ドブルィニャ・ニキーティチ
ドブルィニャ・ニキーティチ[表記 1](ロシア語: Добрыня Никитич, ウクライナ語: Добриня Микитич)は、ロシア・ウクライナの伝承の登場人物。口承叙事詩ブィリーナに登場する勇士(ボガトィリ)の中でも最も有名な者の一人である[1]。架空の人物ではあるが、キエフ大公スヴャトスラフ1世の軍を率い、スヴャトスラフ1世の息子ウラジーミル1世を教育した実在の軍司令官ドブルィニャがモデルではないかといわれている[2][3]。
数多くのブィリーナが、ウラジーミル王子から与えられた役目を果たすドブルィニャを中心としている。ドブルィニャはしばしば王家に近い存在として描かれ、機密任務・外交任務を引き受けている。廷臣として、ドブルィニャは戦士たちの貴族階級を代表する者のようである。彼は優れた弓術家、泳術家、体術家でもある。グースリやタフルを嗜み、礼儀正しさや抜け目のなさでも知られていた[4]。
ブィリーナ
[編集]ドブルィニャ・ニキーティチが登場する代表的なブィリーナとして、「ドブルィニャとズメイ(竜、大蛇)」、「ドブルィニャとナスターシア」、「ドブルィニャとアリョーシャ」、「ドブルィニャとマリンカ」、「ドブルィニャとワシーリイ」などがある。
ブィリーナの分類
[編集]ブィリーナは口承叙事詩であるため、語り手や採録時期によって多数のヴァリアント(異文、異伝)が存在する[5]。ロシアの文献学者セルゲイ・アズベレフによると、英雄的なブィリーナの筋(シュジェート)は53種類に分類でき、ドブルィニャ・ニキーティチはそのうち6種(アズベレフが編纂したインデックスの14番から19番[6])でメインキャラクターとなっている。(以下、先頭の数字および丸括弧内のロシア語表記はアズベレフのインデックスに基づく。)
- 14. ドブルィニャ・ニキーティチとイリヤー・ムーロメツの決闘 (Поединок Добрыни Никитича с Ильей Муромцем)
- 15. ドブルィニャ・ニキーティチとズメイ (Добрыня Никитич и Змей) - 大多数のヴァリアントでは、ドブルィニャはズメイと戦うだけでなく、ウラジーミル王子の姪ザバーヴァ・プチャチーチナを囚われの身から解放する。
- 16. ドブルィニャ・ニキーティチとマリンカ[表記 2] (Добрыня Никитич и Маринка) - 「マリンカ」は「マリーナ」(ru:Марина)[7][8][9]とも。
- 17. ドブルィニャ・ニキーティチとナスターシア (Добрыня Никитич и Настасья)
- 18. ドブルィニャ・ニキーティチとアリョーシャ・ポポーヴィチ (Добрмня Никитич и Алеша Нонович)
- 19. ドブルィニャ・ニキーティチとワシーリイ・カジミロヴィチ[表記 3] (Добрыня Никитич и Василий Казимирович)
ドブルィニャ・ニキーティチは、ドゥナイ・イワーノヴィチ[表記 4]に関するブィリーナ(アズベレフ編纂のインデックスの23番・24番[10])でも重要な役回りを演じている。
- 23. ドゥナイ・イワーノヴィチとドブルィニャ・ニキーティチの決闘 (Поединок Дуная Ивановича с Добрыней Никитичем)
- 24. ドゥナイ・イワーノヴィチ—仲人 (Дунай Иванович — сват) - ドゥナイとドブルィニャがウラジーミル王子の花嫁を求めに行く。
筋の中には、異なる語り手から採録された別々のヴァリアントの数が数十にも上るものもある(特に人気があったのは15番・18番・19番・24番、逆に16番・17番の採録数は少ない)。
ドブルィニャとズメイ
[編集]以下の梗概は、1871年にアレクサンドル・ギリフェルジングが語り手 P. L. Kalinin から採録した、オロネツ県ポヴェネツキー郡に伝わるバージョンに基づく[11]。
ブィリーナは、ドブルィニャの母親[表記 5]がドブルィニャに、サラセンの山々[注釈 1]を避けるように、仔竜を踏みつけないように、ロシアの捕虜たちを助けないように、プチャイ川で水浴びをしないように、と忠告するところから始まる。ドブルィニャは母親に従わず、この四つのことすべてをおこなってしまうこととなる。
ドブルィニャがプチャイ川で水浴びをしていると、十二の体幹を持つ竜(ズメイ・ゴルィニチ[表記 6]とする異伝もある[4])に出くわした。丸腰で絶体絶命の中、ドブルィニャは「ギリシャの帽子」を発見し、それを使って竜を倒した[注釈 2]。
この雌竜と思しき[注釈 3]竜は、ドブルィニャに命乞いをし、二人は不可侵条約を結んだ。竜はすぐに約束を破り、キエフに飛んでいき、ウラジーミル王子の姪ザバーヴァ・プチャチーチナ (ru:Забава Путятична) [表記 7]をさらった。
ドブルィニャがキエフに到着すると、ウラジーミル王子はドブルィニャに、姪を救出せよ、さもなくば死刑に処す、と命じた。ドブルィニャは母親に、その務めのための馬も槍もないと訴え、家宝の馬ブールク[表記 8]と絹を編んだシェマハ (en:Shemakha) 産の魔法の鞭を授かる。(また、後に明らかになるように、彼は槍も持って行った。)
ドブルィニャは捕虜の一部を救出し、竜の仔を踏みつけたが、そのうちの一匹が馬の脚に噛みつき動けなくしてしまった。ドブルィニャは魔法の鞭を思い出し、それで鞭打つことで馬に活力を取り戻させ、解放された。竜は我が仔の死に怒って現れ、戦わずしてザバーヴァを引き渡すことを拒否した。
ドブルィニャはサラセンの山々で3日間竜と戦った。3日目には諦めて立ち去ろうとしたが、天からの声がもう3時間戦うように告げた。3時間後、ついにドブルィニャは竜を退治した。
竜の血は地中に染み込まず、ドブルィニャは3日間、血の池の中でのたうち回った。やがて、天からの声が槍を地面に突き刺して呪文を唱えるように告げた。血は大地に飲み込まれ、ザバーヴァは救出された。
ドブルィニャは農民であったため、ザバーヴァと結婚することができず、彼女をアリョーシャ・ポポーヴィチに譲った。代わりにドブルィニャは女戦士 (ru:Поленица) のナスターシア[表記 9]と出会い結婚した[11]。
日本語訳
[編集]ドブルィニャが登場する代表的なブィリーナの日本語訳としては、以下の書籍がある。
- 中村喜和(編訳)『ロシア英雄叙事詩 ブィリーナ』(1992年)
- 中村喜和(編訳)『ロシア英雄物語』(1994年、平凡社ライブラリー版)
- 佐藤靖彦(編訳)『ロシア英雄叙事詩の世界 ブィリーナを楽しむ』(2001年)
- 井桁貞敏(編著)『ロシア民衆文学』[27]
- 昇曙夢(編)『世界神話伝説大系 32 ロシアの神話伝説』(1928年初版、1980年改訂版)
- ヴィクトル・ガツァーク(編)、渡辺節子(訳)『ロシアの民話 1』(1978年初版、1996年第2版)[注釈 9]
メディア・ポップカルチャー
[編集]- 絵画
- ヴィクトル・ヴァスネツォフの有名な絵『勇士たち』(1898年)は、ドブルィニャ・ニキーティチの仲間である民衆の英雄たち、イリヤー・ムーロメツとアリョーシャ・ポポーヴィチらと共に、彼を取り上げている。
- 音楽・オペラ
- 『スラブ娘の別れ』(1997年)で言及されている。
- 1901年、作曲家アレクサンドル・グレチャニノフは『ドブルィニャ・ニキーティチ』と題したオペラを書いた。
- 映画・アニメーション
- ≪ILYA MUROMETS AND THE NIGHTINGALE THE ROBBER≫ ≪ILYA MUROMEC I SOLOVEJ-RAZBOJNIK≫ (アニメーション映画) SOYUZMULTFILM (1978年) en:Ivan Aksenchuk監督、en:Michael Volpin脚本
- 2016年、長編アニメーション映画『en:Dobrynya Nikitich and Zmey Gorynych』がこのボガティーリの偉業を取り上げている。
- en:The Three Bogatyrs (Три богатыря) - en:Melnitsa Animation Studio(2004年-)制作のアニメーションシリーズ
- en:The Stronghold (film)(2017年)
- 文学
- Victor Porotnikov の歴史二部作(Dobrynya Nikitich. For Russian Land!, 2012年; Bloody Christening "with the Fire and the Sword", 2013年)で、偉大な王子ウラジーミル1世の叔父としてドブルィニャ・ニキーティチが登場する[30][31]。
- Vadim Nikolayev の小説 Bogatyr's Armed Force of Monomakh. Rus' in the Fire! (2014年)で、ウラジーミル2世モノマフの軍の一員としてドブルィニャ・ニキーティチが登場する[32]。
- ゲーム
- Fate/Grand Order - 2021年12月22日(水)から2021年12月31日(金)にかけてゲーム内で開催された期間限定イベント「非霊長生存圏 ツングースカ・サンクチュアリ」開催に伴ってライダークラスのサーヴァント「ドブルイニャ・ニキチッチ」が登場し、同時開催の聖晶石召喚にて実装された。概ねブィリーナ口承叙事詩における描写や設定を下地としている一方、獣の耳と尻尾など獣人のような特徴を具えた女性の姿となっており、ドブルイニャが騎乗したとされる愛馬は純白の飛竜に、三頭竜「ズメイ・ゴルィニシチェ」を宝具として召喚するなど独自の設定が為されている。[33]
- その他
- 2015年、ロシア警察は、11月13日のパリの事件に続く襲撃 (2015 Saint-Denis raid) でフランス警察が警察犬のディーゼルを失ったことを受け、連帯の印として民衆の英雄ドブルィニャにちなんで名付けた犬をフランス警察に贈った。
- 砕氷船ドブルィニャ・ニキーティチ(1916年)、および後の砕氷船の艦級が、ドブルィニャにちなんで名付けられた。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ブィリーナでは「サラセン」の名が山に結び付けられることが多い (中村 1974, p. 673)。
- ^ 重い武器として使われていたが、ここで歌われているバージョンでは、中世の巡礼者がアトス山を訪れた後に被った帽子というのが本来の意味である[12]。
- ^ 平和条約を申し出る際に、「私はあなたの妹になります」[13][14]と言っている。
- ^ 中村 1992 の「ドブルィニャと翼をもつ大蛇」は、ギリフェルジング『オネガのブィリーナ』[16]掲載、語り手トロフィム・リャビーニン、1971年ペテルブルグにて採録のテキスト(ヴァリアント)を出典としている[17]。
- ^ 中村 1992 の「ドブルィニャの妻」は、ルィブニコフ『歌謡集』[19]掲載、語り手アブラーム・チュッコフ(あるいはチューコフ)、1863年頃採録のテキスト(ヴァリアント)を出典としている[20]。
- ^ 佐藤 2001 の「ドブルイニャ・ニキーチチとドラゴン」は、ギリフェルジング『オネガのブィリーナ』No.157のテキスト(ヴァリアント)を出典としている[26]。
- ^ 出典としたテキストや、その他参考文献の記載はない。
- ^ また本書は全体的にカナ表記の揺らぎが多い。例えば序文5ページ目「ドブルイニャ・ニキーティチ」、序文8ページ目1行目「ドヴルイニャ・ニキーティチ」、序文8ページ目15行目「ドブルイニャ・ニキティーチ」など。
- ^ ガツァーク & 渡辺 1996 口絵裏のページによると、原著は 100 MARCHEN DER VOLKER DER SOWJETUNION, by Gazak, 1977.
- ^ 出典としたテキストや、その他参考文献の記載はない。
表記
[編集]- ^ 日本語のカナ表記としてはドブルィニャ・ニキーティチ[34][35]、ドブルイニャ・ニキーチチ[3]、ドブルィニャ・ニキーチチ[36]、ドブルィニャ・ニキーチッチ[37]、ドブルイニャ・ニキチッチ[38]などが見られる。
- ^ 佐藤 2001, p. 88,89(解説)での表記はマリンカ。
- ^ ワシーリイ・カジミロヴィチは中村 1974, p. 673に見られる表記。
- ^ 中村 1992, p. 262(「ドゥナイ」)での表記はドゥナイ・イワーノヴィチ、佐藤 2001, p. 183(「ヴラジーミル公さまのためにドウナイがお妃を求めに行く」)での表記はドウナイ・イヴァーノヴィチ。
- ^ 母親の名について、中村 1992, p. 169(「ドブルィニャの妻」)での表記はマメルファ、佐藤 2001, p. 76(解説)での表記はアメリファ・チモフェーヴナ、佐藤 2001, p. 285(「ドブルイニャ・ニキーチチとドラゴン」)での表記はイエヒミヤ・アレクサンドロヴナ、昇 1980, pp. 48–49での表記はマメリファ・ティモフェウナ、ガツァーク & 渡辺 1996, p. 33での表記はマメルファ・チモフェーヴナ。
- ^ ズメイの名について、中村 1992, p. 141での表記は大蛇ゴルィニシチェ、佐藤 2001, p. 281での表記はドラゴン・ゴルインチショ、昇 1980, p. 38での表記はズメイ・ゴルイニチ、ガツァーク & 渡辺 1996, p. 35での表記はズメイ・ゴルイニチ。
- ^ 姫の名について、中村 1992, p. 145での表記はザバーヴシカ、佐藤 2001, p. 283での表記はザバーヴァ・プチャーチナ、昇 1980, p. 38での表記はザバーワ・プチャチイシナ、ガツァーク & 渡辺 1996, p. 41での表記はザバーヴァ・プチャチシナ、岡林 1980, p. 21での表記はザバーヴァ・プチャチーチナ。
- ^ 馬の名について、佐藤 2001, p. 287での表記はブールク、ガツァーク & 渡辺 1996, p. 41での表記はブルーシカ、Bailey & Ivanova 1998, p. 81, 397 での表記は Burko または Burushko.
- ^ 中村 1992, p. 163(「ドブルィニャの妻」)での表記はナスターシア・ニクリーシナ、佐藤 2001, p. 89,96(解説)での表記はナスタシヤ、昇 1980, p. 43での表記はナスターシャ・ニクリチナ。
出典
[編集]- ^ Bailey & Ivanova 2015, p. 106.
- ^ 中村 1992, p. 394.
- ^ a b 佐藤 2001, p. 76.
- ^ a b Bailey & Ivanova 1998, p. 81.
- ^ 佐藤 2001, p. 33.
- ^ Азбелев С. Н. Историзм былин и специфика фольклора. Л.: Наука, 1982.— С. 285-287.
- ^ Козловский С. В. Отражение древнерусской социальной практики в былине ≪о Добрыне и Маринке≫ // Вестник Удмуртского университета. 2016. Том 26. Вып. 4.
- ^ Лестев А. В. Добрыня и Маринка. Выявление древнего мифа, лежащего в основе былины // Язык и текст langpsy.ru. 2014. №2.
- ^ Жуйкова М. В. Зачем Маринка сожгла следы Добрыни? (заметки о происхождении любовной магии) // Антропологический форум. 2006 №4
- ^ Азбелев С. Н. Историзм былин и специфика фольклора. Л.: Наука, 1982.- С. 288.
- ^ a b Bailey & Ivanova 1998, pp. 84–97 (translation)
- ^ Bailey & Ivanova 1998, p. 82.
- ^ Bailey & Ivanova 1998, p. 86.
- ^ ギリフェルジング 1871, vol. 1, p. 40, L311. 原文は "я теби сестра да буду меньшая".
- ^ 中村 1992, pp. 134–161, 「キエーフの勇士たち - 九 ドブルィニャと翼をもつ大蛇」
- ^ 中村 1992, p. 410 記載の書誌情報は「Onezhskie byliny, zapisannye A. F. Gil'ferdingom letom 1871 goda. vols. 1~3, M. -L., 1949-1951. (初版は1873)」となっている。中村 1992 での書題の日本語表記は『オネガのブィリーナ』。
- ^ 中村 1992, pp. 394–395.
- ^ 中村 1992, pp. 161–180, 「キエーフの勇士たち - 一〇 ドブルィニャの妻」
- ^ 中村 1992, p. 410 記載の書誌情報は「Pensi, sobrannye P. N. Rybnikovym. vols. 1~3, M. 1909-1910. (初版は1861-1867)」となっている。中村 1992 での書題の日本語表記は『歌謡集』。
- ^ 中村 1992, pp. 395–396.
- ^ 中村 1994, pp. 278–286.
- ^ 中村 1994, p. 280.
- ^ 中村 1994, p. 4.
- ^ 中村 1994, pp. 94–115, 「キエーフの勇士たち - 七 ドブルィニャの妻」
- ^ 佐藤 2001, pp. 279–297, 「ブィリーナ14選 - ドブルイニャ・ニキーチチとドラゴン」
- ^ 佐藤 2001, p. 427 注153記載の書誌情報は「Онежские былины. T. I-III, M., 1949-1951, No. 157.」となっている。
- ^ 佐藤 2001, p. 2 にブィリーナの既存訳として紹介されている。
- ^ 昇 1980, pp. 38–54, 「II 小勇士伝説 - 2 ドブルイニャ・ニキーティチ」
- ^ ガツァーク & 渡辺 1996, pp. 33–45, 「ロシア・ウクライナ・白ロシア・モルダビア地方 - ドブルイニャ・ニキーチッチとズメイ・ゴルイニチの話」
- ^ Victor Porotnikov. Dobrynya Nikitich. For Russian Land!
- ^ Victor Porotnikov. Bloody Christening ≪with the Fire and the Sword≫
- ^ Vadim Nikolayev. Bogatyr's Armed Force of Monomakh
- ^ “【期間限定】「ツングースカ・サンクチュアリピックアップ召喚」!”. Fate/Grand Order 公式サイト. 2021年1月11日閲覧。
- ^ 中村 1992, p. 10.
- ^ 坂井弘紀「中央ユーラシアと日本の民話・伝承の比較研究のために」『表現学部紀要』第16巻、和光大学表現学部、2016年3月、41-60頁、ISSN 1346-3470、2023年5月24日閲覧。
- ^ 水上 2020, p. 453.
- ^ 熊野谷 1995, p. 74.
- ^ ボリス・エゴロフ (2017年12月25日). “スラヴのジャスティス・リーグ:古代の物語、叙事詩のスーパーヒーローたち”. ロシア・ビヨンド. 2021年12月21日閲覧。
参考文献
[編集]- Bailey, James; Ivanova, Tatyana (1998). An Anthology of Russian Folk Epics. Armonk, New York: M.E. Sharpe, Inc. ISBN 0-585-26579-8
- Bailey, James; Ivanova, Tatyana (2015). An Anthology of Russian Folk Epics. Routledge. ISBN 978-0-873-32641-4
- 『ロシア英雄叙事詩 ブィリーナ』中村喜和(編訳)(初版)、平凡社、1992年2月20日。ISBN 4582452124。
- 『ロシア英雄物語―語り継がれた《ブィリーナ》の勇士たち』中村喜和(編訳)(初版)、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、1994年11月15日。ISBN 4582760767。
- 『ロシア英雄叙事詩の世界―ブィリーナを楽しむ』佐藤靖彦(編著)、新読書社、2001年11月25日。ISBN 4788071045。
- 『世界神話伝説大系 32 ロシアの神話伝説』昇曙夢(編)(改訂版(初版は1928年発行))、名著普及会、1980年9月20日。ISBN 4895512827。
- 『ロシアの民話 1』ヴィクトル・ガツァーク(編)、渡辺節子(訳)(第2版(初版は1978年発行))、恒文社、1996年7月1日。ISBN 4770403550。
- 岡林宏侃「ロシヤ古代英雄叙事詩(ブイリーナ)の研究」『天理大学学報』第13巻第1号、天理大学出版部、1961年7月、136-118頁、ISSN 0387-4311、NAID 40002567196。
- 岡林宏侃「『ドブルイニヤと蛇』考」『天理大学学報』第31巻第5号、天理大学学術研究会、1980年3月、18-36頁、CRID 1050282813405851776、ISSN 0387-4311。
- 熊野谷葉子 (1995年). “ロシア英雄叙事詩・語りのテクニックの変質” (PDF). 口承文芸研究. 2021年12月21日閲覧。
- 中村喜和「B・A・ルィバコフ『古代ロシア 説話・ブィリーナ・年代記』 : ブィリーナ研究における新「歴史学派」のこころみ」『一橋論叢』第52巻第6号、日本評論社、1964年12月、672-688頁、doi:10.15057/3054、hdl:10086/3054、ISSN 0018-2818。
- 中村喜和「ロシア民衆叙事詩における地中海世界」『一橋論叢』第72巻第6号、日本評論社、1974年12月、669-675頁、doi:10.15057/1845、hdl:10086/1845、ISSN 0018-2818。
- 中村喜和「ギリシャ頭巾の謎」『一橋論叢』第76巻第6号、日本評論社、1976年12月、570-581頁、doi:10.15057/11665、hdl:10086/11665、ISSN 0018-2818。
- 水上則子「ドブルィニャはアリョーシャを「殺した」か」『Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第35巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2020年、453-469頁、doi:10.15083/00080031、hdl:2261/00080031。
- Онежские былины, записанные Александром Федоровичем Гильфердингом летом 1871 года(アレクサンドル・ギリフェルジング『オネガのブィリーナ』(1871年)、 ロシア語版ウィキソース、ロシア国立図書館が公開しているスキャン画像:第1巻、第2巻、第3巻)
- (ロシア語) ЭСБЕ/Добрыня Никитич, ウィキソースより閲覧。(『ブロックハウス・エフロン百科事典(1906年)』「ドブルィニャ・ニキーティチ」)
この記述には、パブリックドメインの百科事典『ブロックハウス・エフロン百科事典(1906年)』本文を含む。