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ノート:スピリチュアリティ

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半保護を依頼しました

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ノート:霊性で議論の最中ですが、121.107.209.16さんが加筆を進められているので、いったん元に戻し半保護を依頼しています。加筆に有益な内容があることは理解していますが、両記事の方向性が定まるまで、もう少し待っていただくことはできないでしょうか。--やまさきなつこ会話2016年3月13日 (日) 06:22 (UTC)[返信]

加筆に反対される理由は何ですか?ノート:霊性で議論中といっても、オカルト関係について2016年3月1日 (火) 12:43 (UTC)にすでに二週間前に出典を出していますよ?なぜオカルトについて書けないのでしょう?それに答えることを一切せずに、半保護とは話になりませんよ。加筆について待ってくれといわれても、問題点を指摘していますので、答えてからにしてください。ノート:霊性で議論しているのは、霊性とスピリチュアリティの統合の話ですよね。加筆に反対しないといっていたのは嘘なのですか。加筆に反対するもいっていないので、「 ノート:霊性で議論の最中」だからとして加筆を拒絶するとは、筋が通っていません。また、私が今日加筆した部分は、統合の件、区分けの件とは別件です。仕方ないので、こちらにも私が加筆したい個所を転載します。

  • 宗教学事典(丸善、平成22)の「スピリチュアリティ」項目(弓山達也執筆)では、WHO1998以来の議論でスピリチュアリティと宗教とは分離された次元で議論されたこと、一方で樫尾直樹『スピリチュアリティ革命』2010ではスピリチュアリティを「超自然的な力や存在」のこと(小池靖)、「当事者が何らかの手の届かない不可知、不可視の存在」または「神秘的なつながり」(伊藤雅之)、「何らかの超越的存在」(葛西賢太)という「霊的なもの、超自然的なものや働きを重視する宗教学者の定義が紹介。
  • 同事典p.598-599「新霊性運動=文化」(島薗進)では、従来の伝統的なキリスト教における「霊性」と、現在興隆しているスピリチュアリティは「かなり形を変えている」。「特に目立つのは新しいスピリチュアリティの興隆」で、これを「欧米でニューエイジ、エソテリスム、日本で精神世界などと呼ばれることが多かった現象」として「新霊性運動」と呼称できるといっている。また、「精神世界からスピリチュアリティへ」というタイトルの段落では、日本でスピリチュアリティという語が盛んに用いられるようになったのは1990年代以降、アメリカでは1980年代以降といい、それ以前も霊性追求はあったが、内からの自己解放という潮流の急速は普及が目に見える運動となって若者を中心に深い影響を及ぼすようになったのはこの頃であるとしている。また、この潮流は、ニューサイエンス、癒やし、ホスピス、緩和ケア、またビジネスとしても、ヨーガ、気功、気づきのセミナー、意識変容セラピー、エコロジー、アルコール中毒患者のアルコホリクス・アノニマスのようなセルフヘルプ運動などが含まれるとしている。
  • 同「宗教学事典」(丸善、平成22)p20-21(伊藤雅之)では伝統宗教、マクガイアのいう公認宗教とは異なる、非公認宗教、非組織的な宗教現象に対して1990年代以降、「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」の語を用いて把捉しようとする研究が増加したとある。J.A.ベックフォードはこの「スピリチュアリティ」現象のうち、制度宗教だけでなく、医療、教育などに浸透し発展するホリスティックな世界観を持つ文化現象を「新しいスピリチュアリティ」とした、とある。
  • 同事典p152-3(岩井洋)では新宗教(黒住教、金光教、天理教など)が組織的であるのに対して「超越的、神秘的な体験を重視する個人的な宗教性」として「霊性(スピリチュアリティ)」を定義。
  • 同事典p300(鶴岡賀雄)でスピリチュアリティとは「従来の神秘主義が有していたエリート主義、達人主義的含意を去って、一種の民主化ないし大衆化された神秘主義」として定義。
  • 「宗教の事典」朝倉書店p472-3(島薗進)では「新しいスピリチュアリティ ニューエイジと精神世界」というタイトルで、「もともと宗教と不可分のものとして考えられてきた霊性だが、昨今は組織的な宗教から離れて個々人が霊性に目覚めるという方向」でスピリチュアリティという語が用いられ、日本では「霊性」と「スピリチュアリティ」双方が用いられているが、1990年代以降、「スピリチュアリティ」の語が優勢、とある。
  • ランカスター大学の宗教学教授のC.パートリッジ(Christopher Partridge )が編纂した「現代世界宗教事典―新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ」悠書館では、こうある。 p497-498:西洋で新な代替的なスピリチュアリティが伸張し、これらの多くはオカルト、ニューエイジ、UFO、イルカ、東洋の伝統への指向、を示すとある。この出典からして、スピリチュアリティには当然オカルト、ニューエイジについて概説が書かれるべきです。この他、同事典では p512:ポストモダンのスピリチュアリティはニューエイジ、クラブカルチャー、音楽、映画にも等しく見出すことが可能とする。p514-518では幻覚剤の使用を中心としたサイケデリック・スピリチュアリティについて概説。p499-502ではCelebrity - centric Spirituality、セレブ崇拝のスピリチュアリティ:ダイアナ妃へのスピリチュアルな崇拝、セレブへのスピリチュアルな崇拝は19世紀のヴィクトリア女王夫のアルバート公、20世紀ではマリリンモンロー、ケネディ大統領、ジョン・レノン、チェ・ゲバラ、エルヴィス・プレスリーなどが例としてある。
  • 「宗教の事典」朝倉書店2012、 p540-541(川村邦光)で1960年代終わり頃からの、瞑想、密教、ヨガ、神秘主義、アメリカ経由の東洋宗教、超能力の開発、星座や血液型による占い、心霊写真、超常現象などのオカルティズム、精神世界、スピリチュアリズムの潮流から、霊性、スピリチュアリティへの覚醒が若者を中心に大きな潮流となった、と説明。マンガ、アニメの北斗の拳、AKIRA、風の谷のナウシカについても書かれる。そして1910年代からの霊学、霊術ブームやスピリチュアリズムの流行を踏まえて、「霊性、心霊世界、異次元の世界を志向する、超近代スピリチュアリズム」について説明。そのなかで鈴木大拙の日本的霊性を引用、またオウム真理教についても書かれています。
  • 「宗教の事典」朝倉書店p694-5(池上良正)でも、これまでの伝統的な宗教とは異なる現代社会の現象として、人々の意識や行動の様式、集団の性格などに、強い神秘性や超越的な権威が認められる現象がある。人気歌手のコンサート、ワールドカップなどのスポーツ応援においても、「宗教」とはよばれないが、何らかの超越的ない見や力との交流があり、こうした擬似宗教的現象を指すキーワードとしてスピリチュアリティという言葉が愛用され、ニューエイジ、霊術系と称される新宗教、癒やしやセラピー、さらにアニメ、映画、ゲーム、教育や医療でも使われていると書かれています。

これらの出典の加筆に反対する理由は何ですか?

やまさきなつこさんとジャム・パンナさんは「オカルトや超自然とは無関係」と主張するが、そう書かれた出典はどこにありますか?出典を出せないのならば、主張しないでください。ウィキペディアは独自の考えを発表する場でも、演説台でもありません。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
発言を曲解するのはいい加減やめていただきたい。また命令しないでください。あなたは私に命令する権利があると思っているのですか?私は議論がまとまるまで加筆を待ってほしいといいましたが、加筆自体に反対しましたか?またスピリチュアリティとオカルトが無関係といいましたか?カテゴリーのスピリチュアリティを英語版を参考に整理したのは私ですが、オカルト関係も含まれていますよね。二つは同じ概念ではないと申し上げています。関係がないとは言っていません。あなたの言動は合意を目指しているとは到底思えません。そう思われない言動を心がけてください。--やまさきなつこ会話2016年3月14日 (月) 13:53 (UTC)[返信]
命令とは?口調批判は非推奨レベル2。反論は明瞭に。

命令とは何ですか?やまさきなつこさんとジャム・パンナさんは、お二人とも「議論がまとまるまで待て」といいながら、2週間も加筆に反対していません。反対していないのに、「待て」と命令するとはどういうことでしょうか?「ウィキペディアで命令するとは信じがたい」とやまさきなつこさんは発言していますが、自分も命令していますよね?加筆に反対でないのなら、なぜ「待て」というのですか。何の議論について待てばいいのですか?

命令とは、私が「質問に答えなさい」と要約欄で書いたことですか?口調が強いなら「質問に答えてください」と訂正します。意味は同じです。私が2016年3月13日 (日) 04:58 (UTC)から05:36 (UTC)にかけて連投した「長山正義・森宏一定義は代表的な定義か、導入部」「西平直の分類」「安藤論文」「WHOの健康定義は独立した節にすべき」「宗教学事典を独自研究とすることこそ独自研究」「鈴木大拙」のそれぞれの質問への回答を要求します。速やかに回答してください。

これは統合するにしても議論しなくてならないことですし、現在も加筆しようとしても分類がめちゃくちゃなので書けないのです。Wikipedia:五本の柱では、ウィキペディアの「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。したがって、あなたが投稿したどんな文章も予告なく編集される可能性があります」とあります。つまり、やまさきなつこさんとジャム・パンナさん以外の編集を拒絶するのはやめてください。加筆に反対でないなら、加筆を受け入れてください。記事を支配しようと思わないでください。ウィキペディアのシステムと方針を理解してください。

Wikipediaでは口調批判は推奨されていません(非推奨レベル2)。また、私は反論を引用で明示し、論点を明確にし反論した(推奨レベル5)のに、引用した学者の見解は「私(IPユーザーである私)の意見にすぎない」などという意味不明の反論(非推奨レベル3)をお一人はされました。お二人とも、論点については回答せずに、私の口調の批判や、「人としても普通しない」といった個人攻撃(非推奨レベル1)発言ばかりでさすがに疲れてきました。一ヶ月間もずっとこの調子なのですから、 もうまっぴらです。その間、お二人とも何ひとつ新しい出典を持ってくることもない。そして私が新しく出典を持ってきたら、口調がいけない、「ウィキペディア以前に人として異常」のような罵詈雑言の繰り返しです。


差し戻しの理由は?

加筆に反対でないのなら、何のために差し戻しをしたのでしょうか?私の加筆編集に反対だから差し戻し、削除したんですよね?「議論がまとまるまで」といっているが、どの議論のことですか?霊性とスピリチュアリティの区分けの議論は、統合するかどうかの議論です。私の加筆予定については反対されないのですから、加筆してよいでしょう?統合は加筆を終えてから議論すればいいではないですか。または、加筆を待たなくても、平行して議論すればよいです。

加筆内容が議論されているのではなく、霊性とスピリチュアリティを統合するのか区分けをするかを議論しているんです。ご自身が何を議論しているか、もう一度冷静に、誠実に考え直してください。統合は、加筆を終えてからもできるし、議論もできます。私は、お二人が加筆に反対ではないのなら、加筆を済ませてから議論を再開したらどうかといい続けているのですけど?実際、二人の指摘した「霊性がキリスト教中心」という問題は私の加筆によって解決しましたよね?クリアできていないなら、指摘してください。 差し戻しをする以上は、連投された質問に答えてください。加筆に反対でないなら、加筆されたものを一方的に削除しないでください。

やまさきなつこさんとジャム・パンナさんのミートパペット的行為

「話がまとまるまで」とは、ジャム・パンナさんの2016年2月28日 (日) 14:12 (UTC)にノート:霊性での発言と同内容で、やまさきなつこさんとジャム・パンナさんはまるで同一人物であるかのように同じ発言と態度を繰り返していますが、とても偶然とは思えないほどに言葉使いがそっくりです。加筆も資料調査も一切しないで私への批判と説教ばかりするジャム・パンナさんはやまさきなつこさんを応援するためのアカウントと当人がいっています。また、ジャム・パンナさんの投降記録では、一回だけの加筆以外ではやまさきなつこさんを応援するコメントしかないので、これはミートパペットとみなしてよいのではないでしょうか。ミートパペットと疑われたくないのなら、やまさきなつこさんは正々堂々と回答してください。やまさきなつこさんは感情的になるとジャム・パンナさんとほとんど同じ口調になりますが、友人、同一人物、家族という可能性があります。

Wikipediaでは「複数の人間がいるように装って、同一のページ編集や議論に複数アカウントでかかわってはいけません。」「支持されているという幻想を作り出すこと、つまり、実際より多くの支持を得ているという印象を与えるために副アカウントを使ってはいけません」と、知人に論争の一方に肩入れさせるミートパペット行為は禁止されています。

スピリチュアリティと超自然オカルト

やまさきなつこさんとジャム・パンナさんは、二つのノートと井戸端で繰り返し、「スピリチュアリティと超自然、オカルトは異なる(従って加筆してはならない)」といってきましたが、「スピリチュアリティとは超自然的な力や存在のことを意味する」と社会学者の小池靖は定義しています(宗教学事典、丸善、平成22)。したがって「スピリチュアリティと超自然は異なる」ということは宗教学事典の記載からいっても不可能です。私がずっと要求しているように「スピリチュアリティと超自然は異なる」と書かれた書籍があれば、出してください。出せないならば主張しないでください。また、私はウィキペディア記事のスピリチュアリティ超自然を「同じものと定義する学者がいるから統合すべき」などと言っておりませんので、歪曲しないでください。

私は「オカルトとスピリチュアリティは同じ」と発言していません。現代世界宗教事典や宗教の事典などの「1960年代終わり頃からの、瞑想、密教、ヨガ、神秘主義、アメリカ経由の東洋宗教、超能力の開発、星座や血液型による占い、心霊写真、超常現象などのオカルティズム、精神世界、スピリチュアリズムの潮流から、霊性、スピリチュアリティへの覚醒が若者を中心に大きな潮流となった」という内容を、出典にもとづく加筆をしたいのです。オカルトとスピリチュアリティとが無関係でないことをお認めになられるのなら、なぜ加筆に反対するのでしょうか?私がいっていないことを私の発言として捏造しないでください。なぜ何度も同じことを繰り返しいうのですか?何度説明すればわかってもらえるのでしょうか?今後ずっとこの記事に常駐して、加筆に反対し続けるのでしょうか?

誠意をもって論争の解決を

やまさきなつこさんとジャム・パンナさんが霊性で指摘した「キリスト教中心」という指摘に対して、私はその後、誠意をもって調査をし、その結果を報告しました。さらに、Wikipedia:論争の解決での中立的な観点で書く検証可能性を守り独自研究は載せないことを遵守し、加筆することで解決しました。これに対して、やまさきなつこさんたちは、私や他の編集者から中立性違反を指摘されても、まったく聞き入れようとせず、証拠も出典もなく反対意見を繰り返し(非推奨レベル3:ほとんど証拠を示さず反対意見を述べる)、さらに宗教学事典を引用して私が反論したらそれはIPユーザー(私)の意見であると意味不明なことをいい続けています。Doomreaperさんの仲裁提案を私はほぼ受け入れ、霊性記事を「キリスト教中心」とならないようにして、中立性違反を解決しました。私は誠意をもって対処したのですから、お二人が誠意をもって回答していただく番でございます。連投された質問に回答してください。そして、スピリチュアリティ記事の中立性違反を解決してください。なぜ宗教学事典を引用したら「独自研究」として削除されるのでしょうか?自分の気に入らない本だからですか?なにか個人的な恨みでもあるのですか?--121.107.209.16 2016年3月16日 (水) 07:42 (UTC)[返信]

命令することとお願いすることは意味が異なるため、「~です」「~だ」のような口調の違いとは別問題なのですが。また霊性のノートで両記事について議論するといったのはあなたではなかったでしょうか。議論しながら加筆されると、その内容をいちいち差分で確認し、認識を修正しながら議論を進めるという負担をコミュニティに課すことになります。普通、議論中に加筆は行いません。これまでの経緯から121.107.209.16さんと意思を疎通することは困難だと感じますので、この議論から私は離脱します。他の方も議論から離脱されたのかもしれませんが、今後は私も抜きで議論を進めてください。記事がより良いものになることをお祈り申し上げます。--やまさきなつこ会話2016年3月17日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
「質問に答えてください」と訂正したことを読めないのでしょうか。回答の要求という意味では同じです。命令口調か懇願口調かの違いでしかありません。回答しないまま離脱するのは不誠実ですし、その態度を正しいと考えているのなら、ウィキペディアの方針とは合いません。ウィキペディアにおける編集のための議論とは、お互いに質問に回答していくことでもあります。私が霊性記事の中立性違反を解決したように、おかしいと他人から指摘されれば、そのことが本当におかしいことか自分で考えなおすことです。自分の間違いを認めることは決して恥ずかしいことではありません。出典が提示されたなら自分が嫌いな出典でも確認し、間違いがなければ加筆を認めるべきです。お互いに議論していくことで論争は解決し、記事も改善されます。私の発言や編集態度が間違っているなら、私はIPユーザーだから他の編集者から荒らしと指摘されていたことでしょう。しかし私が間違っていると指摘された方はやまさきなつこさんとそのミートパペットと疑われるジャム・パンナさん以外ではいませんでした。やまさきなつこさんが尊敬されるDoomreaperさんと私は編集内容上の議論もできました。
また、やまさきなつこさんはミートパペット行為の疑いについても最後まで回答しませんでしたが、禁止されているので今後は絶対にしないでください。今後この記事以外でもウィキペディアで編集を続けていくつもりがあるなら、私が援用した方針のページを絶対に読んでください。それができないならば、他の場所で活躍なさることを推奨します。--121.107.209.16 2016年3月18日 (金) 04:18 (UTC)[返信]
また、対話拒否も方針違反とみなされます。そして、Wikipedia:記事の所有権ガイドラインには「何人も―どんなに熟練していて、コミュニティ内でどんなに高い地位にあろうと―ある記事を所有しているかのように振る舞う権利はありません。」とあり、中心的な編集者を他の編集者がかばうことで、中心的な編集者による記事私有化が強化されることをTag team(タッグチーム)ともいいますこれは知人に論争の一方に肩入れさせるミートパペット行為とも関連しますが、ジャム・パンナさんがやまさきなつこさんを応援する行為は、タッグチームによる記事私有化といえます。さらに私有化の振る舞いの例では、
1.'記事への加筆前に内容査読権を主張する
2.正当な編集内容であろうと、頻繁にリバートする。
3.更なる加筆を思いとどまらせるようなコメントをする。形式は様々で、ただ単にネガティブなだけな発言、脅迫や侮辱を含む発言、ある記事テーマ関連について編集を禁止させる発言など。過激な例では、私有化した編集者が他の編集者をひいきしたり、他の編集者の執筆範囲に対して、「きみはその記事を編集する為に必要となる深い知識が欠如している」などの異議を唱えたりする
私有化の発言の例では「この記事は私たちによって作成されたのです」といって、そのことを理由に何かしらの不適切な権利や地位を主張すること
などが書かれています。このノートおよびノート:霊性、および井戸端でのお二人の振る舞いと発言のどれが当てはまるかは私が指摘しなくても、自己の良心が教えてくれることでしょう。--121.107.209.16 2016年3月18日 (金) 13:03 (UTC)[返信]

スピリチュアルブーム、スピリチュアル・ビジネスの参考文献

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加筆また新規記事に役立つのでスピリチュアルブーム、スピリチュアル・ビジネスの参考文献をノート:霊性より転載する。

スピリチュアルブーム
  • 中村晋介「スピリチュアルブームをどうらえるか」福岡県立大学人間社会学部紀要2011, Vol. 19, No. 2,
  • ガイタニディス ヤニス(Ioannis Gaitanidis)「日本におけるスピリチュアルブームと現代西洋エソテリシズム」, 16 June 2012, 「宗教と社会」学会第20回学術大会 , Nagasaki International University、
  • 島薗進、渡邊直樹、宮崎哲弥「マスメディアとスピリチュアル・ブーム」現代宗教 / 国際宗教研究所 編、2008、p/1~34
  • 上田弓子 現代日本におけるスピリチュアリティについての一考察 教養デザイン研究論集 第6号、2014.02
  • 有元裕美子 著 『スピリチュアル市場の研究: データで読む急拡大マーケットの真実』 東洋経済新報社 2011年、
  • 鈴木晋怜「現代のスピリチュアル志向にわれわれはどう応えるか」現代密教 21号、 2010-03-31、pp85-102
  • 石田裕久「face-to-faceなき社会と癒し、スピリチュアリティ・ブーム」人間関係研究 (11), 2012、 南山大学
  • 櫻井 義秀「スピリチュアリティ・ブームと下流化」学士会会報 2007(4), 129-134, 2007-07
  • 櫻井 義秀「スピリチュアリティ・ブームの光と陰」日本脱カルト協会会報, 7-21, 2007
  • 橋迫瑞穂「聖なるものへの橋」ソシオロゴスNO.31/2007、東京大学、
  • 堀江宗正「メディアのなかの「スピリチュアル」―江原啓之ブームとは何か」『世界』No. 759、岩波書店、2006 年12月号、242-50 頁。
  • 香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』幻冬舎新書
  • 小薮智子、白岩千恵子、竹田恵子、太湯好子「スピリチュアリティの認知の有無と言葉のイメージ 緩和ケア病棟の看護師、一般病棟の看護師、一般の人、大学生の特徴 」
  • 平野直子「「近代」というカテゴリにおける「普遍」と「個別」 -手当て療法「レイキ」の80年史を事例として-」早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊56、pp.47 - 61 , 2010.
  • 永岡崇「ソウルメイトは二重橋の向こうに  : 辛酸なめ子における皇室とスピリチュアリティ」京都大學人文科學研究所、人文學報107、p103-129.2015.
  • 弓山達也「スピリチュアルブームを超えて、精神性の高みへ (宗教の時代へ)」(第三文明社、2010年10月)
  • 松浦 由美子「スピリチュアリティと「ほんとうの自己」─インターネット時代の宗教と主体─」メディアと社会. v.1, 2009, p.83-95、名古屋大学大学院国際言語文化研究科

が存在。

スピリチュアル・ビジネス文献
  • Ioannis Gaitanidis「スピリチュアル・ビジネスの定量分析」, 11 June 2011, 「宗教と社会」学会第19回学術大会 , Hokkaido University.

ガイタニディス ヤニス「スピリチュアル・ビジネスの社会経済を考える : スピリチュアル・セラピストの調査から」宗教と社会 (16), 143-160, 2010-06-05

  • 櫻井 義秀「スピリチュアル・ビジネス : 神世界ヒーリングサロンの事例」<特集>第六十七回学術大会紀要、宗教研究 82(4),1303-1304, 2009-03-30」
  • 櫻井 義秀 「霊と金―スピリチュアル・ビジネスの構造」 (新潮新書)
  • 有元裕美子「スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実 」2011東洋経済新報社

--121.107.209.16 2016年3月23日 (水) 15:01 (UTC)[返信]