マルコ・ディ・ヴァイオ
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モントリオール時代(2013年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Marco Di Vaio | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1976年7月15日(48歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1991-1994 | ラツィオ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1995 | ラツィオ | 8 | (3) | |||
1995-1996 | エラス・ヴェローナ | 7 | (1) | |||
1996-1997 | バーリ | 27 | (3) | |||
1997-1999 | サレルニターナ | 67 | (33) | |||
1999-2002 | パルマ | 83 | (41) | |||
2002-2004 | ユヴェントス | 55 | (18) | |||
2004-2006 | バレンシア | 35 | (11) | |||
2006-2007 | モナコ | 29 | (8) | |||
2007-2008 | ジェノア | 44 | (12) | |||
2008-2012 | ボローニャ | 143 | (65) | |||
2012-2014 | モントリオール | 71 | (31) | |||
1993-2014 | 通算 | 575 | (230) | |||
代表歴2 | ||||||
1993-1994 | イタリア U-18 | 3 | (0) | |||
2001-2004 | イタリア | 14 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年8月9日現在。 2. 2014年9月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マルコ・ディ・ヴァイオ(Marco Di Vaio, 1976年7月15日 - )は、イタリア・ローマ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。
際立っているとは言い難いフィジカルをカバーするようにスピードに優れ、スペースに出されたパスへ鋭く食らい付く動き出しの良さ、思い切りのいいシュートが魅力。ポストワークやサイドに流れてのチャンスメイクも精力的にこなす。[要出典]
経歴
[編集]キャリア初期
[編集]SSラツィオの下部組織出身で、1994年にセリエAデビューした。同クラブには愛着があり、現役最後はラツィオで引退したいと語っていた[1]。その後は下部リーグのクラブを転々とするが、サレルニターナ・スポルトで頭角を現すと、1999年にパルマACに移籍し、2001-02シーズンには20得点を記録した。2002年にユヴェントスFCへ移籍し、加入1年目にリーグ優勝を果たした。
国外でのプレー
[編集]2004年には同じイタリア人のクラウディオ・ラニエリ監督に誘われ、プリメーラ・ディビシオンのバレンシアCFに移籍。ラニエリ解任後は出場機会が減少し、ASモナコにレンタル移籍した。レンタル期間終了後にはバレンシアに一旦復帰するも、キケ・サンチェス・フローレス監督の戦力構想には入っておらず移籍を志願した。バレンシアとは契約が残っていたものの契約を解除することでフリーになり、移籍金の発生しないフリー移籍でモナコに復帰することとなった。しかし激しいポジション争いでレギュラーを獲得するまでには至らなかった。
母国復帰
[編集]2007年1月にセリエBのジェノアCFCよりオファーを受け、推定移籍金200万ユーロで2009年までの契約を締結した。セリエA復帰を目指して激しい昇格争いを繰り広げるクラブの切り札として復活が期待され、ジェノアのセリエA昇格に貢献した。2008-09シーズンはこのシーズン昇格したボローニャFCへレンタル移籍。シーズン開幕後からゴールを量産し得点王争いを繰り広げるも、最終節でズラタン・イブラヒモヴィッチに1ゴール差をつけられリーグ2位に終わった。しかし24ゴールは自身最多で、ボローニャのセリエA残留に貢献した。この得点数はチーム総得点の半分以上を占めた。32歳にしてシーズン2度のハットトリックを達成し、第16節のトリノFC戦、第27節のUCサンプドリア戦ともにチームは勝利している。
モントリオール
[編集]2012年5月24日、MLSのモントリオール・インパクトに移籍。移籍金は非公開。
代表歴
[編集]2001年9月5日に行われたモロッコ戦でイタリア代表デビューした。しかし翌年のワールドカップに出場する代表からは落選し、2006年ドイツワールドカップも選外に終わった。代表初ゴールは2003年10月11日のアゼルバイジャン戦。
現役引退後
[編集]2015年1月21日、古巣であるボローニャFCのクラブマネージャーに就任することが発表された[3]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- サレルニターナ
- セリエB : 1997-98
- ユヴェントス
- セリエA : 2002-03
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2003
- パルマ
- コッパ・イタリア : 2001-02
- バレンシア
- UEFAスーパーカップ : 2004
個人
[編集]- セリエB (サッカー)|セリエB得点王 : 1997-98(21得点)
脚注
[編集]- ^ WORLD SOCCER DIGEST、日本スポーツ企画出版社、2004年8月19日号
- ^ 元イタリア代表のディ・ヴァイオが現役引退 - Goal、2014年10月4日
- ^ “元イタリア代表FWディ・ヴァイオがボローニャのマネージャーに就任”. サッカーキング (2015年1月22日). 2018年8月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- Marco Di Vaio (@divaio9) - X(旧Twitter)
- Marco Di Vaio - player profile Transfermarkt
- Marco Di Vaio - manager profile Transfermarkt