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トム・ジンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トム・ジンク
プロフィール
リングネーム トム・ジンク
Zマン(ズィーマン)
本名 トーマス・アーウィン・ズィンク
ニックネーム 旋風戦士
身長 185cm
体重 100kg - 109kg
誕生日 (1958-11-30) 1958年11月30日
死亡日 (2017-12-09) 2017年12月9日(59歳没)[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州の旗 ミネソタ州
ロゾー郡ゴールデンバレー[2]
スポーツ歴 ボディビル
トレーナー エディ・シャーキー英語版
ブラッド・レイガンズ
デビュー 1983年
引退 1996年
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トム・ジンク"Z-Man" Tom Zenk、本名:Thomas Erwin Zenk1958年11月30日 - 2017年12月9日[1])は、アメリカ合衆国プロレスラーミネソタ州ゴールデンバレー出身[2]

より原音に近いファミリーネームの表記は「ズィンク」だが、本項では日本で定着している表記(日本語圏で一般によく知られている名前)を使用する。

来歴

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カート・ヘニングリック・ルードスコット・シンプソンバリー・ダーソウジョン・ノードらを輩出したロビンズデール・ハイスクールの出身[2]。学生時代からボディビルに熱中し、後に "Mr. Minnesota" など数々のタイトルを獲得した[2]

ルードやシンプソンをコーチしたエディ・シャーキー英語版にスカウトされ、1983年ビル・ワット主宰のMSWAにてデビュー[3]1984年からはバーン・ガニアの牛耳る地元ミネソタAWAに登場、甘いマスクと肉体美を持つベビーフェイスの新鋭として、次代のスター候補と目された[2]

1985年より、太平洋岸北西部オレゴンワシントンをサーキット・エリアとするNWA圏のパシフィック・ノースウエスト・レスリングに参戦。1986年1月21日にボビー・ジャガーズからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取した[4]。同年下期からはカナダモントリオール地区(ジノ・ブリット主宰のインターナショナル・レスリング)に進出、11月には同地区のスターだったリック・マーテルのパートナーとして、全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日した[5]

以降も本格的にマーテルとタッグチームを結成し、翌1987年カンナム・コネクションThe Can-Am Connection)のチーム名でWWFに参戦。ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)などヒールのトップチームと対戦し[6]、3月29日のレッスルマニアIIIではカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコから勝利を収めるも[7]、契約のトラブルでジンクのみ短期間でWWFを離脱した[2]

その後は古巣のAWAに戻り、1989年2月7日にセントポールで行われたAWA世界ヘビー級王者決定バトルロイヤルにも出場。サージェント・スローターワフー・マクダニエルケン・パテラマイク・ジョージアキオ・サトーパット・タナカポール・ダイヤモンドマニー・フェルナンデスグレッグ・ガニアカーネル・デビアーズらを抑え、ラリー・ズビスコと優勝を争ったが、オーバー・ザ・トップロープで失格し戴冠は果たせなかった[8]

また、この間には全日本プロレスの常連外国人選手となり、1986年11月の初来日から1989年7月まで5回に渡って来日した(最強タッグには1987年大会にもザ・ターミネーターをパートナーに参加するなど、2年連続で出場している[9]。1989年4月の来日時は大田区体育館にてダニー・クロファットと組み、サムソン冬木&川田利明フットルースが保持していたアジアタッグ王座に挑戦した[10][11]

1989年末、当時まだNWAに加盟していた初期WCWに、ZマンZ-Man)と名乗って登場。翌1990年1月30日にはジョージア州マリエッタにてリック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[12]。タッグ戦線ではブライアン・ピルマンとコンビを組み、1990年2月12日にトーナメント決勝でファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を破りUSタッグ王座を獲得[13]。同年12月4日にはアーン・アンダーソンから世界TV王座を奪取している[14]。翌1991年3月21日、WCWとの提携ルートで新日本プロレス東京ドーム大会に参戦[15]。新日本プロレスには1992年10月にも来日し、ナイドハートと組んでSGタッグ・リーグ戦IIに出場した[16]

1993年リッキー・スティムボートドス・オンブレスDos Hombres)なる覆面タッグチームを一時的に結成し、5月23日にWCWの本拠地アトランタで行われたPPV "Slamboree" に出場、ヒールターンしたピルマンとスタニング・スティーブ・オースチンハリウッド・ブロンズが保持するWCW世界タッグ王座スチール・ケージ・マッチで挑戦した[17]

1994年の初頭にWCWを離れ、同年6月と9月には全日本プロレスに久々に登場(日本には通算9回来日)[18]。以降はインディー団体を転戦し、1996年に引退した。

2017年12月9日、ミネソタ州ロビンズデールのノース・メモリアル・メディカル・センター(North Memorial Medical Center)において、59歳で死去[1]

得意技

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獲得タイトル

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パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / Scott Doring)
インターナショナル・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング

脚注

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  1. ^ a b c Former WWF and WCW Star Tom Zenk Passes Away”. WrestlingInc.com (2017年12月17日). 2018年4月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Tom Zenk Career History”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  3. ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P65(2002年、日本スポーツ出版社
  4. ^ NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  5. ^ AJPW 1986 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年11月23日閲覧。
  6. ^ Tom Zenk in the WWF”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2011年1月20日閲覧。
  8. ^ AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  9. ^ AJPW 1987 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年11月23日閲覧。
  10. ^ AJPW Champion Carnival 1989 - Tag 20”. Cagematch.net. 2015年11月23日閲覧。
  11. ^ The journey begins...”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  12. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1990”. Wrestling-Titles.com. 2012年1月12日閲覧。
  13. ^ NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  14. ^ WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  15. ^ NJPW Starrcade 1991 In Tokyo Dome”. Cagematch.net. 2015年11月23日閲覧。
  16. ^ The NJPW matches fought by Tom Zenk in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年11月23日閲覧。
  17. ^ WCW Slamboree 1993”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月20日閲覧。
  18. ^ The AJPW matches fought by Tom Zenk in 1994”. Wrestlingdata.com. 2015年11月23日閲覧。

外部リンク

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