トミー・スミス (1945年生のサッカー選手)
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名前 | ||||||
本名 |
トーマス・スミス Thomas Smith | |||||
ラテン文字 | Tommy Smith | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1945年5月5日 | |||||
出身地 | リヴァプール | |||||
没年月日 | 2019年4月12日(72歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1960-1962 | リヴァプールユース | |||||
1962-1978 | リヴァプールFC | 467 | (36) | |||
1976 | → タンパベイ・ローディーズ ローン | 17 | (0) | |||
1978 | → ロサンゼルス・アズテックス ローン | 12 | (0) | |||
1978-1979 | スウォンジー・シティAFC | 36 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1971 | イングランド | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1978 | ロサンゼルス・アズテックス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
トミー・スミス, MBE(Tommy Smith, MBE, 1945年5月5日 - 2019年4月12日)は、イングランド、リヴァプール出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。リヴァプールFCではキャプテンも務めていた。
リヴァプールFCのユースチーム出身で、1962-63シーズン、5月のバーミンガム戦ではFWとして[1]デビューを果たし[2]、1964-65シーズンから完全にレギュラーポジションを掴み[3]、ビル・シャンクリー、ボブ・ペイズリー 監督政権下における黄金期のキーマンの一人となった[1]。強靱なDFとして、対戦相手と激しい争いを繰り広げるなど[2]、DFの中心として活躍(激しくやりあうプレースタイルながら、退場処分は審判との絡みでの1度のみであった[2])、1972-73シーズンにはキャプテンとして、チーム初のヨーロッパの舞台でのタイトルであるUEFAカップ優勝に貢献した[2]。1976-77シーズン、チャンピオンズカップ決勝のボルシアMG戦では決勝ゴールを決め[2][4]、チームの優勝に大きく寄与した。
1977-78シーズン、チャンピオンズカップ決勝直前、DIY中にハンマーを落とした怪我により、決勝への出場を逃した[1]。リヴァプールでは約18シーズンを過ごし[5]、通算638試合48ゴールの成績を残した[2]。1978年にMBEの称号を授与、1979年に引退した[1]。
イングランド代表としてはU-23代表を経て、1971年のブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップにおいてウェールズ戦でフル代表デビューするも、その試合のみの出場となった[1]。
タイトル
[編集]- ファーストディヴィジョン : 1965-66, 1972-73,1975-76,1976-77
- FAカップ : 1964-65, 1973-74
- FAチャリティ・シールド : 1964, 1965, 1974, 1977
- UEFAチャンピオンズカップ : 1976-77
- UEFAカップ 1972-73, 1975-76
- UEFAスーパーカップ 1977
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Tommy Smith obituary”. www.theguardian.com. 10 September 2020閲覧。
- ^ a b c d e f “Tommy Smith”. www.liverpoolfc.com. 10 September 2020閲覧。
- ^ “Remembering Liverpool's 'Anfield Iron'LFC”. www.liverpoolfc.com. 10 September 2020閲覧。
- ^ “Liverpool Fc - Borussia MG May 25 1977”. www.transfermarket.com. 10 September 2020閲覧。
- ^ “Liverpool legend Tommy Smith dead: Latest tributes and reaction”. www.liverpoolecho.co.uk. 10 September 2020閲覧。