アフェクショネイトリー
アフェクショネイトリー | |
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欧字表記 | Affectionately |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1960年4月26日 |
死没 | 1979年 |
父 | Swaps |
母 | Searching |
母の父 | War Admiral |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Bieber-Jacobs Stables |
馬主 | Ethel D. Jacobs |
調教師 | Hirsch Jacobs |
競走成績 | |
生涯成績 | 52戦28勝 |
獲得賞金 | 546,659ドル |
アフェクショネイトリー(Affectionately、1960年4月26日 - 1979年)とは、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬である。1960年代のアメリカ競馬界においてハンデキャップ戦で活躍し、1965年のアメリカ最優秀スプリンターなどに選出された。1989年にアメリカ競馬殿堂入りしている。
東海岸地区、特にアケダクト競馬場を主戦場にしていたため、ニューヨーク州の競馬ファンからはクイーン・オブ・クイーンズ(the Queen of Queens)という愛称が付けられていた。
経歴
[編集]1960年にケンタッキー州レキシントン近郊のビーバー=ヤコブズステーブルで生まれた牝馬である。同牧場の一族であるヒルシュ・ヤコブズが調教師として管理し、妻エセル・ヤコブズの馬主名義で競走馬としてデビューさせた。後に調教師としてアメリカ競馬殿堂入りするヒルシュは、アフェクショネイトリーのことを「私が管理した馬の中で最高の馬だ」と高く評価していたという。
アフェクショネイトリーは2歳になった1962年1月にデビュー、初戦から6連勝を飾り、9月のメイトロンステークスで3着に敗れるまでに、ナショナルスタリオンステークス勝ちなどを含む10連続連対を記録した。年末のフリゼットステークスでも3着に敗れたが、メイトロンステークスの勝ち馬スマートデブとともに、その年のアメリカ最優秀2歳牝馬として選ばれた。
しかし3歳シーズンに入ると不調が続き、一般戦での勝ちこそあれど、ステークス競走ではなかなか勝てずにいた。ニューヨーク牝馬三冠路線のエイコーンステークスにも出走しているが、11着に敗れている。その後も凡走を繰り返したが、年末のインターボローハンデキャップにおいて優勝し、復調の兆しを見せた。1964年(4歳シーズン)前半はまずまずの成績であったものの、その年の後半に入って連勝を記録、インターボローハンデキャップ連覇やヴォスバーグステークスなどを含む6連勝を挙げた。
アフェクショネイトリーが競走馬として大成したのは、5歳に入ってからであった。1965年は昨年末から引き続いてサンタアニタパーク競馬場で始動し、アケダクト競馬場に戻ってくるとコレクションハンデキャップ・ディスタフハンデキャップ・トボガンハンデキャップと3連勝、特にトボガンハンデキャップでは55年ぶりの牝馬による優勝の快挙を挙げた。ローズベンハンデキャップ3着を跨いで出走したトップフライトハンデキャップでは、前年の最優秀古牝馬オールドハットを8馬身差で破る圧勝劇を見せつけ、さらにテレビ中継を通じてその知名度を大いに高めた。
また、同年のヴェイグランシーハンデキャップでは137ポンド(約62.1キログラム)を背負いながらも優勝している。この勝利をニューヨーク競馬協会のトミー・トロッターは「1965年の競馬の頂点」と評し、アフェクショネイトリーを同年の最優秀スプリンターとして推薦した。そしてアフェクショネイトリーはその座を獲得、さらにオールドハットと共に最優秀古牝馬にも選出された。
引退後
[編集]5歳の末に引退し、1966年より故郷で繁殖牝馬として繋養され、後にスペンドスリフトファームに移された。特に顕著な成績を残したのが、初仔のパーソナリティで、同馬は1970年のプリークネスステークスに優勝したほか、その年の年度代表馬にも選ばれた。後に日本に種牡馬として輸出され、同地でホクトヘリオスなどの父となった。
アフェクショネイトリーにはこのほかにも3頭の産駒がいたが、そのうち勝ち星を挙げたのは1頭のみ、ステークス勝ちに関しては皆無であった。1979年に18歳で死亡、それから10年後の1989年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館によって殿堂馬として選ばれた。
評価
[編集]主な勝鞍
[編集]※当時はグレード制未導入
- 1962年(2歳) 13戦9勝
- ファッションステークス、ナショナルスタリオンステークス、ポリードラマンドステークス、スピナウェイステークス、ソロリティステークス、アストリアステークス
- 2着 - コーリーンステークス
- 3着 - メイトロンステークス、フリゼットステークス
- 1963年(3歳) 9戦4勝
- インターボローハンデキャップ
- 1964年(4歳) 15戦8勝
- ヴォスバーグステークス、インターボローハンデキャップ(連覇)、コレクションハンデキャップ、スポットページブリーダーズカップハンデキャップ
- 1965年(5歳) 15戦7勝
- コレクションハンデキャップ(連覇)、トップフライトハンデキャップ、ディスタフハンデキャップ、ヴェイグランシーハンデキャップ、リバティベルハンデキャップ、トボガンハンデキャップ
- 2着 - サンタモニカハンデキャップ、サンタマリアハンデキャップ、マスケットハンデキャップ、スポートページハンデキャップ
- 3着 - ローズベンハンデキャップ、メトロポリタンハンデキャップ
年度代表馬
[編集]- 1962年 - アメリカ最優秀2歳牝馬
- 1965年 - アメリカ最優秀スプリンター、最優秀古牝馬
表彰
[編集]- 1989年 - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館により、殿堂馬として選定される。
- 1999年 - ブラッド・ホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において、第81位に選ばれる。
- アケダクト競馬場に、アフェクショネイトリーの名を冠した「アフェクショネイトリーハンデキャップ」が創設される。
血統表
[編集]アフェクショネイトリーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ハイペリオン系 |
[§ 2] | ||
父 Swaps 1952 栗毛 アメリカ |
父の父 Khaled1943 鹿毛 イギリス |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Eclair | Ethnarch | |||
Black Ray | ||||
父の母 Iron Reward1946 鹿毛 アメリカ |
Beau Pere | Son-in-law | ||
Cinna | ||||
Iron Maiden | War Admiral | |||
Betty Derr | ||||
母 Searching 1952 鹿毛 アメリカ |
War Admiral 1934 青鹿毛 アメリカ |
Man o' War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
Brushup | Sweep | |||
Annette K. | ||||
母の母 Big Hurry1936 青鹿毛 アメリカ |
Black Toney | Peter Pan I | ||
Belgravia | ||||
La Troienne | Teddy | |||
Helene de Troie | ||||
母系(F-No.) | (FN:1-s (1-x)) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | War Admiral 4×2=31.25%、Ben Brush 5・5(母内)=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
父母ともにアメリカの殿堂馬である。主な兄弟姉妹に、1963年生のプライスレスジェム(フューチュリティステークス優勝馬、アレフランスの母)がいる。
脚注
[編集]- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Affectionately(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2019年4月14日閲覧。
- ^ “Affectionatelyの血統表”. netkeiba.com. 2019年4月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- National Museum of Racing Hall of Fame - Affectionately - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ