ノート:あえか
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
当該人物の特筆性について
特筆性(音楽)に照らし合わせてみると、この人物にはWikipediaに記載するほどの特筆性があるのかどうか疑問があります。 そこで皆さんの意見を伺いたいと思います。
まず条件2~5、7~9、11は満たしていません(少なくとも信頼できる情報源はないようです)。
条件1及び6のメディアによる特集はストリートファイターズ等が考えられますが、番組の作りから見るとせいぜい5分~10分程度の紹介で、些細な報道になる気がします。
問題となるのが条件10の「その国の特筆すべきラジオ番組で30分または1時間番組をもっている」なのですが、この人物はかわさき市民放送にて月に一度の30分番組を持っています。 しかし疑問点が2つあります。
- コミュニティ放送をその国の特筆すべきラジオと呼べるか否か。
- 月に1度の放送だとしても30分番組をもっていると言えるか否か。
以上がこの記事の特筆性に関する疑問です。
しばらく皆さんの意見を募った後、特筆性がないと判断された場合は削除依頼にかけさせていただきますのでよろしくお願いします。--Dock6 2008年6月28日 (土) 23:17 (UTC)
コミュニティFMを侮辱した発言に怒り覚えます。 あおなみりょう(会話) 2015年11月2日 (月) 13:51 (UTC)
この記事の特筆性について
(Dock6 さま、記事の修正についてのご意見ありがとうございます。) アーティストあえかの記事についての特筆性について述べさせて頂きます。
まず、ご提案頂いたテーマについてです。
- コミュニティ放送をその国の特筆すべきラジオと呼べるか否か。
1つのFM放送局であるJ-WAVEから発信されたキーワードからJ-POPという日本の音楽ジャンルが集約されていったように、放送メディアの価値を視聴可能エリアと運営会社の大きさで決めることは出来ません。また、かわさき市民放送の該当番組はインターネットによるストリーミング放送と電話による放送受信サービスを行っており、リスナー数は未知数であり、コミニティ放送の番組の重要度が全国ネットの放送局のものに劣るものではありません。関東エリアの重要な情報発信ポイントである川崎、横浜エリアを拠点としているかわさき市民放送は、日本国内でも特筆すべきコミュニティ放送であり、その番組にも十分特筆性が備わっています。(それ故にWikipediaにもかわさき市民放送のスタブが存在するものと思います。)
- 月に1度の放送だとしても30分番組をもっていると言えるか否か。
30分という時間枠にあわせた番組構成を行い、それを定期的に放送しているわけですから30分番組と呼んで差し支えないと思います。また、番組の時間的長さに比例して、その番組の重要度が決まる訳ではありません。番組のほとんどの時間がリクエストによる曲の紹介のみという番組に対して、パーソナリティ自身の意思を反映した構成とトークによるパフォーマンスを視聴できる番組の方が内容的には独自性を多く含んでいると思います。ですから、そのパーソナリティによる放送を毎回期待しているリスナーが存在するかどうかが重要であり、そう言える番組は、特筆すべき内容を持つものだと思います。
補足
- あえかが、ある主要都市の音楽シーンで、そのシーンのスタイルを代表しているかどうか。
あえかは、埼玉県内の企業、デパート等主催のイベントにも多く出演しており、日々の路上ライブの回数からも、地元での知名度が短期間で急速に高まっています。イベント詳細は「宣伝」と見られること懸念して本文に記述していませんが、イベントでの人気の高さや演奏の再出演の依頼の多さ等から言って、さいたま・大宮エリア、春日部エリアでは、代表的な路上弾き語りミュージシャンと言えます。
また、ストリートファイターズのTV本編の放送内容とアーティスト投票は独立したものであり、むしろアーティスト投票において3/28の全国1位獲得依頼、ほぼ3ヶ月の間常に上位に位置し、現在(7/1)に至っても全国1位であることは、非常に特筆すべき記録です。
路上演奏を行うミュージシャンについて
プロダクションと契約しないミュージシャンは、メディアでの宣伝や営業ルートが少ない分、音楽的に自由な創作が出来ると言えますので、より独自性の高い音楽を提供し、敏感なリスナーには受けいられて、新しい音楽ジャンルを創造しています。その為、路上ミュージシャンの中にはメディアへの登場回数は少なくとも高い影響力を持った重要なアーティストが存在し、彼らの存在を欠いて現代の日本の音楽シーンを語ることが出来ない事は明らかです。ですから、Wikipedia:特筆性 (音楽)ガイドラインによる記事の削除に関する規定は、再考する必要がある様に思います。
今回、同じカテゴリで活動している伊吹唯の項を参考にしていますが、客観的に見て、現在のこの項はあえかの項で指摘されているような特筆性、中立的な観点、において同等の内容と思われます。また、出典についても明確に示されておりません。もし前者が削除すべきでなく、後者が削除すべきなら、何故そうなのか理由を教えて頂きたく存じます。
追記
また、余談ですが、以下の発言について疑問があります。
>しばらく皆さんの意見を募った後、特筆性がないと判断された場合は削除依頼にかけさせていただきますのでよろしくお願いします。--Dock6 2008年6月28日 (土) 23:17 (UTC)
この記述は、ガイドラインWikipedia:特筆性 (音楽)の中で語られている以下の内容からいって相応しくないと思われます。
「厳重注意:このガイドラインの基準を満たさなかったからといって、必ずしも削除の対象になるわけではありません。記事を削除するかどうかは削除依頼の議論によって決定されます。」
議論を行う前に、削除を前提としているという受け取り方ができる記述です。これについては、見解の訂正をお願い致します。
私見ですが、これまでのいきさつから見て、このカテゴリの記事に関して、その記述が最初から宣伝を目的として記述されているといった先入観から、過剰にそれを妨げようとしている圧力が働いている様に感じられます。音楽活動を行うアーティストはCDや放送等の媒体によって表現を他人に伝えることを活動の中心にしていますので、活動が何らかの宣伝ととらえられる可能性が高いのは仕方が無い事ですが、そういった理由で記述が制限され、アーティストの活動の本質に関わる情報が損なわれてしまうのはWikipediaにとっても非常に残念な事だと思います。こういった現象に対する代表的な意見をWikipediaの共同創始者ラリー・サンガー氏がウィキペディアに関する記事の脚注の10.Wikipediaの権威失墜。の中で語っています。
また、新規に追加された記述に対して (なんかいろいろとひどいな)というコメントのみ残し、あるいは無言で勧告のラベルを付加して行く方法がマナーのあるやり方とは思えません。それぞれのスタブには、制作した者の意思があり、それは尊重されるべきだと考えます。記述した者や、その記事を閲覧しようとしている者が一方的な修正、削除により受ける悲しみが、どの様なものか気づいて頂きたいと切望致します。--Management 2.0 2008年6月29日 (日) 08:33 (UTC)
広告宣伝活動のような記述との指摘にについて
このスタブに、直接的に購買を促すような記述は無いと思います。 また、アーティストを意図的に美化したと思われる表現もしておりません。 もし、あるようでしたら具体的にご指摘下さい。--Management 2.0 2008年6月29日 (日) 12:59 (UTC)
シンガーソングライターあえかについて
シンガーソングライターあえかは、山﨑バニラの親友であり、ジャンルは違うがバニラの相方の様な存在。学生の頃から一緒に芸を磨いた仲で、お互いのイベントにも顔を出し合って影響しあっていることから、DJや歌手として同じくマルチに活躍していくタレントで、所属プロダクションが決まればすぐに有名になると思います。いまから注目しておくべきだと思います。--Vanilla Alice 2008年6月29日 (日) 15:29 (UTC)
意見
コミュニティ放送の存在意義は、地域の人やタレントなどが地元に密着した番組を通じて地域のコミュニケーションに役に立ったり、その地域の良いものを外部へ伝えたりすることなので、一般の放送局とは役割が違う。大きな視点で見えないものごとを発信することで役に立っているので重要でないわけじゃない。小国が大国に比べて重要じゃないわけじゃないというのと同じだ。感じ方は人それぞれだが特筆性をくらべるのは難しいのじゃないだろうか? ○○主義が善か悪かというのに似ておそらく結論が出ないし、ここで論じるべきじゃないだろう。論じるべきは人物を記事にすべきかどうかなのだから質問の仕方が間違っている。 ストファイで一位は簡単にできることじゃないし、記事にするには十分な活躍ではないかと思う。
イベント活動への参加
ミュージシャンや俳優には、メディア出演を好まない人もいますので一概にメディア出演が多いほど活躍しているとはいえませんが、この人物は特に地域イベントや他のアーティストと共同での企画に精力的に参加しています。NHKローカル局制作のFM、TV番組への出演時の弾き語りライブ他、アミューズメント企業主催のイベント参加[1]関連するテレビ埼玉製作の番組出演[2]デパート3社の定期イベントへの出演、テレビ埼玉、FM NACK5 等が参加する、SSM (SaitamaStreetMusicia)制度推進会議主催のイベントへの参加[3]、埼玉県内の自衛隊主催の夏まつりイベント参加、他TOKYO FM主催音楽イベント[4]参加等、地元の人々と、共通する音楽性を持ったアーティストとの「繋がり」を重視した活動から、新しいアコースティック系音楽表現、表現同士のマッシュアップといえる音楽活動を展開しています。これは、フリーのアーティストならではの自由な活動による特筆すべき点とも言えます。 --Management 2.0 2008年7月2日 (水) 00:40 (UTC) (参照の項を追加)--Management 2.0 2008年7月4日 (金) 17:21 (UTC)
この議論について
一方的な意見ばかりでは、公平性を欠くと思いますので、この記事の削除に積極的な意見をお持ちの方は、是非意見をいただきます様お願い致します。--Management 2.0 2008年7月18日 (金) 06:59 (UTC)
論議を始めてから、1ヶ月経過しましたがこのスタブの削除を望む意見は無いようですので、7月末に、告知のタグを除去しようと思います。何かご意見がありましたら、お願い致します。--Management 2.0 2008年7月30日 (水) 07:19 (UTC)
本日、告知のタグを一時、除去致しました。このスタブの内容の充実に、今後もご協力下さい。--Management 2.0 2008年8月1日 (金) 05:59 (UTC)
Wikipediaの特筆性について
- ずいぶん前の議論ではありますが、ノートでの議論を見ていて違和感を感じたのでコメントさせていただきます。
- Wikipediaの「特筆性」とは「著名性」のことではありません。そう捉えてしまいますと、いわゆる専門用語の類は一切収録できないことになります。
- Wikipediaの「特筆性」の定義はリンク先にある通りで、「対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及があること」です。これに適合しているならば、「Wikipedia:特筆性_(音楽)#音楽家・音楽グループ」の方の定義にも、自動的に適合します。
- 「対象とは無関係な情報源」とは、記事の対象とするアーティスト自身のブログや著書、あるいは所属事務所のHPや、アーティストの宣伝に協力している企業さんなどが作成したものではなく、記事の対象とは直接間接に関係がない中立的なメディアが作成している情報源を指します。「有意な言及」とは、その情報源から対象に対する何らかの情報を読み取れる程度の大きさで言及したことを意味します。広告や1行記事、プレスリリースの転載などは有意な言及に値しません。
- 例えば、あえかさんと同じように、日々路上ライブを行なっているインディーズのアーティストさんの記事を例に取ると、宮崎奈穂子さんの記事は、複数の中立的な新聞や雑誌で掲載された実績を出典にしているため、特筆性を満たしています。宮崎さんと同じ事務所のさとなか唯さんの記事は、中立的なニュースサイトの記事を出典に示しているため、記事の存在自体は特筆性を満たしていますが、記事の内容の大部分は出典を示していないので、Wikipediaの方針に従っているとは言えません。やはり同じ事務所のKado junさんも雑誌記事で大きく扱われたり、NACK 5でレギュラー番組を持ったりした実績があるため、Kado junさん自身には特筆性があります。しかし現時点ではリンク先の記事はこの出典を使用した記事になっていないため、Kado junさんの記事は特筆性を満たしていないと思います。(現時点で削除要請を出していないのは、私自身が記事を改善しようと思っているためです)
- 記事そのものではなく、記事の中に盛り込む一つ一つの情報についても、なるべく特筆性を満たすことが求められますが、これはMUSTではなくSHOULDです。とはいえ、何を書いても良いというわけではなく、百科事典に掲載するに値する情報を取捨選択する必要があります。いずれにせよ出典がない記述は書くべきではありません。
- Wikipediaの「特筆性」とは「著名性」のことではありません。そう捉えてしまいますと、いわゆる専門用語の類は一切収録できないことになります。
- Wikipediaの記事には「検証可能性」が求められます。「検証可能性」の定義は「記事には信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くこと。記事のすべての内容には、信頼できる情報源による出典が明示されていること」です。
- 例えば、テレビやラジオの番組は、Wikipediaで言う「信頼できる情報源」ではありません。なぜなら、映像ソフト化されたり、NHKアーカイブスのような場所で閲覧できるようになっていないかぎり、読者が出典を参照して記事を検証することができないためです。コミュニティ放送か全国放送かという問題ではなく、検証できないから使用できないのです。例えば宮崎奈穂子さんは「目撃!日本列島」というNHKの番組に出演していますが、これはNHKアーカイブスに収蔵されているものの公開ライブラリーにはなっていない[5]ため、普通の手段では閲覧できませんので、Wikipediaの記事の出典には使用できません。
- テレビやラジオへの出演実績自体は、番組のWebサイトや新聞のテレビ・ラジオ欄などを出典として示すことができるのであれば、Wikipediaの記事に掲載できると思います。現時点で宮崎奈穂子さんの記事にラジオやテレビへの出演の実績をほとんど書いていないのは、単にプロジェクト:芸能人のガイドラインで「単発のゲスト出演は書かない」とされているためです。ですが本来このガイドラインに従うかどうかは相対的に判断するべきであり、まだまだ知名度の低いアーティストさんにとっては単発のゲスト出演でも重要な業績ですから書く意味はあります。知名度が上がってれば、単発のゲスト出演まで書いていると記事がゴチャゴチャしてくるでしょうから、その時になったら削除すればよいでしょう。
- アーティスト本人のブログのような、自己公表された情報源は、それが唯一の出典であるならば記事を書くことはできません。アーティスト本人の著書は、ブログとは異なり編集者によるレビューを経ていると考えられるため出典に使用できますが、自伝のような当事者による記録は一次資料に該当しますので、使用には慎重を要します。例えば藤山一郎さんの記事では、藤山一郎さんの自伝も出典に使用していますが、それを唯一の出典としている記述はありません。宮崎奈穂子さんは自伝を2冊書かれていますので、これを出典にできれば相当記事を成長させられるのですが、現状ではそうしていないのはそのような理由によります。自伝でしか言及されていないことを書いたところで、それが百科事典に載せるに値する情報かというと、そうは言えないでしょう。
- Wikipediaの記事には「検証可能性」が求められます。「検証可能性」の定義は「記事には信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くこと。記事のすべての内容には、信頼できる情報源による出典が明示されていること」です。
- 情報源の著名性は問題になりません。あえかさんは埼玉県内を中心に活動されていますから、埼玉県内のローカルメディアへの露出は多いのではないかと思います。そのメディアが、埼玉県内の図書館などで誰でも参照できるのであれば、Wikipediaの記事の出典として使用できます。もっとも図書館に収蔵されているかどうかを確認するところまでは執筆者の責任ではないと思います。一般論としては、ISBNや雑誌コード、第三種郵便物の認可があるメディアであれば問題ないと思います。
- 現状では、この記事は一応出典が提示されていますが、記事のどの部分の記述がどの出典によるものなのか全く示されておらず、これでは記事を検証できません。また個人のブログは出典にできないのは上記の通りです。「SSM (SaitamaStreetMusician)制度」「北九州市特命大使」もデッドリンクになっています。Twitterは追跡できないので検証可能性を満たしません。結局、この記事にはWikipediaの方針に適合した出典は何一つありませんので、記事を削除されても文句は言えません。出典を提示する義務は記事を書く側、および記事の存続を望む側にあります。
- 以上のような議論については、ノート:宮崎奈穂子でだいぶやりましたので、よかったら参考にしてください。
- アーティストさんを応援するためにWikipediaの記事を充実させたいという気持ちはとてもよくわかるのですが(私もそうなので)、Wikipediaの方針を守れないのであればWikipediaに記事を書く資格はないと言われても仕方がないです。Wikipediaの方針を満たす出典を示せないのであれば、残念ながら現時点ではWikipediaには書くことがないということです。
- 一方で、Wikipediaのガイドラインに対しては、場合によっては逸脱も許されます。まぁガイドラインの逸脱に対しては後から色々文句を言ってくる人がいるでしょうから、逸脱をする理由と、代わりにどこまでをこの記事における掲載基準とするのかをノートに書いておけばよいのではないでしょうか。
- 私見ですが、Wikipediaというのは一生懸命記事を書けば書くほど叩かれる場所であると思っています。「一生懸命記事を書く」ということは、それだけ記事の対象に入れ込んでいるということであり、執筆者の中立性は失われているためです。するとWikipediaの方針を満たせなくなりますから批判を浴びることになります。それでも記事を書きたければ、記事を書くときだけでも対象から距離を置くか、あるいは批判を覚悟で書き、批判されてもキレずに素直に反省するしかないと思います。--Uttiee56(会話) 2013年5月19日 (日) 16:36 (UTC)
写真について
- どうしてこんなボケボケの(加工している?)写真を載せているのでしょうか。こんな酷い写真を載せるくらいならば、写真は載せないほうがいいと思います。写真が見たければ公式HPでいくらでも見れるのですから。--Uttiee56(会話) 2013年5月19日 (日) 16:36 (UTC)
公式なり本人に了解取って使うべきだと思う。 あおなみりょう(会話) 2015年11月2日 (月) 13:54 (UTC)