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ノート:グアテマラ

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Todo

  • 文化の祝祭日の現地語表記のチェック(転写ミス?)
  • グアテマラ国内の世界遺産について付記。

--Aphaea* 2005年2月5日 (土) 17:27 (UTC)[返信]

CIAによる政府転覆に関する記述

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>CIAはグアテマラ社会の広い支援を得て、1954年、PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行した。

「グアテマラ社会の広い支援を得て」は、根拠が不明。削除すべきと考えますが、いかが? (Blackdragon 2006年9月21日 (木) 07:08 (UTC))[返信]

表記:平和条約

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>36年間にわたるゲリラとグアテマラ政府の戦争は、1996年に平和条約の調印によって終わった。

政府・ゲリラ間の取り決めに関しては、「平和条約」より「和平協定」と表記するほうがふさわしいのでは? 

暴力終焉および選挙体制に関して

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>グアテマラの政治的暴力は1983年に終わり、

『グアテマラ 虐殺の記憶(岩波書店、歴史的記憶の回復プロジェクト編)』によると、1983年はゲリラが戦略的敗北に陥った年とあるものの、体制による暴力は90年代前半まで行われていたことが書かれています。例:1990年9月7日、生命の安全を求めて山中へ逃れた住民グループ「抵抗の共同体」の支援者であったカブレラ司教の顧問役であった文化人類学者ミルナ・マックが軍の特殊部隊に殺害された。(pp.38)


>それに続いて1985年以降は民主的な選挙が現在に至るまで行われ続けている。

同書によると、1985年は軍事政権が民政移管した年であるが、軍の統制化においてなされたものであり、軍の実権は継続保障されたとあります。表記から得られる印象とは違うので、改める必要があるかと思います。