トスマー
トスマー | |
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欧字表記 | Tosmah |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1961年4月12日[1] |
死没 | 1991年[1] |
父 | Tim Tam |
母 | Cosmah |
母の父 | Cosmic Bomb |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Eugene V. Mori[1][2] |
馬主 | Briardale Farm[1][2] |
調教師 | Joseph W. Mergler[1][2] |
競走成績 | |
生涯成績 | 39戦23勝[1][2] |
獲得賞金 | 612,588ドル[1][2] |
トスマー(Tosmah, 1961年 - 1991年)は、アメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。競走馬として特に2・3歳時の成績が顕著だった馬で、生涯で39戦23勝を戦績を挙げ、のちの1984年にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。名繁殖牝馬コスマーの娘であり、半弟に種牡馬として顕著な成績を残したヘイローがいる。
経歴
[編集]- 特記がない限り、競走はすべてダートコース。また、当時はグレード制未導入。
出自
[編集]ガーデンステート競馬場などの所有者として知られるユージン・モリが、ケンタッキー州で生産したサラブレッドの牝馬である。トスマーは幼駒のうちにアンソニー・インベシに10万ドルで購入され、彼の所有するブライアーデールファームの勝負服、そしてジョセフ・マーグラー調教師の調教の下で競走馬となった[1]。トスマーは大柄な馬で、牝馬ながら3歳の終わり頃には体高15.3ハンドほどあったという[1]。
2歳時(1963年)
[編集]トスマーのデビュー戦は7月26日のモンマスパーク競馬場で行われた未勝利戦で、単勝オッズ2.5倍の1番人気にこたえてこれに勝利した[3]。
以後の競走も勝ち続け、年内8戦目のガーデニアステークスで着外に敗れるまでに7連勝を記録した。その間にはマーメイドステークス(アトランティックシティ・6ハロン)やアスタリタステークス(アケダクト・7ハロン)、フリゼットステークス(アケダクト・8ハロン)といった2歳牝馬路線の主要競走を制していた。この戦績は各メディアに高く評価され、当時の年度代表馬を選考していた機関のうち『Daily Racing Form』(DRF)紙と『Turf and Sports Digest』誌がトスマーを最優秀2歳牝馬に選出している[2][注 1]。
3歳時(1964年)
[編集]この年は4月から始動して、初戦こそ4着と落としたが、3戦目のコロニアルハンデキャップ(グレーヴセンド・6ハロン)から5連勝するなど再び調子を取り戻した。この年は3歳戦のみならず古馬とも対決し、牝馬路線の古豪オールドハットなどを破りながら14戦10勝2着3回と大活躍、出走した競走もアーリントンクラシックステークス(アーリントンパーク・8ハロン)やベルデイムステークス(アケダクト・9ハロン)、マスケットハンデキャップ(アケダクト・8ハロン)など内容の濃いものであった。
これらの戦績から、トスマーは同年の最優秀3歳牝馬に選出され、また『Daily Racing Form』紙は同馬を最優秀ハンデキャップ牝馬にも選出している[2]。
4歳以降(1965-1966年)
[編集]古馬になって以降のトスマーは3歳までに比べて勢いが衰えたものの、それでも4歳時に3勝、5歳時にも3勝を挙げている[2]。古馬時代の主な勝負に1965年のマスケットハンデキャップがあり、ここでは強豪アフェクショネイトリーをハナ差で破って連覇を達成している。ほか、1966年にはジョン・B・キャンベルハンデキャップにおいて、前年のケンタッキーダービー優勝馬ラッキーデボネアを破って優勝している。
繁殖入り後
[編集]引退後はニュージャージー州のブライアーデールファームで繁殖牝馬となったが、23歳で繁殖牝馬を引退するまでに出した産駒は4頭のみ、また産駒の成績もラジュデッカ(La Guidecca, 1971年生、牝馬)が1973年のニュージャージーフューチュリティに勝ったのが関の山であった。産駒の繁殖成績も目立ったものはなかった。
1984年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はトスマーの競走成績を評価して、同馬の殿堂入りを発表した。
その後トスマーは1991年に同牧場で死亡、同地に埋葬された[1]。
血統表
[編集]トスマーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 Tim Tam アメリカ 黒鹿毛 1955 |
父の父 Tom Foolアメリカ 鹿毛 1949 |
Menow | Pharamond | |
Alcibiades | ||||
Gaga | Bull Dog | |||
Alpoise | ||||
父の母 Two Leaアメリカ 鹿毛 1946 |
Bull Lea | Bull Dog | ||
Rose Leaves | ||||
Two Bob | The Porter | |||
Blessings | ||||
母 Cosmah アメリカ 鹿毛 1953 |
Cosmic Bomb アメリカ 黒鹿毛 1944 |
Pharamond | Phalaris | |
Selene | ||||
Banish Fear | Blue Larkspur | |||
Herodiade | ||||
母の母 Almahmoudアメリカ 栗毛 1947 |
Mahmoud | Blenheim | ||
Mah Mahal | ||||
Arbitrator | Peace Chance | |||
Mother Goose | ||||
母系(F-No.) | (FN:2-d) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Pharamond 3x4, Bull Dog 4x4, Chicle 5x5 | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 一方で、同じく年度代表馬選考を行っていたThoroughbred Racing Association(TRA)は、ガーデニアステークスでトスマーを破ったキャッスルフォーブスを最優秀2歳牝馬に選出している。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Avalyn Hunter. “Tosmah (horse)”. American Classic Pedigrees. 2022年1月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Tosmah (KY)”. National Museum of Racing and Hall of Fame. 2022年1月2日閲覧。
- ^ “Tosmah”. Daily Racing Form. National Museum of Racing and Hall of Fame. 2022年1月2日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Tosmah(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2022年1月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ
- Tosmah (KY) - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館