ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち
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ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち | ||
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著者 | 柴田元幸ほか | |
訳者 | 柴田元幸 | |
発行日 | 2004年3月30日 | |
発行元 | アルク | |
ジャンル | 対談、オーディオブック | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 |
上製本 CD | |
ページ数 | 308 | |
コード | ISBN 9784757407817 | |
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『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(ナインインタビューズ しばたもとゆきときゅうにんのさっかたち)は、柴田元幸によるインタビュー集、CDブック。
2004年3月、アルクより刊行された。国内外の小説家8名と漫画家1名に対して、アメリカ文学研究者で翻訳家の柴田が聴き取りを行っている[注 1]。インタビューの内容は別添の2枚のCDで聴くことができる(村上春樹を除く)。日本語訳も柴田。書籍は左ページが英語、右ページが日本語という体裁になっており、語学教材としての側面もあわせもつ[注 2]。雑誌掲載時の約2倍の分量の活字が収められている。
内容
[編集]名前 | 初出 | 収録日・場所 | 備考 |
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シリ・ハストヴェット | 『English Journal』2001年5月号 | 2000年8月26日 ブルックリン |
1955年ミネソタ州生まれ。小説家。夫はポール・オースター。 |
アート・スピーゲルマン | 『English Journal』2001年6月号 | 2000年8月27日 ソーホー |
1948年ストックホルム生まれ。漫画家。 イタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をポール・オースターと共に見たときの感想が語られている。 |
T・R・ピアソン | 『English Journal』2001年9月号 | 2000年8月29日 ヴァージニア州シャーロッツビル |
1956年ノースカロライナ州生まれ。小説家。 |
スチュアート・ダイベック | 『English Journal』2001年8月号 | 2000年8月31日 シカゴ |
1942年シカゴ生まれ。小説家。 |
リチャード・パワーズ | 『English Journal』2001年4月号 | 2000年9月1日 イリノイ州アーバナ |
1957年イリノイ州生まれ。小説家。 |
レベッカ・ブラウン | 『English Journal』2001年7月号 | 2000年9月3日 シアトル |
1956年カリフォルニア州生まれ。小説家。 |
カズオ・イシグロ | 『English Journal』2002年4月号 | 2001年10月25日[注 3] 東京都 |
1954年長崎市生まれ。小説家。 作家における「声」(Voice)の問題が語られている[注 4]。 |
ポール・オースター | 『English Journal』2003年4月号 | 2002年7月25日 電話インタビュー |
1947年ニュージャージー州生まれ。小説家。 新作の『幻影の書』[注 5]、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」、911テロ事件などが主たるトピック。政治的な発言が目を引く[注 6]。 |
村上春樹 | 語り下ろし | 2003年7月11日 神奈川県大磯町 |
1949年京都市生まれ。小説家。 「僕は『うなぎ説』というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの」という説が披露される[注 7][注 8][注 9]。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 柴田は本書のほかにも『代表質問 16のインタビュー』(新書館、2009年7月)というインタビュー集を上梓している。同書に登場するのはテス・ギャラガー、ベン・カッチャー、リチャード・パワーズ、ケリー・リンク、スチュアート・ダイベック、村上春樹、バリー・ユアグロー、ロジャー・パルバース、古川日出男、沼野充義、内田樹、岸本佐知子、ジョン・アーヴィング(架空インタビュー)の13人。
- ^ 2008年11月、同じ版元から『村上春樹ハイブ・リット』と『柴田元幸ハイブ・リット』が出版された。これらも付属CDがあり、左ページが英語、右ページが日本語という体裁になっている。
- ^ 2日前の2001年10月23日、カズオ・イシグロは早川書房主催のフォーラムで池澤夏樹と対談を行った[1]。
- ^ 「作家を志していたころは、仲間同士みんな、『自分の声をみつけろ』と何度も言いあったものです。呪文みたいなものですね。とにかく、自分の声を見つけなくちゃいけない。本物の作家になるというのは、本を出すかどうかなんてことではかならずしもなく、一定の技巧を身につけるということでもない。自分の声を見つけた時点で、人は本物の作家になるんだというわけです」[2]
- ^ インタビュー時点では『幻影の書』はまだ発売されていなかった。「つい昨日、アメリカ版の見本刷りを受けとったところでね」とオースターは言っている。
- ^ 「政府にいる連中はみんな、石油にかかわっているから、そんな気(注・代替エネルギーの開発)は全然持っていない。みんなテキサスの石油会社の関係者だからね。だから、ギャングの一団みたいなものさ。奴らの顔を見るたびに、僕はシリに言うんだ。ブッシュ、ラムズフェルド、アシュクロフト、チェイニー……みんな邪悪な白人だよ、と僕は言うんだ。特にチェイニーが最悪かな。邪悪な白人たちが、今すべてをコントロールしている。恐ろしい話だよ」[3]
- ^ このインタビューから遡ること3年前、2000年5月18日に柴田元幸と行ったフォーラムで、村上はうなぎを「カキフライ」に置き換えて説明している。「つまり、僕が言いたいのは、カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。(中略) これから文章を書こうと思ってつまったら、カキフライのことを思い出してみてください。べつにカキフライじゃくてもいいんだけど、とにかく」[4]
- ^ 村上春樹は創作について語る際、カキフライを比喩に用いることが多い。「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」というエッセイが『村上春樹 雑文集』(新潮社、2011年1月)に収録されている。
- ^ また、福島県郡山市で開催された文学講座で次のような発言を行った。「小説を書いているときは、自分の小説を書いているんだとは思わないようにしています。それよりは『今僕は、台所でカキフライを揚げているんだ』と考えるようにしています。(中略) 僕はカキフライを揚げていると思うと、肩の力が抜けて想像力が出てくるんです。皆さんももし小説をお書きになるようなことがあれば、カキフライのことを思い出してください」[5]