ノート:スーパーカブ (小説)
確認
[編集]初版作成時点でのメディアは小説のみであったため「スーパーカブ (小説)」で項目が作成され、その後漫画での発刊やテレビアニメのアナウンスがされていますが、括弧内のメディア表記は当初出されたもののままということでしょうか。状況からして「スーパーカブ (トネ・コーケンの作品)」への改名も考えていますので、確認させていただきたいと思います。--またーり(会話) 2021年1月19日 (火) 17:42 (UTC)
- 賛成 初版作成者です。記事名につきましてはおっしゃる通りですので、改名提案を支持いたします。--ぜろわん(会話) 2021年1月19日 (火) 22:04 (UTC)
コメント ぜろわんさん、ありがとうございます。初版作成者の支持があったため、改名提案へ移行させていただきました。別の項目名の提案やコメント等は引き続き受け付けますのでよろしくお願いします。--またーり(会話) 2021年1月21日 (木) 09:46 (UTC)
- コメント 文学作品のローカルルール(Portal‐ノート:文学#曖昧さ回避の括弧内のローカルルール制定)を適用し、スーパーカブ (トネ・コーケン) とのみすれば良いと考えます。--エンタシス(会話) 2021年1月22日 (金) 10:03 (UTC)
- コメント エンタシスさん、ありがとうございます。ローカルルール優先のため、スーパーカブ (トネ・コーケン)とします。--またーり(会話) 2021年1月22日 (金) 11:49 (UTC)
- 反対 アニメ化されたライトノベル記事の曖昧さ回避はすべて「小説」になっています。
- あくまで記事の主体は小説であり、作家での区別は著名な作家でなければわかりにくいため、現状の記事名で問題ないと思います。--XRGD(会話) 2021年1月23日 (土) 11:27 (UTC)
- コメント 他に『スーパーカブ』という題名の小説がある場合には「著名な作家でなければわかりにくい」などと考える余地はなくなるのですが、よく考えると本件はそういうケースではないので、改名自体する必要がないですね。最初のコメントは、作家名を入れるなら作家名だけで良い、ということを指摘しただけ、としておいて下さい。--エンタシス(会話) 2021年1月23日 (土) 12:44 (UTC)
コメント 最初の確認の通り「括弧内は最初で出した出版物でよいか」を確認したかったので、他に多数の例が明示されたため項目名のカッコ内は小説のままとし、改名依頼を取り下げました。同時に確認もとれましたので、これでこの節はクローズします。--またーり(会話) 2021年1月23日 (土) 15:00 (UTC)
確認2
[編集]内容を確認し、あらすじが小説基準になっていますが、漫画版を確認したところオリジナルの部分があり、また小説版と漫画版で差異が発生しています。XRGDさんが提示された項目を見ましたが、小説に偏重していない内容となっていますので、整理が必要になってくるのではと考えています。一方で「小説が進んでいするため小説を基準にすべき」という意見もあると思いますので、これについても確認したいと思います。--またーり(会話) 2021年1月23日 (土) 15:15 (UTC)
- コメント失礼します。ネタバレが許されているかについてはWikipedia:ネタバレの通り許容されています(できればどの話のどの部分か明示できれば尚可)ですけど、小説と漫画で違う部分があるという話であれば、あらすじは小説と漫画の共通内容を記述とし、差異があるものについては登場人物の項に「小説ではこうであるが、漫画ではこうである」という記述が望ましいと思います。--Kaidog(会話) 2021年1月23日 (土) 17:24 (UTC)
- コメントカクヨムのほうの小説版と単行本・コミックNewtypeでの漫画版で確認のうえ、以下の対応を実施しました。
- あらすじは椎と会う部分まで(漫画版にはないシーンは省略)とし、以降は一旦コメントアウト(登場人物の部分については残しています)。
- 登場人物は登場順よりカテゴリ別に分別。漫画版との相違や小説版のみ、漫画版のみの記述を追加。
- ひとまずテレビアニメの詳細までは誤字や文脈調整までとしますが、不都合あれば追記や修正等をお願いします。--またーり(会話) 2021年1月24日 (日) 09:45 (UTC)
- コメントカクヨムのほうの小説版と単行本・コミックNewtypeでの漫画版で確認のうえ、以下の対応を実施しました。
- コメント一旦インデント戻します。revert合戦が繰り広げられており、理由を見る限り1月16日に差し戻したいようですが、私の方で実施した構成変更に問題等ありましたらこちらでお願いします。--またーり(会話) 2021年2月10日 (水) 11:33 (UTC)
- コメント加筆が進んでいることは大変喜ばしいことだと思うのですが、人物紹介にカクヨム・文庫・漫画・アニメ各版の違いが注釈や出典という形で山のように埋め込まれており、非常に見づらくなっています。いずれかの版をベースにして各版ごとに違いを項目立てして記述したほうがいいのではないかとも思います。また、あまりに詳細に過ぎる記述は除去してもいいかと思います(パンク修理の料金の違いなど、ストーリーを追う上では大した問題ではありません)が、いかがなものでしょうか?--ぜろわん(会話) 2021年6月10日 (木) 05:18 (UTC)
コメント 基本的には、ウィキペディアの記事は原作を尊重するのが筋かと思います。そもそも原作が注目を集めなければ、漫画化やアニメ化の企画も起こらなかったのですから。ですがウィキペディアにおいては専門家による批評や作品解釈などの二次資料が非常に重要視されているので(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)、二次資料の中で漫画版やアニメ版で独自に付け加えられたり改編されたりした部分に言及が及んでいるのであれば、適切な形で原作と漫画版・アニメ版の違いに触れる必要もあるでしょう(もちろん複数のニュースサイトやワイドショーでも紹介された「二人乗り」の場面が、カクヨム版と書籍版と漫画版とアニメ版で描写が大きく異なる点などまさにそれです)。原作を主軸として、必要に応じて漫画版やアニメ版との違いを説明していく形が適切かと思います。カクヨム版と書籍版のどちらを主にすべきかという問題ですが、個人的にはカクヨム版はプロトタイプであって書籍版が決定稿と考えていますがどうでしょうか?
さて、ぜろわんさんご提案の各版ごとに違いを項目立てて記述する方式は、原作と他作品で全く別物と言えるほどの違いがある場合には有効なのですが、それほど違いがない場合、雑多なトリビアの羅列になりがちになるので(Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける)、扱いには注意が必要だと考えます。映像表現の特徴や方針といった、一つのテーマで段落を作れる程度のまとまった内容があるものについては、漫画版やアニメ版のセクションを作るべきだと考えていますが、「○○の場面は、小説版では地の文で表現されているが、漫画版では礼子の台詞、アニメ版では小熊の目線の動きで説明されている」のような違いを一行ずつ羅列していくようなセクションは不適切でありましょう。
……もっとも本作の場合、大筋のストーリーは同一ながら、小説版では地の文での説明が多用され、漫画版では地の文が台詞などに置き換えられる傾向が見られ、アニメ版では本文中で引用したスタッフの発言にもあるように説明台詞を減らして行間を読ませる演出を重視する傾向にあり(そしてウィキペディアにおいて「行間を読む」行為は独自研究として忌避されます)、作品ごとに細部の違いがかなりあります。検証可能性を確保するためにも、ウィキペディアに加筆しようとしている者がカクヨム版、書籍版、漫画版、アニメ版のうち、どの版を出典として参照しているのかという情報は必要でしょうし、出典として参照している場面に版ごとの差異があることに加筆の段階で気がついているのであれば、無用な編集合戦を避けるためにも配慮しておくに超したことはないと考えています。もちろんストーリーの理解に不要で冗長な記述は極力減らすべきというのは大前提ですが、読む気がなければ読み飛ばせる脚注を多用することは合理性があると考えます。--Kanohara(会話) 2021年6月10日 (木) 06:58 (UTC)
- コメント 私は注釈、出典が多いことは特に問題だとは思いません。むしろ、現在登場人物欄に非常に些末なことが多く書き込まれており、文書が長くなっている方が読みづらくて問題だと思いますので、あまりに細かい記述は注釈欄に移してしまって、文章を短くしたほうが読みやすくなるのではないかと。また、必要以上に詳細な記述の除去も必要だと思います(特に藜の項目に至っては、人物紹介のレベルを超えてこれはほぼ大学編の小説1冊分のあらすじになってしまっており、書きすぎではないでしょうか。)。
- さらに、項目を建てる登場人物も少し選んだ方が良いと思います。医療検査会社の社長、てっちゃんクラスの数回しか登場せず、その後物語を大きく動かすわけでもない人物までウィキペディアに載せる必要はないのではないでしょうか。--K-130(会話) 2021年6月13日 (日) 01:07 (UTC)
- コメント 詳細にすぎる記述や端役の除去につきましては全面的に賛成します。ただ、細かい記述は注釈を用いて埋めればいいという考えには反対です。作品の説明に必要な記述ならばまずは本文に読みやすく組み込むことを第一に考えるべきであり、注釈に埋め込むことでしか表記できないのであればその程度の情報でしかないと判断されてもやむなしだと思います。--ぜろわん(会話) 2021年6月13日 (日) 20:49 (UTC)
- コメント 登場人物欄の内、てっちゃんや黎は載せなくても問題ないと思います。ただ、医療検査会社社長はその後の浮谷の会社への伏線になっている人物ですので、ごく軽く紹介する程度は必要かと思います。勿論、彼女の項目やパンク少年についての、現段階の記載状況は明らかに過剰だと思います。--Tadzu(会話) 2021年6月15日 (火) 12:33 (UTC)
- コメント 見たところ、すぐに除去しても問題なさそうなものは信用金庫課長、医療検査会社社長(ごく軽く紹介が必要ならば、浮谷の項目で説明すればよいでしょう)、てっちゃん、箇条書きになっているパンク少年との遭遇記録、アイヌの少女でしょうか。黎に関しては私がカクヨム版未読のため、取捨選択につきましては何とも言えません。--ぜろわん(会話) 2021年6月15日 (火) 20:54 (UTC)
- コメント 出典の確保のために原作者のTwitterを読み漁っているところなのですが、原作者はわりとフランクに設定変更を行う方のように見えます。変更を重ねていて定まらないような設定は、ストーリー上あまり重要でないから定まらないのだとも考えられますし、展開上必要だから敢えて変更しているのかなあとも思いますが、いずれにせよ定説が定まらない枝葉の設定はウィキペディアの記事を読んでいる人にとってノイズになりがちなので、本文で細かく設定の変遷を解説するよりは、注釈での補足的な解説に留めた方がいいのではと思います(小熊の自転車の説明文は本文にまとめる形にしてみましたが、あの形が適切なのかどうか迷っています。「入手経路については設定の変遷がある[注釈]。」のような形でもよい気が……)。我々ウィキペディア編集者はつい設定のディティールの部分に目が行きがちですが、人物やメカニックの設定を記述する上で重要なのは「ストーリー上どのような役割を果たすか」「どんな社会的反響があったのか」ですので、そこを中心に絞るべきと考えます。
- 黎はカクヨム版「スーパーカブ大学編」における主要登場人物なので、ある程度説明文が長くなってしまうのは仕方ないと思いますが、もう少し枝葉の設定の記述を削って絞り込めそうに思えます。父や母の設定は「小熊の家族」というセクションを設けるなどして、項目を分散しつつ小熊の説明文と統合してもいいかも知れません。
- 信用金庫課長については、書くとするならメカニックの項目で「信用金庫のカブ」としてまとめるのがいいのかなあ……とも思います。第1巻でスチールボックスの部品取りに使われたおんぼろカブ(風防を破損しているため第2巻のカブと別物)と、第2巻で風防の試乗に使われたエンジン音が原作者提供のおんぼろカブ、「スーパーカブ大学編」でシノさんの店から引き取られて藜のカブの一部となったおんぼろカブの3台について記述できるかと思います。
- パンク少年については、あのような記述になっているのはおそらく「全てのパンク少年が同一人物なのかどうか不明で、もしかしたらそれぞれ別人なのかも知れず、同一人物扱いすることは独自研究になってしまうかも知れない」という状況から、現状のように遭遇履歴を箇条書きする形式にされているのだと察しますが、原作者がTwitterで「モデルは僕」「セミレギュラー」としているのですから、仮に同一人物ではないとしても、ひとつのキャラクターとして同一視して構わないのではないかと思います。苦労して登場場面を調べ上げた方の苦労は察しますが、逐次的な遭遇履歴は削っても宜しいかと。--Kanohara(会話) 2021年6月15日 (火) 21:51 (UTC)
- コメント お疲れさまです。本記事に限らずサブカル系の記事は本筋から派生する枝葉が多くなりすぎて逆に本筋が見えにくくなるという連鎖に陥りやすいので、なるたけシンプルに記述することを心掛けたいです(これは自戒の意味も込めています)。個人的には小熊の自転車も春目の自転車も記述盛り過ぎだと感じます(正直言いまして、自転車のブランドや車種がストーリーに多大な影響を与えているとは私にはどう考えても思えませんし、だからこそ設定が二転三転するのだとも思います)が、将来的に手を付けるにしましてもまずは山のように埋め込まれた注釈を整理してから、と私は考えています(記述盛り過ぎの項目は他にもいっぱいありますし)。
- 信用金庫のカブについては、スチールボックスは調達の経緯を小熊のカブの項目で触れればいいでしょうし、部品取りのカブについては同じく黎のカブで触れれば済むと思いますので、わざわざ項目立てする必要もないでしょう(ウインドシールド付きカブの試乗も追記すべきなのかもしれませんが、追記内容が些末になりそうなので省きました)。
- とりあえず他に意見などがなければ、Kanoharaさんが指摘しなかった医療検査会社社長、てっちゃん、アイヌの少女、それからKanoharaさんとTadzuさんの賛同が得られているパンク少年の出現履歴は後ほど除去しようと思います。--ぜろわん(会話) 2021年6月16日 (水) 02:35 (UTC)
- 報告 上記の除去を実行しました。除去による不足がありましたら加筆をお願いいたします。なお、バイク便で使ったVTRもストーリーの本筋に係るガジェットではないので同時に除去しています。--ぜろわん(会話) 2021年6月16日 (水) 05:38 (UTC)
- コメント対応お疲れ様です。今更ですが、登場人物の記述があまりに多い一方で、削除に苦慮されるようでしたら本項目は主要3人の簡潔な記述に留め、他の登場人物を含めた詳細については別途スーパーカブ (小説)の登場人物へ移動させてもいいと思います。--またーり(会話) 2021年6月16日 (水) 11:43 (UTC)
- コメント VTRは小説第4巻で主人公機としての登場場面がかなり多く、その後の巻でも何度か言及されているバイクなので、(以前のように単なる登場場面を列挙しただけのような記述は問題があるとしても)ある程度の説明はあっても良いように思います。
- 登場人物記事の立項については「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」にガイドラインがありますが、仮に分割しますと、親記事の内容がほぼスカスカになってしまうという意味でも、分割にはあまり意味がないように感じます。--Kanohara(会話) 2021年6月16日 (水) 12:30 (UTC)
- コメント対応お疲れ様です。今更ですが、登場人物の記述があまりに多い一方で、削除に苦慮されるようでしたら本項目は主要3人の簡潔な記述に留め、他の登場人物を含めた詳細については別途スーパーカブ (小説)の登場人物へ移動させてもいいと思います。--またーり(会話) 2021年6月16日 (水) 11:43 (UTC)
- 報告 上記の除去を実行しました。除去による不足がありましたら加筆をお願いいたします。なお、バイク便で使ったVTRもストーリーの本筋に係るガジェットではないので同時に除去しています。--ぜろわん(会話) 2021年6月16日 (水) 05:38 (UTC)
- コメント 見たところ、すぐに除去しても問題なさそうなものは信用金庫課長、医療検査会社社長(ごく軽く紹介が必要ならば、浮谷の項目で説明すればよいでしょう)、てっちゃん、箇条書きになっているパンク少年との遭遇記録、アイヌの少女でしょうか。黎に関しては私がカクヨム版未読のため、取捨選択につきましては何とも言えません。--ぜろわん(会話) 2021年6月15日 (火) 20:54 (UTC)
「メディアミックス作品である」という記述は不正確では?
[編集]コメント ところで現在の記事における「……とは、トネ・コーケン原作による小説を基にした日本のメディアミックス作品である」という冒頭文は、XRGDさんの会話ページでの2020年2月頃の議論を発端とした2021年2月10日頃の編集合戦と2021年2月頃の議論、その論争解決のために用意されたこのノートページの議論を経て、現在の文章に落ち着いたらしいことは把握しています。ですが、少なくともこの記事において、現在の冒頭文は不正確ではありませんか?
カクヨムに掲載されている原作者インタビュー記事を読む限り、原作者のトネ・コーケン先生は本作を「ずっと書きたいと思っていた作品と作品の合間に、偶然生まれたような小説」で、「何か一つ自分の文章能力を向上させる作品を手っ取り早く書いてみよう」という動機で書き始めた習作であったと述べています。つまり、メディアミックス化を前提として執筆された小説ではありません。
確かにインタビュー記事の冒頭では「このたびのメディアミックス化を記念して(中略)お送りします!」という一文がありますので、インタビュー記事を掲載したカクヨムを運営するKADOKAWAの主導で「メディアミックス化が行われている」という認識は誤りではないと思います。が、この記事は本作のテレビアニメ化を機に行われたものであることにご注目ください。「メディアミックス化を記念」という表記は、「テレビアニメ化の時点をもって、メディアミックス化の発足を記念とする」という意味に読み取れます。要するにテレビアニメ化前までは、メディアミックス作品という認識がKADOKAWA側になかったとも読みされます。
同記事の続きである編集者インタビュー記事を読む限り、早い段階から書籍化に向けた動きはあったようですし、明言はされていないけれど、アニメ化を見据えた商業戦略もあったのでしょうが、実際に漫画版を読みテレビアニメ版を視聴した限り、蟹丹先生の漫画版と2021年のテレビアニメ版の間では、あまり相互参照的な反映が行われていないようにも見受けられます。小説・漫画・テレビアニメの三者間で互いを有機的に補完し合うようなメディアミックス戦略は乏しく、原作小説を差し置いて「メディアミックス作品である」ことを第一義とする意義は薄いように感じます。
要するに何が言いたいのかと言いますと、「小説を基にしたメディアミックス作品である」という表現には語弊があり正しくないので、この記事は「小説である。小説を基にしたメディアミックス化が行われている」のような表現に改定すべきということです。現在の冒頭文は、どこかの何かの作品記事の、メディアミックス化を前提に企画された作品について書かれた冒頭文を機械的に流用した文章のようにも見え、そもそもこの文章を強く推した側が、主張の根拠としている2020年2月頃の議論の主張に反して、自分で機械的な編集を支持しているように見受けられます。アニメの内容だけを分割して子記事を作る場合などは、このような冒頭文が適切でしょうけれど、本記事には不適切です。上の議論でも述べたように、この作品はそもそも原作が注目を集めなければ、漫画化やアニメ化の企画も起こらなかったはずで、であれば原作を第一義として尊重する形で書くべきです。
特に異論がなければ、PJ:ライトノベルの例文も踏まえながら、小説を第一義に、Web小説として発表され、書籍化され、派生作品としてメディアミックス化が行われている、という内容が読み取れるような記述に修正しようと考えていますが、どうでしょうか?--Kanohara(会話) 2021年6月22日 (火) 07:10 (UTC)
- 済Kanoharaさんが投稿自粛中という状況ではありますが、特に反対意見もなく、私自身も 賛成 のため、修正を実施しました。--ぜろわん(会話) 2021年7月7日 (水) 09:00 (UTC)
各メディア作品の呼称の統一
[編集]ところで本作品では、
- カクヨムに掲載されたWeb小説版
- 角川スニーカー文庫から発売された書籍版(紙書籍版、電子書籍版)
- 角川コミックス・エースから発売された、蟹丹による漫画版
- 漫画版の巻末に収録された、原作者による特別寄稿小説
- テレビアニメ版
- テレビアニメ版Blu-rayBOXに毎回特典として収録予定の書き下ろし小説
といった版の違いがありますが、現状ではそれぞれを、
- カクヨム版
- 小説版、角川スニーカー文庫版
- 漫画版
- (特に記載なし)
- テレビアニメ版、アニメ版
- (特に記載なし)
のように呼び分けているようです。が、カクヨム版も特別寄稿小説も「小説」なので、カクヨム版との違いに言及する箇所で、スニーカー文庫から発売された書籍版だけを「小説版」と呼称するのは適切でないように感じます。私としては以下のように表記を統一したいと考えていますが、どうでしょうか?
- 「Web小説版」または「カクヨム版」のいずれか一方
- 「書籍版」または「角川スニーカー文庫版」のいずれか一方
- 「漫画版」(「角川コミックス・エース版」だと冗長に思います)
- 「漫画版収録の特別寄稿小説」または「漫画版に収録された特別寄稿小説」(単に「特別寄稿小説」だとBD特典小説と区別できない可能性あり)
- 「テレビアニメ版」
- 「テレビアニメ版Blu-rayBOX収録の特典小説」または「テレビアニメ版のBlu-rayBOXに収録された特典小説」
なお、カクヨム版と角川スニーカー文庫版で差異がない箇所については単に「小説版」でよいと思います。
複数候補を挙げているものについては、どちらに統一するかについて迷っています。意見があれば宜しくお願いします。--Kanohara(会話) 2021年6月10日 (木) 07:14 (UTC)
- コメントお疲れさまです。先日はご意見くださいましてありがとうございました。ご意見を踏まえ、雑多で過度に詳細な記述の除去は進めていきますが、脚注につきましては少し様子を見ます。
- 呼称の統一は賛成です。私はできる限りわかりやすくシンプルにしたいと考えます。
- web小説版
- 書籍版
- 漫画版
- 漫画版寄稿小説
- テレビアニメ版
- 映像特典小説?
- 4と6につきましてはどのくらいの引用があるかわかりませんが、現状の4に関して見る限りは引用頻度は多くはなさそうなので、長いままでもいいかもしれません。--ぜろわん(会話) 2021年6月10日 (木) 23:31 (UTC)
- コメント 意見ありがとうございます。4の特別寄稿小説は、礼子の郵政カブの出自や、その他登場人物が愛用している小物類など、設定の補完や裏設定の開陳といった描写が多く含まれているので、記事が成長するに伴って引用も多くなるのではないかと考えています。--Kanohara(会話) 2021年6月10日 (木) 23:55 (UTC)
- コメントおっしゃるとおりであれば、今後出現する頻度も増えそうですね。それであれば呼称を決めておいてもいいのではないかと思います。そういった情報は得てして重箱の隅をつつくような些末な情報の羅列に終始する恐れがあるので、その辺りはうまくバランスを取りながら雑多にならないようにしていく必要がありますね(もうすでにそうなりつつありますが…)。--ぜろわん(会話) 2021年6月11日 (金) 11:44 (UTC)
- コメント呼称の統一に関し、大枠ではぜろわんさん提示の枠組みでいいと思います。修正の手数を減らすという点では現状でWeb小説版は「カクヨム版」で一定程度固まっているようなのでそちらに合わせるのもありかとは思いますが。--Tadzu(会話) 2021年6月11日 (金) 18:16 (UTC)
- コメント 私もTadzuさんのおっしゃるよう、「カクヨム版」で構わないと思います。また、上の方にある「カクヨム版は書籍版のプロトタイプで、書籍版が決定稿」という意見に個人的に賛成で、カクヨム版と書籍版はある意味一体のものという考え方なので、そういう意味では書籍版を小説版という書き方をしても私は抵抗はありません。あと、「テレビアニメ」版は「アニメ版」ではダメでしょうか?--K-130(会話) 2021年6月12日 (土) 02:07 (UTC)
- コメント ブラウザのページ内検索機能を使って置換していけば、修正の手間自体は大したことないと思われますが、もし「既に定着した表現を今更変えると違和感があるし、元の方がしっくり来る」ということであれば現状維持でいいと思います。なお原作者のトネ・コーケン氏はTwitter上で「カクヨム版」「書籍版」という呼称を使っているようなので、それを公式な呼称にしてもいいと思いますが、Web小説投稿サイトに詳しくないウィキペディア読者は「カクヨム版」という呼称に馴染むのかな、という懸念も感じています(杞憂でしょうか?)。「テレビアニメ版」「アニメ版」については、テレビアニメ放送後にアニメ映画やOVAでの展開が行われる作品もあり、私は後から記事全体を書き換えなくて済むように、ウィキペディア上では意識して「テレビアニメ版」という表現を使うようにしていますが、あくまで私の個人的なポリシーですので「短い方がよい」などの理由があるならどちらでも構いません。前述のように、映画やOVA展開が発表されるような状況になった時にまとめて検索・置換すれば良いのですから。--Kanohara(会話) 2021年6月12日 (土) 06:28 (UTC)
- コメント 私もTadzuさんのおっしゃるよう、「カクヨム版」で構わないと思います。また、上の方にある「カクヨム版は書籍版のプロトタイプで、書籍版が決定稿」という意見に個人的に賛成で、カクヨム版と書籍版はある意味一体のものという考え方なので、そういう意味では書籍版を小説版という書き方をしても私は抵抗はありません。あと、「テレビアニメ」版は「アニメ版」ではダメでしょうか?--K-130(会話) 2021年6月12日 (土) 02:07 (UTC)
- コメント 意見ありがとうございます。4の特別寄稿小説は、礼子の郵政カブの出自や、その他登場人物が愛用している小物類など、設定の補完や裏設定の開陳といった描写が多く含まれているので、記事が成長するに伴って引用も多くなるのではないかと考えています。--Kanohara(会話) 2021年6月10日 (木) 23:55 (UTC)
- コメント K-130さんが「小説版」を「書籍版」に統一する編集(差分)を行ったようですが、カクヨム版と角川スニーカー文庫版で差異がない内容まで「書籍版」表記に統一してしまわれたので、書籍版(角川スニーカー文庫版)にのみ登場する設定や、カクヨム版からの差異についての説明がわかりにくくなってしまったように思います。以前の提案通り、カクヨム版と角川スニーカー文庫版で差異がない内容は「小説版」で良いのではないでしょうか?--Kanohara(会話) 2021年6月16日 (水) 02:25 (UTC)
- コメント ご迷惑おかけします。よく確認しないで機械的に置き換えてしまいましたが、おっしゃる通り「小説版」で問題ないとは思います。少し見直してみたいと思いますが、気になるところがあるようでしたら、修正のご協力をお願いします。申し訳ありません。--K-130(会話) 2021年6月16日 (水) 08:07 (UTC)
出典のページ数について
[編集]文庫版を参照元とした注釈を見ていて(自分も同様に書き込んだことはあるのですが)、数ページ前後するようです。そもそも紙書籍と電子書籍の両方がある上、巻数の若いものは既に何版も刷られています。「n版m刷」の「m刷」では構成や文言の修正は基本ないはずですが、版が違えばそうとは限りません。今後分だけでも具体的なページ数ではなく、「何巻の第何話」程度のやや荒い表現にしておいたほうが無難ではないでしょうか。--Tadzu(会話) 2021年6月12日 (土) 02:24 (UTC)
- コメント 私の手元にある電子書籍版(楽天kobo版)にはノンブルが振られていませんし、カクヨム版と相互参照する場合などは、「何巻の第何話」の方が利便性が高いかも知れませんね。本作の場合、各話ごとのページ数が少なめですから(他の作品では文庫数冊分をかけて1話分が進むような配分の小説も見たことがあります)、検証するときに十分な範囲を絞り込めると思います。ただ、流し読みだと読み飛ばしてしまうようなさり気ない描写を出典とする場合、ページ番号が分かるのならあった方がいいのかなあ、とも思っています。なお漫画版の場合、電子書籍版にも紙書籍同様にノンブルが振られていますが、『コミックNewtype』でのWeb連載時にはノンブルがない、という同様の問題があります。--Kanohara(会話) 2021年6月12日 (土) 06:43 (UTC)
グループ分けについて
[編集]出典を確認しましたが、作品内情報、メディア情報、作者のTwitter情報が混在しており出典としての有用性が欠けてしまっているため作品内情報、メディア情報、Twitter情報を三分割のうえヘッダーでgroup指定の記述をさせていただきました。容量から作品内情報はgroup指定なし、メディア情報のgroup指定は「media」、Twitter情報のgroup指定は「twitter」とさせていただいております。なおテレビ放送対象地域の出典についてはTemplate:放送期間の仕様上group指定ができていないため問い合わせ中です。対応不可の場合作品内情報に記述となりますが、ご了承ください。--またーり(会話) 2021年6月20日 (日) 11:12 (UTC)
- 反対 正直、あまり良いとは思いません。この記事独自の出典形式を他の編集者に周知するために、またーりさんは{{Notice}}のテンプレートを用いて編集者向けの告知を貼られましたが、このような使用法は「Template:Notice#注意事項」にあるように、このテンプレートの用法のルールや、ウィキペディアのガイドラインに違反します。
- 確かにまたーりさんが行ったグループ分けは、確かに我々ウィキペディア編集者にとっては出典がスッキリと整理されて気持ちよく見えます。ですが、出典とは読者が、記事に書かれた記述の根拠を確認するために参照するものです。出典が原作小説であろうと、批評などの二次情報源であろうと、Webブラウザであればクリックやタップで脚注の内容を参照できますし、参照さえすればそれが出典の参照元が作品自体からの一次情報なのか、メディア情報なのか、Twitter情報なのかは、見れば区別できます。記事を紙に印刷して参照する場合も、出典のセクションが一次資料と二次資料に分けて整理されていることは、なんら検索性の向上に繋がりません。
- このグループ分けは主に脚注セクションの見栄えを良くするためだけに行われていますが、その恩恵を得られるのは編集者だけであり、そのために編集者にローカルルールを参照し遵守するという不便を強いています。ウィキペディアの参加歴が私よりも長いまたーりさんであればご存知の通り、昔のウィキペディアには{{ローカルルール}}のテンプレートを用いて、このような編集者向けのルールを告知する風習がありましたが、現在のウィキペディアではそのようなことを行うべきではないとされています。このようなお知らせテンプレートは、告知の内容に従って記事が是正された時点で剥がされるべきで、恒久的に貼り付けておく用途に使うべきではないです。かわりに使うべきテンプレートとして、ノートページの冒頭に貼り付ける用途の{{合意内容}}がありますが(そもそも合意形成がなされていませんが)、またーりさんが提案したようなルールを告知する用途としては不適当です。ノートページを見ない人がセクション分けの意図を理解できずに編集を行った瞬間に、グループ分けによる見栄えの良さは失われ、中途半端な整然さは非常に見苦しいものとなるでしょう。
- このような{{Notice}}を使わなければ周知できないようなローカルルールは作るべきではないので、ウィキペディアの一般的な形式に合わせた方が良いのではないでしょうか? 注釈と出典は読者にとっての用途が異なるので、積極的に分ける必要がありますが、出典の参照元が作品自体からの一次情報なのか、メディア情報なのか、Twitter情報なのかは、別にセクションで分けなくてもよいと思います。編集者にとって見やすくするという用途であれば、{{Reflist}}のrefs引数を使う方法もあると思います。--Kanohara(会話) 2021年6月22日 (火) 05:23 (UTC)
- コメントKanoharaさんはこれまでの経緯をご存じがないようですので一言。テレビアニメ放送当初は不必要な編集合戦が発生しており、対応に苦慮していた状況(その都度wikipedia:保護依頼を出していました。尤も落ち着いている状況ですので保護はされていませんし、その後はその必要もないと思います)。また誤解されているようですが、私はルールを強要しておりません。(ノートページで意見を聞いていくスタイルをとっています。)こういう反応をされたことについて残念かつ遺憾であり、「やり方が乱暴だ」ということでお子に召さないのであれば今後一切このページに関与しないことにしますし、必要あらば無期限のウィキブレイクとさせていただきます(わざわざ項目の先頭でタグで名指し批判されているようで非常に腹が立ちました。)。あとKanoharaさんのお気に召すままの編集をお願いします。--またーり(会話) 2021年6月24日 (木) 14:11 (UTC)
- 返信 (またーりさん宛) またーりさんが行った編集作業は非常に時間や手間をかけた手の込んだもので、それが良かれと思っての編集であったことには疑いを持ちませんが、であるからこそ、おそらくやんわりとした提言では駄目で、強く言わなければ真意が伝わらないであろうと考えました。私的な時間を削って労力をかけた作業内容を批判されて腹立たしく思わないウィキペディア編集者はいませんし、気分を害されたことについては申し訳ありません。ただ、それが善意からの編集であっても、善意の元になった意図に反して悪い結果をもたらすようなものは見過ごせないと考えました。
- 私は、以前のウィキペディアにおけるローカルルール濫用は悪習だと思っております。強要する意図がなかろうと、ローカルルールという形で掲示すれば意図はどうあれ強制力を持ちますから、強要する意図がないのであればなおのこと悪手でしょう。そして、またーりさんが行った「○○○[1]、○○○[media 2]。○○○[twitter 3][注 4]」のような脚注のグループ分けは、各項目の意味が分かりにくく、この状態を今後とも維持するには恒久的に{{Notice}}を掲示して告知を続け、ローカルルールに強制力を持たせ続けなければ機能しない種類のものです。それに対する私の意見は上の発言で述べたとおりで、代案も示したつもりです。現在のグループ分けを手掛けたまたーりさんが「お気に召すままの編集をお願いします」と信任下さるのなら、そのようにしますが、とりあえずはグループ分けを撤去する方向で、他に異論がないことを確認して合意形成を図るプロセスを踏みたいと思います。
- なお、またーりさんが2件の保護依頼を出して2件とも却下された件については把握しておりますが、うち1件の議題でもある、現在の冒頭文を巡って編集合戦となった件については、「#「メディアミックス作品である」という記述は不正確では?」の議題の方で私の意見を詳しく述べました。これについては、当時はコメント依頼や投稿ブロックをちらつかせる激しい言い争いが行われていたようですので、現在の冒頭文を支持する側に「なぜ現状がよくないと思うのか」という理由を誤魔化しなく説明しなければならないと考えました。あしからず。--Kanohara(会話) 2021年6月24日 (木) 22:09 (UTC)
- コメント上記のコメントやあなたのノートページを見てあなたの個人的見解で相手を怒らせているという自覚がないこいうことだけはわかりました。「やんわりとした提言では駄目で、強く言わなければ真意が伝わらないであろう」とか何様のつもりですか?あなたこそ自分の思い通りにやりたいだけではないでしょうか。とりあえず人をこき下ろした態度のまま戻そうとするのであれば強引なやりかたとして差し戻させていただきますのでそのつもりでいてください。これ以上やるのであればWikipedia:コメント依頼やWikipedia:投稿ブロックも辞さない構えです。--またーり(会話) 2021年6月24日 (木) 22:24 (UTC)
- 返信 (またーりさん宛) 確かに私もまたーりさんの編集やノートページでの見解に対して腹立たしさを感じている面があり、それが言葉の端に出ている面はあるのかも知れませんが、個人攻撃は意図するところではありません。私としては記事の問題点に争点を集中することを望みます。個人的見解と仰いますが、記事の問題点については述べたとおりで、それが単なる「個人的見解」「思い通りにやりたいだけ」に過ぎないというのでしたら、抽象的なものではなく具体的な反論をお願いします。--Kanohara(会話) 2021年6月24日 (木) 23:05 (UTC)
- 返信 (Kanoharaさん宛) 腹立だしいとよく言えたものです、一方的に噛みついて怒らせて逆ギレですか。まあよくもここまで人を小馬鹿にできたものです。これが人に対する対話の姿勢でしょうか。挑みかかって怒らせることを楽しんでいるようにしか思えませんね。これでよくウィキペディアンを名乗れたものです。とりあえずその姿勢では対話以前の問題です(対話拒否ではありません、むしろ拒否してるのではそちらですね、一方的に吊るし上げて強制力にない方針をベタベタ貼っては「はい論破」とかやっているのですから)。ウィキペディアを十数年やってここまで酷い編集者は初めてです。思い通りにいかないのはどちらなのでしょう。こちらとしてはこんなの相手にしたくもないですし吐き気すらしますが、それでも何か言いたいことがありましたら出るとこ出ましょうか。--またーり(会話) 2021年6月25日 (金) 12:04 (UTC)
- 返信 (またーりさん宛) 議論と無関係な私の編集態度に関する指摘は、「利用者‐会話:Kanohara#スーパーカブ (小説)について」の方でお願いします。
- 返信 (Kanoharaさん宛) 腹立だしいとよく言えたものです、一方的に噛みついて怒らせて逆ギレですか。まあよくもここまで人を小馬鹿にできたものです。これが人に対する対話の姿勢でしょうか。挑みかかって怒らせることを楽しんでいるようにしか思えませんね。これでよくウィキペディアンを名乗れたものです。とりあえずその姿勢では対話以前の問題です(対話拒否ではありません、むしろ拒否してるのではそちらですね、一方的に吊るし上げて強制力にない方針をベタベタ貼っては「はい論破」とかやっているのですから)。ウィキペディアを十数年やってここまで酷い編集者は初めてです。思い通りにいかないのはどちらなのでしょう。こちらとしてはこんなの相手にしたくもないですし吐き気すらしますが、それでも何か言いたいことがありましたら出るとこ出ましょうか。--またーり(会話) 2021年6月25日 (金) 12:04 (UTC)
- コメントこんにちは、状況を把握しました。個人的なやり取りは別にしまして、またーりさんが細分化に至ったのは記事を見て原作者のTwitterの引用が多いことが一因と思います。原作者は設定をTwitterで述べることが多く、例えば椎のモデルや礼子の誕生日設定は小説や漫画、テレビアニメのどのメディアでも登場せず、いくら原作者の発言だからとはいえそれを記述するのにはどうかなと感じました。また小説や漫画、テレビアニメの引用も細かすぎてその出典で埋められてしまっているのも原因かなと思います。同じカクヨム作品のひげを剃る。そして女子高生を拾う。の登場人物と比較しても多く、引き続き整理が必要ではないでしょうか。私も{{Reflist}}について異質と感じ、Kanoharaさんの主張を支持しますが、その前に異質な状態になっている記事内容の整理が先と考えており、元に戻すのはそれが一段落してからのほうがいいのではないでしょうか。但し項目の先頭に貼られている{{Notice}}は他の編集者の自由性を考慮し、除去してもいいと思います。--Kaidog(会話) 2021年6月24日 (木) 21:45 (UTC)
- 返信 (Kaidogさん宛) 作品を読んでも矛盾点があるなどして事実関係がはっきりしない情報については、小説の記述を詳細に列挙したり、憶測を交えて独自研究のような状態に陥るよりは、作者が「真相はこうだ」という意図を説明しているTwitter情報を出典として示すことは有益だと考えます。いずれにせよウィキペディアのあらゆる記述には出典は必要なので、各情報が原作のどこに書かれているのかという出典情報は、煩雑になっても必要です。
- ただ、書く内容にも取捨選択は必要で、作者さんが身も蓋もなく「今まで決めていなかったがマルチメディア展開(=アニメ化)のために必要になったので決めた」と公言している[1]誕生日の設定などは、今のところ劇中で生かされていない設定ですし、(積極的に除去することには迷いがあり、除去しない以上はきちんとした形にしなければ、と思って幾らかの加筆をしてみたものの)こういうのは削ってもいいんじゃないかなあ……と思っています。キャラクターの誕生日がウィキペディアに記載されるべき内容なのかどうかについてはしばしば議論になりますが、私はこういうのはファンサイトで収集すべき情報のように思います。
- キャラクターのモデルなど他作品からの影響、他作品への影響については、「Wikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連#二次情報」の中で「有益な二次情報」とされているので、私は重要視していますが、作者Twitterの元ネタ情報は膨大すぎてきりがないので、主要登場人物のものだけに限るとか、モチーフを紹介することが人物の特徴の説明として有益な情報になっている場合とか、用途を絞るべきだと考えています。何を取捨選択すべきかという議論は往々にして揉めますが、いずれにせよ記事内容の整理が先決であること自体には異論はありません。
- なお、ひとまずの{{Notice}}の除去には賛成です。--Kanohara(会話) 2021年6月24日 (木) 22:55 (UTC)
- コメントkanoharaさんもまたーりさんも個人的論争をやるようでしたら個人ページでお願いします。双方のやり方は賛同できません。またーりさんがブロック依頼を出しても反対票を投じさせていただきますしkanoharaさんの戻しも現時点では 反対 とし、rvせざるを得ないと思います。
- また他の編集者にも混乱や疲弊が発生することからしばらくの間2人とも本項目への関与は自粛していただきたいと思います。どっちも感情的になっており、参加を歓迎できません。--Kaidog(会話) 2021年6月24日 (木) 22:56 (UTC)
- 報告 勝手ながらこのままでは議論の進展が見込めないと判断し、Wikipedia:コメント依頼にこの項に関する議論参加の依頼をしました。またーりさんもKanoharaさんも、一度冷静になって第三者の意見にも耳を傾けてみましょう。--ぜろわん(会話) 2021年6月25日 (金) 23:45 (UTC)
コメント 色々言いたいことはありますが、{{告知}}の告知文の表現に問題があり議論を混乱させてしまったことには責任を感じています。ひとまず2週間程度、冷却期間として「スーパーカブ (小説)」「ノート:スーパーカブ (小説)」での発言を自粛することにし、しばらくは議論の推移を見守らせて頂きます。ですがその前に2点、発言自粛中の議論進行のためにも、またーりさんの意向を確認しておきたいことがあります。
- 今回、またーりさん自身が5ちゃんねる掲示板で語ったところによれば、またーりさんはkaidogさんと電話で連絡を取り[2]、またーりさんが手掛けたレイアウトの死守を約束させた[3]、とのことですが、これはまたーりさんと私がこのノートでの発言を自粛している間、kaidogさんがまたーりさんの代行者として議論を続行する、という認識で宜しいのでしょうか?(kaidogさんは中立の立場に立とうと心がけているように思いますが、正直やや困惑しています)
- 「3時間もかけて整理した編集内容を戻されることは受け入れがたい」という趣旨のまたーりさんの意向は5ちゃんねる掲示板で確認しました[4]。そもそも私が参加する前の状態から山ほど出典を追加したのは私でもあり、<ref>から{{Sfn}}への置き換え作業の経験から、その作業量がたいへんなものであることはよくわかっています。であれば、全て以前の状態に戻す以外の妥協案(たとえば[twitter 1]のような長いgroup名を[t 1]のように短くする、ローカルルールの内容を記事冒頭に記述したり{{Notice}}のテンプレートを使用したりすることを止め、脚注のセクション冒頭などで、読者向けの凡例のように見せる形で記述する、{{合意内容}}テンプレートを使ってノートページの冒頭に移行する、etc……)のような形であれば、私が示した2021年6月22日 (火) 05:23 (UTC) の指摘内容の一部を受け入れることは可能でしょうか? それともKanoharaの主張は言いがかりであり傾聴に値せず、その賛同意見にも妥協できるところはない、という認識でいるのでしょうか? どちらなのか、簡潔な回答をお願いします。
以上2点、よろしくお願いします。--Kanohara(会話) 2021年6月26日 (土) 11:19 (UTC) 一部誤入力修正。--Kanohara(会話) 2021年6月26日 (土) 11:32 (UTC)
- 返信 (kanoharaさん宛) またーりさん暫くログインできないとのことですので、代わりに私が応対します。まずレイアウトですが、私は基本的に{{reflist}}は注釈と出典のみとし、出典もできれば1つにまとめたほうがいいと思います。また、またーりさんも「本来なら{{reflist}}は増やさないほうがいい」という考えを確認しました。ではなぜreflistを細分化したのかというと、「作品内、ニュースサイト、原作者のTwitterが混在していて出典としてわかりにくい」とのことです。最初にごっそり削りたいようでしたが、「どこまで削ればよいかわからない状態になった」状態となり、仕方ないので見やすいよう{{reflist}}を細分化したということです。
- これは私からも言いたいことで、他の人も述べていますが、「作品内引用と原作者のTwitter引用が多すぎる」とのことです。内容を充実化させ、かつ{{要出典}}がないことは望ましいとは思いますが、その程度が過ぎてしまうとかえって読みづらく、わかりづらくなってしまうこともあります。正直に言いますと「登場人物の詳細を知りたければ簡潔にしたうえでカクヨムやコミックNewtypeなどに誘導していいのでは」「バイクについては該当するバイク項目でやったほうが」という考えです。原作者のTwitterにいたっては作中に出てこないことまで引用しており、その設定が本当に個人的にはそれは有効か疑問に思います(「原作者がそう言っているから」と言われればそれまでですが、作品に本当に反映されるかということです)。個人的見解ですが、少なくとも恵庭椎のモデルや礼子の誕生日は不要(どうしてもというのであれば出典の緩い他の百科事典やWikiでどうぞです)、他についてもあくまで補足程度に留めたほうがいいのではと思います。作中引用も同様で、「他の小説やアニメ関連項目を見ても150も引用されている状況は多すぎる」と思います。
- 繰り返し言いますが、結論は「{{reflist}}を減らすのは賛成、但しまず作品内引用とTwitterに引用を大幅に減らしてから」です。それが済んでから{{reflist}}を一本化する作業に着手が望ましいと考えています。
- ちなみにkanoharaさんは某大型掲示板の会話を持ち出して問いかけていますが、WikipediaのやりとりはWikipedia内の会話のみでお願いします(私はWikipedia外のやりとりは仮に事実であれ無効としています)。--Kaidog(会話) 2021年6月28日 (月) 11:17 (UTC)
- 返信 (Kaidogさん宛) 回答ありがとうございました。しばらく議論の推移を見守りますが一点だけ。「Wikipedia:過剰な内容の整理」(プロジェクト:漫画/過剰な内容の整理、プロジェクト:アニメ/過剰な内容の整理)に従って内容を整理すること自体については異論がありませんが、「何をもって過剰な内容とするか」という点に関しては、恐らく私とまたーりさんとKaidogさん、その他の編集者の編集傾向を見る限り、かなり意見が分かれそうに思います。加えてこの小説「後の伏線として使われている重要な設定に限って、辻褄合わせのための変更点が多い」ので、Kaidogさんの言う整理内容は「実際に手をつけてみた上での実感として、それは難しいと思う」という感想を抱いています。合意形成を図る際にはその点についても話し合って頂ければ、と思います。--Kanohara(会話) 2021年6月29日 (火) 10:17 (UTC)
- コメント お疲れ様です。私の除去のスタンスは、以前にも申し上げましたが、本文に盛り込めないものは基本的に些末なことであり、除去しても差し支えないというものです(なので、現在のように注釈であれこれ羅列している状態は結構耐え難いものがあります)。いくら注釈があるとはいってもまず読むのは本文であり、多すぎる注釈は逆に読む気を削ぎます。人によっては全く注釈に目を通さない人もいるでしょう。注釈ありきで記事内容を構成するのは危険であり、本末転倒と考えます。とにかく現在は「注釈には何を書いてもいい」「出典を付けたら何を書いてもいい」といった形になってしまっていますので、まずは何を削り、何を残すかの指針を明確にしてやるところからだと考えます。--ぜろわん(会話) 2021年7月4日 (日) 10:30 (UTC)
- 返信 (ぜろわんさん宛) あくまで個人的見解ですが、ゆるキャン△やばくおん!!、ひげを剃る。そして女子高生を拾う。を参考にしますと基本ステータスと生い立ち程度に留め、その後の話の流れなどは省略がいいと思います(そもそもカクヨムへ行けば無料で読めるのでわざわざここに詳細に書く必要はないでしょう)。主要人物は4~5行程度、その他の人物は3行以内が目安、当然作中に出てこない原作者設定はカットで。バイクについてもアニメに出てきたバイクに加えスペックなど詳しい記述は不要、3行前後に収められる程度が望ましいと思います。ローカルルールになってしまいますが、問題を早期に解決するためにはやむを得ないと思います。ただ私はこの作品あまり知らないので、詳しい方が削った方がいいとおもいます。--Kaidog(会話) 2021年7月6日 (火) 12:23 (UTC)
- 返信 (Kaidogさん宛) 私も人物紹介はそのくらいが理想的かな、と考えます。Kaidogさんがおっしゃる部分は極力除去しても差し支えないでしょう(それを補完するためにあらすじの項目があるのですし)。相当バッサリと除去してしまっても問題ないと私も思います。Kaidogさんはローカルルールになるのではとおっしゃっていますが、私はこれらの編集はローカルルールというよりもプロジェクト:漫画やプロジェクト:アニメの方針に基づく編集だと思います。プロジェクトの意向に基づいての記述整理に関してはKanoharaさんの賛同も得られておりますし、あとは除去のさじ加減だけだと思いますが、この点につきましてはKanoharaさんとできましたらまたーりさんも交えての議論が必要と考えます(私は削ることはできますが、以前削ったときにホンダ・VTRの項目の除去でKanoharaさんから一言進言がありましたように、削り過ぎの気があるようです)。どのくらいの除去で同意が取れるか、時間があるときにSandboxで試行してみようかと思います。--ぜろわん(会話) 2021年7月7日 (水) 08:39 (UTC)
- 返信 (ぜろわんさん、kanoharaさん宛) ホンダ・VTRの項目の除去を確認しましたが、私はそうは思いません。むしろ「なぜ削りすぎなのか」という考えすらあります。繰り返しますが、現状は「内容が過剰に多く、それに併せて引用も細切れで多くなっており、そのためReflistなどでトラブルが起きている」ことです。さらに付け加えますと「引用に冗長性がない」「作品のどのページを参照だらけで作品全体をを読ませようとする内容になっていない」「ネタバレは禁止されていないが、率先して記述するものでもない」と厳しい評価を下さざるを得ません。これについてこれ以上私があれこれ言ってもKanoharaさんは納得いかないと思いますし、項目の内容について論争になることは避けたいので、Kanoharaさんはどうしてもこうしたいというのであればウィキペディアの方針を盾にするより自分の加筆された部分についてWikipedia:査読依頼を出されることがよいのではと思います(ルール上Kanoharaさんしか依頼できませんけど)。査読で評価されればKanoharaさんの主張と方針は正当性が認められることになりますし、色々指摘されればやはり訂正や削除の方向になると思います。--Kaidog(会話) 2021年7月10日 (土) 02:09 (UTC)
- 返信 (Kaidogさん宛) 私も人物紹介はそのくらいが理想的かな、と考えます。Kaidogさんがおっしゃる部分は極力除去しても差し支えないでしょう(それを補完するためにあらすじの項目があるのですし)。相当バッサリと除去してしまっても問題ないと私も思います。Kaidogさんはローカルルールになるのではとおっしゃっていますが、私はこれらの編集はローカルルールというよりもプロジェクト:漫画やプロジェクト:アニメの方針に基づく編集だと思います。プロジェクトの意向に基づいての記述整理に関してはKanoharaさんの賛同も得られておりますし、あとは除去のさじ加減だけだと思いますが、この点につきましてはKanoharaさんとできましたらまたーりさんも交えての議論が必要と考えます(私は削ることはできますが、以前削ったときにホンダ・VTRの項目の除去でKanoharaさんから一言進言がありましたように、削り過ぎの気があるようです)。どのくらいの除去で同意が取れるか、時間があるときにSandboxで試行してみようかと思います。--ぜろわん(会話) 2021年7月7日 (水) 08:39 (UTC)
- 返信 (Kaidogさん宛) 回答ありがとうございました。しばらく議論の推移を見守りますが一点だけ。「Wikipedia:過剰な内容の整理」(プロジェクト:漫画/過剰な内容の整理、プロジェクト:アニメ/過剰な内容の整理)に従って内容を整理すること自体については異論がありませんが、「何をもって過剰な内容とするか」という点に関しては、恐らく私とまたーりさんとKaidogさん、その他の編集者の編集傾向を見る限り、かなり意見が分かれそうに思います。加えてこの小説「後の伏線として使われている重要な設定に限って、辻褄合わせのための変更点が多い」ので、Kaidogさんの言う整理内容は「実際に手をつけてみた上での実感として、それは難しいと思う」という感想を抱いています。合意形成を図る際にはその点についても話し合って頂ければ、と思います。--Kanohara(会話) 2021年6月29日 (火) 10:17 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。私はこれまで数々の漫画・ライトノベル作品の記事を見てきましたが、脚注のグループ分けというのは記事による、編集者の編集スタイルによるとしか言えないですね。故に賛成はしませんが、特別このようなやり方はダメだ!とも言いずらいのがホンネです(ただどちらか決めてくれと仰るのであれば皆さんのご意見と同じくグループ分けはしなくてもいいんじゃないかなあと思います。理由は皆さんが反対される理由に納得できるからです。)。個人的にはKaidogさんやKanoharaさんの仰る通り記事がかなり内容過剰となっているのでこれの整理を優先された方が良いのではと思います。まあ一編集者の些細な意見だと思ってもらえたら幸いです。私はアニメしかみておらずこれ以上は深く関われないのでこれにて失礼します。--PMmgwwmgmtwp'g(会話) 2021年6月26日 (土) 11:38 (UTC)
コメント しばらく議論が停滞していますが、そろそろ発言して宜しいでしょうか? とりあえず登場人物の記述の整理についてコメントします。
> 基本ステータスと生い立ち程度に留め、その後の話の流れなどは省略がいいと思います
基本情報に絞ること自体には異論ありませんが、「何をもって基本情報とするか」という点で、ウィキペディア編集者の意見は別れると思います。例えば「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#作品記事内ではより簡潔に」では、「設定や作中での活躍は細部に至るまで記述せず、「作品における位置づけ」に絞って記述する必要があります。」という整理の方向性を定めています。私個人としても、ウィキペディアにおける登場人物の解説では、その登場人物が物語の中でどのような思想を持っていてどのような役割を果たし、何を成し遂げるのか、といった内容を中心として書くのが理想だと考えます。
Kaidogさんが手本として示した「ばくおん!!」「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」の記事は、申し訳ないながら個人的には(ただちに是正すべき駄目な記事とは言わないまでも)あまり模範的な例とは感じませんでした。確かにテレビアニメの公式サイトなどではしばしば、基本情報として誕生日や血液型や好き嫌い、スリーサイズなどといったプロフィールが書かれるので、それを模範的な基本情報であると考えているウィキペディア編集者も多いのでしょう。ですが、あれはあくまでネタバレを伏せつつ人物の容姿と名前を覚えて貰うことを意図した、宣伝的な人物紹介であって、ウィキペディアの目指すところとは目的が異なると考えます。実際にウィキペディアの「プロジェクト:アニメ#登場人物」でも、登場人物の詳細なプロフィールは不要とされています。
私の手元にはいくつか、複数の古典文学あるいはサブカル系作品を網羅する登場人物事典のような書籍資料がありますが、やはりいずれの書籍も、登場人物の劇中での立場や、葛藤の内容や、成し遂げた成果といった記述が中心です。特定作品の公式ビジュアルファンブックのような書籍であればともかくとして、どの書籍を見ても、身長体重誕生日、といったキャラクタープロフィールを載せているようなものはありません。百科事典を目指しているウィキペディアも当然そうあるべきだと考えます。例えばシェイクスピア作品の登場人物について調べ物をするために百科事典を紐解こうとする者が、ローゼンクランツやギルデンスターンの身長体重や誕生日について調べようと思うでしょうか?
個人的には、小説『スーパーカブ』は、人とモノの関係性を主題に、バイクを通じて広がる人間関係を描いた作品だと捉えています。なので登場人物のバイクに対する接し方や考え方、バイクに関するエピソードなどを中心に書くべきではないでしょうか。「プロジェクト:アニメ/過剰な内容の整理#登場人物」では「人物の特徴を説明する為には重要でない(中略)持ち物などの瑣末な情報」は不要とされていますが、説明に必要かつ瑣末ではない情報であれば必要でしょう。
一方で、「主人公は高校2年生である」のような設定は、年単位で進行する物語の中においては既刊7巻中のわずかな期間の情報でしかなく、基本情報とは言い難いので、(積極的に削るべきとまでは言えずとも)優先度としては低く、必要最低限の記述に残すような重みのある情報ではないと考えます。また、食べ物の好みといったプロフィールも削ってよいと考えます。
出身地については、物語の途中で小熊の出身地が変更になっている状況などから、少なくとも原作者はこれをキャラクターの基本情報として重視していないのだろうと察します。この辺りはアニメツーリズム関連のコラボレーション企画の情報と併せて「物語の舞台や登場する地名」のようなセクションにまとめれば有用な情報になりそうな気もしますが、登場人物の情報としては優先度が低く感じます。教頭先生、手芸部顧問のような登場人物は、人物自体の情報よりも、人物から渡された物品の方が物語上重要な要素だと感じるので、「登場ガジェット」のようなセクションを作って記述を移動した方がよいかも知れません。
> バイクについてもアニメに出てきたバイクに加えスペックなど詳しい記述は不要
小説『スーパーカブ』に登場するバイクの描写は、現実に存在する車種の特徴をただただ写し取ったものではなく、車種固有の特性を個性としてデフォルメしたり、特性と密接にリンクしたエピソードが用意されていたりするなど、一種のキャラクターとしての描かれ方をしていると思います。例えば本作に登場するスーパーカブ50は、部品交換やオーバーホールが容易で何度大破しても不死鳥のように蘇り、あらゆる過酷な状況や困難に直面しても、オプションの換装によってあらゆる用途に適応するスーパーマシンとして描かれていますが、現実のカブオーナーにとってのカブがそうであるとは限らないので、単にウィキペディアのバイク記事にリンクするだけでは十分な説明にならないでしょう。もちろん、これが「書き割りの小道具として実在の車種が登場する」程度の扱いの作品であれば、詳細な説明は不要でしょうから、別に他のウィキペディア記事にも同等の説明を書くべきなどと主張するつもりはありません。ですが、小説『スーパーカブ』はバイクを主題とした作品なのですから、「この作品では主題がどのように扱われ、どのような役割を果たすか」という説明は必要だと考えます。
> ホンダ・VTR
私も後から気がつきましたが、VTR250の登場エピソードは書籍版とカクヨム版で内容がまったく異なります。書籍版では登場エピソードに紙幅が割かれ、小熊の新しい相棒としてのデビューを印象づける描写になっていますが、カクヨム版の登場エピソードは、ドゥカティ・モンスターとのデザイン上の類似といったネガティブな言及に徹しているので、カクヨム版しか読んでいない読者にとっては、第一印象の差から「印象の薄い、単なるガジェット」という印象を持たれてもおかしくはありません。個人的には、そういった認識の差のせいでウィキペディアの編集者同士で編集合戦になることを防止するためにも、書籍版とカクヨム版の違いについては明記していく必要があると考えます。
> 少なくとも恵庭椎のモデル(中略)は不要
「プロジェクト:ライトノベル#制作背景」や「プロジェクト:アニメ/登場人物の書き方#成立とコンセプト」にもありますように、登場人物が他の作品からどのような影響を受け、どのように生み出されたのか、という情報はウィキペディアに書くべき内容とされます。例えば上に例示した「ローゼンクランツとギルデンスターン」の記事にも、人物の元ネタの解説があります。私自身も以前発言したように、こうした内容は百科事典として有用な情報だと思っています。
ただ本記事の場合、ミーハーさを押し出した原作者の発言は登場人物のセクションに置くには浮いているし、あらゆる登場人物について元ネタを網羅していくのは冗長、という点については私も感じなくもないです。ということであれば「登場人物のモチーフや他作品からの影響」といったセクションを作り、雑多な箇条書きにならないよう注意しながら、解説をまとめるのが適切かと考えます。これは「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#作品記事内で求められる記述」にも合致していると考えます(ただし、仮に登場人物一覧を分割する場合、「プロジェクト:ライトノベル#記事の分割について」にあるように「登場人物などの作中要素を分割するときは作者の意図、モチーフとなったもの、社会での反響や評価といった二次情報も合わせて加筆する」べきとされていることに留意する必要があるでしょう)。--Kanohara(会話) 2021年8月10日 (火) 09:39 (UTC)
- コメント遅くなりました。ええと長々と文を書いてこの記事に対する思いは概ね通じましたが、結局どうしたいのかが伝わりにくいので大変申し訳ありませんが要約していただけますでしょうか。少なくとも「無駄な内容が多い」と指摘している人に対して長文で所謂「論破」という形で自分の思い通りにいかせようとしても首を縦に振ってくれる人は多くはないと思います。
一つ一つ応対するのもただ浪費するだけですので簡単に申し上げますと、Kanoharaさんは「ここまでWikipediaに固執する理由」がわからないのです。詳細にやりたければ@wikiあたりでやられた方がやりやすいと思いますし、主張に対する回答は「それWikipediaでなくてもいいよね?」になります。 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかやWikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのかなど、Wikipediaでなければならないと思っている方に対してのガイドライン的なページがありますので、確認済みであってももう一度目を通したうえで何が問題かを考えていただければと思います。 熱くなるのはわからなくもないのですが、これまで指摘した通り「相手に対する配慮が欠けている」「自分の思い通りでないと気が済まない」という姿勢が改まっていない以上やはり疲弊を招くだけですので自粛を継続してほしいところです。私に読解力がないこともありますが、その旨ご了承ください。--Kaidog(会話) 2021年9月10日 (金) 13:50 (UTC)
- 報告先日、作者トネ・コーケンのツイートに基づく些末な記述を根こそぎ除去しましたが、そのためにtwitterに属する注釈が2件にまで減少しました。2件だけで項目を維持することもないだろうと考え、先ほどの修正でtwitterの脚注を廃止し、ウェブサイトの脚注に統合いたしましたことを報告いたします。--ぜろわん(会話) 2022年1月22日 (土) 10:32 (UTC)
内容の整理について
[編集]上の項目での議論が全く進展せず、3か月以上煩雑な記述がそのままになっていますので、取り急ぎグループ分けについてはひとまず置いて内容の整理をしたく思います。まずは各媒体で全く語られていない、いわば裏設定の開陳でしかない作者のツイートを出典とする記述(例えば小熊や礼子の誕生日、椎のモールトンの具体的車種など)の除去を行いたいと考えておりますが、これにつきましてご意見はございますでしょうか。--ぜろわん(会話) 2021年12月15日 (水) 07:26 (UTC)
- 済 特に反対意見もありませんでしたので、作者のトネ・コーケンのツイートをもとにする記述の除去を実施しました。オーバーサイズピストンに関するツイートについてのみ、物語本編にも出てくる内容に関する記述のため残しています。--ぜろわん(会話) 2021年12月21日 (火) 20:28 (UTC)
- コメントお疲れ様です。小熊の誕生日はカクヨムの最新話でも出てきていますので、書いてもいいと思いますが如何でしょうか。--118.243.120.189 2022年1月3日 (月) 02:12 (UTC)
- コメント お疲れ様です。私はカクヨム版は未読ですので内容につきましては何とも言えませんが、私には誕生日が小熊という登場人物を説明するために絶対に外すことができない重要なファクターとは思えません。また、プロジェクト:アニメやプロジェクト:漫画では、登場人物のプロフィールに関する記述を推奨しておりません。従いまして私が小熊の誕生日を追記することは現時点ではありませんし、どなたかが追記しましたら些末な記述として除去するつもりでおります(小熊以外の登場人物も同様)。大変申し訳ありませんが、以上、ご承知置きください。--ぜろわん(会話) 2022年1月3日 (月) 13:26 (UTC)
中庸の意味
[編集]「学校の成績も中庸」という表現。中庸は思想概念なので、「平均的」とか「真ん中位」という意味の使い方は誤用なのでは?--118.241.53.16 2022年7月10日 (日) 16:06 (UTC)
- ご指摘くださいましてありがとうございます。中庸につきましてはおっしゃる通りですので修正いたしました。--ぜろわん(会話) 2022年7月11日 (月) 12:24 (UTC)
作品内使用のクラシック楽曲のリストについて
[編集]お疲れ様です。昨年末におぶろーもふさんによって表題のリストが追加されました。即時除去しようかとも考えましたが、おぶろーもふさんの「聞けばわかる」「文字の出典に縛られるのはどうか」というコメントを受け、Wikipedia:井戸端#アニメで使用されたクラシック音楽の出典についてにて出典の有無の是非につきまして問い合わせました。その結果、出典は音楽だろうと必要であろうこと、また私は気づきませんでしたが本作で音楽を担当しました石川智久さんのTwitterにて曲目が紹介されていることをご教示いただきました(井戸端の議論内にtogetterへのリンクがあります)。
出典につきましては上記Twitterで問題ないと思われます。ただ、井戸端ではWikipedia:検証可能性にて「検証可能なものだからといってなんでも書いていいものとは限らない」とも言われました。これにつきましては私も全く同意見で、私は「クラシック音楽を作品内で使用していることに特筆性がある」のであって、何の曲を何話に使用しているという部分に特筆性があるわけではないと考えます。そこで、当該リストを除去すべきか残すべきか、皆様のご意見を頂きたく思います。どうぞよろしくお願いいたします。--ぜろわん(会話) 2023年3月8日 (水) 10:16 (UTC)
お世話になっております。おぶろーもふです。 まず、クラシック音楽をアニメーション作品内で使うことについて特筆性がある、ということについては両者とも意見の一致をみた、と仮定してもいいですよね。その前提でお話しさせていただきます。 さて、クラシック音楽といっても古くはバッハの17世紀の音楽から、20世紀の音楽まで幅広く存在しており、それぞれの時代において音楽の性質が大きく異なります。歌う音楽なのか、和音(和声)を大切にする音楽なのか、あるいは奇抜な音楽なのか、クラシック音楽とひと言でいうにはあまりにも多彩な変容をとげてきているのがクラシック音楽、あるいは単に音楽の世界という認識が私にはあります。その作品にクラシック音楽が使われていたとして、それがどういうタイプのクラシック音楽なのか、記者が主観で音楽のタイプを記述するとこれは出典がない記載になり wikipedia にはそぐわなくなります。そこで、実際に使用された音楽および作曲家を記載することで、このアニメーションの演出としてどのようなタイプのクラシック音楽が選択されたのかが、読者にわかるようになります。実際、このアニメーションにて使用されているクラシック音楽は、後期ロマン派から印象派の音楽を多数引用している、という点は、他のアニメにはみられない特筆性があります。それを示唆するには、使用された楽曲名を記載することがもっとも正確な記述と思われます。もう一度いいますと、印象派のクラシック音楽を使用するというアニメは、ほかにはほとんど存在しないので、このアニメの特筆性として楽曲リストを記載することで、このアニメの演出上の特長を示す意図となります。 以上で説明となっておりますでしょうか。ご検討いただきたく、よろしくお願いいたします。--QZaw55cn4c(会話) 2023年3月9日 (木) 10:13 (UTC)
- おぶろーもふさん、初めまして。ご意見をくださいましてありがとうございます。
- 作品内におきましてクラシック音楽を使用していることにつきましては、おぶろーもふさんがおっしゃる通り特筆性があると私も認識しており、出典(ONTOMO)も添付されていることから何の問題もないと認識しております。一方、曲目リストにつきましては制作陣がどういう意図でこの話のこのシーンにこのような選曲をしたのかがあまりはっきりとしておりません(スタジオ櫂のHPの藤井監督のインタビュー内で「聞きなじみのあるもので基本的にピアノの独奏曲を選んだ」「ドビュッシー、ショパン、リスト、サティを使っているが、ドビュッシーが多いのは自分の好み」というくらいしか私は見つけられませんでした)。仮にこの記事を基に記述するのであれば、リスト化するのではなく文章内に「監督の藤井が好きなドビュッシーをはじめとしてリスト、ショパン、サティといった作曲家のピアノ曲がチョイスされている」といった感じの文章に上記監督インタビューを出典として添付するといった感じになると思います。もちろん、他に詳細な出典があればそれを根拠にしてリストを存続させることは私もやぶさかではないと思いますが、おぶろーもふさんがおっしゃっている「印象派のクラシック音楽を使用しているアニメは他にほとんどない」という主張を根拠にリストを提示するのは、現時点では独自研究とみなされる可能性が高いのではないか、と思います。--ぜろわん(会話) 2023年3月13日 (月) 11:52 (UTC)
- 「印象派のクラシック音楽を使用しているアニメは他にほとんどない」という主張を実際にそう記述すれば、それは独自研究になりますが、客観的に使用された曲を正確に記述するのは非常に客観性の高い有用なデータだと思います。意図と事実とをはっきり区別するべきで、あなたの意見は事実と主観とを混交しているように私にはみえますが、いかがでしょうか?--QZaw55cn4c(会話) 2023年3月13日 (月) 13:02 (UTC)
- コメント そうですね、先の意見には『リストは不要』という私の主観が多少なりとも入っているとは思います。おぶろーもふさんがおっしゃることも理解できますので、リストにつきましては出典の添付を前提として残してもよいかと思います。出典につきましては先に提示しました石川さんのツイートで問題ないかと思いますが、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にとありますように、出典の添付はおぶろーもふさんの方で行っていただければ、と思います。
- 以上、よろしくお願いいたします。--ぜろわん(会話) 2023年3月15日 (水) 13:11 (UTC)
- 「印象派のクラシック音楽を使用しているアニメは他にほとんどない」という主張を実際にそう記述すれば、それは独自研究になりますが、客観的に使用された曲を正確に記述するのは非常に客観性の高い有用なデータだと思います。意図と事実とをはっきり区別するべきで、あなたの意見は事実と主観とを混交しているように私にはみえますが、いかがでしょうか?--QZaw55cn4c(会話) 2023年3月13日 (月) 13:02 (UTC)
- コメント井戸端で提起された議論を見てやってきました。「「クラシック音楽を作品内で使用していることに特筆性がある」のであって、何の曲を何話に使用している」というぜろわんさんの発言には妥当性があり、その通りだと思います。また、ONTOMOの記事にて具体的なシーンと楽曲を挙げて言及しているのも、重要だと思いますが、そこで触れられていない楽曲については特段リストとして残しておくほどのものではないと思います。また、おぶろーもふさんの発言「客観的に使用された曲を正確に記述するのは非常に客観性の高い有用なデータ」も、そのデータを掲載することに何の意味があるのか明示しない限り、「楽曲が羅列されてるけど、だから何?」という疑問が発生します。特段全楽曲を羅列しなくとも、先ほどのような出典をもとに「音楽ライターの桒田萌が、具体的なシーンと楽曲を挙げて言及している」とするだけで十分ではないかと思います。--VZP10224(会話) 2023年3月25日 (土) 07:20 (UTC)
- >「「クラシック音楽を作品内で使用していることに特筆性がある」のであって、
- >何の曲を何話に使用している」というぜろわんさんの発言には妥当性があり、
- いや、だからなぜ妥当性があるのか、説明してませんよね。あなたが勝手に「妥当だ」といっているにすぎません。もっと客観的なデータで論証してください。
- >そこで触れられていない楽曲については特段リストとして残しておくほどのものではないと思います。
- なぜそう思ったのか、理由を明示してください。
- >「楽曲が羅列されてるけど、だから何?」という疑問が発生します。
- 確かに万人向けの説明ではありませんが、この作品で取り上げられた各曲はクラシック界では非常に著名な曲ばかりですよ。だから何?と思う人の方に教養面にて課題があると私は考えます。上にも書いたように「そのデータを掲載することに何の意味があるのか明示」すると、それが独自研究に該当してしまうので、技術的に明示できないしがらみがあるのです。その点を考慮いただいた上での最大公約数的解決だと認識ください。QZaw55cn4c(会話) 2023年3月25日 (土) 12:16 (UTC)