デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (戦列艦)
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デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン | |
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1/87スケールの模型 | |
基本情報 | |
建造所 | ロッテルダム |
級名 | 80門戦列艦 |
艦歴 | |
起工 | 1664年 |
進水 | 1665年 |
最期 | 1694年解体 |
要目 | |
長さ | 甲板: 151 ft (46 m) |
幅 | 40 ft (12 m) |
吃水 | 15 ft (4.6 m) |
推進 | 帆走 (3本マストシップ) |
兵装 |
80門: 上砲列: 18ポンド(8kg)砲14門、12ポンド(5kg)砲12門 下砲列: 36ポンド(16kg)砲12門、24ポンド(11kg)砲16門 後甲板:6ポンド(3kg)砲12門 艦首楼: 6ポンド(3kg)砲8門 艦尾楼: 6ポンド(3kg)砲6門 |
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン(De Zeven Provinciën、またはDe 7 Provinciën)はオランダ海軍の戦列艦。当初は80門艦として建造された。艦名は英語で「The Seven Provinces」、つまり「7つの州」という意味であり、7つの自治州の連邦であったオランダ共和国のことを意味している。建造はロッテルダムのマース海軍本部が1664年から1665年にかけて行い、設計はサロモン・ヤンス・ファン・デン・テンペルが担当した。
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンはミヒール・デ・ロイテル提督の旗艦として第2次英蘭戦争を戦い、激闘の末に勝利をおさめた4日海戦や、聖ジェイムズ日の海戦の苦い敗戦に参加した。またメドウェイ川襲撃では司令部とテムズ川封鎖という2つの役割をこなした。この戦争中を通じてデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンは多くの戦果を残したが、4日海戦ではマストを失う場面もあった。
デ・ロイテルは1672年から1673年の第3次英蘭戦争でもデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンを旗艦に使用し、イングランドとフランスを相手にしたソールベイの海戦、2回のスホーネヴェルトの海戦、そしてテセル島の海戦の4つの主要な海戦のすべてに参加した。
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンは1692年までに76門艦に改装され、大同盟戦争のバルフルール岬とラ・オーグの海戦に参加した。しかしこの戦いで艦はひどく損傷し、1694年に解体されることとなった。
2008年現在、オランダではデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンの復元計画が進捗している。
参考文献
[編集]- “Ships 1660-1669”. Sailing Warships. 2007年12月2日閲覧。
- “De 7 Provincien”. Bataviawerf - Nationaal Scheepshistorisch Centrum. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月2日閲覧。