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アフェクショネイトリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アフェクショネイトリー
欧字表記 Affectionately
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1960年4月26日
死没 1979年
Swaps
Searching
母の父 War Admiral
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Bieber-Jacobs Stables
馬主 Ethel D. Jacobs
調教師 Hirsch Jacobs
競走成績
生涯成績 52戦28勝
獲得賞金 546,659ドル
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アフェクショネイトリーAffectionately1960年4月26日 - 1979年)とは、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および繁殖牝馬である。1960年代のアメリカ競馬界においてハンデキャップ戦で活躍し、1965年のアメリカ最優秀スプリンターなどに選出された。1989年アメリカ競馬殿堂入りしている。

東海岸地区、特にアケダクト競馬場を主戦場にしていたため、ニューヨーク州競馬ファンからはクイーン・オブ・クイーンズthe Queen of Queens)という愛称が付けられていた。

経歴

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1960年にケンタッキー州レキシントン近郊のビーバー=ヤコブズステーブルで生まれた牝馬である。同牧場の一族であるヒルシュ・ヤコブズが調教師として管理し、妻エセル・ヤコブズの馬主名義で競走馬としてデビューさせた。後に調教師としてアメリカ競馬殿堂入りするヒルシュは、アフェクショネイトリーのことを「私が管理した馬の中で最高の馬だ」と高く評価していたという。

アフェクショネイトリーは2歳になった1962年1月にデビュー、初戦から6連勝を飾り、9月のメイトロンステークスで3着に敗れるまでに、ナショナルスタリオンステークス勝ちなどを含む10連続連対を記録した。年末のフリゼットステークスでも3着に敗れたが、メイトロンステークスの勝ち馬スマートデブとともに、その年のアメリカ最優秀2歳牝馬として選ばれた。

しかし3歳シーズンに入ると不調が続き、一般戦での勝ちこそあれど、ステークス競走ではなかなか勝てずにいた。ニューヨーク牝馬三冠路線のエイコーンステークスにも出走しているが、11着に敗れている。その後も凡走を繰り返したが、年末のインターボローハンデキャップにおいて優勝し、復調の兆しを見せた。1964年(4歳シーズン)前半はまずまずの成績であったものの、その年の後半に入って連勝を記録、インターボローハンデキャップ連覇やヴォスバーグステークスなどを含む6連勝を挙げた。

アフェクショネイトリーが競走馬として大成したのは、5歳に入ってからであった。1965年は昨年末から引き続いてサンタアニタパーク競馬場で始動し、アケダクト競馬場に戻ってくるとコレクションハンデキャップ・ディスタフハンデキャップ・トボガンハンデキャップと3連勝、特にトボガンハンデキャップでは55年ぶりの牝馬による優勝の快挙を挙げた。ローズベンハンデキャップ3着を跨いで出走したトップフライトハンデキャップでは、前年の最優秀古牝馬オールドハットを8馬身差で破る圧勝劇を見せつけ、さらにテレビ中継を通じてその知名度を大いに高めた。

また、同年のヴェイグランシーハンデキャップでは137ポンド(約62.1キログラム)を背負いながらも優勝している。この勝利をニューヨーク競馬協会のトミー・トロッターは「1965年の競馬の頂点」と評し、アフェクショネイトリーを同年の最優秀スプリンターとして推薦した。そしてアフェクショネイトリーはその座を獲得、さらにオールドハットと共に最優秀古牝馬にも選出された。

引退後

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5歳の末に引退し、1966年より故郷で繁殖牝馬として繋養され、後にスペンドスリフトファームに移された。特に顕著な成績を残したのが、初仔のパーソナリティで、同馬は1970年のプリークネスステークスに優勝したほか、その年の年度代表馬にも選ばれた。後に日本に種牡馬として輸出され、同地でホクトヘリオスなどの父となった。

アフェクショネイトリーにはこのほかにも3頭の産駒がいたが、そのうち勝ち星を挙げたのは1頭のみ、ステークス勝ちに関しては皆無であった。1979年に18歳で死亡、それから10年後の1989年アメリカ競馬名誉の殿堂博物館によって殿堂馬として選ばれた。

評価

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主な勝鞍

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※当時はグレード制未導入

1962年(2歳) 13戦9勝
ファッションステークス、ナショナルスタリオンステークス、ポリードラマンドステークス、スピナウェイステークス、ソロリティステークス、アストリアステークス
2着 - コーリーンステークス
3着 - メイトロンステークスフリゼットステークス
1963年(3歳) 9戦4勝
インターボローハンデキャップ
1964年(4歳) 15戦8勝
ヴォスバーグステークス、インターボローハンデキャップ(連覇)、コレクションハンデキャップ、スポットページブリーダーズカップハンデキャップ
1965年(5歳) 15戦7勝
コレクションハンデキャップ(連覇)、トップフライトハンデキャップ、ディスタフハンデキャップ、ヴェイグランシーハンデキャップ、リバティベルハンデキャップ、トボガンハンデキャップ
2着 - サンタモニカハンデキャップ、サンタマリアハンデキャップ、マスケットハンデキャップ、スポートページハンデキャップ
3着 - ローズベンハンデキャップ、メトロポリタンハンデキャップ

年度代表馬

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  • 1962年 - アメリカ最優秀2歳牝馬
  • 1965年 - アメリカ最優秀スプリンター、最優秀古牝馬

表彰

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血統表

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アフェクショネイトリー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ハイペリオン系
[§ 2]

Swaps
1952 栗毛 アメリカ
父の父
Khaled
1943 鹿毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Eclair Ethnarch
Black Ray
父の母
Iron Reward
1946 鹿毛 アメリカ
Beau Pere Son-in-law
Cinna
Iron Maiden War Admiral
Betty Derr

Searching
1952 鹿毛 アメリカ
War Admiral
1934 青鹿毛 アメリカ
Man o' War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
母の母
Big Hurry
1936 青鹿毛 アメリカ
Black Toney Peter Pan I
Belgravia
La Troienne Teddy
Helene de Troie
母系(F-No.) (FN:1-s (1-x)) [§ 3]
5代内の近親交配 War Admiral 4×2=31.25%、Ben Brush 5・5(母内)=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [1]
  4. ^ [1]


父母ともにアメリカの殿堂馬である。主な兄弟姉妹に、1963年生のプライスレスジェム(フューチュリティステークス優勝馬、アレフランスの母)がいる。

脚注

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  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Affectionately(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2019年4月14日閲覧。
  2. ^ Affectionatelyの血統表”. netkeiba.com. 2019年4月14日閲覧。

外部リンク

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