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ノート:スブリミス・デウス

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改名提案

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提案サブリミス・デウス」を「スブリミス・デウス」に改名するように提案します。Wikipedia:外来語表記法/ラテン語によればラテン語は「原則として古典期の推定発音に忠実に表記する」必要があります。また当時のアメリカ先住民を奴隷化していたのはスペイン人であり、わざわざ英語式で読む必要はありません。--Pekanpe会話2021年11月24日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

チェック 改名を完了しました。--Pekanpe会話2021年12月1日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

特別:投稿記録/133.209.167.237さんの独自研究かつ客観性が欠如しているとみられる編集

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特別:投稿記録/133.209.167.237さんの好ましくない独自研究の入った改編の事例はいくつかありますが、基本的には日本史関連の記事で自分で出典をいれずに出典のある文章を削除または、出典のない独自研究に追加・入れ替えることを意図しているようです。最初の事例ではスブリミス・デウスの『条文』を改編してしまっています。

  • 改編前の内容
これに反することが起こった場合、それは無効であり、何の効果も持たない。 — 改編前のスブリミス・デウスの条文の箇所[1]
  • 改編後の内容
これに反して奴隷商人が奴隷とした場合、それは無効であり、何の効果も持たない — 改編後のスブリミス・デウスの条文の箇所[1]

スブリミス・デウスの英文を特別:投稿記録/133.209.167.237との訳文と比較検討してみますで説明されているように、スブリミス・デウスの原文『and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect.』では一度も言及されていない奴隷商人という用語を混入させています。

参考までにバテレン追放令の記事では、Wikipediaの表現としてふさわしくないような主観的な表現に(出典のある根拠のある文章が)上書きされています。

  • 改編前の内容
神国思想を意識的に構築しており、家康もその排外主義的な基本路線を踏襲した — 改編前の文言[2]
  • 改変後の内容
日本在来で一神教的なの天道思想にも言及している、家康もその基本路線を踏襲した — 改編後の文言[2]

この例にもれず、そもそも議論を呼ぶであろう天道思想が一神教的という宗教学の表現を使いたければ、出典を示して、自分の変更した箇所の出典のページ番号も含めて指定すべきです。出典のある内容についてはマナーのある話し合いの上で合意するのがwikipediaのやり方ですし、他の方の出典であるかのように偽装して出典があるかのように印象を与えようとするのは、コミュニティ的にも望ましい姿勢ではありません。

出典のある内容を改竄しないでください。独自研究を出典つきの内容に混入させる悪質な出典偽装(WP:SNEAKY)についてでは、出典つきの内容を繰り返し改竄しており、出典にない独自研究を出典のある文章に上書きしています。

結論として特別:投稿記録/133.209.167.237さんの問題点としては、個人の意見で独自研究である内容を出典のある内容に紛れて編集していることなので、例えば記事の中に自分の独自研究をまとめる以上に検証可能性を困難とし、同時に独自研究によって出典のある内容・文章を改編してしまうことでガイドラインに違反していることを指摘させていただきます。--杜の街会話2024年8月3日 (土) 06:18 (UTC)[返信]

情報
同一人物と見られる方に関するノートです。
IPはちょくちょく変わるようですが、プロバイダーが同じで投稿内容が似ているので、出典内容に低品質の独自研究を混入する荒らし行為(WP:SNEAKY)は確認できる限りでは二年前ぐらいに遡れるようです。これまでの編集をみた限りではWP:RSWP:NPOVWP:Vを理解していないと思いますし、短めのWP:PRESERVEを読んでるかさえも怪しいですね。--杜の街会話2024年8月18日 (日) 00:21 (UTC)[返信]

スブリミス・デウスの英文を特別:投稿記録/133.209.167.237との訳文と比較検討してみます

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特別:投稿記録/133.209.167.237さんから「杜の街に因る虚偽の翻訳文」との以前からあるスブリミス・デウスの記事に直したところ批判がありました

2024年8月3日 (土) 07:51‎ 119.240.149.223 会話‎ 6,296バイト +123‎ 杜の街に因る虚偽の翻訳文を訂正杜の街 (会話) による ID:101340542 の版を取り消し

では本文がどうなっているか確認してみましょう。

Desiring to provide ample remedy for these evils, We define and declare by these Our letters, or by any translation thereof signed by any notary public and sealed with the seal of any ecclesiastical dignitary, to which the same credit shall be given as to the originals, that, notwithstanding whatever may have been or may be said to the contrary, the said Indians and all other people who may later be discovered by Christians, are by no means to be deprived of their liberty or the possession of their property, even though they be outside the faith of Jesus Christ; and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect. — パウルス3世『スブリミス・デウス』[3]

最後の文書の「and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect.」という箇所を特別:投稿記録/133.209.167.237さんの真の翻訳文は以下のように記述のない奴隷商人という原文に存在しなかった単語を追加しています。

これに反して奴隷商人が奴隷とした場合、それは無効であり、何の効果も持たない。 — 特別:投稿記録/133.209.167.237の真の翻訳とされる文章

こうした記述を修正確認するのは不要な二度手間ですし、この方の最新の表現にはマナーがないと感じます。個人の意見・印象または独自研究である内容を出典のある内容に紛れて編集するやり方に開き直る印象は好ましいとは言えないと思います。--杜の街会話2024年8月3日 (土) 09:55 (UTC)[返信]

特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんは出典のある内容を削除して、出典のない記述を入れて、再三の取り消しを行っていますが、例えばPanzerはこのように記述しています。
This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future.(この教えはキリスト教徒やインディアンだけに限定されるものではなく、将来遭遇する可能性のあるすべての人々に適用される) — Panzer著「The Popes and Slavery」[4]
そしてスブリミス・デウスの条文にもこう書かれています。
the said Indians and all other people who may later be discovered by Christians — 出典からの文章の切り抜き、上記参照のこと[5]
これをみた上で特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんの翻訳を読むと、教皇の奴隷制度への非難がインディアンだけに限定しているかのように記述しており、出典に反する内容となっています
西と南のインディアンと呼ばれるアメリカ大陸の先住民とその他のすべての人々 — 変更前
西と南のインディアンと呼ばれるアメリカ大陸の先住民とその他のインディアン(当地の人々) — 特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんの変更後
特別:投稿記録/119.240.149.223さん、特別:投稿記録/133.209.167.237さんの投稿記録を見ると、出典のある内容を、出典のない内容に置き換えて、さらに出典ありの文章を不要かつ客観性のない攻撃的で誤解をあたえかねない文章などで改悪を繰り返し、注意を受けても一向に反省する姿勢を見せないのは嘆かわしいことではあります。--杜の街会話2024年8月4日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ a b https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9&diff=101129459&oldid=91675707
  2. ^ a b https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E8%BF%BD%E6%94%BE%E4%BB%A4&diff=101253500&oldid=100786928
  3. ^ Sublimis Deus”. PAPAL ENCYCLICALS ONLINE. 2024年8月3日閲覧。 "Desiring to provide ample remedy for these evils, We define and declare by these Our letters, or by any translation thereof signed by any notary public and sealed with the seal of any ecclesiastical dignitary, to which the same credit shall be given as to the originals, that, notwithstanding whatever may have been or may be said to the contrary, the said Indians and all other people who may later be discovered by Christians, are by no means to be deprived of their liberty or the possession of their property, even though they be outside the faith of Jesus Christ; and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect."
  4. ^ The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29, "Paul states that the Indians are "true men" who are able to accept the Faith, and in fact do so eagerly. Thus, "the same Indians and all other peoples—even though they are outside the faith", [10] are not to have their possessions taken or their lives reduced to slavery. This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future. Anything done or taught contrary to this universal Bull is null and void. The conversion, not the domination, of the Indians is to be the goal of the Europeans; this goal is not to be attained by violence, but rather "by preaching and the example of a good life." [11]"
  5. ^ Sublimis Deus”. PAPAL ENCYCLICALS ONLINE. 2024年8月3日閲覧。 "Desiring to provide ample remedy for these evils, We define and declare by these Our letters, or by any translation thereof signed by any notary public and sealed with the seal of any ecclesiastical dignitary, to which the same credit shall be given as to the originals, that, notwithstanding whatever may have been or may be said to the contrary, the said Indians and all other people who may later be discovered by Christians, are by no means to be deprived of their liberty or the possession of their property, even though they be outside the faith of Jesus Christ; and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect."

特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんの英文の翻訳について(Menは成人男性(人間)と翻訳すべきか)

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2024年8月4日 (日) 02:41‎ 119.240.149.223 会話‎ 7,231バイト +59‎ 一部意図的な誤訳を訂正 について日本語訳で気になる点があります。

アメリカ先住民は、たとえ異教徒であっても、自由私有財産の権利を持つ完全に理性的な人間であると述べている。 — 元の文
インディアスの人々を奴隷とする事を禁止し、自由財産の保持を保証すべき、真正な成人男性(人間)であると述べている。 — 特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんが翻訳した文
しかしながら、インディアンは真の人間であり、カトリックの信仰を理解する能力があるだけでなく、我々の情報によれば、その信仰を受けることを強く望んでいると考えます。 — 元の文
しかしながら、インディアンは真の成人男性(人間)であり、カトリックの信仰を理解する能力があるだけでなく、我々の情報によれば、その信仰を受けることを強く望んでいると考えます。 — 特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんが翻訳した文

公式文書でのMenを成人男性として訳してしまうと、トマス・ペインの人間の権利は「成人男性(人間)の権利」、独立宣言は「すべての成人男性(人間)は平等につくられた」と訳されることになります。米国であれば小学生でも学ぶような内容なので、幼稚園なみの英語力になるかと思います。おそらくAIが訳したものをそのまま書いてるのでしょうが、笑いのネタとしては十分なものの、Wikipediaの水準には満たない翻訳AIのコピペだと思います[注 1]。--杜の街会話2024年8月4日 (日) 11:34 (UTC)[返信]

  • コメント 「Attendentes Indos ipsos, utpote veros homines, non solum Christianae Fidei capaces existere ...」にでてくる「homines」は、「人々」とか「人間」とか訳すのが正しいように思います。実例で言えば、谷川義美『インディアスにおける福音宣教:多様な問題に関する宣教師たちの見解の相違』 (pdf)(pp.4-5)では「... それら先住民は真の人間であり...」のように訳されています。(脚注を見ると、染田秀藤・篠原愛人監修『ラテンアメリカの歴史: 史料から読み解く植民地時代』(ISBN 9784790711278)からの引用らしいですので、同書から引用すると良いかもしれませんね)--StrangeMist (a.k.a StrangeSnow / Talk) 2024年8月5日 (月) 21:47 (UTC)[返信]
    賛成 同程度の信頼性の文書があり、内容が同じかそれに近いものであり片方が外国語でもう片方が日本語なら、外国語を翻訳したものでなく、最初から日本語にされた資料を使うのがルールですが、その文書は紀要論文なのでWikipediaの二次資料としては使えないのが問題です。おっしゃるとおり脚注文献はWP:RSに適合する二次資料(専門家の書いた一般書)です。
    それら先住民は真の人間であり、キリストの信仰を受容できるだけでなく、現に信仰に近づきつつあることを考慮し、適切な手段を講じるため、以下のように宣言する。先住民をはじめ、将来キリスト教徒が知ることになる人々は例外なく、たとえ信仰の外にいようとも、自由や所有権を奪われず、むしろその自由や所有権を、自由かつ正当に享受できる。また、彼らを奴隷とするのも許されない。 — 『スブリミス・デウス』原文の日本語訳、染田秀藤・篠原愛人監修『ラテンアメリカの歴史』90-91頁[1]
    残る問題はWP:COPYQUOTEの方針に基づいて、どこまでが公正な引用に該当するかですが、Wikipediaの方針に準拠するために著作権侵害にならない程度の最小限の部分を切り抜けばよいと思います。記事の特筆性に不可欠と考えられる箇所はすべての人の奴隷化の禁止の箇所なので、上述のように更新すれば良いと思います。ちなみに私は編集合戦のため両成敗となり書き込めないので、代わりに更新して頂くお時間があればお願いいたします。--杜の街会話2024年8月7日 (水) 02:25 (UTC)[返信]
    条件付賛成 提案
    『ラテンアメリカの歴史』ですが再確認したところ、著者が「大阪外国語大学ラテンアメリカ史研究会」となっておりますが、そのままではWP:RSに適合するか怪しいですね。ただし染田秀藤(論文)・篠原愛人監修とあるため、編集者の一次資料和訳よりも優先されるべきですし、和訳に限定した使用をする分には問題ないと思います。和訳については以下の二次資料で提示されている箇所だけを抜粋して掲載すれば良いと思いますね。
    • 「BARTOLOMÉ DE LAS CASAS AND THE QUESTION OF EVANGELIZATION, Hartono Budi, Jurnal Teologi, Vol. 02, No. 01, Mei 2013, hlm. 49-57」
    • 「Bartolomé de Las Casas’ The Only Way: A Postcolonial Reading of At-One-Ment for Mission, Dale Ann Gray, Phd Thesis」
    • 「The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29」
    一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください(WP:NOR)
    一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです(WP:RS)。
    元データの掲載されているPAPAL ENCYCLICALが信頼できる出版元の公刊でないことも確認できたので出典として削除し、『ラテンアメリカの歴史』の訳文から二次資料が引用している箇所を抜粋して、編集者自身の和訳部分と差し替えることで、方針・ガイドラインに準拠できると思います。--杜の街会話2024年9月5日 (木) 05:56 (UTC)[返信]


  1. ^ 真正な成人男性(人間)は日本語としてもおかしいとは思います。

脚注

  1. ^ 『スブリミス・デウス』原文の日本語訳、染田秀藤・篠原愛人監修『ラテンアメリカの歴史』90-91頁

杜の街さんの編集に関して

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同時代のスペイン史(ポルトガル王国含む)に関する知識が無いのか,何故か短い全文を全て訳さずよく知られいる史実を知らないと意味が取れない部分をカットしている--119.240.149.223 2024年8月5日 (月) 01:59 (UTC)[返信]

返信 *特別:投稿記録/119.240.149.223さんはThe Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29の出典内容を何度も削除してますが、信頼のできる情報源である二次資料からの内容は基本的に削除はできません、逆に出典のない内容、既存の出典にみせかけて独自研究を混入した編集内容は削除できます。信頼できる情報源からの出典ありの内容の削除は荒らしとみなされます。
  • 比重が同じかより高い二次資料を複数だして情報としてまとめることで、中立性のある記事をつくることができます。詳細はWP:RSの歴史セクションをごらんください。
  • また記事の書き方ですが、上述のPanzerの文にあるTrue men特別:投稿記録/119.240.149.223のように真正な成人男性(人間)と訳すと日本語でも意味不明なので、理性的な人間と記述するほうが、古い原文のAI翻訳の直訳よりは、まとめ文としては適切かと思います。
  • 上記の『特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんの英文の翻訳について(Menは成人男性(人間)と翻訳すべきか)』の話題もそうですが、意味や意訳がおおむね変わらない箇所の変更は問題ではなく好みにすぎず、問題はあなたの編集姿勢が二次資料に裏付けられた「This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future.」にある『すべての人々』を、「インディアン」だけに限定し続けていることにあります。あなたの言っている誤訳は、誤訳というより意訳があるから騒いでるに過ぎず、自分の独自研究的な訳だけは許され、自分は一切出典を追加しないし、都合の悪い有力な出典はすべて削除、無視して独自研究を優先させるなら、荒らしWP:SNEAKYと見られるでしょう。絶対にやってはいけないことは、出典のある内容を独自研究によって改竄することです。もしこの独自研究にこだわるなら出典を自分で出すようにしてください。また二度と出典つきの内容を改竄しないでください。
--杜の街会話2024年8月5日 (月) 02:51 (UTC)[返信]
>既存の出典にみせかけて独自研究を混入した編集
全く意味不明、注釈に出典を載せた当該のsublimis deusを日本語訳しただけであり、同じく外国語文献も当然翻訳した記述。何を主張したいのか全く意味不明、若しくは読み手をミスリードするたちの悪い誹謗中傷--119.240.149.223 2024年8月5日 (月) 03:21 (UTC)[返信]
返信 信頼できる出典(WP:RS)ありの内容は削除したり改竄しないでください。情報が出典と異なると主張し根拠もなくケチをつけるだけで、いくらでも独自研究の混入した改竄や削除が可能となるなら、Wikipediaは荒らし(WP:SNEAKY)の餌食になります。荒らしはコミュニティが検証するよりも早く、出典ありの文章を改竄したり出典つきの内容に独自研究を混入させられるので、後追いのコミュニティ側は不利だからです。仮に出典つきの内容を変更したいのであれば、ノートで話題を作り、以下の3点をやれば合意形成をしてることになるので、荒らしとは考えられないと思います。
  1. 出典元の文章の関連箇所を引用する
  2. 出典つきの文章が、出典と矛盾または文意が異なることを論証
  3. Wikipedia:コメント依頼に相談したいことを書き、合意がとれてから修正
こうした手続きをとらないで出典つき内容を変更すれば、差し戻しされるのは仕方ないですね。なぜなら荒らしの投稿に時間をかけて検証するのは無駄だからです。時間を惜しまず合意をとろうとする姿勢はWikipediaでは必要です。あるいは時間を惜しむなら、信頼できる情報源から出典を追加して、既存の出典つき内容に対して、他の学者が査読論文において対立説を論じていると併記することもできます。今回の件では、あなたの文書改竄に対して私は出典を追加して関連する箇所を引用し、元々の文章が二次資料によってサポートされていることを論証しました。私が同一著者の二次資料を追加し、該当箇所の文を引用したのがそれにあたります。特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんは信頼できる出典の情報を最近、削除して独自研究に差し戻し続けていますね。
スブリミス・デウス』(ラテン語Sublimis Deus[1]、またはSic Dilexit[2] )は、1537年6月2日教皇パウルス3世が公布した勅令。西と南のインディアンと呼ばれるアメリカ大陸の先住民とその他のすべての人々[3][4][5]を奴隷にすることを禁じている[6][5]。アメリカ先住民は、たとえ異教徒であっても、自由私有財産の権利を持つ完全に理性的な人間であると述べている[4] — 変更前の内容
スブリミス・デウス』(ラテン語Sublimis Deus[7]、またはSic Dilexit[8] )は、1537年6月2日教皇パウルス3世がインディアンの奴隷化と布教に就いて公布した勅令。西と南のインディアンと呼ばれていたアメリカ大陸の先住民と未知のアメリカ先住民の奴隷化,自由の剥奪,財産の強奪を禁じた[5] — 特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんの変更後
特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)さんは奴隷商人]という原文にない表現を訳に混入させることで、奴隷商人に対してだけ禁令を発したとか、すべての人々でなくアメリカ先住民にだけ禁令をしたというように、原文に書かれていない限定条項があると読みとれるよう尽力なされているとは思います。True Menを人間でなく「真正の成人男性(人間)」と訳して、男性だけにしか適用されないという改竄の努力も伝わってきます。文脈的には"True Men"は直訳である真の人間よりは、野生的でない文明的な人間と訳してもいいですね。わかりにくいので解説の箇所では理性的な人間と訳すのは許容範囲内です。あなたの訳である真正の成人男性(人間)というのはありえないですね。すでに言ってる通り、米独立宣言を「すべての成人男性(人間)は平等につくられた」とかトマス・ペインの人間の権利を「成人男性(人間)の権利」と翻訳するぐらいには異常な訳だと思います。
Paul states that the Indians are "true men" who are able to accept the Faith, and in fact do so eagerly. Thus, "the same Indians and all other peoples—even though they are outside the faith", [10] are not to have their possessions taken or their lives reduced to slavery. This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future.(この教えはキリスト教徒やインディアンだけに限定されるものではなく、将来遭遇する可能性のあるすべての人々に適用される) — The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29,
ジャーナル掲載の二次資料は歴史分野では重要性の重みが最上級となっており、この出典つきの内容を削除ないし改変して、真の翻訳という名の独自研究を混入し改悪する限りは、差し戻されても甘受するしかないとは思います。--杜の街会話2024年8月5日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
意味不明
当該二次資料は原文発見以前の物,原文のタイトルはインディアンの奴隷化,原文は既知のインディアンと未知の人々で既知の異教徒は当然言及されていないというより抑々インディアスのインディアンの奴隷化に対する諭旨
sublimis deusの記事でsublimis deusを無視する杜の街の意図が不明,何か別の目的でもあるのかな?--119.240.149.223 2024年8月5日 (月) 16:45 (UTC)[返信]
返信
当該二次資料は原文発見以前の物,原文のタイトルはインディアンの奴隷化,原文は既知のインディアンと未知の人々で既知の異教徒は当然言及されていないというより抑々インディアスのインディアンの奴隷化に対する諭旨 — 特別:投稿記録/119.240.149.223(FL1-119-240-149-223.kng.mesh.ad.jp)
日本語としておかしい構文なので、正確に理解しているのか確認します。
  • 原文」とは何を指すのか?
  • 当該二次資料は原文発見以前」とは何を意味するのか?二次資料は1996年に学術誌で出版されており、スブリミス・デウスの原文は1537年の一次資料であり、教皇庁の英訳文は最近のものか知れませんが、1996年以後のものという論拠はみつかりませんし、百科辞典であるWikipediaの歴史トピックでは学術誌の掲載論文の重要度は一次資料よりも高いです。
  • 原文のタイトルはインディアンの奴隷化」とありますが、記事の原文のタイトルは「スブリミス・デウス」または「崇高な神」、二次資料のタイトルは「教皇と奴隷制度」であり、「インディアンの奴隷化」という表題の文書は少なくともこの記事にはないはずです。
  • 原文は既知のインディアンと未知の人々で既知の異教徒は当然言及されていないというより抑々インディアスのインディアンの奴隷化に対する諭旨」とありますが、スブリミス・デウス原文にある「他のすべての人々」(all other people)という表現を「Panzer,1996」がキリスト教徒に限定されないと記述していることから異教徒と書くのは許容範囲です。
This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future.(この教えはキリスト教徒やインディアンだけに限定されるものではなく、将来遭遇する可能性のあるすべての人々に適用される) — The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29,
--杜の街会話2024年8月6日 (火) 01:23 (UTC)[返信]
意味不明
自分で出典に載せた,最近発見されたスブリミス・デウスの原文を読んで無いと,自白した様なもの.
杜の街に因って出典に挙げられた原文が1537年5月29日付の物,二次資料は6月2日付の文書に対する文献.
原文のタイトルはSublimis Deus:On the Enslavement and Evangelization of Indiansでインディアンの奴隷化と布教,正直杜の街が何を言ってるのか理解に苦しむ--119.240.149.223 2024年8月6日 (火) 03:01 (UTC)[返信]
返信
杜の街に因って出典に挙げられた原文が1537年5月29日付の物,二次資料は6月2日付の文書に対する文献. — 119.240.149.223 2024年8月6日 (火) 03:01 (UTC)
当該二次資料は原文発見以前の物 — 119.240.149.223 2024年8月5日 (月) 16:45 (UTC)
それは面白い理解ですね。119.240.149.223さんの書かれたままに読むと壊れた暗号のようで意味がよくわからないのですが、二次資料にあるスブリミス・デウスの日付が一次資料のスブリミス・デウスの日付の(以前ではなく)に記述されてると言われたいわけですね?二次資料が6月2日付の文書ということですが、二次資料内の項目名「Paul III: Sublimis Deus, June 2, 1537」にある内容には以下のように記述があります。
The second core teaching of Sublimis Deus which follows from this is the necessity of restoring and maintaining the liberty of the Indians: (スブリミス・デウスの条文引用の開始)Therefore, We.... noting that the Indians themselves indeed are true men and are not only capable of the Christian faith, but, as has been made known to us, promptly hasten to the faith, and wishing to provide suitable remedies for them, by our Apostolic Authority decree and declare by these present letters that the same Indians and all other peoples—even though they are outside the faith who shall hereafter come to the knowledge of Christians have not been deprived or should not be deprived of their liberty or of their possessions (sua libertate ac serum suarum dominio privatos seu privandos non esse). Rather they are to be able to use and enjoy this liberty and this ownership of property freely and licitly, and are not to be reduced to slavery (nec in servitutem redigi debere), and that whatever happens to the contrary is to be considered null and void. These same Indians and other peoples are to be invited to the said faith in Christ by preaching and the example of a good life. [9](スブリミス・デウスの条文引用の終わり) Paul states that the Indians are "true men" who are able to accept the Faith, and in fact do so eagerly. Thus, "the same Indians and all other peoples—even though they are outside the faith" (emphasis added), [10] are not to have their possessions taken or their lives reduced to slavery. This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future.(この教えはキリスト教徒やインディアンだけに限定されるものではなく、将来遭遇する可能性のあるすべての人々に適用される) — The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29,
以下の学術誌の掲載論文にも記述がありますが、スブリミス・デウスの条文は6月2日と考えるべきです。
Paul III: Sublimis Deus, June 2, 1537. Found in Las Casas En Mexico:Historia y obras desconocidas, by Helen-Rand Parish and Harold E. Weidman,Mexico City: Fondo De Cultura Economica, 1992, pp. 310-311.
また最近あなたご自身が投稿されたバージョン にも6月2日と記述がありますし、Wikipediaの他の言語でのバージョンも確認できる限りで6月2日ですね。一次資料として使用されていたPAPAL ENCYCLICALS ONLINE[注 1]が5月29日と誤った日付にしてるから信頼ができないなら、前述の二次資料にある条文引用から日本語に翻訳したほうがいいということかと思いますし、それは全く問題ではありません[注 2]
当該二次資料は原文発見以前の物,原文のタイトルはインディアンの奴隷化,原文は既知のインディアンと未知の人々で既知の異教徒は当然言及されていないというより抑々インディアスのインディアンの奴隷化に対する諭旨 — 119.240.149.223 2024年8月5日 (月) 16:45 (UTC)
原文のタイトルはSublimis Deus:On the Enslavement and Evangelization of Indiansでインディアンの奴隷化と布教,正直杜の街が何を言ってるのか理解に苦しむ — 119.240.149.223 2024年8月6日 (火) 03:01 (UTC)
  • スブリミス・デウスの原文のタイトルではなくサブタイトル(On the Enslavement and Evangelization of Indians)を指していたと言いたいんでしょうけど、正しくはサブタイトルが「インディアンの奴隷化と宣教について」ですね。それだけで察せるはずだと凡人を笑われるんでしょうが、それで何のことか分かる人はあまりいないと思います。「文は既知のインディアンと未知の人々で既知の異教徒は当然言及されていないというより抑々インディアスのインディアンの奴隷化に対する諭旨」という表現もわずからながら意味がわかってきました。つまりスブリミス・デウスのサブタイトルで想像力が飛躍してしまい、それだけしか書かれない文書であると信じられているわけですね?しかしながら上記の引用(Panzer 1996)のとおり、スブリミス・デウスの引用の直後に、その条文が異教徒や他のすべての人々に適用されることを確認しています。
  • ちなみに一次資料よりは、二次資料のほうが重要だとWikipediaの方針・ガイドラインが言っておられるので、誠に申し訳ないですが、119.240.149.223さんのような凡人には理解しがたい天才であり、二次資料よりも優れた独自研究が著述可能なスーパーウィキペディアンであっても、Wikipediaのルールを尊重いただけないでしょうか?
いずれにしても、119.240.149.223さんが二次資料から援用された内容を削除・改竄して、何の根拠(出典)もなく二次資料に反する内容に差し戻し続けている問題は変わりません。--杜の街会話2024年8月6日 (火) 03:27 (UTC)[返信]
情報
The Only Way was so convincing that even Pope Paul III was encouraged to issue a papal bull Sublimis Deus in 1537 which was adopting deliberately all principles of the The Only Way, not just for the Indians of the New World, but for all the peoples to be discovered in the future.(新世界のインディアンだけでなく、将来発見されるすべての人々のため) — BARTOLOMÉ DE LAS CASAS AND THE QUESTION OF EVANGELIZATION, Hartono Budi, Jurnal Teologi, Vol. 02, No. 01, Mei 2013, hlm. 49-57[9](査読あり)
Sublimis Deus was Pope Paul III’s declaration of the full humanity of all peoples of the world. It was his response to the first edition of The Only Way, carried to Rome by Minaya in 1537, and according to Parish, was chapter and verse delineated by Las Casas (Parish, “Introduction” in TOW). — Bartolomé de Las Casas’ The Only Way: A Postcolonial Reading of At-One-Ment for Mission, Dale Ann Gray, 2018, 博士論文
--杜の街会話2024年8月9日 (金) 13:28 (UTC)[返信]
情報
同一人物と見られる方に関するノートです。
IPはちょくちょく変わるようですが、プロバイダーが同じで投稿内容が似ているので、出典内容に低品質の独自研究を混入する荒らし行為(WP:SNEAKY)は確認できる限りでは二年前ぐらいに遡れるようです。これまでの編集をみた限りではWP:RSWP:NPOVWP:Vを理解していないと思いますし、短めのWP:PRESERVEを読んでるかさえも怪しいですね。--杜の街会話2024年8月18日 (日) 00:21 (UTC)[返信]
  1. ^ 一次資料は以前から参考資料として掲載されているウェブサイトのリンクから抽出されていた
  2. ^ ウェブサイト(PAPAL ENCYCLICALS ONLINE)は信頼できる情報源ではないので、原文は二次資料にある引用から抽出してWikipediaのWP:RSに準拠するべきですね。これを機に二次資料にあるスブリミス・デウス原文の引用をソースとして使うべきと考えます。

脚注

  1. ^ またはスブリムス・デイPope Paul III. "Sublimus Dei, 1537, Papal Encyclicals Online
  2. ^ https://www.cbu.ca/indigenous-affairs/mikmaq-resource-centre/mikmaq-resource-guide/mikmaw-timeline/
  3. ^ Paul III: Sublimis Deus, June 2, 1537. Found in Las Casas En Mexico:Historia y obras desconocidas, by Helen-Rand Parish and Harold E. Weidman,Mexico City: Fondo De Cultura Economica, 1992, pp. 310-311.
  4. ^ a b The Popes and Slavery, Panzer, Joel S., Homiletic and pastoral review Year: 1996, Volume: 97, Issue: 3, Pages: 22-29, "Paul states that the Indians are "true men" who are able to accept the Faith, and in fact do so eagerly. Thus, "the same Indians and all other peoples—even though they are outside the faith", [10] are not to have their possessions taken or their lives reduced to slavery. This teaching is not to be limited to Christians or Indians only, and is to be applied to any and all peoples who may be encountered in the future. Anything done or taught contrary to this universal Bull is null and void. The conversion, not the domination, of the Indians is to be the goal of the Europeans; this goal is not to be attained by violence, but rather "by preaching and the example of a good life." [11]"
  5. ^ a b c Sublimis Deus”. PAPAL ENCYCLICALS ONLINE. 2024年8月3日閲覧。 "Desiring to provide ample remedy for these evils, We define and declare by these Our letters, or by any translation thereof signed by any notary public and sealed with the seal of any ecclesiastical dignitary, to which the same credit shall be given as to the originals, that, notwithstanding whatever may have been or may be said to the contrary, the said Indians and all other people who may later be discovered by Christians, are by no means to be deprived of their liberty or the possession of their property, even though they be outside the faith of Jesus Christ; and that they may and should, freely and legitimately, enjoy their liberty and the possession of their property; nor should they be in any way enslaved; should the contrary happen, it shall be null and have no effect."
  6. ^ Joel S. Panzer: The Popes and Slavery (New York: Alba House, 1996), pp. 79-81 "Sublimis Deus sic delexit humanum genus" (崇高なる神は人類を愛された)
  7. ^ またはスブリムス・デイPope Paul III. "Sublimus Dei, 1537, Papal Encyclicals Online
  8. ^ https://www.cbu.ca/indigenous-affairs/mikmaq-resource-centre/mikmaq-resource-guide/mikmaw-timeline/
  9. ^ https://ejurnal.stpkat.ac.id/index.php/jutipa/Peer_Review_Process