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ノート:エリック・サティ

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  • サティの自画像もいいですが、写真も載せてください。
  • 奥さんの悪口を紙に書いて、近所のかたがたに知らせていました。
  • サティの死後、屋敷から数十台の壊れたピアノがみつかりました。
    • 2点目と3点目について出典を示してください。--203.211.239.14 2008年5月15日 (木) 04:56 (UTC)[返信]
      • 2点目、3点目に関しては勘違いか意図的な嘘か何かでしょう。サティは若いころの恋愛で苦い経験をしてから女性を憎んでいてそれが原因で一生独身(秋山邦晴の「サティ覚書」にそう書いてあった)。なので奥さんなんていません。サティは一生ど貧乏で住んでいたのは狭いアパートの部屋。屋敷なんかじゃないし、ピアノが何十台も出てきようがない。死後に見つかったのは、サティがコレクションしていた傘の山。「サティ覚書」によれば、百本くらい見つかって、中には未開封のものもあったとか。--亜顎十郎 2008年8月15日 (金) 20:31 (UTC)[返信]
  • 拍子に関して、ストラビンスキーやメシアンにサティの影響があるように読めるような記述がありますが、これは事実に反するのでは?ストラビンスキーによるリズム革新といえば「春の祭典」でしょうが、サティの影響があるなんて話は読んだこともないですし、それを実証する資料も本当にあるのでしょうか?それに、メシアンの逆行不可能なリズムとか移調の限られた旋法というのは北インド音楽の研究に由来しているのでは?もしここで私の書いたことが間違いで、根拠となる文献がある場合はその旨注釈して下され。--亜顎十郎 2008年8月15日 (金) 19:50 (UTC)[返信]
  • サティは独自の魅力をもってはいるが、ドビュッシーやラヴェルなどと比べると遙かに格下であると考えるのが一般的な評価のはずで(それが正しいのかどうかはここでは措く)、全体的に過大評価し過ぎの記述となっている。出典がなく、事実かどうか確認できない部分も多い。百科事典であるなら、もう少し客観的で中立的な記事にすべき。