ノート:カトリック教会
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。詳細はノート:カトリック教会/削除をご覧ください。 |
過去ログ一覧 |
---|
|
画像削除編集について
[編集]この編集につき説明申し上げます。
- ウクライナのリヴィウにある教会であることと、聖堂の構造(至聖所の高座がある張り出し部分と思われる場所がある)からして、おそらくは東方典礼カトリック教会(ウクライナ東方カトリック教会)の聖堂と思われるのですが(ウィキメディアのカテゴリもそうなっています)、どちらかと言えばウクライナ、ベラルーシ、ロシアの正教会にみられる建築様式であり、記事「カトリック教会」にサン・ピエトロ大聖堂以外に唯一載せられる聖堂の写真として適切かどうか…?
- かと言って、ゴシック建築でもロマネスク建築でも、何らかの建築様式が「典型的なカトリック教会」と言えるのか、どのような建築様式が記事に載せるのに適切なのか、私には判断はつきかねました。
- そもそも東京カテドラルやイグナチオ教会などを見ますと、「典型的な建築様式」なるものが現在のカトリック教会にあるかどうかすら微妙と、専門外の立場の人間からは思います。これも判断がつきかねた原因です。
以上の理由から、「置き換え」ではなく「削除」とさせて頂きました。カトリック教会の領域で執筆されておいでの皆様の御判断を待ちたく存じます。--Kinno Angel(会話) 2013年12月25日 (水) 10:24 (UTC)
- 編集ありがとうございます。私はカトリックでありますが、建築については門外漢です。ただ一般のかたが記事を目にしたときに目にするサンピエトロ聖堂ともうひとつ、という意味では適切性に疑問ですので編集に異存ありません。差し替える候補をしばし考えておきます。--トマス秋茄子(会話) 2013年12月26日 (木) 00:29 (UTC)
- Kinno Angelさんの当該編集には異議ありません。ウクライナの教会の画像を貼りつけた方には申し訳ないのですが、「サン・ピエトロ大聖堂以外に唯一載せられる聖堂の写真として適切かどうか」と言われれば、仰る通りだと思います。他に画像を付け加えるなら、(「典型的なカトリック教会の建築様式」と言えるのか自信はありませんが)日本の教会の中で一般的にもそこそこ有名だと思われる大浦天主堂の画像あたりを添付してはどうかと思います。最近建てられる聖堂はゴシック建築のものは少なくなったものの、東京カテドラルや聖イグナチオ教会よりは、多くの方が記事を目にしたときに「カトリック教会(の聖堂)」をイメージしやすいような気がするのですが、いかがでしょう? --Lorettibarrend(会話) 2014年1月4日 (土) 14:16 (UTC)
編集提案
[編集]内容は変えずに、下記のような順番に変えたいと思います。
1 概要
1.1 「カトリック」の語源
1.2 名称
2 歴史
3 組織
3.1 ローマ教皇と枢機卿団
3.2 司教
3.3 司祭と助祭
3.4 信徒
4 信者数 カトリック信徒の分布
5 教義
5.1 「聖書と聖伝」
5.2 聖書と教典
6 活動
6.1 典礼・年間行事
6.2 秘跡
6.3 公会議
6.4 カトリック教会のメッセージ
7 教義についての他教派との関係
9 「カトリック」の語源
10 日本におけるカトリック教会
11 カトリック教会への批判
12 カトリック教会の性的虐待事件
--Tokinokawa(会話) 2020年7月23日 (木) 06:57 (UTC)
教義の項目の編集
[編集]「カトリック教会のメッセージ」を削除して、教義の項目に、下記の文を載せたいと思います。
おとめマリアより生まれたイエス
[編集]- ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイエスは死んだけれども、よみがえった
[編集]- 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイエスは天に昇って行ってから、神の右に座った
[編集]- ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
- ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
- すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。<キリスト教#ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文参照>--Tokinokawa(会話) 2020年8月18日 (火) 09:43 (UTC)
ナザレのイエスの母だったマリアは、その人生の終わりに、肉体のままで天国にあげられたという信仰。
ナザレのイエスの母だったマリアは子供を宿した時に原罪が潔められた、という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」という信仰。<中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)><神の母という信仰は、3世紀初めからアレクサンドリアの教父によって行われている。428年ネストリオスはキリストの母と呼ぶべきだとして、激しい論争がおこった。(岩波キリスト教辞典P767) >
ローマ教皇が「信仰および道徳に関する事柄について教皇座(エクス・カテドラ)から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、正しく決して誤りえない」という教義のこと。<教皇ピウス12世の「聖母の被昇天」に関する宣言には、「もしこれらのことを疑い、否定する発言を行うものはカトリック教会の信仰から離れているとみなされる」とした。
歴史の項目の追記について
[編集]下記の文を歴史の項目に追記したいと思います。
キリスト教としての信仰の確立の歴史
イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照
聖書は神の言葉という信仰の確立
聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
カトリック教会での事件の追記
[編集]カトリック教会の性的虐待事件からの引用文を載せたいと思います。
2010年3月、ニューヨーク・タイムズが、ベネディクト16世自身が枢機卿在任時代に司祭の虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発したことから、同年3月28日にはロンドンで教皇の退位を要求する抗議デモが行われた。
また、近年一部の聖職者が児童に対して性的虐待をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。
カトリック教会が影響した出来事の項目の作成
[編集]脚注の上にこの項目を作成したいと思います。 内容はキリスト教#キリスト教が影響した出来事とほぼ同じ。(プロテスタント関係を除いた形)
また、その最後に、バチカンの国家財政管理を行う組織である「宗教事業協会」のことで、2013年5月22日、独立機関の聖座財務情報監視局は、2012年の金融取引において6件のマネーロンダリングの疑いがあると発表した。2013年6月28日には、現金4千万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしたとして、スカラーノ司祭がイタリア警察に逮捕された。2013年7月1日には、幹部2人が辞任に追い込まれた事件があり、追記したいと思います。
組織 の項目の修正
[編集]内容をもう少し簡略化して、教義上はバチカンの上に、聖人たちと聖母と神の右に座したイエスと神ヤハウェが存在するようなので、それについても少し触れたいと思います。--Tokinokawa(会話) 2020年8月16日 (日) 02:17 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2020年8月18日 (火) 09:42 (UTC)
教義の項目に追加
[編集]ローマ教皇は、全世界のキリスト教の司教たちの中で、最も権威を持っていて、天国の鍵[1]を受け継いでいるとされる。教会の外にいるものは聖霊の恵みを受けられず、もしそこから離れてしまえば聖霊の恵みを得ることができないとされている。[2]
--Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 08:01 (UTC)
組織
[編集]「キリストの教会」という世界観
[編集]カトリック教会においては、自宗を「キリストの教会」だとする世界観がある。[3]この世界観は、神と神の右に座するイエス、神の母マリアや聖人たちのとりなし[4]、天国の鍵を管理するペテロ、信者たちの集う天国等で構成されている[5]。こうした世界観にもとづく組織構造がペテロの権威を引き継ぐローマ教皇という現実の人間を中心に展開されている。
ローマ教皇
[編集]ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する
枢機卿団
[編集]枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿である。
司教
[編集]司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者であるとされる。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会(東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。
司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭・助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている[6]。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある[7]。
司祭と助祭
[編集]司祭と助祭は司教の職務を補助している。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。
また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者と祭壇奉仕者の2つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった[8]。
カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は、独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。
信徒
[編集]洗礼を受けた信者は、信徒と呼ばれる。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 08:02 (UTC)
活動の項目に追加
[編集]地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。
現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとされている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている[9]。--Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 07:49 (UTC)
- ^ マタイによる福音書の16:18-19の箇所にのみ出てくる、ペテロはイエスより天国の管理人に任命されたとされる。。岩波新約聖書2004年P131
- ^ 教皇を参照
- ^ 教皇#地位と権威参照
- ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)
- ^ マタイによる福音書の16:18-19の天国の鍵の記述の中で、ペテロが天国の管理人をするところの教会を、イエスは「自分の教会」と言ったという記述がある。岩波新約聖書2004年P131
- ^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁
- ^ こ「東京大司教区に補佐司教任命」(2004年12月2日 カトリック中央協議会)
- ^ 『カトリック教会の教え』251-254頁
- ^ 『カトリック教会の教え』252頁