ノート:ダフニスとクロエ (ラヴェル)/過去ログ1
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吹奏楽による演奏について
[編集]この曲の吹奏楽演奏に関する記載(1/1付け編集)は、説明を「はしょりすぎ」に思えましたので、言葉をかなり加えさせていただきました。この部分、問題あればご指摘お願いします。58.81.123.144 2007年1月10日 (水) 15:31 (UTC)
あくまでも「ダフニスとクロエ」の記事なので、吹奏楽演奏について、コンクール特有の事情を詳しく説明するのは、脱線しすぎに思えました。いったん削除してみましたが、意見あればお願いいたします。58.81.123.144 2007年3月25日 (日) 14:10 (UTC)
同じ問題提起を繰り返しますが、吹奏楽演奏に関する記載はあくまでも、2007年1月1日 (月) 14:10の版を尊重し、はしょりすぎの部分に言葉を加えたものにすぎません。そもそも作曲者自身による吹奏楽編曲ではありませんし、ましてやアマチュア吹奏楽の話題を、この記事の中でこれ以上膨らませる必要はあるのでしょうか。58.81.123.144 2007年6月4日 (月) 14:06 (UTC)
- たしかに「ダフニスとクロエ」は全日本吹奏楽コンクール等各種吹奏楽の大会で大変人気が高い曲ではありますが、コンクール特有の事情の記述(「作曲者の意図を無視したカット」等)は一切必要ないと思います。その記述内容に関しましては全日本吹奏楽コンクールで既に記載されておりますし、「ダフニスとクロエ」のみの事柄ではなく、アレンジ曲全般に渡る問題点であると思います。「吹奏楽の編曲版も多く演奏される」というような表記はあっても問題ないと考えます。--Sky-blue (Talk) 2007年6月4日 (月) 14:40 (UTC)
「日本における受容」
[編集]この記事に限らないのですが、クラシック音楽の記事の中で時折みかける「受容」とは、人気・知名度とは違うものでしょうか?また、なにか客観的な判断材料を背景にしたものでしょうか?今回(2007年6月11日 (月) 11:52 220.211.9.160)追記された内容についても、特に「一般の知名度はまだまだ低いといわざるを得ない」「一般への受容も着実に広がっている」など、意味することがややわかりづらく思えます。58.81.123.144 2007年6月11日 (月) 14:07 (UTC)
- 日本語になっていない(全く矛盾している)ので差し戻しました。いずれにせよ、検証可能な典拠が示されていません。--ikedat76 2007年6月11日 (月) 14:49 (UTC)
- 冒頭文に一部復元しました。知名度が高いか低いかは個人によるそれぞれの基準があり、不明確のため記述しませんでしたが、「ダフクロ」という愛称で呼ばれていること、スペイン狂詩曲やボレロと並ぶラヴェルの主要管弦楽曲であることは間違っていません。--Sky-blue (Talk) 2007年6月11日 (月) 20:03 (UTC)
- 反応ありがとうございます。もっとも、「ダフクロ」は「愛称」というより、単なる略語ということはないでしょうか?58.81.123.144 2007年6月14日 (木) 11:40 (UTC)
- 冒頭文に一部復元しました。知名度が高いか低いかは個人によるそれぞれの基準があり、不明確のため記述しませんでしたが、「ダフクロ」という愛称で呼ばれていること、スペイン狂詩曲やボレロと並ぶラヴェルの主要管弦楽曲であることは間違っていません。--Sky-blue (Talk) 2007年6月11日 (月) 20:03 (UTC)
愛称というよりは略称でしたね。差し戻しされた版からそのまま抜き出したので、「略称」に訂正しておきます。--Sky-blue (Talk) 2007年6月14日 (木) 12:04 (UTC)
「実際の演奏について」
[編集]この部分について、「“あれもこれも、色んなのがある”と言っているだけで有意な情報なし」として削除された方がおります。こちらからは一旦UNDOさせていただき、ノートでの議論をお願いしております。
この部分、私がIPユーザ時代に書いたものであり、現実の演奏頻度の差や演奏形態を具体的に記したものなので「有意な情報なし」ということはないと考えています。ただしWikipediaとしての必要性・記載の妥当性は、意見が分かれるのかも知れません。その辺含め(他の執筆者も含め)意見をお願いします。総持寺 2009年1月2日 (金) 14:48 (UTC)
- 具体性のない曖昧な表現、すなわち、「非常に多い」「極めて少ない」「時折見られる」「最近では…多くなってきた」等の主観的表現が「頻度の差」という定量的なトピックについて有意なことを述べたというのは無理があります。「演奏形態を具体的に記した」についても、ありうる演奏のパターンを端から列挙しているだけですし、第1・第2組曲についてなら、すでに記述があります。演奏頻度について有意な記述があるならまだしも、ないのであれば、結局演奏形態に「“あれもこれも、色んなのがある”」といっているのと何ら変わりがありません。それだけでなく、同じような記述を繰り返しただけの冗長な記述であるに過ぎず、必要性が認められません。
- こうしたことを指して、「“あれもこれも、色んなのがある”と言っているだけ」に過ぎないし、それなのに記述を残しても「現実の演奏頻度の差や演奏形態」について何か有意なことを述べたことにはならず、したがって「有意な情報なし」と言っているのです。
- また、出典が全く示されていません。何らかの出典があって、そこで「もっともポピュラーなのはxxの演奏形態である」と述べられているならともかく、1ユーザーの印象論に過ぎない(かもしれない)記述を残しておく意義があるとは理解できません。
- なお、問題になっているのは「Wikipediaとしての必要性・記載の妥当性」云々というような高度な問題ではなく、冗長な文章を書かないという、ごく常識的な文章の書き方の問題でしかないと思います。もちろん、演奏形態や形態別の頻度について有意な情報(当然に出典を伴って)が書けるのであれば反対しませんし、興味深い記述になる可能性もあるかも知れません。しかし、そうでない限り単に冗長なだけで無駄な記述と判断せざるを得ません。--ikedat76 2009年1月2日 (金) 15:15 (UTC)
演奏形態については、舌足らずの字句を補いながら書き直してみました。演奏頻度の情報については、もうすこし考えてみます。総持寺 2009年1月4日 (日) 15:25 (UTC)
改善していない、もしくはますます悪くなっているようにしか見えません。それに節の名も再考を要します。
> ただしこれらが作曲者が想定した演奏形態であるかどうかは明らかではない。
わざわざこんなことを書く意味が分かりません。「作曲者の想定しない形で演奏されている」というのなら書く意味もあるでしょう。しかし、「作曲者の想定しない形で演奏されている」か否かが別にトピックになっているような楽曲でもないのに、こんなことを書くのは、ありもしないトピックを勝手に作り上げているようにしか見えません。
> 「第2組曲から『全員の踊り』」は、厳密には練習番号[193]から最後までであり、アンコールピースとしての演奏実例がしばしば見られる。
組曲の1部がアンコールピースとして演奏されることもことさらに書く意義は無いと考えます。組曲形式の作品の中の1曲が、アンコールピースとして1曲だけ取り出されて演奏される例など枚挙にいとまがありません。このように書く必要があるという論理を敷衍するなら、「xx組曲の○○はアンコールピースとして…」という記述をあちらこちらの楽曲でしなければならなくなりますが、そんな必要がどこにあるのでしょう。交響曲のひとつの楽章がアンコールピースになっている、とかいうのだったらまだしも、不要な記述でしかありません。
> 例えば最近では、ベルリン・フィルのヴァルトビューネ2005のアンコールで演奏されTV放映されたものが有名である。 その根拠は? 他の演奏例があるにもかかわらず「ベルリン・フィルのヴァルトビューネ2005のアンコール」だけがとりたてて取り上げられなければならない理由が理解できません。「最近」というのも理由になりません。なぜ最近の例でなければならないのか、過去の例では何故だめなのか、と反問できてしまいます。
これらの記述を取り除くと、私が編集した版と大差がなくなります。さらに文脈の明らかではない文を取り除けば、完全に同じものです。知っているからと言ってナンでも書けばいいというものではないのではないでしょうか。
また相変わらず出典が明記されていません。出典の明記なく、個人的な記憶だよりで書く限り、いつまでたっても「無駄な記述」の域を脱することは出来ないと考えます。1週間以内に出典の明記をともなって改善されない限り、再度除去します(1週間以内が難しければ、明確な期限を申し出ていただければ、その間お待ちします)。--ikedat76 2009年1月4日 (日) 15:41 (UTC)追記--ikedat76 2009年1月4日 (日) 15:51 (UTC)
- ikedat76さんのご意見を支持いたします。最初の段落は、上でのご指摘通り、2つの組曲を続けようがどうしようが作曲者の指示がない以上、演奏者の解釈あるいは興行主の都合というもので、ことさら曲の解説で取り上げる必要はないと思います。2つめのバンダと合唱についても、バレエ組曲を演奏会で演奏するのであるから「舞台上」が無効であることは自明でわざわざ記述する意味はありませんし、「舞台裏」が遵守されることもされないこともあるなんて事も書く意味があるとは思えません。3つめに至っては、「演奏実例がしばしば見られる」にもかかわらずなぜヴァルトビューネ2005を特別に取り上げるのかまったく意味不明です。なにかこの作品の演奏史において特記すべき演奏だったのでしょうか?「演奏会における、実際の演奏について」の項全体が不要と思われます。
- あと、「編成」の項のバンダと合唱についての注は「※」を使って本文中に書くのではなく、<ref>タグを使って脚注の形にすべきかと思います。--汲平 2009年1月5日 (月) 15:22 (UTC)
- 総持寺さんは何か誤解なさっているのではないでしょうか。
- 総持寺さんの編集(IPユーザ時代のもの含む)が、Wikipediaとしての必要性・記載の妥当性を持つか否かとか、楽曲記事として特に珍妙か否かとかいった、敢えて言えば“高級なこと”は全く問題になっていません。そのことは既に指摘しているはずです。
- そうではなくて、それよりずっと手前の基本的な部分、「普通の文章としての質」ないし「百科事典記事の文章としての質」が良くない、というか悪いからダメだと申し上げているのです。
- こんなことを言うのは失礼かも知れませんが、ご自身の編集をもう一度見直してみてください。私が最初に除去した段落を見てみると、2段落あわせてわずか7文しかありません。にもかかわらず、第1段落の全ての文に曖昧な表現(「非常に多い」「極めて少ない」「時折見られる」「例も多くなってきた」「例もある」)があります。同様に第2段落を見ると、「合唱が省略されることも多い(合唱を伴う演奏機会ももちろん多い)」のような矛盾した文章(「多いもの」がなぜ相反しているのか)や、「圧倒的に多い」「時折ある」という曖昧な表現しかありません。このような文章が、客観的な文章で書かれているべき百科事典記事にはふさわしいとお考えなのだとしたら、ちょっと(いや、非常に)困ります。
- それに「書き直し」と言いつつ、私の指摘したことが何一つ踏まえられていませんよね。私の指摘を踏まえたものだというなら、一体どこがそうなのか、少なくとも私には理解できません。--ikedat76 2009年1月5日 (月) 15:51 (UTC)
- すでに出されている意見と重なるところが多いですが、私の意見は以下のとおりです。
- 演奏会での実際の演奏形態として、「バレエ音楽全曲」、「第1組曲と第2組曲を続けて」、「第2組曲から『全員の踊り』」が挙げられているわけですが、「バレエ音楽全曲」と「第1組曲と第2組曲を続けて」の違いはなんでしょうか? そして、「バレエ音楽全曲」というのは、この記事項目で扱っている楽曲そのもののように思います。私には、これらは同じものを言い換えているようにしか見えません。
- また、『全員の踊り』が単独で演奏される実例がしばしばある、ということですが、アンコール・ピースの場合は正規のプログラムではなく、曲の一部分だけを演奏することは珍しくありませんから、特筆すべき事柄とはいえないのではないでしょうか。アンコールでなく、単独演奏される場合がしばしばある、ということなら、記事の概要部分か楽曲の第3部で記述することは反対しませんが、この場合でもとくに節を立てて述べるほどのことでもないでしょう。
- 以上から、総持寺さんにはせっかく加筆いただきましたが、当該節の必要性は乏しいと思います。ウィキペディアは百科事典なので、実演の細かな違いを書くことについては、演奏論に踏み込んでしまう恐れもあり、あまり意義を認められません。個人的な思い入れをなるべく排し、記事の構成面・内容面の充実を図る観点からどのような加筆がふさわしいか考えていただけると幸いです。--みっち 2009年1月6日 (火) 14:26 (UTC)
いろいろご意見ありがとうございます(井戸端から来られた方には感謝。参考になります)。この件、一旦修正を断念し、ゆっくり考えて改めて出直すことにします。総持寺 2009年1月6日 (火) 15:12 (UTC)
「吹奏楽、その他作曲者以外による編曲について」
[編集]演奏形態云々を除去する議論の最中ですが、そのすぐ次にある節「吹奏楽、その他作曲者以外による編曲について」についても、やはりこの曲について理解する上で有意な記述が無いと判断し除去しました。
作曲者以外による編曲が楽曲にとって顕著な重要性を持つ展覧会の絵の様な事例もありますが、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」に関してはそうした事情はありません。
> この曲は、吹奏楽編曲で演奏される機会がしばしばある(作曲者自身による吹奏楽版は存在せず、他の編曲家による譜面である。編曲譜も複数種類存在する)。
クラシックの管弦楽曲の吹奏楽用編曲やそれによる演奏は今では特に珍しいものではなく、特記する必要はないと考えます。
> 特に、アマチュア吹奏楽団がコンクールで演奏する機会は多い。その際、「第2組曲」の「夜明け」「全員の踊り」の部分を中心に、8分程度にまとめられることが多い。
既に2007-06-04 14:40:01 (UTC)版にてSky-blueさんが指摘されている通り、「コンクール特有の事情」「アレンジ曲全般に渡る問題点」をわざわざこの曲の記事に書かなければならない理由はありません。吹奏楽関連の適切な場所で適切な形で記述すればよいだけです。
> 作曲者以外による編曲としては、冨田勲がアルバム『ダフニスとクロエ』にて、「第2組曲」をシンセサイザーで多重録音したものがある。
冨田勲がクラシックの楽曲を題材としたのはダフニスのみならず惑星 (組曲)や火の鳥 (ストラヴィンスキー)など数多くあります。この曲だけ特別に書かなければならない事情があるとは考えられません。冨田がダフニスを取り上げたのは事実だとしても、それは冨田を知る上で必要な事柄ではあっても、ダフニスを知る上で特別な意味はあるとは考えられません。
何でも書けばいいというものではなく、記事の主題にとってどれくらい重要なのかをよく考え、トピックを精選して書いていただきたいと思います。--ikedat76 2009年1月6日 (火) 14:00 (UTC)
- 吹奏楽の記載は、私も編集に関わったことがあります(このノートの上の方)。折角誰かが書き残した内容なので尊重して書き直したのが発端だったのですが。今回削除されるというのであれば、特に異議はありません。総持寺 2009年1月6日 (火) 15:12 (UTC)