ノート:ウィキペディアの歴史
top 節の復元
[編集]この版で冒頭部の概要にあたる記述が大幅に除去されました。特に「free」の定義は欠かせないと思われ、画像がページ最下部の一覧と重複する点ほか整理をした上で、復元してはどうかと考えますがいかがでしょうか。--Omotecho(会話) 2021年1月2日 (土) 00:47 (UTC)
- 復元に賛成します。除去した方も特に理由を示されていないようなので。その際に画像の重複を解消することにも賛成します。冒頭部の画像は不要なので省いて良いと思います。 --麩(会話) 2021年1月2日 (土) 02:57 (UTC)
- @麩さん、さっそくにご意見ありがとうございます。小見出しを立て、具体的に復元する文章を写しました。2点、編集してあります。過不足がありましたらご指摘をお願いできると幸いです。 --Omotecho(会話) 2021年1月2日 (土) 04:35 (UTC)
- @Omotechoさん、どうもありがとうございます。私が見たところOmotechoさんが提案された内容で復元して何ら問題ないと思います。編集・修正作業おつかれさまでした。--麩(会話) 2021年1月2日 (土) 07:23 (UTC)
- 賛成(1月17日を作業日にする予定) 。(提案者の賛成票)表のページで1月3日(UTC)に告知しました。2週間後の17日をめどに、上記の作業を実施しようと考えます。--Omotecho(会話) 2021年1月9日 (土) 20:20 (UTC)
- @Omotechoさん、どうもありがとうございます。私が見たところOmotechoさんが提案された内容で復元して何ら問題ないと思います。編集・修正作業おつかれさまでした。--麩(会話) 2021年1月2日 (土) 07:23 (UTC)
- @麩さん、さっそくにご意見ありがとうございます。小見出しを立て、具体的に復元する文章を写しました。2点、編集してあります。過不足がありましたらご指摘をお願いできると幸いです。 --Omotecho(会話) 2021年1月2日 (土) 04:35 (UTC)
報告:表のページに告知、反対意見がありませんでした。よって下記の小見出しの復元作業を終え、追加の作業を施しました。ご検討ありがとうございました。
- 追加の作業、quote句内を翻訳。
--Omotecho(会話) 2021年1月23日 (土) 18:57 (UTC)
復元する原稿の検討
[編集]「ウィキペディアの歴史」の特定版と直前の版の差分(5,320 バイト除去、2020-11-29T09:59:54時点、編集の要約なし)から、除去された部分を転記します。本文に持ち込むには、「※[ア・イ・ウ]」のところに手を加えます。
- [ア] 画像群テンプレートはひとまずnowikiで伏せました。処理=削除する。
- [イ]、[エ] 使い回しのある脚注。処理=refタグの内容を除去する。
- 現状、脚注を過去版から記事内の別箇所に手動で転写済みです。そこで復元するときにスラッシュ付き<ref name=ほにゃらら />に変え、refタグの内容は除去。
- [ウ] ひとまずnowikiで伏せました。処理=「※ [ウ]」を除去。
ウィキペディアの歴史#top過去版(oldid= 80659548)より転記し編集しました。
【ここから下をページ最上部に復元、※の箇所は前述の編集が必要】
※[ア] {{ multiple image |align=right |direction=vertical |image1= Wiki logo The Cunctator.png |width1=130 |caption1= |image2= Wikipedia-logo-en.png |width2=130 |caption2= |image3= Wikipedia-logo-v2-en.svg |width3=130 |caption3=歴代のウィキペディアのロゴ(英語版) }}
本項では、ウィキペディアの歴史について記述する。ジミー・ウェールズとラリー・サンガーにより、ウィキペディアが初めて公開されたのは2001年1月15日であるが、技術的・構想的にウィキペディアの基礎となった要素はそれ以前から存在していた。インターネット百科事典開発の知られている最初の試みは、リック・ゲイツによる1993年のプロジェクトであったが※[イ][1]、単にフリー(無料)なのではなく、自由という意味でフリー(free-as-in-freedom)なインターネット百科事典という構想は[2]、リチャード・ストールマンが2000年12月に初めて提唱したものだった ※[ウ] <ref name = "stallmanencyclopedia" /> 。
ストールマンの構想は、百科事典には編集をコントロールする中央機関が存在してはならないとしており、この点で当時既存のデジタル百科事典(「マイクロソフト・エンカルタ」や『ブリタニカ百科事典』デジタル版、およびウィキペディアの前身「ヌーペディア」等)とは著しく異なっていた。1995年、ウォード・カニンガムによって「ウィキ」が開発されると、その技術と構想を用い、2001年にウェールズがサンガーと共にウィキペディアを設立した[3]。ウィキペディアは本来、インターネット百科事典プロジェクト 「ヌーペディア」を補足することを目的としていた。専門家によってのみ執筆されるヌーペディアの発展は遅々として進まず、ウィキペディアが新たな記事の草案やアイディアを供給することが期待されていた。ウィキペディアは発足後すぐに規模の面でヌーペディアを追い抜き、多言語にわたる国際的なプロジェクトへと成長した。
アレクサ・インターネットによれば、ウィキペディアは2018年9月16日時点で世界で5番目に訪問者の多いウェブサイトだった[4]。2014年の『エコノミスト』の記事によれば、毎日全インターネット利用者の約15パーセントがウィキペディアを訪問しており、月間利用者数は約4億9500万人にのぼるとされた※[エ][5]。コムスコアの調査では、2015年におけるウィキペディアの月間ユニークユーザー数はアメリカ国内だけで1億1700万人以上に達していた[6]。
【復元はここまで】
脚注(仮)
- ^ “※ Wikipedia of Jimmy Wales and ラリー・サンガー”. History Computer (2010年). 15 April 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。9 November 2013閲覧。
- ^ “Philosophy”. GNU. 14 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。5 November 2013閲覧。
- ^ “WikiHistory”. WikiWikiWeb. 21 June 2002時点のオリジナルよりアーカイブ。15 May 2013閲覧。
- ^ “Wikipedia.org Site Info”. Alexa Internet. 9 October 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。16 September 2018閲覧。
- ^ “※ The future of Wikipedia: WikiPeaks?”. The Economist. (1 March 2014). オリジナルの8 April 2014時点におけるアーカイブ。 2 April 2014閲覧。
- ^ “comScore Ranks the Top 50 U.S. Digital Media Properties for January 2015”. comScore (24 February 2015). 17 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。17 March 2015閲覧。