アルゲアス朝
アルゲアス朝(ギリシア語: Ἀργεάδαι、ラテン文字転記:Argeadai)は、古代ギリシアの王朝。紀元前約700年から紀元前310年まで、マケドニアを統治した。
概要
[編集]古代ギリシアの神話的な記述によると、アルゲアス朝の起源はギリシャのアルゴスに遡る(アルゲアスの名はこれによる)とされている。
アルゲアス家は、ペロポネソスにあるアルゴスのテメネス家に連なる家系であることを主張し、その伝説上の初代はヘーラクレースの玄孫(孫の孫)であるテメネスである。アイガイでの王宮の発掘で、マノリス・アンドロニコスは、ドーム状の部屋(これを玉座の間であるとする学者もいる。)の中でこの伝承と関連した碑文を発見している。これは、ヘロドトスの『歴史』の記述とも一致しており、ヘロドトスによると、テメネスの一族であるガウアネス、アエロポス、ペルディッカスの三兄弟はアエルゴからイリュリア、更に上マケドニアのレバイアという町に逃れ、そこで王に仕えた。王は、ペルディッカスに何かすごいことが起こるという前兆を信じて、彼らに王の領地から去るように求めた。三兄弟は、マケドニア内の別の地でベルミオ山の麓のミダスの園の近くに移った。彼らはそこを拠点として、次第にその王国を形成した[1]。
トゥキディデスの『ペロポネソス戦争史』によると、アルゲアス家は元々はアルゴス出身のテメネス家であり、高地から下マケドニアに下り、ピエリアからピエリア人を追い出し、パイオニアではペラと海へと達するアクシオス川沿いの細長い土地を手に入れた。彼らはまた、エドノイ族を追放することでミグドニアを、エオルダイア人とアルモピア人を追い出すことでエオルダイアとアルモピアをそれぞれ領地に追加した[2]。
当初は、アルゲアス族の支配者であったが、ピリッポス2世の時代までにその支配を更に拡大し、上マケドニアの全ての国をマケドニアの支配下に収めた。
アルゲアス朝の最も著名な人物はピリッポス2世とアレクサンドロス3世(大王)であり、彼らの指導の下で、マケドニア王国は全ギリシャに対する優越的な地位を確保し、アケメネス朝を打ち倒し、エジプトとインドにまで拡大した。
しかし、大王の死後、王位継承者として残されたのは知的障害者であったピリッポス3世と嬰児アレクサンドロス4世であり、彼らは名ばかりの王であった。
このため、後継将軍(ディアドコイ)および残された王族たちは互いに勢力争いを始め、その過程で後継将軍の一人で大王の異母姉妹テッサロニケと結婚したカッサンドロスによる簒奪を受け、アルゲアス朝は断絶した。
歴代君主
[編集]- カラノス (紀元前808–紀元前778)
- コイノス (紀元前778–紀元前750)
- トゥリマス (紀元前750–紀元前700)
- ペルディッカス (紀元前700–紀元前678)
- アルガイオス1世 (紀元前678–紀元前640)
- ピリッポス1世 (紀元前640–紀元前602)
- アエロポス1世 (紀元前602–紀元前576)
- アルケタス1世 (紀元前576–紀元前547)
- アミュンタス1世 (紀元前547–紀元前498)
- アレクサンドロス1世 (紀元前498–紀元前454)
- アルケタス2世 (紀元前454–紀元前448)
- ペルディッカス2世 (紀元前448–紀元前413)
- アルケラオス (紀元前413–紀元前399)
- オレステスとアエロポス2世 (紀元前399–紀元前396)
- アルケラオス2世 (紀元前396–紀元前393)
- アミュンタス2世 (紀元前393)
- パウサニアス (紀元前393)
- アミュンタス3世 (紀元前393)
- アルガイオス2世 (紀元前393–紀元前392)
- アミュンタス3世(復位) (紀元前392–紀元前370)
- アレクサンドロス2世 (紀元前370–紀元前368)
- アロロスのプトレマイオス(摂政)(紀元前368–紀元前365)
- ペルディッカス3世 (紀元前365–紀元前359)
- アミュンタス4世 (紀元前359–紀元前356)
- ピリッポス2世 (紀元前359–紀元前336)
- アレクサンドロス3世(大王) (紀元前336–紀元前323)
- アンティパトロス(マケドニア摂政) (紀元前334–紀元前323)
- ピリッポス3世アリダイオス (紀元前323–紀元前317)名ばかりの王
- アレクサンドロス4世 (紀元前323–紀元前310)名ばかりの王
系図
[編集]ペルディッカス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルガイオス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピリッポス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アエロポス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルケタス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アミュンタス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アレクサンドロス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルケタス2世 | ペルディッカス2世 | ピリッポス | アミュンタス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルケラオス1世 | アエロポス2世 | アリダイオス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オレステス | アルケラオス2世 | パウサニアス | アミュンタス3世 | ネオプトレモス1世 エピロス王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アレクサンドロス2世 | ペルディッカス3世 | アンティパトロス マケドニア摂政 | ピリッポス2世 | オリュンピアス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アミュンタス4世 | キュナネ | カッサンドロス マケドニア王 | テッサロニカ | ロクサネ | アレクサンドロス3世 (大王) | スタテイラ (ペルシア王女) | クレオパトラ | アレクサンドロス1世 エピロス王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エウリュディケ2世 | (庶子) ピリッポス3世 | アンティパトロス朝 マケドニア | アレクサンドロス4世 | (庶子) ヘラクレス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- March, Duane A. (1995). "The Kings of Makedon: 399–369 BC". Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte (Franz Steiner Verlag) 44 (3): 257–282. JSTOR 4436380.
外部リンク
[編集]- “Argead Dynasty”. Encyclopædia Britannica. 26 April 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。May 13, 2008閲覧。