張の持ち主で、今や国際的に定着した概念であるフェミニズムを、個人的嗜好から執拗に攻撃している人物です。社会の発展による自然な流れである女性の発言権の拡大を、フェミニズムのせいにしているだけで、話になりません。------Haiji 1月22日(火曜日) 13:07

「ネット右翼/左翼」・「自虐/自慰史観」なんて語句も、結構政治的に偏った方々によって吹聴され、しかも結構定着して項目まであるわけですから、バックグラウンドを解説したうえで語句を紹介する分には問題ないと思いますが。GcG / avatar of femtowaros 2008年1月24日 (木) 06:25 (UTC)

そういった下らないスラングを記すことでフェミニズムの記事にとって何か有益があるのですか?--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月2日 (土) 20:26 (UTC)

社会科学の一タームを取り巻く環境の変化と世間の反応について知見を示すことは、知識の集積という意味合いから有効有益でしょう。私は自然科学畑の人間ですから社会科学については知見がありませんが、この語については興味深く感じています。GcG / avatar of femtowaros 2008年2月3日 (日) 20:51 (UTC)

反フェミニズムの記事にでも書いたらよいのでは・・・削除されるかもしれませんが--220.102.17.78 2008年2月28日 (木) 15:46 (UTC)

「様々なフェミニズム」の項目

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これについては思想名称を記しているのみであり出典は不要であると考えられるのでタグは除去します。--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月2日 (土) 20:32 (UTC)

「第二次世界大戦前から一部では女性の選挙参加も認められていた」

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とありますが女性参政権の記事およびそれについて調べたところ、そのような事実はありませんでした。確かに1878年に高知県で参政権が認められていますが2年後に廃止されています。これの事を指しているのでしょうか。でしたら「一部では認められていた」という言い方は修正する必要があります。--125.196.161.242 2008年4月17日 (木) 04:40 (UTC)