サンティリャーナ
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2009年のサンティリャーナ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
カルロス・アロンソ・ゴンサレス Carlos Alonso González | |||||
愛称 | エル・プーマ (ピューマ) | |||||
ラテン文字 | Santillana | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1952年8月23日(72歳) | |||||
出身地 | サンティリャーナ・デル・マル | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1966 | サテリーテ | |||||
1966-1970 | バレーダ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1970-1971 | ラシン・サンタンデール | 35 | (16) | |||
1971-1988 | レアル・マドリード | 461 | (186) | |||
通算 | 496 | (202) | ||||
代表歴 | ||||||
1970 | スペイン U-18 | 1 | (0) | |||
1971 | スペイン U-23 | 1 | (0) | |||
1971-1976 | スペイン アマチュア | 6 | (3) | |||
1981 | スペイン B | 1 | (1) | |||
1975-1985 | スペイン | 56 | (15) | |||
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サンティリャーナ(Santillana)ことカルロス・アロンソ・ゴンサレス(Carlos Alonso González、1952年8月23日 - )は、スペイン・カンタブリア州サンティリャーナ・デル・マル出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。
1970年代から80年代にかけてレアル・マドリードで活躍し、俊敏生に優れたストライカーであったため、エル・プーマ(ピューマの意)という愛称で親しまれた[1]。
経歴
[編集]1970-71シーズン、2部のラシン・サンタンデールで16ゴールを挙げて得点王に輝くと、2600ペセタでレアル・マドリードに引き抜かれる。1971年9月5日のレアル・ベティス戦で1部デビューを果たした。そのシーズンは10得点を挙げ、クラブの3季ぶりのリーグ優勝に貢献した。19シーズンで9度のリーグタイトル、4度のコパ・デル・レイ獲得、2度のUEFAカップ獲得など、その経歴は輝かしいばかりである。リーグ歴代12位となる186得点を挙げ、1982-83シーズンには8得点を挙げてUEFAカップウィナーズカップ得点王に輝いたサンティリャーナだが、ついにピチーチ賞には縁がなかった。
1979年にはクラブのキャプテンに就任し、ホセ・アントニオ・カマーチョに引き継ぐ1988年まで立派に役目を果たした。レアル・マドリードでは当時の歴代最多出場記録、アルフレッド・ディ・ステファノに次いで歴代得点記録2位を持っていた。
スペイン代表としては、1975年4月17日に行われたUEFA欧州選手権1976予選のルーマニア代表でデビュー。初得点も同じく11月16日、欧州予選のルーマニア代表である。1976年と1980年と1984年のUEFA欧州選手権、1978年のアルゼンチンW杯、1982年のスペインW杯に出場した。スペイン代表での総得点15点のうち12点は欧州選手権の予選で決めたものであり、1983年12月21日の対マルタ代表戦では4得点を挙げている。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- レアル・マドリード
- プリメーラ・ディビシオン : 9回 (1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88)
- コパ・デル・レイ : 4回 (1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82)
- UEFAカップ : 2回 (1984-85, 1985-86)
- コパ・デ・ラ・リーガ : 1回 (1984-85)
個人
[編集]- セグンダ・ディビシオン得点王 : 1回 (1970-71)
脚注
[編集]- ^ “‘El Puma’ Santillana cumple 70 años” (スペイン語). Diario as (2022年8月22日). 2023年10月31日閲覧。