コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

デーブ・ヘンダーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デーブ・ヘンダーソン
Dave Henderson
オークランド・アスレチックス時代
(1989年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州
生年月日 (1958-07-21) 1958年7月21日
没年月日 (2015-12-27) 2015年12月27日(57歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1981年4月9日
最終出場 1994年7月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デビッド・リー・ヘンダーソンDavid Lee "Dave" Henderson , 1958年7月21日 - 2015年12月27日)はアメリカメジャーリーグで活躍した元野球選手。 外野手。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。 ニックネームは「Hendu」。

人物・来歴

[編集]
シアトル・マリナーズ時代
(1981年)

1977年ドラフト会議で、その年に創設されたシアトル・マリナーズから1巡目(全米26位)で指名され、入団。マイナーでのプレイを経て、1981年4月9日にメジャーデビューを果たす。 1982年シーズン後半にはレギュラーを獲得。ただし、当時マリナーズはチーム創設以来低迷を続けていた。

1986年シーズン後半に、当時ア・リーグ西地区最下位のマリナーズから、東地区で首位に立っていたボストン・レッドソックスに移籍。共に移籍したスパイク・オーエン共々レギュラーとなり、地区優勝に貢献。 カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、レッドソックスは第1戦、第3戦、第4戦と敗れて後のない状態で第5戦を迎えた。第5戦(アナハイム・スタジアム)もエンゼルスに2-5とリードを許したまま9回表、レッドソックス最後の攻撃を迎える。 エンゼルス先発のマイク・ウィットは2アウトを取ったが、レッドソックスはドン・ベイラーの2ランホームランで2点を返し、さらに代わったゲーリー・ルーカスからリッチ・ゲドマンが死球で出塁。 ここでエンゼルスはリリーフエースのドニー・ムーアをマウンドに送る。 打席に立ったヘンダーソンは2-2と追い込まれるが、ムーアが投じたフォークボールレフトスタンドに逆転の2ランホームランし、6-5と逆転する。 9回裏にエンゼルスが同点においつき、延長戦となったが、延長11回にヘンダーソンの犠牲フライでレッドソックスを勝利に導いた。 これでシリーズの流れが変わり、第6戦、第7戦もレッドソックスが勝ってワールドシリーズ進出を決めた。 ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは、レッドソックスが3勝2敗と王手をかけたシェイ・スタジアムでの第6戦では、同点の延長10回に勝ち越しのホームランを打つが、チームはその裏に同点に追いつかれたあと、ビル・バックナーのトンネルエラーで逆転負けを喫する。 第7戦にも敗れ、ワールドチャンピオンは逃した。

1987年にはやはりナ・リーグ西地区優勝を争うサンフランシスコ・ジャイアンツにシーズン途中で移籍。 チームはリーグチャンピオンシップシリーズセントルイス・カージナルスに敗れてワールドシリーズ進出はならず、ヘンダーソンは年間通じて打率.234と不振だったため、シーズン終了後に退団する事になった。

1988年オークランド・アスレチックスに移籍すると、その年は146試合出場で、打率.304、24本塁打、94打点、100得点、長打率.525、二塁打38と多くの部門で自己最高の大活躍。大ベテラン、ドン・ベイラーデーブ・パーカーの不振もあって、マーク・マグワイアホセ・カンセコの後ろの5番を任された。 この年からチームは3年連続でワールドシリーズに進出。この年はロサンゼルス・ドジャースに敗れる。

1989年は、打撃不振に陥ったが、ドン・ベイラーの移籍、ホセ・カンセコの長期離脱もあって、引き続き、マーク・マグワイア、復活したデーブ・パーカーの後ろを打った。また、5年ぶりに古巣復帰したリッキー・ヘンダーソンとの左中間コンビは鉄壁の守りを誇った。この年はサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズに勝利し、ワールドチャンピオンとなった。

1990年のワールドシリーズシンシナティ・レッズに4連敗で敗れる。

1991年には自己最多の25本塁打を放ち、ファン投票での選出でオールスターに出場。 チームメイトリッキー・ヘンダーソンの2番で先発出場を果たした。

1992年は膝の故障で20試合の出場に終わるが、1993年に20本塁打を打ちカムバック。 この年限りでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍し、1994年限りで現役を引退。引退後はFOXテレビのシアトルマリナーズの専属解説者として活動した。

5回の地区優勝、3回のリーグ優勝で出場したポストシーズンシリーズ(ワールドシリーズ及びチャンピオンシップシリーズ)の通算成績は.298、7本塁打、20打点、24得点、長打率.575である。レギュラーシーズンの打率.258、長打率.436と比べれば別人のような強打を発揮していた。

叔父のジョー・ヘンダーソン1946年生まれ)は投手で、1974年シカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューし、1976年・77年のシンシナティ・レッズと併せて16試合に登板。3勝2敗、防御率6.69の成績を残している。

2015年12月27日、心臓発作のため死去[1]。57歳没。

受賞歴・記録

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1981 SEA 59 145 126 17 21 3 0 6 42 13 2 1 1 1 16 1 1 24 4 .167 .264 .333 .597
1982 104 362 324 47 82 17 1 14 143 48 2 5 1 1 36 2 0 67 5 .253 .327 .441 .768
1983 137 521 484 50 130 24 5 17 215 55 9 3 2 6 28 3 1 93 5 .269 .306 .444 .750
1984 112 374 350 42 98 23 0 14 163 43 5 5 2 1 19 0 2 56 4 .280 .320 .466 .786
1985 139 556 502 70 121 28 2 14 195 68 6 1 1 2 48 2 3 104 11 .241 .310 .388 .698
1986 103 378 337 51 93 19 4 14 162 44 1 3 1 1 37 4 2 95 5 .276 .350 .481 .831
BOS 36 54 51 8 10 3 0 1 16 3 1 0 1 0 2 0 0 15 1 .196 .226 .314 .540
'86計 139 432 388 59 103 22 4 15 178 47 2 3 2 1 39 4 2 110 6 .265 .335 .459 .794
1987 75 209 184 30 43 10 0 8 77 25 1 1 1 2 22 0 0 48 3 .234 .313 .418 .731
SF 15 29 21 2 5 2 0 0 7 1 2 0 0 0 8 0 0 5 0 .238 .448 .333 .781
'87計 90 238 205 32 48 12 0 8 84 26 3 1 1 2 30 0 0 53 3 .234 .329 .410 .739
1988 OAK 146 570 507 100 154 38 1 24 266 94 2 4 5 7 47 1 4 92 14 .304 .363 .525 .888
1989 152 643 579 77 145 24 3 15 220 80 8 5 1 6 54 1 3 131 13 .250 .315 .380 .695
1990 127 494 450 65 122 28 0 20 210 63 3 1 1 2 40 1 1 105 5 .271 .331 .467 .798
1991 150 637 572 86 158 33 0 25 266 85 6 6 1 2 58 3 4 113 9 .276 .346 .465 .811
1992 20 65 63 1 9 1 0 0 10 2 0 0 0 0 2 0 0 16 0 .143 .169 .159 .328
1993 107 422 382 37 84 19 0 20 163 53 0 3 0 8 32 0 0 113 1 .220 .275 .427 .702
1994 KC 56 218 198 27 49 14 1 5 80 31 2 0 1 2 16 1 1 28 3 .247 .304 .404 .708
通算:14年 1538 5677 5130 710 1324 286 17 197 2235 708 50 38 19 41 465 19 22 1105 83 .258 .320 .436 .756

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]