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デイブ・バンクロフト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デイブ・バンクロフト
Dave Bancroft
1915年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州スーシティ
生年月日 1891年4月20日
没年月日 (1972-10-09) 1972年10月9日(81歳没)
身長
体重
5' 9.5" =約176.5 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手
初出場 1915年4月14日
最終出場 1930年5月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1971年
選出方法 ベテランズ委員会選出

デイブ・バンクロフト(David James Bancroft, 1891年4月20日 - 1972年10月9日)は、アメリカ合衆国アイオワ州スーシティ出身のプロ野球選手遊撃手)。右投げ、スイッチヒッター

華麗な守備から"Beauty"(ビューティー)のニックネームを持つ。

経歴

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1915年、ポートランド球団からフィリーズに昇格しメジャーデビュー。1年目から遊撃手のレギュラーに定着し、その年のワールドシリーズにも出場する。フィリーズに5年在籍後、1920年シーズン途中にジャイアンツへ移籍。当時ジャイアンツの監督であったジョン・マグローが彼のガッツを気に入り、その獲得を懇願した結果でもあった。またこの年からいわゆる「飛ぶボール」が採用されたこともあり、デビュー当初.250前後であった打撃の方も徐々に成績を上げ、翌1921年には自身初の打率3割をマークした。同年彼にとっては実に5年ぶりの本塁打も放った。

以後レギュラーシーズンはほぼ全ての試合で先発していた。ジャイアンツに移籍した1920年から1922年の間の遊撃手としての刺殺数、補殺数、併殺数はいずれもリーグ最多をマークし、「984」という刺殺・補殺数のリーグ記録もこの時期にマークされたものである。

1924年ケーシー・ステンゲルらとともにブレーブスに移籍しバンクロフトは監督を兼任するも、この年チームは53勝100敗と惨敗。監督在任期間中、ブレーブスが勝率が5割を超えることはなかった。1928年に兼任監督を止めブルックリンに移籍、翌年2000本安打に到達した。1930年ジャイアンツに復帰したが、10試合ほど出場しただけで引退する。

1971年、ベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。翌1972年、ウィスコンシン州で死去。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1915 PHI 153 665 563 85 143 18 2 7 186 30 15 27 23 -- 77 -- 2 62 -- .254 .346 .330 .676
1916 142 572 477 53 101 10 0 3 120 33 15 -- 16 -- 74 -- 4 57 -- .212 .323 .252 .574
1917 127 540 478 56 116 22 5 4 160 43 14 -- 18 -- 44 -- 0 42 -- .243 .307 .335 .641
1918 125 566 499 69 132 19 4 0 159 26 11 -- 7 -- 54 -- 1 36 -- .265 .338 .319 .656
1919 92 375 335 45 91 13 7 0 118 25 8 -- 9 -- 31 -- 0 30 -- .272 .333 .352 .686
1920 42 185 171 23 51 7 2 0 62 5 1 7 4 -- 9 -- 1 12 -- .298 .337 .363 .700
NYG 108 488 442 79 132 29 7 0 175 31 7 5 12 -- 33 -- 1 32 -- .299 .349 .396 .745
'20計 150 673 613 102 183 36 9 0 237 36 8 12 16 -- 42 -- 2 44 -- .299 .346 .387 .732
1921 153 698 606 121 193 26 15 6 267 67 17 10 22 -- 66 -- 4 23 -- .318 .389 .441 .830
1922 156 745 651 117 209 41 5 4 272 60 16 11 12 -- 79 -- 3 27 -- .321 .397 .418 .815
1923 107 513 444 80 135 33 3 1 177 31 8 7 6 -- 62 -- 1 23 -- .304 .391 .399 .789
1924 BSN 79 362 319 49 89 11 1 2 108 21 4 4 5 -- 37 -- 1 24 -- .279 .356 .339 .694
1925 128 560 479 75 153 29 8 2 204 49 7 4 17 -- 64 -- 0 22 -- .319 .400 .426 .826
1926 127 540 453 70 141 18 6 1 174 44 3 -- 22 -- 64 -- 2 29 -- .311 .399 .384 .783
1927 111 427 375 44 91 13 4 1 115 31 5 -- 8 -- 43 -- 1 36 -- .243 .322 .307 .629
1928 BRO 149 591 515 47 127 19 5 0 156 51 7 -- 15 -- 59 -- 2 20 -- .247 .326 .303 .629
1929 104 403 358 35 99 11 3 1 119 44 7 -- 16 -- 29 -- 0 11 -- .277 .331 .332 .663
1930 NYG 10 19 17 0 1 1 0 0 2 0 0 -- 0 -- 2 -- 0 1 -- .059 .158 .118 .276
MLB:16年 1913 8249 7182 1048 2004 320 77 32 2574 591 145 *75 212 -- 827 -- 23 487 -- .279 .355 .358 .714
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

獲得タイトル・記録

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  • ワールドシリーズ出場:4回 (1915,1921,1922,1923年)
  • 遊撃手最高守備率:2回 (1920,1925年)
  • シーズン最多刺殺補殺数(遊撃手):984(1922年:歴代1位)
  • 通算6度の三重殺(トリプルプレー)に関わったという記録が残っている。

監督としての戦績

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関連項目

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外部リンク

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