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ノート:ウクライナ語/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

カテゴリ・ポーランドの言語を追加

ポーランドにもウクライナ人マイノリティーが存在するので、ポーランドではウクライナ語の話者も数少ないとは言え、一応カテゴリ・ポーランドの言語を追加させて頂きました。

もちろん構いませんが、アメリカ合衆国やカナダ、南米やオーストラリアなどにもかなりの規模のウクライナ人コミュニティーが存在しており、どの辺りまで含めるべきなのでしょうか? ポーランドだと元々住んでいたかもしれませんが、アメリカ大陸等は明らかに移民だから、その辺で分けるのかな?--ПРУСАКИН 2007年10月14日 (日) 06:22 (UTC)


省略形について

「宇語」と言う表記が書籍に全く見られないことから、削除をしました。論文など全てには目を通しておりませんので、出典が確認されましたら、報告して頂ければと思います。--Takaci 2009年3月1日 (日) 05:21 (UTC)

1.「ウクライナ」の漢字表記には「宇克蘭」という表記が見られます。よって、ウクライナ語は「宇語」と省略するのが可能です。2. 個人的意見ですが、「烏克蘭」または「烏語」という用語は、蔑称のように聞こえます。まるで、四夷の名前の一つのようです。それに比べて、「宇克蘭」と「宇語」は中立的に見えます。また、「空間」・「地域」などの意味を持つ「宇」の字は、「ウクライナ」の語源とされる「分国」・「地域」という概念を見事に伝達しています。--202.71.90.139 2009年3月1日 (日) 11:11 (UTC)

202.71.90.139様、ご報告ありがとうございます。ウクライナに関する知識のある方の議論へのご参加を歓迎したいと思います。(ボーヴク(Вовк)の件は、子音の前でのвがウのように発音すると習ったための変更でした。この辺は詳しい方に編集を任せます。ところで、少なくともヴォーヴクではないでしょうか。)
まず、1ですが、日野貴夫先生が共著で書かれた「和烏小辞典」のように信頼のおける書籍などでの表記が見当たらず、オンライン上にも長期に渡って信頼のおけるソースが見当たらないこと、2に関しては、ウィキペディアの方針である「Wikipedia:独自研究は載せない」から、「宇語」の記載は現時点ではウィキペディアにおいて不適切であると考え、反対します。またこれは論点と少しずれますが、「宇克蘭」という表記はオンライン上でのみ散見されますが、ウルグアイの漢字表記が「宇柳具」となっており、頭文字での表記の際に重複することから、今後何らかの媒体で使われる際には注意深い検討の必要な表記であると考えております。また、「カラス」という文字が蔑称であるという意見は根拠に乏しく、古来世界中の神話に登場し、日本でも熊野三山の御使いであったり、八咫烏のように神格として扱われる鳥であるため、むしろ歴史的には高貴な扱いであります。ご判断の材料としてお扱いください。--Takaci 2009年3月1日 (日) 12:03 (UTC)
追記です。書き忘れておりました。ウクライナのページの国名の意味の項目にもありますが、ウクライナの国名の意味には複数説があり、中でも「分国、地域」と表現するのはロシア側から見た感覚的な呼称として、ウクライナ本国では極力避けられる表現であります。その点からしますと、「宇」という言葉を使用する由来は、むしろ蔑称的決定になりかねないのではないかと危惧しております。--Takaci 2009年3月1日 (日) 12:17 (UTC)
  • コメントありがとうございました。
  • Вовкは[ʋoʋk]と発音しております。その発音を日本語表記にすると、「ヴォーヴク」になります。Vo(ヴぉ)とBo(ぼ)は異なる音です。
  • インタネット上では「宇克蘭」という言葉が用いられているので、「宇語」と書くが可能です。ウクライナに関する日本の書籍は数が少ない上に、間違いが多い。また、日本内ではまともなウクライナ研究機関やウクライナ研究者もほとんどいません。ですから、信頼できるのが書籍よりインタネットの方です。(ウクライナ国内で日野貴夫の辞書の評判は悪かったです。それに加えて、日野貴夫はウクライナ研究者ではなく、ロシア語の研究者であるみたいです[1]。)
  • 漢字文化圏で「烏」という字を国号あるいは種族名に用いると、その国あるいは種族が野蛮であることを意味します。たとえば、「四夷」の一つであった烏桓はその一例です。また、人間の集団や組織などは「まとまらない群れ」だと言いたいときに、「烏合之集」という言葉も使います。カラス(烏)が日本神話登場しているものの、日本の神話は漢字が伝来される前に成立したもの、また、国名や民族名を漢字で表記する習慣と無関係にあるため、根拠になりません。(日本人も自分の国号と民族名を「倭」を「和」に改名した歴史がありますようね。)
  • 「ウルグアイ」は「宇柳具」と書くかもしれませんが、ウルグアイ語が存在しておりませんので、ウクライナ語を「宇語」と書く恐れがまったくありません。
  • 「分国・地域」は「周辺・辺境地」でありません。「分国」は「国」(край, уділ, князівство)であり、「地域」は「地方」(регіон, земля)であります。よって、侮辱的な「烏」より「宇」の方が「ウクライナ」に相応しいと思います。--202.71.90.139 2009年3月1日 (日) 13:54 (UTC)
202.71.90.139様、コメントありがとうございます。「宇語」の有効性について、あなたのご意見は分かりますし、個人的に賛同し得る箇所もあるのですが、しかし、ほとんどの意見はあなたの独自研究の域に留まっています。もう一度、公式の方針Wikipedia:五本の柱の一つである、Wikipedia:検証可能性についてよくお読みください。「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)」です。日野先生は評判如何に関わらず間違いなく日本におけるウクライナ語の研究者ですし、「烏語」の利用についても出版物として正しく検証可能な状態にあります。あなたの印象や一般での評判がどうであるかは、ウィキペディアでは論点になりません(わたしが話題に出しておいて恐縮ですが、それらは論点ではありません)。数が少なくとも確かに存在し、確実に検証可能な研究のみがウィキペディアの出典であるべきです。それがウィキペディアの公式の基本方針であることを再度ご確認ください。--Takaci 2009年3月2日 (月) 19:52 (UTC)
  • 私の知る限りでは、中国語では動物を表す漢字を名前に用いることは蔑称に当たります。202.71.90.139さんの「漢字文化圏で「烏」という字を国号あるいは種族名に用いると、その国あるいは種族が野蛮であることを意味します。」というのは、漢語のうち中国語文化圏での事例に相当します。
    一方、古来よりアニミズムの地である日本では、動物を表す文字を人名に用いたりすることは非常に多く見られます(有名どころでは、蘇我馬子とか蘇我入鹿といった貴人の名前でしょう)。これが蔑称でないことはいうまでもありません(アニミズムの考え方によれば、動物にはその動物固有の力があり、名前にその文字を用いることによってその力を借りることができるになり、たいへん素晴らしい)。必要であれば、こうした古代の日本語人名における動物を表す文字の用例とその意味するところについての文献を紹介します(が、時間がかかるのでなるべくならパスで)。
    ただ、現代においては蘇我馬子も「獣の名前をつけるなんておかしい。これはきっと負けた側があとからつけた蔑称だ」と考える日本人もいるくらいですから、現代日本人における中国語の影響は少なくはないようです。
    しかし、それも随分穿った見方でむしろ現代日本語では、明治以降いわゆる「宛字」が否定的に扱われるようになった結果、こうした宛字的漢語における個々の漢字固有の意味はまったく希薄化しており、明らかに宛字とわかる「宇克蘭」、「烏克蘭」などの例は、一個一個の漢字の意味はまったく失われていると考えた方が自然です。つまり、この場合、現代日本語では「烏」も「克」も「蘭」も何も意味していません。従って「烏語」でもなんら意味上の問題は生じないはずです(「仏語」が「仏陀のことば」や「死人のことば」でないように)。ただ、これが日本人にはまったく馴染みのない表記であるため「カラスのことば?!」と誤解される恐れはあるかもしれません(「カラス語」とか考える人も常識外れというか、だいぶふざけていますが)。ちなみに、「宇語」だと「宇宙語」だと思う人もたくさんいるでしょうね。
    ところで、別の視点から考えると、「烏」は常用漢字でないと思います(人名用漢字に含まれるので)。従って、国についてにせよ言語についてにせよ、常用漢字でないこの字を用いるのは適切でないという議論もありうるでしょう(あるかどうか調べてないので「ありうる」としか言えませんが)。ちなみに、「宇」は常用漢字です。
  • Takaciさんの仰るとおり、「宇語」と書いている信頼できる出典がない限り、ウィキペディアでそれについて記述することはありません。出典・情報源については、一般にネットは非常に信頼性のないメディアであると言えるでしょう(ウィキペディアの方針でもそのように想定)。従って、それを出典とする際にはその情報源の「正当性」がきちんと客観的にわかる形で検証可能かどうか、という点がポイントです。ウクライナについても、ネット上で見られる情報は糞情報か、まともな情報であっても(一部の研究機関関連のページ等は別としたら)多くが図書館で入手可能な書籍の記述内容を上回るようなものではないので、だったら初めから書籍を参照した方が早いでしょう。
  • 確かに、日本語の一部の「専門」文献ではウクライナについて正しく書かれていません。また、ウクライナ語の辞書や教科書も、特に後者は20年くらい前に書かれたものだからやむをえないと思うのですが、発音の片仮名表記に非常に不満があるのも事実です(なぜ不満かというと、ポーランド語やロシア語の片仮名での発音表記がもっとうまく行われているからです)。ですが、ウィキペディアでは残念ながら(?)出典主義ですので、そうした問題点を「改善」してページに反映させるためには、「本当はこうなのだ」ということを主張するのではなく、ガイドラインの手続きに則って、つまり何らかの外部情報をうまく利用してうむを言わさず修正していく、というよりほかありません。さもなくば、問題の情報源が信頼できない情報源だから従わなくてよいということを証明することですが、経験上、そっちの方が難易度は高いですね……。
  • 長々しい「演説」になってしまい、申し訳ありません……。--PRUSAKiN 2009年3月4日 (水) 07:57 (UTC)

他の方の発言のあとに再度コメントをする予定であります。ところで、出典に関してですが、白水社の「ニューエクスプレスウクライナ語」が今月発売されました。東京外国語大学の中澤英彦先生がお作りになったものです。氏は、論文ではキエフをキーウとお書きになっておられる方で、国内でも屈指のウクライナ語研究者です。久々のウクライナ語の教科書ということで、編集の助けになる情報が見つかるのではないかと思っております。(滞在先の海外から注文したため、わたしが確認するのは今しばらく後になりますが、今楽しみに待っているところです。)--Takaci 2009年3月5日 (木) 14:26 (UTC)

ありがとうございます。なぜキーウ([kiːɯ])なんでしょうか?ウクライナ語で「キーウ」はКіу([kiu])になりますから、ウクライナ語のКиїв([kɪjiʋ])と全く似てません。音節数も、音も原語と異なりますよね。。。-- Alex K 2009年3月6日 (金) 13:55 (UTC)

それは氏にメール等でお尋ねになるのが一番手っ取り早いと思います。が、あえて個人的に推測するならば、日本語で定着する表記は必ずしも原音主義にのっとったものとは限らないからだからだと思います。例がロシア語で申し訳ないですが、過去のロシア語的な「キエフ」という表記が「キーイェフ」では無かったのも、原音を意識されつつも日本語的な表記がより多くの人に好まれ定着したためです。同様に過去の話では、ロシア語の「совет」の表記もソヴィエト、サヴェート、ソヴェトではなく「ソビエト」がもっとも使われたことも、理由を同じくした結果でしょう。外国語からの表記は、その母語話者の感覚とは異なる日本語母語話者にとって「きれいに聞こえる音」で定着するものです。あくまで推測ですが、氏はそこを意識されて表記を考えたのではないかと思っています。「ソビエト」だと「собието」になるからロシア語の「совет」と全く似ていません、とロシア語母語話者が文句を言ったとしても、それとは無関係に決まることが往々にしてあるわけです。--Takaci 2009年3月6日 (金) 22:50 (UTC)
「キーウ」というのは、まあロシア語で「Evgenii Onegin」を「エヴゲーニ・オネーギン」と書くか「エヴゲーニ・オネーギン」と書くか、「ドストエーフスキ」か「ドストエーフスキ」か、というような問題の延長線上の話ですね。「原音主義」の観点を意図してのことではないと思います。
ロシア文学に関する限り、この辺りの表記法は完全に個人の裁量で決められている状態です。そこから類推するに、「キーウ」でも「キイウ」でも「キーイウ」でも恐らくは個人的な裁量の範囲に納まる問題で、「常識的に同一とみなせる範囲」の表記ゆれであると考えて構わないかと思います。従って、「キーウ」でもおかしいということはないと思います(ウクライナ語のはサンプルが少なく、ロシア語の場合と同様「常識的に」同一視できる状況であるかは不明ですが)。
ここ数年の出版物でも「ソヴェート」と書いている専門家はいます。ソ連関係の専門家が多用していた「ソウェト/ソヴェト/ソヴェート」より「ソビエト/ソヴィエト」が優勢になったのは、多分当のソ連大使館が後者の表記を使用したからではないでしょうか。「ソヴィエト」より「ソビエト」がより多く使われるというのは、多分に「ヴ」を使用できない新聞メディアの問題があると思います。日本語的な表記かどうかというようなより本質的な問題より、こうした形式的な問題がより大きな要因であると思います。「キーウ」についても、日本語的な表記というのを突き詰めた結果というよりは、専門家個人の裁量の問題ではないかと思います。例えば、アクセント位置を長音符で表すのが嫌いな人は「キーイウ」とは表記せず「キイウ」と考えるでしょうから「キーウ」でもあまり違和感がないでしょうし、一部のロシア関係の専門家が主張しているように「気分や好みといった恣意で長音符を使ったり使わなかったりするくらいなら、むしろ機械的にすべてに用いた方がよい」というスタンスの人だったら、「キーイウ」と書くでしょうから「キーウ」にはならないでしょう。
本題に戻りますが、「宇語」というのはそう書いている出典がない限り本文には記載すべきではないでしょう(「宇克蘭語」なので「宇語」と書くこともできると記載するにしても、実際にそう書いている出典はないということは明記すべきです)。「烏語」というのはどう見ても「カラス語」であり、どうもセンスのない表記のように思えてなりませんが、出典があるのであれば本文内に書いてよいでしょう。ただ、それと同時に、そのような略語は普段は全然使われていないという事実にも触れておくべきです。
前にコメントで古代日本のことを書きましたが、よく考えたら「宇克蘭」だの「烏克蘭」だのといった名称は古代日本では使用されていないので関係ありませんでしたね。ただ、明治以降、徐々に日本語ではいわゆる宛字における個々の漢字の意味は薄れており、「烏克蘭」といっても特に侮蔑の意味を感じる必要はないという点は的外れの指摘ではないと思います。--PRUSAKiN 2009年3月10日 (火) 08:17 (UTC)
ПРУСАКИН様、脱線の修正、まことに恐縮です。さて、「烏語」との表記でありますが、「烏・英・和会話集/Українсько-англійсько-японсько розмовник」(A.メドヴェディウ/Андрій Медведів、リヴィウシカ・ポリテフニカ大学出版社、2005、リヴィウ)というものを見つけましたのでご報告いたします。この書籍をどの程度信頼性について議論で用いられるかは分かりませんが、監修に携わっている「M.フェドリシン/Мирон Федоришин」氏は、個人的に面識もあるのですが、日本文学をウクライナ語に翻訳されている中の大御所の方です(注:上記二者のカタカナ表記は上記の書籍内にあるものです)。余談ですが、今月、スリーエーネットワークの「みんなの日本語文法書ウクライナ語版」が本国のみ限定で出版されますが、フェドリシン氏はその編集をリヴィウで指揮されていた方です。とまれ、ウクライナ本国でも言語分野で略称としての「烏」の使用は、前述通り既に複数確認が出来ます。また、残念ながらもう存在しないのですが、東京駒場大学で中井和夫教授を中心に開かれていたウクライナ研究会のウェブサイト上でも、同様に略称の「烏語」の使用はされておりました。ですから、専門分野では使用頻度が「全然無い」ということはないと考えます。これ以降、「烏語」との表記の掲載に反論が出なければ、しばらく後に本文への記載の編集を行おうと思いますが、他の編集者の方々、いかがでしょうか。--Takaci 2009年3月11日 (水) 06:22 (UTC)
本文への記載には賛成です。ただ、その用例が限定的であるということもわかるようにしたほうがよいと思います(全然ないというのは私一流の誇張表現でしたが、まあ大多数の日本語話者は日常生活で目にすることはないんじゃないかとは思います)。せっかくですので、出典(使用例)ももれなく記載しましょう。
脱線を戻すかに見せかけてまた脱線させてすみませんが、新しいウクライナ語の本を見ました。確かに「キーウ」ですが発音表記は「クーィウ」となっていました。私はウクライナ語の正しい発音にまったく自信がないのできちんとコメントできませんが、そうか「Київ」は「Kuuyv」のように発音するのか、と思いました。いずれにせよ、すべてにおいて「日本語表記」(翻訳する際の表記)と「発音表記」(発音をIPA記号の代わりに片仮名で表す際の表記)とは区別して用いているようでした。
なお、ザポリージャが「ザポリーッジャ」と表記されており、これについては私はノート:ザポロージャで「そういう表記は日本語的にはなじみません」などと発言してしまったため、冷や汗ものです。ただ、やはりあまりなじまないものだとは思いますので、著者は必ずしも「日本語へのなじみやすさ」のみを重視して翻訳しているわけではないと思いました(つまり、ウクライナ語の発音をだいぶ重視されているのではないかと)。なお、「ザポリージャ」は帝国書院が地図帳で使用している表記です。
ついでにいえば、「タラス・シェチェンコ」という素晴らしい翻訳もありました。一方で、その一行前では「イヴァン・コトリャレスキー」と書いているので、翻訳の際の基準というのはよくわかりませんでした。規範重視よりは割と自由なスタンスでやっているのではないかという印象を受けました(そういうスタンスには個人的には賛成なのですが、ウィキペディアは規範主義的なメディアなのでちょっとそりがあわないかという気が……)。
ちなみに、「ць」は「チ」、「ті」も「チ」、「ти」は「ティ」、「ри」は「ルィ」、のように表記されていました。となると「フメリヌィーチキイ」かなという気もしましたが、そこまで探している時間がありませんでした……(バス待ちの時間で見たので。しかも乗り逃した(苦笑))。思えば手持ちの古い教科書にも彼の名前が出ていたはずだと思って部屋で探したのですが見つからず、勉強していない証拠だ!ということですが、これは別のノートの話題なのでこのくらいにします。--PRUSAKiN 2009年3月11日 (水) 15:38 (UTC)
脱線に乗じてコメントします。新教科書、早速入手とのこと、羨ましいです。わたしも手元に届き次第確認したいと思っております。Київの表記としては「キーウ」が用いられていたということですね。それでしたら、同様の方のものとは言え出典が2点ありますし、該当ページキエフでのウクライナ語に準ずる表記の第一候補(冒頭で言及されているもの)も「キイウ」より「キーウ」の方が適切かもしれませんね。また書籍を確認後、提案してみようかと思います。また、中澤教授は常々「シェウチェンコ」と言っておられる方なので、しっかり表記して頂いたのは嬉しい限りです。コトリャレフスキーのような場合は、規範と言うよりは、そのように発音しないから、という可能性はありそうです。ある程度は臨機応変にということでしょう。何にせよ、有益なソースが世に表れたことを歓迎したいです。--Takaci 2009年3月11日 (水) 15:57 (UTC)
キエフでの冒頭部分の記述を「キーウ」に、というのはよいかもしれません。いずれにせよ、数ある表記バリエーションの中のひとつ、という書き方なので変更しても問題ないでしょう。
「コトリャレフスキー」も「ウ」ですね。ただ、日本語文献では必ず「コトリャレフスキー」のようです。というと、「シェフチェンコ」も日本語文献では普通は必ず「シェフチェンコ」なんですが……。
すみません、誤解がありました。私はその本を短い時間で立ち読みしただけで、今手元にないんです……。あまり裕福でないので、あのくらいの値段の本というのは、中身を立ち読みでよく吟味してから出ないと手が出ないたちで……。今日はそこまで時間がなかったので未購入なのです。--PRUSAKiN 2009年3月11日 (水) 16:16 (UTC)
毎度のことながらAlex Kさんとの空しい編集合戦になっておりますので、ここで、再確認いたしたいと思います。
・「烏語」はあることから本文への明記をする。限定的であるとの旨併記。さらに、その際、脚注にて出典、使用例、常用漢字では無い点、及び「宇語」との省略も可能だが使用例がない旨を記述する。
以上のように編集するのでよろしいでしょうか。実は三度編集しましたが、Alex Kさんにより再編集されました。彼の記述している中国語云々の記述は特に必要がないでしょう(それを指摘し出すと日本語語彙に関してはキリがなくなるため)。また出典のある確かな情報として「烏語」は本文へ記載が可能と思っております。先方の編集の前の版が上記に書いたような編集です。さかのぼって確認することが可能となっております。よろしくおねがいいたします。--Takaci 2009年3月17日 (火) 09:50 (UTC)

省略形について2

Takaciさん、編集合戦をおやめください。「烏語」と「宇語」も記事に載っております。その二つの省略は言語学的な価値は少ないため、脚注に移動しました。文字・音声・文法・歴史・方言ほど重要なものではないので、序文に不適切だと思います。記事の内容(それぞれの節)を改善せずに、細かいことにこだわって編集合戦を行うなど、非合理的で望ましくないことだと思います。- Alex K 2009年3月17日 (火) 09:54 (UTC)

他人の編集を細かいことと断言して削除し、議論抜きでご自分好みの編集をしておられる姿勢は、公平なものではありません。自明のことですが編集合戦は相手がいるものです。でして、相違点が生まれたからこそここで再確認をしている次第であります。細かい点での議論・編集を労力の無駄と思われるのでしたら議論・編集に参加なさらなければよろしいですし、それらを必要なこととお思いでしたら細かく議論を続けて決定したものの編集をするのがよろしいと考えております。--Takaci 2009年3月17日 (火) 10:07 (UTC)
大体一週間立ちまして、Prusakin様とわたしの烏語のみの本文掲載賛成が2票ですが一番多い意見となっています。これ以上の意見が特に出ないようでしたら、近日中に上記の通りに編集を行おうと思っております。また引き続きご意見ありましたら、是非ともよろしくお願いいたします。--Takaci 2009年3月23日 (月) 09:03 (UTC)
私としては本文内に記載するのと脚注内に記載するのとどの程度温度差があるのか理解できていませんが(そこが論点になってもめている状況が理解できていませんが)、少なくとも現在の記述では曖昧なので(「〜可能である、が実例がない」まで書かないと)改善は必要だと思います。
表記可能だが(なぜか)実例のない「宇語」には用例がないことをきちんと明記することの方が先決でしょう。脚注内で烏語を太字で表すか、本文内に戻すかすれば、読み手の受け取り方としてはおんなじことではないかと思ったりします。--PRUSAKiN 2009年3月24日 (火) 10:40 (UTC)
  • 私は「烏語」と「宇語」についての情報は序文に不要であると思います。ウクライナ語にしては大した問題ではありません。必要であれば、ご説明いただきだとうございます。
  • 「烏語」のみを強調して本文に書きながら、「宇語」を脚注に隠すことが不平で不適切だと思います。せめて、二つの用語を脚注に入れるか、「日本語のウクライナ語転写」のような節に二つの用語を並べてきちんと説明した方がいいと思います。
  • さらに、「烏語」は中国語風な表記であることを明記していただきたい。なざなら、「烏克蘭」は「露西亜」のような日本独特の漢字表記ではなく、20世紀の中国語から借りた表記なのです。--Alex K 2009年3月24日 (火) 12:44 (UTC)
  • 実のところ、私も同感です。正直、ほとんど使われてませんし、大した問題ではないと思います。ですが、いちおう使用例もあるので、記載することは必要であると思います。場所をどこにするのかは、私は特に拘りはありませんが……。
  • 一個人としての見解では話は別ですが、ウィキペディアでは出典のある情報の方が優先的に扱われるため、多少なりとも出典のある「烏語」が、出典のない「宇語」より優先的に扱われるのはやむをえないと思います。また、記述すべき量はごくわずか(せいぜい2、3文)なので、一節設けるほどのことでもないでしょう。基本的には、その辺の込み入った事情については脚注で解説するのが妥当だと思います。おっしゃるとおり、大した問題ではないので、そのための一節はいらないのではないかと。
  • 「烏語」が中国語であるということに異存はありませんが、中国語であるかどうかは知りません。確かに「露西亜」は日本独特の漢字表記ですが、だからといって「烏克蘭」が日本語でないかどうかは断言できないと思います。他にも日本語と中国語でいっしょの表記が多数ありますが、普通、日本語話者はそれが中国語由来なのか日本語固有なのか区別せずに「日本語」として扱っているので。「中国」だってあからさまな漢語ですが(中心の国)、普通は日本語単語として用いています。--PRUSAKiN 2009年3月24日 (火) 13:25 (UTC)
  • 一節を設ける必要はありません。「日本語のウクライナ語転写」の節で「烏語」と「宇語」について書いた方がいいと提案しているだけです。
  • 「烏語」は「宇語」より優先的であるのがわかりますが、だからといって「宇語」を脚注に入れることが適切であると思えません。「烏語」は「優先的」で、「宇語」は「非優先的」と本文で書いていただきたいんです。そして、脚注に辞書を書いとけばいいと思います。
  • 「烏語」は、中国語であるのではなく、「烏克蘭」という中国語な漢字表記に基づいて作られた用語であると明記していただいたいのみです。つまり、「烏克蘭」は、中国語での異国地名の名づけ方の習慣に基づいており、「露西亜」・「独逸」・「仏蘭西」のような日本独特の漢字表記ではないと留意しておきたいところです。--Alex K 2009年3月24日 (火) 13:52 (UTC)
  • ああ、すみません、わかりました。新しく節を設けるのかと思って、ちょっと勘違いしました。それでもいいと思います。
  • その方式でもよいと思います。こちらも意図されていることを少し勘違いしていたようです。
  • その辺りの事情については、むしろウクライナ#国名の項で書くほうがよいのではないでしょうか?それで、こちらには「烏克蘭」とか「宇克蘭」とかに「語」をつけて略して「烏語」、「宇語」ということを書くだけでよいのではないでしょうか?--PRUSAKiN 2009年3月24日 (火) 14:36 (UTC)
議論が細かくなってきましたね。
序文にこだわるつもりはありませんが、「日本語のウクライナ語転写」で省略形を書くのでは、いささか不自然に思いますがいかがでしょうか。わたしは脚注内の太字案が採用されるのであれば賛成です。あるいは、その項目内に転写全般についての現状の問題点等をまとめるような場を作り、そこに省略形についての問題点(用例のある烏語ではあるが「烏」自体は常用漢字でないこと、一方で宇語との表記は全く使用例がないこと)について書くというのはどうでしょうか。「優先的」「非優先的」との表現は、どういう風に記述するのか想像出来ておりませんが、そのままでは一体誰が「優先」しているのかが分からなくなるのではないかなと考えています。個人の好みの表記を宣伝するにはウィキペディアは適しませんし、あくまで使用例の有無でしかないです。
中国語由来云々は、再度、日本語の問題としては取り上げる必要はないと考えます。ウクライナ語のページで中国語での意味まで言及するのは、いささか過敏ではないかなと。--Takaci 2009年3月24日 (火) 20:33 (UTC)

もしよければ、いったん本文編集をやってみましょうか?

「日本語のウクライナ語転写」という節の名前を「日本語との関係」等に変えればよいかもしれません。脚注かこの節でかについては私はまったくこだわりありません。皆様の仰せの通りに、です。

優先的・非優先的、というのは、つまりウィキペディア内での扱いにコントラストをつけましょう、という程度のことです。優先する主体は我々ウィキペディアで、何を優先するのかというのは、無論のこと出典のある表記のほうです。言い換えれば、「宇語」は出典は見つかってないが、そう表記することも可能なので一応言及しています、ということをよくわかるようにしましょう、ということです。--PRUSAKiN 2009年3月31日 (火) 16:01 (UTC)

今回の議論の同意された範囲で編集でしたら、ぜひともお願いしたいです。「日本語への転写の問題点」等の項目があってもいいのではないかとも考えましたが、その辺は大して重要とは思っていませんので、編集案を見てから判断しようと思います。ところで、再三話題に出している「ニューエクスプレス ウクライナ語」では、「日本ウクライナ」間の直通飛行機についての話題に際して「日宇」間と表記してありました。結局、「宇語」という表記が見られる日は近いのかもしれません。(一方で、キーウ等の専門家の会議では、プログラム内等では「烏語」と省略されるのを複数確認しました。明示出来る出典ではありませんが。今後しばらくは併用されるのではという気がしてきています。)--Takaci 2009年4月1日 (水) 21:20 (UTC)

「とりあえず編集してみます」案には反対がなかったので、とりあえず編集してみました。

なんやかんやと言って、結局一節設けてしまいました。一番書きやすかったためです。恐らく問題があると思いますので、ノートで引き続き検討をお願いします。--PRUSAKiN 2009年4月14日 (火) 13:00 (UTC)

編集お疲れさまです。内容に反対する点はありません。執筆箇所についてはわたしも代替案が思いつかないので、他の方におまかせしたいと思います。
ところで、ウクライナを「宇」と略す件について先日某先生に話を伺ったのですが、以前に、天江大使がウクライナ人日本語教師の大会で以降そのように略すと確認をし、外務省では現在そのように略しているはず、とのことでした。これに関して、現在確認可能な出典を探しているところです。見つかり次第報告し、編集を行うつもりです。--Takaci 2009年4月17日 (金) 00:12 (UTC)


国語・公用語・母国語との説明について

記事冒頭で、「ウクライナ人の母国語。ウクライナの国語および公用語。」との記述があり、「ウクライナの公用語。」とだけに編集をしました。編集の際に簡単に概要を書きましたが、IPの方に一度差し戻しをされたので、こちらで編集内容を検討したいと思います。

まず、母国語との表現は、「母語」のページでもいくらか記述がありますが、政治的意味合いが強く、現在使用の避けられている言葉となっております。英語でいう「mother tongue」、ウクライナ語でいう「рідна мова」の訳語で現在公的な場や学術的なところで使われているのは「母語」が一般的のはずです。なおかつ、ウクライナ人の中でも少なくない割合で母語をウクライナ語以外の言語と答えるものがいるため、中立性を保つためにも、「ウクライナ人の母語」との表記もしない方が良いと考えております。

続けて、「国語および公用語」との表現ですが、これも該当ページにあるように、意味が著しく重複する言葉のため、通常併用すると奇妙な印象のするものと思います。それをふまえた上で、概念上での表現である国語より、政治的に決定されている公用語との表現を用いる方が確実であると思い、そちらだけに編集いたしました。

以降の編集の参考にしていただければ幸いです。--Takaci 2009年4月17日 (金) 00:30 (UTC)

コメント 普通、こういう場合はたんに「○○語は○○の公用語である」だけで十分であると思います。「国語」は必要ないと思います(近年の言語学界では使わない用語だと思います)。
ただ、「○○語は○○人の母語」というのを書くべきかどうかは微妙なところです。逆の言い方をすると、「○○語を母語としているのが○○人だ」という言い方が可能なためです。この辺、どうなんでしょう?「ウクライナ語はウクライナ人の母語である」には確かに一面の真理がある気もしますが……(数百年前の原義的なことを言えば、ウクライナ語をしゃべらない人はウクライナ人ではなかったはず)。
しかし、その言い方をすると、例えば「祖父母はウクライナ語を話すウクライナ人だが、自分はアメリカに住んでて英語しかしゃべらない、だけど自分的にはウクライナ人だと思っている」、というような人を排除することになるのでしょうか?(「日本人」と「日系人」のような言い分けも線引きが微妙ですが。)
検討の余地はあるにせよ、とりあえずは記載せずの方向で行く方が無難ではあるようです。それに、事典の類では「○○語は○○人の母語」という書き方はあまりしないかな、という気もしますね。--PRUSAKiN 2009年4月18日 (土) 06:56 (UTC)

コメント

コメントありがとうございます。

日本語において「国語」と「公用語」については、区別されているのではなく、意味が混同されて使われていることが多いのです。「国語」という言葉が不適切であるとの意見は多く、PRUSAKiNのおっしゃるように言語学関係では避けられている用語です。ですから、ウィキペディアのような辞典において、敢えて公用語と併記で使うことは、通常はない(つまり日本語の使用として著しく不自然である)ということを指摘しておきます。

またAlexKさんはまず母国語と母語の意味の違いを再確認なさってください。どうも文の中でも混同して用いられているように思います。

「母語」に関しては、これもその他の外国語のページをいくつか見ましたが、PRUSAKiNさんのおっしゃるとおり「○○語は○○人の母語」と書いてある例は確認した範囲ではありません。これは、日本語の「母語」という言葉がそもそも、個々人の出生環境などに依存するものであり、「○○民族の母語は○○」との表現は厳密にはあり得ないということに由来しています。(○○人という表現も定義無しで使うのは危ないのですが、これは今回は省略します。)日本語を母語としない日本人、ポルトガル語を母語とするウクライナ人、日本語を母語とするアイヌ人や在日韓国・朝鮮人、等、列挙すればきりがないですが、そのようなマイノリティーへの配慮から「○○語は○○民族の母語」との表現は、少なくとも現在日本語では避けられる傾向にあるものです。AlexKさんの書かれた例すら最大で約10%あるとのことでして、学術的には割合が10%あればそれはもはや誤差の範囲ではなく、一般的にも「多い」と言われるものです。そのマイノリティーを無視し、十把一絡げで「ウクライナ語はウクライナ人の母語」と表現するのは日本語としては配慮の欠けた印象を与えることでしょう。

とかく、「一国家・一民族・一言語」というものが日本では長い間疑いが持たれずに信じられていましたが、一部研究者を中心にそれが幻像であることが言われる機会が増えております(例:「オスマン帝国−イスラム世界の「柔らかい専制」−」鈴木董著、講談社)。編集されたIPさんとAlexKさんには、強硬に外国語の慣例を当てはめるのではなく、日本および日本語の現状をもとに再検討していただければと思います。--Takaci 2009年4月18日 (土) 13:21 (UTC)人名誤字修正。恐縮です。--Takaci 2009年4月26日 (日) 13:47 (UTC)

コメント Alex Kさんのご指摘に即してコメントします。

  • 日本語では「国語」と「公用語」が区別されていますが、ただ、日本語以外については「国語」と呼ぶことがないような気がします(綿密に調査したわけではありませんが)。今回のような場合、特に「国語」とは言わずに「公用語」と表現すると思います。また、言語学用語としても近年では「国語」は避けられています(かつて、「日本語学=国語学」のように扱われていた時代があり、その著しく世界観を欠いた表現が近年では避けられるようになっています。但し、東京大学のみは、「国語学」の伝統を重んじてか「国語」と呼んでますが)。ですので、今回も「公用語」にしておいた方がよいと思います。
    但し、もしウクライナの法律で「ウクライナ語はウクライナの国語であり公用語である」というような感じで明記されているのであれば、こちらにもそう書くのがよいかもしれません(どの法律の何条で、と出典つきで)。私はウクライナの法律を知らないので、この点についてはご容赦下さい。
    日本には無論のこと「国語」はありますが、たしか、日本には立法上での明確な「公用語」がなかったのではないかと思います。その辺りが、我々のあいだでの用語の感覚的な相違の原因になっているかもしれません。Takaciさんご指摘の通り、日本語では日常的には両者が混同されて用いられることもあるようです(外国について「国語」という表現は使わないと思いますが)。ウクライナでは、法律上「ウクライナ語はウクライナの国語であり公用語である」というような感じで明記されているのでしょうか?
  • ないと思います。ですので、上記の通り「一面の真理ではある」と思っています。ただ、この場合もふつうは「母国語」とは言わずに「母語」と言うと思うのですが……。ただ、我々日本語話者が普段読んでいる言語学系の文献の馴染みの表現で言うと、「○○語は○○人の母国語/母語である」というような定義づけの仕方はあまり馴染みがないような気がします。「民族語」という用語を見たことがありますが、その方がしっくりくるかもしれません。ただ、なんとなく意味がずれているかもしれませんね……。
    ご提示のУКРАЇНСЬКА МОВА — мова корінного населення України, а також українців, що проживають за її межамиを出典に本ページへ記載することはOKだと思います。ただ、どうも「ウクライナ語はウクライナ人の母国語である」という日本語の文章がしっくり来ません……。たんに「ウクライナ人はウクライナ語を自分たちの独自の言語としている」程度の表現なら全然問題なくしっくり来るんですが……。記述内容の正誤の問題ではなく、文章表現の問題である気がします。こういうのはたんに私の個人的・主観的感覚の問題なのかもしれませんが、他の方はどう思われるでしょう?
    「母語/母国語」への違和感は、Takaciさんのご指摘の「「一国家・一民族・一言語」というものが日本では長い間疑いが持たれずに信じられていましたが、一部研究者を中心にそれが幻像であることが言われる機会が増えております」ということに遠因があるのかもしれません。これまで、日本語での生活上この辺りの言語感覚的問題はあまり気にしたことがなかったのでしっかりとはわかりかねますが。--PRUSAKiN 2009年4月18日 (土) 13:31 (UTC)
  • ご意見ありがとうございます。
  • 翻訳は難しいですね。辞書的には「同じ意味」と扱われている単語でも、実際の用法上で違いがあったり、うまく説明できない意味の微妙な違いがあったり、逐語訳で対応する単語で訳しても、その結果できた語の概念が違ってしまったり……。
  • 意図はわかります。その意味で、私も(上記のとおり)「ウクライナ語はウクライナ人の母国語である」という言い方は確かにそうだと思いました。ただ、やはりどういうことか、日本語では「母語」とか「母国語」という単語は個人的な事柄について使われるのが専らのようです。「私の母国語(母語)はウクライナ語です」とは言いますが、「ウクライナ人の〜〜」と言うとちょっと変な感じがします。「УКРАЇНСЬКА МОВА — мова корінного населення України, а також українців, що проживають за її межами」の翻訳がこれほど難しいとは思いませんでした。どなたか妙案があったら伝授していただきたいところです。--PRUSAKiN 2009年5月8日 (金) 06:17 (UTC)
  • 「ウクライナの先住民たるウクライナ人ならびに異国在住のウクライナ人の言語である」でいいでしょうか?「先住民」はいささかオーストラリアと連想されるかも知れないが…--Alex K 2009年5月8日 (金) 14:24 (UTC)
  • う、う〜ん、確かに「先住民」ですね……。もっと言えば「原住民」……。なんだか南洋諸島っぽいですね。やはり、「ウクライナの民族言語である」のほうがましかなあという気がしないでもありません。私以外の日本語話者から見て「ウクライナの先住民たるウクライナ人」という文章表現が別に違和感ないのであれば、それでもいいかな、という感じです。--PRUSAKiN 2009年5月11日 (月) 08:40 (UTC)
  • 現存国家の国境をもって「ウクライナ」とし、そこにおける「先住民」と言う場合には、スキタイ人を考慮しないといけないと思うのですが、どうでしょうか。無難な表現として「ウクライナの民族言語である」をわたしは推します。--Takaci 2009年5月13日 (水) 20:56 (UTC)
  • あ、あぁ……。確かに、先住民だとスキタイとか、あるいはその前後にいた別の人々もまぎれもない「ウクライナの先住民」ですね。そこまでは考えてませんでした。「ウクライナの民族言語である」が無難な表現だと認定していただけるのでしたら、その方がよいと思います。私はこの表現でよいのかあまり自信がないもので、ほかの方からのお墨付きはほしいところでした。--PRUSAKiN 2009年5月16日 (土) 14:53 (UTC)
  • すみません。このあたりの用語に関してはあまり詳しくなく、「先住民」との表現が気になってコメントしたついでに「民族言語」を推しましたが、「民族言語」という言葉がどういう定義で使われていてどれほど認知されているのか、記述に妥当なのかどうかという点は全く知りません。外国語の翻訳から考えるだけではなくて、何か複数言語を紹介するような書籍の表現も参考にして考える必要があるのかもしれません。--Takaci 2009年5月18日 (月) 18:55 (UTC)
  • 多分、民族語か民族言語だと思います。

ところで、最近「主な単語」の節にウィクショナリーへのリンクが作成されましたが、日本語版ウィクショナリーにはこのようなウクライナ語単語のページは全然存在しません。今後ウィクショナリーでそのようなページが作成される見通しなのでしょうか?でなければ、ウィキペディアのウクライナ語版とか、ウィクショナリーの他言語版などへのリンクに差し替えた方が実用的だと思うのですが。--PRUSAKiN 2009年5月24日 (日) 14:57 (UTC)

  • 民族言語に関しまして追記です。結論をまず書けば、今回の議論の範囲内ではわたしは「ウクライナ語はウクライナの公用語である」以上の表現は必要がないのではないかと考えております。わたしの不勉強で言葉の定義に詳しくない点恐縮なのですが、ウィキペディア内をざっと検索した限りは、どの言語の項目にも「民族言語」という表現は使われておらず、また「民族語」との表現も各民族のページにおいてその民族の用いる言語での表記を表す際に使われているだけでした。また、民族言語ではない言語を想定する場合には「国際言語」、ないしはラテン語やエスペラント語のような特殊な位置付けにある言語があるのだと思います。そうなると朝鮮語(韓国語)、日本語なども民族言語にあたるわけでして、「朝鮮語は朝鮮民族によって話される民族言語である」「日本語は主に民族的日本人、日系人によって話される民族言語である」との表現も可能となりますが、百科事典の言語解説のページではこのように殊更に「民族」という自明の表現を加えるのはいささか冗長であり、必要のない情報ではないかと考えています。--Takaci 2009年5月25日 (月) 06:27 (UTC)
  • 私も、「○○語」についての日本語解説の(辞典的な)文章で、「○○語は○○人の民族言語である」等の説明は見た記憶がありません。一方で、ウクライナ語文章の解説では確かにそのような記述がなされているようです。こういう説明をする方法が馴染みがないというのは、日本語の特徴なのかもしれません。JPOVは避けるべきですが、あまりに日本語に馴染みがない表現はおっしゃるように避けたほうがよいかもしれません。
    「民族語」なり「民族言語」なりと書くと、ソ連時代の○○自治共和国のそこだけで公用が認められた民族言語や地方言語を連想してしまうので、書かないほうがよいかもしれません。--PRUSAKiN 2009年5月29日 (金) 09:15 (UTC)
  • ご無沙汰しております。「ウクライナ語はウクライナ人の民族言語である」にしましょうか。
  • 署名が無かったためどなたの記述か分からなかったことと、あまりに議論とかけ離れた発言だったため、返事を怠っておりましたが、それ以前の議論にあるように、「民族言語」との記述はやめた方が良いということで、PRUSAKiNさんとの間でほぼ同意形成が出来ております。結論に至っていない状態ではありますが、少なくとも今回の編集は議論を反映しているものではありませんので、恐縮ながら差し戻させて頂きます。ご容赦の程宜しくお願いいたします。--Takaci 2009年7月10日 (金) 14:02 (UTC)
  • 「民族言語」との記述はやめた方が良いということで⇒ 具体的な理由を聞かせてくれませんか?ウクライナの百科事典に書いているような文(「УКРАЇНСЬКА МОВА — мова корінного населення України, а також українців, що проживають за її межами」)が気にいらないでしょうか?--Alex K 2009年7月10日 (金) 15:53 (UTC)
  • まず、おっしゃられるような具体的な理由に関しましては既に上記に書かせて頂きました。極力、皆さんにご理解頂けるように努力をして書いたものです。文章内にAlex K様が具体性に欠けると感じられた点、及びご不明な点がありましたらご指摘くだされば、より詳しく説明の努力も出来るかと思います。また、ご指摘頂いたウクライナ語での表現に関しましては全く反対する理由はありません。ウクライナ語の百科事典では何ら違和感の無い表現ではないかと思います。しかし、一方で今回の議論は日本語のウィキペディアのプロジェクトにおけるものであり、日本語で記述する際の情報は日本語が用いられてきた歴史環境を背景に判断され、表現の取捨選択をすることが、適切さの観点から望ましいと考えております。--Takaci 2009年7月10日 (金) 18:34 (UTC)
  • 上記の文章を読ませていただきましたが、理由を明らかにする客観的な「根拠」は見つかりませんでした。「日本語で記述する際の情報は日本語が用いられてきた歴史環境を背景に判断され…適切さの観点から望ましい」云々のような言い方をしているようですが、その言い方を裏付けるものは何ですか?「日本語が用いられてきた歴史環境」は「ウクライナ語はウクライナ人の民族語である」という文を許せないのですか?すみませんが、ウクライナ語をウクライナ人と関連させないための単なるの言い訳にしかみえません。どうか、「感想」や「連想」ではなく、具体的な「根拠」を以って、Takaciさんが自ら提案した「ウクライナ語はウクライナ人の民族語である」という文の不適切さを説明してください。P.S. ご参考のために。【民族語】[名](Vernacular)一民族が共有する語(日本語国語大辞典。巻12。881頁)。--Alex K 2009年7月11日 (土) 05:25 (UTC)
  • まず、わたしの主張は、ウクライナ語とウクライナ人を関連させない、ということを目的として編集を行っているわけではありません。それはいささか突飛な曲解であります。よりよい記事のために努力をしていることはAlex K様を含めた他の皆様と同じであることをご理解頂きたいと思います。さて、「客観的な根拠が見つからない」とおっしゃいますが、先の議論において、わたしは上記の表現が不自然であると主張した上で、「同等、ないしは類似の表現が日本語で書かれる百科事典において(確認した範囲では)見当たらない」ということ根拠として挙げさせて頂きましたが、これらを不十分とお考えでしょうか。Alex K様が反論として、同等ないしは類似の表現をご存じである、または、一連の表現が決して日本語として不自然ではない、とする根拠をお持ちであればご教授願えれば、わたしも再考出来ようかと存じます。また、辞書における「民族語」の意味の提示、ありがとうございました。ただし、この度のわたしの主張は、コンテキストにおける日本語としての不自然さを焦点としておりますので、その点をご理解頂ければと思います。--Takaci 2009年7月11日 (土) 16:44 (UTC)
  • 「コンテキストにおける日本語としての不自然さ」を証明してください。私は既にウクライナ語の出典を提出してあげました。ウクライナ語の百科事典で書かれていることは日本語の百科事典で載せられないことこそが不自然と思います。「我国」、「我民」あるいは「我語」という自国中心主義的な表現はともかく、事実は載せないのは、いかなる「コンテキスト」であろうが、おかしいと思います。「ウクライナ語はウクライナ人の民族語である」はウクライナ語の特徴であり、事実です。その事実は「ウクライナ語の大辞典」の「ウクライナ語」という項目の定義で紹介されております。ウクライナ語の定義を論ずる際、ウクライナ語の専門書でない辞典の定義より、ウクライナ語の専門書である「ウクライナ語の大辞典」の定義は重視すべきと考えております。ともかく、「ウクライナ語はウクライナ人の民族語である」という事実は「コンテキストにおける日本語としての不自然」性を持っていることを証明してください。--Alex K 2009年7月12日 (日) 04:07 (UTC)
  • 繰り返しになるのですが。「○○語は○○人の民族語である」という表現は「同等、ないしは類似の表現が日本語で書かれる百科事典において(確認した範囲では)見当たらない」ということが主張の根拠であり、すでに一つの証明です。先に例を挙げたように「朝鮮語は朝鮮民族によって話される民族言語である」「日本語は主に民族的日本人、日系人によって話される民族言語である」との表現も事実ですが、百科事典の言語解説のページではこのような「民族」という自明の表現を加えることは、慣例として無いと、既に申し上げております。殊更に「民族」を強調することで、日本語として不自然かつ、ウクライナ語のページだけいびつなナショナリズム色が目立ってしまうことは避ける方が良いと考えております。ただし、このような表現を日本語文献でAlex K様がご存じであるならば、わたしの主張は撤回致しますので、ご報告頂ければと思います。また加えて、PRUSAKiN様によって「「民族語」なり「民族言語」なりと書くと、ソ連時代の○○自治共和国のそこだけで公用が認められた民族言語や地方言語を連想してしまうので、書かないほうがよいかもしれない」とのご意見も先に書かれております点、再度ご確認頂きたく存じます。Alex K様は以上の主張内容に即して反論なさってくださると、建設的な議論が出来るかと思います。繰り返しになりますが、おっしゃられているウクライナ語でどのように書かれているかについては既に了解しておりますし、ウクライナ語表現としては不自然さはないものの、先に書いたような日本語表現の不自然さ(実例が無い)に対する反論としては的外れでありましょう。建設的な議論のために、それぞれの方の主張をご理解なさった上での適切な反論を宜しくお願いいたします。--Takaci 2009年7月12日 (日) 06:18 (UTC)
  • 1)すみませんが、「一つの証明」は証明ではなく、「主張」です。その「主張」を証明してください。具体的に裏付けてください。「論より証拠」。
  • 2)「民族語」は言語学の概念であり、「ナショナリズム」云々を強調しているものではありません。よって「ウクライナ語(朝鮮語、日本語、ポーランド語等)はウクライナ人(朝鮮人、日本人、ポーランド人等)の民族語である」などのような文におかしくありませんし、「自明」でもありません。たとえば、ウクライナ民族に属していない者がウクライナ語を話せたとしても、ウクライナ語はその者の「民族語」になれません。また、外国に住んでいるウクライナ人(ディアスポラ、少数派)は外国の公用語を話せるが、その公用語は彼らにとって「民族語」ではありません。言語の区分には「ラテン語」や「エスペラント語」などのような「民族語」ではない言葉も存在する一方、「ウクライナ語」や「ポーランド語」などのような「民族語」も存在する。ですから、「ウクライナ語はウクライナ人の民族語である」という文は、事実を説明いるだけで「ナショナリズム」と関係しておらず、日本語からみても「不自然」な表現を使用しておりません。
  • 3)PRUSAKiNさんのを待ちましょう。--Alex K 2009年7月12日 (日) 09:56 (UTC)
  • 非常に残念なことですが、どうもAlex K様とは毎回議論がかみ合いませんね。民族語が言語学の概念であることは了解したと既に書いておりますし、無論「民族語」という用語を用いることがナショナリズムを強調するなどということを言っているのではなく、ウクライナ語のページのみが他の言語のページで全く用いられない表現を敢えて用いることで、「ウクライナの」「ウクライナ人の」「民族の」と何度も冒頭にて畳み掛けることになり、それは日本語の慣例として不自然である、先例がない、と言っているのです。どうも何度申し上げても主旨をご理解頂くことができないようで残念です。先例がない件は、「民族語」「民族言語」を検索した場合、それぞれの表現がウィキペディア上で非常に限定された場合でしか使われていないことを挙げましたが、お気付きでしょうか。--Takaci 2009年7月12日 (日) 12:08 (UTC)


何度も申し上げますが、主張ではなく、「先例がない」」・「不自然さ」を証明してください。証明がなければ、Takaciさんが削除した文ウクライナ語は・・・ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語。)を戻させていただきます。

「民族語」をGoogleで検索しただけで11,800の件が出ます。検索で見られる「民族語」の使用例、ウクライナ語の百科事典で書いてある定義と比較すると、「ウクライナ人の民族語」という文は、当記事にとって適切であり、日本語としてもおかしくありません。故に、Takaciさんの反論は成立しませません。反論を主張し続ける場合、反論の根拠とそれを裏付ける証明を紹介してください。--Alex K 2009年7月17日 (金) 15:48 (UTC)

あれ、PRUSAKiNさんを待たれないことにしたのでしょうか?噛み合わないやりとりに食傷気味ではありますが、これからもAlex Kさんとは長く議論をすることになりそうですので、もう一度分かりやすく丁寧にやってみます。さて、まず繰り返しになりますが民族語の使用例、及び定義に関しては既に議論済みです(承知済みです)。以降、議論の焦点はわたしの主張する「不自然さ」の妥当さに置くのでよろしいでしょうか。まあ、「不自然さ」の証明をするのに適しているのはアンケート調査になるかも知れませんが、これをわたし自身で行うわけにはいきません(独自研究にあたるため)。また最初に感じた違和感というのは、母語話者としての経験から来るものです。ですので、それらの証明として最も適しているのは大量の日本語による辞典類を当たるのが適切と考えております。今回は時間の関係上、先に述べているようにウィキペディア上の使用例を挙げさせて頂きます。以下に、全てではないですが今回の議論に関連のあるページを調べました(コントロールキー+Fで各ページで「民族語」と検索しました)。この際、あまり有名でない言語、また英語やラテン語のように民族語とは呼べない国際的な言語、特殊な言語は調べておりません。ランダム抽出ではないですが、その分全数調査ではないものの多めに調べておりますのでご容赦頂ければありがたいです。表記の際、都合上、一行に複数ページのリンクを書かせてもらいます。

  • 言語 - 「民族語」との使用例なし(以下無い場合、なし、と略)。(余談、前の議論ですが、「国語・公用語」のような表現がありました)
  • インドネシア語 - あり。しかし、冒頭の説明にではない。(「インドネシアから独立した東ティモールにはテトゥン語という民族語があるが〜」)
  • デンマーク語 - あり。しかし、冒頭の説明にではない。(「公用語:※ドイツでは少数民族語として保護」

以上、63ページの関連ページを確認したところ、「○○語は○○人の民族語である」との記述はありませんでした。及び、百科事典であるウィキペディア上のみで検索をした場合、これを書いている時点で132件がヒット[2]しますが、そのうち大半が各民族名の「民族語名称」という項目名として用いられております(例:民族 = アイヌ 民族語名称 = (ウタリ)、※ただし、記事中では見られず、編集ページの編集用語として使用されている)。 今回は、ウィキペディア上に限定した調査ではありますが、「○○語は○○人の民族語である」との表現は例が全くありませんでした。繰り返しになりますが、このような表現の使用例がないということが、またパッと読んだ時に「ちょっと変だな」と違和感を感じる原因になっていると言えると考えております。--Takaci 2009年7月17日 (金) 17:54 (UTC)


  • ウィキペディアからの使用例を調べていただいて有難うございます。しかしながら、議論するときは、ウィキペディアの記述を証拠に用いることがウィキペディアの規則(Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源)に反していることです。ですから、信頼できる日本語の百科事典ならびに日本語の教科書・専門書をもって、「ウクライナ人の民族語」という文は「日本語の慣例として不自然」であることを証明してください。さらに「ウクライナ語の大辞典」におけるウクライナ語の定義は、日本語の百科事典にとっては不適切であることも証明してください。
  • ウィキペディアの使用例からみても、「民族語」という概念は記事内で用いられております。そこで、ウクライナ語の「ウクライナ語の大辞典」の定義にならって、「ウクライナ語は・・・ウクライナ人の民族語だ」という文を冒頭の説明に入れても問題にならないと思います。
  • 私は既にGoogleの検索の結果を紹介しましたが、あらためて「○○語は○○人の民族語である」ないし「○○人の民族語である」との表現は日本語にとって自然であることを証明します。
  • [3] 「トゥヴァ人の民族語」 
  • [4]日本語は日本人の民族語である
  • [5]「マレー語は多数派民族マレー人の民族語である」
  • [6] 「ユダヤ人の民族語」
  • [7] 「在日韓国・朝鮮人の民族語教育」
  • [8] フランス人の「民族言語の音声分析」、英国人の「民族言語の音声分析」
  • [9] 「アイヌ語はアイヌ民族の民族語であり・・・」芳賀綏『日本人らしさの構造』
  • [10]「われわれの民族語である日本語」中内敏夫『日本教育の戦後史』

以上を見てわかるように、「○○語は○○人の民族語である」ないし「○○人の民族語である」という表現は、日本人の方々が用いる違和感のない表現です。よって、冒頭文を「ウクライナ語は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語である。ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語。キリル文字を使用する。」に書き替えても差し付えはないと思います。--Alex K 2009年7月18日 (土) 07:28 (UTC)

  • googleからの用例の報告、ありがとうございます。一定の「○○人の民族語」との使用例を紹介して頂いたので(あるものですね)、これ以上反対はいたしません。ただし、紹介して頂いたリンク4に既に書かれていますが、「日本語は日本人の民族語であるが、日本で民族語というのはアイヌ語、朝鮮/韓国語などのことを指す場合が多い」とあるように、しばしば日本語の「民族語」という言葉は「ある国家、国家連邦における少数民族の言語」の印象を与えるような記述がなされています。これはPRUSAKiN様が先に書かれたことであり、またわたしの母語話者として感じた違和感の原因のような気もします。「ウクライナ人の民族語」との表現は意味上可能ではありますし、表現としても間違いがないことも教えて頂きましたので本文への記載は可能だと分かりましたが、それでも敢えて百科事典におけるウクライナ語の紹介文に書き足す必要性が高い文章かどうかという疑問を残して、この議論への参加を終わらせて頂きます。また別の議論では宜しくお願い致します。--Takaci 2009年7月18日 (土) 09:09 (UTC)

[4]「日本語は日本人の民族語である」のページに説明されているように、「民族語とは、ある民族固有の言語だが、ある国の中での少数民族の言語の意味で使われることが多い。」ということに問題は尽きます。逆から言いますと、「民族語という表現は、それが少数者の言語であるということを意味することが多い。」ということです。

従いまして、勿論「ウクライナ語は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語である。ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語。キリル文字を使用する。」に書き替えても文法的に意味は理解できます。但し、その理解が「民族語とは、ある民族固有の言語だが、ある国の中での少数民族の言語の意味で使われることが多い。」での「民族語」という意味で読まれている可能性があるということは考慮に入れておいた方がよいでしょう。

問題は、日本語の「民族語(言語)」という単語が、「普遍語(言語)」の対義語になっているという点に起因している可能性があります(ウクライナ語や英語など、他言語でいう「民族語」が「普遍言語」の対義語であるかは存じませんが、日本語ではそういう観念があります)。従いまして、ウクライナ語を「ウクライナ人の民族語」と言ったり、日本語を「日本人の民族語」、マレー語を「マレー人の民族語」という場合は、その「地方性」を強調する文脈になります。

勿論、「普遍語(言語)」の対義語に限らない意味での「民族語(言語)」の用法もあるとは思います。ただ、やはりある民族内でしか通用しない「民族語(言語)」という観念が成立するためには、民族によらず全国民間で通用する「普遍語(言語)」という観念がしばしば無意識に想定されているということは、日本語の言語感覚として覚えておいた方がよいと思います。

例えば、「普遍語(言語)」の対義語に限らない意味での「民族語(言語)」の用法のように見えるマレーシアのサイトの話ですが、それもやはりマレーシアでは客観的「普遍語(言語)」というものがなく、そのため一番数の大きいマレー人の「民族語」が、数の優位ゆえに共通語化している、と解釈することができます。マレー語はマレー人の「民族語」であってマレーシアの「普遍語」ではない、というのがそのページの解説だと指摘できます。

日本国内で言えば、その地方でしか通じない「方言」が「民族語」であり、どこでも通用する(と信じられている)「共通語」が「普遍言語」という位置づけになりますね。確かに、ウクライナないしウクライナ人コミュニティーという狭い「地方」でしか通用しないウクライナ語は「方言」であり「民族語」ですが(日本語と同じ)、百科事典でそこまでウクライナ語の地方性を強調する必要があるのかなあと思ったりもします。

そうそう、「普遍語(言語)」の対義語に限らない意味での「民族語(言語)」の用法の代表的なものは、[9]「われわれの民族語である日本語」に見られるような、民族主義的な表現における用法ですね。われわれ大和民族の民族語である日本語、というわけです。国語(日本語)学関係の書籍には、この手の表現はしばしば見られますね。勿論、外国語関連の書籍ではあまり見られません。日本人著者が、外国語について書くときに民族主義も何もありませんから。--PRUSAKiN 2009年7月19日 (日) 07:46 (UTC)

  • コメント有難うございます。
  • 「民族語という表現は、それが少数者の言語であるということを意味することが多い。」 ⇒ その通りです。ロシア、カナダやアメリカなどに住むウクライナ人は「少数者」であり、彼らが用いるウクライナ語は少数者の言語で、「ウクライナ人の民族語」であるというわけです。
  • 「地方性」の強調 ⇒ [11] フランス人の「民族言語の音声分析」、英国人の「民族言語の音声分析」、[12] 「ユダヤ人の民族語」をみてください。強調されるのは「地方性」ではなく、ある民族が特有な言葉を持っているということです。言語の流通地域ではなく、言語の担い手(話し手)です。「地方性」が強調されるのは「民族語」の同義語で、言語を特定の地域と結びつける「土着語」という概念です。但し、この概念はウクライナ語を紹介するためには不適切であり、言語の担い手を無視し、少数派(Diaspora)の存在を無視しているからです。
  • 「われわれの民族語である日本語」という表現はどういう主義で成り立っているかは別の話です。私は問題にしていたのは「○○人の民族語」という表現が日本語にとって自然であるか、不自然であるかということです。それに、「われわれの民族語である日本語」という一文だけで「民族主義」を論じるのは早過ぎると思います。著者は、読者が日本人であることを前提に立って「われわれ」という言葉を用いただけです。日本語で書かれた『日本教育の戦後史』という著作は日本人以外に読まれる可能性が低いからです。--Alex K 2009年7月19日 (日) 09:04 (UTC)
  • こちらこそ、迅速なコメントありがとうございます:-)
  • 異論ありません。
  • 「地方性」というのは、地理的な概念を言うのではありません(「地方」というのは、この場合、地理用語からの借用です)。要は「(地理で言う「地方」のような)局所的な性質を持っている」ことです。例えば、「民族」という枠(通用限界)を持った言語を「民族語」というわけですが、その「枠(通用限界)という内空間を持つ」という性質を以って「地方性」というのです(枠=限界=境を持っている空間、というのが、地理で言う「地方」に似ているため、その用語を借用しているわけです)。従って、この概念はウクライナ語ならびに日本語に適合し得ます。逆に、その枠(通用限界)を(良くも悪くも)持たない・超えた言語というのが、「普遍言語」ということになります。例えば、イギリス人以外の社会で広く使われている英語や、ロシア人以外の社会で広く使われているロシア語、などですね。中国語というのは微妙ですが、使用者が世界中にいる漢民族(華僑)のあいだだけに留まっているのであれば、どんなにその話者人口や使用地域面積が大きかったとしても、「民族語」の範疇を出ないでしょう。
  • 問題は良し悪しではなく、たんにそういう言い回しを言語学の一分野である「国語学」(最近の「日本語学」)で用いた場合、普通は大なり小なり日本の右寄りの思想と結びついた言い回しである、ということです。民族主義というより、「右寄り」とだけいう方が正確だったかもしません(最も、日本の民族主義は大抵その程度のものなので、同じようなことですが)。
    とはいえ、すみません、あまり関係ない話を書いてしまいました。これは日本語学(というより「国語学」)だけでの話ですので、ウクライナ語の問題とは直接関係ありません。ただ、「民族語」という用語が「普遍言語」を念頭に置かずに用いられる例として挙げたのみです。右寄りの思想抜きに「われわれの民族語」という日本語の文章のニュアンスを説明することは、恐らく不可能でしょう。

話が逸れますが、日本の場合、右寄りの思想は視点の単眼性に特徴があります(恐らく、他国でも同じ)。従って、「われわれの民族語」といった場合、わざわざ「われわれ」という主観的な言い方をするわけです(客観性・相対性を考慮した場合、学術的表現では「日本人の民族語」とすべきでしょう。ご存知の通り、日本語ではウクライナ語など西洋言語と違い、普通「私」だの「我々」だの「あなた」だのという人称名詞は形容的にあまり使わないので、こういう場合に使用すると意味があって「わざわざ」使っているという印象を受けます)。

そこから特徴が生じているのですが、通常、日本語では「民族語」には対となる「普遍言語」という概念があるにも拘らず、「われわれの民族語」からはその観念はあまり派出しません。「われわれの民族語」の対語は「われわれの普遍言語」でしょうか?「われわれのでない普遍言語」でしょうか?どちらもナンセンスですね?

この単視点性・主観性が、旧来「国語学」なる学問の特徴でした(お分かりいただけると思いますが、「国語」ってのが無条件に「日本語」を指していると考えて憚らない点が、極めて単視点的、主観的なわけです。主観的過ぎて学問の名としていかがなものかとの批判から、近年では東京大など一部の研究機関を除き、「国語学」ではなく「日本語学」という名称を使用するようになったのです。これなら他言語の言語学と同水準になりますから。東京大は伝統重視なので名前変えてません)。江戸時代の国学とも関係がありますが、国学や国語学の思想は勝れて右翼的思想に親和性がありますから、「われわれの民族語である日本語」という表現からは、否応なしに右寄りな臭いを感じることになります(良いとか悪いとかはまた別の話)。まあ、左翼の人はあまり使わないでしょうな(無意識に使うかもしれませんが)。

  • 本題に戻りますと、「ウクライナ語は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語である。ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語。キリル文字を使用する。」は構わないと思いますが、ほかのページに比べて言語学的地方性を強く主張することになるでしょう、ということです。ただ、個人的な判断ですが、「ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語」と並べて書かれている限り、まあ「公用語」は人工的普遍言語のひとつですから、表現は中和されているかな、という印象は受けます。日本語母語話者の誰が見てもこれで違和感がないということであれば、これでよいと思います。思うに、試しにほかの「民族語」にも同じような記述を加えてみてはいかがでしょうか?それでほかの項目でも違和感を訴えられるようでしたら、やはり日本語文法としては正しくても表現としてはあまりよくないんだということになろうかと思います。--PRUSAKiN 2009年7月19日 (日) 11:02 (UTC)
すみません、少し間違えました。私がここまでで日本について「民族主義(的)」と書いている部分は、「ナショナリスティック」のように読み替えて下さい。普段ウクライナやロシアの話ばかり読んでいるので、似ている用語を混同してしまいました。--PRUSAKiN 2009年7月23日 (木) 07:45 (UTC)
  • ご意見ありがとうございました。
  • 話が膨らみましたが、敢えて纏めさせていただきます。「ウクライナ人の民族語」という文は日本語としては自然の表現であるということが明らかになりました。提出していただいた根拠を見る限り、Takaciさんが主張していた「○○人の民族語」の「日本語の不自然さ」は成立しないということです。よって、「ウクライナ語は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語である。ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語。キリル文字を使用する。」という文は自然であり、当記事で載せる差し支えはありません。
  • 「地方性」について。PRUSAKiNさんが書いていただいたコメットを読んだ上、さまざまな辞典を調べましたが、PRUSAKiNさんが仰る「地方性」という概念は今一わかりません。「枠」・「境」を持つということは、「地方性」をもつということですか?「枠」をもつ土は初めて土器となり、「境」を持った地域は初めて国となります。「枠」・「境」をなくせば、土器は土なり、国は地域となります。ウクライナ語の説明文からウクライナ人を削除すれば、ウクライナ語はウクライナ語ではなく、どこの馬の骨もわからぬ○○語になってしまいます。繰り返しになりますが、ウクライナ語はウクライナ人の言葉であり(例えば、ギリシア語はギリシャ人の言葉であると同様)、ウクライナ人の民族語であり、「普遍言語」ではないのことが明白です。私は「普遍性」という言葉を聞くとも諸々のものの「枠」を崩してごちゃごちゃにする「帝国主義」が思い浮かびます。--Alex K 2009年7月24日 (金) 16:28 (UTC)
  • この議論にはもう参加しないと書きましたが、一つ思いついたので提案を。「ウクライナ人の民族語」との表現の代わりに、「また、ウクライナ国外においても、諸外国に住むウクライナ人によって使用されている」という表現はどうでしょうか。(本日、たまたま「ウクライナ語の歴史」という講義を聞く機会があり、その際教授がそのように話されていたので。)--Takaci 2009年7月24日 (金) 17:06 (UTC)
  • 「地方性」と「普遍性」について、Alex Kさんの解釈で凡そ当たっていると思います。ただひとつ注意して欲しいのは、ウクライナ語が本当に「ウクライナ人の民族語であり、「普遍言語」ではないのことが明白」なのかということです。現在、ウクライナ語はウクライナの公用語であり、従って、民族的にウクライナ人ではなくとも、ウクライナではウクライナ語を公用しなければなりません。帝国主義国家では、良くも悪くもある特定の言語を公用しなければならないということが指摘できますが(国家語)、程度の問題はあれ、独立以降のウクライナにおけるウクライナ語はウクライナにおける普遍語の立場を持っています。従って、それをことさらに「民族語」と言うと、日本語的にはちょっと違和感を感じる、というわけです。日本語で「民族語」という場合は、通常その民族の人しか使わない言語のことを言います。ただ、日本国内については基準が異なりますので一律に話さないほうがよかったかもしれませんが、日本語内で言えば、共通語が「普遍語」(国家語)で、各方言が「民族語」のようなものになります(共通語成立過程と大日本帝国形成の関係はご存知と思いますので、割愛します)。
    Takaciさんのご指摘はまったく問題のない表現だと思います。日本語では普通、そのような言い方をすると思います。--PRUSAKiN 2009年7月28日 (火) 02:53 (UTC)
  • ご意見ありがとうございました。
  • 憲法上ではウクライナ語がウクライナ国内の「普遍言語」の役割を果たすべく「公用語」であると記されております。だからといって事実上で「普遍言語」になったとはいえない。事実上のウクライナ語はウクライナ人の民族語であり、ウクライナ人以外ほとんど使用されていない言語なのです。ソ連時代と変わらず、ウクライナ国内の「普遍言語」はロシア語です。そもそも、いずれの「普遍言語」はいずれの「民族語」であるので、「ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語」という文はおかしくないと思います。そのような文は、ウクライナの事典に載っておりますので、日本語の事典にのぜても大丈夫と思います。(ロシア語版のヴィキで見つけた定義です。государственный язык Украины, национальный язык украинцев)…
  • 日本語で「民族語」という場合は、通常その民族の人しか使わない言語のことを言います。。すでに申し上げましたが、その理解を以下ほどの実例が否定しております。([13] 「ユダヤ人の民族語」、[14] 「在日韓国・朝鮮人の民族語教育」、[15] フランス人の「民族言語の音声分析」、英国人の「民族言語の音声分析」)。日本語での「民族語」は、通常その民族の人しか使わない言語ではなく、通常その民族の人を中心に使われている言語なのです。言語の由来・話し手をはっきりさせる用語です。
  • 「普遍言語」とは国内で用いる「公用語」というよりも、国境を越えた地域、国外で用いられる言語を指す概念です。そういった意味で英語・スペイン語・ロシア語などは「普遍言語」であるが、ウクライナ語・日本語・韓国語などは「普遍言語」ではありません。ウクライナ語・日本語・韓国語はいずれも「民族語」なので、国外で用いられるほどの「普遍言語」までに成長しておりません。言語を「普遍言語」まで成長させるためには、諸国を飲み込む帝国のような支配組織を成功させる必要があります。無論ウクライナ人も韓国人もそのような組織をもっておりませでした。日本人は帝国を持っていたが、それを成功させるには失敗しました。故にウクライナ語・日本語・韓国語などは「民族語」のレベルの言葉なのです。
  • Takaciさんの新しい提案文に賛成しますが、いささか長すぎているような気がします。「民族語」を用いれば、短くすむのに。まあ、戦後の日本人は「民族」とい言葉に敏感になってしまったことを考慮すると、やさしくて長い文を載せたほうがいいかも知れませんな。--Alex K 2009年7月28日 (火) 06:17 (UTC)
  • ??それらのページは、ある特定の民族の言語についての文章だと思いますが。ああ、もしかして私の厳密でない言い方が誤解を生んでいるのかもしれませんが、「通常その民族の人しか使わない言語」というのは大体での話です。勿論、その民族じゃない人でも使う人はいるでしょう(例えば、学習者)。ただ、割合としては小さいと思います。
  • その通りですが、「国内」で考えた場合は、公用語が普遍的に通用する言語ということができます。公用語や共通語というのは、普遍性の重視(言語による国家・民族の統一)という概念抜きには語ることはできません。
  • 戦前の論文で「民族語」という用語がどのように使用されていたかは、すみませんが勉強不足でわかりません。ただ、戦後の日本語では、「民族語」というのは国家の公用語になっていないような言語に対して用いる場合が多いというか、「民族語」というと国家の公用語になっていないような言語のことをイメージしがちだと思われます(この辺の用法、辞書等で示すことができません。どんなに優れた辞書も万能ではないのです)。これが「民族」という単語に戦後日本人が敏感になったからかどうかはよくわかりません。
  • どうも、なぜ「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」という表現が百科事典の記述として違和感があるのか、むしろ不思議になりました。その文章は何も間違っていないように思います。ですが、なぜだか百科事典の記述としては違和感があるのです(個人の著作でならそれほどでもないでしょう)。この点は、今後もよく考えてみたいと思います。--PRUSAKiN 2009年7月28日 (火) 07:47 (UTC)
  • 1)すみませんが、PRUSAKiNさんの「民族語」に対する意識ははっきりわかりません。私は提出したリンクで用いられている「民族語」は、「少数派」のみの言語でもないし、「地方性」の言語でもないし、「通常その民族の人しか使わない言語」でもありません。単なる特定の民族の言語なのです。その他の意味がありません。もしかして、リンクの用例は間違っていますか?間違っていない場合は、「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」という文に何がおかしいところがありますか?ご指摘のほどよろしくお願いします。
  • 2)「国内」で考えた場合は、公用語が普遍的に通用する言語ということができます
「民族語」は、諸々の部族の方言を統一し、内在的普遍性を持ち、民族同士の共通語の役割を果たしている言語です。内在的普遍性を持っているとはいえ、英語・ロシア語のような「普遍言語」であるとは言えません。「普遍言語」になるためには「国境」・「民境」を越える必要があると思います。ウクライナ語・日本語は普遍性要素を持っているが、「国境」・「民境」を超えていません。両語はウクライナ人と日本人以外に話す人がほとんどいないため、世界の「普遍言語」ではないことが明らかです。同じく、国内の公用語は国民同士の共通語であるが、必ずしも「普遍言語」ではありません。
話をウクライナ語に戻しますと、「ウクライナ語はウクライナの公用語」と「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」は矛盾しておりません。前者のウクライナ語はウクライナ国民(political nation, nation)の言葉でありとし、後者のウクライナ語はウクライナ民族 (ethnic nation, ethnos)の言語であると説明しているだけです。つまり、ウクライナ語は国民や民族などの範囲内で普遍性を有しているが、英語・ロシア語のような「普遍言語」であるとは言いがたいです。ですから、「ウクライナ語は…ウクライナの公用語、ウクライナ人の民族語」を当記事に載せてもおかしくはないはずです。おかしいのであれば、どこがおかしいかをご説明ください。--Alex K 2009年7月28日 (火) 11:10 (UTC)
  • 1A)「特定の民族の言語」=「その民族の使う言語」ですよね?2009年7月28日 (火) 07:47 (UTC)で書いたように、「しか」は誤解を生む厳密でない書き方だったかもしれません。勿論、その民族の人でなくとも使ってもいいでしょう。
  • 1B)「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」は何もおかしくありません。先に書いたように、表現として、普通国家の公用語になっているような言語を取り立てて「民族語」ということは(そういう文脈でない限り)日本語ではあまりしないので、「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」と書くと違和感がある、ということです。
  • 1C)例えば、Alex Kさんは「「民族語という表現は、それが少数者の言語であるということを意味することが多い。」 ⇒ その通りです。ロシア、カナダやアメリカなどに住むウクライナ人は「少数者」であり、彼らが用いるウクライナ語は少数者の言語で、「ウクライナ人の民族語」であるというわけです。」と2009年7月19日 (日) 09:04 (UTC)で仰っていますが、誤りでしょうか?
  • 1D)「地方性」と「普遍性」という単語については、意味が通じなかったようなので使わなければよかったと思います。あまり気にしないで下さい。要は、日本語で「民族語」と言った場合には中央と周辺というような意識が付きまといますよ、ということを言いたかっただけです。
  • 2A)「民族語」は「普遍言語」ではありません。しかし、「公用語」は国内限定とはいえ「普遍言語」です。従って、「民族語」がどこかの「国の公用語」(国家語)になった場合、無条件に「普遍言語」でないと断ずるのは早計です。Alex Kさんは2009年7月24日 (金) 16:28 (UTC)のコメントで「ウクライナ語はウクライナ人の言葉であり(例えば、ギリシア語はギリシャ人の言葉であると同様)、ウクライナ人の民族語であり、「普遍言語」ではないのことが明白です。」と仰いましたが、これについて私は2009年7月28日 (火) 02:53 (UTC)で指摘したように、国家語としてのステータスがある以上、ことさら「普遍言語」じゃないということが明白というにふさわしいのか、疑問があります(間違っているとは言っていません)。
  • 2B)「ウクライナ語はウクライナの公用語」と「ウクライナ語はウクライナ人の民族語」は矛盾するか?それは説明の難しいところでしょう。直感的には違和感がありますが、考えれば考えるほど別に間違いなどないのではないかという気がしてきます。しかし、ではなぜ一般の辞書や百科事典の類(ウィキペディア含む)でそのような表現が使われていないのか、非常に気になるところです。--PRUSAKiN 2009年7月28日 (火) 13:14 (UTC)
  • ご返答ありがとうございました。Takaciさんの提案文を載せてもいいと思いますが、「民族語」の用法に関しては納得いかないところがありますので、用法を明らかにさせるために議論させてください。
  • 1A)了解致而異論無御座候。
  • 1B)ウクライナにおいても、日本においても、公用語は当国家の主要民族(多数派)の「民族語」です。例えば、フランス語はフランスの公用語であるが、フランス人(民族)の民族言語でもあります。この論文では「フランス人の民族言語」と「英国人の民族言語」という表現が使われています(フランス人の「民族言語の音声分析」、英国人の「民族言語の音声分析」)。その表現の図式は「○○語は○○人の民族語」となっています。私は提出したほかのリンクでも同様な図式が見られます。PRUSAKiNさんはなぜ違和感を感じておられるのかはわかりません。リンクの表現がおかしいのでしょうか?私によるその表現の理解が不十分なのでしょうか?
  • 1C)誤りはありません。私は「民族語」は少数者のみの言語であると主張しておりませんでした。「民族語」は、多数者だけの言語、あるいは少数者だけの言語ではありません。民族の言語なのです。民族は国内で多数者であっても、国外で少数派であっても同じの「民族語」を使うのです。ですから、ウクライナ国内に住んでいるウクライナ人(多数者)にとっても、ウクライナ国外に住んでいるウクライナ人(少数者)にとっても、ウクライナ語は同じの「民族語」であるわけです。
  • 1D)「公用語」は「中央」の言語、「民族語」は「周辺」の言語であると仰りたいのですか?私は提出したリンクではそのようなニュアンスが読み取れません。実例は「民族語」は「民族」の言語だと示唆しているだけです。
  • 2A)「普遍言語」に関しては、私の定義とPRUSAKiNさんの定義が異なっているようです。私は、国境を問わず、世界中で広く使用されている英語・ロシア語のような言語だけは「普遍言語」であり、その他の言語は「普遍言語」ではないと考えております。PRUSAKiNさんは、国境を超えた英語・ロシア語のような言語は「普遍言語」であり、国内の異民族同士の言語の堺を越えたウクライナ語・日本語のような公用語も「普遍言語」であると主張しているようです。しかし、PRUSAKiNさんの論理を展開してくと、「民族語」も「普遍言語」であると言わざるえを得ません。なぜなら、「民族語」は、国内の異民族の言語の堺を越えた公用語(国家語)と同じように、国内または国外の同民族同士の言語の堺(方言)を超えた一種の「普遍言語」であると考えられます。もし、公用語(国家語)は「普遍性」を有して国家を束ねるための「普遍言語」であることを認めるなら、民族語」は「普遍性」を有して民族を束ねるための「普遍言語」であることも認めざるを得ません。私による「普遍言語」の定義に沿っていくと、ウクライナ語は「普遍言語」ではないことが明らかです。しかし、PRUSAKiNさんによる「普遍言語」の定義を用いると、「普遍性」のレベール(「普遍性」・「統一性」の範囲)によって異なる世界の「普遍言語」、国家の「普遍言語」、民族の「普遍言語」など、いくつかの「普遍言語」が存在しているということになります。違いますか?
  • 2B)難題です。他国語の一般の辞書や百科事典の出典を提出いたしました。違和感の元は何でしょうか?--Alex K 2009年7月30日 (木) 11:18 (UTC)

こちらこそ、長引く話にお付き合いいただき、申し訳ないやらありがたいやら。こちらの言い分がはっきりしないために長引いている面もあるので、たいへん恐縮しています。

  • 1B)私はウクライナ語の法律文を読んでいないので間違っていたらすみませんが、ウクライナでは法律で公用語が定められているのだと思います。日本では立法上の公用語は存在しません。あくまでデ・ジュリで日本語共通語が公用されている(公用語ではない)というだけです。従って、同じ話として論じてよいのかはちょっと疑問です。
    さて、本題ですが、それらの論文のような文脈で「フランス人の民族言語」と「英国人の民族言語」という表現を用いるのは問題ないと思います。ただ、実際百科事典や辞書の類で、例えばフランス語英語の定義文に「フランス人の民族言語」ないし「英国人の民族言語」という表現を用いるでしょうか?という点で違和感を覚えました。ただ、この違和感が正しいものなのか、たんに私の勉強不足によるものなのかははっきりしません。強いて言えば私によるその表現の理解が不十分ということになりますが、果たして私がAlex Kさんに「あなたの日本語への理解が不足していますよ」と言える立場にあるのか、つまり私自身そこまできちんと表現を理解しているのか甚だ心許なく思います。
  • 1C)上記1Bの論文におけるような文脈において、「民族言語」という用語は国内多数派の言語も指すことが可能ですが、普通、そういう前提なしに日本語の文章で「民族言語」という単語を目にした場合、多くの日本語(母語)話者は「民族言語」=「国内少数派の言語」という印象を抱きます(世界での、ではなく、その国の国内での、です)。そのことは、Alex Kさんが教えて下さった外部リンク[16]にうまく解説してあると思います。copyvioにならないと祈りつつ引用しますが、「民族語とは、ある民族固有の言語だが、ある国の中での少数民族の言語の意味で使われることが多い。」「日本語は日本人の民族語であるが、日本で民族語というのはアイヌ語、朝鮮/韓国語などのことを指す場合が多い。」「旧ソ連邦ではエストニア語は民族語だったが、エストニアが独立してからは、エストニア語は国語となった。」つまり、辞書的な意味では「民族言語」は少数派でなくとも構いませんが、実際の用例においては、日本語(母語)話者は「民族言語」=「国内少数派の言語」という前提で「民族言語」という用語を使っていると考えられます。1Bの論文や、ほかの(例えばマレーシアのリンク)などは、文脈上その意味ではないのですが、それはそういう文脈だから違う、としか言えません。
  • 1D)中央・周辺というのはどちらがどっちという意味よりは、要は相反するAとBという対立概念があるということを言いたかったまでです。上記1Cのリンク「日本語は日本人の民族語であるが、日本で民族語というのはアイヌ語、朝鮮/韓国語などのことを指す場合が多い。」が日本語における「民族語」という用語の一般的な用法をよく表していると思います。
  • 2A)鋭い指摘です。まさしく、私のいわんとしていたことを正しく指摘して下さっていると思います。私はAlex Kさんのいう「普遍言語」の概念に反対しません。それが第一の普遍言語です。しかし、国家には国家の「普遍言語」=「国家語」がありますし、民族には民族の「普遍言語」=「民族語」があるのです(前回コメントでは、下記の理由でこの点は無視しました)。「ウクライナ語はウクライナ民族の普遍的言語である」と言うのと「ウクライナ語はウクライナ民族の民族言語である」というのとは同じことであり、「日本語は大日本帝国の普遍言語である」というのと「日本語は大日本帝国の国家語である」というのは同じです。ですので別に「ウクライナ語はウクライナ民族の民族言語である」と書く代わりに「ウクライナ語はウクライナ民族の普遍的言語である」と書いてもよいと思いますが、却ってわかりにくいのでそこは「民族語」でいいんじゃないかな、というだけのことです。「ウクライナ語はウクライナの公用語である」と書く代わりに「ウクライナ語はウクライナの普遍的言語である」と書いてもよく考えれば意味は同じですが、よく考えないとよくわからないようなまどろっこしい表現なので、やめた方がよいと思います。
    問題は仰るように程度問題(レベルの問題)でして、普通どの段階までを殊更に「普遍言語」と呼ぶか、ということです。「民族言語」は何かと説明するとなれば「民族の普遍言語である」と解説しますが、だからといって「ウクライナ語はウクライナ民族の普遍言語である」という文章表現はあまり使わないから却ってわかりにくい、ということです。しかし、国家語になるとやや事情が異なります。日本語の共通語であれ、独立ウクライナでのウクライナ語政策であれ、人為的にある言語を「国家語」として政策として推している、という点が重要です。そのような国語政策に基づく人為的言語は「国家の普遍性(国内を普遍的・画一的にし統一・団結を図る)」のために存在するからです。従って、国語は国家の普遍言語であるという点は強調するに値します。それを無条件に「民族語」(日本語(母語)話者からすると普遍言語でない国内小数派の言語)というレッテルを貼ってしまうのが本当に適切なのか、疑問があります。
    しかし、逆の書き方ならそれほど違和感はないかもしれません。「ウクライナでは多数派ウクライナ人の民族語であったウクライナ語を国語としている。」これは全然違和感がないので不思議です。
  • 2B)どうも私の手に負えません。ヨーロッパ言語における概念と日本語における概念がずれていると言わざるを得ません(学術用語において、そういうことはしばしばありますね)。あるいは、「ウクライナ語はウクライナの公用語。ウクライナ人の民族語。」という文章が多くの日本語話者にとってどう感じられるか、ノートでアンケートをとってみるとよいかもしれません。--PRUSAKiN 2009年7月30日 (木) 13:34 (UTC)

格の名称の変更

本日の編集で、格の名称(及び順序)を「主格対格属格所格与格具格呼格」に改めました。これはリトアニア語、ラトビア語や近年ロシア語などでも採用されており、次第に日本のスラブ語派研究の間でも主流となりつつあるものです。先月出版された「ニューエクスプレス ウクライナ語」でも採用されております。および、ウィキペディア内、各「格」のページの件名とも一致します。ただし、ロシア語、ポーランド語では旧来の慣習的な名称(造格、前置格、生格)で編集されており、スラブ語派内ではウクライナ語での編集が先んずることになります(そちらのページでの編集は今回行いません)。スラブ語派同士で一致しなければいけない、ということはないと思いますが、詳しい方でご意見・ご指摘ありましたら、おねがいいたします。--Takaci 2009年4月25日 (土) 19:01 (UTC)