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トマス・ターナー (冶金学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Thomas Turner, A.R.S.M

トマス・ターナー(Thomas Turner Sc., A.R.S.M., F.R.I.C.、1861年 - 1951年)は、イギリスにおいて最初に冶金学の教授となったバーミンガム大学の教員。バーミンガム生まれ。バーミンガム大学は1900年に設立され、冶金学部門は1902年に開設された[1]。ターナーは、金属の硬さを計測するスクレロメーターsclerometer:引っかき硬度試験機)の初期の開発を担った。ターナーは1926年に大学を退職した。彼はまた、キリスト・アデルフィアン派教会の主要なメンバーであった。

ターナーは、1861年に、バーミンガムレディウッド英語版に生まれた。1887年エディンバラのクリスチャン・スミス (Christian Smith) と結婚し、息子2人と娘2人をもうけた。ロンドン王立鉱山学校英語版に学び、同校の創設者を記念して毎年与えられるヘンリー・デ・ラ・ビーチ・メダルを授与された。1883年には、メイソン科学大学英語版のデモンストレーターとなり、次いで1887年に、「以降40年間ターナーの主導によって大いに発展を遂げることとなった」新しい学問である冶金学の講師となった[2]1894年から1902年にかけては、スタッフォードシャー州議会英語版の技術指導監督 (Director of Technical Instruction) を務めたが、1902年には、新設されて間もないバーミンガム大学の初代冶金学教授に選ばれた。1926年には大学を退職したが、出版や公演の活動はその後も継続した。

ターナーの最も顕著な功績は、鋳鉄におけるケイ素の影響に関する一連の研究である。ターナーは金属学会 (the Institute of Metals) の創設会員のひとりで、後には会長も務め、また、帝国研究院(Imperial Institute:後の英連邦研究院英語版の前身)の顧問委員のひとりでもあった。

ターナーは、キリスト・アデルフィアン派教会でも長年にわたり活発に活動し、the Suffolk Street fellowship の雑誌『Fraternal Visitor』の編集者であったジョセフ・ジャドリー (Joseph Hadley) を、編集助手として支えた[3]。この役割との関係から、ターナーはドイツの「コミュニティ (Gemeinde)」にも結び付いており、アルベルト・マイヤー英語版ルードヴィッヒ・フォン・ガーテル英語版と、通信を交わしていた。ターナーは賛美歌の書き手でもあり、自分が所属する教会のために賛美歌の歌詞を書いた[4]

おもな著作

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  • The metallurgy of iron and steel 1895
  • Practical metallurgy: an introductory course for general students 1919

脚注

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  1. ^ University of Birmingham, The School of Metallurgy and Materials: 'Our history'
  2. ^ Brand, J.C.D.; Hanson, D. (1952). “Obituary notices: John Charles James, 1920–1952; Thomas Turner, 1861–1951”. J. Chem. Soc. (0): 5055–5056. doi:10.1039/JR9520005055. http://pubs.rsc.org/en/Content/ArticleLanding/1952/JR/JR9520005055 2011年12月4日閲覧。. 
  3. ^ Canada: an encyclopedia of the country John Castell Hopkins - 1898"The present organ of these churches is The Christadelphian, edited by Joseph J. Hadley and Thomas Turner, of Birmingham, England. Another paper published in Glasgow along the same lines is called The Investigator." However, it should be noted that the statement in this reference is incorrect. The Christadelphian magazine was never edited by Hadley or Turner. In this year it passed from Robert Roberts, its founder, to C. C. Walker, his designated successor in the chair, on the death of Roberts in San Francisco.
  4. ^ The Hymn Vol.48 Hymn Society of America - 1997 "The importance of these and other teachings through the Christadelphian Hymn Book was underscored thoroughly by Roberts in his Prefaces ... Charles Joseph Caldicott, John J. Hadley, John Hawkins, Herbert H. Horsman, and Thomas Turner; ..."

関連項目

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