ノート:ストーカー/過去ログ1
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ウィキペディア的なお知らせ
[編集]2010年8月27日 (金) (UTC) に大きな編集がありました。
ウィキペディアの記事を編集する際に気をつけることは、以下です。ご参照ください。
Uryah 2010年8月28日 (土) 07:26 (UTC)
加筆してみました。2010年8月29日 (日) 07:41 (UTC) の版(節「参考文献」の新設まで)
Uryah 2010年8月28日 (土) 21:52 (UTC) ~ 2010年8月29日 (日) 07:52 (UTC)
「怨恨なら異性とは限らない」について
[編集]この編集(直前の版)についてひとこと申し上げます。
この記事の主題について、何か本を読んだり、その関係・周辺の情報をうろうろ探してみたりしましたでしょうか?されたうえでの編集であれば、その情報源をぜひご提示ください(Wikipedia:検証可能性)。
もし、情報源への当たりなき編集なのであれば、ウィキペディアの記事を読んで直感的に何かを感じて編集するというのは推奨されたやり方だとは思えません(Wikipedia:独自研究は載せない)。さらに、情報源への当たりなきうえで記事の字面に理屈をつけてあれこれ記事を編集するのだとすれば、それは問題外だと感じます。
でも、ウィキペディアの記事の主題について、ある個人(たとえばあなた、たとえば私)の直感的な認識・思いを「寄せてはいけない」ということではありません。記事を読んで、疑問に思うなら、記事のノートに寄せるという方法があります。「ええ、そうだろうか?違うと思う/こう思う」という認識がもしあれば、「情報源求む」という形でノートに記すという方法があります。誰かがその記述にまつわる情報源を探し出してくれるかもしれません。あるいは、「言論になる前の空気をすくいとることもジャーナリズムの仕事ではないかと思う」(朝日新聞2010年8月14日 「夏の基礎講座」)ということですから、自分も思う、自分の身の回りのあの人もこの人もそう思っている人がいるということでもしあれば、ジャーナリストよ1(あるいは学者よ2)、現実に身の回りで起こっているこのことを取り上げてくれ、という形で記事に言及しておく(ノートに記しておく)ことは、あるいは賢明な方法であるかもしれません。実際、明らかに身の回りの幾人もが「そう思っている」ことであれば、長い目で見て、それは賢明なやり方であるかもしれません。そういう部分について物申している本はありますし:
- 『無印ニッポン』 堤清二、三浦展 中公新書 2009年 ISBN 978-4-12-102013-0 p.150 画一化の進行, p.210 視野の本質的な広さ、すなわち、知識としての広さが感性に直結。
- 『社会認識の歩み』 内田義彦 岩波新書 1971年 ISBN 4-00-411063-7 pp.1 - 42
いずれにしても、何か「思いついた」という理由で「記事を編集する/編集した」のだとすれば、Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないに反すると思います。Uryah 2010年9月13日 (月) 11:30 (UTC)
- お返事遅くなりました。Imuzakです。
私は、[1]に書かれている、「特定の個人に異常なほど関心を持ち、その人の意思に反してまで跡を追い続ける者。」という、ストーカーという言葉の定義を読んで、「特定の異性に対して」という記述に疑問を感じ、調べてみたところ[2]、ストーカー規制法では、ストーカーという言葉が異性に対して行われているもののみを指しているわけではないという旨の記述を見つけたので、「特定の異性に対して」という記述に裏付けとなる文献が無かったので、異性と断定している記述を削除しました。
決して『何か「思いついた」という理由で』編集したわけではありません。--Imuzak 2010年9月15日 (水) 09:43 (UTC)
- なるほど、字面に対して理屈で思いつきを書いたのではなく、典型的なものとしては「特定の異性に対して」であると書いてあったのだけれど、その根拠が見つからないではないかということですね。これは失礼しました。
- ただ、どうでしょう、記事の出典の1つに挙げられている『ストーカー事案及び配偶者からの暴力事案の対応状況について 平成22年3月18日 警察庁』を読むと、
- 「行為者と被害者との関係」(資料の(5)) … 「特定の者」が97パーセントで、「交際相手(元含む)」が50パーセント前後、「配偶者(内縁・元含む)」が10パーセント弱で、交際相手と配偶者を合わせて60パーセントほど
- 「行為者の性別」(資料の(3)) … 「男性」が80パーセントくらい
- 「動機」(資料の(6)) … 「好意の感情」が60パーセント前後、「好意が満たされず怨恨の感情」が25パーセント前後で、合わせて85パーセント前後
- ですから、“警察庁が把握しているところでは、「男性が恋人か奥さん(元を含む)をストーキングする」のが典型例”といえるのではないでしょうか。“警察庁が把握していること”が「真実」「事実」かどうかは、また別ですけれども。Uryah 2010年9月15日 (水) 20:51 (UTC)
- 確かにそのデータを見ると、私にもそれが典型例だと思えます。ただ、それはどうしても主観でしかないと思います。wikipedia的に言えば、「独自研究」の中の「オリジナルのアイデア」というものになってしまうと思うのです。--Imuzak 2010年9月16日 (木) 11:59 (UTC)
- え、どうして「主観でしかない」のですか?誰の主観?強いて言えば警察庁の主観ですね。「独自研究」の中の「オリジナルのアイデア」ではなくて、データを見るとそう思えますではなくて、警察庁の発表によればそうである、です。ご参照:Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:言葉を濁さない。
- 以下の変更はどうでしょう?
- 現在:典型的には特定の人間に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す者のことである。
- 新:平成22年の警察庁の発表によるところでは、交際相手・配偶者(別れた相手を含む)に男性がストーキングをするのが典型的な例である<ref name="kei" />。
- Uryah 2010年9月16日 (木) 20:32 (UTC)
- もう少しはっきり申し上げるべきでしたね。
私が言いたいのは、“警察庁が把握しているところでは、「男性が恋人か奥さん(元を含む)をストーキングする」のが典型例”という要旨の文章はこの資料[3]には無かったということです(もしあるなら何ページ目ですか?それとも他の資料ですか)。何パーセント以上が典型例であるなどの明確な基準なんて無いわけですから、それはあなたの主観です。--Imuzak 2010年9月17日 (金) 07:48 (UTC)
- もう少しはっきり申し上げるべきでしたね。
- えーと。「データを素直に読めば」という言い方を知っていますか?ご参照:1、2、統計。Uryah 2010年9月17日 (金) 18:09 (UTC)
- 聞いたことくらいはあります。
では、あなたはどう考えて、「データを素直に読んだ」のでしょうか。差し支えなければご説明願います。
あなたの基準で典型例と判断した、とかではないですよね。それでは統計などではなくあなたの思いつきになってしまいます。
ただ「データを素直に読む」というだけでは人によって基準が少しずつ変わり、検証可能性に反してしまうと思ったので、質問します。--Imuzak 2010年9月18日 (土) 11:20 (UTC)
- 聞いたことくらいはあります。
- ストーカー被害者のうち60%が行為者の交際相手か配偶者で、ストーカー行為者のうち80%が男性だという集計結果を見て、「その集計によれば交際相手・配偶者に男性がストーキングをするのが典型的1」と読む/書くのが主観2ですか?
- またたとえば、同じデータを見れば、ストーカー行為者の動機のうち85%が好意と好意による怨恨だという集計結果を見て、「その集計によれば好意または怨恨によるものが典型的」と読む/書くのは主観ですか?
- 私は/あなたも(2010年9月16日 (木) 11:59 (UTC))そのデータを読んだらそう思う/思った、でもそれは私の/あなたの主観にすぎない、なぜなら文章(字面)としてそう書いてあるのではないから、という理解は違うと言いたいのです。そのデータはそういうことを示している、そのデータによればそうである、でも直感的に違うと思うあるいはその結果は受け入れられないと考えるのなら、その証拠を示す他のデータを探さなければならない、データを素直に読んでください、と言いたいのです。
- でもそうではないとImuzakさんが言うのなら、このまま2人で議論していても話は並行線ですね。ここでいったん議論を打ち切って、記事本文にノートこの節への誘導を書いておくというのはどうでしょうか。長い目で見て、5年とか10年とか長い年月のうちに、読む人がいろいろ判断してくれると思います。
- Uryah 2010年9月18日 (土) 21:46 (UTC)
- そうですね、このまま水掛け論を続けていてもお互いが納得する結論は出そうにありませんからね。私たちはこの議論から退きましょう。
やっぱり私は、「ストーカー被害者のうち60%が行為者の交際相手か配偶者で、ストーカー行為者のうち80%が男性だという集計結果」という出典から「これは典型例である」という判断を記載するのはwikipediaのルールに反すると思います。お互い意見を変える気はなさそうですね。本文の方にこの議論への誘導のテンプレートを貼るのはお願いできますか?--Imuzak 2010年9月19日 (日) 01:09 (UTC)-追記-ちょうどいいテンプレートを見つけたので、貼っておきました。--Imuzak 2010年9月19日 (日) 06:16 (UTC)
- そうですね、このまま水掛け論を続けていてもお互いが納得する結論は出そうにありませんからね。私たちはこの議論から退きましょう。
- では整理しておきますね。Uryah 2010年9月19日 (日) 21:30 (UTC)
整理
[編集]2010年9月に、「典型的には特定の人間に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す者のことである。」(1)という記述についての議論がありました。
「行為者と被害者との関係」は、配偶者と交際相手(別れた相手を含む)を合わせて60%ほど、知人友人と勤務先同僚・職場関係者がそれぞれ10%ほど、面識なしとその他がそれぞれ5%ほど、行為者不明が10%前後、「行為者の性別」の80%ほどが男性、10%ほどが女性、不明が10%くらい、「動機」の85%は好意または好意が満たされないことによる怨恨で、精神障害、職場や商取引上のトラブル、その他の怨恨の感情、その他がそれぞれ1%以下か1%に満たないくらい、という集計を見て
- 「その集計によれば、交際相手・配偶者に男性がストーキングをするのが典型的」と理解するのは自然である。 … Uryah
- いや、その集計をそのように受け止めるのは主観的であり、何らかの考え方(バイアス)がかかっている。 … Imuzakさん
- 「その集計によれば、好意または怨恨によるものが典型的」
と理解するのは異論なしか。と理解するのは自然である。 … Uryah - いや、その集計をそのように受け止めるのには異論がある。 … Imuzakさん
Uryah 2010年9月19日 (日) 21:30 (UTC)~2010年9月19日 (日) 22:22 (UTC)、訂正 2010年9月22日 (水) 22:08 (UTC)
意見
[編集]Imuzakさんの意見に賛成です。理由は以下の通りです:
- Uryahさんのお話によれば、異性のものと解釈できるのは多く見積もっても85パーセント前後しかなく、15%も例外がある為、「典型例」というのはいいすぎだと思われます。
- 低く見積もった場合は(配偶者と交際相手の)60%しかなく、典型例とは程遠いように思えます。
- どこからを典型例とするか、85%と60%のどちらを採用するかなど主観が入りやすく、主観が混じる危険を冒してまで典型例と明記する必然性・メリットが無いように思います。
- 85%という計算方法そのものに、すでに「解釈」が入っており、例えば男性から男性への「好意の感情」がある可能性を見逃してます。(別に「好意」=「恋愛感情」とは限らない)。
警察発表資料というかなり信頼度の高い文献に「異性のものが典型例」と書いていない以上、wikipediaにもそう書くべきではないかと。 もちろん、それと同程度に信頼できる文献に「異性のものが典型例」と書いてあれば別ですが(一般向けの書籍ではなく、学術書や官公庁の白書など)。
74.73.162.254 2010年9月20日 (月) 05:31 (UTC)
いや、読んだのなら返事くださいな>Uryahさん。74.73.162.254
よくわからないのですが、これはなにをどうすることについて意見を募っているのですか? 「典型」に関わる百分率についてローカルルールを決めよう、というおはなしですか? それともどちらに分がある、理があるというおはなしなのですか?--大左衛門 2010年9月21日 (火) 06:54 (UTC)
私もいったん退くとは言いましたがこんなにすぐに人が集まってみると、黙っているのは当事者としてなんだか無責任な気がしまして、戻って参りました。
Uryahさんも何かお返事をした方がよろしいのではないでしょうか。
あと、今気付いたので訂正しておきますが、「整理」の最後の一行ですが、私は「典型的と理解するのに異論なし」と申してはいません。「私にも典型例だと思える」とは申しましたが、理解したつもりはありません。共感しただけです。--Imuzak 2010年9月21日 (火) 10:59 (UTC)一部変更--Imuzak 2010年9月22日 (水) 08:05 (UTC)
どちらかに理があるだろうから、記事を読む人 万人の目に委ねよう、という話です。[疑問点 - ノート]の挿入は、長期間置いておくには見栄えが悪いですか(まずかったですか)?であれば、漠然と「記事のノートへ」ではなく、ノートの節「整理」か節「「怨恨なら異性とは限らない」について」への誘導が出来れば、差し換えた方がいいですね?ただ、いま、その方法を知らないので、一緒に探してください。Imuzakさんにはせっかく{{告知|議論}}を探してもらって悪いかもしれませんが。自分は、いったん、この部分の「議論」からは手を引きたいと思っています。10年でも20年でも(比喩的表現ですけど)、記事を読む人 万人の目に委ねたい、という意図です。
これはImuzakさん個人へ:整理の最後の一行とは、「好意または怨恨によるものが典型的」は異論なしか の部分ですか?であれば、訂正を入れます。Uryah 2010年9月22日 (水) 12:06 (UTC)
- 回答ありがとうございます。記事の編集に関しての具体的な議論でないのならば私は特に意見を持ちません。--大左衛門 2010年9月22日 (水) 13:39 (UTC)
- お返事ありがとうございます。Uryah 2010年9月22日 (水) 22:06 (UTC)
私は、もし議論が続いているなら[疑問点 - ノート]の挿入はいつまでだって置いておくべきだと思います。ただ、もう少し見栄えの良い誘導の方法については私も探してみます。
Uryahさんへ:訂正の件ですが、あなたのおっしゃる通りの一行のことです。私は「その集計によれば、好意または怨恨によるものが典型的」と理解するのには異論ありです。
ただ、私は、あなたが仰る「記事を読む人 万人」の中にあなたのような方がいたほうがいいような気がしますよ。--Imuzak 2010年9月22日 (水) 13:16 (UTC)
- では節「整理」に訂正を入れますね。Uryah 2010年9月22日 (水) 22:06 (UTC)
>10年でも20年でも(比喩的表現ですけど)、記事を読む人 万人の目に委ねたい
この部分に賛同できないです。 この種のテンプレは、問題を解決する為にあるわけで、 問題を放り出したままほっとくのはちょっと…。
他の人の意見を待つ為に2~3週間程放置して上でテンプレを削ってしまうか、あるいUryahさんにも議論に参加していただいた上で、ここできっちり結論を出すか、どちらかにした方がよいと思うのですが、どうでしょうか。66.65.27.40 2010年9月23日 (木) 01:55 (UTC)
- お、そうですか。適切なテンプレートがないか、よろしければ探してみてはもらえませんか?あるいはもしかしたら、該当の部分を「記事を読む人 万人の目に委ねる」のは嫌ですか?Uryah 2010年9月24日 (金) 01:01 (UTC)
- >「記事を読む人 万人の目に委ねる」のは嫌ですか?
- 編集者側が責任を持って解決すべきかと。「放置」が許されるのなら、wikipediaがテンプレだらけになってしまいますから。66.65.27.40 2010年9月24日 (金) 02:46 (UTC)
- ...というと少し言いすぎですね。しかし少なくとも、テンプレをはがす期日を決めておいた方がよいと思います。66.65.27.40 2010年9月24日 (金) 02:48 (UTC)
- では少し待って、ふさわしいテンプレートも見つからなかったら、[疑問点 - ノート] を削除しますか。Uryah 2010年9月24日 (金) 08:34 (UTC)
テンプレート{{告知|議論}}で、ノートの節への誘導が出来ることがわかりました。いま挿入してある [疑問点 - ノート] を削除して、いまの{{告知|議論}}を{{告知|議論|冒頭の「典型的には特定の人間に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す者のことである」について2010年9月に議論がありました。|ノート:ストーカー#整理}}または{{告知|議論|記事冒頭の「典型的には~者のことである」について2010年9月に議論がありました。|ノート:ストーカー#整理}}へ書き換えるのではどうでしょうか。
Uryah 2010年9月24日 (金) 22:23 (UTC)
- テンプレ探しありがとうございます。
- 日付が明記できるのであれば、議論が風化してきたらはがすなど、柔軟な対応ができそうなので、よさそうですね。66.65.27.40 2010年9月25日 (土) 05:41 (UTC)
- では少し待って、異論が付かなければ実施しますね。Uryah 2010年9月25日 (土) 07:28 (UTC)
- よろしくお願いします。69.203.15.1 2010年9月27日 (月) 05:53 (UTC)
- 異論は付かないので、実施しました。→ 2010年10月1日 (金) 22:34 の版。Uryah 2010年10月1日 (金) 22:38 (UTC)
上述の件ですが、下記のリンクをごらんください:
>ストーカー問題相談室に寄せられるメール相談の、65.2%は男性からの被害相談です。女性からは34.8%です。つまり男性の被害者が圧倒的に多いのです。
ストーカーなど迷惑電話の相談を受け付けている団体だそうですので、確度は高そうです。
というわけで、
- 「その集計によれば、交際相手・配偶者に男性がストーキングをするのが典型的」と理解するのは自然である。
というUryahさんの主張が反証された形になるので、この議論を終了し、議論テンプレをはずす形にしたいのですが、どうでしょうか。--ピロクテテス 2011年4月3日 (日) 17:28 (UTC)
- 気づきませんで、いま応答します。
- その情報源を挙げていただいたことで「『その集計によれば、交際相手・配偶者に男性がストーキングをするのが典型的』と理解するのは自然である」が反証されたことにはなりません。
- なぜなら、「その集計」とは、警察庁が発表した「ストーカー事案及び配偶者からの暴力事案の対応状況について」(この集計:現在は見られなくなったようですが、平成23年3月10日版はこちら)のことで、それをどう読むか、という話だからです。自分は「その集計」を見て、その集計は「交際相手・配偶者に男性がストーキングをするのが典型的」「男性が恋人か奥さん(元を含む)をストーキングするのが典型例」と示している、と読みました2010年9月15日 (水) 20:51 (UTC)。その読みの正否について、上で議論があったわけです。
- さてそれぞれの情報源の内容についてですが、仮に、自分の読みが正しくない場合、2011年4月3日 (日) 17:28 (UTC)に挙げていただいた情報の内容と警察庁が公表したデータとの関係、互いに意味するところはいま俄かにはわかりません。仮に、自分の読みが正しいと仮定した場合(※あくまで参考情報としてですが、上の議論をしているとき、女性向けにストーカーの対処法が書かれた本に「自分の身の安全のために、別れ方はきちんとしましょう」旨の記述も目にしました)、挙げていただいた情報源のここにおける両者の意味は、“警察庁が把握していること”とは違う内容の情報源が存在している、です。ウィキペディア的には、併記して記述するように取り扱うべき事柄です。ピロクテテスさんは、こちらを例証しようとされているようですね。
- ただ、挙げていただいた情報源は、ウィキペディアにおける、信頼できる情報源に該当するかしないか、どう思われますか?自分は、いまひとつ悩むところです。出典にできる情報源を探すときの手掛かりの1つにはなると思いますし、当該の情報源の信用性を俄かに自分が「判定」するものではありません。が、ガイドラインに照らし合わせ(た限りにおい)て、皆さまどう思われますか?
- 「信頼できる情報源である」とした場合、「ストーカーの被害者といえば、世の中では女性であると思われているが、実は男性のほうが圧倒的に多い」旨またはそのように言っている立場が世の中に在る旨記事に書いたほうがいいでしょうか?
- なお、ここの議論のテーマは、記事「ストーカー」の冒頭部にある記述は下のどちらがふさわしいか、そしてその根拠についての検討、です(でした)。自分は前者を支持し、警察庁の公表データが根拠になると述べ、Imuzakさんは後者を支持し、74.73.162.254さんは警察庁の公表データを「異性のものと解釈できるのは多く見積もっても85パーセント前後しかなく、15%も例外がある為、『典型例』というのはいいすぎだ」「男性から男性への『好意の感情』がある可能性を見逃してます。(別に同『好意』=『恋愛感情』とは限らない)」と読まれたのです。
- ピロクテテスさんが2011年4月3日 (日) 17:28 (UTC)に挙げられた情報には、加害者に占める性別の割合や、加害者と被害者の関係(同性なのか異性なのか、友達なのか恋人や夫婦なのか)は書かれていませんから、下記のどちらの記述が妥当なのかについては、なにも資しません。
- 「典型的には特定の異性に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す者のことである」
- 「典型的には特定の人間に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す者のことである」
- ただ、以上のこととは別に、{{告知|議論}}をはずしたいですか?
- Uryah 2011年4月12日 (火) 11:42 (UTC)
- なぜ「典型」という表記をすることに拘るか理解できません。「男性が女性に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す事例が過半数を超える」と事実のみを表記すればよいと思います。注に警察のデータを表で出すなど比率がわかりやすく書いてあれば誤解も発生しませんし--125.53.203.103 2011年7月19日 (火) 05:15 (UTC)
- ◆この節で議論になっている点は(拘っている点は)「典型と書くか否か」ではなくて「異性なのか人間なのか」ですけれども(ご参照:12)(※「典型的」という一文は初版から)、
- それはさておき、皆様、125.53.203.103さんのご指摘どう思われますか?「2009年の警察庁の統計によれば、男性が女性に対して好意または怨恨を抱いてつきまとい等の行為を繰り返す事例が過半数を超えるという事実」は概要の節に書いてありますから3、冒頭の文は「~ストーキングと呼ばれる。」で閉じて、「典型的には~」の一文は削除というのはどうでしょうか?Uryah 2011年7月20日 (水) 17:08 (UTC)
- ◆3週間以上反対はありませんでしたので、実施しました1。Uryah 2011年8月12日 (金) 21:10 (UTC)
- 1つ付記。「警察が把握していること=真実」ではないです。男性はストーキングの被害を届け出るのは恥ずかしいと感じてなかなか相談しないのかもしれませんし、固定観念から、現に付き纏いを受けているのに、自分が被害者であると認識出来ないでいる、ということはあるのかもしれません(もし、そういうことがあるのだとすれば、それは「差別の構造」ですね)。Uryah(会話) 2012年7月11日 (水) 15:28 (UTC)
概要部分の表現について
[編集]ついでに、概要部分の記述のいちぶぶん表現の変更を提案してみます。変更の趣旨は、(1)全体に、淡々とした事実の表現への変更(2)年齢について、10%以上とそれ未満で表現(3)被害者と加害者の関係について、知り合いかそうでないかで表現する、です。
<現状>
年齢については被害者20歳代(35.0%)と30歳代(29.2%)をあわせて6割強で、40歳代が16.5%である<ref name="kei" />。加害者については30歳代(25.7%)が最も多いものの、20歳代(18.4%)、40歳代(18.1%)、50歳代(10.7%)も多く20歳代~50歳代にまんべんなく分布する<ref name="kei" />。また加害者については年齢不明が16.7%もいる<ref name="kei" />。
被害者との関係については交際相手(元含む)が51.5%で半数を占める<ref name="kei" />が一方で面識のない相手によるものが5.6%、行為者不明が8.3%存在する。
ほかにも知人友人(10.5%)、勤務先同僚・職場関係者(8.7%)、配偶者〈内縁・元含む〉(8.2%)、密接関係者(3.0%)、その他(4.2%)がいる<ref name="kei" />。なお『その他』は、近隣居住者、タレントのファンなどを計上している。
<提案>
年齢については、被害者は20歳代(35.0%)と30歳代(29.2%)、40歳代(16.5%)を合わせて8割(80.7%)を占め、10歳代、50歳代、60歳代、70歳代以上はそれぞれ10%未満である<ref name="kei" />。加害者は30歳代(25.7%)が最も多く、20歳代(18.4%)、40歳代(18.1%)、50歳代(10.7%)と合わせて7割(72.9%)を占め、10歳代、60歳代、70歳代以上はそれぞれ10%未満である<ref name="kei" />。加害者はほかに、年齢不明が16.7%ある<ref name="kei" />。
被害者と加害者の関係については、交際相手(元含む)の51.5%、配偶者〈内縁・元含む〉の8.2%を合わせてほぼ6割(59.7%)を占め、知人友人(10.5%)、勤務先同僚・職場関係者(8.7%)、密接関係者(3.0%)まで含めて、顔見知り、人間関係のあるものが8割(81.9%)である<ref name="kei" />。その他(近隣居住者、タレントのファンなど)(4.2%)、面識のない相手によるもの(5.6%)、行為者不明(8.3%)は、合わせて2割に満たない程度(18.1%)である<ref name="kei" /><!--- 「その他」の「近隣居住者」のうちいくらかは、顔見知りに入る?ふだん挨拶はする関係とか。 --->。
Uryah 2011年7月20日 (水) 17:14 (UTC)
- 1週間以上異論はありませんので、実施しました。1。Uryah 2011年7月30日 (土) 01:22 (UTC)
精度テンプレート削除の提案
[編集]節「ストーカーの心理」に、2010年9月20日に精度テンプレートが付与されました(ご参照)。付与された時点のテンプレートの文言は、より専門家向けの情報源からの加筆を求めるものでした。しかし、当該テンプレートの文言が2011年6月13日に変更され(ご参照)、現状の文言は、付けられている情報源の信頼性に疑問をかけるものになっています。
記事に既記述の説とは違う(学)説や視点や分析を募って加筆するとか、同じ説だがより専門家向けの資料を募ってブラッシュアップを図る希望というのは納得できましたが、精神科医が著しPHP研究所から出版した本がウィキペディアのガイドラインに照らし合わせて「信頼性が欠けるもの」とは思えません。ですので、節「ストーカーの心理」から精度テンプレートを除くことを提案します。
- 精度テンプレートの文言
- 旧:「この記事は、一般的に入手できる各種資料や参考文献・出典などに基づいて作成しています。そのため若干記事の精度、確度に欠ける部分があるかも知れません。内容を確認し、加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています。」
- 現在:「この記事は「信頼性に幾分疑問がある出典に基づいて書かれている」という指摘を受けております。そのため、精度や正確性に欠ける記述があるかも知れませんので、ご注意下さい。この指摘に関してご意見がございましたら、本ノートなどでお話しください。また、この指摘を支持されて、信頼できる出典に基づいた内容に修正していただける方を求めています。」
- 精度テンプレートの履歴と議論
※現在付されている専門家の説が「正しい」と言いたいわけではありませんで、異なる説がありましたら、出典を伴った加筆を希望します。
Uryah 2011年7月30日 (土) 01:26 (UTC)
- ほぼ2週間異論はありませんでしたので、実施しました1。Uryah 2011年8月12日 (金) 21:04 (UTC)
そろそろ項目名を変えるのもいいかも知れない
[編集]項目名は【ストーキング】にしたほうがよいかも知れない。
「stalk ストーク」という動詞(行為の表現)があって、stalkをすることは動名詞でstalkingストーキング、stalkする人は「er」を加えて「stalker」というわけだから。「ストーカー行為」という日本語は、行為に関する概念が二重に入り込んでいる変な表現。「行為・人・行為」のような、言語学的に見て変な構造の訳語。「落馬した」で済むのに「馬から落ちて落馬した」と言ってしまうように変で冗長な表現。
まあ、今から15年20年前には日本人にはなじみのない概念だったので、かなり変な訳語を作ってしまったわけであるが、そろそろそれが変だと感じられて違和感を感じる人も増えてきている。大辞泉では【ストーキング】で項目を立てている。
英語版の記事もstalkingで立てている。
なので、それそろウィキペディアの項目名も【ストーキング】に変えてもいいかも知れない。
それに、Aという人がPさんにつきまとっていても、あくまでPさんに対してだけで、Q,R,Sさん他 ほとんどの人に特に興味は無い、というケースも多いだろうし、結局、行為が問題なのだから。それと「人」に着目すると、人を全否定しているみたいだし、この世から消えるわけにもいかないというところで固まってしまうが、、「行為」に着目すれば、行為をやめればよい、止めるべきだ、とか、行為を止めるために考え方を変えるべきだ、自力で変えよう、とか、カウンセラーに治療してもらおう、ということに意識が向く。 「ストーキング」ではなく「ストーカー」と表現して事態が当人にとっても固定的で変えられないかのような印象を生む表現でとらえるから、余計に問題が深くなっているかも知れない。
というわけで、言語学的に見ても、社会的な影響を考えても、(急がなくてもいいにしても)そろそろウィキペディア日本語版の記事名も【ストーキング】にしたほうがよいかも知れない。--Sora HAMILTON(会話) 2014年5月5日 (月) 03:03 (UTC)
こういう時にとりあえずはデータベース上の項目名を変えずに、記事を改良する方法があることを思い出したので、ちょっと改良してみる。データベース上の項目名まで変える必要があると感じたら、あらためて後日変更すればよい。--Sora HAMILTON(会話) 2014年5月5日 (月) 03:10 (UTC)