ニール・ラーセン
ニール・ラーセン Neil Larsen | |
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出生名 | Neil R. Larsen |
生誕 | 1948年8月7日(76歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド |
ジャンル | ジャズ、ロック |
職業 | ミュージシャン、アレンジャー、作曲家 |
担当楽器 | ピアノ、ハモンドオルガン |
レーベル | A&M、Horizon、ワーナー、Portico |
共同作業者 | バズ・フェイトン、ロベン・フォード、レナード・コーエン |
公式サイト |
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ニール・ラーセン(Neil Larsen、1948年8月7日 - )は、アメリカのジャズ・キーボード奏者、音楽アレンジャー、作曲家。オハイオ州クリーブランドで生まれ、フロリダ州サラソータで育った後、ニューヨークに移り、1977年にはロサンゼルスへと移った[1]。
略歴
[編集]生い立ち
[編集]ラーセンはオハイオ州クリーブランドで生まれ、フロリダ州サラソータで育った。ピアノを学び、ジャズ・アーティストのジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、モダン・ジャズ・カルテット、そして現代のロック演奏家たちからインスピレーションを得た[2]。
1969年に、ベトナム戦争で奉仕するために徴兵された。ベトナム滞在中は、アメリカ海軍のための音楽エンターテインメントをコーディネートするバンド・ディレクターとして働いた。退役後、ミュージシャンとしての仕事を得るためニューヨークへとわたった[2]。
キャリア
[編集]1970年代初頭にニューヨークに滞在中、ラーセンはテレビのジングルを作曲し、さまざまなレコーディング・アーティストたちとのセッションで演奏した[3]。ジャズ・ギタリストのバズ・フェイトンとフル・ムーンというバンドを結成し、セルフタイトルのデビュー・アルバムが1972年にリリースされた。また、ラーセンは一時的にソウル・サヴァイヴァーズのメンバーを務めている。TSOPレーベルからの1974年のセルフタイトル・アルバムでは、キーボード奏者、作曲家、編曲家として貢献した。1975年になると、グレッグ・オールマンのバンド・メンバーとしてツアーを開始した[2]。
1977年、ラーセンはロサンゼルスに移り[1]、トミー・リピューマ、ラス・タイトルマン、ハーブ・アルパートなどの音楽プロデューサーたちが手掛けたセッションで演奏した[3]。これらのプロジェクトにより、ラーセンはアルパートのレコード会社であるA&Mレコード[1]と契約し、ホライゾン・レーベルにてレコーディングを行った[4]。ラーセンのファースト・アルバム『ジャングル・フィーヴァー』は1978年9月にリリースされた[5]。ラーセンは、フェイトンを含むバンドとのリリースをサポートするためにアメリカをツアーした[2]。
セカンド・アルバム『ハイ・ギア』のタイトルトラックは、1980年のグラミー賞のベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンスにノミネートされた[6]。このアルバムは、アメリカのビルボード・トップLP&テープ・チャートの153位まで達し[7]、フェイトン、マイケル・ブレッカー、スティーヴ・ガッド、パウリーニョ・ダ・コスタからの音楽的な貢献が含まれていた[1]。
ラーセンは、ジャズとロックのフュージョン・グループであるラーセン・ファクツ・バンドとラーセン=フェイトン・バンドでフェイトンとさらに協力を行った。後者は1980年にワーナー・ブラザーズ・レコードから『ラーセン=フェイトン・バンド』をリリースした。また、ラーセンの2007年のアルバム『Orbit』に貢献したギタリストのロベン・フォード[1]と一緒にレコーディングし、ツアーを行った[8]。
彼の作品は、とりわけジョージ・ベンソンとグレッグ・オールマンによってもレコーディングされている[1]。ラーセンは、1985年から1986年にかけてマイルス・デイヴィスのラバーバンド・セッションに参加した。彼の歌「Carnival」は後にデイヴィスによって作品「Carnival Time」へとつなげられていった[9]。
ラーセンは、リッキー・リー・ジョーンズ、ジョージ・ハリスン、ケニー・ロギンス、ドン・マクリーンなど、多くのロック・アーティストのセッション・ミュージシャンとして働いてきた.[1][10]。彼は20世紀フォックス・テレビジョンの番組『ボストン・リーガル』のピアニスト兼ミュージカル・アレンジャーを務め[1]、またジャズ歌手アル・ジャロウの音楽監督を務めた[2]。
2008年からは、レナード・コーエンのバンド・メンバーとしてツアーとレコーディングを行った[11]。ラーセンは、2012年から2013年にかけて、コーエンのアルバム『オールド・アイディア』に参加し、歌手として最後となるコーエンのワールド・ツアーに出演した。コーエンは定期的に彼を「今日のハモンドB-3オルガンの第一人者」とステージで紹介した[12]。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『フル・ムーン』 - Full Moon (1972年、Douglas/Epic) ※フル・ムーン名義
- 『ジャングル・フィーヴァー』 - Jungle Fever (1978年、Horizon/A&M)
- 『ハイ・ギア』 - High Gear (1979年、Horizon/A&M)
- 『ラーセン=フェイトン・バンド』 - Larsen-Feiten Band (1980年、Warner Bros.) ※ラーセン=フェイトン・バンド名義
- 『フルムーン』 - Full Moon Featuring Neil Larsen & Buzz Feiten (1982年、Warner Bros.) ※ラーセン=フェイトン・バンド名義
- 『スルー・エニー・ウィンドウ』 - Through Any Window (1987年、MCA)
- 『スムーズ・トーク』 - Smooth Talk (1989年、MCA)
- 『フル・ムーン・ライヴ』 - Full Moon Live (2002年、Dreamsville) ※フル・ムーン (ラーセン・フェイトン・バンド)名義。1980年&1983年ライブ録音
- Orbit (2007年、Straight Ahead)
- Forlana (2015年、Portico Records)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “This Time Tomorrow – Neil Larsen”. Jazz Lynx (September 5, 2010). October 9, 2017閲覧。
- ^ a b c d e Paste staff. “Larsen/Feiten Band – Windsong”. October 10, 2017閲覧。
- ^ a b Argyrakis, Andy (September 30, 2009). “Studiophile: Neil Larsen”. Illinois Entertainer. October 10, 2017閲覧。
- ^ Los Angeles staff (September 1, 1979). “A&M Ponders Fate Of Defunct Horizon Acts”. Billboard: 6 October 10, 2017閲覧。.
- ^ Los Angeles staff (September 30, 1978). “Horizon Issues 3”. Billboard: 10 October 10, 2017閲覧。.
- ^ “Grammy Awards 1980”. awardsandshows.com. October 9, 2017閲覧。
- ^ “Top LPs & Tape”. Billboard: 68. (September 8, 1979) October 9, 2017閲覧。.
- ^ Heidt, John (December 2007). “Neil Larsen – Orbit”. Vintage Guitar October 9, 2017閲覧。.
- ^ Cole, George (2005). The Last Miles: The Music of Miles Davis, 1980–1991. Ann Arbor, MC: University of Michigan Press. pp. 210, 216. ISBN 978-0-472032600
- ^ “Neil Larsen: Credits”. AllMusic. October 9, 2017閲覧。
- ^ Tatangelo, Wade (March 11, 2013). “Leonard Cohen returns to Tampa with former Sarasotan”. Sarasota Herald-Tribune October 9, 2017閲覧。
- ^ Showalter, Allan (July 9, 2015). “Neil Larsen – The Impeccable & Nearly Invisible Leonard Cohen World Tour Keyboardist, Part 1”. Cohencentric. October 10, 2017閲覧。