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ナルカ (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
82F
ナルカ
停泊中のナルカ
停泊中のナルカ
基本情報
建造所 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ガンツ=ダヌビウスポルト・レ造船所
運用者 オーストリア=ハンガリー帝国海軍
ルーマニア海軍(1920年 -)
艦種 水雷艇砲艦
級名 82F型水雷艇
建造費 993,750クローネ[1]
艦歴
起工 1913年10月30日
進水 1914年8月11日
竣工 1916年8月30日
最期 1944年8月20日空襲により沈没。
要目
基準排水量 267トン
長さ 58.76 m
5.84 m
吃水 1.5 m
主缶 ヤーロウ石油1缶、石炭1缶
主機 AEG=カーチスタービン2基
出力 6,000 hp
推進器 2軸推進
最大速力 28ノット
巡航速力 16ノット
燃料 石炭20.2t、石油31t[1]
航続距離 1,020カイリ
乗員 41 名[1]
兵装
  • 建造時
  • 第二次世界大戦
  • 砲艦に改装後
    • 88mm両用砲2門
    • 20mm対空機関砲2門
    • 爆雷投射機4基
    • 爆雷投下軌条2本
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ナルカルーマニア語: Năluca)は、ルーマニアの水雷艇Torpiloare escortoare)。第一次世界大戦中にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の82F型水雷艇82 F(ホーホゼー・トルピードボート、外洋水雷艇)として建造され、戦後ルーマニア艦となった。第二次世界大戦では、護衛、対潜作戦に用いられたが1944年8月20日に空襲により沈没した。

構造

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250t型水雷艇の一群である82F型水雷艇の一番艇として建造された。艇体は全長58.76m、全幅5.84m、吃水1.5m。計画時の排水量は243tであったが、基準排水量は267tに達した[1]。 機関はヤーロウ製のボイラー2缶(石油1缶、石炭1缶)でAEG=カーチスタービン2基により出力6,000hpを発揮した[1]。2軸推進で28ノット、巡航速度16ノットで航続距離は1,020海里であった[1]。乗員41人。

武装は口径66mmのシュコダ 7cm/L30砲英語版を前後に各1門、450mm連装魚雷発射管を2基備えた。1917年には、後方の66mm砲1門を対空仕様に変更している[2][1]。この他にシュワルツローゼ8mm機銃1挺も装備していた[1][3]

1939年に改装が行われ、66mm砲1門を37mm高角砲 C/30に交換し、中央部に20mm C/38対空機関砲、爆雷投射機4基と爆雷投下軌条2本を追加した[4][5]。1943年末から1944年初頭にかけて同級のスメウルと共に改装が行われ、450mm魚雷発射管を撤去し、88mm両用砲2門と20mm対空機関砲2門を搭載する砲艦に改装された[3]

艇歴

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1913年10月30日、ガンツ=ダヌビウスのポルト・レ造船所で起工、1914年8月11日進水、1916年8月30日に竣工した[1]。就役したものの、公試において速力が予定に達せず、新たなスクリューが装備されることになった。第一次世界大戦では、対潜哨戒、機雷敷設、救難、船団護衛に用いられている[1]

第一次世界大戦後、同級2艇と共にルーマニアに引き渡され、第二次世界大戦でも運用された[3]

1941年7月9日、マンガリア近海でヴォスパー70フィート型高速魚雷艇ヴィスコルルヴィジェリャと共にソビエト連邦のSC型潜水艦Shch-206と交戦した[6][7][8][9]。1941年10月、ブルガリア沿岸に機雷原構築作戦に従事した[10]

1942年9月28日、クリミア半島南岸付近でM型潜水艦M-120により攻撃されたが、これは失敗している[11]

1943年7月26日から9月17日にかけて、コンスタンツァ - オデッサ間の航路で12回の護衛任務に当たった。8度目の護衛任務中の8月27日、雷撃機7機に攻撃されたが無事に切り抜けている[12]

1944年8月20日、コンスタンツァ港にて空襲により沈没した[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Veperdi András (2007). “Az osztrák-magyar hadiflotta az első világháborúban V”. Hajózástörténeti Közlemények (TIT Hajózástörténeti, -Modellező és Hagyományőrző Egyesület HAGYOMÁNYÕRZÕ TAGOZAT) (4): 225-226. http://www.kriegsmarine.hu/hk/tbnaszadok.pdf. 
  2. ^ С.А.Балакин (1997). Морская коллекция 1997 №4 ВМС Италии и Австро-Венгрии 1914-1918. Моделист- Конструктор 
  3. ^ a b c Robert Gardiner, ed (1985). “Austria-Hungary”. Conway's All the World's Fighting Ships, 1906-1921. p. 339-340. ISBN 9780851772455 
  4. ^ a b M. J. Whitley, Destroyers of World War II, Naval Institute Press, 1988, p. 226
  5. ^ С. Патянин, М. Барабанов (2007). ВМС Балканских государств и стран Восточного Средиземноморья. Коллекция 
  6. ^ Antony Preston, Warship 2001-2002, Conway Maritime Press, 2001, p. 72
  7. ^ Cristian Crăciunoiu, Romanian navy torpedo boats, Modelism, 2003, p. 135
  8. ^ Donald A Bertke, Gordon Smith, Don Kindell, World War II Sea War, Volume 4: Germany Sends Russia to the Allies, Bertke Publications, 2012, p. 134
  9. ^ Jipa Rotaru, Ioan Damaschin, Glorie și dramă: Marina Regală Română, 1940-1945, Ion Cristoiu Publishing, 2000, pp. 50-51
  10. ^ Donald A Bertke, Gordon Smith, Don Kindell, World War II Sea War, Volume 4: Germany Sends Russia to the Allies, p. 323
  11. ^ Donald A Bertke, Gordon Smith, Don Kindell, World War II Sea War, Vol 7: The Allies Strike Back, Bertke Publications, 2014, p. 71
  12. ^ Jipa Rotaru, Ioan Damaschin, Glorie și dramă: Marina Regală Română, 1940-1945, Ion Cristoiu Publishing, 2000, pp. 267-268

外部リンク

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