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ティラミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティラ・ミ・スから転送)
ティラミス。
ティラミスの断面。
調理の途中。
ティラミスの起源となったとされているクレマ・デッラ・ドゥケッサ(crema della duchessa)の現代風盛り付け。
ビスコッティ・サヴォイアルディ

ティラミスイタリア語: Tiramisùヴェネト語: Tiramesù [tirameˈsu])は、北イタリア生まれのデザートの一種。

語源の «Tirami su!» はイタリア語で「私を引っ張りあげて[1]」、また転じて「私を元気づけて」の意味。世界的に有名なイタリアのデザート。イタリア北東部ヴェネト州トレヴィーゾ1970年代に生まれたとされるが、異説もある[2]

作り方

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適度な大きさの型にエスプレッソを染み込ませたビスコッティ・サヴォイアルディサヴォイアのフィンガービスケット)を敷き詰め、その上からマルサラワイン砂糖と共に卵黄を温めながらかき立てたカスタードソースザバイオーネ」とマスカルポーネチーズを合わせた「ザバイオーネ・クリーム」を流し入れ、同工程を2 - 3層繰り返し、型を埋め尽くし冷し固める。仕上げは表面にココアパウダーをふりかけて風味付ける[3]

歴史

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世界

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ヴェネト州政府によれば、ティラミスは1970年代に同州トレヴィーゾのレストラン「レ・ベッケリエ」において創作された[2]。しかし、1950年代に隣接するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のレストランで考案されたものとする見解もあり、ティラミス発祥の土地や年代をめぐっては論争が存在する[2]。「レ・ベッケリエ」でティラミスを考案したとされるイタリア人菓子職人アド・カンペオル (Ado Campeol) は「ティラミスの父」として知られた。原料のマスカルポーネロンバルディア州チーズ、ビスコッティおよびクリームのベースとなるザバイオーネはピエモンテ州の郷土デザートである。

米国では1970年代終わりから1980年代初めにかけてブームになった。

日本

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1980年代後半に起きたイタリア料理ブーム(1988年頃から「イタ飯」と呼ばれる)に乗り、それまで都心の高級イタリアンレストランのメニューには存在したティラミスだが、1986年にデニーズがメニューに導入した。ただその時はほとんど知名度は上がらず、1990年バブル期にHanako(同年4月12日号)が取り上げたのを機に大ブームになった。Hanakoをきっかけにテレビのグルメ番組でも紹介され、デパートでもマスカルポーネの代用品、業務用マスカポーネ(植物性油脂)が置かれるようになり、作り方も紹介された。また街のケーキ店や各メーカーも商品化していくようになり、後にコンビニのデザートコーナー(その頃はまだスイーツと言わずデザートといった)などにも置かれるようになった。その結果、ショートケーキ、モンブラン、シュークリームなどと共にデザートの一ジャンルとして定着した。

ただし1980年代の時点では、都心の高級レストランはもとよりデニーズの店舗数は限られており、メニューにあったことも多くの人は知らなかった。当時はまだインターネット社会になっておらず、取り寄せもできない。バブル期はティラミスは情報として知られただけで、雑誌で紹介された店に足を運んだのは一部に限られ、多くの人は実際には口にしていなかった。コンビニなどで商品化され多くの人が口にするようになったのは、Hanakoで取り上げられて大分経ってからのことである。

1970年代にスポンジケーキ風の元祖チーズケーキがブームになり定着したのに続いて、1980年代初頭の日本ではレアチーズケーキが大ブームになり、チーズクリームを包んだクレープも80年代初頭の時点で既に一般スーパーで市販され、一部学校給食にも出ていた。その約10年弱後に起きたティラミスブームだが、ティラミスが新鮮に受け取られたのはチョコレートパウダーとコーヒーシロップが使われていたことだった。それまではチョコやコーヒーとチーズクリームの組み合わせはまだ珍しかった。

レ・ベッケリエ (Le Beccherie)

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ティラミス発祥の地と言われるヴェネト州トレヴィーゾにあったレストラン[4][5]で、シェフのロベルト・リングアノットがバニラアイスクリームを作っている際の手違いから生まれたと言われている。

リングアノットが卵と砂糖の入ったボウルに誤ってマスカルポーネチーズを落としてしまったのだが、それがとてもよい味だったので、アド・カンペオルの妻アルバに伝えた。2人は試行錯誤し、最終的にコーヒーに浸したビスコッティ・ザヴォイアルテを加え、ココアをふりかけて「ティラミス」を完成させた[6]

オーナーであったアド・カンペオルは2021年10月30日に93歳で死去。ヴェネト州知事のルカ・ザイアが自身のFacebookで哀悼の意を表した[7]

参考文献

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  • Giuseppe Maffioli, La cucina trevigiana, Muzzio Editore, 1983, ISBN 88-7021-212-2.

関連項目

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脚注

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