ノート:イド語/削除
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関連項目 : Wikipedia:削除の過去ログ、Wikipedia:削除の過去ログ 2003年10月、Wikipedia:削除記録/過去ログ 2003年10月
削除依頼での議論
- 記事の文章がhttp://www.geocities.co.jp/Athlete/6233/ と同様であり、著作権侵害の可能性があります。削除をお願い致します。tanuki_Z 05:27 2003年10月8日 (UTC)
ノート:イド語より
このページの写しのようですが著作権は大丈夫なのでしょうか?tanuki_Z 07:55 2003年10月5日 (UTC)
エスペラント版ウィキペディアのイド語(Ido)の記事を翻訳しました。(かなり拙いですが・・・・・・)
本文記事が削除された場合、必要であれば下の文章と差し替えてください。
イド語(Ido)とは、1907年にエスペランティストのルイ・ボーフロンがエスペラントの改造案として発表した人工言語である。
このエスペラント改造案には多くのエスペランティストが、国際語の完成の期待を寄せた。
多くの人は不完全なエスペラントがその発展にブレーキをかけるのではないかと思った。
ボーフロンはパリで行われた国際語選定代表者会で国際語案の候補としてイド改造案を発表した。
イド改造案が発表された後、国際エスペラント運動は重大な分裂が続いた。
この新しい計画は特にプロの言語学者から支持を受けた。
しかし、エスペラントは(ボーフロンのような)指導者無しに言語として確立したが、イドの方は一般のエスペランティストの支持を受けられなかった。
イディスト(イド語使用者)は発表後も絶え間なく文法規則を変えていった。改造に次ぐ改造のためにイド語使用者たちは付いていけなくなり、次第に離反していった。
第二次世界大戦後イド語は改造が止まり、言語として確立したがすでに遅く、多くのイディストたちが離れてしまった後だった。
ただし、組織化されたイド運動は現在でも存在し、インターネットのホームページと少数の使用者たちによって支えられている。
りょほう 13:55 2003年10月9日 (UTC)
削除の上、コピーしました。Tomos 20:24 2003年10月16日 (UTC)