ネーメト・ミクローシュ (陸上選手)
| |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | ネーメト・ミクローシュ | ||||||||||||||
国籍 | ハンガリー | ||||||||||||||
種目 | やり投 | ||||||||||||||
生年月日 | 1946年1月23日(78歳) | ||||||||||||||
生誕地 | ブダペスト | ||||||||||||||
自己ベスト | やり投 : 94m58 (1976年) | ||||||||||||||
| |||||||||||||||
編集 |
ネーメト・ミクローシュ(ハンガリー語:Németh Miklós [ˈneːmɛt ˌmikloːʃ]、1946年1月23日 - )は、ハンガリーの陸上競技選手。1976年モントリオールオリンピックの金メダリストである。ブダペスト出身。
経歴
[編集]ネーメトは、1960年代から1970年代にかけて活躍したやり投の選手である。父親のネーメト・イムレも陸上選手で、1948年ロンドンオリンピックのハンマー投で金メダルを獲得している。
ネーメトが最初にオリンピックに出場したのは1968年メキシコシティーオリンピックである。しかし、この大会では決勝に残ることなく敗れている。4年後の1972年ミュンヘンオリンピックでは決勝に残り、81m98で7位となっている。
1976年モントリオールオリンピックでは、予選で89m28の2位で決勝に進出。翌日の決勝では、1投目に94m58と、西ドイツのクラウス・ヴォルファーマンが持っていた世界記録を50cm上回る世界新記録の投てきでトップに立つと、他の選手はネーメトに近づくこともできず、2位のフィンランドのハンヌ・シートネンに6m66cmの大差を付け3回目のオリンピックではじめての金メダルを獲得。親子二代での金メダリストとなった。
ネーメトは、1980年モスクワオリンピックにも出場を果たしているが、トップから9m近い大差を付けられ8位に終わっている。また、ネーメトは、ヨーロッパ選手権にも3度出場しているが、いずれも表彰台には立っていない。
ネーメトは現役引退後はやりの製作を行っていた。1991年にネーメトが表面加工し作成したやりで世界新記録が続出。ネーメトのやりとしてもてはやされたが、規定違反のやりということで、このやりで出された世界記録を抹消された。
自己ベスト
[編集]- やり投 - 94m58 (1976年)
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1966 | ヨーロッパ陸上選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | やり投 | 5位 | 79m82 |
1968 | オリンピック | メキシコシティ(メキシコ) | やり投 | 17位(q) | 75m50 |
1970 | ユニバーシアード | トリノ(イタリア) | やり投 | 1位 | 81m94 |
1972 | オリンピック | ミュンヘン(西ドイツ) | やり投 | 7位 | 81m98 |
1974 | ヨーロッパ陸上選手権 | ローマ(イタリア) | やり投 | 7位 | 81m06 |
1976 | オリンピック | モントリオール(カナダ) | やり投 | 1位 | 94m58 |
1977 | IAAFワールドカップ | デュッセルドルフ(西ドイツ) | やり投 | 3位 | 80m82 |
1978 | ヨーロッパ陸上選手権 | プラハ(チェコスロバキア) | やり投 | 7位 | 83m58 |
1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | やり投 | 8位 | 82m40 |
- qは予選
外部リンク
[編集]- ネーメト・ミクローシュ - Olympedia