ノート:ショスタコーヴィチの証言
この記事は2007年12月19日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
投稿した内容がいきなり消されたのでとまどいました。 ちょっとここの管理は問題有るのでは? 一柳は信用するに値しない人です なにしろ、あのショスタコ9番を 本気で 「ソ連の勝利を祝おうとした曲」 と思ってる人ですから。 彼女は、ショスタコ親族と親しいというだけが よりどころの人にしか思えません。
しかも、ショスタコが当局を揶揄した「ラヨーク」 が見つかったときに 「なぜ「証言」にはラヨークの存在がかかれていないのだろう」 と得意満面に発言し、その後「証言」の翻訳者水野氏が 「証言」中にラヨークの存在についての記述があることを 指摘し赤っ恥をかく結果になっています。 (一柳氏への反論として書かれたわけではないですが)
ロストロが本書で口汚く罵られていた、という記述を 私は見たことがないんですが見落としかも知れません。 それはともかく、ロストロはショスタコ5番の演奏も 「証言」路線に沿った解釈をしていて、自書において ショスタコ5番を 「同時代人の血で書かれた曲」 と、おおむね「証言」での解釈と同一の発言をしています。
この件に関しては、一柳氏を代表格として 自分の頭でショスタコの曲を聴けずに
「証言が本物か否か」
に左右される人が多すぎます。
「証言」については、「偽書なのかもしれないが 記述には真実も含まれている」 と考えます。
その場の風潮で、曲への意見が180°変わる???
まあ、評論家としての自己保身しか考えてないんでしょうけど。
- 以上、2006年3月14日 16:15UTC 222.12.33.81および3月15日 15:43UTC 222.14.33.4からの編集。(発言者追記 by sphl 2006年3月16日 (木) 08:59 (UTC))
- 問題があるのは管理ではなく、あなた(ノートページに投稿される際には署名をお願いします。~4つで署名・投稿日時が示されます。)の投稿の方です。ウィキペディアは個人の意見や主観あるいは評論家への不満またあるいは「っっっっっs」などと書くところではありません。記事では『証言』が話題を呼んだ具体的な内容についてはそれほど触れていないので、もし『証言』を読んでおられ、加筆されるおつもりがあるのなら、そのあたりを紹介されれば、より充実した記事になると思います。--みっち 2006年3月16日 (木) 03:57 (UTC)
- ロストロポーヴィチ夫妻が口汚く罵られたというのはやはり何かの勘違いじゃないでしょうか? 第6章で指揮者のムラヴィンスキーがこきおろされたりしていますが (p.321) 、ロストロポーヴィチに関しては、第8章で「なにをやらせてもできる人だった」 (p.447) と述べられているし、彼の妻のヴィシネフスカヤに関しては第4章で「カテリーナ・イズマイロワ」の女主人公役はよかったと述べられています(p.198/ページ数は中公文庫版の初版による)。もちろんざっと見ただけなので見落としがあるかも知れませんが、これを書かれたのは間久部緑郎さんで、英語版に基づくと書かれていますが、英語版の履歴をたどってみてもそのようなことは書かれていないようなので(これもざっと見ただけなので見落としているかも知れませんが)、どのようなソースによるものなのか、示していただければ幸いです。--Basilico 2006年3月16日 (木) 13:36 (UTC)
- やはり誤認ではないかと思われますので、「本書で口汚く罵られたロストロポーヴィチ夫妻は、早くから偽書説を唱えていた。」という文章を削除致しました。「本書で口汚く罵られた」という部分だけを削除すればよかったのかも知れませんが、何となくこの文章全体が誤認のように思われましたのでそうしましたが、「早くから偽書説を唱えていた」が本当のことでしたら、復活させて下さい。--Basilico 2006年3月18日 (土) 14:06 (UTC)
ノートの冒頭に書いた者です。なれてなくて、署名の仕方とか、使い方が良くわからないで書いて、いきなり消されたんで、腹が立って酷い投稿をしたのは申し訳ないです。 この曲は昨年五月に所属するオケで演奏しましたが、解釈の意見は分かれました。 難しい曲ですね。
日本における受容の説明に違和感あり
[編集]「日本における受容」の節で、「その後の国際的な『証言』真贋論争に日本のクラシック界も巻き込まれ、音楽学者の一柳富美子による調査や、音楽ジャーナリストの渡辺和彦によるロシア人音楽家へのインタビューによって、『証言』偽書説がほぼ確定している。」 とありますが、ちょっと違和感ないですか?一柳富美子氏や渡辺和彦氏が『証言』偽書説を世界に認めさせたということでしょうか?もしそうであれば「日本における受容」の節よりももっと前(例えば冒頭)にできれば出典を明記した上で(それも一柳氏や渡辺氏による1次資料ではなく、他国のショスタコーヴィチ研究者による彼らの仕事の引用が望ましい)書くべきですし、そうでないなら「『日本では』偽書説がほぼ確定している」あるいは「日本の一柳や渡辺らの貢献もあって偽書説がほぼ確定している」という表現に留めるべきだと思います。その後に記載されている「『証言』の内容を冷静かつ客観的に読み返すと」うんぬんも、日本での受容とはあんまり関係ないような。「主な内容」という節を追加したので、こちらに移してはどうでしょうか?これについても、出典が無ければただの寄稿者の感想みたいに見えますが。Freetrashbox 2007年10月27日 (土) 09:16 (UTC)
- 確かに上記に指摘されているように、自分が執筆の際にいくつかケアレスしたミスをしたことは認めますが、それでもなぜこのような疑問や批判が出てくるのかよく分かりません。どうか、「日本における受容」の項目の中で両者に言及しているという点をよくお考えください。「受容」もしくは「国際的な受容」という節でいきなり両氏の名を引き合いに出したなら、「この二人が世界に偽書説を認めさせたと言いたいのか?」という質問の意味も分かりますが、繰り返しますが見出しにおいて「日本における受容」とわざわざ断わっているのに、なぜこのような批判が出されるのか、理解に苦しみます。--間久部緑郎 2007年11月20日 (火) 11:59 (UTC)
いくら「日本における受容」の節の中とはいえ「一柳富美子による調査や渡辺和彦のインタビューによって、偽書説がほぼ確定している」とあれば、一柳氏が偽書説を確定させたと思う人は多いと思いますよ?ちょっと分かりにくい説明じゃないですかね。日本での受容に限定しても、私が本やネットを見た限りでは、この本について語られる時には、上の方にあるフェイという人の仕事が引用されることが多いように感じます。一方、「『証言』の内容を冷静かつ客観的に読み返すと・・・否めない」っていう表現は、やっぱりおかしいです。批評の類になるんじゃないですか?誰が見ても明らかなことならいっそ断定すべきですし、意見の分かれるような内容なら記載しない方がよいと思います。この項には本の成立の経緯ばかり書かれており、本の内容についての記載が少ないので、個人的には間久部さんの記述は体裁を変えて残して欲しいですね。--Freetrashbox 2007年11月22日 (木) 23:26 (UTC)
ほかの作曲家に対する”悪罵”ということは具体的にどの部分を指すのでしょうか?
20世紀には社会主義を信奉する人たちは”僕ら私たちの音楽”とかいって”森の歌”とか交響曲第5番あたりをしたり顔で解説していました。
”わが祖国に太陽は輝く”といったスターリン賛歌もありました。この”証言”はショスタコビッチのこのような俗物的評価から離れ、作品の本質が違うようだということに
答えた初めての書であったわけで、”森の歌”あたりでスターリン万歳、共産主義万歳とあおっていた一部の人が立場を失い無理やり形式的偽書説に執着している抱くでしょう
--Tonoyama 2010年3月17日 (水) 15:08 (UTC)
ショスタコーヴィチが実際に語っていない言葉を「ショスタコーヴィチの証言」だとしているのなら、内容が何であれそれは「偽書」です。--Gruppetto 2010年3月17日 (水) 16:53 (UTC)一部追記--Gruppetto 2010年3月17日 (水) 16:57 (UTC)
ほかの作曲家に対する”悪罵”という感情的表現は妥当ではありません。具体的箇所を指摘できないでしょう。
”内容が何であれそれは「偽書」です。”というあたりが、あなたの投稿内容を基本的に基礎付けています。
この内容に言及して”ショスタコーヴィチが実際に語っていない”という論証をきいたことがありません。
”ショスタコーヴィチが実際に語っていない言葉”であるか否かは、その内容からも論証できるはずですが、すべて形式的な成立への疑問、検証を経ていない”関係者の伝聞発言”をあつめて、【偽書】と結論付けるだけです。このような論旨運びは、中立性を損なうだけでなく投稿内容についても、研究論考とするにあたらないものであると思います。
弦楽四重奏8番、交響曲8番についての”証言”の記述は多岐に亘り面白いものでしょう。
もっともこのノートの下のやり取りを見ると、内容には一切踏みこまないで【偽書】説に執着されているようだし
このページは削除されたほうがいいでしょうね
--Tonoyama bijinn 2010年3月18日 (木) 04:22 (UTC)
「悪罵」という表現は「批判」「非難」に変えてもよいでしょう。しかし、「証言」が偽書であるなら、その内容がショスタコーヴィチの本心を代弁している保証はどこにもありません。
>また、この内容に言及して”ショスタコーヴィチが実際に語っていない”という論証をきいたことがありません。
これは悪魔の証明です。議論になりません。
ある書物が真正なのか偽書なのかは客観的事実により検証されなればなりません。客観的事実から検証した結果、現在の所、研究者の間で「証言」は偽書とする説が有力となっています。「内容から考えて偽書ではないはずだ」というのは「証言」に心酔することから生ずる主観的判断であり、中立的な観点と相容れません。
また、ノートに新たに何か書き加える際は一番下に書き加えるようにして下さい。--Gruppetto 2010年3月18日 (木) 10:28 (UTC)追記--Gruppetto 2010年3月18日 (木) 11:35 (UTC)一部修正--Gruppetto 2010年3月18日 (木) 11:56 (UTC)
偽書であるのか否かについて、「内容が事実と矛盾している」、「時代的にありえない内容が書いてある」という分析の仕方観点だけでなく当然かかれるべきことが書いていない」たとえば上に書かれている”ショスタコが当局を揶揄した「ラヨーク」が見つかったときに「なぜ「証言」にはラヨークの存在がかかれていないのだろう」”というのがその内容的な疑問点となるはずです。”その後「証言」の翻訳者水野氏が「証言」中にラヨークの存在についての記述があることを 指摘し”というのが、内容批判が精査を欠いているということです。 ”[ロストロポーヴィチ]]夫妻が口汚く罵られたというのはやはり何かの勘違いじゃないでしょうか”という指摘も内容についての読み方が浅いもしくは、読み切れていないという批判になるのではありませんか。 別に悪魔の証明ではありません。 これらの例だけでなく、内容に立ち入って議論し今まで、偽書をうらずける指摘があったようには記憶しておりません。 ヴォコフらが、でっち上げられる内容ではないという印象は多くの人が持ったでしょうし、それゆえ”偽書”論議も盛んであったのかもしれません。 ロストロポーヴィチに言及したので、一言付記します。 本書刊行以前のことですが、ロストロポーヴィチが来日しN響とチェロ協奏曲2番の日本初演をしたときです。 演奏に先立ち、ロストロポーヴィチが聴衆に向かって”この曲にはロシア民族の悲劇がこめられている、こころして聴いてほしい”という趣旨をあえて発言していました。これは全国放送された番組ですから覚えている人もいると思います。 このロストロポーヴィチを本書が”口汚く罵しっている”としたら偽書っぽいのでしょうが。--Tonoyama bijinn 2010年3月19日 (金) 07:14 (UTC)”た”という点について文献をあげてみてください
>演奏に先立ち、ロストロポーヴィチが聴衆に向かって”この曲にはロシア民族の悲劇がこめられている、こころして聴いてほしい”という趣旨をあえて発言していました。
これは「証言」の真偽とは全く関係ない話です。「証言」の真偽と、ショスタコーヴィチが体制礼賛者であったのか反体制派であったのかとはまったく別の問題だからです。ここが区別できていないと、「偽書説を唱える者は共産主義者である」というような奇怪な偏見が生まれることになります。偽書説が有力になったのは「ラヨーク」について書かれているとかいないとかではなく、フェイの研究による所が大きいのです。「内容から考えて偽書ではない」というのは主観的な判断です。「内容から考えて偽書だ」と感じた人もいたのは事実で(これもまたその人の主観的判断ではありますが)、これはマキシムの亡命後のインタヴューを読めばわかります。引用すると、マキシムはここで「あれは父の本ではないと確信しています。父のイメージを歪める矛盾や不正確な記述が多すぎます。」「ヴォルコフ氏は、あの本がどうやって出来たのか明らかにすべきです。」と述べています。繰り返しますがこれは亡命後のインタビューであり、その他の部分ではマキシムはソ連の体制を激しく非難しています。しかし「証言」についてはこのように述べているのです。--Gruppetto 2010年3月19日 (金) 12:19 (UTC)追記--Gruppetto 2010年3月19日 (金) 12:46 (UTC)
こちらも簡単に整理して見ましょう。フェイはまず1980年に『証言』の信憑性に疑問を呈します2000年に刊行された『ある生涯』でも『証言』については「本物であるかどうか、適切な検討が行われていない」「今なお疑念が残っている」と基本的な疑念の姿勢を示していますね。 しかしそれは、”疑問がある”というもので偽書であるというものではありませんね。あなたはこの結論の乖離を故意に無視されている ”2002年の論文が決定的な影響を与え”というもののそれに関する文献は千葉氏のものしかありませんよね、”以後偽書説が非常に有力となるわけです。”という手についてはどのような文献があるのでしょうかご指摘はありませんよね こうして時系列に並べてみると、フェイの主張は2002年の“署名論”をのぞいて一貫していて”疑問だ”というだけでブレはなく、あなたの言うような「偽書」とといったような点は全く認められないのです。ですから2002年の偽書説は転換し「元の主張に戻った」ということは日本語上明らかでしょうね。05年に邦訳が出るのだからそれが原著者の05年時点での考えである、というのが”我田引水”というのならそれは我田引水の日本語的意味から外れておられますな。 ”物事をご自分の都合の良いように解釈しているにすぎません”という言葉はあなたのそのままお返しして、上記で質問している点をそろそろ説明ないし,文献のを指摘されたらいかがでしょうか?ないから分けのわからん、社会主義的な検閲官をおやりになっているのでしょうね。 早くしてお答えになったらいかがでしょうか --Tonoyama 2010年4月8日 (木) 10:17 (UTC)
- ノートページの二箇所に同じことを書き込むな(参考:これとこれ)。リソースの無駄だし議論が分散するだろうが。投稿する前に少しは自分の書いたことを確認しろ。それからいい加減に基本的な書式を覚えろ。あんたの会話ページで、行頭に全角空白を入れるなとか、数字は半角にしろとか、色々と注意されてるだろうが。--123.225.55.140 2010年4月8日 (木) 14:40 (UTC
印刷会社之構成かかり、ご苦労さん 内容についての反論はないようですね。 学術的ないい加減に基本的な書式を覚えろといわれ”行頭に全角空白を入れるなとか、数字は半角にしろとか、色々と注意されてるだろうが。”という反論だけですか。全くけったいですね、そろそろ削除したらどうですか、こんな無益なものもなかなかありません。
日本における受容の説明に問題あり
[編集]「その他、一柳らが運営していた日本ショスタコーヴィチ協会の活動と相まって、1990年代は海外の『証言』論争2002年の経
過が随時国内に紹介され」という部分ですが、 ”日本ショスタコーヴィチ協会”は活動を停止してもう何年たったのでしょうか、息子のマクシムと娘の父に関するインタビューを集めた本を出版していましたが、その中で二人が、この”証言”に言及した部分はありません。”論争の経過が随時国内に紹介され”というのはどのような事実があったとして、記述されているのか2~3根拠を指摘してください。 ”『証言』の内容を冷静かつ客観的に読み返すと、著名人の虚像はがしと称しながら、鬱屈した口調といささか下卑たアネクドートによって、幾多の個人を攻撃するものが中心となっていることは否めない。”としていますが、これは個人的感想であって、まさしく中立性、客観性を損なっています。しかも”アネクドート”という意味を誤って使っておられます。 ここはきちんと訂正されるべきでしょう。 さらに”下卑た”という表現も感情的でありこれについてもどの表現をさすのか2~3使用例を指摘ください。表現についてご再考されたほうがよいと思います。 ”この本の中身は、ソ連でおそらく地下出版されて広まっていた噂話を、虚実とりまぜ”と判断する根拠は上記の感想以外にあるのでしょうか?これについても2~3例を御指摘ください。 ”ショスタコーヴィチという大芸術家の名を借りて公にしたものだったと見るべきであろう。”との結論を出す根拠は以上のほかにないのですか?--Tonoyama bijinn 2010年3月19日 (金) 08:20 (UTC)
前回ノートで指摘させていただきましたが、ご再考いただけないよでしたので、かかせていただきました。 文献の引用が極めて甘いのではありませんか”フェイ”の文献もきちんと見当されているのでしょうか? 書きかえるなら中立的で客観的な根拠でやってください。”社会主義的な検閲”は御無用に--Tonoyama 2010年3月27日 (土) 15:29 (UTC)
今ページは文献についてまるで検討を怠っており、20年以上前の偏頗な結論を墨守しているだけであるから削除した方がいい。 全く文献の推移を検討していない記述で中立性を欠いている。2010年3月--Tonoyama 2010年3月28日 (日) 12:40 (UTC)
- コメント 「ウィキペディアに加筆した人の文献解釈が間違っている」という場合には、編集で適切な形に修正して下さい。「引用されている文献自体に間違いがある」という場合には、より信頼性のある文献に基づく記述を追加して、元の記述は基本的には消さずに両論併記の形にして下さい。--Freetrashbox 2010年3月28日 (日) 13:53 (UTC)
千葉潤氏が、「事実上、『証言』の真贋論争にとどめを刺した」と評したフェイの論文は2002年に発表されたもので、「ある生涯」よりも後に書かれたものです。「20年以上前の偏頗な結論を墨守しているだけ」というTonoyama氏の主張は全く的外れです。フェイが「主張を修正していることは明らかである」などという記述はTonoyama氏の勝手な解釈、判断であり典型的な独自研究です。主張を裏付ける根拠となりえず、ただ御自分の主張に都合が良いだけの部分を断片的に引用して羅列するのは百科辞典ではなくエッセイです。『独自研究は載せない』『wikipediaは何でないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません』を良くお読み下さい。独自研究の発表は御自身の個人サイトかブログで行って頂きますようお願い致します。--Gruppetto 2010年3月29日 (月) 13:56 (UTC)
”フェイの論文は2002年に発表されたもので ”というところはよいのですが、、「ある生涯」は日本では2002年7月に邦訳が刊行され、小生が引用した部分は2005年3月に改定新版として刊行されたもので、これがフェイの承認を得ていないものだとでも主張されるとしたら、独自の見解を書かれているだけですね その経過を知らないとしたら、文献精査を怠っているというだけでしょう。 もおう一度検証して、きちんと書き直すべきです。--Tonoyama 2010年4月6日 (火) 13:00 (UTC) --Tonoyama 2010年4月6日 (火) 13:00 (UTC
あなたの引用した部分が一体何の証拠のなるのですか??「『証言』はショスタコーヴィチの語った言葉を正確に書きとめたものである」などとはどこにも書いてありませんが。英語版原書は2000年に刊行されたもので、「謝辞」を読むと原稿自体は1999年に完成したようですね。改訂新版とは日本語訳を見直したものです。最初のページに「原書、原文の改訂ではありません」とちゃんと書かれていますね。--Gruppetto 2010年4月6日 (火) 13:33 (UTC)
2005年の時点で訳者が原著者の意向に関係なく出版できるんでしょうか?著作権についてこんな基本的なことすら理解していないで、議論をすべきではありません 「原書、原文の改訂ではありません」というのは2002年の論文にかかわらず、2005年の時点で引用のような見解をフェイが持っていてということではないのですか? 訳者がフェイの見解の変遷にかかわらず、勝手に2005年に邦訳を出版しているとしたらそれこそアルファーベーター社も訳者も著作権上大変なことになることくらい認識はないのでしょうか? 文献をきちんと検証すべきです!--[特別:投稿記録/122.16.130.181|122.16.130.181]] 2010年4月6日 (火) 13:54 (UTC)
「フェイの見解の変遷」とは一体何のことでしょうか?それは貴方の思い込みの産物に過ぎません。「原書、原文の改訂ではありません」とは、99年の原稿から内容の変更はない、という意味なんですよ。意味不明なことを書かないで頂きたい。--Gruppetto 2010年4月6日 (火) 15:10 (UTC)
2005年に。「原書、原文の改訂ではありません」というものは出版していることは、その時点での見解であることは明らかでしょう。
翻訳に関しフェイが著作権を持っていないという理解ならナンセンスでしょう。2005年の翻訳に2002年の研究成果を反映させないことは、その主張を離れ元の主張に戻ったということですよ。こんなことくらいも理解できないで『原書、原文の改訂ではありません」とは、99年の原稿から内容の変更はない、という意味なんですよ。意味不明なことを書かないで頂きたい。』という発言は、研究者であるなら絶対にいえないものであり、あなたの立論が根拠に基づかないことを自認しているだけでしょう 研究者が”99年の原稿から内容の変更はない”著作を2005年に出版させるということは、その時点では、99年の見解をとることの表明であることは基本的に理解してからものを書いてください。--Tonoyama 2010年4月7日 (水) 09:55 (UTC) 追記 フェイが2002年に署名の問題を取り上げてからその反論評価について検証されましたか? いきなり千葉氏の著作を引用しているだけではありませんか? この点明確にして書き直すような姿勢が必要なのではありませんか? そうでないと中立性・客観性を損なっておられますよ。--Tonoyama 2010年4月7日 (水) 10:11 (UTC)
簡単に整理して見ましょう。フェイはまず1980年に『証言』の信憑性に疑問を呈します。具体的には本文にある通りです。2000年に刊行された『ある生涯』でも『証言』については「本物であるかどうか、適切な検討が行われていない」「今なお疑念が残っている」と基本的な疑念の姿勢を崩していません。そして2002年の論文が決定的な影響を与え、以後偽書説が非常に有力となるわけです。こうして時系列に並べてみても、フェイの主張は一貫していてブレはなく、あなたの言うような「変遷」とか「修正」といったような点は全く認められないのです。ですから180度転換したかのように「元の主張に戻った」というあなたの主張はそもそも成立しません。05年に邦訳が出たのだからそれが原著者の05年時点での考えである、というのも我田引水であり、物事をご自分の都合の良いように解釈しているにすぎません。99年に書かれた原文を改訂したものでないのなら、そこではあくまで99年時点での著者の見解が示されているのであり、02年の論文で『証言』の信憑性にたいする評価は更に低くなったと考えるのが正常な考え方です。--Gruppetto 2010年4月7日 (水) 14:36 (UTC)追記--Gruppetto 2010年4月7日 (水) 23:24 (UTC)修正・追記--Gruppetto 2010年4月8日 (木) 10:06 (UTC)
こちらも簡単に整理して見ましょう。フェイはまず1980年に『証言』の信憑性に疑問を呈します2000年に刊行された『ある生涯』でも『証言』については「本物であるかどうか、適切な検討が行われていない」「今なお疑念が残っている」と基本的な疑念の姿勢を示していますね。 しかしそれは、”疑問がある”というもので偽書であるというものではありませんね。あなたはこの結論の乖離を故意に無視されている ”2002年の論文が決定的な影響を与え”というもののそれに関する文献は千葉氏のものしかありませんよね、”以後偽書説が非常に有力となるわけです。”という手についてはどのような文献があるのでしょうかご指摘はありませんよね こうして時系列に並べてみると、フェイの主張は2002年の“署名論”をのぞいて一貫していて”疑問だ”というだけでブレはなく、あなたの言うような「偽書」とといったような点は全く認められないのです。ですから2002年の偽書説は転換し「元の主張に戻った」ということは日本語上明らかでしょうね。05年に邦訳が出るのだからそれが原著者の05年時点での考えである、というのが”我田引水”というのならそれは我田引水の日本語的意味から外れておられますな。 ”物事をご自分の都合の良いように解釈しているにすぎません”という言葉はあなたのそのままお返しして、上記で質問している点をそろそろ説明ないし,文献のを指摘されたらいかがでしょうか?ないから分けのわからん、社会主義的な検閲官をおやりになっているのでしょうね。 早くしてお答えになったらいかがでしょうか --Tonoyama 2010年4月8日 (木) 10:17 (UTC)
貴方の書くことは内容的にも、そして時に日本語的にも意味不明です。
>しかしそれは、”疑問がある”というもので偽書であるというものではありませんね。あなたはこの結論の乖離を故意に無視されている
一体何が「結論の乖離」で、何を「無視」しているのですか?80年の時点でフェイが『証言』を「偽書」と”断定”したなどとは私は一言も書いていませんし、本文にもそのようには書いてありませんね。他人の書いたものをちゃんと読めない人にはそもそも反論する資格がありません。
>”以後偽書説が非常に有力となるわけです。”という手についてはどのような文献があるのでしょうかご指摘はありませんよね(原文ママ)
千葉氏は「真贋論争にとどめを刺した」と述べているわけですが、「とどめを刺す」という言葉がどのような意味かご存知ですか?もしご存知なら、これが偽書説が非常に有力となったという以外の意味は持ちえないことは明白ですね。この部分以降の貴方の文章は正直言って支離滅裂で理論が全く成り立っていないと思います。
>2002年の偽書説は転換し「元の主張に戻った」ということは日本語上明らかでしょうね。
この部分は日本語的に意味不明です。何を仰りたいのでしょうか?--Gruppetto 2010年4月8日 (木) 16:22 (UTC)
印刷会社の構成かかり、ご苦労さん、日本語が意味不明なのはあなたでそろそろカウンセリングでうけてどちらが意味不明化、考慮されたほうがいいのではありませんか 内容についての反論はないようですね。 学術的ないい加減に基本的な書式を覚えろといわれ”行頭に全角空白を入れるなとか、数字は半角にしろとか、色々と注意されてるだろうが。”という反論だけですか。全くけったいですね、そろそろ削除したらどうですか、こんな無益なものもなかなかありません。 精神科医さんなのでしょうか、そうでしたら御自分自身受信されたほうがいいと思いますよ。 削除してください。
"Volkov's Testimony Reconsidered"
[編集]まことに申し訳ないのですが、議論が上のテーマとずれてきているので、項を新設した方がよいかと思います。私は以前、フェイの2002年論文(ヴォルコフ『証言』再検討)について簡単に触れた者です。その当時は当該論文にアクセスしていなかったため、「フェイが2002年に発表した論文 Volkov's Testimony Reconsideredの要旨について」を加筆依頼していましたが、いつの間にかその依頼が消されてしまっていたようです。最近、Google Booksでその論文が簡単に読めることがわかりました。1980年論文と合わせて以下の著書におさめられています。
- Malcolm Hamrick Brown ed. A Shostakovich Casebook. Bloomington: Indiana University Press, 2004.
ショスタコーヴィチにあまり明るくないため、私自らが要点を説明するのはたいへん骨が折れる作業ですが、ネット上でも、日本語でわかりやすく説明したものが見つからなかったことからやる意味はありそうだなと思います。
フェイの「2002年論文」がどのように受容・評価されていったかについては、海外の専門誌やショスタコーヴィチ本を調べていない私には手に余ります。 --Sasuore 2010年4月8日 (木) 13:09 (UTC) こちらも簡単に整理して見ましょう。フェイはまず1980年に『証言』の信憑性に疑問を呈します2000年に刊行された『ある生涯』でも『証言』については「本物であるかどうか、適切な検討が行われていない」「今なお疑念が残っている」と基本的な疑念の姿勢を示していますね。 しかしそれは、”疑問がある”というもので偽書であるというものではありませんね。あなたはこの結論の乖離を故意に無視されている ”2002年の論文が決定的な影響を与え”というもののそれに関する文献は千葉氏のものしかありませんよね、”以後偽書説が非常に有力となるわけです。”という手についてはどのような文献があるのでしょうかご指摘はありませんよね こうして時系列に並べてみると、フェイの主張は2002年の“署名論”をのぞいて一貫していて”疑問だ”というだけでブレはなく、あなたの言うような「偽書」とといったような点は全く認められないのです。ですから2002年の偽書説は転換し「元の主張に戻った」ということは日本語上明らかでしょうね。05年に邦訳が出るのだからそれが原著者の05年時点での考えである、というのが”我田引水”というのならそれは我田引水の日本語的意味から外れておられますな。 ”物事をご自分の都合の良いように解釈しているにすぎません”という言葉はあなたのそのままお返しして、上記で質問している点をそろそろ説明ないし,文献のを指摘されたらいかがでしょうか?ないから分けのわからん、社会主義的な検閲官をおやりになっているのでしょうね。 早くしてお答えになったらいかがでしょうか
どなたの訳かは知りませんが、明らかな誤訳があります。「サインのあるページのテキストが引用やつかいまわしである」を、「サイン自体がが使いまわし」と誤訳ないし誤読しています。 原文は以下の通りです。
And what is the text that appears beneath the composer's visa on page Ib (003)? Like all the other texts on signed pages, it is a verbatim transcript of apreviously published memoir, in this case a statement Shostakovich penned in 1927 but published only in the September 1966 issueof Sovetskaia muzyka, on the occasion of his sixtieth birthday In sum, all the pages of Testimony signed by Shostakovich are analogous. They all consist of word-for-word (or, in one case, slightly paraphrased) quotation of 'material published in the Soviet Union beforeShostakovich's death in 1975.
2005年に、刊行されたフェイの[ショスタコーヴィチ ある生涯(改定新版)p21、(Shostakovich A Life、Oxford University Press, USA (July 7, 2005))のなかで「この『証言』が本物であるか適切な検討が行われていない」「『証言』の真偽に全く疑問がないとしても…貧弱な資料でしかないといえよう」と述べている点の記述が欠けています。
このフェイの[ショスタコーヴィチ ある生涯(改定新版)の記述、勝手に消さないでください。
- 消してはいません。時系列的に適切な位置に移しました。よくお読み下さい。それと、ノートページでは署名をして下さい。--Gruppetto(会話) 2012年4月21日 (土) 09:51 (UTC)
ご丁寧にありごとうございます。「時系列的に適切な位置]は2000年のフェイの著作の説明が足りないというご理解ののようですが、2005年に刊行された改定新版の英語版、日本語版の内容を引用しているのですから、ご心配にはおよびません。--Tonoyama(会話) 2012年4月21日 (土) 12:23 (UTC)
新改訂版は2000年に刊行された原書の訳文を改訂したものであって原書・原文の改訂ではありません。ですから「この『証言』が本物であるか適切な検討が行われていない」「『証言』の真偽に全く疑問がないとしても…貧弱な資料でしかないといえよう」は2000年に公表された見解です。「しかし」で繋げて同じ内容を繰り返す意味はありません。--Gruppetto(会話) 2012年4月21日 (土) 13:30 (UTC)
「新改訂版は2000年に刊行された原書の訳文を改訂したものであって原書・原文の改訂ではありません]と日本語版には書いてありますが、同書は、Shostakovich A Life、Oxford University Press, USA (July 7, 2005)とししても公刊されているものであり、2005年時点のFayの見解を明らかにしているものではありませんか? 何か違う文献があれば日本の研究者の評価とFayの 2005年時点での評価を比較検討した文献があれば、ご指摘されるべきでありましょう。 Fayの2002年の論文の英文を誤訳・誤読した記述が放置されて、かなり文献から離れた記述になっているのであえて指摘したまでのことですが。 Fayが2002年の論文と新改訂版2005年で違うことを言っていたというナラ意味がありますが。千葉氏のご意見にかかわらず、同じ見解だということは公表されたものですので、きちんとしておくべきものでしょうね。--以上の署名のないコメントは、Tonoyama(会話・投稿記録)さんが 2012年4月21日 (土) 14:11 (UTC) に投稿したものです(Louis XXによる付記)。
- Gruppettoさんの指摘とも重複しますが、署名をしないと議論が分かり辛くなるので今後はなるべくお願いします。--Louis XX(会話) 2012年4月21日 (土) 14:39 (UTC)
Fayの2002年の論文の要旨を書かないと、千葉氏が何を評価したのかわからなくなりますので、書き加えました。また千葉氏が「フェイの論文に掲載された』フォトコピーについてのコメント部分が正確でないので、原文を引用しました。--Tonoyama(会話) 2012年4月23日 (月) 07:02 (UTC) また、フェイの2002年の論文で検討されたフォトコピーは、「公開された」ものではなく、フェイははっきり書いてありませんが、「2000年近くになって、イリーナ夫人がアメリカの知り合いから受け取ったもの」ということです。Taruskin"On Russian Music"p320.--Tonoyama(会話) 2012年4月23日 (月) 07:09 (UTC)
冒頭で、「原著」が英語版であるかのように読める表現なので、正確に書き直しました、もとのままであると「原著」という意味が間違ってつかわれています。そのままですとまたロシア語原稿についてのフェイの主張が正確に理解できない部分があるように思います。--以上の署名のないコメントは、Tonoyama(会話・投稿記録)さんが 2012年4月25日 (水) 11:34 に投稿したものです(Gruppettoによる付記)。
- ノートページでは「なるべく」ではなく「必ず」署名をすること。Wikipediaでのマナーですからいい加減覚えて下さい。内部リンク作成の際はWikipediaでの記事名を確認して下さい。「1980年 水野忠夫訳」、「1979年、HeddyPross-Weerth訳」などという記事名の記事がWikipedia内に存在するはずがありません。Wikipedia:連続投稿を減らすも良くお読み下さい。--Gruppetto(会話) 2012年4月25日 (水) 05:39 (UTC)