ノート:グアダルーペの聖母 (メキシコ)
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この記事は英語版ウィキペディアのOur Lady of Guadalupeから翻訳された内容を含みます。翻訳元ページの履歴にある執筆者一覧も参照してください。 |
改名の御提案
[編集]記事名称を「グアダルーペの聖母」と変更したく存じます。
メキシコ国内(あるいはスペイン語圏)関連で "guadalupe" のカタカナ表記は「グアダルーペ」と「ー」(長音)を入れたいと思います。現在、日本語版ウィキペディア内でも長音が入っているのといないのが混在していますので、どちらかに統一したほうが良いと思います。「グアダルペ」でも「グアダルーペ」でも間違えではなさそうですが、Google検索では「グアダルーペ」表記の方がやや多いかと思われます。長音入りを選択した根拠はそれだけです。反対の御意見ございましたら(賛成も)このノートにお願いします。1週間程度で改名のテンプレートが貼れればと思っています。--Panpulha 2006年11月9日 (木) 06:44 (UTC)
- 賛成します。参考に見たサイトのほとんどは「グアダルーペ」表記でした。--Nopira 2006年11月28日 (火) 04:55 (UTC)
- 移動ありがとうございました。--Nopira 2006年12月6日 (水) 03:39 (UTC)
出典明示・記事内容の書換え・追加による改善について
[編集]本ページには2015年6月28日 (日) 01:46 (UTC)付で「出典の明記」テンプレが貼られていたところ、8月31日~9月2日に以下の改善を行いました。
- ボックス設置・参考文献の本文末尾表示。
- 他の参考文献による記事追加
- 参考文献が不明瞭な箇所及び他の参考文献と照らし合せると食い違う箇所を非表示又は削除・書換え
- 本文記事の理解の助けとなるような写真の挿入
以上により、出典非明示の問題点は解消されたと判断しますので、「出典明記」テンプレの除去を提案いたします。--Ann Clara(会話) 2016年9月4日 (日) 22:38 (UTC)
- コメント:この提案を出してから1週間が過ぎませんが、 2016年9月7日 (水) 13:25 (たぶんUTC)付で頭痛様により出典明記のテンプレが剥がされました。これで意義ある方がおられなければ、この提案を閉めたいと思います。如何でしょうか。 --Ann Clara(会話) 2016年9月7日 (水) 22:31 (UTC)
- Ann Claraさん、初めまして、こんばんは。2015年に当記事に「出典の明記」テンプレートを貼りましたÆskjaと申します。このたびは記事に加筆して戴き、ありがとうございました。出典についても追加や検証をして戴きましたのでもはやテンプレートが不要なのは明らかでしょう。ご提案の終了にも賛成致します。ご配慮に心から感謝申し上げますとともに、Ann Claraさんの今後のさらなるご活躍を祈念申し上げます。--Æskja(会話) 2016年9月8日 (木) 11:50 (UTC)
- Æskja様 このたびは提案にご賛同いただきましてありがとうございます。ご丁重なお言葉を頂き、今後の活動の励みになりました。Askia様も今後のご活躍をご祈念申し上げます。--Ann Clara(会話) 2016年9月8日 (木) 22:34 (UTC)
ローマ教皇パウルス3世による勅書に関する記述は不要ではないか
[編集]前節でAnn Claraさんからご説明があったように、出典の追加と加筆をして戴いたところですが、1537年にパウルス3世 (ローマ教皇)がインディオの迫害を禁じる勅書を出したという記述に付けて戴いた出典「Ⅰ.教皇文書は奴隷貿易を禁止したか 16世紀前半の教皇文書(近代資本主義の成立と奴隷貿易 - ③ 教皇文書と新大陸での実態の吟味 (2)) (PDF) 」(西山俊彦著、カトリック社会問題研究所(福音と社会 第212号)、2004年)の2-3頁を見たところ、その勅書はわずか1年で撤回されていました。出典を確認する前は、聖母出現がインディオへの迫害や奴隷化を止めたと解釈していたのですが、出典からは聖母出現と勅書を出した事との間に因果関係があったという情報は読み取れませんでした。しかもカール5世 (神聖ローマ皇帝)からの抗議を受けた教皇が勅書を撤回してしまったのであれば、勅書の件はこの記事に記載する必要がないのではないでしょうか。当該部分はコメントアウト致しました。もちろん、聖母出現と勅書を出したこととの間に因果関係があるとする出典があるならば積極的に記載すべき記述だと考えます。--Æskja(会話) 2017年1月2日 (月) 11:34 (UTC)