ノート:ドレフュス事件
この記事は2020年10月8日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
著作権侵害のおそれ
[編集]この記事の2005年9月29日 (木) 08:02時点における版で加筆された内容が、太田隆『シャーロック・ホームズの経済学』青弓社、2011年が事件に言及している箇所に似ています。特に「事件の背景」の節が似ており、最後にブーランジェ事件をかっこ書きしているところまで一致しています。歴史的事件は何をどういう順で述べるかが決まっているものですが、ここまでは一致しないと思います。書籍の方が後であり、歴史の本ではありませんから、書籍の著者と記事の加筆者が同じ資料を見ているということなのでしょう。資料を特定するのは時間がかかると思いますから、この版に由来する文言は書き直しておいた方がよいと思います。--西村崇(会話) 2020年9月20日 (日) 01:37 (UTC)
- 転載元を発見しました。2005年9月29日 (木) 08:02 (UTC) の版番3079405の加筆部分のうち「普仏戦争に敗れ、」から「取り戻すことができたのである。」までの部分、つまり加筆部分の全文は、以下の書籍
- 綿引弘『世界史100の大事件: これだけは知っておきたい!』三笠書房〈知的生きかた文庫〉、1999年。ISBN 4837970567。
- の250-252ページ「70 ドレフュス事件 フランスの民主主義を進めた冤罪事件」からのほぼ丸写しでした。転載元書籍では冒頭に3行の短い概要がありますが版番3079405ではそれを省き、転載元では細かく段落分けされている文章から改行を削って少数の大きな段落にまとめている他、転載元の「失敗した(ブーランジェ運動)。」を版番3079405では「失敗した(ブーランジェ事件)。」とし、転載元の「憎悪をたかぶらせた」を「憎悪を昂らせた」とするような些末な違いはありますが、一文一文の対応が取れるほどそっくりです。取り急ぎご報告まで。--侵入者ウィリアム(会話) 2020年10月3日 (土) 21:03 (UTC)
この記事の2005年9月29日 (木) 08:02時点における版における加筆と、太田隆『シャーロック・ホームズの経済学』青弓社、2011年、この本が参考文献に挙げている中山治一 編『世界の歴史 13 帝国主義の時代』中央公論社〈中公文庫〉、1975年。、綿引弘『世界史100の大事件』三笠書房〈知的生きかた文庫〉、1999年の3冊を比較すると、気付いたこともあったのですが、ここでは詳述しません。『世界史100の大事件』に対する著作権侵害のおそれとして削除依頼に出しました。依頼提出時に削った部分は『世界の歴史』を参照しつつ復元しましたが、最小限の記述にとどまります。なぜか「フランス語から翻訳しろ」というタグを貼っている方がいらっしゃいますが、この事件は2012年5月28日 (月) 03:17の版でただ書誌情報だけが加筆されているように、日本語でも多数の参考文献があるわけです。この状況で日本語文献で記事を充実させることができないのは情けないことですので、外出して文献を読むことができる方はぜひ整備をお願いいたします。
気になる点を挙げておきます。まず、1882年の件で事件前から反ユダヤ人ムードが高まっていた、と『世界史100の大事件』にはあるのですが、ドレフュス事件とこの件を結びつけるのは一般的なのでしょうか。『世界の歴史』はこの時期のフランスは絶好調だった、という書き方でしたので復元の際にそのように書きましたが、1882年の件と関連付けるのが普通でしたらそのように書き改めをお願いいたします。次に「偽証と軍事機密」の記述は事件のどの段階に対応するのでしょうか。この節は2008年1月7日 (月) 11:27時点における版で新設され、加筆されてきたものですが、無罪である可能性が高まったのがいつのことなのかわかりません。「元首相」が「ブリッソン元首相」に直されたりしているので、加筆した方々の間では話がつながっているのでしょうが、ブリッソンが声明を出す場面も簡単には見つからず、私にはいつの話かわかりません。ご存知の方は何年の状況なのか加筆してくださいますよう、お願いいたします。--西村崇(会話) 2020年10月11日 (日) 12:12 (UTC)
補足。そもそも、事件そのものについて書いたこの記事、事件の関係者だから知られているアルフレド・ドレフュスやフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ、事件があったから発表された『私は弾劾する』など、同じような記事をいくつも維持するのは無理だと思います。事件記事に寄せればよいのではないでしょうか。--西村崇(会話) 2020年10月17日 (土) 16:02 (UTC)