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ノート:コーヒー・ハウス

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項目名はコーヒーハウスの方がよかったか?(現在のところリンク元なし)

ちなみに国会図書館蔵書などを見ると

  • コーヒー・ハウス 都市の生活史-18世紀ロンドン(小林章夫、1984) 2000講談社学術文庫版
  • コーヒーとコーヒーハウス(ハトックス、斎藤富美子・田村愛理訳、1993)
  • 図説ロンドン都市物語  パブとコーヒーハウス(小林章夫、1998)
  • イギリス近代出版の諸相  コーヒー・ハウスから書評まで(清水一嘉、1999)
  • コーヒーハウス物語(シュルツェ、加藤博子訳、1995)

 --忠太 2007年4月10日 (火) 14:46 (UTC)[返信]

競合

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カフェ(2004年8月28日 (土) 11:42)とコーヒー・ハウス(2004年10月20日 (水) 11:08)が競合しています。統合のご意見は「ノート:カフェ」へお願いします。--119.83.111.72 2013年11月2日 (土) 00:20 (UTC)[返信]
議論の終了に伴う処置として出典の明記タグを添付しました。議論に参加された皆様、ご協力を感謝します。--119.83.111.72 2013年11月24日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
お疲れ様でした。ときに、タグ間違ってませんか?出典はありますから、{{ページ番号}}の方が……?{{独自研究範囲}}もちょっとどうかと思いますが、こういうものなのでしょうか……?(WPの文化に疎いので見当違いでしたらスイマセン)--Mizuhara gumi会話2013年11月25日 (月) 11:44 (UTC)[返信]
利用者‐会話:Mizuhara gumi氏、現状では単一出典のままですので、加筆されて外してもらえればと思っていましたが、忠太氏がこの編集([1])で同意無しにタグ外しを強行されました。話が通じないようなので、もうほっておこうかと。--119.83.111.72 2013年11月25日 (月) 15:26 (UTC)[返信]

他言語版へのリンク修正

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他言語版リンクの修正を行いたいと思います。詳細はノート:カフェ#他言語版へのリンク修正をご確認ください。--Mizuhara gumi会話2013年11月25日 (月) 11:44 (UTC)[返信]

上記、修正しました。詳細はノート:カフェ#他言語版へのリンク修正をご確認ください。--Mizuhara gumi会話2013年12月2日 (月) 12:13 (UTC)[返信]

ヨーロッパのカフェ(起源)

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この編集で追加された独自研究範囲タグの箇所(ヨーロッパにおけるカフェの起源)について、調べたところ 「トルコ式カフェは1615年にローマ、1640年にヴェネツィア」(以下略)という記載があります。

出典
宇田川政喜; 遠藤智子; 加藤綾子; 橋村弘美 著、日仏料理協会 編『フランス 食の事典(普及版)』株式会社白水社、2007年、127頁。ISBN 978-4-560-09202-6 

現在の出典【小林章夫『コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史』講談社学術文庫】ではそのように記載されていたのでしょうか。あるいは、独自研究タグは左記出典ご確認の結果、記載がなかったから、ということでしょうか。探してはいるのですがなかなか近所では見つかりません。。。--Mizuhara gumi会話) 2013年11月25日 (月) 12:02 (UTC) 下線部追記 --Mizuhara gumi会話2013年11月25日 (月) 12:08 (UTC)[返信]

小林氏はイタリアのことははっきり書いていません。「フランス 食の事典」は手元にありませんが、信頼できる内容であればそれに基づいて記述すればよいと思います。 --忠太会話2013年11月25日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
冒頭に「17世紀半ばから18世紀にかけて、イギリスで流行した喫茶店」と断っているので、そもそもカフェに話を広げると記事の本論から外れてしまうので、こちらの記事から削除して、カフェに移す方が良い気がします(Seealsoで誘導すれば済むので)。どうしてもというなら、きちんと出典を出して下さい。>執筆された方--119.83.111.72 2013年11月25日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
話を広げているのではなく、イギリスのコーヒーハウスの始まりがイタリアに次いで古いことを説明しています。仮に、多少記述がかぶるとしても、何か支障があるでしょうか。 --忠太会話2013年11月25日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
忠太氏、あなたは「1640年にヴェネツィア」という文章を資料の提示無しに「1645年」に書き換えています。根拠を示して下さい。--119.83.111.72 2013年11月25日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
小林氏も諸説ある、と指摘しており、イギリス以外でいつ頃から始まったかはあえて避けているようです。手元の本を見ると
  • <一六八三年、(ヴェネツイアの)サンマルコ広場(略)に店舗としてのカフェが初めて登場>(陣内秀信「ヴェネツィア」講談社現代新書P252)
  • <(ヨーロッパで)コーヒーを売る店が出現するのは一六五〇年代以降。フランスで最初のカフェができたのはマルセイユで、一六五四年とも一六七一年ともいわれている>(玉村豊男「パリのカフェをつくった人々」中公文庫P58)
(自分の印象ですが、1615年にローマというのは早すぎないか…?)諸説ある状態だとすれば、この項目ではくどくど説明せず、ヴェネツィアが最初らしい程度にしておいて、カフェの項で決着を付けることにしてはいかがでしょうか。…という訳で修正してみました。 --忠太会話2013年11月26日 (火) 16:19 (UTC)[返信]
忠太氏、あなたは本文で「1650年、イギリスで最初のコーヒー・ハウス」と書いており、ここで引用している資料の「一六八三年、(ヴェネツイアの)サンマルコ広場(略)に店舗としてのカフェが初めて登場」(陣内秀信「ヴェネツィア」講談社現代新書P252)と比較すると、イギリスのコーヒー・ハウスの方が早く出来たことになってしまいます。それにも関わらず、「ヨーロッパにコーヒーを提供する店が登場したのは・・・ヴェネツィアに初めて誕生したとも言われる。」という独自研究を力ずくで掲載し続けようとするのでしょうか。「(諸説あるもの)」について資料が提示できないのであれば、独自研究は書き込まないのがルールですし、「イギリスのコーヒーハウスの始まりがイタリアに次いで古いことを説明しています。」という理由で独自研究を書き続けるあなたの執筆姿勢には問題があります。--119.83.111.72 2013年11月27日 (水) 14:18 (UTC)[返信]
この話題には相当ご興味があるようですので、119.83.111.72さんもご自分で出典を探されてはいかがですか? 図書館で探せば、諸説色々あることがわかるのではないかと思います。(少なくとも「イギリスが世界初」という主張は見かけないようです<小林氏もヴェネツィアが先と書いている>ので、ヴェネツィアの方が古いと判断いたしました) --忠太会話2013年11月27日 (水) 15:56 (UTC)[返信]
>2013年11月26日 (火) 16:19 (UTC) へのレスです。どうも「ヨーロッパ最初はどこ」、というのは決定稿が出しにくそうですね。以前ノート:カフェ提示した関連文献のひとつ、【中野忠「王政復古期以後のロンドンにおける市民的社交圏--コーヒーハウスをめぐる最近の研究から」『早稲田社会科学総合研究』、早稲田大学社会科学学会、39-61頁、2007年。ISSN 13457640http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/28876  】のp.40の脚注において、コーヒーハウスのオックスフォード起源説(現状、本コーヒー・ハウス項目でも記載されている説です)に対する別の説として、「これ(mizuhara_gumiによる注記:オックスフォード起源説)は現在でもほとんどの研究で採用されているが、最新の研究では、オックスフォードでこの年にコーヒーハウスが設立されたとする根拠は薄弱で、 1652年ロンドンで設立されたPasqua Roseeがヨーロッパ最初のコーヒーハウスだとされている。」なんていう注記まで出てくる始末で(これはあくまでもコーヒーハウスであり、カフェではないと思いますが)、とても私の片手間の調査で「こう!」と言い切るのは無理そうなのであまり突っ込まないようにします。
「ローマが1615年は早すぎない」?、の件は実際私もちょっと「え?」と思ったのですが、そもそもキリスト教圏でコーヒーが「黒い水を飲む悪魔め!」とか言われないで済むようになったのはローマ教皇のお墨付きのおかげである(という真偽不明ですがうろ覚え。)ことを考えると、そのお膝元でなんらかの形のコーヒーを提供する店舗があったのかもしれない、と想像してます。
現状の版はカフェのこと(ヴェネツィアのあれ)も記載されてますが導入部として無難な量の記述だと思いますので支持します(太字部分は完全に個人の感想レベルですが意見として)。--Mizuhara gumi会話2013年11月28日 (木) 13:48 (UTC)[返信]
資料のご教示どうもです。ローマに関して、「1600年頃 ローマ法王クレメンス8世がコーヒーを「異教徒のみの飲み物にしておくのは惜しい、キリスト教徒の飲み物にせん」と宣言したと伝えられる」という記述が全日本コーヒー協会のサイト[2]にありました。いかにも怪しい話ですが…。
イギリス最初のコーヒーハウスについて、小林氏の著作を見直しても、どうも当時の記録(一次史料)はなく、後からの回想類が出典のようです。 --忠太会話2013年12月2日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

王立協会との関係

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コーヒーの歴史に、「コーヒー・ハウスは、上流階級の溜まり場となり、イギリス王立科学院もここから発祥したという。」とあり、ネット検索でも、「王立協会」(1660年創立)はコーヒーハウスから生れた、という説明がいくつか見受けられます。が、コーヒーハウスから、すっと王立協会が生れた、と言えるのかどうか(…ちょっと保留)。ちなみに、小林氏の説明では次の如し。

  • 1645年、ロンドンの酒場で「見えない大学」という科学者の集まりが作られた。主要人物はジョン・ウィルキンズen:John Wilkins)、ロバート・ボイルら。のち、清教徒革命の展開の中で、ロンドンからオックスフォードに移動した。
  • オックスフォードでは王党派びいきの学生がティリヤード・コーヒーハウス(1655年開店)にたむろしていた。クリストファー・レン(王立協会)はリーダー格だった。
  • 両方のグループは交流していき、やがて王政復古(1660年)の後にロンドンへ移動。同年11月、ウィルキンズ、ボイルを中心に結成したグループが2年後に王の認可を受け、王立協会となった。(「コーヒー・ハウス」P29-30)

 --忠太会話2013年12月2日 (月) 14:25 (UTC)[返信]