ノート:コスプレ
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コスプレという言葉が流布される前のお話を少々。
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コスプレの流布はマイアニメ誌から始まった。
1970年代に東京の私大とくに六大学を中心に漫画研究会や映画研究会の交流が活発化しました。70年代前半まで残照として存在した全共闘:学生運動の反動としてノンポリというポリシーを掲げて大学漫研が活動を開始します。
そんな中で並行して起こったミニコミ誌ブームと相まって、かつて文学同人が発行していた同人出版を模して漫画評論誌や同人誌が活性化します。「漫波」「ダックス」そして「早稲田漫」などがそれです。後にコミックマーケットを大きくしていった漫画同人の流れは70年代から始まっています。(コミケ第一回は、1975年)
そうした学生たちの愉快な活動の商業利用を狙ったイベント企画会社は「出張似顔絵描き」「漫画パネル展示」を提案し、大学漫研は活動費稼ぎとして大いにこれらに励みました。その会場で漫研学生達は思い思いの漫画のキャラの扮装をして似顔絵やヒッチハイクイベントそして学園祭に参加しました。
これらの漫画仮装は1970年代中頃から活発化し、始まったばかりのコミックマーケットでも若干見られていましたがコスプレという命名は80年代まで成されませんでした。
当時の「漫波」「ダックス」には、これらの催事記録が記事になっています。
1977年夏には六大学漫研が参加した「マンガ大行進パレード」という催事が茨城県水戸市(場所不明)のショッピングセンター開業催事として行われ、オバQや八甲田山雪中行軍兵士などに仮装した漫研部員が東京からウォーキングしていますが、この時点でもコスプレという言葉は使われていません。
同じ頃、アメリカの世界SF大会:ワールドコンではステージでSF映画や小説の主人公の格好とパフォーマンスを競う「マスカレード」という人気行事がありました。1960年代に大人気となった「スタートレック」のファンダム:トレッキー達を嚆矢とし、1977年の「スターウォーズ」で開花した映画衣裳の仮装遊びです。 日本でもコミケが晴海に移った1981年~83年頃、すでに会場では「ルパン三世」「うる星やつら」などの仮装をした同人誌の売り子が出現し、彼らのパフォーマンスは写真映えもよく、成長する同人誌市場の紹介と共に取材が始まっています。
1983年6月号から秋田書店「マイアニメ」誌上で当初単発、後に連載記事として「コスチュームプレイ大作戦」という紹介記事が掲載を開始しました。
担当は、早大漫研学生であった吉岡平(後にSF作家としてデビュー)、町山智浩(後に『映画秘宝』創刊編集長を経て映画評論家ウェイン町山)そしてタカハシノブユキ(スタジオ・ハード主宰)でした。
「コスチュームプレイ」という呼び名が演劇用語:英語的には正しくないという指摘が町山から出され、数回を経るうちに記事タイトルは「コスプレ大作戦」という造語として短縮されました。
1984年のワールドコン:LA大会には日本から富野喜幸監督もゲスト招待され、会場でセクシーなSFコスチュームに身をまとった美女たちと写真が撮られていますが、この時点でも他のアニメ雑誌記事では、コスプレという言葉は使われていません。
既に「スターウォーズ」「スタートレック」「ゴーストバスターズ」などのヒット映画や「キャプテンハーロック」などアニメキャラの仮装が会場内のあちらこちらで人気を呼んでいました。
そのディーラーズルームでは、大阪のSFショップ:ゼネラルプロダクツから武田マネージャーも参加し自らの自主制作映画「快傑のーてんき」の衣装を着ていますが、まだコスプレとは呼称されていません。
このレポートは1984年当時、徳間書店「アニメージュ」誌、平凡出版「週刊平凡」誌などでレポートされていますが、やむなくSF仮装、ファンタジィ仮装という紹介をされています。(編集者が、まだ馴染みのない「コスプレ」という言葉の使用を避け、またマスカレード=仮面舞踏会という言葉を印象的に嫌ったため)
この時代、コミケからは「オタク」という言葉も生まれています。
同発的にそこここで使われていたかもしれませんが「コスプレ」という言葉を省略形で記事タイトルにした最初の試みは間違いなく80年代中頃の秋田書店「マイアニメ」誌が最初であったといえます。
1986年頃には、コミケ会場でも普通に「コスプレ」という言葉が使われており、「コスプレ大作戦」の取材意図説明が連載当初に比べてスムーズになったなあ…と感じた覚えがあります。
どなたか、お手元に1983年~1986年頃のマイアニメ誌、1984年秋頃の週刊平凡誌をお持ちの方がいらっしゃったら検証をお願いしたく思います。
タカハシノブユキ
(固有名詞、年代など記憶のずれがあるかもしれません。ご指摘ください) --以上の署名のないコメントは、Takahashi01(会話・投稿記録)さんが 2006年4月19日 (水) 17:17 に投稿したものです。
PS
おそらく世界で初めて「コスプレ」を記事タイトルに使用した月刊マイアニメ誌1983年6月号が見つかりました。
以下に、アップしておきました。
http://www.cosplayfandom.com/beginning --以上の署名のないコメントは、58.156.5.131(会話/Whois)さんが 2006年8月15日 (火) 06:16 に投稿したものです。
非常に歴史的に価値のあるお話だと思います。 このままですとちょっと長いのである程度要約して本文に掲載していただくのがベストだと思います。--以上の署名のないコメントは、210.174.34.219(会話/Whois)さんが 2006年9月24日 (日) 08:34 に投稿したものです。
感想ありがとうございます。
こちらの手違いで画像がリンク切れしておりましたので、繋げ直しました。
別の会議で「コスプレ」が和製英語であるかどうかが取り沙汰されておりましたが、発案者からすると、ファンのキャラクター仮装を「コスチューム・プレイ」と呼ぶことも正しい英語の意味、語彙からは外れた用法ですし、そもそも英語圏では単語をこのように省略してつなぐことが少ないので、これもまた英語の語彙活用としては正統ではありません。
コスチュームプレイが「扮装劇」、転じて「衣裳ばっかり目立つダメ芝居」という意味だということは、記事の連載準備当初(1983年~4年)から、当時のスタッフであった町山智浩(ウェイン町山)から、タイトルの間違い指摘として受けておりました。 確かに英語的には正しくない表現なので、敢えて、COS-PLAYと省略接合して日本的な用法であると定義しました。
当時の世界SF大会(アニメコンベンションは、まだない)では、マスカレードと呼ばれていました。またアニメエクスポなどのコンベンションでも1990年代末頃は、マスカレードと呼ばれていましたがファンの呼称発言数の多さで、今はコスプレに藤一されたようです。外来語であることを表現するために、kos-play と表記していたこともありましたが、今は大半が、cosplay となったようです。
元来、英語圏では「単語を複合して省略」という使い方はあまりしないようです。 短くする時は、いきなりイニシャルで表現してしまう。或いは省略だけするとか。
aka : as known as とか、cobb.salada : combination salada とか。
kfc : kentucky fried chikin とか。(日本では、ケンタ、ですか)
ゆえに海外で、コスプレと発言しても、それを costume-play の結合省略語だとは認識して貰えないことが多かった記憶があります。
…というような理由から、コスプレは和製英語であると認識しています。 --以上の署名の無いコメントは、58.156.5.131(会話/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2007年1月16日 (火) 06:27 (UTC) に投稿したものです。
コスプレのお仕事
[編集]コスプレのイベントが新型コロナの影響で開催できなくなり、コスプレの仕事として 下記のようなネットによる仕事が誕生してきてるようですが、記事にはまだ早いでしょうか
https://twitter.com/24T4iePdpPYYdAT --以上の署名のないコメントは、Satoru kantou(会話・投稿記録)さんが 2020年5月14日 (木) 19:55 (UTC) に投稿したものです(Tmatsu(会話)による付記)。
- まずはノートへ書かれる際は署名を忘れないようお願いします。
- 本題ですが、今回の件に関しては記述するのにふさわしくないと断ずることができます。
- 確かに新型コロナウイルス問題の関係で、自宅でコスプレを行ういわゆる「宅コス」の延長線上でリモートワークでコスプレ合わせを行う辞令は出てきています(参照1、参照2)。ですが、今回提示されている物とは別と考えるべきですし、内容的にも適した物ではないとするべきです。
- また、今回のを含めSatoru kantou氏のこれまでのノートへの提案内容は何らかのTwitterアカウントの記載を提案する物であり、宣伝が目的目的と考えられる、またはそれが疑わしい、Wikipediaの目的外利用にあたると断ずるしかありません。
- 今回は記述除去せずにこうして指摘を行いましたが、同時にこれは目的外利用を行っている事への警告と考えてください。もし今後同様の行為が見られるようであれば、しかるべき対応を取らざるを得ないでしょう。--Tmatsu(会話) 2020年5月15日 (金) 01:05 (UTC)