メイ・ウィッティ
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(デイム・メイ・ホイッティから転送)
メイ・ウィッティ May Whitty | |
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本名 | Mary Louise Whitty |
生年月日 | 1865年6月19日 |
没年月日 | 1948年5月29日(82歳没) |
出生地 | リヴァプール |
死没地 | ビバリーヒルズ |
国籍 | イギリス |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画・舞台 |
活動期間 | 1881年 - 1948年 |
配偶者 | ベン・ウェブスター(1892年 - 1947年)※死別 |
主な作品 | |
『ミニヴァー夫人』(1942年) | |
備考 | |
1918年 大英帝国勲章(DBE) |
メイ・ウィッティ(May Whitty、1865年6月19日 - 1948年5月29日)は、リヴァプール出身のイングランドの女優。メイ・ホイッティと表記されることもある。
女優として史上初めて大英帝国勲章デイム・コマンダー(司令官騎士、DBE:Dame Commander of the Order of the British Empire)を受章した。そのため「デイム (Dame)」を冠して名前が表記されることが多い。
略歴
[編集]1865年にリヴァプールで新聞編集者ウィリアム・アルフレッド・ウィッティとその妻メアリー・ルイーザ・アシュトンとの間に生まれる。1881年に地元の舞台に立ち、女優としてデビュー。翌年にはロンドンの舞台に立つ。
1895年にアメリカに渡り、ブロードウェイの舞台に立つ。1905年にアメリカで娘マーガレット[1]を出産。
1914年にイギリスのサイレント映画『Enoch Arden』で映画デビュー(夫と共演)。その後、数本のサイレント映画に出演。1918年に女優として史上初めて大英帝国勲章デイム・コマンダー(DBE)を受章。1937年に『夜は必ず来る』でハリウッドデビュー。同作で第10回アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされる。その後、ハリウッド映画の脇役として様々な作品に出演。1942年の『ミニヴァー夫人』で第15回アカデミー賞の助演女優賞にノミネート。
主な出演作品
[編集]公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
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1937 | 夜は必ず来る Night Must Fall |
ブラムソン夫人 | |
征服 Conquest |
マリア・レティツィア・ボナパルト | ||
1938 | バルカン超特急 The Lady Vanishes |
ミス・フロイ | |
1941 | 断崖 Suspicion |
マーサ・マクレイドロウ | |
1942 | ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver |
レディ・ベルドン | |
1943 | 名犬ラッシー 家路 Lassie Come Home |
ダリー | |
キュリー夫人 Madame Curie |
ウジェーヌ・キュリー(ピエールの母) | ||
1944 | ガス燈 Gaslight (1944 film) |
Miss Thwaites | |
ドーヴァーの白い崖 The White Cliffs of Dover |
乳母 |
脚注
[編集]- ^ Margaret Webster (1905 - 1972):舞台女優・演出家。