ノート:ピンポン外交
第41回世界卓球選手権での統一コリアチームについて
[編集]第41回世界卓球選手権での統一コリアチームについて、当初出典を示せずに記述していたところ、記述の除去や下にあるように、私の会話ページで下のようなやりとりをいたしました。
この記事の方向性として、米中関係のピンポン外交のみに内容を限定して、第41回世界卓球選手権に関するピンポン外交は、別記事あるいは、他の記事と統合するのが適当であるかどうか、広くコメントを募集します。選択肢としては主に次のいずれかになると思います。
- 米中関係の内容も、このまま1つの記事にまとめたままとする(今後特筆すべきピンポン外交が行われた場合、さらに加筆も可)。
- 統一コリアに関する記事を分割し、米中関係の内容のみとする(今後南北朝鮮に関し特筆すべきピンポン外交が行われた場合、さらに加筆も可)。
- 統一コリアに関する記述は、独立記事とするには十分な内容ではないことから、他の記事と統合する(統合先としては複数考えられます。)。
国同士の外交的な側面を重視して考えた場合、今のところ両国の政治家がこれに大きく関与した情報は確認できておりません。米中の関係改善に比べ、単に世界卓球選手権の1大会で混成チームが作られ、優勝しただけという見方も考えられます。一方、政治的な外交ではなく、スポーツを通した交流という側面から見た場合、世界選手権で8連覇中の中国を破るために、統一コリアチームが結成され、女子団体優勝という成果をあげた面があります。スポーツ史として考えた場合、雑多な内容ではないように思います。ピンポン外交として日本で扱われていることを示す出典として、卓球関係のものや映画関係のものだけでなく、[1][2]といったものもあり、少なくとも卓球界でしか呼ばれていない言葉ではないでしょう。
別記事を立てる場合ですが、適切な記事名としてはどういったものが考えられるでしょうか。当時国際卓球連盟会長は、日本の荻村伊智朗で、統一コリアの実現には荻村会長の影響があります。スポーツにおける南北朝鮮による統一的行動は、卓球以外でも行われていると思いますが、「統一コリアの活動」という曖昧な記事名ではなく、「ピンポン外交 (南北朝鮮)」(南北朝鮮の人物の関わりが、現状では合同チームが結成されたこと以外見えてませんが)などの方がより適当だと思います。
別記事を立てる場合にしろ、他の記事に統合するにしろ、そうした選択肢を取る場合は、冒頭で「Otheruses」により誘導することになると思います。統一旗も一つの選択肢かと思いますが、統一旗における、第41回世界卓球選手権や、映画も作られたことを書くとした場合、全体のバランスから適切な文量と言えるでしょうか。統合するとすると、第41回世界卓球選手権に統合する方がより適当なように思います。
個人的には、記事を閲覧される方には、外交記事としての閲覧者以外に、卓球関連記事としての閲覧者も多く考えられ、一つの記事にまとめたままが適当と考えております。--Tiyoringo(会話) 2013年5月29日 (水) 04:23 (UTC)
- Tiyoringo様、基本的に第41回世界卓球選手権への統合に賛同いたします。ただその場合、映画に言及されている部分が雑多な内容に該当する懸念があります。ピンポンにおける統一コリアを作成することも一案と存じます。“卓球関連記事としての閲覧者~”につきましては、関連項目のリンクを辿っていただくのが賢明かと考えます。--うたた猫(会話) 2013年5月29日 (水) 16:50 (UTC)
コメント依頼から来ました。「ピンポン外交」という言葉ですが、ざっと検索した限りでは1971年の大会での出来事をさす用法が一般的で、その後の「卓球が関係する外交」をも「ピンポン外交」に含めるのは無理があるのではないかと考えます。Tiyoringoさんが 2013年5月29日 (水) 04:23 (UTC)に挙げた[3]では《中国が国際復帰するきっかけとなった「ピンポン外交」》、[4]の方も《過去の『ピンポン外交』》という表現で、1971年の第31回世界卓球選手権での出来事を指しているのは明らかであり、 第41回世界卓球選手権での統一コリアチームの話をピンポン外交の一種であるように位置づけることを正当化する根拠にはならないでしょう。現時点での記事内容は木に竹を接いだようで明らかに変です。統一コリアチームの話は当記事からは削除して第41回世界卓球選手権に転記すべきであろうと思います。「荻村は、中国とインドネシア両国の国交正常化についても7年間に渡って仲介役を務めた」という文も何故この記事に書いてあるのかわかりません。書くなら荻村伊智朗に加筆べきでしょう。--Kojidoi(会話) 2013年6月6日 (木) 11:38 (UTC)
- (愛 ピンポン大使:中)交流の歴史 高め合う選手・指導者 キーワード<ピンポン外交> 朝日新聞 2005年5月30日夕刊3ページで、ピンポン外交というキーワードの説明として、統一コリアチームの実現について説明されています。ピンポン外交という言葉は、特筆性のない民間交流や最近ですと、福原愛がピンポン外交といったように、利用されることもありますが、このケースでは、卓球の雑誌などによるものではなく、朝日新聞という媒体がピンポン外交というキーワードの解説に統一コリアチームの実現を含んでいます。報道時期についても、世界選手権千葉大会があった1991年でも、荻村が亡くなった1994年でもない時期に、中国についてのことと共に南北朝鮮についても含んでいるのですから、どの程度まで詳しく書くべきかはともかく、中国と関係するもの以外を全て、本記事から取り除くべきではないでしょう。日本以外の報道でも、ウォールストリートジャーナルで、「ピンポン外交が中国を破った」(When Ping-Pong Diplomacy Beat China)と取り上げられたり、2011年のカタールでの大会について、卓球を通した平和的な取り組みとして[5](英インデペンデント)[6](台北タイムズ)報道されています。コメント依頼提出時点では、過去の新聞報道や海外での報道についてまでは、調べることができておりませんでしたが、調べて見た限り、中国についてのものが大部分とはいえ、他の取り組みについてもピンポン外交として取り上げるに相応しいものだと考えます。--Tiyoringo(会話) 2013年6月6日 (木) 14:07 (UTC)
会話ページでのやりとり
[編集]当該記事は1971年に名古屋市で行われた米中の重要な外交に関する記事です。 本稿において「その他のピンポン外交」の記事は蛇足であり、記載の価値なしと判断し、削除いたしました。 削除の取り消しに際しましては、米中外交との関係につき、出典をお示し下さい。--うたた猫(会話) 2013年5月28日 (火) 15:47 (UTC)
- ピンポン外交については、米中外交とは別に、卓球を通した民間外交の側面もあります。なお記述については出典をもとに加筆して復帰しました。--Tiyoringo(会話) 2013年5月28日 (火) 23:00 (UTC)
- 早速ご回答戴きまして有り難うございます。見てお判りと存じますが、同項目は米中外交とは独立した事象でありますので、別途“統一コリアの活動”(仮称)のページを設けるか、統一旗のページに統合すべきと考えます。このままでは当該記事が「雑多な内容」に該当するかと存じます。--うたた猫(会話) 2013年5月28日 (火) 23:19 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「ピンポン外交」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月17日 (日) 14:35 (UTC)