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ノート:いてまえ打線

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いてまえ打線の名称誕生年について

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1990年代前半に自然発生した、という内容に記事を戻しました。これは下記の理由によります。

  • 大阪近鉄バファローズが1999年に発行した、大阪近鉄バファローズ50周年記念誌に1990年代前半に誕生した名称と書かれている(詳細年度表記なし)。
  • 1980年頃に誕生したと書かれている書籍は、むしろ「ホームランを知り尽くす」くらいしか存在しない。
  • 「江夏の21球」関係の書籍や映像中で該当する名称は出てこない。
  • 1980年の日本シリーズ中継内で、該当する名称は出てこない。
  • 1988.10.19翌日の日刊スポーツの記事や、10.19当時の実況中継、後日発売された映像物、書籍には該当する名称は出てこない。
  • 1989年の10.12や、優勝翌日の日刊スポーツ新聞の記事、それに関係した映像物、書籍等に該当する名称は出てこない。当時使われてた言葉は「仰木マジック」「ミラクルバファローズ」「お祭り野球」など。
  • 雑誌「Number」の1992年に発行されたものの記事で、「いてまえ打線」の特集がある。
  • 1994年に近鉄が13連勝した頃には、一般新聞のスポーツ面でも連日「いてまえ」の活字が使われるようになっている。

よって、近鉄球団自身が発行した50周年記念誌の内容を、新聞・映像等の客観的事実が証明する形となっており、 1980年頃に自然発生的に誕生した、という説にはむしろ無理があると考えるべきだと思います。 「ホームランを知り尽くす」の内容は誤りであると判断すべきです。

パ・リーグの出来事を扱った書籍には、記述の誤りが珍しくありません。酷い物だと1989年シーズン中に石井浩郎が近鉄に在籍したことになっているものさえあります。

最近では、Wikipediaの記事からの転用も多々見られます。 個々のちょっとしたエピソードならともかく、起源に関わる問題ならば、出典の確認はもっと慎重に行うべきです。--竹光 2008年12月5日 (金) 11:18 (UTC)[返信]

先述の「ホームランを知り尽くす」の記述について、当時の応援団長佐野正幸氏の記述である旨も含め、情報を補強した上で復元・追加しました。少なくとも、実際に球場で応援した側として間近で聞いていた可能性があり得るからです。それから、あくまで「ファンの間で自然発生的」にと言っているのであって、マスコミの使用開始時期とは必ずしもイコールしないでしょう。--崎宏 2009年4月27日 (月) 23:55 (UTC)[返信]