ナン・チョーンシー
ナン・チョーンシー Nan Chauncy | |
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誕生 |
1900年5月28日 イギリス、ノースウッド |
死没 |
1970年5月1日 (69歳没) オーストラリア、タスマニア州バグダッド |
職業 | 児童文学作家、小説家 |
国籍 |
イギリス → オーストラリア |
活動期間 | 1948年 – 1969年 |
配偶者 | Helmut Anton Rosenfeld (1938–1970) |
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ナン・チョーンシー(Nan Chauncy、1900年5月28日 - 1970年5月1日)は、イギリス生まれのオーストラリアの児童文学作家。
生い立ち
[編集]チョーンシーは、ナンセン・ベリル・マスターマン (Nancen Beryl Masterman) として、イングランド南東部、ロンドン西郊に位置する当時のミドルセックス州ノースウッド(英語版)(現在のヒリンドン・ロンドン特別区の一部)に生まれた。技師であった父が、オーストラリア・タスマニア州の州都ホバートの市当局から職を提示されたのを機に、一家は1912年にタスマニアに移住した。ホバートで彼女は、女子校であるセント・マイケルズ・コリージェット・スクール (St Michael's Collegiate School) に学んだ。1914年、一家はタスマニア州内の農村部に移り、バグダッド (Bagdad) でリンゴ栽培に従事した。バグダッド周辺には、森が多く、ブッシュレンジャー (bushranger) と呼ばれた盗賊たちが潜む洞窟などもあり、後の著作や、終生続いたガールスカウト運動(イギリスやオーストラリアでは「ガールガイド (Girl Guide)」の語が用いられる:Girl Guides Australia)への関わりに、様々な示唆を与えることになった。当初、ナンは、バグダッドにあった兄の所有地でガールガイドの集会やキャンプを開催していたが、1925年からクレアモント (Claremont) にあるキャドバリーのチョコレート工場 (Cadbury's Chocolate Factory, Tasmania) で、女性従業員の厚生係として働くようになると、クレアモントで自らが主催する団を組織するようになった[1]。
ヨーロッパ旅行
[編集]1930年にイングランドに戻ったナンは、ハンプシャー州リンドハースト (Lyndhurst) にある、ガールガイド運動の研修施設フォックスリース (Foxlease) で訓練を受けた。さらに、テムズ川に浮かぶハウスボートに住みながら、著述について学び、また、実践を重ねた。1934年には、スウェーデン、フィンランド、ソビエト連邦を旅行し、デンマークでは、当地のガールガイド学校で冬学期の英語の授業を担当した[1]。
1938年、ナンは、オーストラリアへ帰国する船上でドイツからの亡命者であったヘルムート・アントン・ローゼンフェルト (Helmut Anton Rosenfeld) と出会い、同年9月13日にビクトリア州ララ (Lara) で結婚した。2人はバグダッドに住んだが、第二次世界大戦が勃発すると、反独感情の高まりに影響されることを避けるために、(ナンの母方の祖母の姓をとって)チョーンシーと改姓した[1]。
死と遺産
[編集]チョーンシーは、1970年5月1日にがんのため、69歳で亡くなった。遺された夫と娘は、「チョーンシー・ヴェイル (Chauncy Vale)」と称された一家の所有地を、自然保護区とするものとして地元の行政当局 (Southern Midlands Council) に寄付した[1]。
著作
[編集]日本語文献に言及があるもののみ邦題をつけた[2]。
- 『洞窟発見』They Found a Cave (1947)
- World's End was Home (1952)
- A Fortune for the Brave (1954)
- 『ブッシュのトラ』Tiger in the Bush (1957)
- 『悪魔の丘』Devil's Hill (1958)
- 『タンガラ — 再出発しよう』Tangara (1961)
- The Secret Friends (1962)
- Half a World Away (1962)
- The Roaring 40 (1963)
- High and Haunted Island (1964)
- The Skewbald Pony (1965)
- Hunted in Their Own Land (1967)
- Mathinna's People (1967)
- Lizzie's Lights (1968)
- 『灯台守の息子』The Lighthouse Keeper's Son (1969)
チョーンシーの作品は、いずれもタスマニアが舞台になっている[2]。
チョーンシーの存命中に出版された小説は14作品あり、そのうち、最初の12作品はオックスフォード大学出版局から出版された。
映像化
[編集]チョーンシーの小説のうち、2作品は映像作品の原作となった。小説処女作『They Found A Cave』は、1962年にチャールズ・ウォルニザー (Charles Wolnizer) 監督により、キャスト全員にタスマニア人を起用して映画化された。当時、オーストラリアの映画界は低調な時期であったが、この作品はヴェネツィア国際映画祭で児童映画賞を獲得した[3]。
1988年、オーストラリア児童テレビ基金 (Australian Children's Television Foundation) とオーストラリア放送協会 (ABC) は、オーストラリア200周年を祝ってオーストラリアの各州・準州にちなむテレビ用映画のシリーズ『Touch the Sun』を制作した。このうちタスマニア州にちなんで制作された『Devil's Hill』は、チョーンシーの小説を映像化したものであった。
受賞と栄誉
[編集]チョーンシーは、オーストラリア児童書評議会 (The Children's Book Council of Australia) が年間最高の児童書を選出する the Children's Book of the Year に、1958年の『Tiger in the Bush』[4]、1959年の『Devil's Hill』、1961年の『Tangara』と、合わせて3回選ばれている。これに次ぐ特別推薦書 (Highly Commended) にも、1964年の『The Roaring 40''』が選ばれ、1965年の『High and Haunted Island』と1968年の『Mathinna's People』も推薦書 (Commended) になっている[5]。
チョーンシーは、オーストラリア人としては初めて、国際アンデルセン賞から表彰された[3]。ただしこれは、国際アンデルセン賞の作家賞ではなく、各国別に優れた作品を表彰する別の制度による表彰である[6]。チョーンシーは、1962年に『Tangara』でこの表彰を受けたが、これはイギリスの作家として推挙されたものであり、オーストラリアから国別に同じ表彰の対象者が選ばれるようになった1970年より前のことであった[7]。
オーストラリア児童書評議会は、ナン・チョーンシー賞 (Nan Chauncy Award) を設け、オーストラリアの児童文学分野における顕著な功績を顕彰している。この賞は、1983年から1998年までは5年に1度、以降は2年に1度、授与されている[8]。
出典・脚注
[編集]- ^ a b c d Eastman, Berenice (1993). “Chauncy, Nancen Beryl (Nan) (1900–1970)”. Australian Dictionary of Biography, Volume 13. Melbourne University Press. pp. 408–409 2012年4月4日閲覧。
- ^ a b 桂宥子、牟田おりえ・編『はじめて学ぶ英米児童文学史』ミネルヴァ書房、京都、2004年1月25日、205-212頁。
- ^ a b “Nan Chauncy Nan Chauncy (1900 - 1970) Author”. Tasmanian Department of Premier and Cabinet. 2012年4月4日閲覧。
- ^ “Winners and Commended Books 1946 to 1959”. Children's Book Council of Australia. 2012年4月4日閲覧。
- ^ “Winners and Commended Books 1960 – 1969”. Children's Book Council of Australia. 2016年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月4日閲覧。
- ^ オーストラリア人による国際アンデルセン賞の受賞は、チョーンシーの没後に受賞した、1986年の作家賞パトリシア・ライトソン、画家賞のロバート・イングペン (Robert Ingpen) が最初であった。
- ^ “Honour List”. IBBY Australia. 2012年4月4日閲覧。
- ^ “Nan Chauncy Award”. Children's Book Council of Australia. 2012年4月4日閲覧。
関連文献
[編集]- 小野章「オーストラリア児童文学の現況-5- ナン・チョンシー」『日本児童文学』第25巻第9号、日本児童文学者協会、1979年、98-108頁。