ノート:ウイグル/過去ログ1
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219.165.77.71氏に質問とお願いです。
- 政治体制の項は歴代君主の前に入れてください。
- あなたの加筆した政治体制は回鶻可汗国(ウイグル帝国)時代のもとと思われますが、このページは回鶻可汗国に限らず、後年の天山ウイグル王国や現代ウイグルをも扱っているので、どの時代かを明記してください。
- なぜ東トルキスタン・イスラーム共和国と東トルキスタン共和国の元首の項を削除したのですか?
- あなたはIPアドレスユーザーですので、たびたびIPアドレスが変わります。よって前のIPアドレスの時に出典明記したからいいとは限りません。また、出典は参考資料ばかりではなく、脚注にてその都度明記してください。
- 参考資料の著者に「」はいりません。
- 書籍類には『』を用いてください。
--トムル 2011年5月24日 (火) 14:26 (UTC)
- 了解ですが、テンプレは存在してるのでしょうか?後々編集する際、参考にしたいので
- 回鶻可汗国時代に限らず、天山ウイグルや河西回廊のウイグルでも継承されてますね。現代ウイグルは継承していないようですが。
- 東トルキスタン・イスラーム共和国と東トルキスタン共和国の元首は、君主ではありません。君主と元首の違いは御存知ですか? 加えて、空白期間が500年以上もある時代を無理矢理繋げるのは不自然ですが、何故そのようなことを?
- その都度明記するのは理想ですが、現実問題トムルさんも、その都度全て明記しているとは到底言えませんし、面倒臭さが大きくなると思いますよ。まあ、大まかな範囲でなら面倒臭くないでしょうが、テンプレは何処にありますかね?wikipediaには疎いもので--219.165.77.71 2011年5月24日 (火) 18:19 (UTC)
- フォーマットは見つけられないですが、基本的に他の記事の慣例に従っています(例:前漢)。ちなみにこちらはご覧になりましたか?→Wikipedia:レイアウトの指針
- この記事は古代ウイグル、現代ウイグルの両方を扱う記事なので、古代ウイグルの政治体制なのか現代ウイグルの政治体制なのかを明記しないと、初めて読んだ人が「古代も現代も一緒なのか」と勘違いする恐れがあると感じたから指摘させていただきました。また、天山時代後期のイディクト政権もありますので。
- これはこちらのミスですね。歴代君主・元首(もしくは「古代ウイグルの歴代君主」と「現代ウイグルの歴代元首」)とでもしましょう。古代ウイグル・現代ウイグルの併記については下記にて。
- 私の場合はアカウントを持っているので、一度出典明記すれば編集履歴で何を参考にしたかがわかるのですが、あなたはIPユーザーですので、たびたびIPアドレスが変わります。以前出典明記したとしても、IPアドレスが変われば「違う人かな」と思ってしまい、出典明記がないと判断されます。面倒と感じるのであればアカウントを取得してはどうでしょうか。(ご覧になっているとは思いますが)出典明記についてはWikipedia:出典を明記するを参照のこと。
- --トムル 2011年5月25日 (水) 15:55 (UTC)
- 出典明記に関して。まあいちいち出典を書く方が親切でしょうが、末尾に参考文献を明記する以上の要請は「Wikipedia:出典を明記する」には掲げられていません、検証可能な以上IPどうこうはトムルさんの思い違いです。
- あと、下にも書きましたが関連性の乏しい現代ウイグルを書くのは無理がある、不自然ですしわざわざ並べるのは作為を感じざるを得ない。--219.165.77.71 2011年5月25日 (水) 16:38 (UTC)
- 「検証可能な以上IPどうこうはトムルさんの思い違いです。」→はたしてそうでしょうか?IPアドレスが変わってしまえば検証は不可能なこともあると思いますが…。とりあえず、可能な限り出典明記をしていただければ問題はありません、ということで。--トムル 2011年5月26日 (木) 13:41 (UTC)
- 天山ウイグル王国と甘州ウイグル王国の名称は、私個人としても「王国」という部分に疑問を持っていますが(この件に関してはそれぞれの記事で改名提案なりを検討する必要がありそうです。それまではリンク先を変更せず、今回のように括弧書き表記が妥当ですね)、IP氏の編集した「汗国」よりは「可汗国」の方がよいと思います。--トムル 2011年5月29日 (日) 09:11 (UTC)
古代ウイグル・現代ウイグルの併記について
この記事において、古代ウイグルと現代ウイグルを併記する理由としては、新旧2つのウイグルの間に500年以上の空白期間があったとしても、「ウイグル」と冠したからには何かしらの関連性があり、彼らがなぜ再び存在したのかを知るためには2つを併記すべきと考えたからです。現在、「ウイグル」といえば、一般の人はまず「現代ウイグル」の方を指すでしょう。しかし、歴史関係でいえば、「古代ウイグル」の方を指すことが専らであり、初めこの記事もそうでした。もし、ウィキペディアで「現代ウイグル」を調べたいのに「ウイグル」で検索したら古代の方しか載っていなかったら混乱すると思います(一応Otherusesしてますが・・)。このように、「ウイグル」という用語は混乱を招く用語ですので、私はこの記事を曖昧回避のページにしたいと考えました(英語版のように)。しかし、曖昧回避のページではもったいないと思い、個々のウイグルの解説ページにしたつもりです。現代ウイグルをもっと調べたければ「ウイグル人」を見ればよいし、古代ウイグルを調べたければ「回鶻」や「天山ウイグル王国」を調べればよいので、この記事は現代ウイグル・古代ウイグルが混同しないよう、両方を知るためのもので、比較的簡略なものであることを望みます。--トムル 2011年5月25日 (水) 15:55 (UTC)
- 個人的に、神聖ローマ帝国とローマ帝国の間にある関連性、あるいはロシア帝国がビザンツ帝国の後継を称えたのと同程度の、ウイグルと現代ウイグルの間の関連性に目を瞑って一帯視するのは勝手でしょうが、百科事典にその手の虚構を持ち込むのは頂けない。別にウイグル人や新疆ウイグル自治区の項目があるのですから、本来の意味であるウイグルの記述に徹して、不要かつ余計な記述は避けるべきです。元々のこの項目がそうだったように--219.165.77.71 2011年5月25日 (水) 16:25 (UTC)
- だとしたら、この件はもう少し議論が必要ですね。もしこの記事から現代ウイグルを抜かしたとして、古代ウイグルのみの「ウイグル」という記事は必要でしょうか?私は古代ウイグルのことを言いたい場合は「回鶻」で十分だと思います。そうした場合、「ウイグル」という記事は曖昧さ回避のページにするか、「回鶻」の記事に統合するかになると思いますが、どうでしょうか?できれば、我々以外の意見も聞きたいところです。--トムル 2011年5月26日 (木) 13:41 (UTC)
- ウイグルとの関連が希薄で別に項目がある現代ウイグルは除き。前史は回鶻に付記すればいいとしても、回鶻の滅亡後も、河西ウイグルがあり、天山ウイグルがあり、カラハン国があり、モンゴル治下でも記録が残っているので、到底十分とは言えない。 匈奴のように表舞台から消えたならともかく、北魏が鮮卑と異なるように、遼が契丹と異なるように、1つの政権である回鶻へ何もかも統合するのは、回鶻滅亡後も記録が存在し、後継集団の活動が見られるウイグルの記述としてはありえないでしょう。--219.165.77.71 2011年5月26日 (木) 16:54 (UTC)
- 「北魏が鮮卑と異なるように、遼が契丹と異なるように」←わからなくもないですが(たしかに十分ではないでしょう)、現在では「ウイグル」という言葉は現代ウイグルも指します。記事名を「ウイグル」とするならば、古代ウイグル・現代ウイグルの両方を書くのが妥当と考えます。もし、古代ウイグルのみの記事にしたいのであれば、「古代ウイグル」という記事名にした方がいいと思いますが。--トムル 2011年5月27日 (金) 15:42 (UTC)
- ローマ帝国を古代ローマと呼ぶ人もいるので解らなくもないですが、ウイグルはウイグルであり、現代ウイグルに関しては住民:ウイグル人と地理:新疆ウイグル自治区の両項目があるので、個人的には改名はどうかと思います。ただまあ、古代ウイグルと呼び直しても不都合は無いでしょうから、いいんじゃないでしょうか。--219.165.77.71 2011年5月28日 (土) 09:04 (UTC)
通史
過去の議論でも触れられていますが、古代からの連続性、断絶はともあれ、地域史の観点からも、古代より現代までの通史が総括できるような内容が記載されてあるべきだと思い、加筆、転記、再構成編集を行なっています。
なにかあればこちらでお願いします。--西方(会話) 2012年4月24日 (火) 17:43 (UTC)
なお、古代は本記事、現代の民族についてはウイグル人という住み分けが現在なされていますが、やはり重複もありますし、そもそも、古代→ウイグル、現代→ウイグル人という分類は、適切ではありません。いま現在は統合などは考えておりませんが、古代と現代を分けるのであればむしろ、古代ウイグル、現代ウイグルという項目名の方がいいように思います。私は、可読性の観点からも、古代から現代にいたる通史、概略を本記事で総括的に情報がまとめられてあることが最もいいと思います。--西方(会話) 2012年4月24日 (火) 17:49 (UTC)
- 異議なし。--トムル(会話) 2012年4月24日 (火) 22:03 (UTC)
- 古代は本記事、現代の民族についてはウイグル人という住み分けが成立しているので、現状のままもしくは改名を提議してウイグルと現代ウイグルに分けるのが適切です。ジュンガルによる征服と清による再征服によって、ウイグルの歴史は終わっているのだから、それ以降のウイグルに肖った復古運動は現代ウイグルとして記事を書くことがこの上もなく最もいいと思います。--59.86.116.191 2012年5月1日 (火) 10:56 (UTC)
- 本記事は包括的な記事です。「古代は本記事、現代の民族についてはウイグル人という住み分けが成立している」というのは、恣意的ですし、もし住み分けをする場合はせめて古代ウイグルという記事との住み分けにすべきでしょう。「ウイグル」という語は、歴史用語でもあると同時に、現代のウイグルについても使用されており、59.86.116.191さんの主張する「住み分け」にはなんら合理的な理由は存在しません。また、下にも節化しましたが、不当な削除編集をおやめください。--西方(会話) 2012年5月1日 (火) 11:47 (UTC)
- まず始めに本記事がウイグルに関する記事だという事を理解して下さい。記事が最初に書かれてから7年以上の間[[1]]、ジュンガルによるヤルカンド汗国征服により記事は終わっています、その事は最低限ご理解下さい。その後、2010年にトムルなる者が突然無関係な現代维吾尔族及び新疆ウイグル自治区、更にウイグルの残部も最後のヤルカンド汗国も支配していないイリ地方を含む東トルキスタンに関わる不必要な記事を載せた事は暴挙であると指摘してよいでしょう。彼は記事の1/3を削る行為すら行っている、つまり恣意的なのは西方さんあなたの方なのです。
- ウイグルはモンゴル高原東部に興りジュンガルによって天山山脈南東部で滅ぼされた民族であり、ローマ帝国と神聖ローマ帝国をローマ帝国として或はサカとパシュトゥーン人を同一の記事に包括的に記述してしまうのと同じく、ウイグルの記事にウイグルに肖って付けられた現代の维吾尔族を無理矢理包括するのは恣意的です。現代の民族についてはウイグル人、居住地域については新疆ウイグル自治区という住み分けが成立しているのですから、不要な記事の乱立はお止め下さい。そして東トルキスタンに到っては、御存知の通りウイグルがキルギスに滅ぼされた後に建てた、天山ウイグル王国もヤルカンド汗国も支配していない事から明らかに不適切な内容だと言えます。--59.86.116.191 2012年5月1日 (火) 20:02 (UTC)
- あなたの独断的な偏見をおしつけるのはおやめください。また、不当な一括削除もおやめください。古代のウイグルと現代のウイグルとの違いや連続性についての議論ならまだしも、「ジュンガルによる征服と清による再征服によって、ウイグルの歴史は終わっている」とか「ジュンガルによって天山山脈南東部で滅ぼされた民族」とおっしゃるのなら、そもそも「現代ウイグル」それ自体が存在しないことになるではありませんか。あなたの脳内ではウイグル族は「絶滅」したのかもしれませんが、現代でもウイグル人は存在しておりますし、ウイグル族であることを自称している人々もいるし、また中共政府にしてもウイグル族の存在は認知しております。現在、一般に入手できる書籍または査読論文等で、「ウイグル族」という言葉がほとんど使用されていないのであれば、ともかく、多数の書籍でウイグル族について言及されています。あなたはそうした現在の使用実態を否定されるのですか?あなたの根拠となる出典は存在しますか?ないのであれば、それは独自研究またはあなたの個人的な独断にすぎません。そうした独断をおしつけるのはおやめください。
- 本記事と他の記事についての「棲み分け」ですが、その「棲み分け」自体が根拠がないのです。日本語圏における使用実態からも、「ウイグル」という記事名で古代の歴史から現在に至るまでの歴史、民族や地域の歴史を扱うことの方が、本記事の包括性からいっても、より適切です。新疆ウイグル自治区と東トルキスタンの問題にしても、その双方と「ウイグル」は関連します。
- 要約欄で「ウィキペディアの方針に反する」とかいていますが、どの方針のことですか?NPOVであれば、中共政府の主張と独立運動側の主張の双方に言及されるべきでしょう。
- そもそも、ウィキペディアの記事とは、共同で執筆していくものです。他の編集者による加筆を許さないという考えであれば、それこそ、Wikipedia:五本の柱に反するものです。--西方(会話) 2012年5月2日 (水) 02:33 (UTC)
- それから、アカウントを取得してください(Help:ログインを参照のこと)。Wikipedia:多重アカウントにおける「監視のがれ(投稿履歴の分断)」に該当しないことをまずは実証してください。IPユーザーのまま、このような重大な編集を続行されますと、対処せざるをえません。--西方(会話) 2012年5月2日 (水) 02:38 (UTC)
- 「2010年にトムルなる者が突然無関係な現代维吾尔族及び新疆ウイグル自治区、更にウイグルの残部も最後のヤルカンド汗国も支配していないイリ地方を含む東トルキスタンに関わる不必要な記事を載せた事は暴挙であると指摘してよいでしょう。彼は記事の1/3を削る行為すら行っている」とのことですが、当時の記事は出典のない記事であり、出典のない記事は消してよいものです。しかも、私の編集は少なからず記事を「改善」させてます。しかしながらIP氏の削除は「いたずら」に近く、出典のある文章を多量に削除するのは誰が見ても「荒らし」行為です。出典のある文章は慎重に扱ってください。
- あと西方さん、私も人のことが言えない時もありますが、「連続投稿」気味です。気をつけましょう。--トムル(会話) 2012年5月2日 (水) 15:10 (UTC)
- 西方氏が自ら「現代ウイグル」と、わざわざウイグルと「区別」して書いていることが事の本質を表していると言えるでしょう。ウイグルが今も健在であるならば「ウイグル」と書けば済む話です。また、ウイグル族ウイグル族とは書いても「ウイグル」或は「現代ウイグル」とは書かず、意図的にウイグルとウイグル族或はウイグル人を混同するような書き方をするのも同様の理由で、現在の刊行物中に「ウイグル」とウイグル族或はウイグル人を同義に扱っている物があるならば挙げればよろしい。無いのであれば、それはあなたの独自研究もしくは偏向的価値観に基づく独断に過ぎません。そうした価値観を押し付けるのはお止めください。
- ウイグルの歴史が連続していると主張したいのであれば、文献なり刊行物なりを提示するとよいでしょう、それをしない事には西方さんの主張は独自研究もしくは個人的な意見に過ぎません、無いことを証明するのはほぼ不可能ですが有ることを証明するのは簡単なことです。容易ではないかもしれませんが。回鶻以降ヤルカンド汗国までの活動や首領の名が知られている様に、より現代に近く豊富に史料が存在している筈のジュンガル・清朝時代のそれを我々へ提示すればよろしい。
- 棲み分けに関しても全く同じことです、西方氏の独自見解ではなく上の2段で書いたように「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」を同一視もしくは後者が前者に属する存在として記述している刊行物を我々に提示すればよい。それが出来ないのであれば、一般に「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」が別個の存在と見られているという事です。本記事は元々「ウイグル」に関する記事であり、それは作成以来7年間の記事を見ても明らか、好き勝手に包括性を加えようと謀っているのはあなたで、それを始めたのは1年と少し前のトムル氏なのですよ。--112.138.252.13 2012年5月4日 (金) 12:31 (UTC)
- <「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」を同一視もしくは後者が前者に属する存在として記述している刊行物を我々に提示すればよい。>とおっしゃいますが、正直、なにをおっしゃているのか、わかりません。
- あなたが日本語を母語とされておられない方なのか、不明ですが、日本語での一般的な使用実態において、「ウイグル」「ウイグル族」「ウイグル人」について言及している著作は本文記事にも出典つきで明記され、また参考文献にもすでに挙げられておりますし、私の加筆もほとんど検証可能な出典を明記しております。下記節<「ウイグル」の意味合いについて>と重複になりますが、森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)、梅村担「内陸アジア史の展開」山川出版社、1997年、加々美光行『中国の民族問題』岩波現代文庫、2008年、大辞林(三省堂、1988年)、王柯(『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会、1995年)を御覧ください。それから、私が先に質問しているのだから、まずはそれにお答えください。「古代ウイグルと現代ウイグルとがまったく無関係である」と記述された書籍を示してください。なお、私が「現代ウイグル」といったのは、本ノートにおける過去の議論を踏まえての話です。それが「事の本質」とはなんの話か、さっぱりわかりません。
- 「一般に「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」が別個の存在と見られている」などということは、ありません。あなたの妄想です。
- 「作成以来7年間の記事」とおっしゃいますが、ウィキペディアのWikipedia:方針とガイドラインをすべて熟読なさってください。通常の編集者は、これらすべてを読んでおりますし、頭にいれております。むろん、膨大な量ですが、編集経験をするうちに、習得していくことができます。あなたの答弁を聞いておりますと、まったく、ウィキペディアの仕組みを理解されておられないようです。--西方(会話) 2012年5月4日 (金) 18:03 (UTC)
- 反論出来ないのであれば、恍けたりせず、素直に誤りを認めるか黙って引き下がればよろしい。「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」を同一視もしくは後者が前者に「包括される」存在として記述している刊行物を提示することが、現時点では出来ないと判断してよろしいですね?
- 意図的な誤読或は誤解釈や論点のすり替えはお止め下さい。あなた個人の偏向的価値観に基づく独断では、「ウイグル族」或は「ウイグル人」は「ウイグル」に包括される概念だと主張していますが、それを客観的に肯定する出典或は参考文献は、現在の所一つも挙げられていません。何度も言うように、無い事を証明するのは困難ですが在る事を証明するのは簡単です、「ウイグル」と「ウイグル族」或は「ウイグル人」を同一視もしくは後者が前者に「包括される」存在として記述している刊行物を提示すればよろしい。出来ない以上は、「ウイグル族」或は「ウイグル人」が「ウイグル」と同一の存在であるというあなたの主張は、独自研究・個人の偏向的見解に過ぎないのです。お解り頂けましたか?--59.86.116.14 2012年5月6日 (日) 13:47 (UTC)
定義変更
otheruseでの記述、および現在についての情報記載の実態より、冒頭部分を変更しました。議論があればこちらでお願いします。--西方(会話) 2012年4月24日 (火) 17:58 (UTC)
- 異議なし。--トムル(会話) 2012年4月24日 (火) 22:03 (UTC)
- 個人の政治的主張や独自解釈をウィキペディア上で発表する事はお止め下さい。--59.86.116.14 2012年5月6日 (日) 13:49 (UTC)
IPアドレス59.86.116.191氏による編集
IPアドレス59.86.116.191氏による一連の編集2012年5月1日 (火) 10:48における不当な一括削除、2012年5月1日 (火) 11:09時点における根拠なきコメントアウトはいずれも不当な編集です。ノートでの議論に応じてください。
また、類似する編集がIPアドレス59.86.117.146氏によっても2012年4月26日 (木) 11:17時点でなされていますが、このような一連の重要な編集をするときは、説明責任をはたしてもらうためにも固定利用者名を取得してください。Wikipedia:利用者名を参照。なお、類似の編集を強行される場合は、荒らしとみなされかねませんので、議論に応じてください。Wikipedia:荒らし参照。--西方(会話) 2012年5月1日 (火) 11:44 (UTC) アドレス間違いを修正。--西方(会話) 2012年5月1日 (火) 12:52 (UTC)
保護について
こんにちは、管理者を務めさせて頂いておりますHmanと申します。管理者は原則的に記事の内容には干渉しませんが、編集合戦が発生すると記事の編集をロックする場合があります(Wikipedia:保護の方針)。また、対話の呼びかけにも関わらずノートでの議論より編集を先行させる行為を続けられると、「腕ずくでの解決」として、投稿を制限させて頂くこともあり得ます(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない、Wikipedia:投稿ブロックの方針)。しかしその様なことは最後の手段です。59.86.116.191さんにおかれましては腕ずくの編集除去よりまず、何故除去や分割が必要なのかを確たる文献を元に説明し、編集者の合意の上で物事を進めて下さい。Wikipedia:コメント依頼で、第三者のご意見を募ることもできます。--Hman(会話) 2012年5月2日 (水) 03:18 (UTC)
- Hmanさん、半保護処置、ありがとうございます。もっとも、ご指摘のとおり、終局的には合意形成に努めるしかありませんので、問題のIPユーザー氏が提起している問題について、下節において第三者も交え、議論を深めていくつもりでございます。--西方(会話) 2012年5月4日 (金) 16:18 (UTC)
「ウイグル」の意味合いについて
「 | A;この記事「ウイグル」には、古代ウイグル人の事柄のみを記載すべきである。
B;この記事「ウイグル」には、古代から現代に至るウイグルの歴史・文化・地域などを包括した事柄を記載すべきである。(※よって古代のウイグル、現代のウイグル、その他は各記事をもって詳細に記すことになる) |
」 |
この件に関してWikipedia:コメント依頼に出させていただきました。私としても「ウイグル」という記事名では古代ウイグル、現代ウイグル、文化、地域などを包括した意味合いになると思いますので、私は西方氏の編集に賛成します。しかし、IP氏のような考えを持つ人もこれから出てくるであろうこと、また議論参加者が3人であることから、他の人の意見を聞いてから記事を変えたいと思います。ので、なるべく編集合戦は起こさないでください。
私は「古代」・「現代」を分けたいのであれば、記事名を「古代ウイグル」・「現代ウイグル」に分けた方がいいと思います。「ウイグル」という語が「古代」のみを指すというのは、モンゴル史を知っている人だからであって、一般の人にとっては「現代」を指す人もいるでしょう。「ウイグル」というカタカナ表記では「古代」・「現代」どっちの意味合いでとってもいいと思います。「回紇」なら「古代」であきらめがつきますし、「維吾爾」なら「現代」であきらめがつきます。現行の「ウイグル人」にしても、古代ウイグル人も「ウイグル人」に変わりなく、記事名に問題があります。今までは古代ウイグル→「ウイグル」、現代ウイグル→「ウイグル人」となっていましたが、もう一度見直す時だと考えます。--トムル(会話) 2012年5月4日 (金) 14:00 (UTC)
- [記事名を「古代ウイグル」・「現代ウイグル」に分けた方がいい]というのは、新規の記事として古代ウイグル、現代ウイグルを立項するということですか?私はそれですと、結局、余計、わかりにくくなると思います。私は現状のようにウイグル記事において、古代・現代について扱い、かつ、それらの相違点などを記事内にもっと加筆することによって、曖昧さやわかりにくさが回避できると思います。
- また、別のIPユーザー(発言内容からして同一人物ですが)が、私の発言をオウム返しにして不当な大量削除を行なっていますが、それへの応答もかねていいますと、
- 歴史学の使用例として、森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)第七章では「ウイグルの登場と安史の乱」となっており、「ウイグル帝国」という用語を使用しています。また、梅村担「内陸アジア史の展開」山川出版社、1997年は歴史学の本でもあり、かつ現代政治についても論じておりますが、「ウイグル」を使用しており、古代と現代いずれも「ウイグル」と表記しています。
- 現代のウイグルについては加々美光行『中国の民族問題』岩波現代文庫、2008年などが「ウイグル」「ウイグル人」を使用しています。というか、現代のウイグル人について「現代ウイグル人」という使用されている例は私は知りません。現代のウイグル問題に関して、新聞・書籍などでも「ウイグル」が使用されていることは立証するまでもないでしょう。
- さて、一連のおそらくは同一人物のIPユーザーがしきりに主張するのは、「古代ウイグル」と「現代ウイグル」が「何の関係もない」ということです。私が知る限り、歴史学でも現代政治関連の書籍でも、古代と現代のウイグルについて「無関係」とする本はありません。(あれば、読んでみたいところです)。IP氏がもっと出典を出すなりされればもっと議論は深まるのですが、この方はどうもご自身の政治的な主張のために編集なさるばかりで、記事の成長を考えておられるとは思えません。なお、議論をきっかけに私もウイグルについて理解を深めたいと思っておりますので現在調査中ですが、大辞林(三省堂、1988年)の「ウイグル」項では、これまで我々の議論でいわれてきた「古代ウイグル」(辞書ではこの用語は使われていない)について「モンゴル高原に興り、のち、トルキスタンに移住したトルコ系民族」と定義され、そのあと、突厥、キルギスとの歴史が簡単に触れられたあとで、「その後裔は現在の新疆ウイグル自治区の主要構成民」と明記されています。この大辞林の事例ひとつとっても、我々の議論している「古代ウイグル」「現代ウイグル」という分割が反証されています。すなわち、両者は無関係であるどころか、十分に査読システムのある信用性の高い書籍群においても、その関連性、いな、大辞林にあっては連続性・同一性が明記されています。
- 他に平凡社の世界大百科事典(2007年改訂版)なども見ましたが、たしか「ウイグル」という項目はなく、「東トルキスタン」という項目があり、また「中央アジア」の項目でも「ウイグル帝国」が使用されています(間野英二執筆記事)。
- いずれにしましても。Wikipedia:記事名の付け方では、「認知度が高い -信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」が基準としてありますので、現在の新疆ウイグル自治区に関する報道・書籍などでも使用され、また歴史学でも使用される「ウイグル」が最もよいでしょう。以上をもちまして、「古代ウイグル」「現代ウイグル」を新規立項したりすることは、余計に曖昧さを増すばかりで、それぞれに興味を持つ閲覧者にとっても不便です。可読性の観点からも、「ウイグル」に古代〜現代について一覧的に記載ある状態が最善です。--西方(会話) 2012年5月4日 (金) 16:10 (UTC)
- また、IP氏は<本記事「ウイグル」は古代ウイグルを、現代ウイグルについては「ウイグル人」を扱い、すみわけする>ことを主張していますが、この主張自体も検討すべきでしょう。たとえばチベットはチベット族の歴史、風土その他、いわゆるチベットに関する包括的な記事であり、チベット族は主に民族の構成など、民族学・人類学的な、専門的な記事となっています。あるいは日本は国家としての日本、およびその歴史、日本人は日本民族の学術的な専門的な民族系統分析になっています。ほか、大和民族などもあります。
- さて、「ウイグル人」記事に「現代ウイグル」の情報を、と主張するIP氏の発想がどこから来ているのか、わかりませんが、チベットと日本関連の記事との比較でいうと、「ウイグル人」はむしろ、ウイグル族の民族としての側面について記述されてあるべきなのですが、どうも記述が一般的なレベルでとどまっており、つまりは、「ウイグル」記事と重複しています。むろん、それぞれの関連記事で一定の重複があるのは当然ですが(日本、日本人、大和民族の例など)、それにしても、「ウイグル人」記事は、現状ですと、むしろ、ウイグル記事に統合した方がいいようにさえ思える程度の内容にすぎません。民族の系統なりについて特に加筆されているわけもありません。
- 結論からいいますと、これらの議論は、このノート頁の過去の議論をみましても、おそらくは同一人物のIPユーザーが一貫して主張なさる、「古代ウイグルと現代ウイグルは関係がない」という個人的な独断からはじまっている議論にすぎません。「ウイグル」と「ウイグル人」との記事の「すみわけ」というのも、しきりにIPユーザー氏は「過去のウィキペディアの記事においてそうであった」と、本記事の過去の状態に執着し、いわば「既成事実」のみを根拠に、そう主張され、自分の考えに反する記述を出典があるにもかかわらず、大量に削除するのみです。
- これは推測にすぎませんが、IP氏の編集理由を推察するに、この方は中華人民共和国の支持者で、近年、とくに2009年以降激化している「ウイグル問題」に関する情報をなんとか曖昧にさせようとされておられるのではないかと疑われます。報道される新疆ウイグル自治区での弾圧の問題について知りたいと思った方が、キーワードを「ウイグル」として検索する場合、ウィキペディアの記事はやはり筆頭にあがります。そうしますと、その記事に「古代ウイグル」についてのみの情報しかないというのは、実際的にも不便ですし、かつて私も同様の検索をしたおり、ウィキペディアの記事を回されているような感じがして、非常に不便でした。IP氏が中共支持者でも、個人の信条の自由ですのでかまいませんが、中共の主張などについて記事を加筆されるならともかく、「現代ウイグルについては何が何でも加筆を許さない」というような態度、そして現代ウイグルに関する記述等をことごとく大量に削除したりコメントアウトしたりする行為は、もう荒らし以外の何者でもないでしょう。このような推測をしますのも、もはやそれ以外にIP氏の編集理由が分からないためです。
- 繰り返しになりますが、私がこれまでウイグル関連文献を読んだ限りで、「古代ウイグル」と「現代ウイグル」をまったく別物、または無関係として論じてあるものは皆無です。中国出身の学者である王柯(『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会、1995年)にせよ、また、そもそも中共政府にしても、「ウイグル」を使用しています。
- 「維吾爾」とか「回紇」とかいった中国での表記の問題にしても(すでに現時点でも記載されておりますが)、本文で明記すればよいだけの話ですし、そもそも、ここは日本語版のウィキペディアですから、日本語圏での使用実態を最優先すべきでしょう。一般の日本語使用者にとって、「維吾爾」を読めるひとは、中国語・中国史などを勉強した方以外ではいないでしょうし、まったく一般的ではありません。「回紇」「迴鶻」「回鶻」などにいたっては、西域史、中央アジア史などの研究者またはそれらに関心ある方以外で知っているひともほとんどいないでしょうし、読むこともできないでしょう。しかし、「ウイグル」はカタカナですから読めますし、上記してきましたように、歴史学をはじめ各種研究書や報道新聞等でも、「ウイグル」と表記されるのが現在は一般的です。--西方(会話) 2012年5月4日 (金) 17:38 (UTC)
記事名を「古代ウイグル」・「現代ウイグル」に分けた方がいいというのは、「古代」・「現代」を分けるとすればの話であって、私は現状のまま「ウイグル」という記事名で包括的意味合いのある記事であることを望みます。まずは閲覧する側に立って、「ウイグル」という記事名を検索してどういうふうに書いていると親切かを考えてみるのもいいでしょう。--トムル(会話) 2012年5月5日 (土) 19:36 (UTC)
- トムルさん、cquoteを追加されておられますが、その旨は署名等、明記されるようお願いします。でないと、私の発言がA.B.をなぜ書いてないのかわからなくなりますので。
- トムルさんと私とでは、ほとんど意見の対立はなく、Bなわけですが、Aを主張されているのが一連の複数のIPアドレスを多用される、おそらくは同一人物(発言内容よりの推定。なおWhoisの見方を私はあまりわかっていないのですが、いずれのIPアドレスもサーバーが静岡県の会社となっていますね)による独断的主張にすぎませんし、なんの合理的な理由も、また根拠となる出典も存在しません。「古代ウイグル」と「現代ウイグル」を無関係とする書籍は存在しません。今後、IP氏からの反駁なり応答がなければ、この件はもうトムルさんと私との間で争点でもありませんので、終了していいと思われます。第三者のコメントは期待はしますが、いかんせん、ウイグルについては、あまり一般的な関心事ではないので、新しい見解は望めませんが。
- IP氏については上記しましたように、私は政治的な意図によるものと疑っておりますが、この件については、もし政治的な意図によるものとなると、大量削除、また議論の意図的な撹乱という事案になりますとともに、また複数の可変IPアドレスを多用している点でもブロック依頼の対象としての要件を満たすものになるかと思われますので、Wikipedia:チェックユーザー依頼も視野にいれて対処を考えております。なお、IP氏が議論をはぐらかさずに、「古代ウイグルと現代ウイグルとは無関係である」という出典を提示されたりするなどの誠意ある答弁をされた場合はその限りではありません。しかし、IP氏とのやりとりで思いますのは、そういう建設的な議論は、この方はできそうにもないと判断せざるをえません。また本ノートでの過去の議論(2011年5月24日 (火) 18:19 以降)での219.165.77.71氏の編集履歴も現在辿っていますが、 宋 (王朝)での記事リンクを無根拠に外したり(銅禁政策などに関して。2011年6月28日 (火) 17:05)、 またノート:ツングース系民族での議論においても、「中国やロシアの学者はいっていない」といいながらその出典を提示せず、また日本語圏での出典が提起されているのも関わらず、それを無視・否定するような発言をされたり2011年6月26日 (日) 06:11しています。ただし、この方は加筆もされておられますので、その点はむろん歓迎いたしますが、もし一連のIPユーザーが同一人物であるとすると、いわゆる「工作員」の可能性もあります。IPユーザーの同定は置くとしても、トムルさんの応答は紳士的でいいとは思いますが、今回の件についていえば、出典ある記事を大量に削除し、かつノートでの議論にも誠実に答えようとしない態度は、単なる記事の破壊行為であります。トムルさんは中立的な立場を保たれようとして「編集合戦は避けてください」とおっしゃいますが、本記事がさらに加筆され、精度を増していくような成長を望むことと、破壊行為を放置することのいずれが適切でしょうか?--西方(会話) 2012年5月6日 (日) 09:15 (UTC)
- このまま永遠に半保護が続くのであれば、この件は解決です(例のIP氏がログインユーザーになりたがらないため)。半保護が永遠でないならば、その解除とともにIP氏は編集・差し戻しを強行し、それに西方氏が応じれば、ツングース論争のような不毛な編集・差し戻し合戦が始まります。私としても「本記事がさらに加筆され、精度を増していくような成長」を望みますが、不毛な争いをするくらいなら破壊された記事(駄作となった記事)をさらしておいた方が、世論がいつか支持してくれるのではないか、というのが私の考えでした。しかし、ブロック依頼なりWikipedia:チェックユーザー依頼なりでこの問題が解決するのであれば、私はそれを望みます。
- ただし、この記事の件は私と西方氏だけでは解決できない可能性があるので(第2、第3のIP氏が現れることが想定されること。過去にノート:ウイグル人で同じような論争があったようなので。)、あと数人の意見を聞き、その合意の上でB案に決定させましょう。--トムル(会話) 2012年5月6日 (日) 10:20 (UTC)
- 了解しました。ただ、ひとつだけいうと、放置の処置は私はあまり効果的ではないと思います。実際、編集合戦などで議論があった場合でも、議論が停止し、つまり記事の編集が放置されている状態というのは、その停止された編集の版を容認・黙認することになるからです。異議がある場合は、異議を言い続け、議論を続けること、そして、その他の処置に移行する方が適切であると思います。--西方(会話) 2012年5月6日 (日) 11:09 (UTC)
- トムルさん、いい忘れていました。ジャコウネズミさんが下記節でも書いておられますが、このような可変IPを多用する、いわゆる荒らしへの対処としてブロック依頼等があるのですが、たとえばネットカフェや学校など複数のPCなどの設置された場所からアクセスされると、ブロック破りも容易ですし、また複数の地域からのアクセスに対しては広域ブロックも効果的ではありません。本件の場合は、私もジャコウネズミさんと同じく、深刻な荒らしによる被害事案だと思いますが、このようなケースにおいては、長期的な監視が必要ですし、また荒らしが再発するようであれば、半保護期間の延長の依頼等が求められるとおもいます。なお、経験上、このような半保護処置後に再発する場合でも、解除されてずいぶん時間をおいてからまた再発するようなケースもありますので、大変ではありますが、しかし本記事だけがそのような荒らしにあっているわけではないので、気長にいきましょう。--西方(会話) 2012年5月7日 (月) 14:34 (UTC)
- 了解しました。ただ、ひとつだけいうと、放置の処置は私はあまり効果的ではないと思います。実際、編集合戦などで議論があった場合でも、議論が停止し、つまり記事の編集が放置されている状態というのは、その停止された編集の版を容認・黙認することになるからです。異議がある場合は、異議を言い続け、議論を続けること、そして、その他の処置に移行する方が適切であると思います。--西方(会話) 2012年5月6日 (日) 11:09 (UTC)
コメント現状が既に通史的な記事となっているので、基本 B でよろしいかと存じます。その他いくつか申し上げたいことがあります。1)「ウイグル人」では、出典不明ながら、古代ウイグル人を「テュルク系遊牧民族」、現代ウイグル人を「北東アジア人と古インド人の混血」としています。「ウイグル」では、検証可能な出典を以って「後裔」としているのですから、議論があれば先方のノートでなされるのが賢明と考えます。本項目での編集合戦の事由又は本ノートでの議論の論題にはなり得ません。出典を盾に取りつつ、本項はあくまで「自称ウイグル又は他称ウイグル」についての全般にわたる概説の記事と割り切っては如何でしょうか。2)単独記事がある項目については、単独記事の充実を旨として、本記事では簡潔な記載に留めるのが賢明かと存じます。書き過ぎると記事の統合若しくは一部転記の事由又は違反である重複記事の該当事由となります。3)「ウイグル解放組織」という単独記事がサブスタブの状態で存在しています。本記事からリンクを張るよりは、記事の統合等を検討された方が良いかと思います。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月6日 (日) 11:47 (UTC)
- ジャコウネズミさん、コメントありがとうございます。1)はたしかにそうですね。2)の重複については確かに「書き過ぎる」場合の問題はありますね。今後加筆するうえでは注意したく思います。とはいえ、私としては、現状ではやはりまだ不十分な状態で、一覧するうえでも不便だと思っています。理想的には通史の概史にしても、また東トルキスタンと、新疆自治区などとの問題など、さらなる充実が図られないと、各記事のリンク先をいちいち開いていかないといけないので、最低限の概要はまだまだ必要だと思います(記事の長さについてしばしば編集議論で起きますが、[[2]]などを見ましても、やはり20万〜30万バイト程度ある方が私はむしろ、読みやすいし、便利です。とはいえ、この件については、またどなたかが問題だと思えば、問題提起されればいいとおもいます。3)ですが、まさにそういうことで、いわゆるウイグル独立運動もなにかやたらとスタブ記事が乱立しており、全体を一覧することができないし、また十分に加筆されてもいないので、現時点では役立つものが少ないと感じております。ただ、私の考えでは、本記事が親記事で総覧的であれば、各項目については、情報が大量になれば、各記事への転記など、記事の親子関係、または上位ー下位関係を利用すればよいと思いますので、特に統合していく必要はないと思われます。まあ、統合それ自体には反対はしませんが。--西方(会話) 2012年5月7日 (月) 14:22 (UTC)
- 西方様、Wikipediaの編集歴が短いながら分量が大きく関連記事の多い記事(これとか)を編集する中で感じるわたしの所感なのですが、重複に関して言えば、本項目は今でも書き過ぎだと思います。本項目の記述をさらに充実させることを殊更留めませんが、各主記事の編集者との議論・論争が目に見えるようです。わたしは、西方様にもそれぞれの主記事の充実にご尽力いただいて、本項目の記述は簡潔を旨とすることを前言にてご提案申し上げたつもりです。各節を各主記事に丸投げするくらいのつもりでの編集もあり得る、と申し上げておきます。ご自身の砂場又は本項目に草稿ページを設けて圧縮する方向の編集も進める、といった手もあることを申し添えておきます。追伸:関連項目の重複の件は大変失礼いたしました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月7日 (月) 15:38 (UTC)
古代ウイグルと現代ウイグルの関係について森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(2007年、講談社)ではこう書いています。p32「実は古い時代のウイグルが民族集団として活躍するのは唐帝国からモンゴル帝国(元朝)の時代までであり、それ以降ウイグルの名前はいったん消滅する。ウイグルの流れを汲むが、モンゴル時代以降徐々にイスラム化していった東トルキスタン東部のトルコ人たち、並びにそれより早くカラハン朝治下にイスラム化した東トルキスタン西部のトルコ人たちは、オアシス都市群ごとに自己認識し、トゥルファン人とかクチャ人とかカシュガル人というふうに出身地に応じてばらばらに呼ばれるようになる。それが20世紀前半になって東トルキスタンの政治的統一の必要に迫られた時、かつて栄光に包まれていたウイグルの名前を全体名称として採用するのである。つまり本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになったのであり、古代ウイグル史を専門とする私にいわせれば、こうした新ウイグルは偽ウイグルである。しかも古ウイグルはイスラム教徒(ムスリム)ではない。言語についていえば、唐~元代の古ウイグル語と近現代の新ウイグル語とは、基本的に同じトルコ語である。文法に大きな変化はない。しかし文字はすっかり変わり、また語彙も相当に変わっている。つまりイスラム化以後はアラブ=ペルシア系の文字と語彙が流入し、さらに清朝以後は大量に漢語が借用された。」A案かB案かの項と関係ありませんが、参考まで。--トムル(会話) 2012年5月7日 (月) 16:43 (UTC)
- ジャコウネズミさん、ご意見ありがとうございます。重複などの件については、各編集者によって感覚も異なりますし、またどの部分を重複とするかによっても話が変わります。たとえば安史の乱など非常に重要な項目についても本記事には記載されていません。問題あればまた個別に提起していただければとは思います。また砂場の件は連続投稿の件ですよね?これについては、トムルさんからも指摘されておりますし、また自分でもやりすぎであったとは認めざるをえませんので、以後、自重したく思います。
- トムルさん、ありがとうございます。いやいや、まさに本件にも関わる重要な出典でしょう。こうしたことをもとに今回の議題ともなった件について加筆していくことで、本文の精度もまして行くでしょうし、また不毛な議論も減っていくとおもいます。私もあらためて当該箇所を読み、また編集したく思います。--西方(会話) 2012年5月8日 (火) 03:43 (UTC)
つまり、現代ウイグルの概念そのものが新しいものであり、ウイグル語と現代ウイグル語は若干ではなく大きく変化しているという事を認めるわけですね。であるならば、「ウイグル」と「ウイグル人」或は「ウイグル族」を恣意的に混同する所業は止めましょう。ちなみにCiNiiのタイトル検索で引っ掛かるウイグルの用例では、ウイグル語或は現代ウイグル語に関するものが約100例、「ウイグル」に関するものが約110例、新疆ウイグル自治区或は新疆ウイグル或はウイグル自治区などの地理的概念のものが約580例、現代ウイグルに関連してウイグル族或はウイグル人を用いたものが約160例、現代ウイグルに関連して学位者が単にウイグルを用いたものは僅かに11例に過ぎずウイグル族或はウイグル人と比較して1/15の用例しか存在せず特異な例と言える。報道出版の23例を含めても35例とたったの2割、お判り頂けましたか?西方さん。--222.230.132.65 2012年5月8日 (火) 09:24 (UTC)
- コメント 222.230.132.65様、大意において同意できる考えなのかもわかりませんが、発言内容の大部分が理解不能です。CiNii のタイトル検索で「現代ウイグル」関連の語が多くヒットするのは、研究分野における関心が過去よりも現代にあるかもしれないという傍証を示すのみで、我々が現代にいる限り当然の帰結かと存じます。そこから何の演繹的結論をも見出すことはできません。およそ不適当な論旨です。言いがかりに過ぎません。ただ、単独記事が先行して存在するものに対して、重複する記述は避けようではないか、という趣旨を雰囲気的に感じました。わたしは、通史的な記事を拒否する立場は敢えて取らずに、ただし、他の単独記事の領分を犯さず、リンクするに留めませんか、ということを西方様をはじめ、議論に参加なさっている方々に言葉柔らかにこれまでコメントしてきたつもりです。どなたかから削除提案なり、改名提案なり、統合提案なりが出されて実現に至ったとしても、きちんとした議論ができて結論に至るのであれば歓迎いたします。西方様の何かしらかの方向性を諌めるコメントを多く見受けますが、当人を説得するどころか、余人をしても理解に苦しむコメントが乱立していては、建設的な議論を期待できません。削除提案なり、改名提案なり、統合提案なりが不適当であるならば、ノート:ウイグル/草稿1といったものに本記事を履歴継承の上、大鉈を振るっていただいて、「この形なら記事ウイグルに相応しい」と、具体的な形をお示しになっては如何でしょうか。また、混同を招く記述はいただけませんが、近代以前のウイグルと、そのウイグルの名を誇らしいものとして自ら名乗った人たち(そういう見解に立脚するとして)を一つの記事内で触れることを端から蹴飛ばす理由がどこにありますか。「理解不能」と酷評しましたが、何かしら実現してほしい、あるいは辞めてほしい方向性があり、理屈を後から付ける時、往々にして論理が破綻します。自分に照らし合わせてもそうです。論理の後付けに長けていない方は、自分が持っていきたい具体像を以って議論に臨んでください。あるいは理屈などすっ飛ばして、わたしは~~のほうがすっきりすると思う、と端的におっしゃって下さい。「然りは然り、否は否、とだけ言え」とはよく言ったものです。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月8日 (火) 10:29 (UTC)
- 222.230.132.65さん、古代の「ウイグル」と現代における「ウイグル」との相違点については、本文に出典を明記したうえで加筆されれば事足りる話です。現在の日本において、「ウイグル」が使用される実態がある以上、本記事で双方を記載すべきです。すくなくとも古代のウイグルのみに限定し、現代のウイグルに関する記述を「記載しない」とする理由はないです。それと、あなたの論法を見ていますと、ずいぶん編集議論にも習得されておいでですね。アカウントお持ちでしたら正々堂々と議論すればいいではないですか。可変IPを多用して、議論を掻き回すような卑怯なことはやめてください。--西方(会話) 2012年5月8日 (火) 15:36 (UTC) 今回のことを踏まえ、論争的タグを付与しました。--西方(会話) 2012年5月8日 (火) 15:41 (UTC)
- ジャコウネズミさん、IP氏は重複を問題視してでなく、「現代ウイグルについては他記事へ。本記事は古代ウイグルのみ記載すべき」と、一貫して主張しているだけですよ。そして私やトムルさんは、このIP氏の主張に対してそれはおかしいといっているのです。それにしてもここまで可変IPを多用するとは、まあ、ネットカフェですかね(笑)。--西方(会話) 2012年5月8日 (火) 15:47 (UTC)
- コメントトムルさんから召還を受けてまいりました。簡潔に述べさせていただきます。
- (前提1)タリム盆地のオアシス都市住民およびその末裔が1920~30年代に自分たちの呼称として「ウイグル」を採用して以来、中国とソ連(およびその継承国家群)において「ウイグル」を自称および公式呼称、正式名称とする集団はずっと【実在】し続けています。
- (前提2)古代ウイグルに思い入れの深い研究者がいくら「偽」だと主張しようとも、この集団は、いま、まぎれもなく、「ウイグル」という名称を自称および所属国における「公式呼称」「正式名称」として【実在】しています。したがって、「古代ウイグルとの連続性の有無」がどうであれ、この集団についての情報は、Wikipediaに記載されるべき「有意の情報」に該当します。
- (1)IP氏がこのノートに投稿した主張をひととおり見ましたが、【「ウイグル」の名称で「タリム盆地のオアシス都市住民およびその末裔」を記述すること】が「有意の情報ではない」ことを立証できたものはひとつもありませんでした。
- (2)有意の情報を含む記述に対し、他の編集者の反対があるにもかかわらず、削除をくりかえし強行するというIP氏の編集姿勢に反対。
- (3)「有意の情報ではない」ことを立証できていないので、IP氏の主張する理由による削除には反対。
- 以上です。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月9日 (水) 04:18 (UTC)
- なるほど…さすがです。Dalaibaatur氏、わざわざありがとうございました。--トムル(会話) 2012年5月9日 (水) 15:46 (UTC)
- IP氏問題以外の、関連記事もふくめた記事内容のありかたについては、トムルさん、西方さん、ジャコウネズミさんのお三かたですぐれた合意が形成されそうな様子であるので、横からなにか申し上げることはいたしません。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月10日 (木) 21:27 (UTC)
- なるほど…さすがです。Dalaibaatur氏、わざわざありがとうございました。--トムル(会話) 2012年5月9日 (水) 15:46 (UTC)
- Dalaibaatur氏は何か勘違いされていますが「ウイグル」の名称で「ウイグルの一部を構成したタリム盆地のオアシス都市住民およびその末裔」を記述することに異論と唱えた事はありません、ただしそれはジュンガルによる征服までです。袁骨部以降ヤルカンド・ハン国までの時代とは異なり、ジュンガル・清朝統治時代はウイグルとしての活動は行われず動向もよく分かっていないため、現代ウイグルとの間にジュンガルによる滅亡以前の様な集団としての連続性は認められない。無論血統的・言語的・文化的には末裔ではあるとしても、それは中華人民共和国に所属するウイグル族・ウイグル人或は地理的概念としての新疆ウイグル自治区に属する事柄であって、古代から続くウイグルという政治的な客体は存在しない。現代になり「ウイグル」に肖ってウイグルを称した現代のウイグルが居たとしても、それはウイグル族・ウイグル人或は新疆ウイグル自治区または「現代ウイグル」で記述する事柄であって、ウイグルと関連が無い事を記事とするのは全く以て不適切。--222.230.132.65 2012年5月14日 (月) 09:16 (UTC)
- 相変わらず言葉のすり替えに終始しますか西方さんは、ウイグルと関係があるのはウイグル人或はウイグル族であって、政治的客体である現代ウイグルとの間に直接的な関係は存在しない。チベットを引き合いに出すが、清朝下でも独立性が維持され現代まで連続しているチベットと、ジュンガル・清朝時代に途絶したウイグルに肖っただけの現代ウイグルが同じ条件に無いことを理解しましょう。ウイグル、ウイグル人・ウイグル族、書きたいなら現代ウイグル、の3つに棲み分ければよろしい。--222.230.132.65 2012年5月14日 (月) 09:29 (UTC)
- 222.230.132.65様。否定する意味ではなく、素朴な疑問として、1)その切り分けですと、「ユダヤ人」もバビロン捕囚前、聖書時代、近現代及びそれぞれの間の時代に切り分ける必要があるわけですか?2)「ユダヤ」ではなく「ユダヤ人」なら通史を書いて良いのですか?3)本件、通史を書くとすれば「ウイグル」ではなく「ウイグル人」の方が適当とお考えですか?4)もしや、記事「ウイグル」と記事「ウイグル人」の「本家争い」をしたいのですか?--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月14日 (月) 09:53 (UTC)
- 追記:ウイグル(民族)の歴史がチベットのそれとは事情が異なるとしても(もちろん全てにおいて違いはあります)、「ユダヤ」(過去に存在した国の記事)と「ユダヤ人」(通史を含む民族及びユダヤ教信徒の記事)とも異なる「ウイグル」個別の事情により、日本語版Wikipediaのどこにも先例のない(あるかもしれません。あれば示していただいて、ウイグルがそれと類似の案件であることを立証してください)「通史記事は不可。ウイグルの記述において適当な形態は棲み分けのみ」ということを主張なさるのであれば、主張は簡単ですが、222.230.132.65様のご意見に沿った形での合意の上の棲み分けの実現には、現状を遥かに凌ぐ緻密な論理展開が必要となるでしょう。「ユダヤ」と「ユダヤ人」のようなものではないか、ということであれば、記事「ウイグル人」においてなら通史を書いてもよいわけですよね?違いますか?--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月14日 (月) 13:57 (UTC)
- 222.230.132.65氏へ。タリム盆地のオアシス都市の住人は1920~30年代に自称および所属国(中国・ソ連・ソ連の継承国家)における公式呼称・正式名称として「ウイグル」を採用し、現在にいたるまで実在しております。実在しているからには、古代ウイグルとの連続性がどうであれ、この集団についての情報は百科事典に記載されるべき有意の情報に該当します。有意の情報を、他の編集者の反対にもかかわらず削除を強行するあなたの編集姿勢に反対。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月15日 (火) 07:05 (UTC)
- 222.230.132.65氏は他人の発言について「ことばのすりかえ」などと罵倒する前に、他の編集者の考えを尊重しましょう。ひとの話を聞いてください。古代ウイグルと現代ウイグルとの違いや「連続性」についてはすでに大辞林や森安本などを参照したうえで本文に記述されています。出典ある記述を無根拠に削除するしかしないあなたの編集は「編集」とはいえません。そもそも、「(古代)ウイグルはジュンガルまで」というあなたの意見は、何の出典もないじゃないですか。私は議論において、出典も明示してきましたし、あなたの主張も組み込みながら加筆してきました。それに対してあなたはいつまでもご自身の主張(というよりかは偏見)を繰り返すばかりで、出典も出しやしない。この記事およびウィキペディアはいろいろな編集者が共同で執筆していくものであって、あなたの個人サイトではありません。ご自身の思いは、個人のサイトなりブログで執筆すればよろしい。
- それから、あなたは利用者:Notica sourogiⅤさんですか?利用者:Vigorous actionさんがあなたの推定メインアカウントを利用者:赤雲斗氏と推認されましたが、ノートでの議論を無視して、また他の編集者を無視して、IPアドレスであなたがいくらご自身の偏見を記載しようと企図されても、無駄です。また、アカウントとっても、ノートでの議論をまともにされないのであれば、Category:赤雲斗の操り人形だと疑われるユーザーが増えるばかりではないですか。あなたが元々赤雲斗さんかどうかはわかりませんが、あなたはそもそも、何をされたいのですか?歴史関連の編集への執着をみるに、あなたも一介の歴史ファンないし研究者なのでしょう?Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性をいい加減、読んでください。あなたの主張が歴史的真実だとしても、それが検証可能な出典を持たないものであれば、記事には記述できないのです。でもそうした歴史的真実は、あなたの個人サイトではいくらでも書いていいのですよ。--西方(会話) 2012年5月15日 (火) 08:32 (UTC)
- ジャコウネコ氏へ。1.2.は当然そうでしょう、ユダヤ人と認られる者達の歴史を雑然と包括的に連続して綴ることは出来ても(これ自体怪しいとも思う)、ユダヤの国の歴史を通史で書く事は不可能なのですから。3.及び追記、日本が或はローマ帝国が動乱や内乱による流血を伴う政権・王朝交代をしても連続した国と看做されるように、ウイグルの場合は国土が一定していない点が異なるとはいえ、回鶻・ウイグル可汗国に続く諸政権やそれ以前の部族時代の連続性は認められるのだからその範囲で通史を書けばよろしい(個人的にはモンゴルに組み込まれた時点までがウイグルの記事として適切じゃないの?という気はしますが、意見じゃなくただの感想です)。ウイグル人の記事に現代ウイグルの出来事を記述するのは当然でしょう。4.はちょっと意味が解らないのですが、本家争いとは?ウイグルとウイグル人は別の観念なのだから、それぞれに合った記事を書けばいいのではないですか。
- 追記部分、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅びたが、ルーム人やルームといった観念は東ローマ滅亡以降も残った、しかし当然ながら滅亡以降のルーム人の動向はオスマン帝国の歴史に含まれ、東ローマ帝国の記事には書かれない。古代エジプトとエジプト人、百越と越人、遼・金とモンゴル治下の契丹人・金人、米先住民による国と米先住民、ウイグルとウイグル人も同様。--59.85.59.48 2012年5月17日 (木) 18:38 (UTC)
- Dalaibaaturさんへ、神聖ローマ帝国もローマ帝国の記事に書かないといけない、満州国は満洲民族の記事に書いちゃう?、ついでにルーマニアもローマの記事に含めよう、自称を重視するなら中世イスラム世界は別々の王国や王朝を同一の記事に書くハメになる、大変だろう。
- 西方よ、ジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は見つかったのかい?まともな良識があると主張するなら、人に悪魔の証明を要求せず早く記録を提示すればいい、それさえあれば説明の必要が無いほど簡明かつ決定的なんだからさ。それと、何がウイグルと現代ウイグルの連続性を証明する出典なのか、記事を見ても判らないからどの部分か指示して欲しい。--59.85.59.48 2012年5月17日 (木) 18:56 (UTC)
- コメント「神聖ローマ帝国」と「ローマ帝国」、「満州国」と「満洲民族」、「ルーマニア」と「ローマ」
- ↑これらは(1)自称、(2)現在の所属国や所在国の公式呼称・正式名称、(3)日本語による呼称とも別物.
- コメント 59.85.59.48様。具体的なご回答、ご見解、ありがとうございます。「ユダヤ人」、「ルーム人」、「ウイグル人」等は、民族の系譜はあっても、政治体としての「ユダヤ」、「東ローマ帝国」、「ウイグル」は過去のものであり、断絶している。これらの記事において通史を書くことは適当ではなく、「ウイグル」においても通史を書くべきでない。また、「ウイグル人」には中世までと近現代との間に民族的にも断絶があり、「ウイグル人」の項目においても古代から現代に至る通史を書くのには難があると考える。ということでよろしいか。
- 以下、5点につき、この議論に参加する全ての編集者にご見解を伺いたい。
- 一)「ウイグル_(曖昧さ回避)」を設け、13世紀ないし17世紀までのウイグルの通史と、近現代の「ウイグル人」とに振り分ける件。
- 二)「ウイグル」を「ウイグル人」へ統合し、「ウイグル人」において通史を記述する件。
- 三)「ウイグル」が、必然的に政治体の記事に留まらざるを得ないか否か。
- 四)「ウイグル人」という民族の歴史的な断絶を理由に、「ウイグル」のみならず「ウイグル人」においても古代から現代にいたる通史を書くことを不適当と判断するか否か。
- 五)政治体としての「ウイグル」と民族としての「ウイグル人」は、本質的に違う概念か否か。政治体も民族も、共に実体よりもむしろ帰属意識による想像の産物であるという考え方(ベネディクト・アンダーソン 『想像の共同体』―この人の研究のフィールドは多民族国家であるインドネシアであったが― 以降の考え方)をも踏まえて議論としたい。
- コメント「神聖ローマ帝国」と「ローマ帝国」、「満州国」と「満洲民族」、「ルーマニア」と「ローマ」
--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 01:09 (UTC)
- 言いだしっぺの立場表明として。一)本質的な問題としてではなく、激しい論争および記事の差し戻しの経緯の観点から現実的対応として否定しない。この場合においては、ウイグル人の興した各王朝、安史の乱、ウイグルに関する地理、料理等についても、直接それぞれの単独記事に案内できる体裁が望ましいと考える。二)最も理に適った手法として推薦する。 59.85.59.48氏が1.2.おいて回答した内容について、わたしは一定の理解を示す。ただし、わたしはこれに解釈を加えた上で、「ウイグル人」において民族通史として記事にする発展的解決へとつなげ、通史を否定して「ウイグル」と「ウイグル人」を棲み分けするという後退的な解決には反対する。三)否定する。創生伝承、文化、反乱、解放運動についても各王朝等の政治体と同等に取り上げられるべきであるし、記事にすることが妨げられるべきではない。四)「ウイグル」の名においての帰属を根拠に古代から現代にいたる通史を書くことはおかしくない。また、近代以前は逆に民族としての帰属意識はあまりなかったことは、(現代ウイグル成立直前の記述として)すでに本記事に書かれてある通りであり、通史を書く上での通時代性の根拠が単一である必要もないと考える。五)近代以前は実体としての政治体が国および国民または民族を規定し、現代においては民族または国民は実体よりもむしろ帰属意識による想像の産物として存在する、というのは、ウイグルに限らず、多く普遍的に存在する民族または国民のあり方であると考える。つまり、現在、論争の的となっている古ウイグルと現代ウイグルとの断絶は、民族の在り方の変容として、世界史的に見て決して例外に属するものではないと考える。結論)二においての解決を希望する。同意不調の場合は一において解決する。「ウイグル」と「ウイグル人」とを時代区分により単に棲み分けすることは、西方氏が通史記事を執筆し始めた以上、発展的な解決法ではなく、わたしはこれに組みしない。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 02:13 (UTC)
- 有意の情報を含む記述を、他の編集者の反対にもかかわらず削除の強行を繰り返す編集姿勢に反対。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月18日 (金) 12:48 (UTC)
- IP氏は自分の意見を通したいのであれば、それなりの態度と姿勢が必要となります。多くのユーザーを敵に回す行為や言動では何を言っても無駄です。まず、ウィキペディアというものは誰が見るものなのかを考え、誰が作っているのかを考えましょう。ルールがわからないのであれば誰かに聞いてください。
- 「ウイグル」という表現(カナ表記)は非常に曖昧な表現です。古代のウイグルなのか、現代のウイグルなのか、民族を指すのか、政体を指すのか、地域を指すのか。そういうことを考えると 一)になります。二)でもいいです。「ウイグル」と「ウイグル人」は同義語でもあります。ふたつを分ける意味はなく、「ウイグル人」に統合して通史にしても何の支障もないでしょう。四)「ウイグル人」という表現も、古代のウイグル人なのか、現代のウイグル人なのかわかりません。すなわち記事「ウイグル人」も通史になってもおかしくない表現です。三)、五)「ウイグル」という表現は曖昧です。必ずしも政治体を指すものではありません。--トムル(会話) 2012年5月19日 (土) 01:58 (UTC)
- 「ウイグル」という表現は、古代・現代どちらにも使えますが、「ウイグル人」といったら現代しか使えないような気がします。もし「ウイグル人」に統合するとなれば、現代ウイグル人メインの記事となります。逆に「ウイグル」に統合となれば、古代・現代半々で書くことができ、今の西方氏のような書き方になります。そもそも包括的・通史的記事は必要なのでしょうか。「ウイグル」は曖昧回避にしたほうがいいのではないでしょうか。通史が必要であれば「ウイグルの歴史」を新設した方がいいのではないでしょうか。--トムル(会話) 2012年5月19日 (土) 02:27 (UTC)
- トムル様。「ウイグル」と「ウイグル人」は同義語ですか。なるほど。その線ですと、曖昧さ回避ページの作成または記事の統合を検討する必要がありそうですね。現在は記事の統合を提案しておりますので、合意不成立の場合や議論の主潮が曖昧さ回避の方向に動いた場合は曖昧さ回避ページの作成を検討しましょう。「かつて自然と棲み分けができていた」というだけで明確な定義の差もつけずに「ウイグル」と「ウイグル人」の併存を容認するというのでは、閲覧者や後の編集者が困ると思うのです。「ウイグル」と「ウイグル人」を併存させるなら、議論の経過と結果を残しておく必要があるでしょう。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 03:09 (UTC)
- >また、「ウイグル人」には中世までと近現代との間に民族的にも断絶があり、「ウイグル人」の項目においても古代から現代に至る通史を書くのには難があると考える。ということでよろしいか。
- ジャコウネズミさん、私の書いた文章をちゃんと読みましたか?他の方々もですが、私は「ウイグル人」の項目において古代から現代に至る編年体の出来事(途中が空くとしても)を書くことには何ら反対していない。以下の前提として。日本と日本人が同義でないようにウイグルとウイグル人も重なる部分は多くとも異なる概念。また、「ウイグル人」は古代から近現代まで存在しており、ウイグル民族(もしあるとすれば)ではないから古代に用いても問題無い。
- 一)については、「ウイグル_(曖昧さ回避)」を設け13世紀までの、もしくは17世紀までのウイグルの通史と、古代から近現代までを含む「ウイグル人」、または近現代のウイグル人の出来事に記事を分ける。 二)五でも書いた通り、「ウイグル」に政治体としての確たる連続性がある以上「ウイグル」を削除統合する選択はありえない。 三)創世神話や文化もウイグルの国へ包括される概念なのだから、基本的にそうすべき。突厥・唐・モンゴルに対する独立や反乱の前後ではウイグル集団は維持・継続しているのに対して、ジュンガル・清朝統治を経たウイグル人勢力ではそれを窺えない。 四)適当と思う、強く主張はしない。 五)「ウイグル人」と政治体としての「ウイグル」と民族としての「ウイグル民族」は、重なる部分は多くとも本質的に異なる概念。--42.124.54.119 2012年5月20日 (日) 10:14 (UTC)
- 42.124.54.119様。《四)適当と思う、強く主張はしない。》と言うが《一)については、「ウイグル_(曖昧さ回避)」を設け13世紀までの、もしくは17世紀までのウイグルの通史と、古代から近現代までを含む「ウイグル人」、または近現代のウイグル人の出来事に記事を分ける。》と言っているし、結局、通史は否定しないが、それは少なくとも二部分に分かれる「通史」であって、ウイグル民族の持つ断絶に合わせて通史も一つの記事内で書くな、ということですよね?また、古ウイグルと現代ウイグルの関係性には懐疑的ないしは否定的であると推察いたします。
- 西方氏は一つの記事内に通史を書くからこそ古ウイグルと現代ウイグルの関係性についても示せるのだと仰る。また通史を書く根拠を現代ウイグル人が古ウイグル人の末裔であるとしている検証可能な出典があることにおいておられる。
- ジャコウネズミは、一つの記事内で通史を書くことに賛成している。42.124.54.119氏と似たような見解の裏返しになりますが、これまで、一つの記事内で通史を書くには、ある程度現代の「ウイグル人」(民族)のアイデンティティ、つまり、古ウイグルの末裔であるという歴史観の共有に、通史を書く側も乗っからざるを得ないのではないか、と主張してきた。―(追記)この考え方においては古ウイグルから現代ウイグルに至る通史を一繋がりのものとするにあたり、ジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録を必要としない。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月20日 (日) 12:16 (UTC)―昨日、西方氏と応酬の末、ジャコウネズミは一つの記事内で通史を書くことの論拠として、西方氏の示される「現代ウイグル人が古ウイグル人の末裔であるとしている検証可能な出典があること」にある、という説明に対しても一通りの理解を示した。
- 42.124.54.119氏の《ジャコウネズミさん、私の書いた文章をちゃんと読みましたか?》について。とりあえず読んではいるが、深く読み込んでいるかについては心許ない。誰しも自分が傾聴や熟読に値すると思う言葉しか入ってこないものだと思います故。その点はご容赦願います。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月20日 (日) 12:06 (UTC)
- ジャコウネズミさん、何度も書いたように「ウイグル人」の記事で通史を書くことは否定しない、日本と日本人の記事が共にあるように並立すればよろしい。重複を理由に統合するのは本末転倒で、社会の上部に視点が置かれるウイグルと個々人に視点が置かれるウイグル人は別の観念なのだから、ウイグル人というタイトルに見合う記事(民族意識の中で歴史が重要ならば通史も含めて)にすればいい。現代ウイグル人がウイグル人の血統的文化的な末裔であること、政治集団としてのウイグルがジュンガルにより滅ぼされ(それ以前の被統治時代は政治的動静の分かる史料が存在する)現代に繋がっていない事、現代ウイグル人の民族意識としての歴史は、区別されないといけない。以上、古代~現代の通史が書きたいなら「ウイグル人」の記事中で書けばよいのであって、17世紀に滅亡したウイグルの記事へ混ぜ込んだり統合したりする必要は見当たらない。--222.230.132.65 2012年5月25日 (金) 09:07 (UTC)
- 222.230.132.65様。《社会の上部に視点が置かれるウイグル》という性格を自明であるかのように仰いますが、本項においてそのような共通認識が成立してない事は、記事をお読みになればお分かりになるでしょう。わたしに向かって断定されてもいささかアクションを起こしづらいです。記事「ウイグル」の規定範囲ということで、テンプレートで警告されているような「主題についての論議」にならないよう十分注意したうえで(これは記事内容の向上に寄与しない議論のための議論を避けるためですが)、ご自身で本ノートに話題追加してください。それと、記事「ウイグル」が「社会の上部に視点が置かれ」て書かれるべきとする論拠を裏付ける出典をお忘れなきよう、お願いいたします。
- 《以上、古代~現代の通史が書きたいなら「ウイグル人」の記事中で書けばよいのであって》、はい、その上で統合はナンセンスだと仰るのであれば、通史部分を「ウイグル」から「ウイグル人」へ一部転記することになりますね。(わたしはIPユーザの権限について詳しくないのですが、必要であればログインして)ご自身で一部転記提案をなさることをお勧めします。発案は少なくともご自身でしていただかないと。よろしくご理解ください。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月25日 (金) 12:22 (UTC)
半保護依頼
報告本ノートページについて半保護を依頼しました。理由:同一人物の可能性が疑われる可変IPユーザ(同一プロバイダ:TOKAI-NET、アクセスポイント違い:川越 59.86.116.14、59.86.116.191、59.86.117.146、東京 112.138.252.13)によって議論の体を為さない同様な論旨での執拗な議論の掻き回しが続いており、議論に支障をきたしているため(深刻な荒らし被害であるとし、論争ではないとの見方。発言内容とプロバイダの同一性より、同一人物が可変IPを用いて発言していることが強く推認され、アカウントユーザーや固定IPが通常投稿ブロックとなる事例において、可変IPや捨てアカウントの使用により投稿ブロックの効果を発揮しない場合に該当するとの見方)。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月6日 (日) 15:52 (UTC)
ノート:ウイグル/草稿1 の開設、編集について
「記事ウイグルは古代ウイグルの記述のみにすべき」旨の発言の根拠を失わせるべく、ノート:ウイグル/草稿1を開設し、単独記事がある事項について、Seeテンプレートのみにて案内し、重複する記述を一掃する文案を作成することの是非について、ご意見を伺います。西方様の方針とは全く異なるものであることも承知しておりますので、わたしは少なくとも本記事を多く執筆なさっている西方様及びトムル様のご意見を伺ってから動こうという所存です。ご意見よろしくお願いいたします。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月9日 (水) 01:56 (UTC)(打消し線)--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月10日 (木) 07:48 (UTC)
- 利用者‐会話:西方でも述べましたが、草稿頁にせよ、ジャコウネズミさんによる編集参加は、まずは歓迎します。しかしむろん、「重複」についてはすでに私とあなたとでは感覚なども違うことが議論で明らかになっていますので、「重複」の件について、もっと議論をつめる方が、二度手間を省くことになるかと思います。(草稿頁の作成そのものには異論ありません)
- また、ジャコウネズミさんの提起される「(IP氏の…)発言の根拠を失わせるべく、重複を編集する」というのは、私は重複問題の編集はまた別の編集・案件であると思いますので、もう少し議論をつめるか、あるいはIP氏の件が終了してからにしてほしく思います。
- 重複編集の目的であるIP氏の編集ないし主張についてですが、いまいちどIP氏の主張を解析しますと、私はトムルさんの出された森安本の該当記述を「概要」ないし「定義」節で加筆すれば事足りると思っています(これについては近日中に加筆します)。IP氏は議論の仕方に問題があるし、またご自身の知識の出典を明示されないですが、古代のウイグルと現代でのウイグルとの「相違点」があるのは私も当初より知ってはおりました。ただ、どこにそれが書いてあったのかを失念していたのです。それもあってIP氏に出典をお願いしていたつもりだったのですが、しかしIP氏はご存知のように出典のある記述の大量削除とはぐらかしばかりされるばっかりで、こういう騒ぎになってしました。とはいえ、今回の議論のおかげでより明確にウイグルについて認識することができたのでそれはよいことだったと思っています。
- また、IP氏の本記事に関する主張のうち「現代ウイグルについてはウイグル人で」という「棲み分け」の主張ですが、これはまったくもって無根拠ですし、不合理極まりない主張です。記事名からしても、まったくよく意味のわからない主張です。いずれにしても、IP氏の主張されたい「古代と現代ウイグルとの相違点」については、加筆で十分対応できます。
- 以上、
- 1)古代ウイグルと現代ウイグルとの相違点・意味の違いの加筆
- 2)「現代ウイグルについてはウイグル人で」という「棲み分け」主張の破綻の指摘
- の二点をもって、ジャコウネズミさんの重複編集の「目的」は達成できると思います。この意味において、「重複」の編集は、別の案件であると思います。
- あと、これも推定ですがIP氏は中国語版を翻訳しているのかもしれないとも思いました。もしそうであれば、その旨明記するなり、あるいは中国語書籍でも出典として明記されたりすれば、まだ建設的だったのですが。とはいえ、中国語出典があったとしてもIP氏の2)の棲み分けの主張の根拠ともなりませんが。--西方(会話) 2012年5月9日 (水) 09:13 (UTC)
- いま記事を見直しましたら、ジャコウネズミさんが森安本をもとに冒頭文を加筆されておられましたね。私はテュルク系民族の話からの「概要」「定義」節を東トルキスタンの問題含めて、まとめたいと思います。--西方(会話) 2012年5月9日 (水) 09:33 (UTC)
- 私はもう少し他の人の意見を聞いてから動こうと思いますが、とりあえず私の意見としては、
- 記事「ウイグル」は古代から現代までのウイグルを包括的かつ簡潔的に記述したものにする。
- 古代ウイグルについては「回鶻」、「甘州ウイグル王国」、「天山ウイグル王国」等の記事にまかせる。
- 現代ウイグルについては「ウイグル人」の記事にまかせる。
- 今のところはこんな感じです。ところで西方氏が「現代ウイグルについてはウイグル人で」というのがダメというのは、記事「ウイグル」で現代ウイグルを済まし、記事「ウイグル人」をなくすということですか?--トムル(会話) 2012年5月9日 (水) 15:46 (UTC)
- 私はもう少し他の人の意見を聞いてから動こうと思いますが、とりあえず私の意見としては、
- 1はまったく同意です。2は、本記事には各項目についての概要は必要でしょう。また、ジャコウネズミさんと「重複」の問題が議題になっていますが、たとえばsee alsoなどのテンプだけで節にしてあるような状態ですと、ひとによっては「内容なし」として削除される方もおられます。重複については時々他の記事などもで議題になりますが(例えば被曝)、すくなくとも概要、最低限の情報のまとめは本記事に必須でしょう。
- 3については、なぜトムルさんがそれを提案されるのか、分からないので、その理由を説明していただければと思います。私の考えでは、ウイグル人とは、ウイグル民族についての記事であるべきで(繰り返しの例示ですが日本-日本人-大和民族。またはチベット-チベット人など)、「ウイグルの現代史」または現在の問題などについて「ウイグル人」に記載(移動)という提案は、私にはまったく了解できません。そもそも、それですと、1と矛盾するでしょう。今回のIP氏とのやりとりで明確になってきたのは、「ウイグル」ということについてやはり一般的な理解が得られていない(私も勉強中です)ということで、ウィキペディアの方針からしても、簡潔に本記事に関連情報がまとめられてあることがリンクをたどっていくうえでも最善だと思います。ウイグル人とウイグルとの統合の件については、私は統合は考えておりません。ただし、現在のウイグル人はまだスタブ記事なので、加筆が必要だと思われます。なお、本記事を親記事としたうえで分割ないし移動していくとすれば、ウイグルの歴史、ウイグル問題が新規立項されるとよいと思われます(その場合でも最低限の概要は本記事にあるべきですし、私は少なくとも現在の該当記事の分量を減らす必要はないと思います。もし減らすべきとお考えであれば、その理由を説明していただければと思います)。後者の「ウイグル問題」についても、いろいろ微妙かつ難しい問題があり、現在のウィキペディアのウイグル関連の記事だと、中共政府の新疆地区政策を批判しているものすべてが「ウイグル独立運動」といったような誤解をまねくような状態です。実際には、独立を特に求めていない運動もありますし、またそうした運動すべてが東トルキスタン独立運動というわけでもありません。しかしながら、この新規立項については、現在の本記事の分量ですとまだまだ不足していると私には思われますし、繰り返しになりますが、私は、本記事の情報量は、内容の複雑さなども鑑み、最低でも10万バイト以上は必要であると思います(20万バイト以上でも無論いいですが)。現時点ではまだ86,473バイトにすぎず、各下位記事へのリンクとしてもいまだ不十分です。なお日本は現在255,297バイト、チベットは71,188バイトですがチベットの歴史は100,113バイトで、この2つは元はチベットにあったものが分割されたものです。他インドは104,244バイト、アメリカ合衆国は150,373バイト、中華人民共和国は105,389バイトとなっております。これらはあくまで参考にすぎませんし、「本記事の分量が多すぎる」というようなことがもしあれば、それはそれで議論すべきでしょうけれども、記事の精度を増すために情報量が増えることは私は好ましいことだと思っています。なお、将来、加筆が進み、可読性を損ねるようなことがもしあるとすれば、その場合も、脚注化など、圧縮・短縮などによって対処できるでしょう。すみません、特に記事の分量が議題になっていないのに、説明してしまいました。--西方(会話) 2012年5月9日 (水) 17:10 (UTC)
- つまり、記事「ウイグル」は歴史・文化・地理などを包括した記事で(「チベット」のように)、記事「ウイグル人」は古代から現代までのウイグル人についての記事ということでしょうか?例示がわかりません。記事「チベット民族」にしても現代チベット人についての記事ですし(歴史的な部分は「チベットの歴史」にまかせてあって)、記事「日本人」と記事「大和民族」の違いもいまいちわからないですし、どういうことですか?今の状態だと記事「ウイグル人」は現代ウイグル人についての記事で、歴史的な部分は「ウイグルの歴史」を新設して記す。…みたいに聞こえますが。
- 本記事「ウイグル」の在り方は、ほぼ包括案で固まってきました。記事「ウイグル人」はどういった在り方なのですか?--トムル(会話) 2012年5月10日 (木) 03:56 (UTC)
- あくまで、いま現在の議題としては、本記事ウイグルとウイグル人との「住み分け」が問題であり、これはもとはIP氏の主張でしたが、現在はトムルさんが主張されておられるわけですよね?そのあたりもよくわからないのですが、IP氏は、本記事は「古代ウイグルのみとし、現代のウイグルについてはウイグル人へ」と主張し、それについては、私もトムルさんもまた第三者の方々も反対されましたよね。それで、いま現在は、トムルさんが3で「現代ウイグルについては「ウイグル人」の記事にまかせる」と、トムルさんが反対されていたはずのIP氏と同一の主張をされています。これがまずは私にはわからないです。
- 例示についてですが、他の記事(チベット、日本関連)でもでもそのあたりは厳密に区分け(住み分け)されているわけではない、ということがいいたかったわけです(これはまたジャコウネズミさんの懸念された「重複」についての答弁でもありますが)。そもそも記事「ウイグル人」については、ノート:ウイグル人で本来行うべき議論と思いますが、あえていいますと、繰り返しになりますが、記事「ウイグル人」については、私は「ウイグル民族」の民族の系譜やその系統分析などについてのものと位置づけた方がいいと思います。しかし、いま現在、「ウイグル人」の記事の性格をどこまで確定すればよいかは私にもわかりません。本記事「ウイグル」は包括的・総合的な記事であり、記事「ウイグル人」の現在の記事内容も包括して組み込める性格ではありますから、たしかに、こういう具合に議論がこんがらがるのであれば、いっそ統合した方がいいのかもしれませんが。
- トムルさんは「記事「日本人」と記事「大和民族」の違いもいまいちわからない」とおっしゃいますが、たしかにそういう見解を持つひともいるかと思いますし、私も厳密にいえば、わからないといえばわからない。しかし、「日本人」と「大和民族」は、それぞれの言葉が指し示す内容に重複するところが多くても、両者はやはり別々の言葉であり異なる概念だと思います。太平洋戦争と大東亜戦争というように、呼称について明確に違うのであれば、たしかに「住み分け」はしっくりくるとは思いますが、それでもやはり内容はどうしても重複してしまいます。しかし、そうした重複は、内容が完全に同一でもない限りは特に禁止されているわけでもないし、それぞれの項目において加筆が進んで行くのはそれはそれで仕方ないのではないかと思います。ここは井戸端などでも提起するといいかもしれませんが、これまで私が編集および編集議論の経験のなかで知った限りでいいますと、結局はそれぞれの事案については、個別に議論し、合意していくほかはないでしょうね。統合案は置くとして、「ウイグル」と「ウイグル人」とでは、記事名の表記としては「人」があるかないかの違いがあります。しかし、本記事でも「ウイグル人」について概説するともありますし、そのこと自体は問題ないとはいえ、こうして「住み分け」を厳密に確定するかしないかという話しになると、どうしても議論が難しくなってきますね。たしかに、いっそ、統合することは解決のひとつではあるとは思いますが、私自身は、上記しましたように、いま現在「ウイグル人」記事の性格を厳密に確定する必要はあるとは思っていません。
- トムルさんの提起された1と3との矛盾については、いかがなのでしょうか?つまり、なぜ「現代ウイグルについては「ウイグル人」へ」と提案されるのですか?たとえばいま現在、「ウイグル問題」節がありますが、これは一般には「現代のウイグルの問題」ということですが、これは「ウイグル人」に移動すべきとお考えですか?だとすると、その理由と根拠を示していただきたく思います。いま、トムルさんと私との間で、議論の行き違いが発生しているかと思いますが、まずはトムルさんが3点を提案され、それについて私がコメントおよび質問したわけですから、それにお答えいだけないと、この議論は平行線のままです。--西方(会話) 2012年5月10日 (木) 07:01 (UTC)補正。--西方(会話) 2012年5月10日 (木) 07:05 (UTC)
- まとめますと、今現在のトムルさんと私との議論は、
- の解決策があるかと思います。私はC)を主張します。なお、ウイグル人で古代まで記載するかについては、これまでに議題ともなってきた古代ウイグルと現在のウイグル人との違いについては、記載あるべきでしょうが、あくまでそれは「民族」の問題として記載されるべきでしょう。古代、唐の時代の古代ウイグル帝国の歴史については、まずは本記事に概史があればよく、ウイグルの歴史の新設については、「もし本記事の分量が多いのであれば」、ウイグルの歴史の詳細についてはそういう移動もありえるという話しです。ただ、いま現在、私はウイグルの歴史の新設を考えているわけではないので、これは提案ではありません(わかりにくくてすみません)。--西方(会話) 2012年5月10日 (木) 07:19 (UTC)
- コメント本項目と他の記事との内容の重複に関する問題と、記事同士の棲み分けの問題及び「IP氏」の言動の問題を其々峻別することを約束いたします。提案本旨に関わる部分に打消しを入れることをお許し願います。わたしが草稿ページを構想する理由については、以降、「本項目における記述を簡潔にしても百科事典として充分読みやすい記事を編纂可能であることを立証し、加筆による記事拡充の対案として提示するため」といたします。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月10日 (木) 07:48 (UTC)--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月10日 (木) 07:48 (UTC)
私の主張はとりあえず、この記事と無関係なので、ノート:ウイグル人に移動したいと思いますが、私の言っていることはジャコウネズミ氏と同じことで、本記事は簡潔な記事(ハブ的な記事)、各項目は各主記事にまかせる。と言っています。1と3において矛盾は生じておりません。つまり、「現状維持でいいのでしょうか?」と問うたわけで、記事「ウイグル人」を「何が何でも現代ウイグル人の記事にしたい」というわけではありません。もしかすると、何か誤解されているようなので、もう一度書きますが、
- 記事「ウイグル」は古代から現代までのウイグルを包括的かつ簡潔的に記述したものにする(ハブ記事にする)。
- 古代ウイグル(回鶻、甘州ウイグル王国、天山ウイグル王国)については「ウイグル」で簡潔に記し、「回鶻」、「甘州ウイグル王国」、「天山ウイグル王国」等の主記事にて詳細に説明する。
- 現代ウイグルについては「ウイグル」で簡潔に記し、「ウイグル人」の主記事にて(古代からの概要も記して)詳細に説明する。
これだと伝わりますでしょうか?以降はノート:ウイグル人にて話し合うとして、この項は草案の項に戻したいと思います。ご迷惑をおかけしました。--トムル(会話) 2012年5月10日 (木) 10:13 (UTC)
- どこですれ違っているのでしょうね。ちょっと話しを戻させてください。ジャコウネズミさんは「加筆による記事拡充の対案」として記事間の親子関係をいっております。私として、その「親子関係」ないし主従関係そのものについては異論ありません。しかし、本記事には、「簡潔に」とはいえ、相応の概要(まとめ)情報は必要です。その限りにおいて、さらなる加筆は必要でしょう。ですので、「加筆による記事拡充の対案」というときに、もうこれ以上の加筆はダメというのであれば、それには私は合意できません。やはりこれ以上は、具体的に本文のどの箇所(加筆)が問題かを個別に指摘していただかないことには、話しは進展しないと思います。
- それで、トムルさんはジャコウネズミさんと「同じ」とおっしゃいますが、<本記事を「親記事」=簡潔な記事(ハブ的な記事) とし、各項目は各主記事にまかせる>という原則については私も反対はないのです。
- しかしながら、トムルさんは3で「現代ウイグルについては「ウイグル」で簡潔に、「ウイグル人」の主記事にて詳細を」とされています。そのときいう「現代ウイグル」とは、「現代のウイグル人一般」を指すのか、それとも、政治・運動といったことも含めてなのですか?もし「現代ウイグル」の意味が、テュルク主義から東トルキスタン独立運動、中共による再併合以降のウイグル問題にいたるウイグル現代史のすべてをウイグル人へ、ということでしたら、私はそれには反対します。ノート:ウイグル人でのトムルさんの書き込みを見る限りは、私との間で特に議論のすれ違いもないように感じるのですが。
- トムルさんにせよ、ジャコウネズミさんにせよ、現在の本記事の状態が問題だと思っていらっしゃるわけですよね?ジャコウネズミさんは「重複」を問題視され、草稿を作成される、といっております。しかし、「重複」については上記してきましたように、私は、「問題のある重複」とは思いませんし、またウィキペディアの記事一般でも、一定の重複は仕方ないことではないかと思います。例示を出しても余計、伝わりにくいのかもしれませんが日本記事に 日本#歴史があり、ごく簡潔の概要があります。日本の歴史はさらに詳細に記され、またさらに各記事へのリンク記事となっています。これらは重複していますが、記事間の親子・主従関係がくっきりと分けられています。この例示でいいますと、現在の本記事の分量が多いとおっしゃるのであれば、ウイグルの歴史を新設しては、といったのですが、ウイグルの歴史つまりは通史ですね。その記事がない以上、本記事でそれが記載されるのでいいと私は思うわけです。回鶻、甘州ウイグル王国などの記事で詳細を記す、それはいいです。しかし、古代テュルク系遊牧民の歴史〜ウイグル帝国〜モンゴル帝国時代〜清朝〜ロシアとの折衝〜中共(現在)にいたる通史の概史は本記事には必要でしょう。
- 何度もすみませんが、トムルさんが現在の本記事ウイグルの記述を問題だと思われるのであれば、具体的な節、文を指摘くださいますようお願いもうしあげます。--西方(会話) 2012年5月10日 (木) 12:55 (UTC)
- 本記事について私としてはほぼ文句はありません。私が疑問に思ったのは記事「ウイグル人」の在り方についてだったので。しかし、敢えて申しますと、歴史・近世・近現代の項がみづらいことと(==歴史==の中に古代・近世・近現代を======で入れたほうがいい)、歴史の項の高車以前の歴史が必要なのかということ(もう少し削るかしないとテュルク系民族のことを扱っているようにみえます)、ウイグル問題の項が長いかなということ(もしくは独立させるか)くらいです。--トムル(会話) 2012年5月10日 (木) 14:01 (UTC)
- さようでしたか。それでしたら、私は無闇に説明していたことになりますね。どうもすみません。ご指摘のありました節の組み込みは後に編集します。高車以前についてもあらためて検討したく思います。ウイグル問題についてもいずれは新設しないといけないかなと思っております。そうなりますと、「住み分け」の件は、本ノートでの議論としては、終了ですね。あとはノート:ウイグル人で、もし何かありましたら私も発言します。お疲れさまでした。
- トムルさんとのやりとりのうち、とりわけ重複問題についての私の発言は、ジャコウネズミさんも読まれると思い、発言しています。もし、私の答弁等でまた何か問題ありましたら、ご指摘ください。--西方(会話) 2012年5月10日 (木) 15:33 (UTC)
- 更新されていく編集を無視した版の度重なる投稿と差し戻し、「ウイグル人」との比較及び推敲という当初の予定とは別の目的においてノート:ウイグル/草稿1を開設、編集してきました。わたしが重複を問題とするのは、どちらを読んだらいいかわからない、どちらを編集したらよいかわからない、という問題の他に、記事を更新するのに本記事と単独記事の両方を更新する必要が生じ二度手間となる、重複する記事を書く能力と労力があったら先に存在する単独記事を充実させるべき、という論拠があります。わたしの側は「重複をばっさり切っても読みやすい記事は作成できる」と大見得を切ったはよいものの、被支配時代の歴史については支配者側の国家の記事に内容を任せるわけにいかず、これを温存して「輝かしい歴史」をSeeテンプレートで単独記事へ案内してばっさり切ってしまうとバランスが余りに悪い、というところで躓いています。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 03:30 (UTC)
確認事項(著作権について)
本項のうち、創生伝承の記述(初出2010年7月19日 (月) 03:24 (UTC) 時点における版投稿者トムル氏)の出典からの引用が、著作権法上問題ない範囲の引用であるか否かについて。問題があれば、「ウイグル」の以降の版及び「ノート:ウイグル/草稿1」の全版について、削除提案せねばならない。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月13日 (日) 06:35 (UTC)
- 著作権の保護期間は「著作者の死後50年」(ベルヌ条約7条1)ですから、ドーソンに関しては問題はないと思われます。あるとすれば、翻訳文についてのものでしょうかね。この件については、確認がとれるまで、いちどコメントアウトする方がよいかもしれません。なお、私も当該箇所については、原文はあくまで「引用」にとどめ、本文のなかに組み込む方が適切であると思います。--西方(会話) 2012年5月13日 (日) 13:18 (UTC)
- あらためて現在の版を読み直しましたが、説明文の本文がありますし、引用に該当すると思います。ですので、著作権上の問題はないと考えます。また、「本文と引用」についてですが、私は本記事全文が「本文」にあたり、したがってその意味でも該当箇所は「引用」です。なお、ウィキペディア上で著作権問題に触れるものというのは、記事全面にあたって転載されたもの、または引用文と本文が関係上転倒しているものの場合だと思いますが、本件はそれにはあたらないと思われます。--西方(会話) 2012年5月13日 (日) 13:45 (UTC)
- 了解しました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月13日 (日) 13:51 (UTC)
「民族・定義」節加筆
これまでのIP氏を含めた皆様との上記議論をうけて、IP氏がしきりに主張された「現代ウイグルと古代ウイグルの違い」について、出典に基づき、加筆しました。今回の編集議論をうけてあらためて思いますのは、「ウイグル」というときに、「現代ウイグルと古代ウイグルの違い」というのは難しい問題であること、そしてやはり一般には専門的な内容であることです(民族の定義などにも踏み込む問題のため)。だからこそ、本記事には「現代ウイグルと古代ウイグルの違い」については明記される必要があります。
なお、「民族・定義」節は、後半の「現在の人口構成」などについては整理する必要があるかと思いますが、この「現代ウイグルと古代ウイグルの違い」については現状の記述で十分で、これ以上の加筆は特に必要ないと思っています。--西方(会話) 2012年5月13日 (日) 16:14 (UTC)
- また、別件ですが、「歴史」節の加筆も再開しておりますが、やはり「通史」は必要で、より詳細なものが求められると思います(たとえばジュンガル時代の動向について本記事ではほぼ記載がない)。将来、加筆が進み、可読性および記事全体のバランスが失われると認められる場合に、あらためてウイグルの歴史への分割という可能性もありますが、現在はいまのまま編集を続行したく思っています。--西方(会話) 2012年5月13日 (日) 16:49 (UTC)
- 別件のほうの件で。2012年5月1日 (火) 21:24 (UTC) の版(投稿者:59.86.116.191)と 2012年5月10日 (木) 16:56 (UTC) の版(投稿者:Notica sourogiⅤ)は全く同内容ですが、歴代指導者の一覧のうち、「チャガタイ汗国領・明領」について加筆されているので、検証可能性を吟味したうえで参考にされたい。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月13日 (日) 17:12 (UTC)
- 「定義」の文面について意見・提案を述べる場所はここでいいのかな?現在の文面は
- その後裔とも[2]20世紀の政治的必要性からの名乗りともされる[3]現在中華人民共和国の統治する新疆ウイグル自治区やカザフスタン・キルギス・ウズベキスタンなどに居住するウイグル人がいる。
- となっています。定義の文面で、「後裔とされる」「政治的必要性からの名乗りともされる」とふたつも「仮説」が利用されていますが、「議論の余地のない客観的事実」のみで簡潔・明瞭な描写は可能であり、このふたつの仮説は本文で言及すればよいと考えます。以下、私の考える「“議論の余地のない客観的事実”のみで描写された簡潔・明瞭な定義」の提案です。
- 前半部の「狭義には」という部分も、定義部には不要と思います。「価値判断」が入っているため。これも本文のほうで言及すればよい。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月19日 (土) 20:53 (UTC)
- 「定義」の文面について意見・提案を述べる場所はここでいいのかな?現在の文面は
- 異議なし。ただし、脚注は付与した方がいいと思います。--西方(会話) 2012年5月20日 (日) 08:35 (UTC)
- 自称後裔も含むとする説を脚注にて付記する条件付きで文案については全面的に賛成。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月20日 (日) 12:52 (UTC)
- 「後裔とされる」「自称後裔も含むとする説」および「政治的必要性からの名乗りともされる」を「脚注」にというご意見ですが、これらの項目は、
- 【後裔とされる】【自称後裔も含むとする説】【政治的必要性からの名乗りともされる】
- これっぽっちの内容を「脚注」にいれてお茶を濁すのではなく、本文において、独立した節をたてて、しっかりと言及すべき特筆性を有していると考えます。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月22日 (火) 15:17 (UTC)
新しい項目が乱立して読みにくいのですが、今から言う質問はここでいいのでしょうか?
- 通史を書く際、ヤルカンド・ハン国時代(ウイグル人国家である出典がほしい)、ジュンガル時代、清代など、「ウイグル」の名が消滅した時代(ウイグルがいない時代)を詳細に書く必要はあるのでしょうか?(たとえば「時は流れて20世紀…」みたいな感じでいきなり「ウイグル呼称の復活」ではダメなのでしょうか)
- 「ウイグル」の名が消えたのはいつなのでしょうか?
--トムル(会話) 2012年5月20日 (日) 17:04 (UTC)
- トムルさん、あなたもおっしゃるように、現在ノートで行ったり来たりしている状態でわれわれ議論参加者にとってさえもみにくいので、新しい節を一番下に設けましょう。これに同意される場合は、あなたと私のこの書き込みは斜線で消して「下記節へ移動」と記されるといいと思います。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 04:10 (UTC)
下記節へ移動。--トムル(会話) 2012年5月21日 (月) 12:26 (UTC)
- 上で提案している「定義文の一部修正案」を撤回します。西方氏が準備しておられる改訂に期待。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月27日 (日) 02:09 (UTC)
同一傾向の大量削除編集について
同一人物であるかは不明ですが、編集内容の傾向からして、同一人物とおぼしきものによる記事の大量削除の編集が続いていますが、一定期間の全保護を含め、対処を行います。--西方(会話) 2012年5月14日 (月) 16:53 (UTC)
統合提案
提案 「ウイグル」を「ウイグル人」へ統合する件。(追記:「ウイグル人」 を 「ウイグル」へ統合するのは下記理由に合わないが検討対象とする)--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 14:51 (UTC)
- 理由: 記事「ウイグル」において古代から現代に至る被支配時代を含む通史及び創生伝承、民族、言語、文字、文化、宗教並びに民族問題を包括して叙述するにあたり、その根拠を「ウイグル人」という民族的概念に拠らざるを得ないため。
- 注1: 地理及び資源については新疆ウイグル自治区を含む各関連独立記事に委ねる。
- 注2: その他の記事のありようについては#「ウイグル」の意味合いについてにおいて議論継続中。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 05:08 (UTC)
- 「ウイグル人」を「ウイグル」に統合するならまだしも、その逆は反対。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月18日 (金) 12:40 (UTC)
- Dalaibaatur様。一応、「ウイグル人」を「ウイグル」へ統合することも視野に入れることとします。しかし、このこちらの方が良い理由は何でしょうか。当初提案の論拠は、記事「ウイグル」において古代から現代に至る被支配時代を含む通史及び創生伝承、民族、言語、文字、文化、宗教並びに民族問題を包括して叙述するなら、必然的にその根拠を「ウイグル人」という民族的概念に拠らざるを得ないことに拠っているのですが。本記事の現状の通史は政治主体を基準とした歴史ではなく、「ウイグル人」の民族通史になっていると判じます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 14:51 (UTC)--(追記)また、創生伝承、民族、言語、文字、文化、宗教並びに民族問題も、「ウイグル人」という民族に関する記述であると判じます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 15:13 (UTC)
- 「ウイグル人」を「ウイグル」に統合するならまだしも、その逆は反対。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月18日 (金) 12:40 (UTC)
- 参考: 統合した際の青写真をノート:ウイグル/草稿1(基本的に合体させただけ)およびノート:ウイグル/草稿2(地理、料理を独立記事に全面的に委ね、指導者の項を推敲、本文中のリダイレクトへのリンクを解消したもの)として示す。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月18日 (金) 14:51 (UTC)
「ウイグル」という表現は、古代・現代どちらにも使えますが、「ウイグル人」といったら現代しか使えないような気がします。もし「ウイグル人」に統合するとなれば、現代ウイグル人メインの記事となります。逆に「ウイグル」に統合となれば、古代・現代半々で書くことができ、今の西方氏のような書き方になります。そもそも包括的・通史的記事は必要なのでしょうか。「ウイグル」は曖昧回避にしたほうがいいのではないでしょうか。通史が必要であれば「ウイグルの歴史」を新設した方がいいのではないでしょうか。--トムル(会話) 2012年5月19日 (土) 02:25 (UTC)
- 「ウイグル」に関する包括的・通史的記事の必要性については西方氏の見解を待ちたいところですが、以下の内容についてはすでに単独記事が存在します。東トルキスタン、新疆ウイグル自治区、天山山脈、ジュンガル盆地、タリム盆地、東トルキスタン独立運動、ウイグル人、ウイグル語、ウイグル文字、ウイグル料理、狄、中山国、丁零、テキ魏、高車、鉄勒、回鶻、安史の乱、甘州ウイグル王国、天山ウイグル王国、ヤルカンド・ハン国。現在「ウイグル」の通史で他の記事を重ならない記述はa)ウイグルの創生伝承と、b)ウイグルの被支配時代の歴史、c)ウイグルの歴代指導者の一覧だけかと思います。c)は単独立項可能、a)は単独立項すると引用が全てのような記事となり著作権との兼ね合いが懸念される、b)は通史以外で単独立項する妙案がわたしには浮かばない、といったところです。a)、b)の問題が解決すれば、曖昧さ回避ページにて年代等を記述の上読むべき記事を案内すれば、通史記事も包括的記事も不要と考えます。わたしとしては、ウイグル(人)の被支配時代の歴史を無視できないと考え、内容の重複が多い通史を本意ならずとも容認している状況です。本記事において包括的・通史的記事を書く力があるのなら、関連する其々の単独記事の内容を充実させることに力を注いでいただきたい、というのが本音です。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 03:12 (UTC)
- 「ウイグル」に関する単独記事というのは、
- 政治的(古代)…回鶻、甘州ウイグル王国、天山ウイグル王国
- 政治的(現代)…東トルキスタン共和国、新疆ウイグル自治区、東トルキスタン独立運動、世界ウイグル会議、東トルキスタン共和国亡命政府
- 文化的…ウイグル語、ウイグル文字、ウイグル料理
- 地域的…東トルキスタン、ジュンガル盆地、タリム盆地
- 民族的…ウイグル人
- です。その他(狄、中山国、丁零、テキ魏、高車、鉄勒、天山山脈、安史の乱など)は除外。
- 「ウイグルの創生伝承」は回鶻に組み込むか、回紇部を創設して組み込むか(前者でいいと思いますが)。「ウイグルの被支配時代の歴史」というのはウイグル自体、独立・服属を繰り返しているので、「通史」でなければ書き表すことができないことであり(「被支配時代」というのは、柔然時代,突厥時代,唐の時代,西夏時代,西遼時代,モンゴル時代…中華人民共和国)、実際IP氏のいうように、古代ウイグルはモンゴル時代までで一旦断絶し、ウイグル人としてのアイデンティティーは一旦消え去っており、そもそも「被支配時代」は何を指しているのかがわからない。「ウイグルの歴代指導者の一覧」は記事「ウイグル」があって初めて成立する項目だと思いますので、あってもなくてもどちらでもよいと考えます。--トムル(会話) 2012年5月19日 (土) 04:20 (UTC)
- 「ウイグル」に関する単独記事というのは、
- 反対 下記の理由につき反対します。
- まず、統合についてですが、もし統合する場合としても、記事の現状からいって、ウイグルにウイグル人を統合すべきでしょう。理由は、前者の方が情報量も多いからですし、そもそも「ウイグル人」を統合先にする理由が私にはわかりません。
- 通史の記事は必須でしょう。古代から現代にいたる「ウイグル」の相違点があるからこそ、その相違点と関連性を明示するためにも。
- さて、草稿をみましたが、otherusesが多すぎです。ここまでotheruseが多い記事は私は見たことがありません。これでは「曖昧さを回避」するどころか、閲覧者に対して不親切としかいいようがありません。可読性も損なわれています。そもそも、いちいち、各個別記事をみてまわることと、ひとつの記事で一覧できるのとでは、後者の方が可読性が高いでしょう。
- 重複については、上の別節でも再三繰り返しましたが、日本と日本人を統合すべきですか?チベットとチベット人を統合すべきですか?他にもいくらでも例示をあげることはできますが、現在のウイグル記事に、構造的な欠陥があるとは思われません。
- それからトムルさんの「曖昧さ回避ページ」案ですが、「曖昧さ」とはなんの曖昧さでしょうか?古代と現代ウイグルとの関連?東トルキスタンと新疆?あるいは北斗の拳の登場人物との関連でしょうか?「曖昧さ」を回避することができるのは、「東トルキスタン」と「新疆」との問題にせよ、それらとの「ウイグル」との関連の複雑な歴史や関連性を、本文において明記することだと私は思います。
- そもそも「ウイグル」と「新疆」と「東トルキスタン」はまったく別々の概念です。倭国が「日本」を指すからといって、日本に統合するような話にしか思われません。他にも細かい問題が提起されておりますが、それを一気に扱うと混乱するので、とりあえずコメントします。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 05:08 (UTC)
- 補足します。倭国関連でいうと、倭、倭人、大和、大和 (曖昧さ回避)などがあります。それぞれの記事のすみわけについては、ひとつひとつをまずはご覧いただきたく思いますが、「厳密に統合する」観点からすれば、これらを統合するような話にも思えるわけです。「すみわけ」の問題は、これら倭国関連ページのように、それぞれが存在することで「すみわけ」となるわけで、ウイグルの記事を削除(破壊)して、「各リンク先の個別記事を参照」のような提案には、まったく賛同できません。
- ウイグルは、各個別の記事の親記事として存続すべきです。
- それから大和関連の例でいうと、ウイグル (曖昧さ回避)ページを別に作ることが考えられます。これでしたら、賛同できます。ほか、ウイグル関連の新規記事の立項(ウイグルの歴史ほか)でしたら、私も賛同できます。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 05:18 (UTC) 微調整--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 05:44 (UTC)
- 反対 下記の理由につき反対します。
- 西方様。統合する場合は、前者の方が情報量も多いからウイグルにウイグル人を統合すべき、という論旨はいただけません。多く書いたもの勝ちなのですか?そんなことでは決してないと考えます。他の論点で論じましょう。次いで、Otheruseslistの項目の多さについてはあくまで草案なのでどういう意見があっても結構です。曖昧さ回避ページの試案として作成したノート:ウイグル/草稿1についても同様。意見は尊重しますが、統合提案の本質とは関係ないことをご認識の上でのご発言ですよね?確認まで。次に「被支配時代」について。《「被支配時代」というのは、柔然時代,突厥時代,唐の時代,西夏時代,西遼時代,モンゴル時代…中華人民共和国》。はい、わたしはそういう認識で申し上げております。意味が通じているではありませんか。「被支配時代」は何を指しているのかがわからない、というのはあなたの詭弁でしかありません。
- では、本題に戻りましょう。
- 古代から現代にいたる「ウイグル」の相違点があるからこそ、その相違点と関連性を明示するためにも通史の記事は必須。この見解は論理的かつ合理的です。そのご見解をお待ちしておりました。わたしも納得します。
- 可読性について。その記事を読めば概要が分かることだけが可読性とは思いません。最も調べたい内容にどれだけスムースにたどり着けるか、という観点と総合したうえでお互い検討しませんか?
- 重複について。各独立記事との重複をあえてして(しなければ可読性が損なわれるという趣旨ですよね?)通史を書くのであれば、統合先の記事名は差し置いても「ウイグル」と「ウイグル人」を統合して、この2記事における重複は最低限避けるよう努力しませんか?
- 統合先について。当初提案において「ウイグル」を「ウイグル人」へ統合、としたのは、「ユダヤ」の通史はないが「ユダヤ人」の通史は書ける、というのと同じ論理から発したものです。「ウイグル」の通史は結局、古代における古ウイグル人と、現代において民族意識の高まりとともに想起された現代ウイグル人との関係性に踏み込んだ「ウイグル人」と称される民族の通史に帰着する、というのがわたしの論旨です。西方様。断絶を繋ぎ合わせる民族のアイデンティティを前提とせずに、あなたはどういう論理および根拠のもとに古代から現代に至る通史を執筆しておられるのか?きちんとした説明がなければわたしもウイグルはモンゴル時代までで一旦断絶したものとし、通史を書くこと自体に懐疑的な立場を取らざるを得ませんよ?「ウイグル」と「ウイグル人」の関係性は、「ユダヤ」と「ユダヤ人」の関係性とは逆転した位置づけにある、あるいは「ウイグル」より「ウイグル人」の方が現代に限られるという意味で一般に狭義に用いられる、ウイグル民族のアイデンティティをより明確に示す語は「ウイグル人」よりも「ウイグル」である、ということであれば、「ウイグル人」を「ウイグル」へ統合、で大いに結構です。ちなみにトムル氏は#「ウイグル」の意味合いについてにおいて、この二つは本質的に同義である、と仰っています。とにかく話題をそらさない的確なご回答を早急に頂きたい。でないと「IP氏」に対してだって示しがつきませんよ。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 06:12 (UTC)
- 《ウイグルの記事を削除(破壊)して、「各リンク先の個別記事を参照」のような提案には、まったく賛同できません。》執筆者としては当然でしょうね。しかし、そう言う前に、古代ウイグルのモンゴル時代における断絶と現代ウイグルとを繋ぎ合わせる論拠を示していただいてからでないと。現代ウイグル人の拠って立つアイデンティティに拠るのかそうでないのか。後者なら何を根拠に通史を書いているのか。はっきり示しなさい。
- 《ウイグル (曖昧さ回避)ページを別に作ることが考えられます。これでしたら、賛同できます。ほか、ウイグル関連の新規記事の立項(ウイグルの歴史ほか)でしたら、私も賛同できます。》それも視野に入れましょう。「ウイグル」と「ウイグル人」の意味の差は調べる人にとっては分かりにくいでしょう。ウイグル (曖昧さ回避)ページで「ウイグル人」、「ウイグルの歴史」、「新疆ウイグル自治区」、「拳王軍#ウイグル」の4記事に振り分ければよろしいか。
- 「倭」、「倭国」、「倭人」、「大和」、「大和 (曖昧さ回避)」および「日本」と同列に論じるなかれ。西方様。あなたは「ウイグル」の現代に至る通史が、必然的に古ウイグル人と現代において民族意識の高まりとともに想起された現代ウイグル人との関係性に踏み込んだ「ウイグル人」と称される民族の通史となり、断絶を繋ぎ合わせる現代ウイグル人の拠って立つアイデンティティに通史もまた拠って立たざるを得ない、イエスかノーか、という本質的な問題に何一つ言及しておられない。民族のアイデンティティを問題にしなくても記事が書けてしまう大和民族とは話の次元が違うのですよ。論理のすり替えはほどほどにしたまえ。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 07:04 (UTC)--微修正--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 07:12 (UTC)
- ジャコウネズミさん、ちょっと落ちていてくださいよ。まず、「被統治時代」うんぬんについては、私の発言ではなく、トムルさんの発言ですよ。
- 古代ウイグルと現代ウイグルについては、私は加筆で答えたつもりだったのですが、ウイグル#民族・定義にあります通りです。しかし、参照してくださいといっても、ご覧になられない、もしくは伝わらないかもしれないので、転載します。
ウイグル語はテュルク諸語であるため、ウイグル人はテュルク系民族に属する。なお、テュルク系民族(トルコ民族)とは、「唐代から現代にいたる歴史的・言語的状況を勘案して、方言差はあっても非常に近似しているトルコ系の言語を話していたに違いないと思われる突厥、鉄勒、ウイグル、カルルク、バスミル、沙陀族などを一括りにした呼称」と定義される[1]。
歴史学者の森安孝夫によれば、この古代のテュルク民族は、唐代まではそのほとんどが黒髪、直毛、黒目のモンゴロイドであった[1]。しかし、唐代末期にモンゴリア〜アルタイ地域を本拠としていたウイグル帝国(東ウイグルカガン国)が崩壊し、モンゴロイドのテュルク民族が天山山脈一帯からタリム盆地へ移動する[1]。それによって、タリム盆地に先住していたコーカソイドのインドヨーロッパ語族がテュルク語化し、これらの地域はペルシア語で「トルキスタン」(トルコ語を話すひとびとの土地)と呼ばれるようになる[1]。なお、テュルク民族が先住コーカソイドを虐殺したのではなく、共存していたといわれ、形質的特徴も多様である[1]。 しかしながら、こうした言語の面からの民族の定義だけでなく、民族の近代的な概念という点からすれば、当時の住民は同じ民族意識をもっていたわけではない[1]。たとえば、「民族集団」としてはモンゴル時代に一度消滅するとした古ウイグルの後裔でモンゴル時代以降イスラム化した東トルキスタン東部のトルコ(テュルク)人や、カラハン朝でイスラム化した東トルキスタン西部のトルコ人は、それぞれの居住地であるオアシス都市ごとに自己認識していた(「トゥルファン人」、「クチャ人」、「カシュガル人」など)[2][3]。 20世紀に東トルキスタンの政治的統一に際して、「ウイグル」という民族呼称が再び見出され、1921年のアルマ・マタ会議で民族呼称として決定される(後述[3])。森安孝夫によれば、このとき「本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになった」として「新ウイグル」は「古ウイグル」は異なるとしている[2]。なお、中華民国時代に新疆地区を統治していた盛世才は1934年に、「ウイグル」民族呼称を省府議会で正式採用させ「維吾爾」と表記する(後述)。 東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の住民の約45%はウイグル族が占めているが、他にも漢族、カザフ族、回族、モンゴル族、満族など多くの民族が居住している。特に、中華人民共和国成立以後は漢族の流入が著しい。北西部には漢族と回族が多く、南西部にウイグル族が多い。 |
- ここにもありますように、「20世紀に東トルキスタンの政治的統一に際して、「ウイグル」という民族呼称が再び見出され、1921年のアルマ・マタ会議で民族呼称として決定される」ことが、古代ウイグルと現代ウイグルとのIP氏をまじえた議論の肝ですよね?アンダーソン的にいえば、「<民族>が再発見された」といってもいいでしょう。またさらに詳細はウイグル#近現代節にもあります。古代ウイグルの歴史がある。そしてそれは20世紀のウイグル民族主義によって「再発見」された。この「断絶」についてですが、この二つの間に新疆の問題もあります。中国語表記の読みはまだ調べていませんが、少なくとも日本語表記では「新疆ウイグル自治区」ですよね?しかし、私としては、これ以上の説明は不可能ですね。あなたが何を理解されないのかがわかりません。なお、IP氏との議論のなか、私としては、Dalaibaaturさんの意見と齟齬・矛盾がありません(向こうが私の見解にどうお考えであるのかは別として)。トムルさんとは、結論的には同じなのですが、まあ、議論の仕方、あるいはこだわるところが違うといったところです。
- しかし、ジャコウネズミさん、なぜあなたがそこまで私が何も説明していない、とか、詭弁だとか、はぐらかしているとか、いわれるのか、わかりません。議論はずっと継続していますし、私はずっと説明してきているではないですか。
- 「民族」問題で大和民族は別とおっしゃいますが、倭人だって、大和民族とは異なるのです。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 08:13 (UTC)
- 念のためにさらに補足しますが、引用したなかの「森安孝夫によれば、このとき「本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになった」として「新ウイグル」は「古ウイグル」は異なるとしている」という文を明記しています。なぜジャコウネズミさんにせよ、IP氏にせよ、私に「何の出典も根拠もない」と主張されるのか、さっぱり、意味不明です。これ以上は、私から申し上げることはない。あとはコメント依頼なりして、第三者の見解を待ちましょう。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 08:28 (UTC)
- もう一点。ジャコウネズミさんは「深刻な編集合戦」ないし「荒らし」に本記事が襲わているのを、私の加筆のせいにしておるのですか?そもそも、私の加筆はすべて出典に基づいています。独自研究でもなんでもありません。対して、IP氏はいまだに、次々とアカウントを作っては、出典のある記述を大量に削除するばかりです。ジャコウネズミさんは中立的な立場にたとうとして、私を論難されているのかもしれないが、IP氏がひどい編集をしているのは、あなたも、また他の多数の編集者だって認知しているではないですか。「説明していない」とか「IP氏に示しがつかない」とかいったあなたの発言は非常に不愉快です。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 08:35 (UTC)
- 西方様。わたしの目がいくら節穴だったとしても本文をノートへの転記する必要はありませんよ。1)《20世紀に東トルキスタンの政治的統一に際して、「ウイグル」という民族呼称が再び見出され、1921年のアルマ・マタ会議で民族呼称として決定され》た歴史的事実への認識が通史を書く上での議論の肝であり、通史を書く所以である。2)ジャコウネズミが追及した、民族のアイデンティティをウイグル通史の根拠とすのか、という問いに対しては、そうだ、とは言いたくないが西方氏自身が従前述べてきたことと大差はないと受け取ってよろしい。3)ともすれば現代ウイグル人に意味が限定されがちな「ウイグル人」よりも「ウイグル」という呼称の方がよりそのことを反映できる。4)通史の解体には断固反対。5)「ウイグル」と「ウイグル人」を統合することに反対。6)曖昧さ回避ページの作成には吝かではないが、とりあえず、案内先の具体的な記事名の論議には触れなかった。ということでよろしいか。「<民族>が再発見された」という認識の表明を以って了解したいところでもあるのですが、本記事の一番の根幹と認識しております故、特に2)の件、即ちジャコウネズミが言っている「再発見された民族のアイデンティティによってこそウイグルの現代に至る民族通史が書き得る」という主張と西方氏の主張がどのような点で似ており、またどのような点において異なる故にジャコウネズミの質問に「然り」と単純に答えられないのか、アルマ・マタ会議を通史の前提とするが、「民族のアイデンティティ」を引き合いに出すことを巧妙に避ける意味は何であるのかについて、御足労ながら再度簡潔にご説明していただいたうえで、曖昧さ回避ページ等、記事の統合以外の可能性を含めたウイグル(人)に関連する諸記事の配置について、腰を据え議論をしたく存じます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 08:52 (UTC)
- 私はまず、ウイグル民族主義者ではありません(興味はあります)。ですから、古代ウイグルとの違いについても、そもそも否定したこともありません。IP氏にいってたのは、出典を示せ、とただ、それだけです。ですから、「現代ウイグル民族主義の観点から、本記事を塗り替える」などということにはまったく賛同しません。おそらく私の加筆内容から、私をウイグル民族主義の支持者とお考えかもしれないが。そうしたことが、「「民族のアイデンティティ」を引き合いに出すことを巧妙に避ける」という印象になってるのでしょうかね。私からすると、「巧妙に避ける」も何も、出典に基づき、本文が構成されていさえすれば、それで十分なのです。森安氏は現代のウイグル民族主義について「似非ウイグル」ともいっています(トムルさんがノートで引用されていますが)。これについても記載しようかと思いましたが、まあ、いくら歴史学者とはいっていも、個人的な見解にすぎるし、特に有意な情報でもないため、記載しませんでした。そもそも私はIP氏の「断絶」説そのものに反対はしていない。私が反対したのは、その「編集」というか「荒らし」の態度です。他の論点については、この点が終了してからにしましょう。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:04 (UTC)
- 「こうした言語の面からの民族の定義だけでなく、民族の近代的な概念という点からすれば、当時の住民は同じ民族意識をもっていたわけではない[10]。たとえば、「民族集団」としてはモンゴル時代に一度消滅するとした古ウイグルの後裔でモンゴル時代以降イスラム化した東トルキスタン東部のトルコ(テュルク)人や、カラハン朝でイスラム化した東トルキスタン西部のトルコ人は、それぞれの居住地であるオアシス都市ごとに自己認識していた(「トゥルファン人」、「クチャ人」、「カシュガル人」など)」とも本文で書いているのですが。これで足りないか?つまり、私は「避ける」どころか、明記している。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:12 (UTC)--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:13 (UTC)引用文レイアウト訂正--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:21 (UTC)
- また、私とあなたとでは、考え方が異なる。私に質問する場合は、複数の質問を一気にするのでなく、ひとつひとつ質問していただきたい。私からすると、そもそもあなたが何を問題にしているのか、分からないし、何を質問しているのかも不明なのだ。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:17 (UTC)
- では、わたしも、最大限譲歩いたします。質問は一点のみ。回答もイエスかノーで答えられるものです。「民族」に対する古典的解釈においては「古ウイグル人」と「現代ウイグル人」との間には断絶があり、よって、古代から現代に至る通史というものは叙述しえず、再発見された民族も過去の歴史上の民族と同一の民族として容認する「民族」に対する先進的な捉え方において「古ウイグル人」と「現代ウイグル人」とは互いに結びつくのであり、本項におけるウイグルの通史は、「民族」に対する古典的解釈とは一線を画した視点から記述したものである。従前の西方様の繰り返してきた論旨がこの点において同義であり矛盾しない。以上について、イエスかノーか伺います。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 09:22 (UTC)
- 「民族」の概念によって「「古ウイグル人」と「現代ウイグル人」とが関連する」これはイエスです。しかし、<「民族」に対する古典的解釈>というのが、わからない。以前の議論でも本文でも加筆しましたが、大辞林などでも、「古代のウイグルがキルギスの滅ぼされた。…その後裔は現在の新疆地区に在住」とあります。これを参考に、本記事では冒頭に「狭義では4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族やその国家」そして、広義では、現在のウイグル人を指す」と書いてあります。いま本文を見直しましたら、冒頭も変えられておられますね。
- 正直、あなたの質問の仕方では、答えようもありません。なぜなら、あなたの質問には、あなたの思想でまとめられたものについて、イエスかノーで答えよという。しかし、そもそもあなたがいう「民族」とは何か?また、あなたの文章は難解で、非常にわかりにくいのです、という話になるわけで、あなたの「ウイグル理解」について納得するかいなか?という質問と何が違うのか。よくわからない。「最大限譲歩」というのも、さっぱりわからない。私に何を聞きたいのか?質問がわからないといっているのです。もっと文章を短くしてください。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:39 (UTC)
- いっそ、本文冒頭の文をどうするか?という話にしませんか?実際に文章を互いにいじらないと、わからないし、二度手間のように思う。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:43 (UTC)
- 以下、あなたの質問を翻訳しながら、答えます。
- 「民族」に対する古典的解釈においては「古ウイグル人」と「現代ウイグル人」との間には断絶がある。→「民族に対する古典的解釈」は不明。しかし、「断絶」はある。しかし、「後裔」関係はある(大辞林)したがって、ノー。
- 「したがって、古代から現代に至るウイグル通史というものは叙述しえず」→意味がわからない。どうしても「したがって」なのか?断絶があるから通史がない?ユダヤ人とアシュケナージとは同じ民族か?したがってノー。
- 「再発見された民族も過去の歴史上の民族と同一の民族として容認する「民族」に対する先進的な捉え方において」→これもあなた独自の言い回しで、「先進的」って何ですか?したがってノー。
- 「古ウイグル人」と「現代ウイグル人」とは互いに結びつく」→大辞林の定義には「後裔」とある。したがって、イエス。
- 「本項におけるウイグル通史は、「民族」に対する古典的解釈とは一線を画した視点から記述したもの」→「古典的解釈」「先進的解釈」が私には意味がわからない、したがってノー。
- 「従前の西方様の繰り返してきた論旨がこの点において同義であり矛盾しない」→以上をもって、ノー。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 09:51 (UTC)
- 以下、あなたの質問を翻訳しながら、答えます。
- あらためてノートの過去ログを振り返りますと、どうもジャコウネズミさんはIP氏と同じ主張を執拗にされますね。この統合案にしても、そもそも統合する積極的な理由がありません。そして、Dalaibaaturさんや私が反対意見を述べると、「反対する理由と根拠を述べよ」と返事される。そもそも、あなたは何をされたいのか?なぜ統合されたいのか?他人に対して「説明していない」とやたらにいうわりに、あなたは合意形成する気がありますか?あなたは真摯に説明していますか?どうもあなたの一連の行動と発言をみていますと、「はじめに結論ありき」すなわち「本記事をウイグル人に統合」ないしは、私の加筆部分をすべて「破壊」されたいのだとかしか思えない。あなたはIP氏に対して、よくたしなめられたりされていますが、結局は、IP氏と同じ主張をされているではないですか。そもそも、ウイグルとウイグル人とが「同義」だとか何だとか、おっしゃいますが、辞典のひとつでも調べなさい。統合案についてもすでに複数の人間より、反対意見が表明されています。これ以上、議論をいたずらに延長させるのは、「議論のための議論」すなわち、あなたにとっての「論敵」である私を疲弊させたいだけとしか思えない。なお、新規ページ作成については、そもそも、議論は不要です。新規ページが作成されたあとで、問題があればそのノートページでやるものです。あなたもそうしたことはご存知のはずです。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 10:54 (UTC)
- 西方様。どうも、結果的に引っ掻き回しただけになってしまったようで、その点については申し訳なく思います。つまり、現代ウイグル人は古ウイグル人の「後裔」とする説(これは検証可能な出典を伴っています。また、断絶があると言っても、現代ウイグル人の成立は時代的要請から生じた意識的なものであって現代ウイグル人には古ウイグル人の血脈にない者もいるだろう、という指摘であって、無関係な民族であるということではないでしょう)に軸足を置いて通史を書いている。よって、アンダーソンが言うような(血脈を最重要要素としない)想起された共同体としての現代ウイグル人を意識してはいないし、古代から現代に至る通史を書く上で意識する必要もない、ということですね(これは質問ではないのであえて、最初からそう言っているじゃないか、とご指摘したければそれでいいし、また頓珍漢な解釈をしている、というのであれば、今後なるべく円滑に議論するためにご指摘いただきたいし、あえて黙認あるいは黙殺されても構いません)。論拠(大辞林)が今一つ弱い、と評する見方もできるでしょうが、「民族」の概念としては非常にオーソドックスな見地から通史を書いておられるようで、その点「民族論」に巻き込まれずに筋を通せる穏健的で妥当なスタンスであるとも思います(わたしにとっては後者の印象がより強い)。であるからして、ウイグルの通史において現代ウイグル人について記述するけれども、通史を書く根拠として現代ウイグル人という民族的概念が必要不可欠なのではない。よって、「ウイグル」を「ウイグル人」へ統合する理由は全くない。――記事は個人のものではないですが、本記事を通史的かつ包括的に発展させた西方様の意識または意図するところが以上のようなことなのであれば、その部分に関して問題がない限り(わたしは問題ないと思いました)、これを前提としましょう。
提案 2 「ウイグル (曖昧さ回避)」ページを設けて「ウイグル人」、「ウイグルの歴史」(内容としては本記事の歴史、政治体制の項)、「新疆ウイグル自治区」等に振り分ける件
理由: 「ウイグル人」と「ウイグル」という似た項目名の記事内容についての閲覧者からみても明確となる峻別、閲覧者が目的とする記事にスムースにたどり着くための便宜、重複内容の一部除去、可読性の保持。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 11:12 (UTC)
- 「民族」論には実際難しいところもありますし、これまでの議論にもありましたように「自称、他称」の問題もある。そうした問題について完全に対応するには、ことウイグルに関しては、それについて触れた出典を持ってこなくては、本文には書けない。ちなみに森安本では、その問題については触れています。しかし、以前、匈奴でもそれに類する議論があったのですが、「民族論」または新しい民族形成理論について書いても(en:Ethnogenesis)、やはり一般には過剰でしょう。アンダーソンを引用して「民族とは近代…」といった話を本記事に記載する必要は特にない。私の立場は、いわば「出典主義」です。つまり、「ウイグル」という言葉が、日本語圏の書籍等に使用されていれば、それらについて情報をまとめる、というだけのことです。古代ウイグルについても、参考文献においても、文中では「ウイグル人は…」と使用されています。しかしこの件は、もう終了でいいのですよね?
- 提案1についてですが、もはや反対はしません。しかし、積極的に賛成もしません。
- 提案2は、大和と大和 (曖昧さ回避)のような関係であるべきだと思います。ウイグル (曖昧さ回避)と本記事ウイグルは別の機能を持ったものとして形成されるべきでしょう。あなたの考えですと、いまの本記事を「曖昧さ回避ページにする」ということですよね?それには反対します。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 11:35 (UTC)
- 訂正します。大和 (曖昧さ回避)と比較すれば、ウイグルについては「曖昧さ回避」については、リンク先も、せいぜい「東トルキスタン」「新疆」「ウイグルの歴史」「北斗の拳の登場人物」程度です。だとしたら、わざわざ新規立項する特筆性もないでしょう。態度表明は変わりませんが、反対です。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 11:40 (UTC)
- なおウイグル人をウイグルに統合する場合、重複していない部分などについては、本記事への移動のさい、残していただくよう願います。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 11:46 (UTC)
- 《しかしこの件は、もう終了でいいのですよね?》はい、終了です。
- 《提案1についてですが、もはや反対はしません。しかし、積極的に賛成もしません。》「もはや」の意味が微妙ですが(頭の固い者との議論に疲れたという意味でしょうか)、どうあれわたしは前向きに解釈したいと思います。
- 《ウイグル (曖昧さ回避)と本記事ウイグルは別の機能を持ったものとして形成されるべきでしょう。》なるほど。敢えて「ウイグルの歴史」を立項して本記事から分割せずとも、「ウイグル」の記事はそのままにウイグル (曖昧さ回避)を設けて案内する方策はあると。重複に対して非常に寛容な策ではあります(ちなみに《あなたの考えですと、いまの本記事を「曖昧さ回避ページにする」ということですよね?》というのは全くの誤解です。むしろ本記事を改名提案により改名して「ウイグルの歴史」とし、歴史に馴染まない項目は一部転記で関連諸記事へ転記、というイメージです)。しかし、本記事ウイグルがそのままでも、その他の「ウイグル人」と「ウイグル」という似た項目名の記事内容についての閲覧者からみても明確となる峻別、閲覧者が目的とする記事にスムースにたどり着くための便宜、可読性の保持、の目的については果たせそうですね。記事本文を推敲する必要性すらないので、早速実行して、問題があればまた議論しましょう。
クローズ--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 12:08 (UTC)
- 誤解の件、失礼しました。「もはや」については、あなたが「頭固い」からでなく、「そこまでおっしゃるなら」程度の意味合いです。私としては、よっぽどの重複でない限り(完全まるまる転載のような)、様々な関連記事のある状態の方が後々いいと思うからです(たとえば、統合するとします。すると数年後にまた分割されることもありえます。まあ、その場合に、現在よりも、より民族問題に特化した記事になれば、それはそれでよいことなわけですが)。
- さて、私もクローズに異議なしですが、最後に余談をいたしますと、ウイグルの歴史については、本当は私もはやく作りたいところです。しかし、かのIP氏の動向を考えると、今現在は適切ではないと思っています。いずれ落ち着くようでしたら、ウイグルの歴史への移動を提案しようかとも思っています。その場合は、本記事の「歴史」節は、小節化しない状態での要約・概史にとどめるつもりです(日本#歴史のような)。また、ウイグル問題も同様にいずれ作成したく思っています。あと、Template:ウイグルの歴史も。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 14:00 (UTC) 補遺。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 14:05 (UTC)
報告 「ウイグル_(曖昧さ回避)」作成。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月19日 (土) 12:25 (UTC)
- それでしたら、大和と大和 (曖昧さ回避)にならい、本記事冒頭のotherusesは、「その他の用法はウイグル_(曖昧さ回避)を参照の方がいいと思います。--西方(会話) 2012年5月19日 (土) 14:00 (UTC)
この節の議論に関するお詫び、他
- ジャコウネズミは、この節の議論において《ノートページでのルール : 礼儀を忘れずに - 発言を善意に取るようにしましょう - 個人攻撃をしない》の三項目についてルール違反を犯したことを認め、全面的に謝罪いたします。
- ジャコウネズミは、本節の議論に限らず、本ノートの議論において、記事が掲げる主題についての全般的な議論、即ち「ウイグルとは何か」を議論しているかのように見られても仕方のない箇所があることを認めます。しかしながら、これらの議論は、本項内で記述すべき内容の範囲に係る議論及び通史の定義の明確化に係る議論であって、「ウイグルとは何か」に触れる部分は各論が発展した「部分」であって本題ではなく、議論のための議論はしていないという見解を以って、この点について自他双方の発言を擁護いたします。
- 本節の議論をクローズさせた者として、その対処の理由を書き残しておきます。第一に、ウイグルの通史を記述する上で現代の「ウイグル人」の民族概念は必須ではないことが明らかとなった為、自分が提出した当初提案を却下した。第二に、統合した場合にどのような記事となるかを「ノート:ウイグル/草稿2」で試したが、現代のウイグル人に関して調べようとする閲覧者に対しての可読性の低下が避けられず、記事の重複による弊害の解消も考慮したうえで、可読性を優先させた。この二点に関する帰結によるものです。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月24日 (木) 15:36 (UTC)
提案 1 反対 、「**」と「**人」に分かれている記事は多数存在する、別の観念であるウイグルとウイグル人の記事を統合する意味がよく解らない。現代ウイグル民族 (何を指すのか私には解らないが)の民族意識にとって「ウイグル」の歴史は不可欠かつ一体不可分だとジャコウネコ氏は言うが、我々は日本語版のウィキペディア編集者であってウイグル人ではないので「ウイグル人」の通史と古代から17世紀までの「ウイグル」の歴史の2つの記事が存在しても何の不都合も存在しない。
提案 2 賛成 --222.230.132.65 2012年5月25日 (金) 09:07 (UTC)
- 提案2については実施済みです。この議論は閉じていますので、わたしが別の節で申し上げた通り、222.230.132.65様ご自身によって通史の部分を「ウイグル人」へ一部転記提案されることをお待ち申し上げます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月25日 (金) 13:00 (UTC)
冒頭文定義、および呼称「ウイグル」の日本語資料における使用実態の変遷
ウイグルとウイグル人との記事関関係についていまだ議論が上で続行していますが、あらためて確認したいこともありますので、別節にします。
- <地域名の呼称、または「略称」として>
- 記事日本と日本人との場合、日本は「日本列島及び周辺の島々を領土とする国家」としての記事になっている。対して、ウイグルは「国家」ではありません。
- 他方、記事チベットは「東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称」として冒頭で定義されています。チベットも主権国家ではありません。このチベット記事を参考にすれば、「ウイグルは、ウイグル族(ウイグル人)の住む地域、およびその地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称」と定義することが可能かもしれません。
- また、現在日本で「ウイグル」という時には、「新疆ウイグル自治区の略称」という使用もあります。ただし、これについては、新聞報道、書籍等でそのように使われているといっても、「“ウイグル”は“新疆ウイグル自治区の略称'”である」と明記されているものを見つけたわけではありません。
- またかつても触れましたが、百科事典などでも「東トルキスタン」「中央アジア」などの項目はあれど、「ウイグル」という項目は、百科事典の項目としてはまだ探せていません(「アジア歴史事典」平凡社を今度チェックしてみますが)。
あくまで私の見解ですが、こうしたことを振り返ると、「ウイグル」という語は、日本語としてはまだ“新しい”言葉なのかもしれない、とも思います。少なくとも、事典等での記載も少ないことからすれば、従来「新疆ウイグル自治区」「東トルキスタン」として語られていたことはあらためて確認すべきです。むろん、「ウイグル」「新疆ウイグル自治区」「東トルキスタン」といった語それぞれは、別個の言葉です。私は「ウイグル」とは、より一般的な呼称、あるいは略称、あるいは総称として使用されていると思います。
- <「ウイグル人」は現代に限定されない>
また、「ウイグルは“政治体”」という議論にも上でなっていますが、現在、日本語圏の出版物等で「ウイグル」が使用される場合、(トムルさんがおっしゃるように)特に「政治体」に限定されているとは私には思われません。なお、「政治体」という意味もよくわからないですが、「近代におけるウイグル民族主義(東トルキスタン独立運動を含む)」といまは私は解釈します。「ウイグル人」という言い方は、古代ウイグル帝国の住人・構成民族を指しても使用されています。
- 森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)の278頁では「ウイグル帝国」が「ウイグル」として略されています。この事例でも、「ウイグルは略称」です。
- 間野英二「中央アジアの歴史」(講談社現代新書1977)27頁では「ウイグル人」が使用されています。これは古代ウイグル帝国(間野の表記では「ウイグル遊牧国家」または「ウイグル国家」)についてのものです。同書123-124頁には、ウイグル人はソグド人、シリア人、インド人、中国人などと接触した、とあります。
- また、松井太「東西チャガタイ系諸王家とウイグル人チベット仏教徒: 敦煌新発現モンゴル語文書の再検討から」(弘前大学学術情報リポジトリ。内陸アジア史研究. 23, 2008)では、「ウイグル人」が使用されています。
かのように、「ウイグル人といえば、それは現代に限定して使用される」ということはありません。それは古代ウイグルについても使用されています。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 04:54 (UTC) 補遺。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 05:16 (UTC)
- <呼称「ウイグル」の日本語資料における初出・使用実態の変遷>
チベット#呼称には、「日本語のチベットは英語「Tibet」経由で明治期に成立した呼称」として説明があります。このことを「ウイグル」にもあてはめれば、「ウイグル」は日本でいつから使用されたのでしょう?CiNiiで検索すると、
- ヴェ・バルトリド、石濱純太郎訳の「ウイグル文獻の蒙古人に對する影響」『東洋史研究』3-4、1938年がありました。
- その後は戦後、「新疆ウイグル自治区」についてのものが続いて、70年代後半より古代から現代にいたる「ウイグル」についての論文が出現します。
- [http://ci.nii.ac.jp/els/110000046142.pdf?id=ART0000381253&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1337576507&cp= 堀直「18-20世紀, ウイグル族の度量衡について」大手前女子大学論集 12, 57_a-67_a, 1978
- 庄垣内 正弘「五体清文鑑 ー 18世紀新ウイグル語の性格について」言語研究 (75), p31-53, 1979の2つの論文では、18世紀からの「ウイグル族」「ウイグル語」について論じられています。指摘しておきたいのは、20世紀になってからのウイグル民族主義以前にも「ウイグル」という語は専門家によって適用されているという事実です。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 05:06 (UTC) 節名変更。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 05:08 (UTC)
- 「政治体」という語を持ち出したのはジャコウネズミです。これは「IP氏」により繰り返しなされている主張である、現代に至る通史を書くのだったらジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録を出典を持って示せ、という要求を、わたしなりに咀嚼し、一語でまとめたものです。即ち、ウイグル(人)の樹立した国家があれば歴史の記述は可、被支配時代にあってもウイグル(人)が反体制勢力としての勢力を保っていれば歴史の記述は可、それ以外は歴史として断絶したものである、とする見解と判じて「政治体」という語を以って要約したものです。特別意味の分からない言葉を用いたつもりはありません。
- ジャコウネズミは、ウイグルの歴史を上記のように捉えていては、古ウイグルの歴史、政治勢力を失った時期およびウイグルの呼称の復活というウイグルの通史に欠かせない要素を記述しえないと考えています。「ウイグル」という概念の根幹は上記の意味においての「政治体」でも地理的概念でもなく(理由は元々遊牧民だったから、歴史的にその中核をなす地理的位置が変化しているから、など)、ウイグル人、という民族の概念であり、かつ、血脈を第一義として捉えない民族の概念によるのではないか、と主張してきた。なお、この立場においては「IP氏」の要求するジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は古代から現代に至るウイグルの通史を書く上で必須の要件とはならない。
- 西方氏はあくまで民族論には踏み込まず、現在ウイグル人が古ウイグル人の後裔であるとする出典の記述により古代から現代に至るウイグルの通史を書いている、とした。この立場においても、「IP氏」の要求するジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は古代から現代に至るウイグルの通史を書く上で必須の要件とはならないと考えるのが当然だとわたしは考えるが、もしよければ、 西方氏においては、この点について、改めて断言していただいて、「IP氏」の要求を不当あるいは不要なものとして切り捨てていただきたい。
- トムル氏においては、ウイグルにおける通史の本質的な在り方に対する自身の考えから「棲み分け」を提唱なさっているのか、本記事の編集合戦と差し戻しに対する対処法として示しておられるのか、わたしには判然とし難い面がある。もしよければ、トムル氏においては、改めてウイグルにおける通史の在り方に対する忌憚のない本旨を語っていただきたい。
- Dalaibaatur氏においては、一貫して言葉を選んだ解釈の揺れの余地の無い発言をされていると考え、あえて要約を慎むこととします。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月21日 (月) 09:12 (UTC)
- ジャコウネズミさんの言い方はやはり私にとっては難解です。まず、私は「ウイグルは、ウイグル族(ウイグル人)の住む地域、およびその地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称」として定義できないか、つまり、本記事はウイグル族の民族およびそれらが居住した地域の双方を扱うもの、と提案しています。これはむろん、本記事の性格の規定でもあります。まず、最初に確認したいのは、私がIP氏の提案で反対し、かつ反駁しているのは、「現代ウイグルは「ウイグル人」へ」というものです。これについては、新たに間野、森安その他の書籍論文をもって、本来的には終了するものです。IP氏は、私の反駁について、まったく無意味にも「出典はみつかったのかい?」と、およそひとの努力と発言をまったく無視する発言をされますが。また、下にも書きますが、ジャコウネズミさんがなぜIP氏にそこまで肩入れされるのかも、まったく不明です。
- ジャコウネズミさんの「西方氏はあくまで民族論には踏み込まず、現在ウイグル人が古ウイグル人の後裔であるとする出典の記述により古代から現代に至るウイグルの通史を書いている、とした。」これについてですが、私は「民族論に踏み込まない」とはいっておりませんし、そもそも、ウイグル#民族・定義節で「踏み込んで」記載しています。私がいったのは、アンダーソンなりの「<民族>の再発見」論は、本記事で書く必要はないということです(書くとすれば、民族記事において書くべきでしょう。ウイグルについてアンダーソンが論じていれば、むろん本記事にも記載すべきですが)。
- また、あなたはIP氏の主張を「通史を書くのだったらジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録を出典を持って示せ、という要求」と解釈しますが、IP氏はどこでいっていますか?さらにIP氏の見解を「ウイグル(人)の樹立した国家があれば歴史の記述は可、被支配時代にあってもウイグル(人)が反体制勢力としての勢力を保っていれば歴史の記述は可、それ以外は歴史として断絶したものである、とする見解」とも解釈されますが、これもどこでいっています?これらのうえであなたが「政治体」という言葉を使ったといいますが、222.230.132.65氏は2012年5月14日 (月) 09:16 (UTC)にこう発言しています。
「ウイグルの一部を構成したタリム盆地のオアシス都市住民およびその末裔」を記述することに異論と唱えた事はありません、ただしそれはジュンガルによる征服までです。袁骨部以降ヤルカンド・ハン国までの時代とは異なり、ジュンガル・清朝統治時代はウイグルとしての活動は行われず動向もよく分かっていないため、現代ウイグルとの間にジュンガルによる滅亡以前の様な集団としての連続性は認められない。無論血統的・言語的・文化的には末裔ではあるとしても、それは中華人民共和国に所属するウイグル族・ウイグル人或は地理的概念としての新疆ウイグル自治区に属する事柄であって、古代から続くウイグルという政治的な客体は存在しない。現代になり「ウイグル」に肖ってウイグルを称した現代のウイグルが居たとしても、それはウイグル族・ウイグル人或は新疆ウイグル自治区または「現代ウイグル」で記述する事柄であって、ウイグルと関連が無い事を記事とするのは全く以て不適切。」 |
として、まず「政治的な客体」とIP氏が使っていますね。
- ジャコウネズミさんがどうしてそこまで執拗にIP氏の見解を継承され、主張(?)されるのか、私にはよくわからないし、なにを議論されたいのかもわからないのですが、まずこのIP氏の「古代ウイグル帝国の末裔はジュンガルまで」は、出典がありませんし、出典を出してもいません。大辞林での「末裔」とは、現在、新疆地区に住むウイグル人のことです。
- それから「ジュンガル・清朝統治時代はウイグルとしての活動は行われず動向もよく分かっていないため、現代ウイグルとの間にジュンガルによる滅亡以前の様な集団としての連続性は認められない」とIP氏はいっていますが、まず、古代ウイグルの後裔として自称し、かつ一定程度他称としても認知されている(中国政府もそれは認知している)現代のウイグル人との関連性という意味での「連続性」はあるわけですから、もう、IP氏はいい加減、議論のための議論はおやめになるべきです。ジャコウネズミさんも、なぜそうまでIP氏に沿った考えをとられるのか。
- 清朝の「ウイグル人」については、ヤクブ・ベクの乱などイスラム勢力の反乱の加筆を準備しています。このヤクブ・ベクはウズベク人ともタジク人ともいわれていますが、今日のウイグル人ともむろん関連がありますし、ウイグル人もこれらの乱に参加している。それゆえ、本記事(のちのウイグルの歴史とするにせよ)に記載あるべきです。ヤクブ・ベクの乱から東トルキスタン、テュルク主義、そしてウイグル民族主義の勃興は、歴史的につながっています。なお、ジュンガルについては、私もまだ未調査ですが、清朝の前史または背景として記載あってよいでしょう。また、タランチ集団は、脚注に記載した論文をお読みになればいいのですが、これものちのホージャの乱につながっていきます。
- そもそも、清朝は、東トルキスタンを「回疆」(「ムスリムの土地」の意)、その住人を「回部」(「ムスリムたちの集団、組織」の意)と称しいたわけですが、ウイグル族と「回族」とは異なる概念ではありますが、重なりもします。このへんは困難な問題があるとは思います。ムスリムで居住地域が同一といえるのか、それとも、やはりタリム盆地の各部族(民族)は祖先からの言い伝えをより重視しているのか?といった問題、すなわちウイグル人を含む、このタリム盆地のオアシス都市の住民(漢族除く)の民族アイデンティティとはなにか?といった問題については、たしかに厳密に理解したうえで、本記事にも反映させるべきではあるとは思えますが、IP氏にせよ、ジャコウネズミさんにせよ、なにかやたらと「統合案」(これは撤回されましたが)や「棲み分け」にこだわられるのですが、今後は、出典に基づいて議論をしないことには、どうにも先へ進みません。
- また、新疆地区には漢族をのぞけば、ウイグル族以外の少数民族も居住している(カザフ族、モンゴル族、タジク族など。新疆ウイグル自治区#住民参照)。また、ウイグル族は、新疆地区外にも居住している。その意味でジャコウネズミさんはこうしたウイグル族とその居住地域が重ならないから、それは別記事へと分割され、記載されるべきだとお考えなのですか?日本人にしても古代の倭人とは異なるし、「日本」という国号が成立する以前の民族である日本列島の居住者について「日本人」というのは間違っているという見解は、専門的な意見としてはわかりますし、またそれが学説等として記事に記載あるのもわかりますが、そこまで厳格に考えるのであれば、縄文人は日本人ではなくなってしまいませんか?また、日本人にもアイヌ人、琉球人、あるいは蝦夷、隼人などの非大和民族がおり、しかしそれらは日本国家の発展によって、統合されていく。あるいは民族名を国家名として厳密に考えるのであれば、ウイグル人はあくまで新疆ウイグル自治区の一住民であり、「自治区」とはいえ、中華人民共和国に統治されているから、ウイグル人でなく中国人というべきだといった見解もありえる。また、漢民族にしても、五胡十六国時代を持ち出さずとも、モンゴル(元)、清(満洲人)の統治によって「分断」され、いわば「純粋の漢民族はいない」という見解もありますが、いかがでしょうか?私がいいたいのは、ウイグルおよびウイグル人について、そこまで概念的な厳密さを求めることが、不合理です。IP氏とジャコウネズミさんとの除けば、本来は、議論は終了しているはずなのですが、なぜお二方は議論を延長されるのか、それも出典などを検討することもなく、議論をすすめられるのか、私には、わかりません。
- ジャコウネズミさんの「この立場においても、「IP氏」の要求するジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は古代から現代に至るウイグルの通史を書く上で必須の要件とはならないと考えるのが当然だとわたしは考えるが」ですが、これも文がわからない。IP氏を代弁されておられるのですか?ジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は通史には必要ないということをおっしゃっているのですか?近代ウイグルの民族主義の「前史」として、それは必要でしょう。ここはトムルさんの質問への答弁でもありますが。
- また、「ウイグル(人)の樹立した国家があれば歴史の記述は可、被支配時代にあってもウイグル(人)が反体制勢力としての勢力を保っていれば歴史の記述は可、それ以外は歴史として断絶したものである、とする見解と判じて」というジャコウネズミさんによるIP氏の「代弁」については、Dalaibaatur氏が以前発言されたように「断絶があろうがなかろうが」、本記事には、古代ウイグルから現代のウイグルまでいたる関連情報が記載してあるべきでしょう。そもそも、そうした「断絶」のことについては、本文で明記されていればいいのです。そして、それはすでに明記されています。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 16:48 (UTC)
- なお、新疆ウイグル自治区に記載せよとIP氏はいうが、それでは、なぜ東トルキスタンではだめなのか?いずれでもいいとすれば、重複するではないか?その双方にウイグルは関連し、かつ、そのいずれにも還元されない民族的、文化的、歴史的実体があり、かつそのように自称し、他称し、また日本語圏の文献においても、「東トルキスタンでも新疆ウイグル自治区でもない、「ウイグル」が使用されている以上、この使用されている実態を否定する根拠は、一切ない。これはジャコウネズミさんにも聞いていただきたいところです。お二人とも、出典を持ち寄って議論されることを願います。なお、本記事にもノートにも私がリンクなど貼っておりますし、それらの論文を読むくらいのことはなさってください(ネットでも閲覧できるものも多数あります)。でなければ、私を疲弊させたいだけとしか思えませんよ。--西方(会話) 2012年5月21日 (月) 16:48 (UTC)
- また、新疆地区には漢族をのぞけば、ウイグル族以外の少数民族も居住している(カザフ族、モンゴル族、タジク族など。新疆ウイグル自治区#住民参照)。また、ウイグル族は、新疆地区外にも居住している。その意味でジャコウネズミさんはこうしたウイグル族とその居住地域が重ならないから、それは別記事へと分割され、記載されるべきだとお考えなのですか?日本人にしても古代の倭人とは異なるし、「日本」という国号が成立する以前の民族である日本列島の居住者について「日本人」というのは間違っているという見解は、専門的な意見としてはわかりますし、またそれが学説等として記事に記載あるのもわかりますが、そこまで厳格に考えるのであれば、縄文人は日本人ではなくなってしまいませんか?また、日本人にもアイヌ人、琉球人、あるいは蝦夷、隼人などの非大和民族がおり、しかしそれらは日本国家の発展によって、統合されていく。あるいは民族名を国家名として厳密に考えるのであれば、ウイグル人はあくまで新疆ウイグル自治区の一住民であり、「自治区」とはいえ、中華人民共和国に統治されているから、ウイグル人でなく中国人というべきだといった見解もありえる。また、漢民族にしても、五胡十六国時代を持ち出さずとも、モンゴル(元)、清(満洲人)の統治によって「分断」され、いわば「純粋の漢民族はいない」という見解もありますが、いかがでしょうか?私がいいたいのは、ウイグルおよびウイグル人について、そこまで概念的な厳密さを求めることが、不合理です。IP氏とジャコウネズミさんとの除けば、本来は、議論は終了しているはずなのですが、なぜお二方は議論を延長されるのか、それも出典などを検討することもなく、議論をすすめられるのか、私には、わかりません。
- どうも意思疎通が難しいようですね。指導者がいない時代の歴史も当然書いてよい、と言うことを明言なさって、「IP氏」の要求を明確に退けたらいかがですか、と言う主旨で書いたことです。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月22日 (火) 01:35 (UTC)
- わたしが西方氏に対する「IP氏」の要求、と捉えたのは以下の文。《西方よ、ジュンガル・清朝統治時代の指導者やウイグルの活動記録は見つかったのかい?まともな良識があると主張するなら、人に悪魔の証明を要求せず早く記録を提示すればいい、それさえあれば説明の必要が無いほど簡明かつ決定的なんだからさ。それと、何がウイグルと現代ウイグルの連続性を証明する出典なのか、記事を見ても判らないからどの部分か指示して欲しい。--59.85.59.48 2012年5月17日 (木) 18:56 (UTC)》
- 西方様。わたしは結果的に西方様の書き進めるウイグルの通史の内容には、一切反対していないのですよ。立場として違うのはわたしは「ウイグルの通史は民族の通史である」と言う立場を鮮明にしている点。だからこそより民族名を表すと思われた「ウイグル人」への統合まで提案した訳です(これについては、統合せずでクローズ)。
- あと、あまり言いたくはない事なのですが、おおよそ大意が分かることまで厳密に捉えた時の矛盾を指摘して何もかも《わからない》で差し戻されると、西方氏の方こそ私を疲弊させたいだけとしか思えませんよ。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月22日 (火) 02:12 (UTC)
- 本題ですが、ウイグルの通史は、地域や政権、反体制勢力といった枠組みにとらわれず、民族の通史として記述することに(西方氏は民族の一貫性を現代ウイグル人が古ウイグルの後裔であるとする出典に拠っている)ついてどう考えるか。わたしは、ウイグルの通史は民族の通史である、という立場です。西方氏は、多方面に議論を展開なさるので(逆から見ればわたしもそう見えるかもしれないが)、ウイグルの通史が民族の通史であるか否かに的を絞って問いかけたい。このノートの議論でのわたしの発言や提案は、すべてこの一点に拠っていると考えてくださって構わない。その他の点については「餅は餅屋」と認識している。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月22日 (火) 03:21 (UTC)
- IP氏の「要求」については、ジャハーンギール・ホージャからヤコブ・ベクに至る箇所の加筆によって答えたく思います。加筆するわけですから、もちろん、「指導者がいない時代の歴史も当然書いてよい」です。ただ、「指導者がいない」というのもまた解釈ですから、ホージャは指導者といえば指導者ですから。
- 「民族通史」の件については、ウイグル族が多数の地域にまたがって活動しているといっても、唐代のソグド人などと比べるとタリム盆地に定住する民族ともいえるわけですから、地域の歴史、およびそこで起こった政権についても、記載あるべきとの考えです。そもそも「民族通史」と地域史なりが明瞭に分割できるかといえば、私はそうは思いません(例えばカシュガル市の歴史も「ウイグルの歴史」として記載していいはずです)。しかしここは、ジャコウネズミさんと私との「民族」概念の違いともいえるのでしょうか。
- なお、われわれの議論が込み入ってしまったひとつの理由として、「ウイグル」がチベットと比べてもやはりマイナーな研究対象または事象であり、日本でも研究はまだまだこれからである、ということに尽きると思います。実際問題、一部の研究者を除いて、2009年ウイグル騒乱以降、ようやく一般にも認知されてきたわけですから。--西方(会話) 2012年5月22日 (火) 05:36 (UTC)
- ウイグルの通史を民族の通史として定義する限りにおいては、居住地として関連する主な地域、政権、反政府勢力、民族問題、指導者、言語、文化、へと記述が包括的に広がっても軸は一貫しており、むしろこれらについても言及されるべき、と考えます。ウイグルの通史を地域史として書けるか。おそらく今の記事と内容が変わってくるのではなかろうか(被支配者となったウイグル人に焦点を当てて記事にするあたり)。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月22日 (火) 06:27 (UTC)
- 「記述が包括的に広がっても軸は一貫しており、むしろこれらについても言及されるべき」ですか、だったら、私と何の違いもありませんね。そういう意味では、私の「通史」はあなたのいう「民族史」ですし。私のいう「地域史」は、そうした「民族史」に包含されるものです。ジャコウネズミさんとIP氏が語る「被支配者となったウイグル人」またはその時代については、近日中にまた加筆します。その際、また問題あれば、具体的に「この文章はおかしい」といった個別具体的な話になれば、私としても議論しやすいです。また、現代ウイグルを古代ウイグルからの後裔とする別の出典も見つけました。これについてものちにノートで報告します。--西方(会話) 2012年5月22日 (火) 13:33 (UTC)訂正--西方(会話) 2012年5月22日 (火) 13:34 (UTC)
- まず西方氏へ、ジャハンギル・ホージャはウイグルと直接的な関係が無い、清朝領に潜伏して叛乱扇動を起こしただけであって、清朝もしくはコーカンド・ハン国の歴史に書けばよろしい。ヤクブ・ベクは英国の植民地政策の一環として特殊工作兵500人と武器弾薬の支援を受け、清朝の統制が緩んだ隙を突いて保護国とする政策の尖兵となった一旗組であり、こちらもウイグルと直接的な関係は何も無い、清朝もしくは大英帝国の歴史に書けばよい。
- 続いてジャコウネズミ2012年5月21日 (月) 09:12 (UTC)の主張に対して。上記の様な一部の現代ウイグル人の意識と当時のウイグル人の意識を恣意的に置き換えた主張を弄するならば、当然に回鶻時代以降自らを「ウイグル」と称した政治集団がその当時に現代の民族概念と合致するウイグル民族意識を抱いていた事を証明する資料を出さないといけない。
- もし証明が出来ないのであれば、それは単に個人の思想であって、もし仮に現代ウイグル民族(何を指すのか私には解らない)の民族意識にとって「ウイグル」の歴史が不可欠かつ一体不可分だとしても、我々が日本語版のウィキペディア編集者であってウイグル民族主義者ではない以上、17世紀に滅亡した「ウイグル」と「ウイグル人」が明確に別の概念であると理解し、古代から17世紀までの「ウイグルの歴史」と「ウイグル人」の通史を分けて書かなければいけない。--222.230.132.65 2012年5月25日 (金) 09:07 (UTC)
- 222.230.132.65様。《上記の様な一部の現代ウイグル人の意識と当時のウイグル人の意識を恣意的に置き換えた主張を弄するならば》について。置き換えていません。現在の通史史観におけるウイグル通史しか通史は書きえない、と言うのがわたしの立場です。出典明記の原則からも、あくまで過去の資料を踏まえた現在から見た歴史しか書くことはできないでしょう。加えて、わたしの申し上げている通史は、わたしの読解が正しければ、あなたの視点からすれば全て「ウイグル人」の通史を指していることになります。ですから、《回鶻時代以降自らを「ウイグル」と称した政治集団がその当時に現代の民族概念と合致するウイグル民族意識を抱いていた事を証明する資料を出さないといけない。》という義務をわたしは負っていません。
- 《17世紀に滅亡した「ウイグル」と「ウイグル人」が明確に別の概念であると理解し》はい、おそらく確固とした出典をお持ちなのでしょうから、「ウイグル」は17世紀に滅亡した、古ウイグルと現代ウイグルを包括するような「ウイグル」の定義は不適当あるいは間違い、と出典に拠って明示してください。
- 《「ウイグルの歴史」と「ウイグル人」の通史を分けて書かなければいけない。》はい。わたしがウイグルの通史と申しているものは、あなたにとっては「ウイグル人」の通史に該当するもののようです。しかるべき順序で通史の「ウイグル人」への一部転記提案がなされれば、わたしは、論理的に言ってその提案に賛成するほかないでしょう。わたしはあなたに比べて「ウイグル」と「ウイグル人」の峻別がはっきりしていないようなので、提案自体は、是非、ご自身がなさって下さい。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月25日 (金) 12:50 (UTC)
(インデント戻し)タリム盆地・トゥルファン盆地のオアシス定住民(およびその末裔)が1920-30年代に自称としてウイグルを採用して以来、中国および旧ソ連その他に分布するこの集団はこの呼称のもとに実在しつづけている。ウィキペディアに掲載すべき特筆性としては、この呼称を自称および所属国における正式呼称として実在しているという1点のみで十分。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月25日 (金) 14:24 (UTC)--Dalaibaatur(会話) 2012年5月27日 (日) 02:09 (UTC)(この文の後ろに書いていた記述やIP氏に対する質問を削除)
- ジャコウネズミ氏へ、1段落目は「通史はウイグル人の記事で書くものとしたい」との解釈でよろしいですか?それと2段落目との関連で、現代に当時の「ウイグル」と同じ概念の「ウイグル」が存在していることを証明して貰いたい、と言い換えましょう。 2段落目については西方氏への回答と全く同じ答えを書くほかない、悪魔の証明を要求せずジュンガル・清朝時代もウイグルが残存していた事を示す文献・もしくは1段落目への回答の付記部分を提示すればよろしい。
- 西方さんへ、ジャコウネズミ氏は「通史の「ウイグル人」への一部転記提案がなされれば、わたしは、論理的に言ってその提案に賛成するほかない」との意思を表明していますが、「通史の「ウイグル人」への転記」の賛否、それとは別に「転記の終わった「ウイグルの歴史」にある記事のうちウイグル滅亡後の記事の削除」の賛否、それぞれ如何?--120.51.189.107 2012年5月28日 (月) 08:47 (UTC)
- 120.51.189.107様。《「通史はウイグル人の記事で書くものとしたい」との解釈でよろしいですか?》について、以下に示す通り、あなたとは考えが異なるが結論において「呉越同舟」となるのだ、ということを理解していただけるのであれば、わたしの答えはイエスです。まず、あなたと重なるであろう点に関しては、現状の通史はウイグル民族の通史となっているとの認識に立ち、これが、項目「ウイグル人」に移動されても定義上及び内容上何一つ差支えないと考えている点。はっきり決別しておきたい点は、現在、「ウイグル」という語を民族呼称として用いている出典が西方様より多数挙げられており、逆にあなたの仰りたいところの「ウイグル」について、その定義を裏付ける有効な出典が見いだせていない、と考えている点であり、この論理的必然として、項目「ウイグル」において(現代まで続く)ウイグル民族の通史が書かれても定義上及び内容上何一つ差支えないと考えている点。つまり、わたしは、現状書かれているような内容の通史を項目「ウイグル人」に一部転記する提案がもしなされた場合、賛成も反対もできる立場にあります。ただ、現状の通史が、ウイグル民族の一連性を根拠として書かれており、「現在までつながる通史はすなわちウイグル民族の通史である」と言う立場を鮮明にしたいわたしとしては筋からいって賛成したい意志を持つものであり、余程あなたに対して私憤でも抱かない限り賛成に回ることを予告したまでの事です。《回鶻時代以降自らを「ウイグル」と称した政治集団がその当時に現代の民族概念と合致するウイグル民族意識を抱いていた事を証明する資料を出さないといけない。》についてはわたしはその義務を負わない。政治集団など関係なく通史においては民族の歴史が書かれ、時代が一連のものとして繋がっていればよろしい。また、意識についても、現代のウイグル人が昔の時代のウイグル人の後裔である、と言う事実または事実と認める歴史観が出典において示されれば充分。《ジュンガル・清朝時代もウイグルが残存していた事を示す文献》ウイグル民族が残存していたことは西方様が出典において立証されています。記事にも反映されています。「ウイグル人の政治勢力」が残存していたか、という問いであれば、それはあなたの方がお詳しいはずです。わたしは、ウイグルの民族通史が「ウイグル」、「ウイグル人」のいずれかに存在していれば良しとします。ぶっちゃけた話、わたしの「ウイグルの政治史」への興味はゼロです。また、わたしは記事の重複立項には極めて厳しい態度を取ります。これまでもそうしてきました。ですから、項目「ウイグル人」への通史の転記が実現し、誰かが項目「ウイグル」で「ウイグルの政治史」を書いたとして、「ウイグルの政治史」が「ウイグル人」の民族通史に包含される事態になれば、わたしは「ウイグルの政治史」を全力で潰しにかかるでしょう。「呉越同舟」とは、そういうことでもあります。お含みおきを。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月28日 (月) 10:46 (UTC)
ジャコウネズミさん、ノート:ウイグル人で統合案を提示されておられますが、正式に統合提案されたらいかがでしょうか?といいますのも、重複を問題視しているのなら、私の以下の既存事典等の調査によっても「ウイグル」と「ウイグル族」「ウイグル人」が同義であることは明白であるからです。IP氏の「現代ウイグルについてはウイグル人へ」という個人的な趣味は論外としても、重複を問題視されるのであれば、記事ウイグル人は本記事ウイグルに統合すべきでしょう。それに、なぜジャコウネズミさんがウイグルをウイグル人記事へ統合提案したのに、逆はないのか、不明です(おそらくは「民族史」ということなのかもしれませんが)。なお、情況を鑑み、統合提案された場合は賛成します。--西方(会話) 2012年5月28日 (月) 16:37 (UTC)
統合提案につき下記節へ移動。--西方(会話) 2012年5月28日 (月) 17:00 (UTC)
- ジャコウネズミくん。ジュンガル・清朝期の「ウイグルという民族呼称」とは、幾ら印象を変えるべく言い換えても要するにウイグル民族・ウイグル人・ウイグル族であって、「ウイグル」という政治体が今何所かにあるわけではない、言い方を変え目先を変えても結局は近現代にウイグル人が存在してもウイグルが存在しないのと同じく、何一つ証明をせずジュンガル・清朝期の証拠提示から逃げているだけに過ぎない。一方、回鶻時代~モンゴル支配下の被統治時代までは、中国の史書・集史・イスラム世界の文献から国家又は集団としてウイグルを自称或はウイグルと呼ばれていた事が確認できる。西方氏の提示した文献もまた、以前から私も何度も同意している内容と何ら変わらずウイグル人が存在したという証拠に過ぎない。--Roadhave(会話) 2012年5月31日 (木) 09:07 (UTC)
- わたしは「ウイグル」を特記なき限り一貫して民族呼称として用いており、「ウイグル」という政治体を論った覚えははない。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月24日 (火) 09:11 (UTC)
「古代ウイグル」と「現代ウイグル」との「関係」についての出典
各種事典における立項も含めて以下報告します。
- 『ブリタニカ国際大百科事典』1998,TBSブリタニカでは「ウイグル」について「初めはテュルク系の部族名であったのがのちに民族名となった。漢字では、回鶻、回紇、畏兀兒、維吾爾などと書かれる。現在、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の主要構成民族であり、旧ソ連に属していた中央アジアの諸共和国内にも散在している」と冒頭で定義され、歴史が述べられたあと、「(…)チャガタイ・ハン国の所領となった。この結果、ウイグル国は滅亡したが、ウイグル民族はその後、イスラム教徒となり、東トルキスタンの主要民族として現存している」(山田信夫執筆)。なお、この事典の「新疆ウイグル自治区」記事では「この地方の主要住民であるトルコ系のウイグル族を主体として設立された省級の自治区」とあります。
- 『世界大百科事典』平凡社1988(2007年新版)では「ウイグル族」と立項され、「はじめモンゴル高原、のちトルキスタン方面に移住したトルコ系民族のひとつ。回紇、維吾爾とも記される。現在は中国の新疆ウイグル自治区と旧ソ連中央アジアを主たる居住地とし、人口は中国に720万、旧ソ連邦内に21万。」と冒頭に定義され、天山ウイグル王国に触れたあと、タリム盆地の従来のアーリヤ系住民の文化は「ウイグル化・トルコ化された。一般にトルキスタンの成立といわれる」とあり、さらに10世紀のイスラム化、ウイグル人仏教徒について触れたあと、「以後、彼らの自主的政権は消滅した。彼らは16-17世紀の政治的混乱期に諸ハーン、ホジャ政権、ジュンガル王国の誅求に苦しみ、イリへの強制移住も甘受した。18世紀半ばに清朝に服属したが、当初自治を認められていた彼らも、清朝官吏の不正と収奪にたびたび反乱を起こした。14世紀以降、彼らの言語(チャガタイ化)、文字(アラビア文字使用)、血統(混血)は大きく変容し、清朝でいう「回子」「纏回」はイスラム教徒のトルコ人というほかなく、これが現在のウイグル族の祖になっている」(梅村坦執筆)
- 『アジア歴史事典』平凡社1959(1992版)では「ウイグル」記事に「はじめ蒙古、のちトルキスタン方面に移住したトルコ系民族。本来は部族名で、つぎにそれを中核とする遊牧国家名、さらに定着生活に入ってからは彼らを支配者とした王国名にもなった。その後は民族名として伝わり、現在中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の主部分を構成している」と定義。チャガタイハン国によって「ウイグル人の政権は完全に消滅した。チャガタイハン国滅亡後の分裂した小政権時代、さらに清朝の支配をうけた時代を通じて、この地域の住民の多くは旧ウイグル国人の子孫として、その間イスラム教徒化して現在にいたった」とある(山田信夫執筆)。
- 『民族問題事典』平凡社1995年の「ウイグル」では、「中国新疆ウイグル自治区のオアシス定住民の民族呼称。この地域の住民は元来、インドイラン系の言語を話す人々であったが、9世紀後半にウイグル人がモンゴル高原からタリム盆地東部へ移住し、いわゆる西ウイグル王国を建てたことを契機にトルコ化した」とあり、ジュンガル時代のタランチなどにも触れてある。続けて「19世紀末以降の民族意識の覚醒によって、東トルキスタンの定住民のムスリムはひとつの固有の民族であるとする観念が形成されはじめ、東トルキスタン人、汎トルコ主義の影響をうけて、チュルク人などの名称が使われるようになった。」とあり、1921年のアルマ・アタ会議などについても触れてあとで「しかし、現在の時点ではこうした経緯が認識されることはまれであり、<ウイグル>という呼称は、歴史的にほぼ無限定に用いられている」(濱田正美執筆)。なお、同事典「新疆ウイグル自治区」では、ジュンガルと清の戦争、ヤコブ・ベクらの西北ムスリム大反乱についても言及、また西北ムスリム大反乱記事では清が再征服したことなども触れてある。
- 既出ですが、大辞林(三省堂、1988年)の「ウイグル」項では古代ウイグルの「後裔」として現在の新疆ウイグル自治区のウイグル族について記してある。
- また、デジタル大辞泉(小学館)「ウイグル」記事[3]では、「トルコ系の遊牧民族の一。744年、突厥(とっけつ)を破ってモンゴル高原にウイグル王国を建てたが、1世紀後、内紛とキルギス人の侵入によって滅亡し、四散。うち西域に移ったものは西ウイグル王国を建てたが、13世紀末、元に帰属後、乱によって国を失った。初めマニ教・仏教、のちにイスラム教を信仰。現在、中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区の主要住民。[補説]「回紇」「回鶻」「畏兀兒」とも書く。」とある。
以上、IP氏の主張「古代ウイグルと現代ウイグルは無関係」とする主張およびその他の主張は、このように専門家が執筆した信頼性の高い各種百科事典の記述により、完全に否定されました。IP氏の主張は、IP氏以外のだれもそんなことを主張していない、つまりは完全に個人的な思い込みにすぎないことも反証されました。IP氏は、一貫して出典を出すことをせずに、自分の主張を頑なに反芻するばかりでしたが、それもそのはず、そもそもその主張に何の出典も学術的根拠もないからです。以降、IP氏が新たにこれらの記述を反駁するような出典を出されたとしても(そんなものはないですが)、これらの記述を参考にして、本記事は、古代ウイグルから現代ウイグルまでの記述を行うべきでしょう。IP氏は、まずはウイグルについて調査したうえで発言してください。といっても、IP氏ははじめに結論ありきですから、再三の出典明記の要請についても一切無視して、他の編集者の記述をノートでの議論もなく(ノートで議論中と要約欄で虚偽までいっていますが)、大量に一括削除することしかされないので、もはやIP氏はそもそもウイグルについて執筆する気もない、荒らし以外の何者でもないでしょう。一連の議論でこうして判明したのは、「IP氏の個人的な妄想でウィキペディアの記事を執筆することはできない」ということです。--西方(会話) 2012年5月26日 (土) 08:44 (UTC) 可読性および出典の重要性から小節化します。--西方(会話) 2012年5月26日 (土) 09:42 (UTC)
- ジュンガル、清朝のムスリム反乱と「ウイグル」との関連についての出典
- 出典を補足します。
- 間野英二「中央アジアの歴史」(講談社現代新書1977)第六章(196-205頁)で、ジュンガルと清の戦争とタリム盆地のウイグル人との関連、清朝のムスリム反乱(ジャハーンギール・ホージャ(ジハンギール)の乱、ヤクブ・ベクの乱など)とウイグル族・ウイグル社会の動向について述べられており、新疆ウイグル自治区の成立まで通史が執筆されている。
- 今谷明「中国の火薬庫 新疆ウイグル自治区の近代史」(集英社)第二章「清朝とジュンガル帝国」では、「ジュンガル帝国は、東トルキスタンとウイグル人にとっては関係深い国である」と明記されている(69頁)。同書第三章「同治の回乱とロシアの南下」では、ジャハーンギール・ホージャ(ジハンギール)の乱、ヤクブ・ベクの乱などについてもウイグル族との関連で執筆されている。
- 上記二著、および上記事典の記述によって、IP氏による「本記事をジュンガルまで」とすべき要請、「清朝化のムスリム反乱は無関係」とする主張は、一切の根拠のない妄言であることが示されました。以前にもいいましたが、このIP氏は結局は「<現代ウイグル>について本記事に記載したくない」という個人的な主張(というより「気持ち」)を繰り返しているだけです。こうしたIP氏の要請・主張は出典を何一つ持ち合わせておらず、まったくのでたらめ(「独自研究」でさえない)であること、を再度指摘して、私からは終わります。なお、これらの出典を参考にして加筆を続けて参ります。--西方(会話) 2012年5月26日 (土) 10:20 (UTC)
- 西方さんごくろうさまでした。前のほうの節で提案している定義文の一部修正案を撤回します。西方さんの加筆に期待。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月27日 (日) 02:09 (UTC)
- 西方へ、いい加減に国家・集団等政治体としての「ウイグル」と「ウイグル人」・ウイグル族を意図的に混同するのは止めたら?直前上記二著は、いずれも非ウイグルかつ非ウイグル人の指導者が起こした反乱にウイグル人が加わったとしか読めない。中世のシリア人は、ビザンツ、イスラム諸王朝、トルコ系諸王朝、フランク人、クルド人、エジプト人指導者に従って時に政権を替え時に反乱を起こしたが、中世シリアは建国されずシリア出身者が広域国家で主導的地位に就いた例もほとんど無かった。古代のエジプトは諸王国が栄え、中世にも諸王朝が栄えたが、ウィキペディアのエジプトは近現代を扱い、他に古代エジプト、エジプシャン、中世の諸王国・諸王朝に分かれている。個人的な熱い想いだけで記事を垂れ流すのは迷惑千万--120.51.189.107 2012年5月28日 (月) 08:47 (UTC)
- IP氏へ。私が引用した各種事典の立項および記事内容を読まれよ。私の引用が信用できないというのであれば、日本国内に居住されている限り、公共図書館で確認できる。また、ご自身が主張される場合は、なんらかの出典を持ち寄れ。--西方(会話) 2012年5月28日 (月) 17:06 (UTC)
- 西方氏へ、ジャハンギル・ホージャとヤクブ・ベクは何族で何所の出身か答えて貰いたい。共にウイグル族とはされず、現在の新疆ウイグル自治区出身ともされていない。--Roadhave(会話) 2012年5月31日 (木) 09:07 (UTC)
記事ウイグル人の本記事への統合提案
記事ウイグル人を本記事へ統合提案します。
理由
- 内容の重複。
- および、本ノートの前記ノート:ウイグル#「古代ウイグル」と「現代ウイグル」との「関係」についての出典節における既存の百科事典の立項情況をみても、「ウイグル」「ウイグル人」「ウイグル族」は同義であるため。
参照された事典は以下の通り6点。
- 『ブリタニカ国際大百科事典』1998,TBSブリタニカ
- 『世界大百科事典』平凡社1988(2007年新版)
- 『アジア歴史事典』平凡社1959(1992版)
- 『民族問題事典』平凡社1995年
- 大辞林(三省堂、1988年)
- デジタル大辞泉(小学館)
以上、Wikipedia:ページの分割と統合の「統合すべき場合」に該当。 --西方(会話) 2012年5月28日 (月) 16:58 (UTC)補遺。--西方(会話) 2012年5月28日 (月) 17:15 (UTC)
- 保留 以前、逆方向の統合を提案した通り、統合には賛成できる。「ウイグル人」より「ウイグル」が項目名として適切かつ優位であることについて自分が納得できれば本提案に賛成できる。この点については、一例として、他の単独項目と内容を一部重複した形で本記事にて節「地理」「資源」について書かれていることの正当性及び必要性が明白となれば解決でき、これらの節について項目名を「ウイグル人」としたのでは掲載しづらくなる、という一つの論理が成立するように考える。統合した場合のウイグル人の現在を調べたい閲覧者に対する可読性については、重複記事の解消を第一義とし、統合した場合には、可読性をよくする記事の構成については、できる限り協力させていただきたい。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月29日 (火) 02:36 (UTC)
- 賛成 記事「ウイグル人」の履歴をみると、記述の一部を、私の手でこちらから移動したりしておりますが、西方氏の提案に賛成します。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月30日 (水) 15:02 (UTC)
- 反対 止むを得ず統合するのであれば、近現代についても記述可能なウイグル人へ統合しないといけない。地理に関してはウイグル人の活動と密接な関係があったのだから、記述しても何ら問題は無い。--Roadhave(会話) 2012年5月31日 (木) 09:21 (UTC)
- 統合理由を補足します。
- 「ウイグル人」より「ウイグル」が項目名として適切かつ優位かという件については、上記各種事典6点のうち『世界大百科事典』平凡社1988(2007年新版)のみが「ウイグル族」として立項しており、他はすべて「ウイグル」です。この既存の百科事典における立項状況を参照したうえで、それにならうことが適切であるだろうこと、これがまずは統合提案の理由です。
- ウイグル人が独立した記事として存在することそのこと自体は私もいいとは思うのですが、しかしそれは、十分に記事内容が、たとえば民族系統の問題または民族の特質について特化された状態である場合です。記事の現状は、そのあたりはひどく中途半端なものになっており、これまでの議論でも度々議題となった理由でもあります。私も以前、「ウイグル」が概要・包括的記事、「ウイグル人」が民族の特質等に特化された状態を、理想的な状態として期待する旨、発言しています。しかし、今回の既存事典の調査によって、「ウイグル」とは部族名・国家名(古代ウイグル)・民族名という整理の仕方を知りまして(上記『アジア歴史事典』他の定義)、両者はまさに同義であると判断した次第です。なお、この定義についてはまだ本記事本文に反映させていません。
- ジャコウネズミさんのおっしゃる重複の件、「地理」「資源」等の個別の案件については、また別節をたてるなりして問題提起していただければと思います。もっとも、「重複」については私はまた異なる見解を持っておりますことは以前の議論でも触れました。なお、今回の統合提案の理由1の「重複」は、そうした記事間の関係(親子関係、リンク関係)の問題における「重複」とは異なる案件と存じます。すなわち、「ウイグル」が民族呼称であることが確定した以上、「ウイグル」と「ウイグル人」の2つの語における定義上の弁別がないことが問題であり、つまりは同一内容、同義の語であるからです。いまは統合提案に議題を集中させたく存じます。
- なお、トムルさんが記事が膨張する懸念を以前表明されておられましたが、統合の際には、両記事の重複等は、むろん圧縮していくつもりです。この圧縮・短縮の問題については、統合案への有意な反対意見なき場合の統合編集後の議題としていただければと存じます。
- Roadhave氏(発言内容からIP氏の新たなアカウントのように推認されます)は、「近現代についても記述可能なウイグル人へ統合しないといけない。」という「主張」の根拠は何ですか?有意な反対を行うには、「近現代のウイグルについては『ウイグル』でなく、『ウイグル人』と呼ばれる」ということが明記された出典をお持ちください。あなたの主張は、すでに既存の百科事典の立項状況および上記各種論文(古代ウイグルについても「ウイグル人」は使用される実態がある)にも矛盾するとともに、「ウイグルがウイグル族・ウイグル人と同義であること」とする既存事典の定義とも矛盾します。それとも、あなたは「既存の百科事典の立項状況など関係ない」とお考えですか?「近現代についてはウイグル人」というあなたの個人的な意見には、なんら客観的な根拠がございません。なお、地理については私も賛同できますが。--西方(会話) 2012年5月31日 (木) 16:03 (UTC)
- 統合理由を補足します。
- 賛成 ただし、提示された出典の記述の通り、項目「ウイグル」の定義の第一義を民族呼称とすること。--ジャコウネズミ(会話) 2012年6月1日 (金) 06:45 (UTC)
- ジャコウネズミさん、ありがとうございます。ただ、編集はむろん私だけの専売特許ではないので、冒頭文の編集は、あなたでもいいかと思いますよ。問題あればまた議論ないし再編集すればいいことなので。
- あと、Roadhave氏は統合そのものには反対されておられませんね。「ウイグル」でなく「ウイグル人」が適切とされるのであれば、しかるべき出典に基づいて、改名提案を行うといいかと思います。もっとも、上記各種事典の立項状況を「覆す」のは相当難しいと思われますが。--西方(会話) 2012年6月2日 (土) 02:03 (UTC)
- コメント統合というか、正直削除でもいいんじゃないかと思います。ウイグル関係は記事が乱立に近い状態となっており、この項目の記載内容は別の複数の記事の一部分の組み合わせでしかない状態なのでは。--220.214.162.115 2012年6月3日 (日) 10:11 (UTC)
- 220.214.162.115さん、統合ということは事実上削除ということです。記事ウイグル人はリダイレクトページになるわけですから。ただし、本記事に組み込みべきものは、組み込む予定です。組み込みにあたっては、重複部分などは当然圧縮短縮いたします。組み込みの具体的な編集については、統合後の案件となるかと思います。なお、「ウイグル関係は記事が乱立に近い状態となって」いるのではないかというご指摘については、それは別件であること、また、私個人は、他の記事とくらべてウイグル関係記事が特に乱立しているとはいえないと思っております。--西方(会話) 2012年6月3日 (日) 14:54 (UTC)
それでは、統合に対して反対意見がございませんでしたので、統合手続きを開始します。--西方(会話) 2012年6月5日 (火) 09:18 (UTC)
- 統合完了。統合にあたっての組み込みなどの問題等、ございましたら、新たに問題提起してくださいますようお願い申し上げます。--西方(会話) 2012年6月5日 (火) 10:38 (UTC)
歴史の項ですが、「歴史」の項は「古代」から「近現代」までを指すのではないのでしょうか?だとすれば、「近世」と「近現代」を「歴史」の中に入れたらどうでしょうか?また、「歴史」を「古代」、「中世」、「近世」、「近現代」にわける必要があるのでしょうか?--トムル(会話) 2012年6月6日 (水) 13:40 (UTC)
- 「近世」と「近現代」を「歴史」の中に入れる件は、加筆しようと準備しているものがあるのですが、件の議論で加筆していませんでした。むろん、「歴史」節にいれていいと思います。「古代」「中世」「近世」「近現代」については、一般的だと思いますが。また、分量と可読性の観点からもあっていいと思います。--西方(会話) 2012年6月6日 (水) 15:08 (UTC)
112.138.230.50氏による連続投稿の差し戻し
112.138.230.50氏による連続投稿が続きましたが、利用者:Vigorous actionさんによってブロック破りと認定されました。このIP氏はこれまでのIP氏と同一人物と推認できますが、これまで本記事を荒らしたIP氏は、さらにまた別の人物の可能性もあります。私はこれまでのIPユーザーを複数の方によるものとも推察しますが、この件についてはここまでにします。
さて、IP氏の今回の連続編集ですが、以前の既存記述の一括削除とは異なり、随分丁寧にはなってきてはいるかのように思われます。しかし、出典をともなう記述を自己流に改変され、元来出典にある記述を削除されることもなさる。以下、事例。
- 2012年6月5日 (火) 16:50の編集では、原文の森安孝夫の本に「コーカソイド」とあるのを削除、また原文に「トルキスタン」とあるのに、IP氏は「当時のトルキスタンはアルタイ山脈・パミール以西を指す」として出典ごとコメントアウトしています。
- 2012年6月5日 (火) 18:23時の編集では、原文(森安本)では「チベット」と表記あり、それを反映させた文であるのに、「吐蕃」に変えられる。吐蕃でも間違いではないのですが、近年の東洋史では中国からの視点(中華思想)ではない、より多様な枠組みとして地域史・各民族史的なものとして歴史が書かれるようになっています。特に中央アジア史関連はそうです。この件についてもこれ以上の議論は不要ですが、原文にある表記を自己流に解釈し、しかもその原典を明らかに読まずに編集する態度は問題があります。
- 2012年6月5日 (火) 18:10時の編集では、「ウイグル軍に遭遇した唐の使節劉清潭は、唐への侵攻を踏みとどまるよう説得したが聞き入れられなかった」という文を、「進軍中に唐の使節劉清潭を謁見すると」と「謁見」という表現を使っていますが、これは原文(森安293頁)にない。IP氏はどうしても唐とウイグルが「対等」であったことを認めたくない、というお考えの方のようです。
IP氏のすべての編集が問題とはいえませんが、連続投稿とはいえ、同じ人物による編集として全体としてはひとつの編集といえますので、リバートします。--西方(会話) 2012年6月6日 (水) 06:47 (UTC)
- では『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』を出典として、トカラ語族(西南部の于テンはイラン系とあるが)に訂正しておきましょう。『Hudud al-'Alam』でもトルキスタンはシルダリヤ以北・アルタイ山脈以西に限定して使われている。
- 中央アジアとは何所を指すか、東アジアとは何所を指すか、通用されている地理概念を使わず、西方氏が独自定義する地理観念を多用する編集は問題がある。また吐蕃は一般的に吐蕃と呼ばれ『中国の歴史 6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代』や『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』でも吐蕃が使用されている。非常にエキセントリックな森安さんは異端ですよ異端、それもかなりね。
- これは純粋に私のミスですね。最初に劉清潭側の視点なので謁見と書き、そのあとウイグルの記事だからと可汗側の視点に書き改めた際に表現を直し忘れたもの。西方氏の邪推するような他意は無いよ、いや本当に。--112.139.0.134 2012年6月6日 (水) 11:22 (UTC)
- 編集を強行される前に、問題としてここで議論しているのですから、十分に議論しましょうよ。あなたが森安氏をどう評価されようが、それは出典としての価値を失いません。私とて、別に森安主義者でも何でもありません。あなたが別の出典を持ち寄り、それをしかるべくスタイルマニュアルに則って加筆されるのであれば、それは歓迎します。しかし、「西方氏が独自定義する地理観念を多用」するといったり、そうしたことはオウム返しにあなたにもいえることでしょう。そもそも、この地理観念の話はどこの話ですか?「中央アジア」とおっしゃっるからには、おそらくは冒頭otherusesのことですか?それについても議論してよいですが、そもそも現代の地理概念を古代中世史に適用することは歴史学においても一般的でしょう。特に、専門家ではない、一般読者向けの書籍においては、そうした傾向はよくあることです。ここもあくまで一般向けですので、可読性を考慮すべきでしょう。あなたの基準は、「当時、そのような概念や呼称はなかったから記載できない」というものですか?もっとも、「現在、中央アジアといわれる」といったような説明の仕方でこれらの問題は、すぐ解決する話ですが。
- 吐蕃についても、「チベット(吐蕃)」ないし「吐蕃(チベット)」などと表記すれば済む話です。
- 礪波護「世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮」p202では吐蕃とチベットの双方が使用。
- 山田信夫「草原とオアシス」pp95-6では吐蕃とチベットの双方が使用。
- 間野英二「中央アジアの歴史」(講談社現代新書1977)p84では「7世紀後半のチベット人の中央アジア進出」とある。
- つまり、双方が併記されるのが最も適切でしょう。
- 「コーカソイド」は森安氏の本に明記されていますので、その削除には合意できない。トカラ語族についての加筆は、出典とその該当頁を明記されたうえであれば、もちろん大歓迎です。
- 「トルキスタン」については、「『Hudud al-'Alam』でもトルキスタンはシルダリヤ以北・アルタイ山脈以西に限定して使われている。」とおっしゃってますが、これは『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』によるものでしょうか?しかしこの荒川氏の本は専門的な本ですよね。「詳説 世界史研究」2008年p144では「トルキスタンは一般にパミール高原を境に西トルキスタンと東トルキスタンに大別される」とある。結局、あなたは専門書をもって、「厳密ではない」と主張されたいのでしょうが、そうした学術的な詳細については、トルキスタンで加筆し、そこで十分に説明すればいい話でしょう(当該記事は出典が不足していますし)。また、各種事典を持ち寄って議論してもいいのですが、そもそも、なぜそこまで他人の執筆した記述を議論もなく強引にコメントアウトして、執拗に「厳格」な議論をされたいのでしょうかね?あなたがこれまでのIP氏と同一人物であるとすれば、ちょっとしたウィキペディアのマナーを順守するだけで、互いに記事の成長を望めるではないですか。
- 「謁見」については了解しました。--西方(会話) 2012年6月6日 (水) 13:03 (UTC)
- いま本文を見ました。
- [4]について「独自定義の地理概念」などといちゃもんつけておられますが、トルキスタンについては、アジア歴史事典に準じた表記です。
- 「大辞林(三省堂、1988年)の「ウイグル」項では、「モンゴル高原に興り、のち、トルキスタンに移住したトルコ系民族」と定義されている。」に「(シル・ダリヤ以北の中央アジア)」を付与していますが、そんなことは大辞林には記載されていない。したがって、事実ではない虚偽記載となります。
- 「当時のトルキスタンはアルタイ山脈・パミール以西を指す」としてコメントアウトした件については、前述のように解除願います。また「支配層として乗っかる形で共存」となぜ書き換えるのですか?森安本の該当頁を読んでないでしょ?失礼ながら、あなたは脚注と本文との関係の構造について理解されておられないのではないかとさえ思われますよ。
- 「11世紀の時点では現在の新疆ウイグル自治区はトルキスタンと呼ばれていない」と脚注であなたは加筆していますが、これは特筆性不明。ですし、そんなことは歴史に興味ある人間であれば誰だってわかっていることです。
- 「タリム盆地の北に位置しモンゴル高原の南西にあるジュンガル盆地は、遊牧国家(匈奴,突厥など)の勢力圏となっていたが、鉄勒の中から回紇(ウイグル)部が台頭し、8世紀には突厥を滅ぼす。」を一括削除されていますが、理由を説明してください。鉄勒の中から回紇(ウイグル)部が台頭したことを明記する必要は、理解のうえで必要です。
- 「また唐の弱体化にともない、ウイグル帝国は、吐蕃と並んで中央アジアの雄となる。」を、「また唐が安史の乱の勃発により西域の経営から手を引くと、ウイグルは西域を巡って吐蕃と数十年に渡る戦いを繰り広げた。」と書き換えていますが、唐がそれ以前は西域を経営していることの出典の明記をお願いします。
- 「王柯はこの新疆省の設置について「民族自治の権利が剥奪され、ウイグル人は漢民族出身者による直接支配下に入った」としている。」という文を脚注にしていますが、脚注にした理由を述べてください。この王氏によるコメントは重要ですから、よほどの理由がない限り、本文に戻すことを希望します。
- サマ・ウスーリについて「カシュガルのエイティガール・モスクでは、イスラムの祝日(イード・アル=アドハー)に三日間モスク前の広場で踊られる。」を全文削除した理由を説明してください。
- [5]で出典を追加していますが、著者名、出版社、頁数などを明記してください。また、既存の記述のコメントアウトされたところは、解除してください。
- また[6]での謁見の件ですが、そもそも出典に「謁見」とありませんので、これも戻してください。なお、この出来事について「謁見」と記された出典があれば、(検討したうえで)納得できますが。
- 以上、すべての質問にお答えください。--西方(会話) 2012年6月6日 (水) 13:13 (UTC)
- 質問に答え、また、議論が終了するまではあなたの編集を復活させないようにお願いします。あなたの編集に異議があり、ここで質問しているのですから、まずはそれらに答えて、私と合意に達した時点で、編集を再開してください。--西方(会話) 2012年6月6日 (水) 13:40 (UTC)
- [4]について「独自定義の地理概念」などといちゃもんつけておられますが、トルキスタンについては、アジア歴史事典に準じた表記です。
- いま本文を見ました。
- まずウイグルの記事中で西方氏(別のアカウントの編集かもしれないが)が使用している中央アジアは独自定義であって、新疆ウイグル自治区は東アジアに属す、これは西方氏お得意の百科事典で調べてもよいし自らの良識を頼んでもよい。次いでトルキスタンは御自身も指摘している通り「現代ウイグル人の祖先と仮託されているウイグル人」が活動していた時期にはシルダリヤ以北・アルタイ以西のステップ地域を指していた、よって当時のトルキスタン以外にも使用したい場合はマーワラーアンナフル(現西トルキスタン)その他とすればよい、ジュンガル盆地・イリ地方やタリム盆地その他は新疆ウイグル自治区と甘粛省に包括されている以上東トルキスタンを使う理由が存在しない。もしあるなら説明して貰いたい
- では削除しましょう、具体的な天山ウイグルや甘粛ウイグルやカラ・ハン国の記事がある以上敢えて曖昧模糊としたトルキスタンという表現を使う必要が無い。
- トルキスタンについては現代の地理に沿って新疆ウイグル自治区を使用。テュルク化に関しては同じ様な内容でより具体的な記述のある『突厥与回鶻史』の記述と差し替えておきます。
- ならば、現代の呼称を使う時には新疆ウイグル自治区や甘粛省、CSI諸国やモンゴルに跨る場合にトルキスタンを使えばよろしい。
- 回鶻部の台頭の項では、時系列順に回鶻部が台頭した旨と最後に回鶻が突厥を滅ぼした事が書かれているので、西方氏の推す文章だと重複の上に時系列を無視した順番となり体裁が良くない。
- 了解
- 清朝は最後まで満旗を重用する方針を貫き末期に至っても要職は満漢半々であるし、当時の支配者は漢人官僚が増えたとはいえあくまでも満州人。また左宗棠が漢人だった事も偶然の域を出ず、皇族や満貴が就任する可能性はあった。当時の支配者が漢人であると誤誘導する内容は非常に疑問だが、削除すると西方氏が怒って面倒臭い事になるので脚注へ移しました。
- その辺は触ってないよ。履歴を見ても私が編集する以前に除去されている。他の誰かの仕業だ
- はーい
- これは西方氏のお好きな様になさって下さい。文脈は一緒だしいいんじゃないの?と思うけど。ウイグルについての記事が唐側視点というのも体裁悪い。それに丸々抜粋の方が拙いんじゃ
- 私は従前の記事に異議があって編集し終えたのだから、西方氏が異議を唱えた時点+合意した内容の記事とすればよろしい。異議を唱えるのはいいが、言論封殺は為されないよう。
- ③については突厥が西域を領有していた時期とウイグルの遺民が移住した出来事を混同していたので、西方氏の御要望に沿っておきます。--112.138.249.16 2012年6月6日 (水) 17:10 (UTC)
- 「新疆ウイグル自治区は東アジアに属す」と断言するが、それは中国が東アジアだからでしょ。というか、あなたは「東トルキスタン」の概念も中央アジアの概念も知らないようだが、新疆ウイグル自治区とはすなわち東トルキスタンのことです(『ブリタニカ国際大百科事典』1998,TBSブリタニカの「中央アジア」に明記されている)。また、上にもあげたやつをまた再掲しないといけないか?本ノート「「古代ウイグル」と「現代ウイグル」との「関係」についての出典」節を読まれよ。というか、あなたは「ウイグルは中央アジアとも東トルキスタンではない、ウイグルは中華人民共和国であり、したがって、東アジアのみに属す!」といいたいのか?結論からいえば、新疆ウイグル自治区が中国の行政区分ということからいってそれはむろん東アジアに属す。同時に、新疆ウイグル自治区とは東トルキスタンでもあるから、東トルキスタンと西トルキスタンで構成される中央アジアにも属している。
- そもそも、中央アジア史について、あなたは興味ないのかもしれんが、中央アジア史関連書籍でなぜウイグルが扱われていると思う?
- 「では削除しましょう」などといっているが、ぜんぶ、あなたの個人的な趣味じゃないか。ふざけるのもいいかげんにしなさい。「現代の呼称を使う時には新疆ウイグル自治区や甘粛省、CSI諸国やモンゴルに跨る場合にトルキスタンを使えばよろしい」については、それらを使ってもいいが、だからといって、トルキスタンや東トルキスタンを「曖昧だから」という理由で「使用してはならない」なんて考えは、成立しない。
- あなたの根拠は『突厥与回鶻史』?『突厥与回鶻史』』の日本語で確認できる出典を示せ。
- 「言論封鎖」?聞いてあきれる。ご自身の横暴な編集が問題だし、単独の出典によって、むちゃくちゃな要求をするあなたの偏った編集態度(中央アジアとか東トルキスタンという地理概念を認めないといった)は、実にでたらめもいいとこ。あなたがどれだけ書いても、同様の傾向を続ければ、すべて差し戻しになるだけですよ。まあ、以前と比べると、ずいぶん、成長なさってはきているが。何度もいってるように、私は、日本語で確認できる出典があれば、それを加筆することには何の反対もしない。--西方(会話) 2012年6月7日 (木) 03:56 (UTC)
- 現在、議論中なのだから編集の強行はお控えください。また、「私は従前の記事に異議があって編集し終えたのだから、西方氏が異議を唱えた時点+合意した内容の記事とすればよろしい。」といっているが、あなたが異議があり編集したといっても、その編集が、でたらめだから、合意できないといっているんだ。
- 「歴史学者の森安孝夫」を「ある歴史学者は」と変えているが、主張している人物を明記しない方が適切という理由など、ない。--西方(会話) 2012年6月7日 (木) 04:04 (UTC)
- 天山ウイグルや河西ウイグルのあった地は大雑把には東アジアに属し、カラ・ハン国は中央アジアに属す。多少細かく書けば、現在の新疆ウイグル自治区・甘粛省とCSI諸国にあった。東トルキスタンは中世のトルキスタンとは全く異なる地域を指す上に範囲も明確ではなく、一部(ジュンガル盆地イリ地方より北)は中央アジアに属すが範囲の大部分は東アジアに在る新疆ウイグル自治区から成っている。
- 言いたいことがあるなら具体的に。
- 新疆ウイグル自治区の範囲は明確、甘粛省もCSI諸国もモンゴルも明確に範囲が決まっている。東トルキスタンの範囲は何所から何所までなのか?そもそも時間と共に意味が変遷した上、政治的な理由で伸縮する単語で地理的概念でない単語を無理に使いたがる意図は何なのか。だいたい新疆「ウイグル」自治区に対して「Turk」istanだよ、性質の悪いギャグとしか思えない。
- え?森安本もトルコ化したという似た様な内容でしょ?少し落ち着こう。
- 西方氏の質問に応答した部分だけで既に4つの出典に拠ってますし、そう書きました。
- 中央アジアは東アジアの西に位置する地域でほぼCSI諸国と重なる、誰も否定してません。東トルキスタンの範囲は何所から何所までなのか?他に範囲が明確に決まってる名称があるのだから、わざわざ今現在の範囲が曖昧で歴史的に指す場所が変遷してきた非常に政治的な単語を使う理由が無い。
- 私も同じく出鱈目(とまでは思ってないけども偏ってはいる。{返答不能になるとソックパペットで工作を始める有害無益で無知なジャコウウサギやチベット気違いの酷さには遠く及ばないがw})と思ったので編集したのですよ。
- 結論出てない話の時はふつう固有名出さないでしょ。どちらでもいいですが--112.138.229.117 2012年6月7日 (木) 15:58 (UTC)
- 「返答不能になるとソックパペットで工作を始める」サンプルとしては、吐蕃・変更履歴の6月3~6日の変更を参照。まずはIPで「他の編集者が書いた典拠付きの記述」をゴッソリと削除する編集を繰り返し、記事に半保護がかけられたとたん、使い捨てのログインアカウントRoadhave、Comesturn、Closeexact、Watchwants(現在はすべて多重アカウントを理由にブロックされている)で「活躍」、記事「吐蕃」は編集保護に至った。この記事「ウイグル」でも同様の編集行動を始めた模様。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月7日 (木) 18:04 (UTC)
- 「政治的な理由で伸縮する単語で地理的概念でない単語」? なにいってんですか? IP氏、あなた、地理学・歴史学の概念としての東トルキスタンと、東トルキスタン独立運動を混同してないか?「東トルキスタン」が「政治的」いうなら、「新疆ウイグル自治区」なんて、たんに中国の行政区分じゃないか。国境ないし国の行政区分と、地理学の概念と、どちらが「政治的」かといえば、当然、前者でしょ。あなたが中共様の神聖なる領土に対して「トルキスタン」など無礼千万!!と主張する方がよほど政治的だろ。笑止千万。「東トルキスタン」は新疆ウイグル自治区と、名指す地域はほぼ同一。しかし、トルキスタンという地理学上の概念が出された理由は、西トルキスタンとの文化的関係を考えれば、学術的にはそちらの方が正確だろう。とはいえ、私はIP氏のように、「東トルキスタン」と「新疆ウイグル自治区」のどちらが政治的か?などという、どうでもいいことをここで決定するつもりもない。「東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)」と双方を併記すればいいだけ。なお、東トルキスタンについては、『ブリタニカ国際大百科事典』1998,TBSブリタニカの「中央アジア」を参照。つうか、辞典ぐらい、読みなさい。
- 出典の明記については、著者名、書籍名、出版社、出版年数、参照した頁数を明記しなさい。一次資料を持ちだせば、出典の権威があがるとでも思っているのか?要は、あなたのネタ本を明らかにしなさい、ということですよ。
- 森安氏の件については、私とて森安氏の見解すべてが「学会の通説」などとは思っていない。だからこそ、森安氏の見解であることを明記した方が適切なのだ。王柯氏についても同様。あなたが森安本を読んでるとは思われないが(おそらくあなたはここでの議論で紹介された情報だけで憶測でいってるでしょ?)、森安氏はたしかにエキセントリックな見解を著書で披露される方でもある。とはいえ、氏のウイグル研究は随一のものである。森安氏の業績とあなたとでは、どちらが「異端」ですか?あなたは引用の仕方も、議論の仕方もなってないし、東トルキスタンの地理概念さえ、理解されておられない。ウイグルに本当にあなたはどこまで本気で興味を持っているのか?あなたの一連の発言、編集を見ておったら、どうにも「中国共産党万歳!中共の悪口いうな!ウイグル族なんぞ、滅亡して、いまは存在しない!」というあなたの個人的な政治的主張を、正当化するためだけに、本記事への編集に関わっているとしか、思えません。もっとまじめに勉強してください。お願いしますよ。本当に。あなたが熱心に横暴な編集をし続けたところで、保護、ブロック、バカげた罵倒の応酬、その繰り返しにしかなりませんよ。ソックパペットの件については、Dalaibaaturさんが指摘されておられますが、あなた自身がすでにブロック破り、ソックパペットを多用しているでしょ?してないのであれば、どのアカウントがあなたか、そして、なぜ、いま現在、あなたはIPアドレスなのか、説明しなさい。もっとも、あなたも理由なしにはそういうことを発言しないのだとすれば、あなたからすれば、あなたになりしましたアカウントで誰かが編集したということをいいたいのですね?だとすれば、チェックユーザー依頼するなり、利用者についてのコメント依頼すればよい。どれだけ公平にみても、また、あなたへのなりすまし行為があったとしても、あなた自身がどこまで誠実にウィキペディアに関わっているかが問われますがね。自らを省みなさい。--西方(会話) 2012年6月8日 (金) 16:34 (UTC)
- 東トルキスタンと新疆ウイグル自治区の範囲は同一じゃないし、そもそも東トルキスタンの範囲が明確に定まってない。大雑把な一般的事柄に新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)を使うのは反対しないが、出来事の起きた場所が例えばタリム盆地やジュンガル盆地や甘州だと知られている具体的事例にわざわざ使うことは無い。
- 要求された注釈箇所には、書籍名と何所に書かれているかを記した。あと指摘は具体的によろしく、最近はウイグルの記事書くのに一次史料なんて使ってないよ、大分前に創成神話書くのに使ったくらいで、それも後に他の誰かが解り易く校正したから今の記事とは同一でないし。
- だから、指摘は具体的に。西方氏はいくつかの箇所で森安本を持ち出しているから、引用か何かしてくれないと何所の部分の話か解らない。それに、指摘があったうちの2,3カ所は西方氏ご推薦の森安本の記述に戻してるよ。
- 最後に。西方氏から質問があって返答した後、再度質問されない話はある程度合意というか納得したと判断して編集に反映させているけど、ご異議はあるやなしや?--112.139.0.90 2012年6月10日 (日) 10:08 (UTC)
- IP氏よ、いい加減にしてくれたまえ。なぜ、何度も同じ説明をさせるのだ?意図的に疲弊させたいつもりかもしれないが、はっきりいって、そんな姑息な手段で、私は疲弊しない。『ブリタニカ国際大百科事典』1998,TBSブリタニカの「中央アジア」を参照せよ。いいですか、東トルキスタンと新疆ウイグル自治区の範囲は同一です。範囲も確定しています。「東トルキスタンの範囲が確定しない」と主張するのであれば、それはつまり、「新疆ウイグル自治区の範囲は確定していない」という意味になります。『ブリタニカ国際大百科事典』では「東トルキスタンは、中国の最北西部、北緯34度から49度、東経70度から96度の間に位置し、(以下略)」と、確定している。あなたの主張「東トルキスタンと新疆ウイグル自治区の範囲は同一じゃないし、そもそも東トルキスタンの範囲が明確に定まってない」というのは、まったくの虚言です。
- 指摘は具体的にしているではないか。いい加減、ひとの話を聞きなさい。頁数を明記しなさい。また、出典を明記した記述を、原文をねじ曲げて編集しないでください。あなたの既存の出典つき記述の改変は、荒らしといってもいいものです。
- むろん、あなたの議論を無視して、強引に自分の編集をおしつける態度、およびその執筆内容も不十分でありますゆえ、まったく合意できません。あなたが強引な編集を繰り返すものだから、全保護になったではありませんか。加筆したいのであれば、以下、このノートを使って、加筆部分を検討しましょう。その場合、別の節にした方がいいとは思いますが。とにかく、あなたははっきりいって、ウィキペディアのコミュニティを疲弊させることが目的なのかと疑わせるほど、強引ですし、多重アカウントも多用される。そういったところをまずは、完全に改めないことには、話になりませんよ。まずは、捨てアカウントの使用は一切おやめいただきたい。そして、今後も、編集に参加したいのであれば、固定アカウントをとり、ブロックされないように、十分に他の編集者に配慮した行動をとってください。あなたはもう何度もブロックされてて、麻痺しているのかもしれないが、通常はブロックなどされません。あなたはこれまで、既存の出典ある記述を、議論もなく大量に削除したり、また他の記事でも同様の編集を繰り返しているでしょう?不誠実かつ横暴な編集と態度をとり続ける限り、あなたが加筆したくとも、それは果たせない、ということを今しばらく反省してください。--西方(会話) 2012年6月10日 (日) 12:21 (UTC)
- これはまた西方さんらしくない変な事を仰る、東トルキスタンと新疆ウイグル自治区が同一範囲を指すならば、当事国の行政区分である新疆ウイグル自治区を使用すればよろしい。
- 原文を捻じ曲げてというが具体的に何所を指すのか何故具体的に指摘しないのか?それに原文をそのまま転載するのは拙いでしょう
- 残念な事に、最初のアカウントが気違い管理者によって誰かと間違われて無期限ブロックされちゃったんだよねえ。権限悪用チェックユーザーして違うと解ったのか、チェックユーザーを要求しても逃げてたけどね海獺ちゃん
- 「新疆」の項の記事で西トルキスタンと東トルキスタンの単語を使うのは、オアシス都市が散在する地域を大きく超える範囲を指してしまうので駄目。「歴史」「古代」の項も当時のウイグルはモンゴル高原に居たので、東アジアも注記しないといけない。古代の西域の住人はインドイラン語派とは異なる言語を使用していたのでアーリア人とするのは誤り。吐蕃をチベットと表記するのも誤り。--112.138.234.165 2012年7月11日 (水) 15:44 (UTC)
- まだいってるのか。「東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)」と双方を適宜表記すればよいだけ。
- あなたのこの編集[7]でいえば、『突厥与回鶻史』の出版社名、頁数を示せというのだ。そもそも、この本は、「突厥与回鶻史 」(中国古代北方民族史叢書) 林幹著 2007年7月 A5 500頁 内蒙古人民出版社のことか?この本は日本語で読めるのか?もしこの本より引用をするのなら、このノート頁で、原文および翻訳文を明記せよ。それくらい、あなたなら容易にできるでしょう?そもそも、日本語での著作の引用を消して、中国語の書籍に差し替えることしか、あなたはしていないではないか。日本語で読める出典を横暴に消去することしかしないあなたは、中国語しか読む気がないのかもしれないが、外国語よりも日本語で書かれた著作があれば、それを日本語版では優先すべきでしょう。あなたは、中国語版でご活躍するほうがいいのではないか?
- 「チベット」という表記はちゃんと出典・頁数を出しているように、森安氏の表記にのっとったものであるし、ウィキペディアは百科事典であり、できるだけ一般の読者にわかるような表記が好ましい。したがって「チベット(吐蕃)」と表記すればいいのである。それとも、「吐蕃とチベットは何の関係もない」とまたいうのかね?
- 私はほぼすべて出典を出して書いている。他方、あなたは他の編集者の編集を消去して、よくわからない、また確認もとれない外国の本をもってきて、意味のわからないいちゃもんをつける。あなたは、日本の大学に来ている留学生または外国人教師の方ですか?そう問いたくなるほど、あなたは日本語圏の出典を否定するね。IPアドレスで撹乱しようと工作せずに、正々堂々とアカウントをとり、誠意ある態度を見せよ。--西方(会話) 2012年7月12日 (木) 03:25 (UTC)
- 『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』1部1章1についても、頁数を示せ。--西方(会話) 2012年7月12日 (木) 03:29 (UTC)
- 具体的にいきましょうか。[8]この編集において、「民族・定義」節の既存の「タリム盆地に先住していたコーカソイドのインドヨーロッパ語族がテュルク語化し、これらの地域はペルシア語で「トルキスタン」(トルコ語を話すひとびとの土地)と呼ばれるようになる。なお、テュルク民族が先住コーカソイドを虐殺したのではなく、共存していたといわれ、形質的特徴も多様である。」は、ほぼ原典である森安氏の表現にそっているのだ。それをあなたは、「先住コーカソイド」でなく、「非古テュルク語話者『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』1部1章1」を強引に割り込んで書こうとするから、問題になるのだ。「先住コーカソイド」が「誤り」だというのは、あなたの個人的な判断。あなたが森安氏の当該箇所を批判した論文を査読システムのある雑誌などへ発表しない限り、それは書けないのだ。
- ただ、『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』を出典にして、「非古テュルク語話者」についてその本で書いてあるのであれば、私も読んでみたい。そういう他の編集者との共同という意味でも、ページ数を示せといっているのです。
- 『ユーラシアの交通・交易と唐帝国 』を読んで、私も「先住コーカソイド」より「非古テュルク語話者」の方が適切であると考えるとします。その場合、どのような編集になるかというと、「森安によれば先住コーカソイド…」、「荒川正晴によれば、 非古テュルク語話者…」という具合に、双方を併記する。あなたは、併記せずに、既存の出典ある有意な記述をむやみに消そうとするから、こうして、揉めるのだ。--西方(会話) 2012年7月12日 (木) 03:43 (UTC)
コメントわたしは中国文献を出典とすることに何ら問題はないと考える。出典が明示されていない記述もまだ残っている。出典としての是非に議論があれば後からノートで議論するとして、裏付けとなる出典の明示に力を注いでいただきたい。あと「ジャコウウサギ」と書かれているので、わたしの事ではないのだろうが、わたしは日本語版Wikipediaにおいて誤ってログインせずに投稿したことはあるが(この記事においては一切ない)、他のログインアカウントは過去から現在まで一切ない。誤解があれば改めて頂きたい。「ウイグル」に関して他の編集者に比して無知なのは認める。出典の表記形式の整理などの雑用はわたしがやって構わないので、大事なことなので繰り返すが、他の人には、裏付けとなる出典の明示に力を注いでいただきたい。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月14日 (土) 15:24 (UTC)
民族の人口について
ウイグル人の人口が「約840万人」(おそらく2007年度)となっているのですが、ここでのリンク先の情報は中国国内のウイグル人だけをカウントしたものになっています。
英語版en:Uyghur peopleでは以下のように;
- 中国 8,399,393 (2000)
- カザフスタン 223,100 (2009)
- キルギスタン 49,000 (2009)
各国別に人口がわかるようになっているのに比べると、Ethnicity全体の人口がわかり難くなっているようです。--121.117.77.183 2012年6月10日 (日) 15:45 (UTC)
報告
本項と記事「ウイグル人」が統合され、草稿ページの必要性がなくなったことからノート:ウイグル/草稿1およびノート:ウイグル/草稿2について、唯一の編集者であるジャコウネズミが即時削除(全般8)のテンプレートを貼り付け、管理者によって削除が完了いたしました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年6月18日 (月) 01:06 (UTC)
Infobox 民族 の民族名ついて(提案)
現在、本項は全保護となっておりますが、西方様が本ノートにて「ウイグル」が民族呼称であることを、ブリタニカ国際大百科事典、アジア歴史事典、民族問題事典、大辞林およびデジタル大辞泉を出典として示しておられるため、 Infobox 民族 の民族名を「ウイグル人」から「ウイグル」へ変更することを提案いたします。項目イヌイット、ユピク、エスキモー、ニヴフ、アイヌ、タミル、マオリ等、 Infobox 民族の民族名に「人」や「族」を付けていない例はいくつかあります。--ジャコウネズミ(会話) 2012年6月18日 (月) 01:06 (UTC)
- コメント中国語版zh:维吾尔族では維吾爾族。英語版en:Uyghur peopleではUyghur。ロシア語版ru:УйгурыではУйгуры。ウイグル語版ug:ئۇيغۇر مىللىتىではئۇيغۇرلار。ウイグルの民族名に「人」や「族」を付けているのは中国語版と日本語版です。付けることで中国独自の定義を主張しているのかもしれません。近現代や民族の人口について、中国以外のウイグルは除外して記述しているようですし、外務省も公式文書で「ウイグル族」と記載しています。つまり、中国や日本の公的機関の公文書をソースとするなら「ウイグル族」(中国内に限定)、ブリタニカや米英露の公的機関の公文書をソースとするなら「ウイグル」(中国外も記載)。そういう使い分けの意識が共有されていれば執筆上の齟齬は生じないで済むかと思います。--121.117.77.183 2012年6月19日 (火) 04:20 (UTC)
222.230.67.103氏の編集について
- 222.230.67.103氏による[9]この編集について。権力を握られていたとしても、同治帝、光緒帝の名前を削除するのは、根拠が不明。
- それから、次の編集[10]においては、「中国史上」を「清朝史上」と書き換えているが、これは出典の記述と異なる。また、理由なき出典のコメントアウトは不当。
以上をもってリバート。議論はこちらで、および編集は議論による合意形成後にお願いします。--西方(会話) 2012年7月19日 (木) 12:16 (UTC)
- 両帝親政開始前の奏上は両太后のうち主に西太后が懿旨していたので、単純に出来事の時期的にその2つは西太后の懿旨によって処理した事例。唐代のトルファンは内地並みの行政制度下にあったので、中国史上というのはウソ大袈裟紛らわしい。コメントアウトが拙いのは確かでも、当時の清朝皇帝は満州人かつ高官や総督にも当然満州貴人が何人も居たので、漢民族出身者による直接支配下というのは虚偽捏造・誇大広告の類。加えて、仮に植民地ならば内地並の行政云々と真っ向から矛盾する。--112.139.52.83 2012年7月19日 (木) 23:00 (UTC)
- 「中国史上というのはウソ大袈裟紛らわしい」というのはあなたの個人的な見解にすぎない。出典を出し給え。既存の記述は、出典にもとづくもの。「虚偽捏造・誇大広告」というのなら、引用先を執筆した研究者に手紙でも書いたらいかがか?--西方(会話) 2012年7月20日 (金) 03:47 (UTC)
- 『敦煌吐魯番文書与唐史研究』にトルファンの戸籍や官制は内地並みという見解があるよ--42.124.22.180 2012年7月21日 (土) 13:30 (UTC)
- 何頁にですか?該当箇所を紹介してください。
- それと、議論中なんだから差し戻さないでください。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 13:51 (UTC)
- 半保護後、また作業用のアカウントをとって[11]こうして、また同じ事を繰り返しているが、「ノートでの議論は終了、理由にならない難癖をつけないこと」などといっているが、あなたは中国語文献の書名を提示するだけで、ページ数もなにも記さない。本当に読んでいるのか、疑わしいほどです。また、私の質問について「理由にならない難癖」などと非難するが、本当にもう、あなたのように議論ができないひとに対してはどうしたものでしょうかね?かりにあなたがちゃんとおっしゃる文献を読んでいるのであれば、私は本文の記述に合意すると、以前からいっている。しかしあなたは、一度たりとて、ページ数を示さずに、また実際にその書籍にどこに書いてあるのかを示すこともしない。そして、既存の出典のある記述を、以前は削除し、いまはコメントアウトするばかり。他人を愚弄するのもいいか加減にしなさい。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 16:01 (UTC)
- 西方氏の文章を丸々上書きしてしまった様なので差し戻し。
- 謂れのないリバートを繰り返してるのは誰が見ても西方くん、自分の書いた文章に拘りたいなら反対部分だけ戻せばいい。第1章2節の2・3節に均田制の施行が内地並みと、第2章2節の1・2に戸籍の整備が内地並みと、第3章3節の1に職人の管理体制が内地並みと、第4章2節の1に租庸調が内地並みと、3節の4に徭役を課された日数や管理が内地並みと、第6章2節の1に官職の体制が内地並みと、あるよ。そもそも日本の唐代研究は敦煌・トルファン文書に基づいて演繹されたものが多いのだから、一個人の西方さんが否定出来る筈も無し。--59.86.119.13 2012年7月21日 (土) 16:20 (UTC)
- ノートで他人の発言を消すひとは、あなたがはじめてですねえ[12]。
ひとを罵倒する前に、こういうむちゃくちゃな行動をやめなさい、といっているんです。ページ数を示すことができないのであれば、はっきりいって、目次だけ読んでいっていませんか?あなたの行動と態度からして、あなたの編集は十分に信頼できません。それに、日本語文献で同内容の記述のある出典をご存知であれば、それを優先して記すべきできでしょう。 あなたが消した私のコメントについては、あなたが復旧してください。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 16:22 (UTC)- コメントの削除の件については、前後しましたので、撤回します。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 16:24 (UTC)
- ノートで他人の発言を消すひとは、あなたがはじめてですねえ[12]。
- あと、誤解されてるようですが、私は唐代についての学説を「否定」する気はまったくありません。出典を明記して、かつその引用が正確であれば。できれば自分でも確認したいといっているのです。その書籍をお持ちであれば、数行程度の引用くらい、できるでしょう?そうしたあなたの出典に基づく記述が正確であれば、私はなにも異論はいいません。ただし、あなたが他の出典に基づく記述をむやみに改変することについては別ですが。むろん、それさえも、十分な道理があれば合意できるでしょう。互いに合意することができれば、立場を超えて、この記事の成長を見込めるではないですか。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 16:29 (UTC)
- それぞれ順に20-22P,36-38P,61-65P,128-130P,178P,199-202P(第4章3節4→1),278P。日本人学者の均田制や唐代の官制・行政制度の研究が、大谷文書を筆頭とした敦煌・トルファン文書に拠っている部分も多いのは御存知の通りで、内地と制度が異なっていた場合それらの研究は修正を余儀なくされるということなんですが。--59.86.119.13 2012年7月21日 (土) 16:49 (UTC)
- さようですか。できれば、それらのどれかひとつでもここで原文を紹介していただきたいところですが、「中国史上」という表現については、「中国史上初の事態ともされるが(注)、李錦綉によれば唐代の均田制の施行(pp20-22)、戸籍の整備(pp36-38)…は内地並であったという。」として記事にするとよいでしょう。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 17:35 (UTC)
- もし、そうした表記が面倒というのであれば、互いに不毛な編集合戦で消耗しないためにも、まずは、既存の記述はそのままにしてください。そのうえで、「しかし、李錦綉によれば…」と加筆してください。そうすれば、私もあなたの加筆分は尊重したうえで、文章を出典にもとづいた限りで修正しますので。いずれにしても、あなたの加筆がきちんと出典にもとづいたものであり、そのことが明記されており、また、既存の記述をむやみに消去したりコメントアウトしたりしなければ、お互いに気持よく編集を続けることができるのですから、そのあたりは本当におねがいしますよ。
- それと、「当時の清朝皇帝は満州人かつ高官や総督にも当然満州貴人が何人も居たので、漢民族出身者による直接支配下というのは虚偽捏造」という件についてですが、私も個人的にはあなたのおっしゃるとおりだと思います。しかし、この部分は王柯氏がその書籍のp15で示された見解(または主張)なわけです。それについて、「当時の清朝皇帝は満州人かつ高官や総督にも当然満州貴人が何人も居た」ということを加筆するのであれば、その内容に応じた出典を探してそれを明記するとよいでしょう。もっとも、コメントアウトなさらずに、「王柯|1995|p15には新疆省設置について「民族自治の権利が剥奪され、ウイグル人は漢民族出身者による直接支配下に入った」とあるが、当時の清朝皇帝は満州人かつ高官や総督にも当然満州貴人が何人も居たため、云々」と加筆されていたのであれば、また話は違ったわけです。ただし、王柯氏のいっているのは、当地へ派遣された官僚が漢族であったということでしょう。--西方(会話) 2012年7月21日 (土) 17:48 (UTC)
- 提案 編集合戦となっている箇所(ウイグル#清朝の新疆討伐)について、まず、両者ともWikipedia:検証可能性を満たす出典を明記していただきたい。これにより、どのような表現であっても、少なくとも「編集者個人による作文」である疑いは払拭できる。その上でどの出典を用いるのがWikipedia:中立的な観点により近い記述となるか、他の編集者の意見も交えて議論することを提案する。今のところ形式的にはWikipedia:Three-revert_ruleには抵触していないようだが、この状況は決して好ましくないと考える。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 07:03 (UTC)
- ジャコウネズミさん、現在、私とIP氏との間で争点となっている箇所は、1)皇帝名2)「中国史上」と「清朝史上」3)「漢民族出身者」の三点です。清朝の新疆討伐節全面については、出典の明記はむろん可能ですが、いまはそこは争点になっておりませんよ。もっとも、ジャコウネズミさんが「要出典」タグを付与されるのであれば、それについては適宜つけてもよいですが。
- また、「どの出典を用いるのがWikipedia:中立的な観点により近い記述となるか」についてですが、むろん提起されるならされるといいと思いますが、大体において、こういう事案においては、「いずれか」でなく、「いずれも」すなわち、両論併記で解決されるのがほとんどです。--西方(会話) 2012年7月22日 (日) 10:23 (UTC)
- コメント上記のような理解でよければ承知しました。他の記述に先んじて1)皇帝名2)「中国史上」と「清朝史上」3)「漢民族出身者」の三点について、双方出典をお示しください。両論併記での解決を目指しましょう。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 11:01 (UTC)
- 1)について。在位期間はわかるが、陳情又は奏上した相手を立証するものではないので、出典において上奏・陳情した相手が定かでないならば《。左宗棠は軍費白銀1千万両を朝廷に求め、軍機大臣の文祥が上奏し(同治帝又は光緒帝の在位期間及び西太后が摂政であった時期にあたる)、諸外国から5百万両借款した。》としては如何か。(最新版に記述に合わせ修正)--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 12:47 (UTC)
- 2)について。「中国史上」は、確かに疑問を呈する者がいても当然の表現かと思うが、佐口 1971、今谷 2000, p. 202において「中国史上」と記述されているならその通りに書くのが当然であり、「清朝史上」と表現した出典が示されない限り、改竄してはならない。
- 3)《新疆省省長には漢民族出身者が就任し》が、王柯.1995.p15の引用そのままなら当該記述を支持する。そうでなければ、《清は従来の自治権を認めるベグ官人制を廃止し》に続く部分を《ウイグル人は漢民族出身者による直接支配下に入った。》という王柯.1995.p15の引用をそのまま記述しては如何か(その続きは《新疆省省長はその後1940年代半ばまで当地の軍最高指揮官(督弁)を兼任した。》とする)。表現を出典に対し忠実にする必要性はあっても、漢民族の支配下に入ったことの記述を(自明であっても)削除するのは甚だ不適当。
- 雑)《行政がしかれた》は「布」でよいと思います(この「しく」は「広くゆきわたらせる」の意と解釈したうえで、「布く」は常用外とされてるが「敷く」に比べ用法が限定されるため「布く」がよろしいかと提言する 参考:コトバンク 大辞林 第三版の解説)。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 12:32 (UTC)
- 1)ジャコウネズミさんの文案はちょっと冗長かなと思います。目的語(誰に)を明記すればすむことですから。左宗棠が軍費を要求した時期については、少し訂正もありますし、これらの件については出典を明記します。3)についてはそのように書かれています。引用のそのままの記述については、異論ありません。ちょっと冗長かなと思って注にしただけですので。--西方(会話) 2012年7月22日 (日) 15:33 (UTC)
- 1)について、年号を加筆しました。またそれに応じて文章も編集しました。私としてはこの1)件は終了です(皇帝名を年号の表記に変換)。--西方(会話) 2012年7月22日 (日) 15:53 (UTC)
- 1)年号にて皇帝を示唆した点、慧眼恐れ入ります。3)については《新疆省省長には漢民族出身者が就任し》出典の記述のままとのことでしたので、勇み足であった自分の推敲をその直前の版の記述に巻き戻しました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 16:07 (UTC)
- (補足)2)については《西方(会話) 2012年7月21日 (土) 16:29 (UTC)》及び《西方(会話) 2012年7月21日 (土) 17:35 (UTC)》を汲んで考えた場合、《佐口透 及び今谷明によれば、これは中国史上初の事態であり、(以下略)》とするのが善後策としては素直な書き方ではないかと思います(出典の記述の妥当性に関する議論が再燃した場合等における日本語版Wikipediaの記事の書き方として)。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月23日 (月) 06:42 (UTC)
- 2)について。それでもよいのですが、文として読みにくくないかなと思います。とりあえず、IP氏の指摘をうけて、「である」という断言調から「とされる」という具合に文章を変えました。もし、IP氏だ唐代の件を加筆されたいなら、この文の前段で「唐代にも…とはいわれるが(注)、…」となさるとよいかと思います。--西方(会話) 2012年7月23日 (月) 08:16 (UTC)
- 1)に関しては今の文で特に異論無いですが、当時出された上諭の大半に西太后は署名しているのに対して、同治帝は一部のみであり、光緒帝は未署名。あと誰かが上の方で意味不明なことを書いてるが、「奏上」である以上「奏上」の相手は当然決まっていて、当時(同治帝晩年は除く)は西太后と東太后の両太后。
- 2)は中国史直近1000年来初の事態とでもして、唐代史研究の側面から見て明確に誤っているので、文章の変更とあわせ今ある出典は削除しないといけない。
- 3)これも同じく不要かつ誤った注釈であるから、当時の清朝皇帝の出自及び満州貴人が務めた他省長の例を冒頭に付記して除外しておきましょう。--163.139.167.248 2012年7月23日 (月) 09:20 (UTC)
- 本文がどのように改訂されるかを見てから対処するが、少なくとも『敦煌吐魯番文書与唐史研究』では清朝との比較をしているはずがないので、編集者の独自研究が介在した記述となれば差し戻すか、抜本的に書きかえる。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月23日 (月) 09:38 (UTC)
- IP氏、あなたに以前も説明しましたが、あなたの考える「歴史の真実」をいくら主張しても、それはかなわぬことです。
(記事)は個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。-Wikipedia:検証可能性 |
- これがWikipedia:検証可能性の方針です。佐口・今谷氏の表現があなたからして「間違い」だとしても、そのことを「削除」することは絶対にできません。あなたは他の出典をもって、それを加筆すればよいだけです。--西方(会話) 2012年7月23日 (月) 12:03 (UTC)
- 正しい先生(歴史書籍より「正しい」記述をされるのでそうお呼びいたします)。市井に出回る歴史書籍より正しい記述を目指すのであれば、ご自分で本を出版又は論文を上梓なされてはいかがですか?西方氏が上記に掲げたとおり日本語版Wikipediaの領分を超えてございます。独自研究が許されるYourpedia、コピペディア、アンサイクロペディアもございますよ?正しい先生、あなたがどうしても日本語版Wikipedia上にある本記事に携わりたいご意向であられるなら、日本語版Wikipediaのガイドラインに従わねばなりません。これはわたしの命令ではありません。天命とお考えくださいませ。以上、正しい先生に「奏上」いたします。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月23日 (月) 13:49 (UTC)
- 正しい先生。奏上の相手は天子。複数出典を当たってみたがやはり天子だ。亜空力 2012年7月21日 (土) 19:59 (UTC) の版では《西太后(摂政)に奏上し》と摂政に対し《奏上》が用いられ、西方 2012年7月22日 (日) 12:04 (UTC) の版では《同治帝及び摂政の西太后に陳情し》とあったため、敢えて《奏上》を用いたまま判然としない、と訊ねて釣ってみたのだ。本当に西太后に対して《奏上》が使えるのか結局未だにわたしにはわからない。現時点の記述については、(形式的には)光緒帝に奏上し西太后が裁可した、と言う文脈として受け取っている。これが間違いであって、即ち記述が誤解を生みやすい表現であるなら、言い換え又は注釈の充実を以って対処してほしい。無論、出典の記載のままでそれ以上の情報がなければ現行の記述で構わない。なお、前言の正しい先生に対する鍵括弧付きの「奏上」は、はだかの王様に対する「奏上」という個人的意図なので気にしないでくれたまえ。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月24日 (火) 10:14 (UTC)
はいはい、虚勢を張らず無知は無知らしく謙虚に振る舞いましょうね。奏摺は朝廷へ上げる物、例外を除いてその最上位は皇帝になるというだけで、東太后薨去後の光緒帝時代の奏摺は、まず西太后が最も左上にその下へ光緒帝が続く。左の意見が綴られた奏上も西太后への物。
- 西方氏へ、ウィキペディアの方針だと基本は両論併記、しかし片方の信憑性が乏しい場合は片方を載せるとあるので、これで直上の記事を書かず他人の記事を弄り回すだけの価値無しねずみの言い分もご破算ですね。--119.83.177.84 2012年7月24日 (火) 19:42 (UTC)
- 《ウィキペディアの方針だと基本は両論併記、しかし片方の信憑性が乏しい場合は片方を載せる》というのはそれ自体はごもっとも。《同治光緒年間の大清皇帝並びに皇太后は満州民族であり、栄禄・崇厚・崇綺・裕禄・奎俊などの満州人が各地方の総督となっている》に対する出典としては『清史稿』であると。ただ両論コメントアウトだと両論併記も片方載せるもへったくれも無い話であるため、注釈化するので確認されたい。東太后薨去後の光緒帝時代の奏摺に関しては説明サンクス。この説明にも出典を示してくれれば本文注釈に書けるのだが、そこは正しい先生に任せる。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月25日 (水) 01:00 (UTC)
ウイグルを音写した名称の初見
「中国の史書においてウイグルを音写した名称の初見は、4世紀高車の袁紇部としてである」として出典は『魏書』, 『北史」とのみあるが、これは独自研究の疑いが強い。一次資料をもってきても、それを「独自に解釈」すれば、「独自研究」になる。これらの一次史料を「ウイグルを音写した名称の初見」として論じた論文・書籍を提示してください。それができない場合は削除するに値します。--西方(会話) 2012年7月20日 (金) 13:39 (UTC)
済 初出とした文献があればそれが出典。無ければ初出の証明には『魏書』, 『北史』以前の全ての中国の史書が必要。編集者が読破して記述したなら独自研究。伝聞等なら出典が虚偽。よって削除。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月23日 (月) 21:59 (UTC)
一部過去ログ化の提案
提案 本ノートのデータが巨大化している為、一部を過去ログ化することを提案する。わたしとしては#記事ウイグル人の本記事への統合提案以降を本ノートに残し、それより前(現状で言うと1 #219.165.77.71氏に質問とお願いです。から-14.1 #「古代ウイグル」と「現代ウイグル」との「関係」についての出典)までを過去ログ化することを提案する。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 07:13 (UTC)
反対 編集しにくいですが証拠隠滅のようなものです。--議論中止!(会話) 2012年7月22日 (日) 07:19 (UTC)
- コメント議論中止!氏の本ノートへの投稿には《ノート:ウイグルは既に300.000バイトを超え、福島第一原子力発電所の244,981バイトを超えている。履歴を見ればわかる通り長期間にわたる議論が行われている。》(以下、自作自演説の展開)とあり、本ノートのデータ量について過大であるとお考えであるとわたしは推察したのであるが、《編集しにくいですが証拠隠滅のようなものです。》と仰るのであれば、一体どうしたらよろしいのでしょうか?--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 07:47 (UTC)
- 反対 いまだIP氏その他との間で議論が継続していますし、本記事における議論が高まった本年5月あたりからまだ時間もたっておりませんし、内容的にも、過去の議論と重複することもありますし、過去の議論を参照する必要も適宜あります。
- 議論中止!さんの「自作自演節」のページをはじめてみましたが、私が「中心人物」で自作自演ですか。もうしわけないですが、そんなヒマは私にはありませんよ。私はこの議論において、一度もソックパペットなどを使ったことはありません。そもそも、議論がなされているときに、そのようなことをすることは、私は決してやってはいけないこととウィキペディアへの参加以来、常に思っております。しかい、[13]このページもしかし、変ですね。コメント依頼でもないのでしょうか?私が疑わしいというのであれば、コメント依頼なさればよろしい。--西方(会話) 2012年7月22日 (日) 10:30 (UTC)
- 本ノートは巨大化していますが、暫くはそのままにするほか無さそうですね。
- この節としては余談になりますが、IPユーザ及びログインアカウントについて、わたしとしては便宜上、1.株式会社TOKAIコミュニケーションズのサーバから投稿するIPユーザは同一人物と推認、2.丸紅アクセスソリューションズのサーバから投稿するIPユーザは同一人物の可能性あり、3.この2つと他のIPユーザ及びログインユーザ相互間において同一人物かどうかの詮索はしない、4.ただし、記事本文にて編集合戦の際に同文を投稿した複数のログインアカウントは同一人物と推認、という意識で来ましたし、現状それを変える要素も見出せません。疑ったら切りがないし、不確定なものは原則別人とする方針を貫いても議論がしにくいので。認識に誤りがあれば自己申告してください。ログイン推奨、ソックパペット厳禁、ログインとIPの併用禁止を強く訴えます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 23:09 (UTC)
済 当面過去ログ化を見送る結論にて提案をクローズ。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月22日 (日) 23:09 (UTC)
出典の明示について
{{要出典範囲}}及び{{出典の明記}}を用いて、出典明記を要する記述を大方示しました。既に示されている出典による記述とそうでない記述の境目を見誤っている箇所もあると思われ、過不足はあろうかと思います。また、要出典箇所を網羅したつもりもありません。
- Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には《この事実関係を確認するという過程は、ウィキペディアでは提供できません。それゆえに、独自研究は載せないという方針と検証可能なことのみ載せるという方針が大変重要となるのです。》
とあります。出典がなくてもWikipediaに書ける事柄は、検証が不要な事実に限られます。わたしがこれに該当するものとして思いつくのは、簡単な論理的帰結(例えば、1871年生まれの人物が1875年には満3歳又は満4歳であること)、時代や地域に左右されない普遍的事実(例えば、3歳の皇帝に為政能力がないこと)や解釈の幅の無い言葉の定義(例えば、奏上が天子に意見・事情等を申し上げることの意であること)くらいです。因みに《出典がなくてもWikipediaに書ける事柄は、検証が不要な事実に限られます。》は《検証可能なことのみ載せる》に対する「簡単な論理的帰結」に該当します。また、
- Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にには《信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。》
とあります。ただ、その続きとして「出典を示す機会が与えられてもよい 」と解釈できそうな記述《しかし、もしも出典を示す機会を与えずに記述を除去すると、異議を唱える人がいるかもしれません。(以下略)》もありますので、わたしとしてはある程度の期間出典が裏付けされていくのを待ちたいと思いますし、わたしも出典を補足することがあろうかと思います。猶予期間等についてはこの節で意見交換ができると思いますので、ある程度出典の補筆を進める中で大まかな見通しを立てつつ、話し合うことを希望します。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月24日 (火) 09:00 (UTC)
私も出典はできるだけ明記される方が適切に違いないとは思います。しかし、ちょっとジャコウネズミさんのタグ付け箇所は過剰かとも思います。とはいえ、IP氏との議論の解決案としても、全面的に出典を可能な限りつけることは、本記事にとってもよいことと考えます。それで、上の節でも触れようかと思っておったのですが(出典のない初出の件)、出典が出されないからといって一週間ほどで削除されていっては、さすがにたまりませんし、それは過剰にすぎます。猶予期間はせめてでも半年から一年はみてよいでしょう。また、出典がないものでも、他の編集者が調査し、加筆していくこともありえますので、出典のない箇所でも要出典タグをつけたままにしておくか、またはコメントアウトにとどめておくべきでしょう。むろん、問題のあって、疑わしい記述は削除してもいいのですが。まあ、これについてはそのつど議論しましょうか。--西方(会話) 2012年7月24日 (火) 09:15 (UTC)
- 《猶予期間はせめてでも半年から一年はみてよいでしょう。》では、わたしとしてはその程度の猶予期間のつもりでいましょう。他の方がもっと早く削除するかもしれませんし、他の記事からのコピペの問題がどうなるかわかりませんが。現在の版及び今後定期的にログを保存しておいたり、削除された時点で過去ログから保存して、出典が整い次第復活させていけば済むことです。他の不満については承知しかねます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年7月24日 (火) 15:20 (UTC)