ノート:セレンディピティ
日本語に意訳した場合、『瓢箪から駒』や『棚から牡丹餅』では、少し意味が違うんでしょうかねぇ?NTJ会長 2006年2月20日 (月) 02:22 (UTC)
セレンディピティの代表例としてあげられているのはセレンディピティの「能力」の例ではなく、「現象」例ですよね。それらの発見が単なる偶然ではなく、努力を積み重ねた結果の必然でもなく、セレンディピティという能力のおかげだとどのように検証できるのでしょうか?
>フレミングが培養実験のときに誤って
とありますが、これは誤っただけなのでしょうか、それとも能力のおかげなのでしょうか。結果的に大発見に繋がった失敗や誤りや偶然を、後付でセレンディピティと呼ぶのだとしたら、それはやはり起きた現象の事を指しているだけですよね。もし本当にセレンディピティという能力があるのだとしたら、セレンディピティという能力を持ちながら成功しなかった人の例も掲載すべきだと思います。でなければ、「セレンディピティなんて、成功事例に対する後付の呼称じゃん」という疑問に反論できませんよね。辞書の説明はその用語がどういう意味で用いられているかの説明にすぎず、その能力が実在するかどうかとは無関係ですから、根拠として用いても説得力がありませんし・・・。
あと
>それ相応の理由があるからで
これは濁さずに明確にすべきだと思います。--Mo-rin 2008年2月25日 (月) 09:43 (UTC)
大きな発見や新しい発見につながった誤り、偶然をセレンディピティと呼ぶのではなく、失敗や偶然を大きな発見や新しい発見に結びつける能力をセレンディピティというのではないでしょうか。
例えば、『誤ってコンタミネーションを起こしてしまった』ことが偉大な発見に導いたわけではなく、その誤りによって起こった事実を探求した結果、大きな発見に結びついたわけですね。
常人が、『失敗した』で終わるところを、終わらせないところが『セレンディピティという能力』といえるのではないでしょうか。 --Chiichiro 2009年3月28日 (土) 13:19 (UTC)
意味
[編集]本当にセレンディピティって能力を指す言葉なのでしょうか?「思考の整理学」の中では現象を指す言葉みたいにいわれてますが・・・
- 要するにオカルトなんですよ。オカルト。
何の関係が?
[編集]セレンゲティ国立公園は何か関係があるのですか? 単に名前が似ているだけ? セレンディピティ国立公園だとか、セレンディピティが名前の由来であるとかならまだしも、何の関係もないのなら書く必要はないのでは?--Aetos 2010年3月25日 (木) 06:21 (UTC)
キチン?
[編集]キチンのエピソードはキチンを見ても詳しく書いてありませんが、「皮を剥がされたウサギにキチンを被せたところ、因幡の白兎のように再生した」というのはセレンディピティとして適当なのでしょうか? もともと、そういう再生効果を期待していた場合はセレンディピティではないわけですよね。--Aetos 2010年3月25日 (木) 06:24 (UTC)
- 事例として適切でない可能性が高いと思います。長年に亘って上記の状態のままでしたが、少なくともこの説明では該当するとは到底言えませんし、長くこの説明が放置されてきたこと自体も問題と考えます。ですので、コメントアウト化しました。そのうえで、編集の際の要約欄に「現在の内容以外による適切な説明が欲しいところです」との旨の要請コメントを残しました。ここにも書き込んでおきます。この状態でまた長いこと進展しないようなら、削除でいいと思います。--Cyclops(会話) 2018年1月24日 (水) 23:24 (UTC)
待ちぼうけ?
[編集]冒頭にある『待ちぼうけ』の事例について。ここでは歌詞に出てくる主人公は結局「棚から牡丹餅」「二匹目のどじょう」をアテにして自分の畑を台無しにしてしまうので、セレンディピティが本来示す効果と反対の効果が出ています。よって、「状況に近い」という描写は正しくないのでは?誤解を招くので、この事例を削除したほうがいいように思いますが。単なる推察や推理とセレンディピティは違うのでは?--W.Bowers (WB) 2010年11月30日 (火) 09:02 (UTC)
英英辞書
[編集]- 英英辞書では以下のように説明されている。
- Serendipity: the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident
- — Longman Dictionary of contemporary English
- ただし、このような起源を持ち、辞書で上記のように説明されているにもかかわらず、日常会話などで、セレンディピティが発見する「能力」を指していると理解せず、発見した「幸運」と誤解してしまう人もいる。単なる幸運ならば「luck」とでも表現すれば済むところをあえて「serendipity」と表現するのはそれ相応の理由があるからなので、serendipity を単なる「幸運」や「偶然」と理解することはやはり誤解や理解不足と言える。
Longman Contemporary Englishのオンライン辞書では
"when interesting or valuable discoveries are made by accident" [↪ luck]
http://www.ldoceonline.com/dictionary/serendipity
となっていて、本稿の記述と全く食い違っています。
Oxford Advanced Learner's Dictionary
"the fact of something interesting or pleasant happening by chance"
http://oald8.oxfordlearnersdictionaries.com/dictionary/serendipity
こちらも偶然性そのものほうを指しています。
Cambridge Avanced Learner's Dictionary
"the lucky tendency to find interesting or valuable things by chance"
http://dictionary.cambridge.org/dictionary/british/serendipity
これは「能力」を指していると言えそうですが。
Oxford English Dictionary
"The faculty of making happy and unexpected discoveries by accident. Also, the fact or an instance of such a discovery."
英英辞典の最高峰とされるOEDは、明確に、幸運な発見の「能力」とそのような「発見」そのものと、両方の定義を載せています。
断定的に「能力」であって、「幸運」「偶然」ではない、と述べる根拠はないものと思われます。--Bobmarley(会話) 2012年5月22日 (火) 23:23 (UTC)
2012年12月5日 (水) 14:40 (UTC)の版で
[編集]要約欄に「そんな記事どこにあるのか?」と書いてしまい、申し訳ありませんでした。--MiraModreno(会話) 2012年12月5日 (水) 14:46 (UTC)