ドラリスティコ
ドラリスティコ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ドラリスティコ ミスティコ(3代目) ドラゴン・リー(初代) |
本名 | カルロス・ムニョス・ゴンザレス |
ニックネーム | ラ・ヌエバ・エラ |
身長 | 176cm[1] |
体重 | 75kg[1] |
誕生日 | 1992年8月10日(32歳)[1] |
出身地 | メキシコ |
トレーナー |
ルーシュ ピットブル フランコ・コロンボ トロ・ブランコ |
デビュー | 2010年11月25日 |
ドラリスティコ(Dralistico)、3代目ミスティコ(Místico)のリングネームで知られるカルロス・ムニョス・ゴンザレス(Carlos Munoz Gonzalez、1992年8月10日[1] - )は、メキシコのプロレスラー[2]。
父はトロ・ブランコ。兄にルーシュ。弟は2代目ドラゴン・リー。叔父にピットブル1号、ピットブル2号、フランク・コロンボがいる。
来歴
[編集]2010年11月25日、CMLL主催のボディビルコンテストで優勝。2011年1月4日にドラゴン・リー(Dragon Lee)のリングネームでプロレスラーとして正式にデビュー。
2012年6月20日、2011年2月にCMLLを去りWWE入りした初代ミスティコに代わり2代目ミスティコ(Místico)になることを発表。24日にディアマンテ & トリトンと組んでカンセルベーロ & ニエブラ・ロハ & ラジエール組と対戦して勝利し、花々しいデビューを果たす。
2013年1月、新日本プロレス「CMLL FANTASTICA MANIA 2013」で来日予定であったが左肩の脱臼で欠場した[3]。マスカラ・ドラダ & バリエンテとエステタス・デル・アイレ(Los Estetas del Aire)なるユニットを結成。6月13日には「CMLL世界トリオ王者決定トーナメント」でロス・ゲレロス・ラグネロス(エウフォリア & ニエブラ・ロハ & ウルティモ・ゲレーロ)を破りCMLL世界トリオ王座を初奪取。
2014年1月16日、ポルボラを破り自身初のシングルベルトCMLL世界ウェルター級王座を奪取[4]。
2015年12月7日、CMLL Eliteにてバリエンテ & ボラドール・ジュニアと組んでロス・ヘルブラザーズ(シベルネティコ & シャーリー・ロックスター & メフィスト)対戦。終盤に孤立の状態で窮地に立たされたところ、カリスティコの介入で助けられる。2人で撃退して共演を果たした[5]。
2016年1月、日本で行われた新日本プロレス & CMLLの共催のイベントであるFantastica Mania 2016に参戦。同月24日、ウルティモ・ゲレーロと対戦。序盤では観客にお互いのコールを要求してチャント合戦でスタート。終盤にはゲレーロスペシャルを喰らうが窮地から脱出する合計3回のラ・ミスティカを敢行してギブアップを奪い勝利した[6]。
2021年8月、CMLL退団に伴い、リングネームもDRALISTICO(ドラリスティコ)に変更。
2023年2月12日、プロレスリング・ノア大阪大会に参戦。
入場曲
[編集]- Ameno(eRa)
タイトル歴
[編集]- CMLL世界トリオ王座 : 1回
- CMLL世界ウェルター級王座 : 1回
- LLAアステカ王座
脚注
[編集]- ^ a b c d Dragon Lee - Forjando un Idolo - CMLL - スペイン語
- ^ “Místico”. Wrestlingdata.com. 2015年12月3日閲覧。
- ^ 新日本プロレスリング:ミスティコ選手欠場とカード変更のお知らせ
- ^ Reducindo, Miguel (February 17, 2014). “Resultados - Domingo 16 de Febrero '14” (Spanish). Consejo Mundial de Lucha Libre. February 17, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月29日閲覧。
- ^ “Místico y Carístico, pareja de 'Plata y Oro'”. Mediotiempo.com. 2015年12月7日閲覧。
- ^ “Fantastica Mania 2016”. 新日本プロレス. 2016年1月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- Místico II - Luchawiki