- (プロテスタント側から見ればカトリックの横暴を示す格好の事例でもあった)
という記事ですが、具体的にプロテスタントのどの会派が、どのような取り上げ方をしたのでしょうか?
当時のプロテスタント最大の会派はルター派ではなかったかと思われます。コペルニクスの地動説の梗概が出版された1540年、まっさきに反対したのはマルチン・ルターでした。また、魔女狩りにともなう火刑は、ドイツなど、当時プロテスタントの影響力の大きかったところでも、頻繁に行われていました。Shinobar 2006年6月13日 (火) 12:27 (UTC)[返信]