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ノート:キリスト教/過去ログ1

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記事の体裁・補遺・他項目との連関/編集の方向性

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  • 日本での教勢(世界でも)に沿っているのでしょうが、プロテスタントの記述が殆どと思ってしまいます。

記事がでかいとしかられました。すこし整理して、下位項目を充実させません?Aphaea

日本の哲学者に内村鑑三が追加されておりました。近代日本思想史にとって重要な人だとは思いますが ……キリスト教思想家・神学者等の分類のほうが妥当な気もします。広くとるほうがいいですかね?(北村嘉蔵や小柳義夫は神学者であっても哲学者じゃないよなあたぶん)。

なお中世の神学者はつくりましたが近現代はまだです。Aphaea 事後報告ですが分割しました。Aphaea

内容の間違いについての指摘

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「すでに、ルーテル派とカトリックの間においては、16世紀の宗教改革の最大の争点となった「信仰義認」の教義について、現在の両教会の見解の間には本質的相違が存在しないことが確認され、相互聖餐の関係が樹立されつつある。また、聖公会とカトリックの間にも、相互聖餐の関係が樹立されたが、」
に関する記事ですが、まったく出鱈目です。教皇庁はそのようなことは認めていません。特に聖公会の叙階について、カトリック教会側は未だもって認めておらず、東方正教会などのように使徒継承教会としては一切認めていません。従って、相互陪餐は教会法で禁じられています。

人口統計が少し変です。カトリック大辞典(newadvent.org)の統計と比べても数が少なすぎる(あの統計はアジアな正教会を数えていないので、正教徒の数に関しては性格ではないので使えませんが)。どなたかよい資料をおもちではないですか。Aphaea 22:24 2004年2月19日 (UTC)

 セブンスデー=アドベンティスト教会ですが、キリストの復活の恵みからキリスト教会は、日曜日に礼拝するのですが、復活以前の旧約律法の十戒の第4戒を厳守し、土曜日に礼拝をする、新約聖書に全ての食べ物は清いとあるのに、旧約律法の食物の規定を重んじて例えば豚肉を避ける、キリストはすでに天上の聖所で大祭司として過ぎ越しの羊として犠牲を捧げられたのであり、キリストの最後的罪の赦しいただく選ばれたものは決定していて、それは、セブンスデー=アドベンティスト教会である、とします。更に、新約聖書に繰り返し再臨の日は父なる神しか知らないと書かれている(マタイ24:36;使徒1:6,7)のに再臨の日を特定して待ち望んだりしていることなど聖書から外れた独特の教理からキリスト教に含まれないと考えられます。(ただし、年鑑等に含んで記述される場合もある。)それから、セブンスデー=アドベンティスト教会は、信仰復興運動が下火になった1830年代以降にウィリアム・ミラーによってはじめられましたので、アメリカの1800年代以降のメソジストの分裂と直接つながるとは思えません。ですから削除の上加筆修正しました。Siyajkak 14:28 2004年6月25日 (UTC)

十字架について

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十字架をこの項の一番上に説明も無く掲げることは反対です。すべてのキリスト教(正統と呼ばれるものだけに限っても)が十字架を掲げているわけではありません。現に、私の通っている教会(Independent Baptist)には十字架はありません。なぜなら聖書に十字架を描け、祭れなどなどの記述が無い、と解釈しているからです。再考を願います。hans_castorp81 2005年5月8日 (日) 20:52 (UTC)[返信]

個人的な意見ですが、一方で十字架が非キリスト教徒にとってももっとも馴染み深いキリスト教由来の象徴であることも確かなことに思えます。説明があればかまわないでしょうか「十字架はキリスト教のもっともよく使われる象徴のひとつでイエス・キリストの死を記念するもの」(いい加減です。すみません)のような感じで。
これだけではバランスがたもてませんので、「キリスト教の象徴」あるいは「キリスト教美術」のような節を設けて、キリスト教美術などに誘導すると同時に、「すべての教派が十字架を用いるわけではない。少数だが十字架を礼拝や信仰の象徴として使う根拠が聖書にはないと考え、用いない教会もある」とそのなかで書いておけばいいかなと思いました。--Aphaia 2005年8月10日 (水) 00:31 (UTC)[返信]
あるいは、こちらはいかがですかde:Bild:Sychrist.jpg--Aphaia 2005年8月15日 (月) 22:36 (UTC)[返信]

こんな記事がほしい

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この分野はまったくの素人なんですが、いくつかのキーワードには興味があります。たとえば、原始キリスト教とクムラン教団(ユダヤ教エッセネ派?)との関係や死海文書のことについてなどって、キリスト教の歴史としては「トンデモ」系な説なんですかね?なにぶん、勉強が浅いんで(読んでいる本が少なすぎる)、なにが学説の主流なのかどうかもわかりません。でも、個人的にはとても興味があることなので、ぜひともウィキペディアにキリスト教の歴史が詳細にあるとうれしいです(いまのでも、十分に面白いです)。もちろん、イスラム教や仏教の歴史にも興味があります(ただ、知識と言うものからはほどとおい知識しかないんで....)。--Oga 07:03 2003年3月11日 (UTC)

特に日本のキリスト教史は独立項目を設けてみてはどうか?--202.223.93.65 2005年8月4日 (木) 09:42 (UTC)[返信]

同感ですね。日本のキリスト教で歴史+現在の教勢を扱うのがいいのじゃないかと思います。その場合、この項目自体にどれだけの分量をのこすかというのはまた別途考えればいいように思います。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 09:45 (UTC)[返信]

個々の記述をめぐる争い

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>キリスト教は、異教徒の存在を許さない・異教徒を人間と思わない思想を根底に持っており、このために十字軍の遠征や、後に、アジアやアフリカをヨーロッパ諸国が侵略する際に積極的に関与することとなる。

という記述ですが、履歴を見ると一番最初から書かれているようですがどうなのでしょう?キリスト教に十字軍や魔女狩り、異端狩りなどのネガティブな部分があるのは事実でしょうが、そのこととアジア、アフリカの植民地化と結びつけるのはちょっとどうかと思います。植民地を作っていた国々がたまたまキリスト教の国々(=ヨーロッパ・ロシア)であっただけなのではと思えます。それに日本もかつて植民地経営を行なっていたということは、神道にも「異教徒の存在を許さない・異教徒を人間と思わない思想を根底に持っており」と言えるということなのでしょうか?Tanuki Z 06:42 2003年9月25日 (UTC)

補足:ついでにこの部分を書かれた218.125.76.66さんなのですが、カトリックでも同様の書き込み

をされているのですが、こちらの方は事実の誤認も見受けれます。(南アメリカの先住民に対して非人道的扱いを続けたコンキスタドレスとそれを非難した修道士の対立など)思うに、これらはこの方の個人的思想(または思い込み)なのではないかと思うのですが……Tanuki Z 07:05 2003年9月25日 (UTC)

>Tanuki Zさん

ラス・カサスの話ですね(^^)。おっしゃることに同感です。十字軍の思想的、歴史的背景、経済的動機、新大陸侵略への歴史的背景や経済的動機など綿密に検討しないと書けないと思います。Siyajkak 15:18 2004年6月25日 (UTC)


異教徒への不寛容は特にキリスト教に限った話ではないので、このような形で触れる必要はなさそうですね。結果として植民地支配にキリスト教の布教活動が活用されたという指摘は間違ってはいないかもしれませんが、それはまた別件のような気もします。Fx 07:12 2003年9月25日 (UTC)

日本のアジア支配の際に国家神道の押しつけがあったことと、布教的情熱が国外侵略の原動力であったキリスト教は同列ではありません。ただし、キリスト教による他国への侵略や、異教徒弾圧や、大量抹殺は、さすがに魔女狩りに等しい、キリスト教自体の文化がまだ未開であった時点において成されたことで、さすがに近代の歴史上の出来事につなげるのは無理があるでしょう。

布教的情熱が国外侵略の原動力とした人(=ヨーロッパ人は優秀でありほかは劣っているというレイシズムや経済的利益と必ずといっていいほど結びついていて、布教についての情熱は自己正当化の道具)と純粋に布教しようとした人がいるので、布教的情熱が国外侵略の原動力とは言えないのではないでしょうか。インカ皇帝への信仰の強制やレコンキスタ後のイスラム教徒への集団洗礼などむしろ国家神道の押しつけに近いのではないでしょうか。Siyajkak 15:18 2004年6月25日 (UTC)


歴史部分は細かい記述が増えましたし、このようなおおざっぱな総括は除いてしまってもよいのではないでしょうか。Safkan 09:01 2003年9月25日 (UTC)

 「ファンダメンタリスト」の用語ですが、最近ではアメリカの宗教右派(政治的にも保守)のうちディスペンセーション主義者を除く集団を特定する用語として使うのが一般的になっています。ただし、「福音派」もプロテスタント一般を指していた歴史的経緯があり、難しいのですが、メインラインの教会でも教理的にファンダメンタリストに近いというか聖書の記述を「正しさにおいて必要にして充分(full inerrancy)」として従う神学的に保守派(政治的に保守とは限らない。むしろ日本では政治的に左派に近いし、アメリカでも南部バプテスト連盟の福音派だったカーター大統領は政治的にリベラルだった。)の群れがあり、必ずしもメインライン=自由主義神学ではありません。こうした事情から、メインラインの神学的保守派とファンダメンタリスト及びそれに近い群れを含めて「福音派」と呼ぶようになっています。最近は本文中に記述されている意味での「メインライン」が福音派化して信徒数が増加している、あるいは、もともと17世紀以降の正統主義神学を守り通して(苦笑)福音派だったメインラインの教会もあるでしょうから、ファンダメンタリスト(福音派)とメインラインという分類は、正確さについて大いに疑義のある記述です。Siyajkak 14:56 2004年6月25日 (UTC)--リンクつけSiyajkak 2007年10月27日 (土) 11:26 (UTC)[返信]

靖国関連

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今回改変部分について一部でそういう意見の神父もいたようですが、カトリック教会としてではないと思いますが、論拠を示していただけないでしょうか。戻された部分については現在では公式に靖国に反対しています。だから揶揄です。johncapistrano 2004年7月6日 (火) 07:22 (UTC)[返信]

σ(^^) の方へいただいたメッセージですが、皆様も関心のあることでしょうから、こちらでお答えさせていただきますね (^^)/。
いくつかの資料で見たように記憶しているのですが、今即に申し上げられるものとしては、↓があります。
即に本が出てこなくて申し訳ないのですが、それによると、たしか当時カトリックの日本代表だったドイツ出身の神父さんであったと思います。
それから、公式に反対しているのは存じております。だからなおのこと滑稽に感じられましたので。
あと、反日寄りになったのはプロテスタント系の方が先だと認識しています。
コミンテルン史観丸出しのこの本を四谷のサンパウロで見つけた時には驚いたものです。
今後とも、ご教示のほどよろしくお願い申し上げます <m(_ _)m>。Kadzuwo 2004年7月6日 (火) 07:48 (UTC)[返信]

既に訂正しましたが、コミンテルン史観とはどんな物でしょう? 天皇制に反対しているだけじゃないのかと思うんですが。johncapistrano 2004年7月6日 (火) 08:01 (UTC)[返信]

あれが「訂正」ですか……。
この件に関しては、皆さんに資料を見て判断していただくことにいたしましょう。
あと、コミンテルン史観というのは簡単に言えば日本悪役史観ですね。実際はせいぜい利権戦争であった日露戦争を一方的な侵略戦争とするが如きです。↑の本の目次だけでは解らないかと思いますが、単なる反天皇制ではないです。Kadzuwo 2004年7月7日 (水) 06:47 (UTC)[返信]

藤岡信勝の用語を更に短絡的にお使いのようですね。歴史認識に対するカトリック教会としての公式な教育は存在しませんので、個人的に影響を受ける方の存在は否定できませんが、反靖国・国家神道を指してコミンテルン史観とは中傷以外の何ものでもないと思います。GHQに対する意見も「靖国は宗教でない」との戦時中の見解の延長で「墓地」としての認識の元でなされたものを捻枉げて宣伝に使われていると思っています。実際にはカトリックの中でも靖国を支持したりしている方は多いようで、各々の方がどのような認識をされているかは判りませんが。johncapistrano 2004年7月7日 (水) 11:46 (UTC)[返信]

1. 現行の版で
> 終戦直後にGHQが靖国神社を破壊しようとした際に

とありますが、大江志乃夫『靖国神社』27-36頁では、1944年のPWC文書で――ということはGHQの設立以前ですが――すでに靖国の存続が勧告されており、また、神道側活動家の「GHQは靖国を破壊しようとしていた」という証言は史料に反している、と主張されています。

2. 現行の版では
> 太平洋戦争中、靖国神社参拝が強要された折に、反対をした学生への弾圧を受けて日本のカトリック教会は「靖国参拝は宗教活動に当たらない」との見解を誤導し、以後戦争に協力した。そして、終戦直後にGHQが靖国神社を破壊しようとした際にカトリックの当時教皇庁駐日代表だったブルーノ・ビッター神父の反対意見によって存続が決定された。この反省から戦後はあらゆる戦争に反対し、またアジアの兄弟との連帯は損なわれてはならないとする立場を取っている。
となっていますが、この書き方だと、「この反省」が戦争協力だけでなくビッター神父の活動に対する反省であるように読めますが、そういう読み方でいいのでしょうか?--Dokusha 2005年1月23日 (日) 19:57 (UTC)[返信]

訂正して頂いて構いません。2.については公式見解は不明です。(私が知らないだけかも)そう取って頂いても構わないかとは思います。ただ神道家との和解も図っています。意見の分かれるところですが。johncapistrano 2005年1月23日 (日) 20:17 (UTC)[返信]

  コメントありがとうございます。とりあえず編集してみましたので、問題があれば加除訂正をお願いします。--Dokusha 2005年1月23日 (日) 20:26 (UTC)[返信]

他ドキュメントなどとの著作権問題

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エホバの証人の電子化テキストデータベースを入手しました。  句読点等微妙な所をのぞくとほぼ同一の書き込みがみられるですが。KIZU 18:45 2004年2月14日 (UTC)

やはりエホバの証人のコピペですか。著作権はフリーになっているのでしょうか?(フリーだったところで、大幅な修正が要りそうですが・・) 当該人物のノートにもこの件は書き込みましたので、参照ください。

KIZUさんのエホバの証人の電子化テキストデータベースの所持は不当です。それは信者のみ所持・インストールが認められているものです。直ちに返却するよう再度警告します。K.M. 04:29 2004年2月18日 (UTC)

これは書き方が不正確でした。エホバの証人(ある会衆の奉仕の僕)が使っているPCに 私の正規のアカウントがあり、その共用フォルダに当該データベースがインストールされておりました。インストール済のアプリケーション使用も許諾違反ですか?

なおそのマシンは今使っているマシンとは別です。さらに付け加えるならば、わたしは1970年代以降のすべての協会出版物を紙媒体で閲読できますし、その内容もだいたいは覚えております。ですのでデータベースがなくてもK.M.さんの出典を指摘することは難しいことではないです。KIZU

付録によると

Watchtower Libraryは、あなたが個人的に使用するために準備されました。ですから、個人使用のためにデータをコピー、印刷、抜粋することができます。しかし、Watchtower Library CD-ROMを持っていない人に、プログラムや大量のデータを渡すことはできません。

あなたの使用状況はこの規定を破っているようです。もっとも、あなただけでなく、もう一人のエホバの証人の方も「共有フォルダに入れている」点で違反があります。K.M. 05:34 2004年2月19日 (UTC)

ひとつだけ

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2005年8月2日の02:42にBokemiannさんが「この相違はルターが始(初)めてドイツ語に聖書を翻訳したことに由来する。」と書き込まれていますが、ルター以前にもドイツ語聖書はたくさんありました。ということだけ指摘しておきます。Gakuinryou 2005年8月5日 (金) 04:14 (UTC)[返信]

「この相違はルターがドイツ語に聖書を翻訳した際、旧約聖書の底本にヤムニア会議で正典化された聖書を使用したことに由来する。」としてみました。いかがでしょうか。くどいですね。。--Aphaia 2005年8月5日 (金) 07:15 (UTC)[返信]

いはゆるひとつの三大異端

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教義のところに、こういう教派はキリスト教を自称しているが、上述の教義を共有しない、たとえばこれこれ、というよな説明を加えることは、これらがキリスト教であると考える一般の読者にとってもまたNPOVの観点からいっても有益なのじゃないかと思うのですがどうでしょうか。

いちおう英語版は三大異端のそれぞれについて主流派とここが違うということを略述しているようです。--Aphaia 2005年8月8日 (月) 18:17 (UTC)[返信]

それは基本的には異端に書くべき内容ではないかと。教義の所に書くなら、たとえばニケア解説な箇条書きののなかに「(アリウス派の否定)」のような注がありますが、これを「(アリウス派の否定、エホバの証人が抵触)」といったスタイルでいかがですか。 LR 2005年8月8日 (月) 21:53 (UTC)[返信]

再編成

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Project:査読依頼からのつづき。 LRさんから海外の状況を切り落としてはどうか、といわれましたが、百科事典としてそれは問題があるように思います。よくいわれることですが「日本語版であって日本語ではない」ので、なにも説明がない状態では国際的なかつ一般的な状況を説明し、日本のことに絞るのは「日本のキリスト教」のような項目でしたほうがいいのではないかと思います。関連して日本のキリスト教の歴史を項目としてたててほしい、という要望もすでにあることを付言しておきます。

ですが、再編成には賛成です。個人的には

  • 経典はもっとすっきりかけるのではないか(とはいえ「旧約外典」というのはプロテスタントの一部にとってのみそうである、という記述は落とせないと思います。経緯は聖書の項目に譲れるんじゃないかと思いますが)
  • 教義は、もっと別の形があるかもしれないし、また今の形式を維持するとしても刈り込みや加筆が必要なように思います。救済論はもう少し書いたほうがいいでしょうし、聖餐論もまたしかりですね。
  • 歴史は宗教改革からいきなり20世紀に飛ぶので、もう少し工夫したほうがいいように思います。あるいは「各教派の成立」というふうに組み替えてしまうのも手かもしれません。
  • アメリカの現代キリスト教……バランスが悪いと思いつつ、知識がなく、手をだせません。あるいは別項目に大胆に追い出したほうがいいのかも。
  • 他宗教との関係は、NPOVという見地からも、歴史を教会内部のことにしぼったこととのつりあいとしても、必要だろうとおもいます。最低限、十字軍と魔女狩りと進化論については触れないと、一般読者の関心を満たせないように思います。あとあまり日本ではいわれませんが、近世以降のヨーロッパにおけるユダヤ人の扱いとの関係。あちこちで強制改宗したというのは歴史的事実なのでそれをおとすのはNPOVという見地からはまずいと思います。
  • 日本のキリスト教の新設。日本POVという言葉がありますが、日本のことだけが妙に比重がかかっているという状態は、百科事典としてもいかがなものかなと思います。ですが読者の関心は当然そこにもあるでしょうから、削るというのは愚策だと思います。別項目でもっと充実した記述を与えるのが最善かと思います。(戦中の教会合同のことくらいはかいてないとまずい気がする)。

思いつくところを書いてみました。急ぐことではないでしょうが、そろそろ再編を考えていいサイズと内容になってきているように思います。

--Aphaia 2005年8月10日 (水) 00:25 (UTC)[返信]

テレヴァンジェリズムの取り扱い

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いや、あのショーが礼拝と看做せるか、という受け取り側レベルの問題でしょう。あれを「テレビ礼拝」と受け止めてる視聴者はかなりいる、というアンケート結果があったはずです。勿論私も全てを視聴しているわけではないですが、実際、レックス・ハンバードのそれは礼拝と呼べそうに思います。ただ、電波越しに癌を癒したりするものがいますので、「福音派の台頭」の位置においとくのがよいかどうかが一寸疑問です。LR 2005年8月25日 (木) 11:30 (UTC)[返信]

NPOVというのは観点が複数ある場合には両方を紹介するもので、好意的なものだけを紹介するというのは違うと考えます。伝統的な礼拝の形態を中継しているのではないこと(テレビ向けに伝統的な礼拝を行い[当然聖餐式や聖体拝領もあります]、カメラワークなど工夫して流す番組もありますが、もとの書き方ではそういうものを想起させるように思います)、あれをショーとみなして認めていない者も一定数いることは(今数字が出せませんが)書かないとバランスを欠くと考えます。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 11:37 (UTC)[返信]

あれに対し好意的なつもりはありませんが(だから直し直してない)、とりあえずアーメン(笑)。LR 2005年8月25日 (木) 11:44 (UTC)[返信]

そうか、いま気づいたんですが、20世紀を語る上で(て以前からグーテンベルクの銀河系とかいう話もありますが)、メディア展開というのは重要ですね。ラジオ伝道とかも含めて。テレビ伝道は、プロテスタント原理主義や聖霊派と関係づけるよりは、そこでは軽く触れて、現代のメディアとキリスト教というのを別に節に切って扱うほうがバランスはよいのかもしれません(あれが事実上北米限定だということも書いておいたほうがいいような ちなみに)。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 11:51 (UTC)[返信]

テンプレート

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イスラム教仏教の項目のように、ナビゲーション用のテンプレートをキリスト教関係記事にもいれませんか? 他の言語版でも、いくつかのところは主要記事はテンプレートで示されており、すっきりまとまって見えるなと感じました。

en:Template:Christianity fr:Modèle:Christianisme

--Aphaia 2005年8月15日 (月) 22:34 (UTC)[返信]

図表など

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他の言語版で、もちこむとよさそうなもの&同種のものを作るとよさそうなものをストックしませんか。

de:Bild:Weltreligionen.png 世界宗教分布。その国でもっともよく普及したものを色であらわしている。--Aphaia 2005年8月15日 (月) 22:40 (UTC)[返信]

聖書の節

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旧約聖書の構成の違い、の第2段落は、第1段落で言われていることを言い直しているだけで、やや冗長におもいます。旧約聖書の項にうつして、この項目では、各教会にとっての聖書の位置づけ(英語版にあるような)をおいたほうがいいのではないかと思います。聖書と聖伝VS聖書のみ、という話は、このセクションにあるのがよいように思いますので。--Aphaia 2005年8月30日 (火) 14:10 (UTC)[返信]

東方諸教会と東方教会

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このところの改定は、東方教会は単性論の東方諸教会を含む故に、東方教会全体ではニケア・コンスタンティノポリス信条に言い表される正統教義に立っていない、という観点で行われているように読み取れますが、この解釈と東方教会観は妥当なものでしょうか? LR 2005年10月7日 (金) 02:43 (UTC)[返信]

えっ、そんな改定がされてたんですか。東方諸教会は当然にニケア・コンスタンティノポリス信条を告白しますよ。カルケドンを基準にするならまだわかりますが、NKを基準にするならあきらかにその記述は妥当ではないので除去するべきかと。--Aphaia 2005年10月7日 (金) 02:53 (UTC)[返信]

本日9:00頃、IPユーザーによる一連の改稿がそう読めます。すみませんが、東のことはお任せします。LR 2005年10月7日 (金) 03:13 (UTC)[返信]

安心して任せていただくほど詳しくないのですが、対応を試みてみました。いったい何と勘違いしているのか、そら恐ろしい気もしますが。東では使徒信条を告白しない(公会議で決定されていませんから)というのと誤解しているのかな?--Aphaia 2005年10月7日 (金) 04:06 (UTC)[返信]